2015年08月31日

第42講 人生の目的を探る(7) 中間世の存在=守護霊

前世の記憶がないのは障害を避けるため

 生まれ変わりの研究対象となるわずかな事例を除いて、ほとんどの人には前世記憶がない。催眠を通じて前世までさかのぼろうとしても、はっきりとした記憶が蘇るケースは稀で、大半は断片的なイメージが浮かんでくるだけで、それも真の前世記憶と言えるかどうか疑問が多い。

 なぜ、前世の記憶がなぜないのかの理由はわからないが、おそらく、前世の記憶は今生を生きる上で、障害になることが多いからであろう。「再生して未解決の課題に再び取り組む」には、前世記憶があった方が効果的のようにも思えるが、そうした情報を取り入れてもバランスを崩さないほど、まだ人間の意識や理性が成熟した段階にはないからであろう。

 また、自らの魂は「なぜここに生まれてきたか」を知っている。意識的にわからなくても、自分の心を深く見つめ、現在の境涯やたどってきた道を正しく観察すれば、「今生の課題」は、ある程度理解できるはずである。いたずらに前世にふりまわされるよりは、自らの心と現実を正しく見る方が、霊的成長には有益であろう(13)

因果応報・業の考えは差別思想にもつながる

 輪廻転生と常に連動するのが、カルマという概念である。最も通俗的なカルマの考え方は、「悪い行ないをすると、それが次の生でたたる」という「因果応報」である。

 カルマは、インドの宗教哲学思想で、もともとは「行為」を意味する言葉であり、ウパニシャッド以来の「輪廻転生説」と結びつき、人生で行なったことが、次の生に影響を及ぼす、いわゆる業(ごう)という観念となった。この概念は悪を抑制する効果がある。

 ところが、この概念は「今あの人があんなにみじめな境涯に生きているのは、前世で恐ろしい罪を犯したからだ」「貧困にめぐり遭うのは前世の当然の報い」と差別思想の根拠にもなってしまう(13)

カルマは愛を学ぶための宿題である

 とはいえ、霊信によれば、カルマは、そうした恐ろしいものではなく、魂に与えられた「宿題」のようなものである。ある魂が人生の中で、人を愛することがうまく学べなかった場合、魂は死後の回顧と反省の中で、それを未解決の課題として自覚する。そのうえで、指導霊の助言に従って、愛を徹底して学べるような境遇を選び輪廻転生するのである。

 すなわち、学習が足らないところがあれば、もう一度やり直す、そこで与えられる課題や教材がカルマなのであり、地上の人生は、霊の進化・成長のための学校のようなものなのである(13)

中間生の光の存在は守護霊である

 前世療法では、クライアントが光に包まれた魂の状態になり「中間生」(霊界)に入ると、そこにはたいてい「偉大な存在者」がいると報告されている。その「偉大な存在者」は、転生の意味を語り、今生の苦難が何を意味するのかを教える。ときには、この霊的存在がクライアントに憑依して、セラピストと会話をすることもある。前世療法におけるこの「中間生」状態でのやりとりは、ある種の交霊会となっている。この存在者こそ、守護霊にほかならない(15)

 霊魂は、やり残したことがあったり、さらなる成長を求めるために地上に転生するが(14)、その際に守護霊がどのような人生を選べばよいかを指導・アドバイスをするのである(14,15)。とはいえ、輪廻転生に際して、高位の霊からの指導を受けても、基本的には自由意志で選択する。すなわち、誰もが納得ずくでこの世に生まれてきている(13)

霊的な成長には世俗的な成長よりも苦悩が必要

 霊的成長を考える際に注意しなければならないのは、地上的な価値観と霊の成長とが異なることである(20)。現世の価値観に引きずられて、富や地位や名誉が目的であると考えるのは間違いである(13)。 事業に成功し、幸せな家族に囲まれといった地上的幸福が霊的に価値があるとは限らない。困らず悩まずのほほんと暮らすことは、霊的成長にはマイナスで、厳しい状況で苦悩することが、真の霊的成長をもたらすと言われている。苦悩は、古来から宗教が言うように「神の与え給うた試練」であることが多い。苦悩は霊的な成長に不可欠のものともいえる。苦悩によって、人は物質的世界への埋没から離れ、人生の意味や自らの存在の本質を問い、霊的な課題に直面して成長していく。世俗的な何の苦悩もない人生を思い描くよりも、自らの霊的な課題を探求し、苦悩しつつ魂を成長させていく人生を求めることが重要なのである(20)。すなわち、一見不幸であったり、何の栄光もない人生を歩んでいる魂が、成熟した高い魂であるということもしばしばある(13)

誰も独りではない〜誰もが守護霊から守られている

 スピリチュアリズムの霊信は、例外なく、守護霊の存在を強調している。例えば、カルデック『霊の書』はこう書く。

「貴方の傍にはいつも貴方より優れた者がいる、その人は貴方に寄り添い助言を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。此の世のどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、貴方のために尽くしてくれる、その人が貴方の傍にいる」

「守護霊は、どんな悪の巣窟にもいると言う。長い辛酸と苦悩の果てに、その魂が目覚め、改悛して救いの叫びを発するまで、じっと待機してくれている。悩み苦しむ人間にとって、これほどの心の慰め、救いがあるであろうか(15)

 私たちは孤独で生きているわけではない。地上に生きるどの魂にも、それぞれを守り導いてくれる守護霊や指導霊と呼ばれる高位の霊的存在が伴っている。この守護霊は「gardian」、「guide」等、様々な呼び方をされているが、私たちと共に生きており(14)、私たちの類魂のひとつであり、霊的には親や子どもよりも身近な存在である(15)。守護霊は、深い慈悲を持って私たちを見守り、いくぶん人間くささも持っている。直接呼びかけられる存在で、そういう意味では諸宗教が説いてきた神に近い性格を持つ(16)

 ニュートン博士の報告も、各グループには、全体を指導するガイド(=守護霊)がいるとしている(33)。守護霊は、たとえ私たちが罪や愚行を犯しても、それを悲しみつつ、人間の肉欲や我欲に妨げられながらも、私たちが再び成長への道を歩むように何とか人間に助けの手を差し伸べようとしている。同情でも憐憫でもなく、私たちの霊魂が進化・成長の道を歩んでいることを信じ、焦らず、怒らず、忍耐と愛をもって見守っている(15,17,20)

(注) アラン・カルデック(Allan Kardec, 1804〜1869年)は、ペスタロッチの弟子兼協力者となり、教育関係の著作を数多く刊行する一方、親友の二人の娘を霊媒として毎週末に交霊会を開き、人生のさまざまな問題や宇宙観について質問し、自動書記等によって答えを得ていった。その著作が『霊の書 (Le livre des Esprits) 』(1857年)である。

霊的に進化した高位霊ですら、直接「神」を目にすることができない

 霊からの通信は、おしなべて神の実在と神への信仰を説く。けれども、その神は、これまでの諸宗教が説いていたものとはかなり異なる。自分たちが信奉する神が唯一絶対であると主張し続けてきた一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム)が作った神の観念を霊たちは厳しく非難する。神を喜ばせるために壮大な神殿を築いたり、大仰な儀礼をすることの無意味さは、言うまでもない。そうしたもてなしを受けて、喜んで奇跡を起こす霊がいるとしても、それは、あまり霊格の高くない霊であろう(16)

 多くの霊信は、至上の光、尽きることのなき慈しみをたたえた愛、しかし、愛よりも遙かに偉大なものとして神の実在がはっきりと感じられると述べるが、「神の姿を直接見ることなどはわれわれ進化した霊にも不可能だ」と語る。見ることも言葉で表現することも不可能だと述べる。神は「全宇宙」の創造主であり、すべての現象の第一原因で、すべての法則を統御する法則で、無慮無数の世界と宇宙の背後に控えるイデアで、唯一の実在ではあるが、言葉や概念をも超越するものなのである(16)

守護霊を大切にすることが重要

 インペレーターはこう語る。

「われらとて、超越界については何一つ知らぬ。が、われらは信ずる――その果てしなき未来永劫の彼方に、いつかは魂の旅に終止符をうつ時がある。そこは全知全能なる神の座。が、それ以上は何一つ知らぬ。あまりに高く、あまりに遠すぎるのである。汝らはそこまで背伸びすることはない。生命には事実上終末はなきものと心得るがよい。そしてその無限の彼方の奥の院のことよりも、その奥の院に通じる遥か手前の門に近づくことを心がけておればよい」

 すなわち、もっと身近な高級霊、とりわけ、私たちを守り導いてくれている守護霊に対する信仰を育てていく方が望ましい(16)

42William Moses.jpg(注)霊媒、ウィリアム・ステイントン・モーゼス(William Stainton Moses, 1839〜1892年)は、1873年から、霊信の受信方法として自動書記を採用、「ドクター・ザ・ティーチャー」という署名で、霊からのメッセージがもたらされる。その数年後、書記の筆跡が変化し、「インペレーター」と名乗る高級霊を主とする49名の霊団による大がかりな「霊的指導」が行なわれるようになった。霊信の内容の高貴さに加えて、自らが霊媒として起こす物体浮揚、自己浮揚、アポーツ、芳香・音楽現象などの華々しさ、そして当人の人格の高潔さから、当時のスピリチュアリズム運動の中核的存在となった。

守護霊は日本の伝統的宗教観と合致する

 古来、日本人は、祖先霊や産土(うぶすな)神と身近で個人的な神格を崇拝してきた。宇宙創造神に祈願する等といった傲岸不遜さはなかった。そこで、日本人には、この守護霊信仰は、さほど違和感がない。スピリチュアリズムに影響を受けた戦後日本の新宗教の一部が、守護霊信仰を前面に出しているのも、そういった風土があるからであろう。

 ある意味で、スピリチュアリズムは、霊的感性が豊かだった日本人の信仰を、近代的に復活させたものだとも言える(15)

守護霊信仰は民主主義的

 守護霊信仰とでも呼ぶべき、このスピリチュアリズム霊学は、きわめて画期的なものと言える。それは、良い意味で民主主義・個人主義である。それぞれがそれぞれの場所で、それぞれのやり方で、それぞれの守護霊に祈ればよく、神に祈るのに、特別な権威を持った宗教者を必要としない。道を示してほしい時にも、自らの守護霊に聞けばよく、大金を払って、本当に霊能があるかどうかわからない宗教者に聞き、とんだ目に遭う必要はない。さらに、どちらの神が真正か、格が上か、といった争いも起きない。信仰を求めるすべての人が、自らの守護霊と対話ができるようになれば、すなわち、誰もが霊媒になれば、少なくとも宗教組織や権威はもういらなくなってしまうからである(15)

【引用文献】
(12)2006年3月18日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(4)自殺について」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(13) 2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(5)生まれ変わりとカルマ」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(14) 2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(6)類魂」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(15) 2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(7)守護霊」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(16) 2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(8)神」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(17) 2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(9)現実世界と霊界の交渉」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(20) 2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(12)霊的成長とは」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(21)2006年3月1日「2.基本編―霊信が語る死後の世界―(13)祈りについて」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(33) 2006年9月7日「3.各論編―中間世セラピーと霊界探究」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー

