2015年06月26日

第19講 想念が現実を作る

はじめに

19 Chidananda.jpg このブログ「幸せ探偵」は、経済成長に依拠しない国家や社会の有り様を、個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみたいと思っている。第18講では思考のパワーを探ってみた。ネガティブ思考の問題については、第3講 ネガティブ思考とレジリアンスでも扱ったが、ことネガティブ思考の取り扱いに関しては、インドのヨーガ思想をおいて右に出るものはないであろう。ということで、23年も前に一度読んだ「ヨーガといのちの科学」を読み直してみた。スワミ・チダナンダジ(Swami Chidananda, 1916 〜2008年)は、スワミは2008年8月28日に92歳で入滅されたのだが、慈愛に満ちた言葉は、まさに「幸せな心のための科学」というにふさわしい。以下は、スワミが1988年に来日されたときの講和をまとめた著作の要旨である。

マネーとモノでは人は幸せになれない

 何が好きかと聞かれて、不幸や悲しみや苦しみが好きだという人は誰もいない。不幸や苦しみを求めている人は誰もいない。ただし、問題がある。幸せになるために、誰もが一生懸命、マネーを稼いでいることだ。マネーがあれば、自分の欲望を満たしてくれるモノが買える。そこで、幸せになれる手段になると考えているのである(p167)

 目標をもって生きるのはいい。けれども、教授になる、医学博士になる、あるいは、大金持ちになる、実業家になることが、果たして人間の最終目標なのだろうか。どのような種類の職業に就いたとしても、できればより楽に贅沢に暮らしたいという欲望から来ているとすれば、それで満足できるのであろうか(p81)。何かに頼ることは最終的に悲しみや痛みの原因になってしまう(p171)

エゴによる悲しみと恐怖が社会問題の根底にある

 人間の最も弱いところは私利私欲である(p164)。利己主義の人は、利己的な考えに自分が縛られ、スケールの小さい不幸で面白くない人生を送ることになってしまう。わがままであってもいけない。わがままは無知からもたらされる。そして、意識を心の小さなところへと押し込め、エゴ的にしてしまう。わがままな人が持つ幸せや喜びは小さく取るにたらないものでしかない(p169)

 そして、エゴが大きくなり、自分が中心になるほど、なぜか怒りがこみ上げ、悲しみも増えていく。これは非常に危険だ(p59)。矮小な人間となると欲望に走り、憎しみが起こり、嫉妬し、自己中心的になっていく。すると恐怖心が湧き、不安定な心の状態に圧倒され、自分が創り出した問題の蜘蛛の巣に閉じ込められ、他人にも迷惑をかけはじめる。世界中に大きな戦争や暴力が引き起こされていく。これが現在、社会に様々な問題を引き起こしている根本原因である(p37)

 ヨガを通じて奇跡的な力を得ることもできる。けれども、それは個人的なエゴを満たすにすぎない。不可思議な力を得たヨギは個人のエゴが強くなり、そのエゴの巣の中に自分自身を縛りつけることになる。神を求めないヨガは、家が留守のような空虚なヨガになってしまう(p39)

真実の本質とつながることが究極の幸せ

 要するに、人間には利己的なところがある。また、他人をいじめたり傷つけたりして喜ぶ性質もある。けれども、美しい歓びに惹かれる性質もある。つまり、三つの性質を持っている。このため、ブラフマンは、自己統制し、寛容であれ、他に尽くせとアドバイスをした(p164)

 そして、人間の心の奥底には純粋な歓び、平和を望んでやまない本質がある(p170)。普通に生活している以外の、ただそこに存在している状態だけを意識する状態がある。それが、あなたの真実の姿なのである。いま、経験している過去、現在、未来を超越したあなたが、最も基本となるあなたなのだ(P183)。超自然的な宇宙の存在を知り、それとつながることが究極の幸せなのである(p127)

ハタヨーガで健康になる

 健康は一番大切な富である。ハタヨガは他に類を見ない科学的なアプローチの方法である(p17)。脳からは脊髄が伸び、脊髄からは自律神経が横に広がっている。昔のヨギは脊髄が通っている脊椎が柔軟で健康であることが重要であることをしっていた。そこで、ヨガのアーサナでは自律神経網を健康にしておくため、脊椎を中心とした前かがみ、後ろへの反り、そして、ねじりのポーズを重視している(p45)

 また、各臓器から分泌されるリンパ液や胆汁、消化液等の内分泌活動も健康には欠かせない。ヨガのアーサナを行うと、身体の適切な場所にプラーナを送り込まれ、正常化する(p46)

 肉体と心はつながっている。そこで、アーサナを通じて肉体が整えば、プラーナ(気)も安定し、プラーナが安定すれば心も安定する。心理的な安定した状態が得られるのである(p41)。ある容器に水を入れ、水面の真ん中にバラの花を一本置いてみよう。入れ物が動いていなければ水もバラも静かだ。けれども、入れ物をゆり動かせば水もバラも動く。容器はあなたの肉体、バラはあなたの心だ。そして、水は身体の中にあるプラーナ、気だ。すなわち、身体が静かであれば、心も平衡を保って静かなのである(p43)。けれども、健康になって五感を楽しむのは消極的な目的である(p35)。幸せになるためには、五感が楽しむことを控えなければならない(p168)。そして、健康になる目的は他者に対して何か有益な奉仕をするためのものである(p35)

パタンジャリのヨガ

 ラージャ・ヨガは、紀元前2世紀にパタンジャリ・マハリシによって提唱されたものである。パタンジャリ・ヨガは、8部門に分かれることから、アシタンガ・ヨガ(八つのヨガ)とも言われる(p32〜33)

 パタンジャリは、ヨガの第一歩として、ヤマ(悪いことをしない)、第二段階としてニヤマ(良いことをする)を提案した。ヤマとは

 @人を傷つけない
 A嘘をつかない
 B考え方を浄化する
 C欲張らない
 D人生をシンプルにする

 この原則を守るだけでかなり理想的な人間になれる(p20〜21)

人は必ず死ぬ〜今日一日を大切に生きる

 インドのベーダンタ思想からすると人生は四段階にわかれる。

 第一は、学生時代。人生に対して自分の肉体的、精神的にトレーニングしていく時期である。

 第二は、修得した知識を最大限に生かして大人として周囲のために尽くしていく時期である。

 第三は、現職から離れ、知識や経験をさらに豊富にしていく時期である。第三の時期では、家庭や社会の義務が終わり、自己をなくして社会のためにすべてを捧げる時期である。

 第四は、水平線の向こうに一日の太陽が沈みかけている時期に似ている。すべての仕事から引退し、すべての社会的な責任を果たして、より深い精神的な祈りと神への近づきを個人として求める修行の時期である。夕焼けを待ちながら沈んでいく太陽と同じく、人生の終わりに向けて静かに神とともにある日々を過ごす(p53〜54)

 今日はあなたの人生にとっての一部だ。けれども、人生とは今日という日がずっと連続してできている。過去はひとつの記憶にすぎない。過去のことを云々しても何事も起こらない。それはもう存在しない。では未来とはなにか。未来とは自分の心の中にある期待にすぎない(p147)。だから、今日こそが最も大事な日なのである。そして、今日一日を大切に過ごせば、明日もうまく素晴らしい日になっていく(p148)

 人間は、この地球上に産まれ、いつの日にか去っていく。すべての人類はこの地球の巡礼者なのである(p130)。この地球上での滞在時間は限られている。その考えも行動も限ら時間の中で行わなければならない(p133)。死は確実なものだ。死は突然にやってくる。いつお呼びがくるかまったくわからない。つまり、そんなにのんびりしている時間はない。やりたい、やらなければならないと思うことは死が訪れるまでに成し遂げなければならない(p83,p219)。そして、いつか死が訪れることを念頭から離さなければ、すべてのことにあまりこだわったり執着しなくなる。いつも死を頭の中においておけば死は怖くなくなる(p220)

理想的な毎日の送り方

 第一は、良い人とつきあうこと、間違っている友人を避けることだ(p19,p87)。世の中の人は大きく4タイプに分けられる。ヨガはタイプに応じたつきあい方を提案している。

 @自分よりも地位、権利、マネー等で上の人
 A自分と同じくらいの人
 B自分よりも年齢、知識、権利等で下の人
 Cトラブルメーカー

  自分よりも上の人とのつきあいは神経質にする。上の人に対しても惑わされないようにしてほしい。自分よりも下の人に対しては、思いやりと同情心をもって接 すること。貧しい人や教育のない人には常に親切で思いやり深くあれば、心は平安である。逆に下の人に対いて利己的に高圧的に押さえつけると相手もイライラ して自分もイライラしてくる。同じ立場の人には嫉妬心がわく。競争心もでる。そこで、友情心をもって接して欲しい。最後の人は、君子危うきに近寄らず。な るべく無視するか、煩わされたり巻き込まれないようにすることだ。嫌だなという想いで見ているとその人の邪念が自分の心にも入ってくる。そして、神に「あ の人をいい人にしてください」と祈り、もう忘れてしまうのが一番いい方法である(p223〜225)。

 第二は、高い魂について書かれている本や経典を読むことだ(p19,p87)。多くの聖典を読めば、何が正しいのかが見分けが付くようになる(P244〜245)

 第三は、高貴な精神状態を作る修行の時間を持つことだ(p87)。これをスワディヤという。祈りは心を浄化するために非常に大切なものだ(p88)。すなわち、ハタヨガを行い、何か経典を読み、自分の中からネガティブなものを取り去る。神に祈り、瞑想する生活をするとよい(p94,p222)。ちなみに、マントラは古代の指導者たちが考え出したものではない。瞑想中に神から呼びかけられて感じた音である。したがって、マントラを唱えることで神に至ることができる。これを『ジャパヨガ』という(p122)

悲しみがあることを認めてあきらめて生きる

 人は人生での経験のひとつひとつが意味がないように思っている。けれども、そうではない(p62)。例えば、大変な苦しみにさいなまれる悲惨を持つことから、他人に対する同情心や優しさや愛を成長させていく。自分が体験しなければ、他人がどれだけ苦痛なのかつらいのかわからないではないか(p79)。人間が他の動物よりも優れているユニークな点は、他人の痛みを感じ、他人の役に立とうと考え行動できることである(p69)

 この現実の世の中には必ず悲しみや苦しみがつきまとうことを認めよう。そうすれば、それに対して期待や希望をもたなくなる。欲望につかまってもがくことも五感の奴隷になることもなくなる(p220)

エゴをなくし人のために尽くす

 人に暴力を振るうことはいけない。他人に対してしたことは必ずあなたに戻ってくるからだ(p168)。そこで、自分はエゴ的でなくても、周囲の人のエゴには寛大であってほしい。他人のエゴを嫌って攻撃すれば、その分、あなたのエゴは増えていく。逆に他人のエゴに対して寛大であればあるほど、あなたのエゴは減っていく。エゴのない奉仕がどれだけ大切かを自覚することだ(p247)。そして、意志力をもって質素な規則正しい生活をしていると、心のなかに「善」が起きてくる(p64)。自分をなくして人のために働くことが最も人間の美しい姿である(p169)

思考パターンは習慣の産物

 我々は毎日、50くらいの事柄についての考えを馳せている。そして、いつも周囲にあるものに気を取られて生きている(p14)。心とは、思想と感情と記憶からなっているが(p86)、ある考え方を繰り返ししていると、それがその人の思考パターンとなる。繰り返された考えは、次には行動となって繰り返し現れるようになる。これを繰り返すと、それが習慣化し、そのものが性格となり生き方となる(p18〜19)。自分が考えた世界が自分が見ている世界となる。そして、自分の考えの質があなたを作る。あなたの性格はすべてあなたが造ったものだ(p88)。すなわち、朝から晩までどのような質の思考を行うかどうかが、発する言葉や行動として現れてくる。私の行動は私の思考と感情から作られている。したがって、どのような「質」の「思考」を行うかが、どのような「質」の「行為」を行うかの結果となる(p149)

人間にはポジティブとネガティブ思考がある

 さて、ヨガは人間を心理的に観察することから、人間は一定方向に考える癖があることを発見した(p86)。あなたの心の中には二つの考えがある。正しいポジティブな方向に向かうものとネガティブな方向に向かうものだ(p85)。そこで、心を常に観察して、どちらの方向に向かっているのかを認識することが大事である(p86)。もし、ポジティブな方向に向かっていればそれを広げ、間違った方向に向かっていれば、大急ぎで捉まえて手前に引き戻し、良い方向に移し変えることが必要である(p85)。内的な心のトレーニングを行い、常に正しい考え方をすることが必要である(p18〜19)。心は微細で外に出てこないものだ。けれども、二つ目の心、心をつかんでもとに戻せばいい。この心の中にある力をブッディと呼ぶ(p175)。心の中に住んでいる古い習慣を捨てなければいけない。何が心を休ませず活動をさせ続けるのかの原因を探らなければならない。この実践をアッビアサと言う。そして、心を煽り立てるものを取り除いていくことをバイラニヤと言う(p174)

 前に述べたように、外に表れる行為のすべては、心の内側にあるものが表面化したものである。したがって、心の中から誤ったが考えが湧き出て心を占拠して続けると行為も間違った方向に進んでいく。心のマスターになることが必要なのである(p172)。ブッダは「自分の内側を制覇したものが一番偉大な勝利者だ」と語ったのもそのためである(p129,p172)。怒り、恐怖、エゴといった感情的なものはすべて思考から生じる。このため、湧き起こる想念、思考を停止し、自分のことを静める。パタンジャリは、これがヨーガであるとした(p32〜33)

 いったい、誰が他人の心を監視してくれるであろうか。この作業は自分自身でやるしかない(p86)。バガバット・ギータで、アルジュナが「心をコントロールすることは無理だ」といったときも、クリシュナ神は「忍耐強く自分の心に言ってきかせる。地道な努力を続けよ。そうすれば可能だ」と述べた(p173)。この作業が未来を変える(p85)

人間の構造と産まれてくる理由

 人間は5つの鞘(コーシャ)に包まれている(p91)。これは、2000年以上も前に書かれた『ヨーガ・スートラ』よりもさらに古く4000年以上も前に書かれたヨーガの思想の源『ウパニシャットの聖典』に登場する概念である(2,3)

 名 前鞘の種類内 容改善方法
第一鞘アンナ・マヤ・コーシャAnnamayakosya食物鞘一番粗雑なレベル。食物(アンナ)から出来ている肉体食養、アーサナ
第二鞘プラーナ・マヤ・コーシャPranamayakosya生気鞘生命エネルギー、プラーナからできている呼吸法(プラーナヤマ)
第三鞘マナス・マヤ・コーシャManomayakosya意志鞘思考、欲望、感覚等心(マインド・マナス)からできていて外界への五感情報によってコロコロと変化するモンキーマインド集中法(プラティアハーラ、ダラーナ)
第四鞘ヴィジナーナ・マヤ・コーシャVijinanamayakosya理智鞘記憶を用いて心を分析したり判断する。自我瞑想法(ディヤーナ)
第五鞘アーナンダ・マヤ・コーシャAnandamayakosya歓喜鞘至福の鞘。自我を越えて無限の宇宙とつながる魂。さとりの境地三昧(サマーディ)

(1p91〜94,2,3)

プラーナについて

 この宇宙は大変に粗雑なタマス、活動的でイライラしたラジャス、繊細なサットバの三つのグナから形成されている。この三つを超えたものがニルバーナ、悟りである(p120)

 また、霊的、魂のレベルで見ると、人間は、粗雑なグロス体(肉体)、目には見えない繊細なプラーナからなるサトル体(精妙体)、分子や電子よりもさらにさらに小さいコーサル体(原因体)から出来ている(p89,p157,p244)

 我々の身体の中には隠された力が眠っている。けれども、精細な力、プラーナを使わなければこの力を開くことはできない(p152)。プラーナは、プラーナ層、メンタル層、インテレクト層からなっている(p89)。そして、プラーナは二つのチャンネルを通じて働いている。一つが左側、月、もうひとつは右側、日を通っている。そこで、これを「ハ」片方を「タ」と呼ぶ。両方の力を合一させることが「ハタ・ヨーガ」となる。そして、下部の力がすべての階層を突き破って上昇していく。これをクンダリーニでチャクラを開くという(p152)。チャクラは、どのヨガをしても、心が純化して、落ち着いた状態、サットバになれば、目覚めるときには自動的に目覚める。チャクラを目覚めさせるために無理に瞑想することは薦められない(p154)

コーザル体について

 我々の心は自分が作り上げてきた過去のカルマに縛られている(p83)。こうした繊細なカルマによって現在を左右する傾向が産まれる。これをヴァーサナと呼ぶ。この隠れていて目に見えていない部分がいまのあなたを作り上げている(p89)。また、コーザル体は何千何万という種子から出来ているが(p244)、この種子の中に、以前の経験やその経験を通じて残された印象、サムスカーラが刻み込まれている。この印象が自分の考えの中にひとつの思想を作っている(p89〜90,p244)