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2015年08月30日

第41講 人生の目的を探る(6) 中間世

前世療法の過去世は死後の世界の謎を切り開く

 19世紀に「霊媒」が引き起こす超常的現象を通じて多くの人に伝えられた「スピリチュアリズム」が、最も伝えようとしたポイントは、人間の魂が死を超えても存続することだった(9)

 現代は、スピリチュアリズムに代わって臨死体験や前世療法が「死後存続」の研究の前面に出て来ている(8)

 12Joel Whitton.jpg臨死体験は、どれほど医学が発達して多くの人が体験するようになったにしても、特異な体験であることには変わりはない。一方、前世療法は、深い催眠に入れる資質さえあればごく通常的な方法で体験できる。ジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜)博士は4〜10%と言っているが、さらに高い数字をあげる臨床家もいる(9)。このため、とりわけ、前世療法が、人々の好奇心を刺激して大衆的な広がりを見せている(8)

「臨死体験」も「前世療法」も医学や心理学の領域から生まれてきたもので、スピリチュアリズムとは直接的な関係を持っていない。けれども、それらは明らかに「死後存続」「霊の実在」を立証する方向へと向かっている(9)

 そのうえ、前世療法は、「中間世(interlife, between-life)」という「この世を超えた世界」を経験する点で、臨死体験よりもはるかに深い内容を持つ。中間世とは、ある一つの人生が終わって、別の人生へと生まれ変わるまでに留まる世界でのことである。臨死体験は「国境まで行って足止めをされた体験」だが、前世療法はたとえ主観的な想起であるにしても、国境を何度も越え、そして戻ってきた体験だからである(9)

 この中間世は、前世療法のパイオニアであるグレン・ウィリストン(Glenn Williston)博士も注目していたが(8)、とりわけ、それをクローズアップさせ(9)、そこにおける「大いなる存在」からの指導を重視したのがホイットン博士である(8)

中間世はエジプトやチベットの死者の書と類似する

 ホイットン博士は、この中間世の状態が、チベット人が8世紀に書いた『バルド・ソドル(チベットの死者の書)』のバルドと類似していることに気づく(1p25,1p269)

「汝は血と肉の肉体を持たない。それゆえいかなる音、光、色も汝をいためつけることはできず、汝は死ぬことができない。これがバルドの状態であると知れ」(1p40)

 中間世の状態は、仏教でも中有(ちゅうう)、あるいは、中陰として古くからその存在を伝えられ(1p269)、それは、2500年前の『エジプトの死者の書』、2000年前のインドのパタンジャリによるヨガの文献、プラトンの『国家論』に登場する臨死体験者エルの黄泉の国への旅の記述とも驚くべきほと類似している(2p328,330)

中間世をさらに探究したニュートン

41Michael Newton.jpg この「中間世」問題に焦点をあて、1980年代の10年間、ほぼこの問題に焦点をしぼって退行催眠を行ない、ホイットン博士以上に執拗にこの部分を探究したのが、マイケル・ニュートン(Michael Neuton,1932年〜)博士である。

 ニュートン博士は、15歳の頃から「催眠術の実験」を行なってきた。そして、カウンセラー・催眠療法士となった後も、本来は「懐疑的な人間」で、「行動療法の専門家」であった。けれども、クライエントから「過去世退行」を試みてほしいとの要請を受け、前世療法の治療効果とその内容の豊かさに魅せられていく。

 通常の心理療法のカウンセリングは1〜1時間半をかけて行なわれるが、ニュートン博士はセッションに4〜5時間をかける。これはかなりのエネルギーを要する作業だが、これだけの時間をかけたことによって、死後と次の転生までのプロセスと魂のありようが、具体性・細密性をもって浮かび上がってきたのである。

 この内容は、1990年代に刊行された2冊、『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』2000年、ヴォイス刊(Journey of Souls: Studies of Life Between Lives, 1994)と『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』2001年、ヴォイス刊(Destiny of Souls: New Case Studies of Life Between Lives, 2000)に微細に描かれている。

死直後のトンネル体験

 多くの臨死体験者や退行催眠者は、トンネル体験を報告する(1p16,1p50)。不思議で素晴らしいこの体験が始まることから、死者のこの世への愛着心はすぐに消え失せる。そして、すでに他界している身内や友人等と出会うこともあるという(1p50)

 41haraldsson.jpg米国心霊現象研究協会の研究者カーリス・オシス(Karlis Osis, 1917〜1997年)博士とアイスランド大学の心理学者エルレンドゥール・ハラルドソン(Erlander Haraldson,1931年〜)博士が書いた『人は死ぬ時何を見るのか(At the Hour of Death)』(1979)で、オシスとハラルドソンは、既になくなっている友人や親類、聖人等が迎えに来て、あの世へのスムーズな移行をサポートするビジョンを見出すことを見出している(5p198)

 京都大学のカール・ベッカー(Carl, Becker, 1951年〜)教授も臨死体験中に他界していた近親者と出会ったケースが多くあると報告している(3p95)

死直後の霊的存在との出会い

 死の直後、より厳密には死の直前に、魂は肉体から抜けて、自らの体や周囲の様子を眺め、やがて光る霧に包まれ、トンネル状の空間を光に向かって昇っていく。そして、物故者や霊的存在と出会う。臨死体験でも報告されているこのプロセスは、ニュートン博士の報告でも同じである(8)

 ただし、ニュートン博士は、このプロセスは魂のレベルに応じて、様々な形を取ることを明らかにしている。比較的若い魂は、ゆっくりと進み、親しい親族や知人の出迎えを受ける。一方、ある程度の成長を遂げた魂は、ガイド等の高位の霊的存在とすぐに出会う。中には、類魂たちとの出会いを経ずに、一気に高位の霊界に帰還する魂もあると言う(8)

自分で世界を作り出す

 体外離脱者と同じく臨死体験者も自分が実体のないエネルギー体であることに気づく(2p337)。そして、車椅子の生活を余儀なくされていた人も歩けるようになり、手足の一部を切断した人も四肢を取り戻し、老いた人は若者の身体となり、子どもは大人になっていることが多い。これは、心の奥底にある深い願望が身体の形を創造していることを示唆している(2pP338)。チベットの死者の書ではバルドに住まう者は、自らの想念で自らの環境を作り出すと述べているが、死後の世界では、心に思い描いたことはすぐさま大パノラマとして実現する(1p54〜55)

光体験との出会い

11kenneth Ring.jpg 次に臨死体験者は、意識が肉体を離れて、トンネルを通り、圧倒されるようなまばゆい光と至高の歓びと平和を感じたと述べている(1p16,1p51,3p217)。紀元前1300年前に書かれた古代エジプトの『エジプトの死者の書』では、この世のどのような幸せもこの純粋な恍惚感に匹敵するものはない。存在するのはただ愛だけであると語っている(1p51)。彼らが語る死後の世界は、地球上でみたどの世界よりも明るい光で満ち溢れ、時間と空間が存在しない。コネティカット大学の心理学教授、ケネス・リング(Kenneth Ring,1936年〜)博士は、これは来世の持つホログラフィックな波動という特性の証拠であると指摘する(2p336)。この超意識下でのまばゆい光をリング博士はクンダリーニ体験と共通であると語っている(1p269)。そして、この光の中で深遠な啓示を受ける人もいる。ある男性はこれまで解けずにいた数学の方程式が解けたし、ある音楽家は大作曲家にしか作れない素晴らしい音楽を耳にする(1p53)

 ブライアン・L・ワイス博士(Brian Leslie Weiss, 1944年〜)によれば、この光は、瞑想中や神秘体験中にも出会うことができる(5p218)。そして、博士によれば、地獄はない。ただ、様々なレベルの無知がある。無知であるほど光が少なく、深刻な無知状態であるとほとんど光が存在しない(5p224)。一方、よりレベルが上に行くと光の質が変化し、より明るくより柔らかになっていく(6p135)

中間世の超意識では知力が高まる

 ニューヨークにあるアルバート・アインシュタイン医科大学のモンタギュー・ウルマン(Montague Ullman, 1916〜2008年)名誉教授によれば、夢の中では目覚めた状態よりも賢くなれることがある。精神分析の診療では、意地が悪く利己的で人間的な暖かみが書け、何ひとつまっとうにできないどうしようもない患者がやってくる。けれども、目覚めているときには短所を認める気がなくても、夢の中では例外なく、その欠点が描写され、覚醒を優しく促す比喩が登場する(2p69)。無意識は意識を成長させることを願っているかのように思える。

 ホイットン博士も死の次の瞬間、魂が肉体を離れて、意識は空中に浮遊し、自分の死体を見つめ、光のようなものに引き寄せられたり包まれたりし、輝きに満ちた世界に移行すると指摘する。そして、クライアントが「光に包まれて幸福を感じている」とか「肉体も性別もなくなって、きわめて心地よい状態にいる」等といった感想を述べ(9)、この中間世の人間の意識が過去世に退行しているときに経験される意識よりもはるかに高いことに気づく。そこでは、通常の意識では見られない人生に対する哲学的な考察や善悪の判断力が高まり、人間が存在する意味や目的がより明確に理解できる。そこで、ホイットン博士はこの並はずれた知覚状態を『超意識』と呼ぶ(1p21,1p269,9)

人生の回顧と反省

 ヴァージニア大学の精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody, 1944年〜)博士らによれば、臨死体験者は、一瞬にして全生涯が信じられないほど生々しく立体映像として再生されることを体験する。そして、パノラマ的な記憶が展開する最中、人生のすべての出来事に伴う喜びや悲しみ等、あらゆる感情を再体験する(2p341)。親切にした人たちの幸せをわがことのように感じとり、人を傷つけた場合には相手が感じた痛みをはっきりと自覚する(2p342)

 同じように、退行催眠でも、ホイットン博士によれば、思慮を欠いた行為だけでなく、人生で達成しようと願っていて成就できなかった願望や夢についても悲しい痛みを感じるという(2p342)。ワイス博士も死んだ後には、一瞬にフィードバックで助けた人や傷つけた人、愛した人、憎んだ人等、すべての人間関係を再体験し、その感情を味わうと述べる(5p23)

 ニュートン博士も、魂が今生でなしてきた行為を回顧・省察するプロセスを仔細に描く。他の魂に与えた苦痛を自らが受けるようにして再体験する「因果応報」も、このプロセスに確かにある(8)

 この人生の回想は、エジプトやキリスト教等、世界の多くの宗教に記されている死後の審判とかなり類似する(2p343)

 古代エジプトでは死後には、恐ろしい裁判官の前で「魂の計量」を受けると信仰されてきた(1p59)。カルマは悪業に相応の報いを呵責なく与えるものであった。紀元前2600年前の『プターホテプの教え』の第28節には「汝の行いは変じて汝の裁きとなる」と書かれている(1p102)。ゾロアスター教も精霊の裁判官が各人の生前の行為に応じて運命を天秤にかけると教えてきた(1p59)。旧約聖書や新約聖書も同様である(1p102)。また、釈迦も「過去を知りたければ自分の現在の人生を見なさい。未来を知りたければ自分の現在を見なさい」と述べている。人は自分が他人を喜ばせたり悲しませたりしたのと同じことをそっくりそのまま自分も体験することになる。古代では、そのようにカルマは解釈されてきた(1p101)

 けれども、ホイットン博士によれば、そうではない。審判は自己審判だけであり、自分の罪悪感や悔悛の気持ちから生じるものだけである(2p343)。問題とされるのは一人一人の誠実さ、内なる道徳性だけである(1p61)

臨死体験者は光の存在によるカウンセリングで愛を学ぶ

 中間世に移行した魂は、ホイットン博士によれば、高度に霊的発展を遂げた裁判官、老賢人、ガイド等と表現される姿のはっきりしない「偉大な存在」と出会う(1 p59,9)。4人や、まれには7人であることもあるが、たいていは3人である。ここから、ヒンドゥー教の三神一体(創造者ブラフマン、破壊者シヴァ、保持者ヴィシュヌ)やキリスト教の父と子と聖霊という概念が生まれたのではないかという(1p59)

 光の存在たちは、これまでの一生をフラッシュバックのように一瞬で回顧させる。ただし、罪を深く悔いる魂に自責の念をつのらせることはせず、人生のプラス面や前向きであった点を指摘して勇気づける。人生の重要なエピソードを取りあげてアドバイスを行い、それがどれほど芳しくないものであったとしても、その人を成長させる体験であったと励ます(1p62〜64,9)

 すなわち、光の存在によって審判が下されることはまったくなく、ただ愛と受容の気持ちだけしか感じられないと述べている。私たちは自分が考えている以上に慈悲深い宇宙に生きている(2p343)。光の存在はカウンセラーとして、怒りを愛に変え、誰もを無条件で許し、もっと愛することを学びこと。そうすれば、自分自身も愛されることを教える。すなわち、光の存在たちの道徳的規準は愛だけなのである(2p344)

人生の目的はエゴを捨て他者を愛すること
 
 36Brian Weiss.jpgワイス博士の見解によれば、人生の目的はシンプルである。数ではなく暖かい思いやりと愛と理解ををもって他者に手を差し伸べられることが大切である(4p93,4p109)。より良い人間関係を保ち、より愛を深め、思いやり深くなり、精神的にも肉体的にも霊的にもより健康となり、他の人々を支援することが人生の目的なのである(6p35)。このため、慈愛、思いやり、希望、許し気づきなどを学び、多くの時間を祈りや他の人を助けることや愛することに使う一方で、恐怖、憎しみ、プライド、エゴ、欲望、拒絶、利己主義、怒り、罪悪感、虚栄心、差別、野望等のネガティブな資質を捨て(4p93,4p259)、モノをためたり、過去を悔いたり、未来を心配したり、他人を傷つけたり、暴力をふるうことを止めるが大切なのである(4p260)。より優しく愛情深く、暴力的でない人間になっていけば進んでいる方向は正しいし(4p19)、人生の目的は内なる平和と贖罪、行動と神の恵みによってカルマを克服することなのである(4p198)。多くの人に愛情を与え、関わった人々を幸せにしてきた場合には、光の存在から大変に賞賛されるという(3p110)。キリストが「互いに愛せよ」と述べているように、他人を助けることは自分のためになるというのが、カルマの第一の原則なのである(1p101)

光の存在のカウンセリングを受けて次の人生のプランニング

 ホイットン博士の最も注目すべきポイントは、肉体を離れた魂は時間や空間がない世界に入り、地上での生活を検討した結果、カルマに応じて次の転生をプランニングすることがわかってきたことであろう(1p17,1p65)

 中間世の状態で、魂は自分の行為を回顧する。そして、それを踏まえて知識を得て、次の人生の選択を行い、学んだことを実施に移すチャンスに備える(1p71,1p102)。カルマとは自分の性質を高めるために自分自身が創り出したものである(1p103)。そして、肉体を持った状態でしかカルマの調整はできない(1p71,1p102)

 すなわち、両親、職業、人間関係等は前もって選ばれている(1p46)。ワイス博士が退行催眠から得た結論も、魂は、母親が妊娠する以前に自分の人生の計画を立て、受胎されたころに自分が生まれる身体を選ぶことによって生まれてくるということである(4p70,4p72,6p23,6p140)

 ホイットン博士によれば、裁判官たちは、魂にどのようなカルマの負債があるのか、どんな点を学ぶ必要があるのかを踏まえて幅広いアドバイスを行うという(1p65,9)。ワイス博士も計画を立てるときには、非常に賢い愛に満ちた霊的存在に支援を受けていると述べる(4p70,6p26)。ニュートン博士も、ガイドとの対話を通して、人生の隠された意味を悟ったり、今回の生で予定していた様々な学びをきちんと学ぶことができたかを確認するという(8)。そして、学びを自覚すると、さらなる成長を求めて、やはり高度な存在からの助言に学びつつ、次の人生を選択するのである(9)

中間世で経験される知の図書館は情報庫の変換解釈か?

 臨死体験者、ヨガの達人、アヤワスカを摂取したシャーマン、スーフィら、隠された領域を訪れた人々は、みな共通して、広大で光輝き美しさにあふれた天界の都市を目にしたと報告している(2p375)。この都市には知識の探究に関連した学校等の建物が多く、ホイットン博士の被験者も図書館やセミナーを備えた広大な学びの殿堂で、高等教育機関で過ごしたと述べている。学ぶことだけを目的として作られた都市に関する記述は11世紀のチベットの文献にもみられ、それがジェームズ・ヒルトン(James Hilton, 1900〜1954年)の小説『失われた地平線』のシャングリラのモデルになったともされる(2p376)。さらに、臨死体験者の中には、知識そのもので建物が建てられていると語っているものもいる。これは、純粋な知の生きた雲は、人間の心では、図書館といったホログラムにしか翻訳することしか処理できないことを示唆している(2p377)

中間世で求められるのは知的な学びである

 愛と同じく光の存在が重視するのが、知識である。臨死体験者は、自己成長や他の人を助ける能力と関連した知識を探究することと関連する出来事が人生回顧の最中に起こると、光の存在は喜んでいると指摘している(2p344)。死後にはすべての知識にアクセスすることが可能となる。けれども、人生で学び続けることに意義があるのは、一人一人が他者に手を差し伸べるようになることと関連している(2p347)

 硬い決意を持つ魂は、バルドの期間のほとんどを学びに費やす。図書館や研究室で一心に学んでいたという。しかし、物質世界に捉われている魂は、あわてて肉体に戻ってしまう。さらに、向上心のない人々は裁判官の前では眠ってしまい、この世にまた生れるためにせかされるまで目を覚まさないという(1p71)

 なお、紀元前5世紀のギリシアの歴史家へロドトスによれば古代エジプトではある転生から次の転生までが3000年だとしていた(1p76)。しかし、ホイットン博士によれば、次の転生までの期間は、最短で10カ月、最長で800年以上、平均で40年ほどであった(1p75)

持っていけるのは才能

 人は死ぬときには、モノを持ってはいけない。持っていけるのは、自分の行った行為、思考、知識だけである。また、愛する人とは会えるが、モノとは会えない。すなわち、他の人とどのように交流したのかが、物質的にどれだけ蓄積したかよりも重要である(4p97)。したがって、字なくを高めるだけでなく、スキルや才能を向上させることもカルマ的な成長に含まれる。幼稚で自己中心的な性格が円熟した人格へと発展していくことをホイットン博士は知る。非凡な才能もこれまでの転生での努力の積み重ねによるものなのである(1p110)

この世への帰還

 古代チベット人は、来世を選ぶ手続きのことを知っていたことから「バルド・ソドル』では肉体を去った魂に対して「汝の産まれんとする場所を調べよ、肉体を選択せよ」とアドバイスしている(1p65)

 最終決定を下せば、後は再び肉体に下降して生れるだけである(1p74)。ホイットン博士の被験者の多くは、母親の上に浮いていたと述べている。さらに、母親にタバコやアルコールを止めさせ、母子が互いに健康で幸せになるようにアドバイスをしていた魂もある(1p77)。一方、ワイス博士の講演を聞いた大学院生で妻が妊娠四カ月の時に、なぜ二人の間に生まれることにしたのか人生の目的や計画を語った娘が登場したという院生がいる(4p72)

 そして、バルドの記憶はすっかりと消え去ることによって、過去の世界に郷愁を感じたり、過去の所業に心を乱されることなく新たな人生に乗り出すことができる(1p77)。最も、過去の記憶を持っている子どももいる(4p81)。例えば、古代エジプトでは犬が死んだときに油と包帯で来るんで葬っていたが、それと同じように、飼い犬を埋葬した子どもがいるし(4p83)、キリスト時代のパレスチナ周辺で語られていた古代アラム語を話し始める赤ちゃんもいる(6p84)。このように今世では一度も聞いたことも習ったこともない外国語をしゃべる現象はゼノグロッシー(異言能力)と呼ばれ、前世記憶の証拠とされている(6p20)

シナリオの人生を歩む

 そして、計画したとおりの人生、シナリオどおりの人生を生きている人は、人生がしかるべく展開していると感じるという。しかし、計画を逸脱してしまった人々は何事も意のままにならず、自分のセリフを思い出せなくなった役者のように、人生のドラマでその場しのぎの芝居をやるしかなくなってしまう(1p73)。成長した魂は、だいたいのアウトラインだけを作って、難しい状況に身をおいて、より創造的な活動をしていく(1p67)。こうした人は即興芝居をする役者のようにいくらでも即興を演じられる(1p73)

 また裁判官を無視しても罰は受けないが、そうした場合には人生の終わりになって自分の人生がムダであったと悔やむ結果になるという(1p74)。人生は生まれてくる前に決めてきた計画にどれだけ忠実であるのかを発見するのが人生である(3p93)。人間関係を通じて喜びや痛みなど、愛について学ぶ生きた実験室なのである(3p92)。 

あえて試練を選ぶ

 なお、人生は障害が多いほうが多く学べることから(4p93)、霊的に成長をするために厳しい人生を選んで生まれてくることもある(4p86,4p93)。魂が成長するにつれて次第に人生が辛いものになっていくのはこのためなのである(1p66)。すなわち、辛い人生を耐え忍ばなければならないからといっても、必ずしも前世で悪い体験をしたためとは限らない(1p110)。催眠下で語るカルマのシナリオがどれほど苦難に満ちた人生であったとしても、語るときは淡々としているという。一方、中間世のシナリオが立てられていない場合が最も厳しい。シナリオがないことをホイットン博士が告げるときには、被験者は必ず不安な顔をするという(1p74)。このように、このホイットン博士やスティーヴンソン博士の見解によれば、無意識の心は、自分の運命の大枠をつかんでいるだけでなく、自らその方向付けすら行ない、人生の計画を立てていることになる(2p292〜293)