 サムスカーラはさほど力を持っていないが、ヴァーサナは、過去からのカルマとして働きかける力が大きい(p89〜90)。人間は死ぬと、サトル体とコーザル体を乗せて宇宙に戻るが、コーザル体にはまだやり残しやり遂げられていない多くの要素、やり残したことをしたいという愛着心が残されている。このもう一度生まれ変わる原因を作ることから、コーサル体と呼ばれている(P244〜245)。要するに、過去から残された印象、体験のカルマ、満たされなかった欲望がもとに、人はそれぞれの使命を果たすために、人間は生まれてくる(p90, p125)。自己中心的な行動から抜け出て他人に尽くすこと。質素な生活を送り、他者に対して謙虚さを保つこと(p59)。より高い自己を目指して進化していくこと。それが人生の目的であり、何度も輪廻転生する理由なのである(p61)

【引用文献】
(1) スワミ・チダナンダ『ヨガといのちの科学』(1992)東宣出版
(2) 島田美映『パンチャコーシャ〜5つの鞘〜 』Yoga Room Luxury
(3) 上野玄春『第1章 ヨーガとは何か』生命の輝きを描き続ける

チダナンダジの画像はこのサイトから
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2015年06月25日

第18講 身体をコントロールする思考

はじめに

 このブログ「幸せ探偵」は、経済成長に依拠しない国家や社会の有り様を個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみたいと思っている。第17講では、八木啓代氏の「ラテンの生き方」を紹介してみた。キューバが医療大国であることは八木氏の著作にも書かれているが、カーニバル評論家の白根全氏によるとキューバの自殺率は中南米では意外に高く、方や世界最貧国とされるハイチの自殺率はほぼ皆無なのだという。

 自殺を不幸の指標と考えれば、幸せは国家の経済状況や社会制度と無関係なこととなり、格差ゼロの理想社会を築こうとしたフィデル・カストロの努力は空しいこととなる。

 それはともかく、ラテンの南の陽気が人間を陽気にすることは間違いあるまい。事実、1985年、ウィスコンシン大学医学部の解剖学准教授という終身在職権を落ち込んで止めることとなり、カリブ海に浮かぶ島、モンセラット島にある医科大学で教鞭をとり始め、島のジャングルや珊瑚礁の生物たちを見ているうちに、「生命は遺伝子に支配されているのではない」というインスピレーションを受けてしまった生物学者がいる(p12〜13,p34)。今回は、生物学のアプローチから「幸せ論」に一石を投じたブルース・リプトン博士の著作を内容を紹介してみよう。

DNAや遺伝子は生命をコントロールする脳ではなく生殖器

 bruce lipton.jpg遺伝のメカニズムを研究するためには、細胞から核を取り出し、核膜を開いて内部の染色体を取り出す。染色体の半分はDNAで残りの半分はDNAの働きをコントロールするタンパク質である。従来の研究はDNAだけに着目し、このタンパク質を捨てていた。けれども、現実の染色体ではDNAを芯に、このタンパク質がカバーをしている。カバーがかかったままでは遺伝子情報を読み取れない。そして、このカバーがはずれるのは、環境から信号情報を受けることによってである。すなわち、環境からの信号を受けた、調節タンパク質のコントロールによって、遺伝子が働くかどうかが決まる。従来のDAN優位という図式はもはや時代遅れなのだ(p109〜110)

 そもそも細胞は遺伝子がなければ分裂できない。そして、細胞内のタンパク質は細胞活動によって劣化していく。核を除外したからといって細胞は遺伝子がないから壊れたタンパク質を補充できない。だから、その細胞は最終的には死ぬ。けれども、その細胞が死ぬのは脳を失ったからではなく、再生産能力を失ったからだ。このことは、核が細胞の脳ではなく、細胞の生殖腺であることを意味している(p106〜107)

細胞膜こそが細胞の「脳」である

バクテリア等の原核生物は最も原始的な生物だ。原核細胞には核やミトコンドリアのような細胞小器官すらない。けれども、食料を摂取消化し、呼吸し、老廃物の排出も行っていく。食料がある地点まで移動し、毒や捕食者が存在すれば逃げようとする「知性」すら持つ。とすれば、原核生物の「脳」の候補は、細胞膜だとしか考えられないではないか(p122)

 細胞膜は、親水性のリン酸からなる「リン脂質」の頭部に疎水性の脂質部分「リン脂質脚部」がはされまれた半透過性の三層からなっている(p129)。20種類のアミノ酸には親水性(極性)のものと疎水性(非極性)のものがある。そして、タンパク質はアミノ酸が数珠つなぎになってできている。このため、タンパク質の分子で、疎水性のアミノ酸がつながっている部分は、安定性を求めて脂溶性の膜の中央部に埋まり込む。これを「内在性膜タンパク質(IMP=Integral Membrane Proteins)」と呼ぶ。内在性膜タンパク質は、働きによって「レセプタータンパク質」と「エフェクタータンパク質」にわかれる(p130)

 ヒスタミンレセプターはヒスタミン分子と、インスリンレセプターはインスリン分子と結合する。このため、レセプタータンパク質は、眼や耳等、細胞の感覚器として働く(p132)。一方、細胞はレセプターから受け取った情報に反応し、働くのがエフェクタータンパク質である(p133)

 核とは違って細胞膜を破壊すると細胞は死ぬ。また、膜をそのままにしておいて、消化酵素を用いて「レセプタータンパク質」だけを破壊すると細胞は、昏睡状態のいわば「脳死状態」に陥って、環境からの情報を受け取れず活動ができなくなる。同じく、「エフェクタータンパク質」の形が変えないようにしても細胞は昏睡状態に陥る(p138)。要するに、環境から刺激を受け取り、細胞が生命を維持するための適切な反応を引き起こすのは細胞膜である(p205)。要するに、細胞膜が細胞の「脳」と言えるのだ(p120,p205)

エフェクタータンパク質が細胞をコントロールしている

 遺伝子を超えたコントロールという意味での(p108)「エピジェネティクス」という新たな分野の進展によって、染色体内に存在するタンパク質の役割が着目されるようになったように、「内在性膜タンパク質」の働きを研究する「シグナル伝達」という新たな分野が誕生したことによって、細胞膜が重視されるようになった(p134)

 前述したように染色体中のDNAに調節タンパク質が結合するとDNAにカバーがかぶさるようなもので、DNAの読み取りが制約を受ける。そして、この調節タンパク質がDNAに結合するかどうかの信号を出しているのは「内在性膜タンパク質」である。要するに、実際にコントロールしているのはDNAではなく、エフェクタータンパク質なのである(p136)。このことから、細胞レベルでの「知性」のメカニズムは、内在性膜タンパク質のレセプタータンパク質とエフェクタータンパク質から構成されていることがわかる(p206)

単細胞生物はシグナル分子を用いて多細胞化した

 多細胞生物は以前に考えられていたよりもはるかに少ない遺伝子しか持っていない。ヒトゲノム計画が始まる前はヒトの遺伝子は10万個以上あると考えられていたが、実際に解読が終わってみると2万数千個の遺伝子しかないことが判明した(p170)。一方、原始的なセンチュウは969個の細胞から構成され、脳の細胞はたった302個しかないが、2万4000個もの遺伝子を持つ。約50兆個の細胞からなるヒトの遺伝子は、センチュウよりも1500個多いだけにすぎないのだ。そして、ショウジョウバエにいたっては1万5000個とセンチュウよりも9000個も少ない(p103〜104)。このことも、遺伝子がさして重要ではないことを思わせる。

 単細胞生物が多細胞生物となったのはわずか7億年前のことだが(p208)、単細胞生物が多細胞生物という共同体を作り上げたのも、環境中のシグナル分子の働きによる。単細胞の粘菌アメーバは通常は単独で食料をあさっているが、環境中の食料が不足すると代謝副産物であるサイクリックAMP(cAMP)を外部に放出し、それが環境に蓄積していく。このcAMPがシグナル分子としてcAMP細胞膜表面のレセプターに結合するとアメーバ―は集合して多細胞となり、生殖を行う。cAMPは進化史では最も古くから用いられてきた分子である(p207)

 サイトカイニン、神経ペプチド等の人間の体内で働くシグナル分子も以前には複雑な多細胞生物の誕生とともに出現したと考えられてきたが、最近の研究からは、原始的な単細胞生物がすでに人間と同じシグナル分子を用いていたことがわかっている(p208)

ヒトの身体は同一のタンパク質を使いまわす複雑系だ

 従来の医学では、ある医薬品になぜ副作用が生じるのかよく説明できなかった。けれども、2004年、細胞内で働くタンパク質の相互作用のマップが作成される。このことから、体内でうまく機能していないあるタンパク質を調整しようとして薬剤を服用すると、ターゲットとなるタンパク質だけでなく、それ以外の多くのタンパク質に相互作用を引き起こすことがわかった(p167〜169)。すなわち、同一の遺伝子産物、タンパク質が様々な場面で使い回しすることで複雑な体を維持している(p170)

心とは多細胞間の化学伝達物質である

 さて、単細胞生物は、細胞膜を取り囲むごく近場の環境情報を「肌」で得ることができる。けれども、多細胞生物は、生物個体の外側で何が起きているのかを認識できない。このためその情報をキャッチするため、神経ネットワークや脳を発達させた(p209)

 さらに高等な生物は脳内部でも特殊化を進めた。そのひとつが大脳辺縁系だ。神経系は化学物質のシグナルを放出することによってすべての細胞が「感情」として経験できるようにしたのである。この細胞間の連絡に用いられる化学物質のシグナルが「情動」だ。

 キャンディ・パート(Candace Pert)は『化学物質が情動をつくる』で、ほとんどの細胞にニューロン性のレセプターが存在することを明らかにしている。パートの実験から、感情が脳内に留まるだけではなく、シグナル分子として身体全体に分配されることが明らかになった。同時に、自ら「意識」することで、脳は「感情をつくる化学物質」を生成していることもわかった。このことは、意識によって身体を健康にもできるし、病気にもできることを意味している(p210〜211)

心からの指令は身体よりも優先される

 漆にかぶれると手が腫れてかゆみが続くのはヒスタミンが放出されるからである。ヒスタミンは、身体が緊急警報として局所的に放出するシグナル分子である。けれども、ヒスタミン分子に反応するレセプターにはH1とH2の二種類がある。H1レセプターは、毒物を培地に加えたように防御反応を始める。漆のアレルゲンに炎症反応を起こす。けれども、同時に脳内の血管では、H2 レセプターが反応し、ニューロンへの栄養分を増やし、ニューロンの成長を促す(p171,217)

 アドレナリンに反応するレセプターも二種類があり、アルファレセプターは防御反応を引き起こし、ベータレセプターは増殖反応を起こす。それでは、培地にヒスタミンとアドレナリンの両方を加えたらどうなるのであろうか。アドレナリンの方が優先され、ヒスタミンの効果を打ち消した。この細胞レベルでの実験は、中枢神経系が送り出すアドレナリンのような指令が、局所的なシグナルであるヒスタミンのような指令よりも優先され、身体システムでは心(中枢神経系)からの指令が肉体よりも優先されることを意味している(p218)

人の健康は心で左右される〜プラシーボ効果とノーシーボ効果

 1952年、イギリスの医師、アルバート・メイソンは先天性魚鱗癬という遺伝病を催眠療法で治療することに成功した(p196)。医学の歴史を見渡せば、瀉血、砒素を用いた治療、万能薬としてのガラガラヘビの油等、有効な治療がなされていなかったことがほとんどであることがわかる。おそらく、患者の三分の一はプラシーボ効果によって改善したのであろう(p222)。喘息やパーキンソン病、鬱病にもプラシーボ効果があることがわかっている(p224)

 一方、ネガティブな思考が病気を引き起こす「ノーシーボ効果」もある。2003年に放映された番組『プラシーボ―心は薬よりも力がある』には、医師クリフトン・ミーダーが1974年にサム・ロンドを診察した結果が紹介されている。ロンドは食道癌を患いあとは死を待つばかりだと診断され、実際に診断後数週間で亡くなったのだが、解剖後に食道癌がまったくみあたらなかったのである(p228〜229)

ストレスによる防衛反応が病気を起こす

 ひとつひとつの細胞を観察していると深く考えさせられることが多い。例えば、ヒト血管内皮細胞は、培地に有害物質を入れると「毒」から逃げ出し、養分を与えると引き寄せられた。このように、生物の反応は大きくは、有害物質から離れる「防衛反応」と養分に向かっていく「成長・増殖反応」に大別できる。ただし、重要なことは両反応が同時に発動はできないことだ(p235)

 多細胞生物も数多くの細胞からなる共同体で、「成長・増殖反応」と「防衛反応」が行われているが、それは、神経系が環境からのシグナルをモニターすることによってコントロールされている。

 環境に脅威がキャッチされなければ、視床下部・脳下垂体・副腎が連携して働くHPA(Hypothalamus Pituitary-Adrenal Axis)系は作動せず、体内では成長・増殖活動が行われる。けれども、脅威が知覚されると、レセプタータンパク質と同じように視床下部がHPA系を発動させる。副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)を放出し、これが脳下垂体に届く。「内分泌線」の総元締めである脳下垂体は、エフェクタータンパク質と同じように体の各種機関の活動を促進させる。CRFは脳下垂体の特定のホルモン分泌細胞を刺激し、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)が血液中に分泌される。ACTHが副腎に届くと、副腎からは、闘争や逃走反応を引き起こす副腎皮質ホルモンが分泌される(p238〜239)

 同じように、危険から逃げ出すためには四肢の力が必要である。そこで、内臓に集中していた血液が四肢に送られ、内臓の活動が低下する(p240)。アドレナリン等のストレスホルモンが分泌され続けると、成長・増殖のプロセスを阻害するのはそのためである(p244)

 身体に備わっているもうひとつの防衛システムは免疫系である。免疫系も発動されるとかなりのエネルギーが消費される。HPAシステムが発動され分泌される副腎皮質ホルモンは免疫系の活動も抑制してエネルギーを確保しようとする(p240)

鬱病もストレスによる海馬の活動低下が原因

 大脳の情報処理スピードは延髄等、反射的な反応をコントールする脳よりもかなり遅い。緊急時には情報処理スピードが速いほど生存率が高まる。このため副腎のストレスホルモンは大脳の血管を収縮させ機能を抑制する。さらに、自発活動を司る前頭葉の活動も抑える。このため、HPA系が活性化されると意識が低下して思考力が低下し、頭もうまく働くなる(p242)

 従来、鬱病は脳内のモノアミン、とりわけ、セロトニンの生産が疎外されることで生じるとされてきた。しかし、2003年のサイエンスに掲載された研究結果は、このセロトニン仮説に反するものであった。鬱病患者は、海馬の細胞分裂が抑制されている。けれども、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)タイプの抗鬱剤、プロザックやゾロフトを投与しはじめると、海馬の細胞の分裂が再開し、それと時期を同じくして患者の気分は変化する(p245)。慢性鬱病患者は海馬と前頭葉が物理的に委縮している。このため、HPA系が働き過ぎ、ストレスホルモンによるニューロンの成長・増殖疎外が鬱病の原因ではないかと考えられている(p246)

本能の潜在意識は意識の数百万倍も強力

 けれども、ポジティブな思考だけで病気が治療できるというのは誤りである。ポジティブ思考が見落としているのは、潜在意識が意識の数百万倍も強力なことである。癌がどんどん小さくなっているとか、自分が魅力的だということを繰り返し自分に言い聞かせることはできる。けれども、どれだけ、意識的に人生を変えようとしても、「お前はつまらない人間だ」というメッセージが潜在意識に刷り込まれていれば、その潜在意識が帳消しにしてしまうのである(p203〜204)

 意識が1秒に40もの刺激しか扱えないのに対して、潜在意識は2000万もの環境刺激を処理することが可能である(p271)。潜在意識内のプログラムは特定の刺激に対して特定の反応を起こすための行動プログラムである。風が吹けば目を閉じ、膝の下を叩けば足があがるのもそのためである。潜在意識には感情はない。そして、動物の脳機能は、チンパンジーやクジラやイルカ、人間等、意識が進化するまでは潜在意識によるものだけであった(p269〜270)。蛾は光に向かって飛び、ウミガメは適切な時期に浜で産卵する。こうした能力は本能と呼ばれるが(p261)、意識は「手動」でコントロールされるのに対して潜在意識による「自動操縦」なのである(p271)。そして、意識は過去の経験を見直すことができるし、未来への空想にふけることもできるが、潜在意識は常にいまの瞬間で作動している(p274)

子どもの脳は低周波で潜在意識が作られやすい

 リーマ・レイバウ博士の『脳波の定量とニューロフィードバック』によれば、生誕から2歳までの子どもの脳は、主に0.5〜4ヘルツの低周波のデルタ波が優位である。2〜6歳では4〜8ヘルツのシータ波が増える(p265)。そして、歳を取るにつれて、8〜12ヘルツのアルファ波が増え、外部からのプログラミングの影響を受けにくくなる。12歳ごろからは、12〜35ヘルツのベータ波が持続的にあらわれ始める。さらに、飛行機が着陸態勢に入るときのパイロットやプロのテニス選手では、さらに高い35ヘルツ以上のガンマ波もみられる(p268)

 アルファ波はリラックスした覚醒状態で現れる脳波だが(p268)、催眠療法では脳波をデータ波からシータ波に落とす。低周波数の脳波がでると暗示を受けやすくなる。そして、 この低周波の状態にある脳波は、取り巻く環境の情報を信じられないほど大量に取り込むことができる。子どもが親が提供する情報を潜在意識に記憶していくのはこの力による(p265)。京都大学霊長類研究所の研究によれば、チンパンジーの子どもも母親を観察するだけで学習することができるが、人間も同じで、基本的な行動や信念は両親を観察することを通じて潜在意識に組み込まれていく(p266)

「おまえなんか何の価値もない」「生まれてこなければよかった」というネガティブなメッセージは絶対的な「真実」として子どもの脳にダウロードされてしまう(p267)

超常現象は細胞がエネルギー波にも反応すると考えれば説明できる

 灼熱の石炭の上を火傷ひとつ負わずに素足で渡る能力、心霊現象等は、ニュートン物理学の世界観では説明が不可能である。自然治癒、鍼灸、カイロプラスティック、マッサージ療法等で病気が治癒することも理解できない(p159)

1960年にノーベル賞の受賞学者、アルバート・セント=ジェルジ(Szent-Gyoregyi)は『分子生物学入門〜電子レベルからみた生物学』を出版している。この重要性は認識されていない(p177)。レセプターは分子に反応するだけではない。光、音、ラジオ波等、振動エネルギーに共鳴して「音叉」のように振動する「エネルギーレセプター」もある。エネルギーレセプターは、振動によってレセプタータンパク質の電荷が変化して形態が変化する。すなわち、細胞は物質分子だけに影響されるという考え方は時代遅れである(p133)。さらに、1974年に、オックスフォード大学の物理学者、C・W・F・マックレア(McClare)は、生体システムの情報転送の効率をエネルギー・シグナルと化学シグナルのそれぞれの場合で計算して比較した。その結果、ホルモンや神経伝達物質による場合よりも、電磁周波数の伝達が100倍も効率が良いことを明らかにした(p179)

 要するに、人間を含めて、すべての生物はエネルギー場を認識することでも環境から情報を読み取っている。オーストラリアのアボリジニは砂の奥底に埋まる水脈を感じ取れるし、アマゾンのシャーマンも薬用植物とエネルギーを用いてコミュニケーションが取れる(p191)。そして、思考を含めた目に見えない力によっても影響される(p133)

個人の意識は死後も空間に波として保存される

 1980年のイギリスの神経科学者ジョン・ローバー博士による論文は、脳と知性の関係に疑問を投げかける。ローバー博士は水頭症の症例を多数研究してきた。その中で知能指数126がシェフィールド大学で数学を首席と取った学生が登場する。けれども脳をスキャンしてみると頭蓋は脳脊髄液でいっぱいで事実上大脳がなかったのである(p263)

 それでは、個人の意識はどこにあるのだろうか。一人ひとりの生物的なアイデンティティは、一人ひとり異なる細胞表面のタンパク質レセプターによって定まっている。ただし、各個人にアイデンティティを与えているのは、タンパク質のレセプターではなく、細胞膜の外表面に位置して「アンテナ」のように作用して、アイデンテティのレセプターが「読み取る」細胞内ではなく細胞外の環境からもたらされる「自己」のシグナルである(p310〜311)

 人間の身体をテレビに例えれば、あなたは画面に映っているイメージである。けれども、あなたはテレビの内部にはなく、環境からアンテナが受信した「放送」である。あなたというアンデンティティの「放送」は、空中に存在しているため、テレビが壊れたとしても、新たなテレビを買ってくれば、再び出現する。

 ニュートン物理学の世界観に捉われているために、細胞にあるタンパク質レセプターが「自己」であると考えがちである。けれども、わたしというアンデンティティは、身体があろうがなかろうが環境内に存在している。テレビの事例のように、たとえ、肉体が死んだとしても、放送は存在している。

 このことを示唆するのが、移植後に行動や心理が変化したと語る患者がいることである。例えば、クレア・シルヴィアは著者『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』で、オートバイに熱中し、ビールとチキンナゲットが好物であった18歳の若者の心臓を提供されたのち、保守的な性格が変わり、オートバイとビールとチキンナゲットを好むようになったと語る。ポール・ピアソールも『心臓の暗号』で同様の事例を数多くあげている(p311〜312)。つまり、あなたも私も環境にある魂(スピリット)から除法を得ている。そして、この世で経験した事柄は、魂に送り返される。このような相互作用は「カルマ」の考え方と一致する(p315)。先住民文化では、岩や空気にも、眼に見えないエネルギーが息吹いていると考えてきたが、最新の科学の世界観は、すべての物質に魂があると考えてきたこの先住民の世界観に似てきているのである(p302)

【引用文献】
ブルース・リプトン『思考のすごい力』(2009)PHP研究所

リプトン博士の画像はこのサイトから

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2015年06月24日

第17講 ラテンの生き方に学ぶ

はじめに
 
 このブログ「幸せ探偵」は、経済成長に依拠しない国家や社会の有り様を、個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみたいと思っている。
 
  「幸せ」になるための条件とは、マネーやモノではなく、ソニア・リュボミアスキー教授が言う、感謝して生きる。他人と比較しない。人に親切にする。楽観的 に生きる。豊かな人間関係を育む。やりがいがあり没頭できる仕事や経験を増やす。人生に目標を持ち、それに向けて努力する。運動や瞑想を行うことといった 取り組みなのであった。17yagi.jpgこうしたポジティブ心理学の観点からみると、まさに、ラテンアメリカは、それを地で行っていることがわかる。八木啓代氏の名著を紹介してみよう。
 
世界で一番幸せなラテンの人々
 
「世界価値観調査(WVS=World Values Survey)」というものがある。ミシガン大学を中心とする社会学者たちが世界70カ国以上の男女1000人を対象に、5年毎に面接によるアンケート調 査を行い、人々の意識変化を追う国際プロジェクトだ。2005年度の結果は、1位がコロンビア、2位がメキシコ、3位がグアテマラで、日本は15位であっ た。
 
「地球幸福度指数(HPI=Happy Planet Index)」というものがある。ロンドンに本部があるシンクタンク、新経済財団が143カ国で行なった調査で生活の満足度と環境に対する負荷から算出し たものだ。環境負荷を重視しているため先進国には不利だが、この結果も1位がコスタリカ、2位がドミニカ共和国、3位がジャマイカ、4位がグアテマラと中 米諸国が並び、日本は75位、米国は114位であった。治安が悪いとされ、経済格差も激しいラテンアメリカ諸国が最も幸せだという結果が出ている(p8〜10)
 
内戦よりも多くの自殺者を出す日本
 
 日本では1997〜2009年までの13年で40万人近くが自殺によって命を落としている。しかも、公にされている自殺者には身元不明の自殺と見なされる 死者はカウントされていない。いき倒れや無縁死は年間に3万2000人にも及び、その死因には餓死や凍死が目立つ。豊かなはずの日本には、心が冷えるよう な孤独と貧困がある(p12〜14)
 
 一方、コロンビアの内戦は、政府、共産主義ゲリラ、極右ゲリラが麻薬を絡めて三つ巴で争ったものだった。けれどもその死者は1964〜2000年で20万 人である。熾烈を極めたエルサルバドルの内戦の死者も10年で7万人。イラク戦争でのイラク人の死者も2004〜2008年で8万5000人である (p15)。日本は自殺によって戦争や内戦以上の死者を出している(p16)
 
日本の自殺は世間体を気にする閉塞感によるところが大きい
 
 無縁死とされる3万2000人のすべてが天涯孤独で身寄りも友人もないはずがない。本当は家族がいる。けれども、心理的な理由から頼れない。実の子どもよりも世間体の方が重要だという日本の価値観に問題がある。今の日本の閉塞感は不況だけが原因ではない(p107)
 
ラテンアメリカ人の幸せな人生観に学ぶ
 
 1989年にアルゼンチンが5000%ものハイパーインフレを経験したように(p104)、ラテンアメリカ諸国は、日本とは比べものにならない超格差社会であり、政治や経済も不安定極まる(p17)。キューバを除けばラテンアメリカ諸国の国家によるセーフティネットは皆無に近い(p83)。にもかかわらず、明るいラテンアメリカから帰国すると日本の閉塞感に愕然とすることが良くある(p22)。ラテンアメリカの人々は、世界で最も「幸せ」なのではなく、ただ世界で最も「おめでたい」だけかもしれない。けれども、幸せとは煎じ詰めれば主観だ(p11)。無格差社会・無縁社会・経済危機と言われる時代に、どのような状況でも幸せに生きる智慧を持ち、したたかに生き抜いているラテン人の生き方から学ぶべきことは多い(p24)
 
欠点をけなすのではなく相手を褒める文化
 
 ラテンアメリカでは、見ず知らずの女性に対しても甘い言葉、ピローポ(投げ言葉)がかけられる。ピローポは口説き文句ではなく、挨拶の一貫としての褒め言 葉にすぎない。とはいえ、ラテンの子どもたちは、子どもの頃から、周囲の大人が女性に対してピローポを投げているのを見て育つ。14〜15歳になれば、女 性をエスコートする側に回る(p27)。要するに、できるだけ相手の良い点を見つけ、まず相手を誉めるという文化がラテン文化の神髄にある(p28〜29)
 
毎日、愛を表現することで幸せ度がアップする夫婦関係
 
「素敵な服だね」といった馬子にも衣装と取られかねない発言はしない。「その服を選んだセンスは素晴らしい」とその人間の内面を誉める。そして、決して他人と比較しない(p32)。 「うちの奥さんほど優しくて賢くて私のことを思ってくれている素晴らしい女性はいない。彼女のような人に巡りあえた私はほんとうに幸せだ」と人前で堂々と言う。ここまで言われて不愉快になる恋人や奥さんがいるであろうか(p35)。長年連れ添った夫婦や親兄弟ですら、言葉なくしてはわかりあうことはできない(p178)。また、話をじっくりと聞き、自分がどれほど相手を大切に思っているのかを日々伝えることに余念がない(p43)
 
 しかも、誉めることは簡単そうに見えて実は容易ではない。まず、相手を観察しなければならない。プロであるラテンの男たちは実によく相手を観察している(p31)。 ピローポはお世辞とは違う。お世辞とは心にもないことを言うこと。すなわち、事実ではないと思っていることを相手の気を引くために口にする嘘である。けれども、ピローポは「心にもないこと」を言っているのではなく、愛情をもって相手をよく観察し、気づいた良いところを口に出して評価しているのである(p178)
 
 米国の心理学者ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842〜1910年)は「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」と唱えた。毎日、愛している、あなたが大事だと言われ続ければ、愛情が湧き、絆が深くなり幸せ度がアップするはずである(p36)。共に暮らすパートナーを褒めちぎることによって、ラテン系の夫婦は生涯現役を保っているのである(p43)
 
生涯男女であり続けるラテンの夫婦
 
 日本では結婚したとたんに多くのカップルがパートナーと対等の男と女ではなく主人ととの妻になってしまう。さらに「愚妻」「粗大ゴミ」といった表現がある(p38〜39)。けれども、ラテン諸国では、人前で自分のパートナーをおとしめるようなことを口にする男性や女性がいたらその場でアウトである(p42)。 あなたは素敵だ、愛していると言われ続ければ、互いが男と女であることを意識せざるをえない。ラテンでは男性も女性も生涯現役で「枯れる」という発想はない(p36)。ラテンの女性は70歳になっても80歳になっても現役の女を捨てることはない。お母さんもお父さんの妻として魅力的な存在で、愛情深い夫婦関係には子どもといえども入り込めない(p54)。 女性は自分が美しくないと思えば美しさを失う。家事も無表情で食事を食べるだけであれば、料理や掃除をしようという気分もだんだん萎えてくる。けれども、たとえ簡単なメニューでも作った料理が誉めてもらえればまた作ろうという気になるではないか(p46)
 
エレガントな別れ
 
 日本では結婚した以上は添い遂げるべき。よほどの理由がなければ離婚すべきではない。という意識が強い。壊れるべきが壊れたことに関しても、自分は悪くな く、相手が悪いといことをアピールしがちである。けれども、ラテンアメリカでは、これをただ「愛情が冷めた」という一言ですましてしまう。相手を罵るわけ でもなく、自分を卑下するだけでもなく、淡々と愛情のバランスが壊れた事実を説明する。親や友人、周囲を巻き込んでの罵りあいの別れにはならないため、分 かれた男女が少し時間が経つと、良き友人として普通につきあうケースも多い。別れた相手を非難するのはエレガントではない。そこには、自分を大切にするラ テン人たちの大きな知恵がある(p96〜98)
 
痛みを共感しあう癒し
 
 失業とは職場から「あなたは不要だ」と言われるようなものだ。だから、かなりの喪失感を伴う(p86)。 日本では「同情されたくない」という言葉がよく耳にされる。たしかに、同情という感情には上から目線が見え隠れする。また、「どんな言葉をかけていいのか わからない」という理由で苦しんでいる人を避けてしまう傾向がある。けれども、共感は違う。本当に悲しいときに必要なのは、言葉ではなく同じ目線で一緒に 悲しんでくれる、すなわち、完全に同等の立場で相手の痛みを思いやる。同じ痛みをわかちあえないとしてもそれを理解して感じようとする気持ちである。ラテ ン系の人々の豊かな人間関係の根底には、この共感力の高さがある(p88〜90)
 
生活を助け合う友人や家族の絆
 
 日本ではお金がないために結婚できないと考える人が多い。だが、ラテンアメリカでは考え方は逆になる。お金がないからこそ、就労状況が不安定だからこそ、結婚することで二人分の収入で生活費をシェアしていこうとする(p79〜80)。日本では失業すると直ちにホームレスになってしまう。2か月も家賃を滞納すれば出て行かざるを得ない。そして、ネットカフェ難民になっていく。だからこそ、友達や家族を頼る。友だち同士のルームシェアはごく普通に行われている(p82〜85)
 
肌のふれあいによるスキンシップの文化
 
 ラテン系の国々にはキスとハグの文化がある。ふれあうこととは、相手の存在を「肌」で感じることだ。例えば、とてもつらいときには、百の言葉よりも黙って ハグされたほうが気持ちは伝わる。一方、日本には親子や兄弟姉妹の間ですら「ふれあう」文化がない。この意志疎通のやり方を持たない日本人は感情を伝える ことが下手だと言えよう(p68〜69)
 
 ハグには深い意味はない。ハグのある文化とは、男女の間にも、恋愛以外の関係があることを日々確認する文化でもある。オール・オア・ナッシングではなく、 白と黒との間のグレーゾーンが幅広く、人間関係が豊かだと言える。一方、ハグがない日本では、異性同士でキスをしたり、抱き合っていると、そういう関係を 意味してしまう。そのため、部下の女性を触るだけでセクハラで訴えられたり、スキンシップといえば「エッチすること」しか連想できない。家庭内暴力や引き こもりが起きたり、大人になってからも、さほど好きでもない相手とのセックスに走ってしまうのも、子どものことからスキンシップにかけ、素朴なふれあいの 愛情を渇望するためなのではあるまいか(p69〜74)
 
音楽と踊りを楽しむ
 
 クラシックとして知られる「セレナーデ」は本来、男性が女性を称えるために奏でる音楽である。女性の家の窓際で愛を告白するために歌を歌ったり楽器を奏で たりする中世からの伝統だった。スペインやフランスでははるか昔に廃れてしまったが、ラテンアメリカでは本来のセレナーデの伝統がまだ存在している。 キューバの首都ハバナでもわずか30年前ぐらいまではそうした伝統が見られたという(p120〜121)。 日本では芸術家といっても尊敬されず胡散臭い職業と思われている。けれども、ラテンアメリカでは芸術家の社会的な地位は高い(p156)。 人を楽しませたり、感動を与えることが立派な仕事として認められているからだ。いくらのお金になるのかという市場主義的なものさしが評価基準となる日本と は異なり、食料やマネーを溜め込むだけのアリ的な人生よりも、キリギリス的な人生のほうがはるかに豊かなものだと考えられている(p158)
 
 働くのは最小限でいい。むしろ、働きすぎないほうがいい。この感覚がラテンアメリカに根強いのは、温暖な気候に恵まれ、食料が豊かで食料備蓄に意味がない こともある。イソップ童話が生まれたギリシアも温暖な地中海性気候である。そして、古代ギリシアでも歌うことは教養と見なされていた(p162〜163)
 
家族、恋人、友人の他者との中に居場所がある
 
 ラテンは、いいかげんで、女たらしで、享楽的。食べることや芸術を愛して、人生を楽しむというイメージも強い(p21)。 ラテンの人々が常に明るくその社会を生き抜いているのは、人生の主軸をマネーやモノにおいていないからだ。家族や恋人、友人といった他者との関係の中に自 分を位置づけ、自分の居場所を見出し、愛する他者とのふれあいながら生きているからである。ラテンの人々が音楽を大事にするのも、踊りを愛するのも、他者 との関係性をつなぐための潤滑油だからである(p108)。人間、大半のものを失ったとしても、命さえあれば何回でもやり直せる。やり直せると思っている限り、その人は不幸ではない。これがラテン人の人生観である(p111)
 