中間世の存在は独立している

 さて、次の生を選ぶアドバイスを行う「偉大な存在者」の問題は謎めいている。霊魂説を否定したい研究者は、これを「ハイアー・セルフ(高位自我)」として捉えようとするが、これはかなり苦しい解釈である。「偉大な存在者」は、「中間世での記憶を想起している」だけとは言い切れない姿を見せる。クライエントは、「光に包まれた世界でこういう存在にあって、こういうことを言われた」という記憶を報告するだけでなく、実際に中間世の場面から、その存在と話しつつ、そこから得られた情報を口にする状態になることがあるからである。ワイス博士の著作にも「偉大な存在者」が、クライエントの口を借りて、治療者へのメッセージを語る場面もある。すると「偉大な存在者」は記憶の中に出てくるものではなく、現にそこに出現しているものとなる(9)

中間世では別次元に移行している

 すると、前世療法における中間世の状態は特異な意味を持つ。それはクライエントの記憶の報告ではなく、クライエントが、その瞬間、中間世―つまりはこの世を超えた世界に移行し、そこで、この世を超えた世界にいる「偉大な存在者」「守護霊」と直接的なコンタクトをしていることになる。すなわち、前世導入催眠とは、とりわけ、中間世導入催眠とは、「記憶想起」ではなく、現時点的に起こる「霊界との接触」、ある種の「交霊会」と言える。

 クライエントがその状態を、光に包まれた、至福の状態と表現し、ずっと留まりたいとさえ告白し、またその状態に入ること自体が治癒効果を持ち、クライエントの意識の豊かさ、霊的叡智を高めることもそれを促す。前世療法の顕著な治療効果は、そこに由来するのではあるまいか(9)

生まれ変わるのは学びのため

 キュブラー=ロスは、スピリチュアリズムにきわめて近い思想を表明してきたが、それ以外の臨死体験研究者は、スピリチュアリズムを無視ないし拒否してきた。けれども、前世療法家たちは、スピリチュアリズムにきわめて近い人間観・霊魂観を展開している。

 ホイットン博士によれば、生まれ変わりの目的は、やりそこなったこと、失敗したことの「負債」を返し、さらなる「学び」をすることだとされている」

 ウィリストン博士も「生まれ変わりは魂の成長と進化のためにあり、人生はそのための学校だ」と述べこう語っている。

「生まれ変わりを進歩そのものだと考えるのは誤りだ。生まれ変わりによって与えられるのは、『進歩の機会』にすぎない。『進歩』が約束されるわけではない」(9)

 人間の魂は死後も存在し続け、人間が現世を生きているのは、霊的な成長・進化を遂げるためである。そして、人間を助け、指導してくれる高位の存在がある。こうした考えは、ほとんどスピリチュアリズムそのものである。中間世は霊界のそのものであり、「偉大な存在」は、明らかに他者で、まさしく「守護霊」「指導霊」そのものである。すなわち、スピリチュアリズムの基本的な考えは、150年前とは姿を変えながらも、今もこの世界に静かに浸透し続けているのである(9)

【引用文献】
(1) J.L.ホイットン他『輪廻転生−驚くべき現代の神話』(1989)人文書院
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社
(3) 飯田史彦『生きがいの想像』(1996)PHP
(4) ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(2001)PHP
(5) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店
(6) ブライアン・L・ワイス『未来世療法』(2005)PHP
(9) 2007年9月5日「死後存続証明の新たな展開――臨死体験と前世療法」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー

ホイットン博士の画像はこのサイトから
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ワイス博士の画像はこのサイトから

 
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2015年08月29日

第40講 人生の目的を探る(5) セックスとカルマB

血の穢れとは何か

 要するに、霊能力を持つ人によれば、金銭をもらって性交渉を行うと相手の霊的な穢れを受けてしまう。さらに、不倫でのセックスを含めた関係には、「血の穢れ」という因縁を作ってしまう(7,9)。不倫の性的関係が「血の穢れ」と言われるのは、血液が汚れるという意味ではない。神道系巫女(霊能者)によれば、「血縁」「親族」である。「親の因縁で…」「家系の因縁で…」というように子や孫、曾孫に悪い霊的縁が結ばれるからである(7,14)。すなわち、普段から悪い人たちとつきあっていると、似たような妖気(悪想念のエネルギー)が集まってくる。そして、その妖気に引き寄せられる「死者の霊」もいて、それが子どもになるために受胎の機会を待っていたりもする。これを「血の穢れ」という(9)

前世があることは事実だ

 子どもが前世の記憶を語る話は事実であり、欧米の精神医学雑誌でも認められている(19)。『前世を記憶する子どもたち(2)ヨーロッパの事例』で、ヴァージニア大学精神科のイアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson, 1918〜2007年)教授は、実際に、前世で殺人を犯したことを記憶していた子どもを例にあげる。その子どもは、前世では富豪の子として殺人を犯したが、警察への賄賂で捕まらずに逃げおおせた。物心がつくと殺人を隠蔽できたことを自慢し得意気に話す高慢な性格だったが、数年後には、この高慢さは消え、独り身の母親の元に産まれた事で、母の世話をする母親想いの青年に育っていたという(20)

カルマの法則で人は転生する

 「カルマの法則」はその元をたどると古代インドの聖典や神話にゆきつく。インドでは「善い行為(カルマ)を積むことで来世では、今よりも善い階級の人物に転生でき」「悪い行為を行えば動物や虫ケラになってしまう」と信じてきた。インドに「輪廻転生やカルマ」の考え方が存在するのは、霊的透視能力が鋭敏な霊能者リシが実際に存在したからである。

 けれども、インドのカルマの法則は、カルマを懲罰的な意味合いで扱っているために誤った部分も見受けられる。20世紀最大のヒーラーといわれる「ダスカロス」ことスティリアノス・アテシュリス(1912〜1995年)や20世紀最大の予言者といわれるエドガー・ケイシー氏(1877〜1945年)は「カルマは懲罰のためにあるものではなく、人間の魂を磨き成長させるために神が計らった「慈悲の法則」、「愛の法則」だと語る。カルマは「魂の性質や能力を円満に育て上げること」、要するに「人格の陶冶」のためにあるのである。前生で殺人を犯した人物の青年の魂の成長も、この「慈悲の法則」を考慮に入れると理解できる(20)

人の性格も前世の体験が影響する

 「生まれかわり」は、それぞれの人間の「心と意識」が起こす「カルマ」によって成り立つ宇宙の摂理である。信じる信じないにかかわらず誰もが必ず体験している。それを忘れているのは、その方が万人にとって都合がよいためだけである。

 例えば、産まれた時から前世で殺人を犯して自殺した事を記憶していたら、その人物は正常な発達ができるだろうか。また直ぐに自殺してしまうかもしれない。けれども、人の「人格・性格・嗜好」の傾向も、何度も何度も生死を繰り返した経験によって「過去のカルマの総計」に成り立っている(20)

 数多くの霊視(過去生リーディング)の結果から、不健全な霊的修行を行った前世の結果が今生に影響を及ぼすこともわかっている。一例をあげれば、ある医師は口下手で人と打ち解けて話せない短所があった。霊視によれば彼は前世ではクエーカー教徒であり、「沈黙の行」を行った霊的修行を行った結果が現世に影響を与えていたという(21)

「魂の縁」とは「奇妙」なものだ。『前世を記憶する子どもたち』によれば、次のように生前に、ある人の子どもとして生まれ変わりを願っていた人が、その人のもとに転生した記録が残されている。

「マウン・ミント・ティンは、アルコール依存症だった前世を記憶していたビルマの子どもだが、本人自身も小さい頃にしきりに酒類を欲しがった。その母親は、息子の前世の人格と目される男性に地酒を飲ませて感謝されていた」

「インドの農民ジュギ・ラルは、死んだ時に、その穀物卸商の家族の中に生まれ変わりたいと思ったことを記憶していた」(19)

カルマの法則では自分の魂に沿った仕事を選ぶべき

 輪廻転生やカルマの考えに立脚すれば、職業を選ぶとき、自分が前生で身につけて来た特技を考えることが必要となる。例えば、ピアノに秀でた才能を持つ神童は、過去生で何度も何度も音楽的な才能を伸ばすことに努力した人なのである。もし、職業を選ぶとき金銭を考えずに仕事を選ぶことができれば、あなたは何を選ぶだろうか。自分の才能を開花させ、最も興味がある方向に進むことがよいに違いない。自分の魂に沿った職業を見い出して、転職することは、技能の面からも霊的な魂の学びからも望ましいのである。本来の魂が欲している仕事を見つけ、金銭目的ではなく行為によって世の中に貢献すること。この事をヨーガでは「カルマ・ヨーガ」という(20)

セックスの波動を受けて子どもたちは生まれてくる

 さて、性行為でお金を頂いている女子たちは、売春をした相手があなた自身の赤ちゃんとして産まれてきたら嬉しいだろうか。これは、実際に起こりうる(19)。さて、良い意味でも悪い意味でもカルマを解消するために子どもは生まれてくる(13)

 夫婦間の性行為は共に生きる共生相手だから、互いのカルマの解消にも役立つが、売春・買春では話が違ってくる。セックスしている時は生まれたい霊たちがカップル間のカルマに見合った霊たちが寄ってくる。色情霊も寄ってくる(17)。すなわち、産まれてきたい魂はどこにもいる(6)。セックスを行っている男女の「陽」と「陰」の「波動」「気」「オーラ」の共鳴は宇宙に一つの輝きとして現れる。その「波動の輝き」は人間になりたい魂たちに伝わる。その輝きを目指して魂たちが宿りにくる。光り輝く者には「この二人の間に生まれれば俺もやり直せるんじゃないだろうか」と更生を願う魂がやってくる。一方、怪しく光る者たちへは「私が行って、この人を救ってあげよう」と救世を願う魂がやってくる(2)

 例えば、霊能者ダスカロスは「エレメンタル」の話から、似た想念の魂を招くと指摘し、インドの霊能者ヨガナンダは「ヨガナンダとの対話」でこうアドバイスしている。

「霊的な子どもが欲しいのであれば、両親は肉体的結合を果たすとき、その意識を高く保っていることが重要です。というのは、そのときの波動が、アストラル界での火花の質を決定するからです」(p.106〜107)

 そして、瞑想は想念のバリアーを形成する助けになる。不純な想いを持った魂の受胎を妨げる効果がある。そのため、これから妊娠して子どもを授かりたいと願っている女性は、できるだけ日々善性の想念を保ち「邪な魂」が受胎しないように気をつけるべきなのである(19)

 結婚した男女は、子どもを授かるための「神聖なセックス」を行うパートナーとなるのである。したがって、その手助けをできるのにしない「富裕な自分勝手なカップル」は、祖霊たちにも申し訳ない罪だといえる。だから、善気(エレメンタル)がある神棚のある部屋で良いセックスを行おう。神さまはとても喜ぶはずだ。そして、祖霊や子どもたち、誰に見られていても恥ずかしくないセックスをすべきなのである(6)