セロトニンが活発に分泌されるためネガティブにならない
 
 キューバは平均寿命が70歳代後半という長寿国である。けれども、キューバ人たちの食生活は健康的な長寿食ではない。ラードであげた豚肉や鶏肉がいちばんの好物で野菜もあまり食べず、アルコールやタバコ、砂糖が大好きである(p169)。にもかかわらず、キューバ人たちが健康なのは、予防医療システムのためだけではない(p171)
 
 自律神経失調症や鬱病は脳内物質セロトニンが関係する。セロトニンは脳内の縫線核のセロトニン神経で作られ、快感を刺激するドーパミンと恐怖感や緊張感を 刺激するノルアドレナリンとのバランスを保っている。すなわち、セロトニンが不足すると心のバランスは崩れる。抗鬱薬として知られるSSRIもセロトニン が再吸収されないようにすることで血中のセロトニン濃度を高める薬である。
 
 このセロトニンを研究する東邦大学医学部の有田秀穂教授によれば、セロトニンは以下の条件で活発に分泌されるという。
 
@日光を浴びる、Aリズムのある動きとほどよく集中して行なう、B肌のふれあいによるスキンシップ、C喜怒哀楽を抑えず素直に表現する、D共感力を高める、Eきちんと食事を取る。
 
  まさに、ラテン文化そのものではないか。事実、有田教授の実験によれば、わずか2曲、10分程度、サルサを踊るだけでセロトニンが大量に分泌され血中のセ ロトニン濃度が一挙に上昇したという。太陽のもとで歌と踊りを愛するラテン文化は、セロトニン大量分泌文化だったのである(p173〜176)
 
【引用文献】
八木啓代『ラテンに学ぶ幸せな生き方』(2010)講談社α新書
八木氏の画像はこのサイトから
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2015年06月22日

第16講 ハップンスタンス理論

はじめに

 このブログ「幸せ探偵」は、とにかく経済成長が必要である。そのためには、戦火を交えることも辞さないという国家の有り様を、個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみたいと思っている。確かに、世界が貧困や戦争に苦しめられ、多くの人々が絶望の中にいるとき、自分だけ幸せになって何になるという見解もあろう。けれども、ソニア・リュボミアスキー教授は、こう述べている。

「たとえ全世界の問題が解決するまで自分が幸せにならないと先送りしたとしてもそれは誰のためにもならない。人は幸せになればなるほど、健康になり、生産的で創造的となり、よりいっそう他人に援助の手を差し伸べるようになる。したがって、まず自分が幸せになることが結果としてまわりの人たちも助けることになるのである(5p249〜250)

 この見解は正しい。第14講では「どれだけマネーを儲けたかよりも、どれだけ多くの人たちを幸せにできたかに人生の価値があると考える若者が増えている」という諸富祥彦明治大学教授の意見を紹介した。第15講では「マネーを持っている人よりも、周囲の人から必要とされている人間となる夢を持つことが幸せの要件である」ことが見えてきた。

 他者に尽くし、他者を幸せにすることが幸せにつながるのであれば、これは確実に「経済至上主義」のパラダイムを超えている。

成功者の80%は偶然で成功していた

 幸せになるためには、何が重要なのであろうか。努力だろうか。能力だろうか。世渡りのスキルであろうか。前向きに考える姿勢、ポジティブ・シンキングだろうか?(2,4p50)

16krumboltz.jpg スタンフォード大学のJ・D・クランボルツ(John D. Krumboltz,1955年〜)博士は、数百人のビジネスパーソンのキャリアを分析してみた。すると、成功と幸せを勝ち取った人たちの80%が予期しない偶然によるもので、自分一人で積み重ねた努力によるものは20%でしかないことがわかった(2,4p55)

幸せになる人はオープンマインドで楽観的

 クランボルツ博士が気づいたように、成功して幸せになっている人は、確かに様々なラッキーな出会いや出来事に恵まれていた(2,4p56)。けれども、彼らは、そうしたラッキーな偶然が起きやすい価値観、開かれた心を持ち、ラッキーが訪れたときにすぐに具体的に行動していた(2,4p58)。逆に言えば、ラッキーな出来事や出会いがいつ起きてもいい心の準備ができていたことから、ラッキーな偶然が起きていることになる(4p58)

 クランボルツ博士は、偶然をチャンスに変えるためには、次の5つの鍵があると指摘する。

@好奇心
 どうせ無理と決めつけず、何か心にひっかかるものを大切にかかわってみる。

A粘り強さ
 気乗りしない仕事であっても心を込めて取り組む。情熱・パッションが必要である(2,4p59〜60)。たとえ気乗りがしないことでもはまってみることが天職にめぐりあうことにつながる(4p61)

B柔軟性(オープン・マインド)
 クランボルツ博士の調査によれば、18歳のときに考えていた職業に就職している人は2%にすぎない(2,4p63)。「自分にはこの仕事しかない」「自分の結婚相手はこんな人だ」と決めつけていると、それ以外の可能性や選択肢に心を閉ざしてしまう(2)

C楽観性
「ダメでもともと。とりあえずやってみよう」という肯定的な人生観がなければ、目の前のチャンスをみすみす逃してしまう。

Dリスクを恐れない
 楽観的な生き方とは、リスクを恐れない生き方でもある。リスクのないチャレンジ等ありえない。リスクを恐れすぎていると、その人の運命は凝り固まってしまう(2,4p65〜66)

 要するに、「こうありたい」「こんな人生を生きてみたい」という深い心の願い、まっすぐな志が重要なのである。幸せを導く偶然、ラッキーな出来事や出会いは、それにふさわしい言葉、表情、行動をとっているときに、必然的に引き寄せられる(2)。クランボルツ博士は、「人生が成功するかどうかは、様々な偶然を活かせるかどうかで決まる」とプランツ・ハップンスタンス理論(計画された偶然性理論)を提唱する(2,4p54)

ポジティブなオーラ〜小さな幸せに感謝して生きる

 私たちの日常は小さな、偶然のつながりや出会い、すなわち、ご縁によって成立している。小さな幸せを大切にして、それに感謝して生きることで人はもっと幸せになれる。そして、幸せの追い風が吹いて来ることは間違いない(4p75〜78)

 要するに、幸せをつかめる人とつかめない人との違いは、巡ってきたチャンスを捉まえる心構えがあるかどうかにつきる(4p23)。世の中には、幸せのオーラを出している人がいる。「病は気から」と言われるが、「幸せも気」なのである。幸せの波に乗るためには、幸せの気を出す必要がある(4p18)

 クランボルツ博士は「偶然」は引き寄せることができるだけでなく、計画的に起こせるものだとも指摘する(4p79)。ただし、出会いやつながりやご縁を育むには、エゴを消すことが必要である。相手を自分のために利用しようという気持ちがあると、それは必ず相手にも伝わる。そんな人を前にすれば誰もが一歩引いてしまうに違いない。何かワクワクするという自分の気持ちにしたがって行動するだけでよいのである(4p83)

フローで生きればシンクロニシティが起きる

 プランツ・ハップンスタンス理論は、フロー理論と重なるところがある。「幸運」や「ツキ」は単なる偶然ではなく、こちらの心の持ち方ひとつで引き寄せられる。これまで「幸運」という言葉で片付けられてきた捉えどころのない現象に初めて科学的なメスをいれたのが、フローの概念である(1p6〜7)。心理学者チャーリーン・ベリッツとメグ・ランドストロムは、フローがどのように機能するのかを知るため、弁護士、主婦、教師、牧師、ダンサー、学生等、50人もの多様な人々にインタビューを行う(1p15,4p91)。その結果、おしなべて開放的であり、自分に誠実に正直に生き、かつ、常に感謝の気持ちを忘れない人々であるという共通項が見えてきた(1p13)

 テレビを付けた瞬間に自分の仕事に重要なニュースが流れ込んでくる。バス停に着いた瞬間にバスが到着する。交通渋滞で15分遅れてレストランに到着するとちょうど約束した友人がその時間にやってきた。コーヒーを飲みながら気になっている人のことを思い浮かべていたら、目の前にその人がいた。こうした意味のある偶然をシンクロニシティと呼ぶ(4p89)

 心を開き、前向きに物事や他者を信頼すれば、シンクロニシティが至る所で出現し(1p14)、すべてのことがあらかじめ仕組まれていたかのように充実した人生が送れる(1P10)。一方、不信にかられて恐れを抱き、なにごともコントロールすればするほど、フローが減少し、シンクロニシティも起こらず、日々の生活は障害と要求不満だらけとなっていく(1P14)

 フローを達成している人々の行動パターンから、チャーリーン・ベリッツとメグ・ランドストロムは、以下の9つの心の持ち方の原則を抽出する。

 @物事に真剣にかかわる
 A自分に素直になる
 B勇気を持つ
 C情熱を忘れない
 Dいま、ここに生きる
 E心に壁を作らない
 F物事をあるがままに受け入れる
 G前向きに生きる
 H信頼する(1p15,4p91)

 そのうえで、鍵はシンクロニシティにある心安らかに生きるためには、凍えそうなヒマラヤの洞窟でマントラを唱えるヨーガ行者になる必要はないと示唆する(1p15)

 表を見て頂きたい。ハップンスタンス理論とフロー理論がほぼ重なることがわかるだろう。

キーワードハップンスタンス理論フロー理論
興味心と真剣さ好奇心物事に真剣に関わる
情熱と粘り強さ粘り強さ情熱を忘れない
心を閉ざさす素直に生きるオープン・マインド
自分に素直になる
心に壁をつくらない
物事をあるがままに受け入れる
信頼して楽観的に生きる
楽観性
リスクを恐れない
前向きに生きる信頼する
いまの瞬間を生きる いま、ここに生きる

 本当の幸せは自分のミッションに取組み魂が歓ぶ日々を送ることで得られる

 「この仕事が成功すれば幸せになれる」「この人と結婚すれば幸せになれる」
人はとかく目標を設定して、それに近づくことが幸せになる方法だと考える。けれども、そうした考え方では「本物の幸せ」はいつまでたっても手に入らない(4p158)

 高い地位に就いたり、多くのマネーを稼ぐよりも悔いのない人生、魂が喜ぶ毎日を生きることが、間違いなく重要である。いくら高い社会的な地位が得られたり、いくらマネーを稼いでも、それはあの世には持っていけないからだ(4p150〜151)

 本当の幸せは、自分が大切にしたい何かを大切にしたり、愛する人のために尽くしていたり、自分の人生で成し遂げるべき「使命」に取組み、我を忘れて夢中になっているときに、「ああ、私はいま幸せだ」と思えるものなのである(4p158)

幸せな人は暗黙の人生のシナリオを信じている

 人は偶然のようにしか思えない出来事をとおして「運命の人」と出会ったり、「天職」ともいえる仕事に出会ったりする。そして、知らず知らずのうちに運命の道へと誘われていく(4p164)。そして、人生の様々な出来事が単なる偶然ではなく、必然であったと気づくとき、人生にはまるで「暗黙のシナリオ」があり、そのシナリオを気づかずに生きているのではないかという不思議な感覚に捉われる。この人生を生きることで、魂に刻み込まれた「私の人生に与えられた使命」を果たすことができる。私がこの世に生れてきた意味と目的はここにある。心の深いところが満たされ、真に幸せな人生を生きている人は、誰しも同様の人生の「必然の感覚」を持って生きている(4p93)

ネガティブ思考は習慣である

 このように幸せになろうと思えば誰もがなれる。けれども、口では「幸せになりたい」のに、「自分は不幸である」という殻に閉じこもっている人が多いのはなぜであろうか。それは、幸せになるのが怖く、今のままでいる方が楽だからである(4p31)。幸せになると本気で決意しても失敗すれば傷つく。傷つくくらいならば、今の不幸のままでいい。いっときの幸せを手に入れてもそれが長続きするかどうかわからない。それならば最初から幸せを手に入れなくてもいいと考えてしまうのである(4p32)

16James Allen.jpg イギリスの哲学者ジェームズ・アレン(James Allen, 1864〜1912年)は「人間の心は庭のようなもので、思いは種子のようなものだ」と述べた(4p23)。何を考えるかがもたらす影響は大きい。昔の日本人も「言葉には物事を変える力がある」ことに気づき、これを「言霊」と呼んでいた(4p24)。それでは、なぜ言霊が機能するのであろうか。人間の脳にはいつも用いている「言葉」を頭の中で勝手に再生する「自動思考」という機能がある。ネガティブな言葉を用いる習慣がついていると、無意識でも自動的に「どうせ・・・〜できない」というネガティブな言葉が出てきてしまうのである(4p33)

いま、ここを全力で生きてみる

「今のままの自分」でいることは楽である。そこで、人は、変わられない理由、いまのようにしか生きられない理由を自分に対して言い訳をする(4p40)。いつまでも不幸にとどまり、人生を変えられない人は、自分の不幸を「過去」と「他人」のせいにすることが多い。けれども、過去も他人も変えることはできない。変えることができるのは、「いま」と「自分」だけである。自分の不幸の原因を過去や他人のせいにしていることが、人生の流れを淀ませ停滞させている最大の障害物なのだから、このブロックを解除しない限り、いい人生の流れをつくりだすことは難しい(4p45)

16Fritz Perls.jpg 1960年代に米国で活躍したカウンセラー、フレデリック・パールズ(Frederick Perls, 1893〜1970年)博士は「過去への捉われと未来への空想を口にすることが、いまの自分を変えずにいるために張り巡らした最大のバリアーだ」として、過去や未来に逃避するのではなく、「いま、ここを生きる」ためのゲシュタルト療法を産み出した(4p42)

 そして、『ゲシュタルトの祈り』という詩を作っている。

 私はあなたの期待に応えるために、この世に産まれてきたわけではない

 あなたも、私の期待に応えるために、この世に生まれてきたわけではない

 あなたはあなた。私は私。

 もし、ふたりが出会うことがあれば、それはそれで素晴らしいこと

 もし、ふたりがふれあうことがなくても、それはそれでいたしかたのないこと(3,4p44)

 あなたは、他の誰とも違うかけがえのない存在である。そして、私も他の誰かと交換不可能なかけがえのない存在である(3)。過去への捉われや未来への空想、他人への責任転嫁を止めよ。他人に期待に応えることも止めよ。そこからしか自分の人生は始まらない。なればこそ、私は私のことをして、あなたはあなたのことをするとパールズは唱える(4p47)

人生のミッションに気づくには深い智慧にアクセスする必要がある

13Mindell.jpg 自分の人生のミッションに気づくには、何か気になる出来事や夢を意識することが第一歩となる。けれども、それがどのような意味を持つのかを理解するには、意識の次元を超えて物事を見ることが必要である(4p177)。アーノルド・ミンデル(Arnold Mindell, 1940年〜)は、日常経験の背景には、大地や宇宙とつながり、時間や空間にも束縛されず、すべてを知っている「深い智慧」があると考える(4p180)。ミンデルはこれを「プロセスマインド」と呼ぶが、スピリッツ、内なるタオイストの賢人、システムマインド、万能の智慧、仏性、慈悲の心ともよばれる(4p120,180)

 アメリカやオーストラリアの先住民、とりわけ、シャーマンたちは地図を持たずにどの方向に進めばよいかがわかり広大な原野を縦横無尽に歩くことができた。それも「ミンデル」の言う「プロセスワーク」で使うスキルを身に付けていたからなのである(4p182)

【引用文献】
(1) チャーリーン・ベリッツ、メグ・ランドストロム『パワー・オブ・フロー』(1999)河出書房新社
(2) 諸富祥彦『生きづらい時代の幸福論』(2009)角川ONEテーマ
(3) 諸富祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(4) 諸富祥彦「自分に奇跡を起こす心の魔法40」(2013)王様文庫
(5) ソニア・リュボミアスキー『人生を幸せに変える10の科学的な方法』(2014)日本実業出版社

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2015年06月21日

第15講 贈与と仕事に向かう脱消費社会

 このブログ「幸せ探偵」の目指すものは「脱成長」、経済成長至上主義という国家や社会の有り様を、個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみようという試みた。そのキーワードのひとつに「フロー」がある。

 2015年06月12日「第6講 面白きこともなき世を面白く住みなすものは心なりけり」で書いたように、米国の心理学者ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi, 1934年〜)によれば、「娯楽=快、労働=苦」という図式が崩壊し、仕事そのものが幸せになる可能性があるのであった。

 さて、現代ほど、幸せが切実な社会問題となっている時代はない。ローマやベネチアが滅んだのも、その根本原因は、人々が幸せの物語を見失ったからだった(p230)。電通チーム・ハピネスを立ち上げた袖川芳之は警告する。幸せの研究は、社会学、心理学、哲学がベースとなるだけではない。人々の消費ニーズを調査するのがマーケティングだが、経済学とマーケティングをもつなぐ(p228)。今回は、マーケティングや人々の消費動向のシフトから幸せを探してみよう。

1万ドルの所得まではモノを持つことで幸せになれる

15Bauman.jpg モノの豊かさと幸せとの関係について、ポーランド出身の社会学者、ワルシャワ大学のジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman, 1925年〜)名誉教授は「一人当たりのGDPが一定水準に満たない場合は不幸だが、一定水準を超えるとGDPと幸せ度との間には関係が見られなくなる」と述べている。実際、各国の幸せ度調査の結果を見ても、マネーとの相関があるのは1万ドルまでで、それを越すと相関がみられなくなる(p21)