レイプされた場合も高次元の意識に記憶が残る

 女性が無理矢理、性的な関係を持たされた時にも霊的な「縁」はできてしまう(13)。「昏睡させられレイプされたら覚えていないし関係ないのではないか」と思われるかもしれないが、そうではない。

 意識には「低次元の私」と「高次元の私」の二つの意識がある。高い意識層には、今まで行った自分の行為や想念(善行、悪行、道徳的、非道徳的な行い)の全てが蓄積されている。たとえ、「低次元の私」の意識が泥酔している時にレイプされても「高次元の私」はそれを観察・記録している。

 この「低次元の私」の肉体が死を向かえて「高次元の私」の元へ帰るとき「低次元の私」は、「高次元の私」の下で今までの記録を見せられる。「低次元の私」は、「高次元の人格的な人間性」を求めて、人格的、知性的、道徳的に足りない部分を補うことを希望する。こうして人は「転生」する。 したがって、泥酔して意識を失っている時に行われたレイプも、その後のトラウマになる可能性があるのである(14)

 女性が心的に憔悴してしまうのは、加害者の男性の想念体が付着したためともいえる。けれども、その女性を救う善良な家族や男性パートナーがいれば、そうした悪い想念体は加害者に返上できる。返されたレイプの加害者は、相当な「負のカルマを積んだ」ことになる(13)

ヒーリングで宿命を変えるというのはペテンである

 カルマの法則からすれば、生まれ持っての個性・性格や能力、生まれる国や地域・家族等、「宿命」は変えられない。一人ひとりは、現実世界に生まれて来た時点で、その人の「宿命」に沿った時空間を生きることになる。「占星術」を使って誕生日を調べることで、その人の個性や「人生のサイクル」や「転機」などが、ある程度わかるのはこのためである(12)

 ヒーリングを受けたり、クリスタルを身につけたり、霊能者が念をこめた腕輪をしても、問題は解消されない。「私は霊が見えるから、色情霊を除霊してあげるよう」「私は、かなり修行をつんだ霊能者(神父や聖者)だから、私とセックスすればカルマの解消、ヒーリングになる」。スピリチュアル詐欺師のセックス・性的強要。これらは、「まやかし」である(12)

感謝の想念でカルマを解消する

 けれども、個性を開花させる選択「運命」は変えられる(12)。ダスカロスは「悔い改め」を行うことで、このカルマの解消ができるとした(16)。では、その悪い運命を少しでも変えるにはどうするのか。

昔の花魁は風俗嬢とは違っていた

 江戸時代の遊郭で仕事をしていた花魁は、現在の性風俗嬢とは全くイメージが異なっていて、芸事、教養、仕草、性戯とすべての面で男性の高嶺の華のような女性だったらしい。女性たちは、男性を心も身体も充分に満足させてあげるために、自分が絶頂を迎えないような練習と集中力を鍛えていたという(19)

健全な気を浴びる

 早朝午前6時頃に起床して朝日を浴びる。できるかぎり「プラスの気」を取り入れる。そして、沐浴をする。バスルームで水のシャワーでも構わない。それが神道でいう「禊(みそぎ)」、キリスト教的にいえばヨハネがイエスにした「水による洗礼」である(3)

良い人とつきあい、良い想念を抱く

 「セックスしたい!」「女の裸がみたい!」として亡くなっていった色情霊たちは沢山いる。汚い場所には、危ない霊たち(エレメンタル)が居つく。性を遊びや金儲けに使ったりすると「魔」に喰われてしまう。この「魔」を呼ぶのは自分の想念である。できるだけ良い想念を抱いて生きていけば、こういった事態に陥らないですむ。そのためには、良い本を読み、良い人とつきあうことだ(3)

ヨガと瞑想で女性は輝く

 今まで愚かだった自分が招いた原因をすっぱりと断つ解決法のひとつが「スピリチュアル・フィットネス」である。エネルギーを消費する激しいスポーツとは違って、ヨガ・真向法・チベット体操、瞑想(ヴィパッサナー、マインドフルネス)、坐禅は、霊的エネルギーを自分でコントロールすることに重点を置いた「スピリチュアルなフィットネス」である。ヨガや瞑想をしている女性たちが、売春や性風俗、AV女優として働いている女性たちに比べて内面から美しく見えるのは、こうしたフィットネスを行っているからである。

 坐禅は霊(想念体)を凌駕する。ヨガや坐禅を行って精神的な強さを身につければ、悪霊と呼ばれる想念体(エレメンタル)たちも太刀打ちできず去ってゆく(12)

 そこで、性風俗で働いていた女性や売春(援交女性)をしていた女性が光り輝く道、新しい人生を歩み出すキッカケとして、ヨガや瞑想(坐禅)を行うことをおすすめする。スピリチュアル・フィットネスをすることで知らずしらずに内面の輝きが増し、善なるプラーナが身体を包み込んでゆくであろう(12)

 霊的な理論によれば、瞑想では、霊的なエネルギーであるエレメンタルを世界に放出して、自己だけでなく他者にも影響を与える事が求められるが、まずは、より良く生きるための洞察力を得るために「想念を整える」手段と考えればいい(22)。ただし、テレビや雑誌が紹介する生半可な「ツキを呼ぶ瞑想」等は、危ない霊を呼ぶことにつながる。俗な瞑想なので悪霊しか寄ってこない。幸せが何なのかを自覚しなければならないフランス人仏教僧リカール氏の『Happiness幸福の探求』は「ツキ」や「本当の幸せ」とは何かをわかりやすく書いている(17)

神様にお祈りする

 光の先へとゆけない霊たちは自縛霊になっている場合が多い。そこで、自分だけが救われるのを願うのではなく、そうした色情霊たちも欲情をなくして一緒に救われるように祈ることである。神様に熱心にお祈りをするようになると、憑いていた霊たちも救われるようになる。もし改心できる霊があれば、憑いた人の心と一緒に浄化されてゆく。

 自分の方も現実世界でイキイキと生きられるようになるし、憑いた霊も救われる。人助けをしたことにもなる。こうしてカルマの解消をしてゆけば、自分で作りだしたカルマも解消できて「今を精一杯に生きる」ことが出来るようになっていく。「精一杯に生きて」、神様の方を向いて生きることができるようになれば、自然と善い補助の守護霊たちが勝手にあいの手を差し伸べて来てくれる。「神聖なる法則の計画」に合うような生き方ができるようになる(17)

感謝して生きることで運命を上向きにする

 昔の日本で、売春婦の女性たちが尼僧として尼寺へ行くことを志願したのも、この世での汚れを洗い清めるための道を選んだからだといえる(15)。男性たちの“ゴミのような性欲エネルギーの穢れを解消するには、感謝のエネルギー体(想念体)を頂けるような仕事や活動を行うことが一番いい(16)。すなわち、性的な邪の想念体を凌駕するのは、無垢でピュアな人たちが発する「ありがとう」という想念体なのである(15,16)

 神道巫女や伊勢白山道も「心の勉強」「感謝」が必要だと述べている。無理せずにできる「心の勉強」と「自分や家族」、「神様」、そして、「祖霊」への感謝によって、まず自分の運命を上向きにする(7)

 イエスは娼婦と言われるマグダラのマリアの家に泊まった。その後、マグダラのマリアはイエスが処刑されるまで付き添ったといわれている。イエスからは、それほど慈悲のあるオーラがでていた。そのポジティブなオーラを受けたマリアも自らが輝かずにはいられなかったのである(3)

内なる声に耳を傾ける

 思考は、「想念体」、「想念形態」、「エレメンタル」、「気魂」と呼ばれる目に見えない半物質として「意識」や「深層意識」、そして、さらに深い「超意識(Super Consciousness)」(過去世の意識が蓄積されている魂の層=スカロスは「永遠のパーソナリティー」という言葉で表現)に蓄積されて影響を及ぼす(21)

 霊性の師たちは「自分の思い描く姿」をビジョンを明確に描いて、そこに向けて行動をすることを勧めている。自分の今世を大切にするためには、自分の本当の声を大切にしたい。例えば、快楽的なセックスや性生活に並々ならぬ関心がありながらも、そうなってはいけないという否定を促す「善性の声」が聞こえている人は、その声は過去に犯した過ちを犯してはならないという、あなた自身の声だと思ってほしい。本当の優しさは菩薩のように受け入れる心だけでなく、不動明王のように心を鬼にして突き放すことでもある。

 自分の心に嘘をつけば、その意識は病的な何かを後々残す。本当に幸せだとは言えなくなる。そして、自分が幸せにならないと家族も幸せにできない。まずは、善の声を聴いて大切にしてもらいたい。そして、自分の健康と健全な恋愛ができるように頑張ることだ。木村藤子さんは『神様に愛される生き方・考え方』を書いているが、想いは出会いを作る。自分を内面から磨いてゆけば自然とそういった出会いがある(20)

【引用文献】
(1) 2007年9月20日「スピリチュアルと性欲」スピリチュアルラボ
(2)2008年3月29日「スピリチュアルなセックス」スピリチュアルラボ
(3) 2008年4月5日「霊的に「性風俗」や「援助交際」が危険なわけ」スピリチュアルラボ
(4) 2008年4月19日「スピリチュアルな性教育(マスターベーション)」スピリチュアルラボ
(5) 2008年5月3日「スピリチュアルなセックスの真髄」スピリチュアルラボ
(6) 2008年6月22日「神さまの前でセックス」スピリチュアルラボ
(7)2008年6月24日「売春「性器の取扱注意!」」スピリチュアルラボ
(9) 2008年9月30日「〈風俗〉と〈セックス〉と〈スピリチュアル〉」スピリチュアルラボ
(10) 2008年10月29日「女性の〈オーガズム〉と〈クンダリニー覚醒〉」スピリチュアルラボ
(11) 2008年11月24日「スピリチュアルで見たオナニー、マスターベーションの害」スピリチュアルラボ
(12) 2009年5月4日「霊的に「援交」「性風俗」が超危険でマイナスな理由」スピリチュアルラボ
(13) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「セックス、性的サービス」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(14) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「性風俗」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(15) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「援助交際」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(16) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「ブルセラ」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(17) 2009年9月20 日「性とスピリチュアル(売春や買春でのマイナス面)」スピリチュアルラボ
(18) 2010年2月23 日「素敵なスピリチュアルセックスがしたい」スピリチュアルラボ
(19) 2011年7月30日「スピリチュアル的に売春は“ヤバイ”」スピリチュアルラボ
(21)2012年8月26日「〈セックス〉もたしなむ“スピリチュアル”」スピリチュアルラボ
(22) 2013年1月14日「性風俗と瞑想とセックス【スピリチュアル男女の悩み】」スピリチュアルラボ

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2015年08月28日

第39講 人生の目的を探る(4) 聖なるセックスA

マスターベーションには「罪」はない

 性別に関係なくほとんど誰にでも「性的興味・衝動」はある。清楚な美女も精悍な美男も「マスターベーション」を行ったり異性の身体に興味を持つ(21)
けれども、スピリチュアルに関心を持ち、スピリチュアルとセックスは「相反するもの」と考える人もいる(2)。霊的なことを真面目に探究している方たちは、霊的なことを真面目に探究している人たちは、その一途さのために、こと「性」のことになると極端に嫌悪をしめす傾向がある(5,21))。スピリチュアルな修道男女は、スピリチュアルとセックスとは「相反する行為」だと考え背徳感のような気持ちを抱く(2,22)。けれども、それは誤りである(2)

セックスは背徳ではない:バランスが大事

 霊的な面からは、性教育に嫌悪感を抱いていたり偏見を持っていると、その先へは進めない。マスターベーションが性的な倒錯だと考えると「霊的な精神成長」には望ましくない(4)。ダスカロスは「セックスは適度に行いなさい」とセックスについてバランスの取れた考えを述べている。要するに「中庸」「バランス感覚」が大事だということだ。ケン・ウィルバーの「インテグラル・ライフ・プラクティス」もセックスを含めたバランスのとれた「スピリチュアルな実践生活」の叩き台となる。ウィルバーはダスカロスと異なり霊能者ではないが、現実生活を放棄したり逃避したりする不健全なスピリチュアル思考を痛烈に批判している(21)。セックスがあってもスピリチュアルな生活を送ることは可能である(2)。独身男性も将来的によき伴侶がいて子どもを授かりたいと考えていれば、勃起・射精中枢を衰えさせないためにマスターベーションを行なう必要があるし(22)、霊的な探究をされている若いカップルや夫婦であれば、「セックス」を二人の存在を高め合う一つの実践だととらえることもできる。セックスは「愛の波動を生み出すひとつの行為」なのである(5)

 例えば、マスターベーションを経験したことがない人がいるだろうか。いるとすれば、すでに普通の人とは違う高次なスピリットを持っているか、精神的に何らかの障害を持った人であろう(11)。統計的には、世界の子どもの90%がマスターベーションを経験している。既婚のカップルや老人を含め70%の成人も行っている(4)

 普通は一定の年齢になると、性に興味を持ち、そこから快感を覚えて、それが、マスターベーションにつながる(11)。幼い女の子が突起物等にヴァギナを当てると感覚的に気持ちいいと感じることもあろう。マスターベーションは自然なことであるため、子どもたちは男女関係なく、教えなくとも必ずマスターベーションを行う(4)。マスターベーションをしても「地獄」に落とされることはない。むしろ、下手に我慢をした方が、精神的に不健康なのである(8)

性を抑圧すると内面的に葛藤を産む

 マスターベーションが「罪深く」「罰を受ける」と脅すと内面的な葛藤を産む。セックスのタブーが情緒的な葛藤をひきおこし、その影響で、知的・肉体的活動も混乱する。セックスに関する禁止を強めると、子どもたちは、未成熟で神経症的な状態から抜けられず、猥褻で裏表のある人間になってしまう。そして、遠からず自分や子どもたちの幸せを奪うことにもなる(4)

 知識ばかりを詰め込み頭ばかりが大きくなる。性的倒錯者は、こういう面からも生まれる。さらに、葛藤のせいで、多くの子どもたちは宗教的な信仰を失い、無神論者になったり、自分の内外に指針がないままに混乱したり、あるいは行きあたりばったりとなり、浅薄で不幸な人間になっていく(4)

 子どもがセックスに疑問を持ったときに、例えば「赤ちゃんはどこから来るの?」という疑問を投げかけてきたときに「コウノトリが運んでくる」等と言えば、子どもは感覚的に親が嘘を言っていることを見抜いて、そのことを親に質問しなくなる。信用できない親だと思わせてしまい、一切の性的な質問はしなくなる。そして、誤まった情報源、インターネットや悪友から、わいせつな情報を知ることになる(4)

マスターベーションをしたことがない10%の子どもは、そのほとんどが、その後の人生で、ノイローゼや性的倒錯者になったり、性的不能や不感症に苦しめられているという。「愛」が「偽善」になってしまい「愛」を知らなければ、どうして「愛」を育むことができようか(4)

快楽としてのセックスは犬畜生にも劣る

 けれども、快楽のためのセックスは、「犬畜生にも劣る道」である。セックスは「快楽」や「遊び」のために神様が創った行為ではない。確かに動物は繁殖のために交尾をする。メスは強いオスの遺伝子を遺すためだけに相手を探しセックスをし、オスも自分の遺伝子を遺すためだけにメスを探しセックスをする。けれども、動物等の獣でさえも繁殖一心にセックスを行う。「誰それとのセックスは心地よくない」だの「相性が悪い」だの戯言を言うエゴのセックスはしていない(2)

まずは子どもを作るための人間としてのセックスをしよう

 まずは人間になろう。人間には本能を司る爬虫類脳、感情を司る動物脳、理性を司る人間脳と三つの脳がある。この三つをすべて使いながらセックスをしよう。それが「人の道」である(2)

 セックスのポジティブな面を見てみよう。一人の男性と関係を持つことと、複数の男性と関係を持つことと、どちらに喜びを感じるだろうか。幸せを感じるだろうか。最も大切なことは、したい相手とだけしたいときに行い、求められてもムリな行為はせず、喜びを感じることである(18)。結婚してからセックスをしなければならないという因習に縛られる必要はない。互いに気持ちが、晴れやかな気持ちで嫌な思いをさせない相手であれば婚前であっても関係ない(22)

 セックスは悪いことではない。それどころか、私たちの祖先が連綿と行ってきた「人の道」を歩むキッカケを与える基本である。日本の神社は「セックス」を大切にしている。神社などにある「しめ縄」は、「蛇の交尾」から連想されて作られたシンボルである。子孫繁栄は、共同体社会には最も大切なことである。したがって、セックスを行うことによって祖霊たちが喜び祝福しに来る(6)

 子どもを授かり、その子どもをしっかりと育てることは、神さまから祝福される行為である。生活に余裕があるにも関わらず「子育ては面倒」「子どもなんていらない」「自分たちがワクワクできるいきかたが最高」という生活を決め込むカップルは霊的には罪である。一方、シングルであっても逞しく子育てをされているお父様、お母様方は、祖霊たちも頑張ってサポートしてくれている(6)

相手のことを考えるエゴがないセックスが神への道

 けれども、「子作り」という考えも論外である。「子どもは作るものではなく、神様から授かるもの」だからだ。そこで、人間としてのセックスができるようになったら、「神の道」への歩みが始められる。「相手が心地よい時間を過ごせるようにしよう」「自分は無いのだから」と男女がともに、こうした胸中でセックスを行えたとき「無我のセックス」、すなわち、「スピリチュアルなセックス」が生まれる(2)

聖なるセックスはスローなセックス

 英領ニューギニアのトロブリアンド島民は、文明人のセックスをからかって、男女の観衆の前で、忙しく、落ち着きのない、ぶきっちょうな文明人の愛のテクニックとしてマネしてみせる。

 お客は、この低級なセックスの演劇をおかしがるが、それは俳優たちが誇張しているのだと信じている。彼らの経験によれば、それほど準備不十分で、それほど本番を急いだら、どんなカップルもセックスを楽しむことはできないはずだから。彼らはこんな説明をする。

「一時間たつと祖先の魂が目覚めて二人の結びつきを祝福しにくる」(5,6)

 実際に結合するセックスは普通、5日に一度。4日はしっかりと抱きあって、肌を密着させて眠って性器の接触はしない。セックスをするときには、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。お互いの心と体が緩んでなじんだときに、女性の中に挿入していく。挿入した後は動かずに、じっと抱きあっている。じっくり時間をかけることが、南海諸島の性分化に共通している特徴なのである(5)

 これらトロブリアンド諸島の恋人たちにとって、セックスを長びかすことは義務であり、祖先の霊に対する務めなのである(5,6)

マスターベーションを聖なる儀式として教えるメラネシア文化圏

 裸族(未開人)にとっては、女性の胸、陰門、あるいは男性の陰茎は、エロティックなものではない。そこから子どもが生まれてくる神聖な身体の一部である。性衝動を無理矢理絶つことは、幼稚なスピリチュアルで立ち向かわない「臆病な教え」である。マスターベーションは大人になるための通る道だと子どもたちに自覚させ、その成長を温かく見守り、性の衝動を克服したりコントロールすることが大切だと諭すことが霊的な性教育である(4)

 そして、メラネシアの文化圏では、マスターベーションも「罪悪」や「堕落」とは教えず、「成人になるための儀式」として教える。マスターベーションを「聖なる儀式」だと教育された子どもたちは、嫌悪感による落ち込みといった葛藤に邪魔されることなく、リラックスして、満ちたりた幸福感を味わう。健康で、幸福で、恥ずかしがりやで、人形や遊びに夢中な温かく、無邪気で天真爛漫な子どもとして、朗らかに成長してゆく(4)

 西洋的な教え方からは、この教えが否定されるとしても、世界のどこよりも幸せな愛情生活をメラネシアの人々が送っていることを認めないわけにはいかない(4)

現代のセックス観は西洋近代による洗脳

 今の人たちは、誰からセックスを教わったのだろうか。たいていの男性はアダルトビデオ、女性はレディースコミックではないだろうか。アダルトビデオは「見せること」「欲情させること」に主体をおいて制作されている(6)

 すなわち、米国からのポルノ文化の流入でポルノ映像等に見られるエンターテイメントとしてメディアが作り出した「見せるセックス」の影響が大きい。私たちは、西洋諸国からの近代化、文明化のなかで知らず知らずのうちに洗脳されている(5)。セックスを否定的に考えてしまうのも「洗脳」である(6)。現在の洗脳状態から脱却する必要性がある(5)

磁気の交流としてのセックスを発見したジョン・ノイズ

 19世紀半ばに米国人ジョン・ノイズ(John Humphrey Noyes, 1811〜1886年)は、「カレッツァ(Karezza)」と呼ばれるセックスの技法を発見した。

 ノイズによれば、人間には磁気の力があり、男性器と女性器とを深く静かに結合すると、セックスを通して相手の体に流れるという。ノイズによれば、セックスの目的は、互いの性器を通じて磁気の交流がなされることである。それがなされれば、男女ともに性感がとても高まり、これまで味わったことがない、深く豊かな喜びに満たされるという(5)

アーバンの理論ではセックスはオーラーの交流である

 この理論を発展・研究したのが、米国人の精神科の医師、ルドルフ・フォン・アーバン(Rudolf von Urbantschitsch,1879〜1964年)である(5)

 アーバンは、相思相愛で結婚した二人がベッドに裸になって、強く抱擁しあい、愛撫しあったままなにもしないで一時間過ごし、真っ暗な部屋で二人が体を離すと(5)、妻の体から緑がかかった青い光に包まれ超越的な歓びがもたらされた事例をあげている(5, 23p133)

 イギリスの詩人、ピーター・レッドグローヴもつぎの例をあげる。

「横で眠っている妻が彼の中に浸透し、あたかも二つの身体がひとつに溶け合ったように感じた。部屋が金色の細い糸でいっぱいになっていた」(23p134)