 それはなぜか。マズローの欲求段階説によれば、幸せになるためには、まず生理的要求が満たされなければならない。そして、飢えや寒さ、病気や重労働といった不快感は、ある程度GDPが増えれば多くの国民が逃れることができる(p23)

 けれども、生理的欲求を満たすことが幸せであるというモデルは、豊かな社会には当てはまらないからだ。このことは、日本のようにすでに豊かになった社会ではGDPがいくら増えても、それが直接幸せにはつながらないことを意味している(p21)

「モノの所有=幸せ」という物語は高度成長期には成立する

 そこで、バウマン教授は「近代社会では、幸せを産み出すと期待される商品を消費することが、幸せの基本である」と述べた(p25)

 幸せを産み出すと期待される商品とは何か。それは、「こうした商品を買えば幸せになるという物語」だ(p27)。「モノを持つこと=幸せ」という物語は、日本だけでなく、欧米やアジア等、どの社会においても、近代の成長期には成立する(p29)

 日本における消費の物語は二段階からなっていた。戦後から1980年までの家族消費の時代とそれ以降のブランド消費の時代である(p29)

最初の家族消費の物語には三つの特徴がある。

 第一は、家族が一緒にテレビを見る、家族でクルマをドライブする、デパートに買い物に行くというように、個人ではなく家族が共同で行う消費であることだ(p30)

 第二は、結婚し、住宅を購入し、家電新製品を買い続け、子どもを学校に入れ、子どもが結婚するのを見届けて死ぬというように、長期にわたる物語であることだ(p30)

 第三は、この物語がCMによって作られていたことだ(p32)

 家族消費の物語は、高度成長期には可能だった。稼ぎ手である男性の収入があがり、幸せを産み出すと期待される商品を買い続けられる期待があったからだ(p30,34)

 高度成長時代に作られた遊園地の象徴が、1952年に開園した千葉の「八津遊園」である。ジェットコースターと観覧車、メリーゴーランドとコーヒーカップを備えていたが、1982年に谷津農園はひっそりと閉園した。幸せな家族の物語がブランド消費の時代へとシフトしたからである(p33)

 家族消費の物語が終わると、ブランドを買い続ければ個人は幸せになれるという新たな物語が主眼となった(p44)。例えば、クリスマスに高級レストランにでかけ、高級ホテルに泊まることが流行し、イブの予約が何カ月も前から埋まるという現象が生じた。これもメディアがそうすれば幸せになれると吹き込み、信じ込ませた幻想にすぎなかった(p47)。それは、結婚して家族の物語をつくるという大きな物語の中で、まだ適切な相手がみつからない段階でのつなぎのてめのプチ幸福でしかなかった(p46)。要するに、人々は、実際にモノを買っていたのではなく、その商品を買うことでもたらすであろう幸せを買っていたと言える(p54)

脱成長時代にはモノを持つ=幸せモデルは破綻する

 労働することでマネーを稼ぎ、幸せをもたらすはずのモノを買い続けるという物語は、GDPが成長し続ける前提のものでのみ可能なものだった(p222)。要するに、経済消費社会の幸せのシステムは経済成長を前提としている。けれども、1990年代半ば以降、ほとんどの人はゼロ成長を迎えている(p55)。今は、就職も難しく、結婚できるかどうかもわからない時代である。将来への不安が高まれば、貧困に陥らないためという消極的幸福に回帰せざるをえないであろう(p49)。幸せをもたらす商品を買い続けること=幸せというモデルはもはや通用しない(p53)。すなわち、モノが買い続けられなくなった状態が、近代社会における貧困と考えることができる(p25)。そこで、モノを買わずに幸せになるのではなく、幸せそのものを直接得ることが必要となってくる。それは、関係性が鍵となる(p57)

自分とのつながり感を求めるオタク

 1980年代には、ファッションであれ、クルマのデザインであれ、高度な感性を持ち、一般人には見えない時代の潮流を見ぬいて、商品やサービスに敏感に反応する消費リーダーがいた。ところが、1990年代以降には、消費リーダーによるブランド消費のトリクルダウンは起こらなくなっていく。これにかわって出現したのが、自分の好きな分野にこだわってとことん踏み込んでいく一方で、関心がいのことにはほとんど金をかけない「オタク」である。自分が好きなことに没頭し、自分が好きな課題を見つけては解決することで手ごたえを得ている点で、オタクは天才がやっていることと同じことをしているとも言える(p125〜126)

 こうした新たな消費行動から見出されてきたのは「つながり」だ。人は自分が何かと「つながっている」ことで幸せを実感する。そして、つながりには二つある。第一は、自分内部とのつながりだ。「はまる」とはまさに自分が気づいてこなかった内部とつながった感覚であり、それが幸せ感をもたらす(p220)

マネーから解放されることによる幸せ

 作家の椎名誠氏は、料理と洗濯を趣味としており、原稿が進まないときの精神的な救いになるという。電通の調査でも家事が好きな若者が増えている。これは、身体感覚を取り戻すものとして家事が新たに着目されているためと言える(p148)。家庭菜園ブームも自分が食べる野菜を育てる手ごたえを感じようとしている現象だと言える(p145)

 こうした「下ごたえ消費」の究極の姿は、マネーから解放された生活であろう。多くの男性が理想とする生活は、誰にも指図されず、自分の畑を持ち、自給自足で田舎暮らしをすることだという。マネーから解放された生活を送るためには、どれだけマネーを使っても良いという一見矛盾したことすら夢見ている人も多い(p154)。自転車で京都の町を走りながら紅葉を見る。道の銀杏を拾って焼いて、近所の人におすそ分けをする。マネーを使わずに得られる幸せはかなり多い(p156)

手ごたえ消費だけでは人とのつながりが満たせない

 とはいえ、手ごたえ消費には限界がある。人はどれほどモノがあふれていても一人きりでは幸せにはなれない。そこで、仕事を通じて身近な他人とつながることでもたらされる幸せ感、ボランティア等で社会と自分とのつながりを作り出すことでもたらされる幸せ感も必要である(p220)。自分を極める物語の消費は、自分の満足感は高める。けれども、はまればはまるほど社会から離れていく疎外感がある。社会とつながりたいという気持ちを満たせない(p164)

 幸せには、自分で自分を承認する「自尊心」と他人から認めてもらい、自分も社会から承認される「相互承認」が欠かせない。そうなることで社会の中に自分の居場所が感じられる。けれども、手ごたえ消費のように自己を極める物語だけでは、社会の中での「居場所」が得られない(p184〜185)

自由になった個人はむき出しの個人としての自立を求められる

 家族モデル・システムが支えてきた幸せは、ゆるやかではあるが数十年かけて崩壊している(p232)。かつては、家族、会社、地域社会の中に人々は役割を持っていた。しかし、こうした役割に縛られることを嫌い、役割からの「解放」を目指した結果、安定した役割を人々は失ってしまった。役割というシールドを引きはがされ、むき出しの個人として、自分が何者なのか、自分がどのような能力があるのか、絶えず周囲を説得しなければならない高度なコミュニケーション能力を求められるようになってしまったのである。それは、何のトレーニングも受けていない人々にとってはきつい作業だ(p186)

贈与としての消費

 伝統的なつながりは失われていく。さりとて、孤独は耐えられない。こうした中で、出現してきた新たな動きが、前近代社会の伝統的なつながりとは異なり、自分から選んだつながりを育むために(P222)、相手に喜んでもらうためのプレゼントという消費行動である。プレゼントに価値があるのは、相手を幸せにできる自分を実感できることで「自尊心」が満たされると同時に、贈った相手が感謝してくれれば、相手の中に自分の居場所を作るという「承認」を手にいれられるからだ(p193)

 もちろん、自分のための消費がなくなるわけではない。けれども、コミュニケーション能力とは、相手が何を喜ぶのかを知っている能力であるとも言える。「贈与」のための消費は、さらに満足度が高い(p194)

仕事としての幸せ

14kahneman.jpg 経済学に心理学を導入したプリンストン大学のダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman,1934年〜)教授によれば、幸せには刹那的な「フローの幸せ」と精神的で持続性のある「ストックの幸せ」とがある(p81)。愛や幸せはマネーでは買えない(p3)。精神的な豊かさへの回帰現象は、近代社会が誕生して以来、繰り返し主張されてきた。1960〜70年代にかけてのヒッピームーブメント、見田宗介氏の紹介するカルロス・カスタネダへの憧れもその一つだ(p4)

 電通ハピネスが行った調査によれば、最もうらやましいと思える人は、マネーを持っている人をはるかにしのぎ、夢を持っている人であった(p76)。ただし、将来ビックなミュージシャンになるといったあてのない夢ではなく、自分がますます周囲の人から必要とされている人間となるという夢であった。とはいえ、人々から必要とされるという人間関係は何もないところから自然に発生したり維持できるものではない。人間関係が続くためには、互いを必要としあう場が不可欠だし、仕事はその恰好の舞台となる(p213)

 近代経済学は「効用=幸せ」、「労働=苦痛」と考えてきた(p25)。仕事は我慢しなければならない辛いもので、余暇時間が長いほど幸せだと想定してきた(p212)。確かに、従来の図式では、仕事は生活のための労働だった。さらに、幸せもたらすと信じられる「モノ」を売ることが企業の目的だった。けれども、これからは人々が幸せになることを直接サポートすることで利益を得るようになるであろう(p62)。マネーからの解放を願う人がますます増えていくにつれ、仕事の意味も、楽しむために行い、結果として収入が伴うものへと変化していくであろう(p208)

 自分の裁量で仕事ができ、作業そのものが楽しく「時間密度」が高く、熟練することでスキルが高まり、楽しんだうえで人から評価されれば、それは幸せそのものとなる(p197)。マルクスは、仕事からも幸せが得られるべきだと主張してきた。社会主義国家のイデオロギーとしてではなく、社会哲学者としてのマルクスの主張に耳を傾ければ(p212)、それは「フローな仕事=幸せ」と考えるミハイの主張と変らなかったのである。

【引用文献】
山田昌弘+電通チームハピネス『幸福の方程式』(2009)ディスカバー新書

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2015年06月20日

第14講 死を意識して今日を大切に生きる

2015年6月24日改正
人生はあきらめて生きていい

 「人生を半分あきらめて生きる」というフレーズを耳にしてどう思われるだろうか。大きくは次の三つの反応があるだろう。

 第一は、それを否定する人だ。そういう人は、これまで成功してきたし、仕事や恋愛や自分の未来にまだまだ希望を抱いている。ならば、無理してあきらめる必要はない。

 第二は、幼少期から家族関係がギクシャクしたり、受験に失敗したり、希望した職種に就職できなかったり、結婚しようと思っていた相手に突然ふられたり、人生の辛酸をなめてきたにもかかわらず、自分の努力が足りない、いまのままでは駄目だと思っている人だ。このタイプの人は実は最も生きるのが辛くなってしまう。理想が高いために、常に自分を責めてしまうからだ。

 第三は、「あきらめない」「がんばれ」といったポジティブな言葉を耳にすると辛くなり、「あきらめて生きる」という言葉を聞くと、どこかホッとする人だ。おそらく、この数年で最も増えているのがこの人たちだろう(4p66〜67)

苦労してためたお金が紙くずになる時代

 いま、私たちは、どのような時代を生きているのだろうか。経済が縮小して人口が減少する時代だ。どうみても、経済成長は望めない(4p28)

 安倍政権はアベノミクスを成功させ、1年で2%のインフレ率を目指している。これは、10年後には物価が2割も高まり、マネーの価値が2割も減ることを意味している(6p176)。モルガン銀行の伝説のディーラー、藤巻健史氏の予想は、さらに厳しい。苦労して貯金したマネーの実質価値が10分の1になるどころか、日本経済は数年後に破綻し、いまのマネーが紙切れ同然になる可能性が高いと警告している(6p185)。つまり、いまという時代は、長年苦労してきた貯金も一挙に紙くずになるリスクが高い「無力社会」なのだ(1)

最も大切なものはマネーではなく時間だ

 プリンストン大学のダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman,1934年〜)教授は、経14kahneman.jpg済学と認知科学を統合して、行動ファイナンス理論やプロスペクト理論を提唱した行動経済学者だが、豊かになれば幸せかどうかをビジネス・ウーマンを対象に調査したところ、高収入で不幸だと思う人は20%と少なかったが、収入がかなり低い人たちも32%にすぎず、7割はそれなりに楽しく暮らしていた(4p133〜134)。つまり、収入の多寡が幸せに直結せず、幸せ・不幸を決めるのは、マネー以外の何かなのだ(6p184〜185)

 では、人生で何が取り返しがつかないものかを考えてみよう。マネーはたとえ失ったとしてもまた働けば増やせる。仕事で失敗して評価を落としたとしても、また努力すればそれは回復できる。けれども、人生で取り返しがつかないものがある。それは、時間だ。マネーは人生の時間を豊かなものにするための手段にすぎない(6p178)

 失業率が高く年収も日本よりも少ないヨーロッパ人たちは、ゆったりと時間をかけて食事を楽しみ、夏には1月以上リゾート・バカンスに出かける。経済的には日本よりもはるかに不安定であっても、手元に余裕のお金があれば、それを楽しんで使うことを知っている(6p177)。けれども、日本人はワーカーホリックとマネーホリックにかかっている(6p184)。ヨーロッパ人からすれば、楽しみもせず、あくせくと働いて人生を終えてしまう日本人は野暮そのものなのだ(6p177)

 つまり、本当の幸せを考えれば、限られた時間をどれだけ「魂が喜ぶ時間」にできるかが最も大切なことになる(6p178)。いま、どれだけマネーを儲けたかよりも、どれだけ多くの人たちを幸せにできたかに人生の価値があるというまっとうな価値観を持つ若者が増えているのは喜ばしい(6p188)

今一瞬を心を込めて生きる

 幸せになれる選択対象を手にできる人がごく少数に限られ、極度に予測不可能性が高いこのような時代に実現可能な希望に躍らせてはならない。こうした時代に長期的な人生展望を持つことは無益なばかりか危険ですらある。このような時代の中で、死の間際に「私は幸せだった」と心の底から思える人生を生きるには、本当の意味でクレバーでなければならない(4p38)

 そもそも、「真面目に頑張っていれば、人生はいつかいいことがあるはずだ」という思い込みは、人生はいつ想定外のことが突然起こるかわからないというリアルな事実を直視していないから成り立つ。

「こうなればよかった」と過去に思い描いた願望に逃避しても、「いつか、きっとこうなる」と未来に思い描く空想に逃げるのも止めるしかない。となれば、できることは、ただこの瞬間を心を込めて生きるしかない(4p196)

 エリザベス・キューブラー=ロス(Elisabeth Kübler-Ross, 1926〜2004年)が死にゆく人を見つめてきたその経験から学んだ最大のことは「いま、この瞬間」に心を込めて本当に生きることだった。例えば、愛する人と一緒にいても、心を込めてその一瞬一瞬をすごしていなければ、本当に一緒にいたことにはならない。

 すなわち、無力な私たち人間にできることは、「今日一日が人生最後の日になるかもしれない」とそんな思いを胸に刻んで一瞬一瞬心を込めて生きることしかない(4p95,8p142)。とりあえず、あと1年、さしあたりあと1年と一年単位で生きのびていくしかない(4p40)

 メキシコには骸骨の仮面を被って踊る「死者の日」という祭りがある。この祭りに込められているのは「メメント・モリ(死を忘れるな)」「カルペ・ディエム(その日をつかめ、いまを楽しめ)」という意味だ(4p96)。 米国の宗教哲学者、ポール・ティリッヒはこういう。

「明日、死す者のようにして生きよ」(4p98)

ジョブズは、日々、死を意識して好きなことを追求した

 スィーブ・ジョブズ(Steve Jobs, 1955〜2011年)が語るとき、そこには情熱と勢いと活気がある(3p65)。1983年、ジョブズはペプシコの社長、ジョン・スカリーを引き抜こうとしていた。その時、スカリーが忘れられない一言でこう説得した。

「一生、砂糖水を売り続ける気かい。それとも世界を変えるチャンスにかけてみるかい」(3p63)

 そして、ジョブズも、いまを楽しめ、好きなことをせよと述べている。

「仕事というのは一生のかなりの部分を占める。本当に満足するには、すごい仕事だと信じることをするしかない(3P65)。そして、すごい仕事をするには自分がすることを大好きになるしかない。だから、大好きなことを見つけてほしい。大好きなことを追求し、自分の使命を果たせ。どこにいきたいのかは心が知っている。今日はすてきなことができたと思いながら眠りにつく。僕にとってはそれが一番大事だ」(3p69)

 2005年6月12日にスタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチでも、ジョブズはこう述べた。