 アーバンはいくつかの実験を行い「長時間、体を密着させておくだけでも、心の安らぎや満足感が得られる。前戯を行わず、いきなり性器の挿入をした場合、女性の体から発光現象が起きず、お互いに満足感はなかった」という結論を得る。この考え方は、「セックスの性愛機能ないし磁気機能は生殖機能とは分離されうる」というノイズのカレッツァ理論と一致した。このため、アーバンはキリスト教文化の影響を受けていないいくつかの未開の部族の性習慣を調査した。とりわけ、アーバンが興味を注いだのは、ポリネシア人のセックスであった(5)

ポリネシア人は現代の摩擦によるセックスを幼稚なセックスを見なす

 「宇宙は波動で満ちている」と言われているが、粗雑な物質世界(Gross Material World)では「摩擦」「波動」が鍵となる。セックス、オナニー、性風俗店でのボディマッサージ等の「性的な行為のほとんどすべて」には、摩擦がつきものである。例えば、女性がオナニーするときには、バイブレーターやローターなどの超振動を起こすような機械器具を性器に当てて快感を得る。性風俗店での男性の場合でも、手で性器をこすったり、女性が男性の身体に自分の身体(口など)を使ってこすり付けてマッサージをする。ほとんど、すべてが摩擦である(14)

 このように、現在、知られているセックスは、性器を激しくこすり合う「ペニスとヴァギナを用いたマスターベーション」にすぎない。動物と同じ「交尾」で「アニマルセックス」ともいえる(5,6)

 ところが、ポリネシア人たちは、ピストン摩擦、振動のセックスを馬鹿にする。その行為が動物的で、人のセックス(ポリネシアン・セックス)ではないからである。そして、研究者たちの報告から、ポリネシアの人たちが、ほとんど摩擦なしにオーガズムを体感して夫婦生活を満喫していることが、明らかになっている(12)

 メラネシアの人々も、性的に正しく成熟できていない子どもは、愛の達人になれないと考える。例えば、女性の場合では、膣で感じるのが大人の感覚であり、クリトリスで感じる快感は未熟である。そこで、この感覚を捨てきれず、パートナーとの性交で解放感のあるオーガズムを得られない少女は、欠陥があるとみなされて結婚できない(4)

 ポリネシアの島々の人たちは、クリトリスの刺激によるオーガズムを「悪魔との交わり」と感じ、優しく静かなオーガズムを得るために、そこへの愛撫は一切行わない。すなわち、ヴァギナで感じることを知らないクリトリス・オーガズムは強く否定され、男性も愛撫の際に女性のクリトリスを一切刺激してはいけない。そのオーガズムは幼稚なもので、大人の女性ならば卒業しなければならないし、クリトリスを刺激してくるような男性に逢ったら、その低俗な男性から離れ結婚せず、セックスをしないことも大切だという(5)

 また、激しい摩擦(ピストン運動)でしか射精できない男性は一種の「不能」で(6)、ペニスだけの摩擦を行う男性も同じく離れた方よいとされる(5)。女性の膣内で摩擦もせずに一時間以上勃起を保てるようでなければならない(6)

ポリネシア人は身体のふれあいを大切にする

 ポリネシア人はセックスに限らず、肉体的な接触をとても大切にする民族である。例えば、母親は赤ちゃんを裸の背中に乗せて仕事を行う。また、子どもをなだめるために、母親がその子の背中を長い間さすって、気を静める習慣がある(5)。育児では、赤ちゃんをずっと抱っこして育てると、精神面がよく発達することが最近の研究でわかってきているが、これは、母親の霊的エネルギーを赤ん坊は沢山受けられるからである(13)。母親が子どもを抱っこすると、抱かれた子どもはその「補い合い」を心と身体で受ける(3)。子どもは密着した母親の体から伝わる「気」によって、緊張感が和らぎ、安心して機嫌よくスヤスヤ眠れるのである(5)

古代日本人のまぐあい

 このメラネシアの考え方は、日本の先住民やアメリカ先住民の教えに近い。そのうえ、古代中国やインド、ギリシャ西洋文明でも、マスターベーションには「神聖な役割」が与えられてきた(4)

 ポリネシアのセックス文化は、私たちの祖先である日本先住民の間にもあった。縄文時代や弥生時代の日本人はポリネシア人のように「おおらか」で「おひとよし」な民族だった(5)。例えば、いにしえの日本人はセックスのことを「まぐわい」と呼んでいた。「まぐわい」とは「目を見合わせて愛情を通わせること」を意味する(5,6)。すなわち、目を見合わせて愛情を通わしながら、お互いに身体を接触させ性器でつながることなのである(6)

優しく静かなセックス=エネルギーの交流

 互いの体にふれて、愛撫を繰り返すうちに、相手の体から生体電子(気、霊気、プラーナ、エーテル・バイタリティー、オド、オルゴン等)が流れ出て、それが性器を通じて交流する。生体電子の交流がうまく流れ始めると、幸福感で満たされた結婚生活が送れる。それは男女の体から発する生体電子を「陰」と「陽」の交流と考えることもできるからである。一方、摩擦やバイブレーションは低次元で「気」の流れがない(5)

 このことからすると、毎晩眼を閉じてお互いに両手をつなぎ数分間、静かに瞑想したり、ベッドに寝ながら抱き合っているだけで、互いの霊的エネルギーの共鳴が高められ、夫婦の霊的絆が深まることがわかる。この方法は現代社会の日本で疲れている夫婦間では有効的な方法であろう(13)

プラトンは愛のスピリチュアルなセックスを知っていた

 ギリシャの哲学者プラトンも、この射精やオーガズムとは別のセックス、愛の関係のことを深く知っていたらしい。愛の性質についてのプラトンの対話篇『餐宴』はこう書く。

「わたしの考えでは人類はぜんぜん『愛』の力の理解が行きわたっておらず、愛神(エロス)をおがむために立派な神殿や祭壇をつくったり大きな儀式をしたりはしない。愛神は、ほかのどの神にもまして、崇拝と名誉に値するのに、彼はいまだにぜんぜんかえりみられていない。

 とにかく『愛』は、すべての神々のなかでも最も人間の味方であり、傷をいやす医者であり、彼の治療こそ人類にあたえられる最大の幸福であろう。

 はげしく……愛と欲求にうたれると……一瞬、自分でもわからない何かを互いに求めあう。それはたんなる性交の感覚的よろこびを求めて二人がそのように真剣に献身しあうのではなく、あきらかに互いの魂が渇望しあうのは、言葉ではいうことのできない何かを求めてなのである」

 プラトンの言う「これ以外のなにものか」は、いわゆる「精神的な愛」として多くの人々が理解するプラトンの愛ではない。インスタント・セックス、即時的な売春婦とのセックスや遊戯感覚でのセックスでは、到底行き着けない霊的なセックス、スピリチュアルなセックスの真髄であろう(5)

空海も愛のスピリチュアル・セックスについて述べている

「セックスにも神霊が宿る」ことを空海も理解していたのかもしれない。空海は、人間のセックスをひとつの経、「理趣経」として整理した。それは、今でも真言宗や真言密教の一日の務めの始まりの大切な経として唱えられている(5)

セックスは祖霊が歓ぶ聖なる行為

 この愛撫、前戯、挿入、結合の間で男女が何を行っているのかの深くまで探ってゆけば、「愛情」という感情が織りなす霊的実践がその先にあることがわかる。男性は深層で自分の体と女性の体に意識を向け、女性も自分の体で男性の体に意識を向ける。この行為は多くの霊的な実践法である瞑想や気功等のワークと符合する。瞑想は「集中する」というよりも、「意識を向ける」と言った方が真を得ている。仏陀が行ったとされる瞑想法も、「息」や「歩行」に意識を向ける等、そのワークを伝える(5)。そして、本当に集中してセックスが行われた場合、男女の脳内では深い瞑想中と同じような脳波が出ている(22)

聖なるセックスでは女性は菩薩となり神と交わる

 即時的なチャネリングを行うチャネラー(霊媒)たちが伝えるメッセージは低次元の世界からのものである。一方、日本では神霊からの神託を得るため、巫女たちは、食べ物を断ち、一昼夜待ち、明け方になって神託を得る神聖なるチャネリングをしてきた(5)。正統で正しい道をゆく霊能者の女性は、処女であるか、結婚した男性以外とは肉体関係にはならないし、無暗に淫らな行為として男性器にふれることもない。巫女が不特定多数の男性と性的な関係を持たないのは、道徳面だけでなく霊的に受ける「霊的縁」を「穢れ」とし、誰かのカルマを自分が肩代わりしてしまうことを避けているからである(13)

オーガニズム=クンダリニー覚醒

 セックスは本当の意味で「神降し」「神霊との交わり」である。女性を依り代(よりしろ)に見たてた神聖な行為である。優しく静かなオーガズムを迎えた女性の表情は菩薩のようなものに変わる。それは「神霊との交わり」であろう。高い世界からもたらされるメッセージと高次元でのオーガズムは同じなのであろう(5)

 確かに、女性のオーガズムは、スピリチュアルとは関係がある。神秘家たちのほとんどは男性だが、「神との一体化」と言われる「クンダリニー覚醒」といわれる状態も、女性のオーガズムを男性が体感したもので、女性が経験するオーガズムを目指していたのではないだろうか。例えば、女性がオーガズムを感じた時には、マラソン等のいわゆるランニングハイで認められるシータ波が観測される。女性はオーガズムに達しているとき、脳全体がシータ波を発し、男性に比べても10倍近くに及んでいる。シータ波が快感の尺度だとすれば、女性は男性とは比べようにならないほどの快感を味わっていることになる。

 そして、女性がオーガズムを感じた瞬間の状態は「クンダリニー」に似ている。例えば、眼球はふだん必ず動いているが、オーガズムに達したとき、わずか数秒だけ、眼球の動きがとまり、放心状態となる。エクスタシーの瞬間には1、2秒だが呼吸も止まる。そして、オーガズムに達するときには体全体が熱くなり汗をかく。これは、性中枢が視床下部にあり、発汗中枢が近いためであり、セックスもスポーツと同じ運動だからかくのではない。そして、エクスタシーの直前に女性の筋肉は急に緊張し、その後にエクスタシーに入と緊張が緩み脱力状態となる。この瞬間には、緊張がとれて放心状態となっている。こうした特徴のほとんどが、クンダリニー覚醒といわれているものとほぼ同じである。このことからすると、女性は、いつでもクンダリニーを模擬体験していることになる(10)