14jobs.jpg「誰も死にたい人はいません。天国に行きたい人も死を望んではいません。それでも、死は皆が向かう終着駅です。なぜなら死は生き物の唯一最高の革新だからです。それは生き物を循環させるものです。 死によって古いものが新しいものに道を譲るのです。今、新しいのはあなたたちです。しかし、いつか遠からず、あなた達も次第に古くなり、とって代わられるでしょう(略)。あなたたちの時間は限られているのです、他人の人生を生きて、時間を無駄にしないでください。他人の考えた結果に振り回されて、ドグマの罠に陥らないでください。他人の意見の雑音に、自分の内なる声の邪魔をさせないことです。そして、最も大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなたの心と直感は既にあなたが真に何になりたいかを、とにかく、とっくに知っています。それ以外のことは重要ではありません」

死ぬときに何を残したいのかを考えながら生きる

 心理カウンセラー、石井希尚氏は、こう述べている。

「人は見ている方向に近づいていく。あなたは、死んだときに墓碑銘になんと刻まれたいだろうか。最後に看取った人が『この人はこういう人だったなぁ』というその人々の言葉こそ、あなたが近づいていった人なのだ」(2)

 ソニア・リュボミアスキー教授も、「この世に去った後で自分が残したいと思うことを考えるといい」と示唆する(5p245)。

 末期癌のホリスティック医療に取り組む帯津良一博士は、やすらかに死んでいく人と後悔しながら死んでいく人との違いについてこう述べている。

「自分の人生でやりべきこと、やりたいと思うことをやりきったと思える人は、とてもいい顔をしてやすらかに死を迎える」

 そして、キューブラー・ロス博士も人が死の際に語る言葉は「ああっあれをしておけばよかった」という呟きだという(4p97〜98,8p143)

 こうしたことを踏まえ、諸富祥彦教授は「やりたいと思ったことをすぐ始めるひとは慎重さにかけると思われがちだ。けれども、いつかしたいという想いを先のばししているうちに、本当にしたいことをほとんどやらずじまいで終わってしまうことの方がよっぽど愚かな生き方であるとはいえないだろうか」(8p129)。「そのうちにやってみたいことがあれば前倒しでどんどんするしかない。また、伝えたい思いがあれば、いますぐ伝えるしかない。そして、一人の時間をつくり、自分が本当にしたいことはなにか。これをせずには死ねないと思うことは何かを考えることだ」とアドバイスする(4p202〜204)

 なぜ、やりたいことをやらずにいると後悔をするのか。これには、科学的な根拠がある。

 14Bluma.jpgソ連の心理学者ブリューマ・ヴリホヴナ・ゼイガルニク(Bluma Wulfovna Zeigarnik, 1901〜1988年)は、人は成し遂げた事柄よりも、成し遂げなかった事柄の方をよく記憶して思い出すことを実験的に見出した。

「ツァイガルニク効果」と呼ばれる現象が意味することは、人は行動した結果、たとえ失敗したとしても、その失敗を心理的に正当化して納得させることには長けている一方で、行動をしそびれたことに対する後悔は、後になってもやわらぐことはなく、時間が経つにつれ心の痛みになる傾向があることだ。大学時代にもっと勉強しておけばよかったとか、恋人に告白しておけばよかったという後悔は、つかみ損ねた二度とめぐってこないチャンスを伴うケースが多いからだ。やらなかったことを後悔しないことが幸せにつながるのであれば、多少のリスクを冒しても人生にはもっと挑戦したほうがいいことになる(7p285〜288)

たとえ思い描いた夢が実現できなくても人は幸せになれる

 多くの人は自分の夢や目標が達成できることが幸せの条件だと考えている。けれども、夢や目標が実現できなければ幸せにはなれないというのは「幸せの神話」にすぎない(7p59)。数多くの研究結果から、驚くべきことがわかってきている。幸せとは目標を追い求めることから産まれるものであって、目標の達成から産まれるものではないということだ。すなわち、人は目標に向かって努力し、その目標を追求する「プロセス」を楽しむことで幸せになれるのであって、結果としてその目標が達成できなかったとしても人は幸せになれるし、結果が実現されるかどうかは幸せとは無関係だったのである(5p253,7p58〜59)

【引用文献】
(1) 諸富 祥彦『生きづらい時代の幸福論』(2009)角川ONEテーマ
(2) 石井希尚『明けない夜はない』(2009)ディスカヴァー・トゥエンティワン
(3) カーマイン・ガロ『スティーブ・ジョブズ脅威のプレゼン』(2010)日経BP社
(4) 諸富 祥彦『人生を半分あきらめて生きる』(2012)幻冬舎新書
(5) ソニア・リュボミアスキー『幸せがずっと続く12の行動習慣』(2012)日本実業出版社
(6) 諸富 祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(7) ソニア・リュボミアスキー『人生を幸せに変える10の科学的な方法』(2014)日本実業出版社
(8) 諸富祥彦「自分に奇跡を起こす心の魔法40」(2013)王様文庫

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2015年06月19日

第13講 没落社会ではフローで生きよう

衰退する日本では社会的成功に幸せはおけない

 社会的に成功した人間は生きる意味を見出しやすい一方で、社会的に挫折した人間は生きがいを得られない。そう考えられがちである。けれども、今後、日本は人口が減少し、社会的な成功はごく少数の人しか手にできなくなっていく。経済成長や物質的な満足に左右される成功や失敗の次元だけを人生の尺度にしていれば、日本人の幸せは低下していかざるをえないであろう(2)

心理学は病んだ心を癒す学問ではない

 第二次大戦以前の心理学は、大きくは以下の三つの目的を目指していた。

 @心の病を治療する

 A日々の暮らしを向上させる

 B優れた才能を見極めて伸ばす(4,P26)

 けれども、第二次大戦後、後の二つの役割は軽視され、「心理学=心を病んだ人を治療する学問」と見なされるようになっていく。例えば、心理学者にカウンセリングを受けに行くと友人に告げてみて欲しい。「それは凄い。自分を向上させるためなんだね」という言葉はまず返ってこないであろう(4,P27)

 とはいえ、ヒンドゥ教や仏教も、思いやり、慈悲、喜び、愛といった感情を重視してきた。こうした古代の哲学思想は、ポジティブ心理学に大きく影響を与えた。例えば、カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875〜1961年)は1933年に「完全な人間」という概念を提唱した(4,P29)。また、1950年代に誕生し、1960年代に発展する「人間性心理学」は、ネガティブを重視する精神分析や外部から観察できる行動を重視した行動主義といった主流の心理学に意義を唱えた(4,P30,117)

 13Carl Rogers.jpgこの運動の重要人物を二人あげれば、「完全に機能する人間」という概念を導入し、人間には成長に向かう根源的なモチベーション、「自己実現傾向」があると主張したカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers, 1902〜1987年) (4,P117)と、自己実現を重視し「ポジティブ心理学」という言葉を始めて用いたアブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908〜1970年)であろう(4,P30)

自己実現は社会的な成功とは無関係

 マズローの理論からすれば、自己実現という上位の欲求は、生理的・安全的欲求が満たされたうえで満たされるはずである。けれども、オーストリアの心理学者、ビクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905〜1997年)が、目にしたのは、悲惨な状況の中でも耐え抜いた人がいたことであった。フランクルは、様々な基本的な欲求が満たされなくても人は崇高に生きられるのではないかと考え、それをマズローに問いかけた。マズローの答えはイエスだった(2)

すべて人は未来からの可能性の呼びかけに応えるために存在している

 「私の人生は何をやってもうまくいかない。ただの一度もいい思いをしたことがない。誰にも必要とされていないこんな人生は、生きるに値しないのではないか」

 こう思い悩む人は、こうした思考法を止め、自分のことを待っている誰か、自分のことを必要としている何かに目を向けてみるといい。とかく、人は人生の意味を問いかける。けれども、ヴィクトール・フランクルは、「人生」の方が人間に問いを発していることから、人生の意味を問いかける必要はないと考えた。これは、人生の意味についての立ち位置を180度転換するものである(3)

13viktor.jpg「どんなにあなたが絶望していても人生の方であなたに絶望することはない」。フランクルのメッセージは数多くの絶望する人の魂を救ってきた(3)


 空虚感におそわれる人に対して、フランクルは「内側を見つめるのを止め、未来にあなたを待っているものに目を向けよ」と示唆する。自分の内側を見つめるのではなく、あなたに見出されるものを待っている「何か」を探せと外に目を開くことを促す(3)

 フランクルによれば、この世には、かならずあなたを必要としている「何か」や「誰か」が存在している。そのつながりの中で人は生きている(3)。すなわち、どの人にも絶えず実現されることを待っている「可能性」が存在している。その可能性は、絶えず、今に先行して、未来から可能性を呼びかけている。この未来からの可能性からの呼びかけに応えるために、私たちは存在しているとも言えるし(1)、誰も、この人生からの呼びかけに応える責任を持っているとも言える。フランクルによれば、答えなければならないのは、人生からの問いなのである(3)

見えない世界からの呼びかけに耳を澄ます

 それでは、いまに先行している未来の可能性は、どのようにして見つけ出せばよいのであろうか。

 一人静かな時間を持ち、人生全体からの呼びかけをからだ全体で受け止めてみよう。私たちを超えた何かの力。私を超えた向こうからの呼び声。妙に気になる夢。人間関係のトラブル。なぜか思い出す映画の一場面。たまたまつけたテレビドラマの登場人物が語る言葉。気づく必要のある大切なメッセージは様々な形でやってくる。沈黙すると、ひっそりと届けられる呼びかけの声、サイレント・コーリングに気づく(1)

 この人生や状況からの呼びかけに対して心を閉ざし、自分自身に関心を向けていくと、それは自己愛や自己執着につながる。昨今のスピリチュアル・ブームが危険なのは、こうした新たな自己執着や虚しさを産むからである。フランクルもマズローも自分から目を離せと言う(1)

13gendlin.jpg カール・ロジャースは「自分が自分を受容的に耳を傾けられるとき、自分自身になれるとき、私はよりよく生きることができる」と述べ、自分の心の声を他の誰かに聞いてもらう『傾聴』が大事だとした。さらに、ロジャースの弟子である、ユージン・T・ジェンドリン(Eugene T. Gendlin, 1926年〜)博士は「フォーカシング」を創設し(3)、人生からの呼びかけを「暗黙への生起(Occuring into implying)」と呼んだ(1)

二つの選択肢〜すべての出来事には意味がある

 人間は驕慢な生き物である。何事もなく平穏な日々を過ごしているとますます驕慢となり、自己中心的になっていく。つらく苦しい悩ましいできごとを経験しなければ、自分を深く見つめて人生を変えていくことはできない。思い出すことすら辛いできごとを含めて、すべてのできごとには意味がある。ある種の必然性をもって、起こるべくして起こっている。なぜならば、すべてのできごとは、気づきと学び、自己成長の機会であり、「それに対してどう答えるのか」を迫ってきているのである(3)

 ここで、二つの選択枝がある。ひとつは人生からの「問いかけ」に耳を貸さず、心を閉ざし続け、これまでと同じパターン化された日々を繰り返していくことだ。結果として、何を学ぶこともなく人生に大きな変化も生じない(3)

 もうひとつは、人生で起きた辛く苦しい体験に正面に向き合い、「できごと」が自分に何を学ばせようとしているのかを丁寧に振り返り、自分を深く見つめることだ(3)

 もちろん、この未来の可能性に対して、どのように応えるべきかは本人の自由である。けれども、この呼びかけを満たせる「最善の答え」はひとつしかない。その意味で、人生は半分は自由であり、半分は決まっているとも言える(1)

人は目的を持って生まれてくる

 実は、すべての人間は、この世で果たすべき「使命と課題」をもって産まれてきている(3)。この人生で果たすべき暗黙の「使命(ミッション)」を刻印されて、一人ひとりの「魂」はこの世に産まれてきている(バースディ・プロミス) (1,2,3)。逆に言えば、そのミッションを生きて、現実化し、使命を果たすために、人はこの世に産まれてきたのである(2)

 そして、この魂に刻み込まれたミッションを発見したとき、「ああこれだったのだ」「私の人生はこういうことになっていたのだ」「このことをなすために私は生まれてきたのだ」「私はこの人生を生きることになっていたのだ」という感慨を覚えることが多い(1,3)。自分の人生に課された使命を「暗黙の予感」として発見でき、これまで歩んできた道が運命の道であったことに気づく(3)

 何やら新手の宗教のように思える。けれども、心の深いところで満たされた人生を生きている人は、「私はなすべきことをなしている」という実感を抱いて生きていることが多い(2)。実際、諸富祥彦氏は、カウンセリングを通じて、そうした気づきに多く立ち会ってきた(3)

シンクロニシティとフローの人生

 不思議なことだが、この「人生」からの呼びかけに無心になって生きるとき、人生全体の隠れたミッションが顕在化していく。この流れに乗って生きていくとき、ミッションの実現に必要なものはすべて自ずから与えられはじめる。起こるべくしておきた偶然は、もはや偶然ではなく、「シンクロニシティ」であると言える。このシンクロニシティが頻繁に生じ始めると、自分を超えた大きな流れが人生で働き始める(1)

06mihaly.jpg 人生の決定的な場面では、シンクロニシティが顔を出すことが多い。ハンガリー出身の米国の心理学者ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi, 1934年〜)は、この流れを「フロー」と名付けた(1)。

 自分の意志を超えた大きなフローが生じ始め、こうしたフローの中で生きているとき、適切な場所で適切なときに、適切なことをしているという感覚を抱く。マネーであれ、仕事のチャンスであれ、人生の流れを前進させるのに必要なものがちょうどよいタイミングで与えられる不可思議な出来事が頻発していく。また、心はウキウキしているが平静であり、自分自身を超えた偉大な何かとのつながりを感じ、人生は意味と目的に満たされ、生きる意味や目的への疑問はおのずから解消される(1)

 いま自分はこの人生を生きていて、共にいるべき人と共にいて、この人生で自分が行うべきことを行っているという感覚が持てるとき、私のことを必要としている誰かがいて、私のことを必要としている何かがあって、私はその何かや誰かとつながることが13Mindell.jpgできているという感覚を持てるとき、どれほど貧しく、どれほど孤独で、どれほどさみしく、どれほど健康を害していても、心の深いところで生きる意味を実感しつつ生きていける。すなわち、魂のミッション、生きる意味、精神の気高さという心の一番深いところで、生きる意味と使命感が満たされた生き方を得ることが大切なのである(2)。そうすれば、どのような挫折や失敗があっても幸せといえるギリギリの幸せが得られる(1)

 細かなことは別として自分の人生は、大筋は向かうべき方向に向かっている。この感覚を欠いていると何が本当に必要で、何が不必要かが見分けることができなくなる。「プロセス志向心理学」を確立したアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell, 1940年〜)は「センシェント」と呼ばれる繊細な感覚を重視する。ミンデルのものの見方には、老荘思想のタオや量子力学、アニミズム的な気配が漂うが、ミンデルも偶然の積み重ねが人生の流れを産み出すと考える(1)

宇宙がつながっていると信じて愛することが幸せにつながる
 
 13Ken Wilber.jpgこの宇宙のすべてはつながっている。一見するとバラバラに思えるものも、すべては究極的な一の顕れである。これを仏教では「空」、ミンデルは「プロセス・マインド」、そして、ケン・ウィルバー(Kenneth Wilber, 1949年〜)は「スピリット」、と呼ぶ。すなわち、自己を超えた生命の流れがある。この偶然のつながりから、様々なシンクロニシティが産まれてくる。人生で劇的に大きな流れを創りだし、成功や幸せを手にできる人は、このシンクロニシティに対して開かれた心の姿勢を持っている人が少なくない。大切なことは、人との出会い、つながり、ご縁を大切にすることなのだ。幸せになれる人は、自分にあまり関心を注がない。逆説的だが、この世界を信じて愛することが、巡り巡って真の幸福を与えることにつながるのである(1)

【引用文献】
(1) 諸富 祥彦『生きづらい時代の幸福論』(2009)角川ONEテーマ
(2) 諸富 祥彦『人生を半分あきらめて生きる』(2012)幻冬舎新書
(3) 諸富 祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(4) イローナ・ボニウェル『ポジティブ心理学が1冊でわかる本』(2015)国書刊行会
ロジャーズ博士の画像はこのサイトから
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2015年06月18日

第12講 ホログラフィック・ユニヴァース 心が未来を創造するからシンクロが起きる

 ミハイ・チクセントミハイのフロー理論や自己実現論をより深く理解するためには、世界とは何か、時間とは何か、未来とは何かという深い理解が欠かせない。そこで、マイケル・タルボットの「ホログラフィック・ユニヴァース」を20年ぶりに読み直し、まとめなおしてみるという作業を第7講からやってきた。

夢を通じて未来も予知できる

 第11講では、過去の情報にアクセスできる人間が存在することをみてきたが、過去のみならず、未来に起きる出来事の一部も過去と同じほど簡単にアクセスできるとの膨大な証拠がある(P277)。例えば、タイタニック号の沈没を予知するヴィジョンを見た人は、記録されているだけでも19もある(P285)

 過去透視と同じく、予知情報も立体画像の形で現れることが多い。例えば、キューバ出身の超能力者、トニー・コルデロは、キューバ全土に赤い旗が立ち、キューバが共産主義者に征服されるヴィジョンを子どもの頃に目にした(P281)

 そして、未来余地の60〜68%は夢の最中に起きるとされている。このことは、誰もが本来予知能力を持っているが、それが無意識の領域に追いやられていることを意味する。そして、夢を見ている状態では意識が深いため、未来の情報にもアクセスしやすい。伝統部族の文化はこのことをよく知っている。このため、各地のシャーマンの伝統では、未来を占う際に夢の果たす役割が重視されている(P283)

人は数多く存在する未来の中からあるものを選択することで未来を創造している

 未来が予知できるとすると、未来とは固定されたもので、すべては事前に決められてしまっているもののように思える(P285)

12David Loye.jpg プリンストンとUCLA両大学の医学部教授であるデイヴィッド・ロイ(David Loye)博士は、現在、未来予測研究所の所長だが、「予知能力の謎を解くには、プリグラム=ボーム・ホログラフィック意識理論が役立つ」と述べている(P281)

 ホログラフィックな領域では過去も未来もない。カール・プリグラムは、波動領域にあるホログラフィックな宇宙では4000年前は明日かもしれないと語っている(P272)。そして、ロイ博士の見解によれば、ひとつのホログラフィックなユニヴァースの未来は前もって決まっている。未来が予知できるのも、そのホログラムに波長を合わせることによってだ。けれども、同時に未来は変えることができ、未来の予感を感じて行動を変えるとき、あるホログラムから別のホログラムに跳躍する。そして、それこそが自由になる力をもたらすものだと考える(P286)

 様々な未来が数多く存在し、それを選択しているとのロイ博士の見解は、意識が未来創造に一役買っていることを意味する。すなわち、人間は自分の運命を自分で決めていることになる(P288)

退行催眠と臨死体験によれば人は成長するために自分の運命を決めて産まれてくる

 12Joel Whitton.jpgトロント大学医学部のジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜) 博士は、退行催眠を用いて過去世の記憶をたどる研究を進めてきたのだが、その結果、共通する点として以下のことが明らかになってきた。

 @原始人以前の前世まで退行するとそれが限界点となり、ある前世が他の前世と区別がつかなくなった

 A魂には男女の性別がなく、少なくとも過去には別の性として生きた経験を持っていた

 B学び進化していくことが人生の目的であり、何度も生まれ変わるのはその機会を与えられている(P290)

 C生と生との中間には光に満たされたまばゆい領域があり、時空間が存在せず、誰もが倫理的・道徳的に高い意識を持ち、過去の過ちを認め自分の行為を償うため、ここで人生が計画される(P292〜293)

 12Ian Stevenson.jpgヴァージニア大学医学部の精神医学の教授、イアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson, 1918〜2007年)博士も、前世とおぼしき記憶を思い出した子どもたちの聞き取り調査から、以下の結論を見出している。

 @愛おしさ、罪悪感、義務感から過去世で知っていた人間と一緒に生まれ変わることが多い

 A因果応報的なカルマはなく、運命も偶然ではなく、人としての責務から自ら選んでいる

 B人生で最も重要なことは、外面ではなく、人間としての内面的な成長である(P294〜296)


 このホイットン博士やスティーヴンソン博士の見解によれば、無意識の心は、自分の運命の大枠をつかんでいるだけでなく、自らその方向付けすら行ない、人生の計画を立てていることになる(P292〜293)

予想される四つの未来〜破局か調和か

 サンフランシスコ在住の心理学者、故ヘレン・ウォンバック(Helen Wambach, 1925〜1986年)博士は、小規模なワークショップで退行催眠をかける調査を29年も行なってきた。輪廻転生では、誰もが有名人が歴史的な人物の過去世ばかりを思い出しているとの批判がなされるが、ウォンバック博士の調査では被験者の90%以上が小作人や農民、労働者、狩猟採集民としての過去世を呼び起こし、貴族としての前世は10%にも見た図、有名人であった記憶を持った人は一人もいなかった(P304〜305)

 12helen wambach.jpgそして、ウォンバック博士は、未来へと人々の人生を進められることも発見した。その研究の完了を見ることなく彼女は他界したが、同僚の研究者であったチェット・スノウ(Chet Snow)が、研究を続行し、2500人の未来をまとめ上げた。『未来の集合夢』によれば、地球の人口が激減している点で一致していた。また、肉体として存在していないと語る人も多かった。さらに、被験者が描いた未来は次の四つに見事に分かれた。

 @宇宙ステーションの住み、銀色の服を着て、人工食品を食べているという味気ない未来

 A人々が地下都市やドームのような都会に住む殺伐とした機械的な未来

 B大災害を生きのびた人々が都市の廃墟や洞窟、孤立した農場で毛皮を着て狩猟に依存して生きている未来

 C自然環境に恵まれた中で霊的な進化をするため自然や互いに調和した暮らしを営む未来

 スノウは、この調査結果は、運命の霧の中に起きる可能性がある未来が存在しているのだと考える。そして、来るべき破局を逃れるために核シェルターを作るよりも、良い未来を信じて、それを想い浮かべることに時間を費やすべきだと説いている(P305〜306)

シンクロニシティとは本来は意識と現実がひとつであることを垣間見せる亀裂現象

10Carl Gustav Jung.jpg ここで、やっと、シンクロニシティについて語る準備ができた。カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875〜1961年)が、治療をしていたある女性は、何度か治療を受けた後に、スカラベ(フンコロガシ)が登場する夢を見た。エジプト文化ではスカラベが輪廻転生の象徴であることをユングは知っていた。そこで、この女性の無意識が心理的に生まれ変わろうとしていることを夢が象徴的に伝えようとしているのだと考えた。そして、この話を女性にしようとした瞬間に何か窓をたたく音がした。ユングが顔をあげると窓の外側には玉虫色のスカラベがとまっていたのだった(P91〜92)

 ユングは従来の科学ではまだ知られていない物事を結びつける非因果的な原理が働いていると考えた。当時、このユングの考え方を真剣に受け止めたのは、物理学者ウルフガング・パウリだけだった(Wolfgang Pauli, 1900〜1958年)。けれども、非局所的な結合性の存在が証明されたことから、ユングの考え方を改めて見直そうとする物理学者も一部出てきている(P93)。その一人が 物理学者、ディビッド・ピート(David Peat,1938年〜)博士である。

 ディヴィッド・ボームの見解によれば、意識と物質が別々の存在に見えるのは錯覚にすぎない。あらゆるものが湧き出す内在秩序のレベルでは意識と物質との間には境界はない。

 だとすれば、深層での結びつきの痕跡が日常の現実にあらわれたとしてもおかしくはない。ピート博士は、シンクロニシティとは、現実という織物にできた「裂け目」、あらゆる本質の根底にある巨大な秩序、物質と意識とに境がないことを垣間見せてくれる主観的な亀裂だと考える。

09David Peat.jpg そして、ピート博士の考えによれば、日々の生活でシンクロニシティ体験が比較的稀であることは、一人ひとりの意識が意識フィールドからどれほど切り離され、孤立して、断片化し、深遠なる秩序が持つ無限の可能性に目を閉ざしているのかを示していることにほかならない(P94)。シンクロニシティが不可解で説明が付かない現象に思えるのは、ほとんどの人は、主観的現実と客観的な現実とはまったく別のものであるとの大前提に立っているからなのである(P95)

想い描くことで未来は創造できる

 無意識の心の深い部分、霊的な部分は、時間の境界を越えるところまで及んでおり、自分の運命を決めているのもこの部分だとする考え方は、数多くのシャーマンの伝承と合致する。例えば、インドネシアのバタック族は、人間が体験することはその人の魂(トンディ)によって決められると考える。オジブウェー・インディアンによれば、人生は成長を促すように目に見えない魂によって筋書きが書かれている、必要な教訓を学ばずに死んだ人間は再び生まれ変わる(P299)

 チベット密教でも、宇宙はすべて心の産物であり、すべての存在は思考物質「ツアル」の集合によって創造されると考える。そして、望むものが創造される姿を繰り返し思い浮かべる視覚化の訓練、「サーダナ」が重要であるとした(P300)

 12世紀のペルシアのスーフィたちは、瞑想を利用して霊的なことを教える導師イマームがいる次元「精霊の棲む地」を訪れていた。彼らは、これを「隠されたイマームの地」と呼んだ(P357)。スーフィたちは、思考の精妙な物質を「アラム・アルミタル」と呼び、自己の運命を変えて新たなものをもたらすためには「創造的な祈り」、すなわち、視覚化重要で、それは胸のチャクラ「ヒンマ」をコントロールすることが前提条件であるとしていた(P301,358)。このことは、ホイットン博士の被験者が、イメージすることでモノを作り出せ、なぜ、イメージすることが健康に影響を及ぼすのかに新たな解明の光をあてる(P358)

 また、ハワイのカフナは、思考は、影の身体(キノ・メア)というかすかなエネルギー物質で出来ており、希望、夢、恐れ、罪悪感等は心を去った後も消滅せず、想念として高次の自己「アウマクア」が未来を織り成す糸の一部となっていくと考える。そして、高次の自己とつながれるカフナは、人の未来を作り変える手助けができ、人は頻繁に立ち止まっては自分の人生について考え、自分の希望を具体的な形で思い浮かべることが大切だと考える(P299)。カフナによれば、未来は流動的ではあるものの、様々な「結晶化」の可能性から成り立っており、世界の重大な出来事や結婚や事故、死といった個人の人生での重要な出来事も早い時期に結晶化すると考えた(P287)

 09yogananda.jpgパラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda, 1893〜1952年)が、自己が望む未来を思い浮かべ、集中した正しい視覚化をするよう人々に勧めていたのは、そのためだったのである(P301)

【引用文献】
マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 第3章 ホログラフィック・モデルと心理学、第7章「時を越えて」、第8章 スーパーホログラムの旅、第9章 夢時間への回帰

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2015年06月17日

第11章 内在秩序と外在秩序からなる宇宙

体外離脱者の真の姿は共鳴しあう光の波動である

 オルダス・ハクスリー、ゲーテ、D・H・ロレンス等、多くの著名人がいずれも体外離脱を体験している。人類学者、エリカ・ブルギニヨンが現存する社会の57%に相当する世界の488の社会を調べたところ、その89%に体外離脱体験の伝承が見られることがわかった(P314)。体外離脱現象は多くの人が思っている以上に一般的な現象なのである(P315)

11monroe.jpg 体外離脱の能力をマスターした人物で最も有名なのが、ロバート・モンロー(Robert A. Monroe, 1915〜1995年)だが(P318)、意識が肉体を離れてどこにでも偏在できることを示している。現在の科学ではこの現象は説明できないが、ホログラフィックなユニヴァース・モデルでは、偏在が可能だ。また、体外離脱体験者は肉体を離れた後、自分が形のないエネルギーの雲や光の玉でしかないことに気づくケースもある。モンローは、体外離脱体験中の自分の身体の形態を決めているのは、その人の思考習慣であるという。身体の中にいることが習慣化しているために体外離脱中も同じ形態を再生し、裸でいることが不安であるために自分の身体に着せる服も作り上げるが、第二の身体は望みどおりの形態に変えることができる、とモンローは述べる。そして、こうした表面上の仮面をすべて捨ててしまえば、真の姿は交錯し共鳴しあう波動からなる振動パターンであると結論づけている(P322)

体外離脱と臨死体験は類似している

11Raymond Moody.jpg 米国では1975年に精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody, 1944年〜)博士の『かいまみた死後の世界』がベストセラーとなり、同時期に、エリザベス・キュブラー=ロス(Elisabeth Kübler-Ross, 1926〜2004年)が同じ結論を得たことから、臨死体験に関心がもたれるようになった。1981年のギャロップ調査によれば、米国人の成人の約20人に一人が臨死体験を経験しているという(P328)

 体外離脱体験と同じく、臨死体験も世界共通の現象である。2500年前の『エジプトの死者の書』、2000年前のインドのパタンジャリによるヨガの文献、プラトンの『国家論』に登場する臨死体験者エルの黄泉の国への旅の記述、8世紀の『チベットの死者の書』の内容には驚くべき類似性がある(P328,330)

 そして、臨死体験者の体験は、体外離脱体験と類似している。例えば、スウェーデンの神秘思想家スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg, 1688〜1772年)は、8カ国語を話し、政治家、数学者、天文学者、事業家であり、趣味で時計や顕微鏡を制作するほか、治金学、色彩論、経済学、物理学、科学、鉱業、解剖学に関する著作があり、飛行機や潜水艦の原型も発明した当時のレオナルド・ダ・ヴィンチともいうべき人物であった(P353)。スウェーデンボルグは瞑想をしながら体外離脱ができたが、その領域の記録は臨死体験者の死後の描写と瓜二つである(P354)

 まず、体外離脱者と同じく臨死体験者も自分が実体のないエネルギー体であることに気づく(P337)。そして、車椅子の生活を余儀なくされていた人も歩けるようになり、手足の一部を切断した人も四肢を取り戻し、老いた人は若者の身体となり、子どもは大人になっていることが多い。これは、心の奥底にある深い願望が身体の形を創造していることを示唆している(P338)

11kenneth Ring.jpg また、臨死体験者が語る死後の世界は、地球上でみたどの世界よりも明るい光で満ち溢れ、時間と空間が存在しない。コネティカット大学の心理学教授、ケネス・リング(Kenneth Ring,1936年〜)博士は、これは来世の持つホログラフィックな波動という特性の証拠であると指摘する(P336)

退行催眠の中間生も臨死体験と類似している

 トロント大学医学部のジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜) 博士の退行催眠による生間領域での体験も、トンネルの通過、すでに世を去った親や親戚との出会い、人生の回顧、時間も空間も存在しない光に満ち溢れた領域、ガイドによる導き等、臨死体験の代表的な特徴が重なる(P338)

臨死体験者に求められるのは愛である

11Monte.jpg ニューヨークにあるアルバート・アインシュタイン医科大学のモンタギュー・ウルマン(Montague Ullman, 1916〜2008年)名誉教授によれば、夢の中では目覚めた状態よりも賢くなれることがある。精神分析の診療では、意地が悪く利己的で人間的な暖かみが書け、何ひとつまっとうにできないどうしようもない患者がやってくる。けれども、目覚めているときには短所を認める気がなくても、夢の中では例外なく、その欠点が描写され、覚醒を優しく促す比喩が登場する(P69)。無意識は意識を成長させることを願っているかのように思える。

 同じように、ムーディ博士らによれば、臨死体験者は、一瞬にして全生涯が信じられないほど生々しく立体映像として再生されることを体験する。そして、パノラマ的な記憶が展開する最中、人生のすべての出来事に伴う喜びや悲しみ等、あらゆる感情を再体験する(P341)。親切にした人たちの幸せをわがことのように感じとり、人を傷つけた場合には相手が感じた痛みをはっきりと自覚する。同時に、ホイットン博士によれば、思慮を欠いた行為だけでなく、人生で達成しようと願っていて成就できなかった願望や夢についても悲しい痛みを感じるという(P342)

臨死体験者は光の存在によるカウンセリングで愛を学ぶ

 人生の回想は、エジプトやキリスト教等、世界の多くの宗教に記されている死後の審判とかなり類似する。ただし、ホイットン博士の被験者や臨死体験者は、審判は自己審判だけであり、自分の罪悪感や悔悛の気持ちから生じるものだけで、光の存在によって審判が下されることはまったくなく、ただ愛と受容の気持ちだけしか感じられないと述べている。私たちは自分が考えている以上に慈悲深い宇宙に生きている(P343)。光の存在はカウンセラーとして、怒りを愛に変え、誰もを無条件で許し、もっと愛することを学びこと。そうすれば、自分自身も愛されることを教える。すなわち、光の存在たちの道徳的規準は愛だけなのである(P344)

臨死体験者に求められるのは知的な学びである

 愛と同じく光の存在が重視するのが、知識である。臨死体験者は、自己成長や他の人を助ける能力と関連した知識を探究することと関連する出来事が人生回顧の最中に起こると、光の存在は喜んでいると指摘している(P344)。死後にはすべての知識にアクセスすることが可能となる。けれども、人生で学び続けることに意義があるのは、一人一人が他者に手を差し伸べるようになることと関連している(P347)

 臨死体験者は、例外なく深い心理的な変化を経験する。以前よりも楽観的で幸せでのんきで所有にあまり気をかけなくなる。愛の包容力が広がり、内向的な人は外向的になる。さらに、以前よりも精神的・霊的なものを志向するようになる(P370)

 同時に、物理学に強い関心を持つことも多い。ケネス・リング博士が調査した重機械を作業する作業員は、臨死体験前には、学問にまったく関心をもっていなかったが、回復後にはマックス・プランクや量子という言葉を突如として口にし、物理学に興味を抱き大学にまで入った(P371)

臨死体験後に経験される知の図書館は情報庫の変換解釈か?

 臨死体験者、ヨガの達人、アヤワスカを摂取したシャーマン、スーフィら、隠された領域を訪れた人々は、みな共通して、広大で光輝き美しさにあふれた天界の都市を目にしたと報告している(P375)。この都市には知識の探究に関連した学校等の建物が多く、ホイットン博士の被験者も図書館やセミナーを備えた広大な学びの殿堂で、高等教育機関で過ごしたと述べている。学ぶことだけを目的として作られた都市に関する記述は11世紀のチベットの文献にもみられ、それがジェームズ・ヒルトン(James Hilton, 1900〜1954年)の小説『失われた地平線』のシャングリラのモデルになったともされる(P376)。さらに、臨死体験者の中には、知識そのもので建物が建てられていると語っているものもいる。これは、純粋な知の生きた雲は、人間の心では、図書館といったホログラムにしか翻訳することしか処理できないことを示唆している(P377)

相互結合性の世界観を古代ヒンドゥー教も華厳経も持っていた

 ヒンドゥー教の聖典『ヴァタムサカ・スートラ』は宇宙をインドラ神の宮殿にくまなくつるされた伝説的な真珠の飾りにたとえた。7世紀の華厳宗も究極的な相互結合性と相互浸透性を驚くほど似た比喩で説明した。17世紀のドイツの哲学者ライプニッツは、華厳宗のことをよく知っていたらしい。だからこそ、ライプニッツは宇宙は、それぞれが宇宙全体の反映を内蔵している「モナド」からできていると主張した。そして、ライプニッツが積分法をもたらしたことで、ガーボル・デーネシュ(Gábor Dénes,1900〜1979年)はホログラムを発明できたのであった(P404〜405)

ほとんどのシャーマン文化にある内在秩序と外在秩序の宇宙観

 宇宙が内在秩序と外在秩序という二つの根本的な秩序の複合体であるというのがボームの見方だが(P398)、内在と外在秩序という考えは、ほとんどすべてのシャーマン文化の伝統に見出せる(P402)

 チリやアルゼンチンの草原地帯に住むアローカニア・インディアンでは、シャーマンの主な役割は病気の診断と治療である。そこで、内面透視能力がシャーマンになるための必須条件とされている。エクアドルの高原地帯に住むヒバロ・インディアンは幻覚性植物「アヤワスカ」と呼ばれる蔓植物からの抽出液を飲むことで、患者の身体をガラスのように見通す能力を得る(P252)。1960年、人類学者マイケル・ハーナーは、アマゾンに住むコソボ族と生活を共にしていた。ハーナーは、アヤワスカから作るシャーマンの聖なる飲み物を飲むことで、体外離脱を経験した(P368)。1961年時にハーナーはDNAの知識を持っていなかったが、生命の起源や進化を司る存在としてDNAを幻視した(P369)

 カルロス・カスタネダが出会ったヤキ・インディアンのシャーマン、ドン・ファンもこう言う。

「われわれは意識なのだ。物体ではない。固体でもない。境界もない。物と固体の世界は、この地球での一時を過ごしやすくする手段にすぎない。我々の理性が自分の全体性を悪循環の中に閉じ込めてしまうのだ。一生のうち、そこから出られる人間はほとんどない」(P212)

 オーストラリアの先住民、アボリジニのコミュニティで生活し研究を行った人類学者、ナンディスワラ・ナーヤカ・テーロ博士によれば、アボリジニのシャーマンが深いトランス状態で経験する「ドリーム・タイム」は西洋の死後の世界の概念と変らないと指摘する(P366)。そして、アボリジニは精神の真の源は、ドリーム・タイムの超越的現実にあると信じている(P402)

 スーダンのドゴン族も物質的世界はより深層にある根源的な世界の産物で、存在の根源的な次元から絶え間なく湧き出てきてはそこに戻る流れだと考えている(P402)

 ユダヤの神秘思想、カバラの伝統でも、創造物のすべては神の超越的側面が幻影として投影されたものだと考える(P401)

 チベット仏教では、これを「空」と「不空」と呼ぶ。「空」とは精妙で宇宙のあらゆるものが産まれる場所であり、そこからの限りない流れによってすべてがあふれ出てくる。けれども、実在しているものは「空」だけであり、眼に見える客観的世界の現実は錯覚にすぎない(P398)。チベット仏教で最も名高いヨーギ、ミラレパ(Mi-la-ras-pa, 1052〜1135年)によれば、人間が「空」を直接知覚できないのは、無意識の心があまりにも強く条件づけられているためである(P399)

インドの聖者は宇宙を光の振動と捉えている

 11Yukterswar.jpgヒンドゥー教では、現実にあるすべての形態が誕生する場を「ブラフマン」と呼ぶ。ボームは、内在秩序を精神とよんでもいっこうに差し支えないと述べたが、ヒンドゥー教では、ブラフマンを人格化し、それが純粋意識でできていると言う。ヒンドゥー教の宇宙創造論の観点からすれば、意識は物質よりもさらに精妙で根本的な存在で、物質は意識から表れてきた。物質的な宇宙は、包み隠された意識の投影する力によって存在界に産み出されてきたことから、実体がなくうつろう「マーヤ(幻)」でしかないのである(P400)。ヒンドゥー教の聖典、ヴェーダやヨガの文献は、宇宙は神の夢であると繰り返し述べている(P395)。人類の意識がベールに被われた状態では客観性なるものが存在し続けていくが、究極的な体験では、体験と体験されるものが見分けがつかないひとつの塊の状態で存在することから、この分離状態は消滅する(P401)

 意識を変えるだけで、現実のより精妙なレベルにアクセスできるという考えは、ヨガの教えの主要な前提のひとつである。ヨガの修行の多くは、いかにしてこの旅をするかを教えるためのものである。そうした人間のひとりが、その名こそほとんど知られていないものの、広く尊敬を集めた人物、ヒンドゥー教の聖者シュリ・ユクテシュワル・ギリ(Yukteswar Giri, 1855〜1936年)である。1920年代にユクテシュワルに会ったエヴァンス=ヴェンツは、この聖者のことを「感じのよい雰囲気と高貴な人格」をもち、まちがいなく「まわりの信奉者がもつ敬愛に価する」と述べている。シュリ・ユクテシュワルは、パラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda, 1893〜1952年)の師でもあるが、この世界と次の世界との間を行ったり来たりすることにとりわけ才能があったようで、死後の世界は「光と色の非常にかすかな振動」でできており、「物質宇宙より何百倍も大きい」と描写した(P361)。  

11Sri aurobindo.jpg 1972年にインドの上流家庭に産まれたシュリ・オーロビンド・ゴーシュ(Sri Aurobindo Ghose , 1872〜1950年)は神童であった。英語、ヒンドゥー語、ロシア語、ドイツ語、フランス語に堪能なばかりか古代サンスクリット語にも通じ、一日に何冊も本を読み、どのページでも一字一句もらさずに暗唱できた。オーロビンドはインド独立運動に参加したが、最終的にはヨガの修行に人生を捧げることになる(P362)

 オーロビンドは、ほとんどの人間は心理的な幕があり、物質のベールの向こう側を見ることを妨げているが、ベールを除けば、すべてが強弱が変わる光の振動であることがわかると述べている。オーロビンドの見解も、ボームやプリグラムの結論と区別がつかない(P364)

【引用文献】
マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 第7章 時を超えて、第8章 スーパーホログラムの旅、第9章 夢時間への回帰
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オーロヴィンドの画像はこのサイトから
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2015年06月16日

第10講 ホログラフィック・ユニヴァース サイ・トレイリング

過去を読み取れる人間が存在する

10trick.jpg「TRICKトリック2」の第6、第7話には、佐野史郎氏演じるサイ・トレイラー深見博昭博士が登場する。「ゾ〜ン」にアクセスすることで、モノに残された残留痕跡から過去を辿れる深見博士の「サイ・トレイリング」能力は、仲間由紀恵氏演じる山田奈緒子の活躍で見事にペテンであると暴かれるのだが、現実の世界には過去を読み取れる人間が存在する。

 20世紀最大の透視能力者と言われるロシア生まれのポーランド人、ステファン・オソヴィエツキーは、モノを手に取って意識を集中すると、過去の三次元映像を見ることができた。例えば、紀元前1万5000〜1万年前にフランスで栄えた石器時代のマグダレニアン人(クロマニョン人)の石器をとると、女性がとても手が込んだ髪型をしていると述べた。誰もがばかばかしいと考えた。けれども、その後に飾り付けられたクロマニョンの女性の彫像が発見されたことで、オソヴィエツキーが正しかったことが立証されたのであった(P267)

 カナダのジョージ・マクマレンというトラック運転手も遺跡を訪れるだけで過去を見ることができた。例えば、何もない大地のうえでイロコイ族の共同住居があった場所だと述べたが、その半年後に指摘どおり古代の建築物が発見されたのだった(P268)

 このように過去を読み取る能力を持つ人間が存在することは、過去が失われてしまうのではなく、意識をシフトさせれば人間の知覚が届く範囲に存在していることを示唆する(P270)。過去視ができる人の多くは、人間のエネルギー・フィールドも見ることができる。オソヴィエツキーは、子どもの頃から人の周囲に光の輪が見えたし、マクマレンも人のエネルギー・フィールドを見て健康状態を診断できた。このことは、過去視の能力が精妙な振動を見る能力とつながっていることを示唆する(P272)

 通常の世界観ではそうした状態が存在することは不可能だ。けれども、ホログラフィックな宇宙モデルでは可能である。ディヴィッド・ボームは、過去はある種の「内在秩序」として現在も行き続けていると考える(P270)。あるいは、過去は、カール・プリグラムの言う波動領域にコード化されている。たいがいの人間はその情報をカットしてしまう。けれども、ごく一部の人間は波長をあわせることでホログラム状に過去の映像を変換できるのである(P272)

チャクラの文字は過去の信者の信念の産物である

 10motoyama.jpg古代ヒンドゥー教の信者たちは、各チャクラの中心にはサンスクリット文字が書かれていると信じてきた。心理学者、本山博(1925年〜)が最初にチャクラに興味を抱いたのは、透視能力を持っていた母親が胸のチャクラに逆さまになったヨットのような形、古代ヒンドゥー教徒がハートのチャクラにあると知覚していたサンスクリットの文字「ヤム」が見えたからであった(P257)。これは、古代ヒンドゥー教徒の信念で遠い昔にエネルギー・フィールドに刻み込まれたホログラフィックな構造に波長をあわせていると考えるしか説明ができない(P257)

幽霊や妖精は過去の残像現象である

 過去がホログラフィックな波動として記録され、人間の心がときとしてこれをキャッチできると考えると、幽霊の出没現象の一部も説明できる。米国やイギリスで行なわれたいくつかの研究からは、国民の10〜17%が幽霊をみたことがあるとの結果が得られている。このことは、幽霊現象が多くの人が考えている以上に頻繁に起きていることを示唆する。さらに、幽霊はすべて人間の形をしているわけではなく、物体の姿を見たという記録も数多い。このことは、幽霊が肉体を離れた魂ではないことを示している。となれば、幽霊の出現はほとんどが、過去の場面や人の姿がホログラフィックに再現されたためだと考えたほうがよい(P273)


10Walter Evans Wentz.jpg チベットの死者の書を紹介したことでも知られるUCLAの宗教人類学者、ウォルター・エヴァンス=ヴェンツ(Walter Evans-Wentz, 1878〜1965年)は、1907年から2年をかけて、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブルターニュ、コーンウォルを旅し、妖精の聞き取り調査を行なった。その結果、出会ったとされる妖精のほとんどは小柄ではなく、過去の衣服を身に着け、古墳や要塞の跡等、考古学上の遺跡やその周囲に出現することが多いことがわかった(P274)。エヴァンス=ヴェンツは、妖精と解釈される目撃事例の一部は過去に起きた出来事の残像現象だと結論づけている(P275)

 また、マン島の老人は、島に教育がやってくるまでは妖精を見る人がもっと多かったと語っている。この言葉は、教育によるモノの見方の変化で、過去視能力が退化したことで妖精との出会いが少なくなったことを示唆する(P276)

集合無意識の発見

10Carl Gustav Jung.jpg 1906年、カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875〜1961年)は、一人の若い妄想分裂病患者を回診していた。青年は太陽を見つめては頭を横に振る奇妙なしぐさをしていた。青年は太陽のペニスを見ており頭を振ると太陽のペニスが動いて風を起こすのだと答えた。ユングは若者は幻覚を見ているのだと考えた。けれども、数年後、2000年前のペルシアの経典に「太陽を見るとそこからぶら下がる管が見え、その管が横に動くと風が起きる」との記述があることを知って驚いた。このことから、ユングは青年のヴィジョンは彼の無意識の産物ではなく、さらに深いレベルの人類全体の集合無意識から湧きあがってきたものだと考えた。そして、このイメージをアーキタイプと呼んだ(P66〜67)

トランスパーソナル心理学の登場

 メリーランド精神医療研究センターの研究部長、スタニスラフ・グロフ(Stanislav Glovf,1931年〜)は、30年以上も「変性意識状態」を研究してきた(P75)。グロフは1950年代に母国チェコスロバキアのプラハで、幻覚剤LSDの臨床利用の可能性を探ることから変性意識状態に関心を抱くようになった。LSD体験を繰り返すと精神療法のプロセスが早まり、精神分裂病のような重度の障害まで治癒されることがあったからである(P76)

09Stanislav Grof.jpg グロフは研究を進めるうち、西洋心理学の未踏の領域にまで足を踏み入れていく(P76)。例えば、患者の意識が通常の自我の領域を超えて広がり、他の生物や他の物体の存在感を抱くことがあった。ある女性は、有史以前の爬虫類になったと感じ、オスの身体では頭の横にある色のついたウロコの部分に性的な興奮を感じると述べた。その女性にはそうしたことに関する知識は皆無だったが、後にグロフが動物学者に確認すると、確かにある爬虫類では色のついた頭部の部分が性的興奮を起こすのであった(P77)

 祖先や親族の意識に入り込める患者もいれば、民族や集団の記憶につながる体験をする患者もいた。また、赤血球や原子、惑星全体の意識を体験したり、時空を超越し、人間以外の知的存在や高次元の意識からの霊的アドバイス、超人間的存在と遭遇するケースもあった(P78〜79)

 3000回以上のLSDセッションや同僚の研究者が行った2000回以上のセッションを分析した結果、グロフは、「トランスパーソナル」という言葉を創り出し、エイブラハム・マズローらと1960年代後半に「トランスパーソナル心理学」という分野を創設する(P80)

 ホログラフィで露光を繰り返すと、大家族全員の写真を一枚のフィルムに収めることができる。家族全員の姿を反映している人物の画像が創り出せる。この合成写真は、ある種のトランスパーソナル体験のモデルであり、アーキタイプに見られる男性、女性、父、母、恋人、トリックスター、道化等のイメージあたるとグロフは述べている(P81〜82)

ファティマの聖母もUFOも集合無意識の産物である

 1879年には、アイルランドのノックで、村の教会に隣接する草原で、マリア、ヨセフ、聖ヨハネの光を放ちながら動かない像を14人の人間が目にした。

 1968年には、エジプトのカイロ郊外の貧民街の教会で、二人のイスラム教徒が光輝くマリアの像を目にした。それから、3年。マリア、ヨセフ、幼児のキリストの立体像が毎週、3年にわたって出現し続けた(P380)

 10michael grosso.jpg哲学者マイケル・グロッソ(Michael Grosso)博士は、ファティマやルルドでの聖母マリアの奇跡的な出現は、人類の集合的な信念が創造したホログラフィックな投影だと考える。人類が生き方を変えなければ滅びるという警告のメッセージは、生態系の破壊を人類の集合無意識が深く憂慮しているためだと考える(P381)

 UFOも客観的な体験であるよりも主観的なホログラフィックな投影の可能性が高い。1959年にユングは早くもUFO現象とは人類の集合無意識の産物であるとの説を打ち出している(P385)

 『未知との遭遇』のラコームのモデルとなった天体物理学者ジャック・ヴァレーは、UFOは、新たな現象ではなく、ヨーロッパの妖精や中世の天使、米国の先住民の伝説に登場する超自然的な存在と、様々な民話に登場する言い伝えと似ていると指摘する(P385)

集合無意識とサイコメトリーを説明するホログラフィック・モデル

 現在の世界観ではユングの集合無意識論も説明できない。けれども、ホログラフィック・モデルであれば説明がつく(P66〜67)。ホログラフィックなユニヴァース・モデルでは、意識はすべてに浸透していることになる。このことによって、テレパシーや遠隔視も説明できると、ディヴィッド・ボームは考える。例えば、物質に対する精神からの共鳴が念力であれば、テレパシーはある精神から別の精神に対する共鳴であり、遠隔視は物質から精神になされた共鳴である(P190)。そして、モノにふれただけでその過去の履歴を言い当ててしまうサイコメトリー(霊視鑑定)も可能となる(P191)。デヴィッド・ボームの言葉では深層では人類の意識はひとつなのである(P66〜67)

 けれども、だとすれば、なぜ、誰もが人類全体の無意識レベルの意識に自由にアクセスできないのであろうか。レンスレア政治経済研究所の心理学者、ロバート・アンダーソン(Robert Anderson)は、内在秩序にある情報のうち、人間がアクセスできるのは自分の記憶に関連するものだけだからだと考える(P67)。このことの意味については次回でさらに掘り下げよう。

【引用文献】
マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 第3章 ホログラフィック・モデルと心理学、第5章 奇跡がいっぱい、第7章 時を超えて
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