【引用文献】
(1) 2007年9月20日「スピリチュアルと性欲」スピリチュアルラボ
(2)2008年3月29日「スピリチュアルなセックス」スピリチュアルラボ
(3) 2008年4月5日「霊的に「性風俗」や「援助交際」が危険なわけ」スピリチュアルラボ
(4) 2008年4月19日「スピリチュアルな性教育(マスターベーション)」スピリチュアルラボ
(5) 2008年5月3日「スピリチュアルなセックスの真髄」スピリチュアルラボ
(6) 2008年6月22日「神さまの前でセックス」スピリチュアルラボ
(7)2008年6月24日「売春「性器の取扱注意!」」スピリチュアルラボ
(9) 2008年9月30日「〈風俗〉と〈セックス〉と〈スピリチュアル〉」スピリチュアルラボ
(10) 2008年10月29日「女性の〈オーガズム〉と〈クンダリニー覚醒〉」スピリチュアルラボ
(11) 2008年11月24日「スピリチュアルで見たオナニー、マスターベーションの害」スピリチュアルラボ
(12) 2009年5月4日「霊的に「援交」「性風俗」が超危険でマイナスな理由」スピリチュアルラボ
(13) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「セックス、性的サービス」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(14) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「性風俗」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(15) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「援助交際」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(16) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「ブルセラ」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(17) 2009年9月20 日「性とスピリチュアル(売春や買春でのマイナス面)」スピリチュアルラボ
(18) 2010年2月23 日「素敵なスピリチュアルセックスがしたい」スピリチュアルラボ
(19) 2011年7月30日「スピリチュアル的に売春は“ヤバイ”」スピリチュアルラボ
(21)2012年8月26日「〈セックス〉もたしなむ“スピリチュアル”」スピリチュアルラボ
(22) 2013年1月14日「性風俗と瞑想とセックス【スピリチュアル男女の悩み】」スピリチュアルラボ
(23) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店
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2015年08月27日

第38講 人生の目的を探る(3) セックス依存症@

はじめに

 スピリチュアルと性の関係について「TeruSun」氏がブログ、「スピリチュアルラボ: 今を精一杯に生きること」に優れた記事を書いているので、これを再編集してみた。3回にわけて紹介したい。

 第37講 人生の目的を探る(2) 生まれ変わりで、イアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson, 1918〜2007年)教授の生まれ変わりの研究によって、輪廻転生が事実であることについて述べたが、であるとすれば、必然的に、それは、人間の誕生、受精、すなわち、セックスの問題につながるからである。

セックス依存症がなぜ危険なのか

 売春や下着売買(ブルセラ)等の性的サービスは、「負のカルマ」としてマイナスな影響を与え、「善い運命」を確実に枯らす(13,14,15)。なにより、不特定多数とのセックスは、性病の原因となる。近年、日本で急激に若者のエイズや性病が増えているのは、フリーセックス、援交、性風俗等の影響が大きい。けれども、問題はそれだけではない(13)

 麻薬常習者は快感のために麻薬を使い短い快感を味わうが、短い快楽の後には破滅的な精神状態が訪れる。心も身体(脳神経)もボロボロとなって廃人となる。性的な快楽も「霊的エネルギー」が脊髄、脳幹を伝って脳自体に流れることによるもので、麻薬と同じ効果を持つ。このオーガズムもいちどハマってしまうと快感を味わいたい欲求が止められず、霊的エネルギーを消費する。軽い症状が悪化して「セックス依存症」となれば、快楽のためにセックスを行って望まない妊娠をしてしまう可能性もある(12)

スピリチュアルな叡智は性欲に溺れることを禁じている

 38daskalos.jpgスピリチュアルな叡智はどれも性欲を否定しない。けれども、同時に「性欲に溺れてはいけない」と教えている。伝説的なスピリチュアル・ヒーラーであったダルカロスことスティリアノス・アテシュリス(Stylianos Atteshlis, 1912〜1995年)は、『エソテリック・プラクティス』(p105)で、こうアドバイスする。

「生殖器官は、適切な年齢・状況において、適切な時に使われるべきものだ。この物質界において生命を永続させるための聖霊的な器官だから、誤った使い方をしないように注意しよう。これらの天の恵みには、それぞれ対応するエネルギー・センターがある。これらのエーテル・センター(ETHERIC CENTERS )、あるいはサイコ・ノエティカル・センターは、東洋ではチャクラと呼ばれている」(1,11)

チャクラは存在し、そのバランスが崩れると異常をきたす

 科学的にはトンデモと思われるかもしれないが、目には見えない「想念のエネルギー(エレメンタル、想念体)」は実際にある(9)。「チャクラ(エーテル・センター)」もフィクションではない。頭のチャクラ(サハスラーラ)、ハート・チャクラ(アナーハタ)、太陽神経叢のチャクラ(マニプーラ)の三つが重要で、意識を向けて、集中し「気持ちいい」と感じることは、その部分に関係する「チャクラ(エーテル・センター)」を開くことになる(1)

 「生殖器」の付近にある一番下部の「ムーラダーラ・チャクラ」(エネルギー・センター)が作りだすエネルギーは、子どもを育む「神聖な生命エネルギー」である。このチャクラは「赤色」や「オレンジ色」で、「生きるために必要な活動的なエネルギー」を作り出している(17)。マスターベーションは、このムーラダーラ・チャクラを敏感にさせ、それによって消費されるエーテル・バイタリティーが強烈な快感を脳に流す。このため、マスターベーションは脳内麻薬のようなものとなる。この脳内麻薬を一度経験すると、その快感は勉強するよりも快感になってしまい学習に向ける意欲が落ちてしまうこともある。「オナニーをすると馬鹿になる」というのも、あながち嘘ではない。すなわち、「集中力低下」「学習意欲低下」「異性との性衝動」が児童のマスターベーションの弊害である(11)

 「セックス依存症」は本当にある(5)。「マスターベーション」は、年齢が低ければ低いほど常習性が高まり、依存性となる危険性があるが、女性の方が男性よりも10倍もセックスの快感が強烈なので常習性は高まるかもしれない。事実、多くのAV女優は、幼稚園くらいの低年齢で快感を覚える傾向がある(11)

愛欲は想念(生霊)を作り出す

 貞操は道徳面からだけ重要なわけではない(16)。それは、セックスが肉体的面だけでなく、男女の霊的エネルギー(オーラ等)を混ぜ合わせる行為だからである(13)。男女間の「愛欲」は、強力な生霊(活発な想念体)を作り出す(16)。ダスカロスの教えによれば、人は、オナニーによってもエレメンタル(想念物質)を創り出している。イメージを創造するプロセス、エレメンタルは、サイコ‐ノエティカルへと送り出されている。このため、そうしたものが自分の身(魂=意識)の周りに漂う(11)。したがって、性的関係を持った男女は、良縁であれ悪縁であれ、無意識に強い霊的な「想念体(霊的エネルギー体、エレメンタル)」の縁ができる(13)

マネーでセックスをすると悪霊に取り付かれる

 現在は、携帯やインターネットで誰でも買春や売春をできる状態になっている。このため、「色欲」への執着が強いいわゆる「色情霊」のような自縛霊の活動がしやすい世の中になっている。少しでもモノ、ファッション、遊ぶ金への欲望があるとそうした心の隙間を狙って悪霊たちが寄ってきて、ことがうまく運ぶように仕組んだりもする。偶然にしては出来すぎ売春相手から連絡があったりするのは、「色情霊」の招き、そうしたエレメンタルの群れの行いであろう(17)

 そして、心に耐性がない女性が、セックス産業の従事者として、不潔で嫌いな男性と関係を持っていれば、遅かれ早かれ深層の心理的に心が壊れる(18,22)。そして、心の深層、無意識にたまった嫌悪感や罪悪感が性器や乳房等の病気や癌となって現われることもある(18)

 医学的なエビデンス証拠はないが(18)、ダスカロス、ヨガナンダ師、本山博氏等の霊能力者の霊眼から見れば、「類は友をよぶ」であり、霊たちにエネルギーをわけ与えていたことがわかる(17)。マネーのために身体を売る行為が危険なのはこのためでもある(18)。そうした女性はセックスワークで霊的に精神をヤラれたとも言える(22)

売春をすると目に見えない「気」が枯れる

 目に見えないエネルギーを扱う能力者たち、霊能者、鍼灸師、気功家等は、「女性の霊的エネルギーが子宮周辺にあり、援交や性風俗サービス等は、その霊的エネルギーを無駄使いする」と語る(12)

 情霊たちの食べ物はこのエネルギーである。霊界で苦しんでいる霊は、人間に取り憑けば、その人間から気や霊的エネルギーを吸収できるため、同じような心の状態のチャクラが動き、互いの霊的エネルギーの共鳴している場合に自然に憑依してしまう。セックスをするということは、その部分のエネルギーを霊たちとシェアしていることになる(17)

 霊的エネルギーのムダな消費行動(援交、性風俗業)は、人生に倦怠感や無気力感を引き起こし、顔相(人相)にも霊的エネルギー不足がでてくる(12)。「気功師」や「ヒーラー」が気功療法で患者の「何か」を受けてドッと疲れてしまうことを神道では「気枯れる(けがれる)」というが、これと同じである(3,17)。ちなみに、ヒーラーも自分のエネルギーを「ヒーリング」「心霊手術」で他人に送っているため、本当の選ばれた人以外でなければ、寿命(命の砂時計)を削ることになる(17)

 その生命エネルギーが枯渇してくると生きる気力がなくなってくる。実際、死期が迫っている人は、このオーラが「黒色」となってエネルギーがほとんど枯渇している。そして、生殖器の病気の症状が起き、最悪のケースでは自殺をしてしまう(17)

性欲のオーラーは性欲の鬼畜を引き寄せる

 また、売春や性風俗等で働く性風俗嬢や援交女性たちは、不特定多数の見知らぬ男性との霊的な強い「縁」、俗悪なエネルギー(霊的エネルギー)や波動を一身に受け、性器や下腹部を通して身体に流していることになる(15)。たとえ、コンドームを使って精液を防いでも、目には見えない「霊的エネルギー体」が、意識の根源に残る(16)。「an・an」等の女性たちのセックス体験談には「昨夜の不倫相手とのセックスで今朝は頭がボーっとする」というようなものが書かれている。これも「想念体」が強力に女性にまとわりついている証拠である。この想念体を消すことは、ほぼ確実にできない(14)

 肉体(生殖器官の性器内部や表面)を使ったセックスやボディマッサージは、肉体に対応したエネルギー・センター(チャクラ)に影響を及ぼす(12,13)。「良き者」、「悪しき者」の選り分けもできないまま、エーテル・バイタリティーだけでなく、いろいろなエレメンタルのチャクラへの進入も許してしてしまう。すなわち、性欲に関係する部分は、外面的な性病だけでなく内面的な身体の内部に異常を来たす原因ともなる(1)。自分よりも相手が低い霊的エネルギー体(想念体、プラーナ、エレメンタル、気魂等)を持っていると、その影響を知らずに吸収し、感情面、肉体面、霊的側面での統制、人格的なバランスが崩れる(13)

 神様からもらった「光り輝く気」を暗くするのが「気を枯らせてしまう行為」であれば、その身を暗い気で包みこんでしまうのが「つみ(包む身)」と言われる(3)

きれいなオーラーの女性も汚されていく

 すなわち、性風俗で働くことや遊ぶこと、援助交際やオーラルセックスが、いけないのは、人間が霊的な存在で、無意識に相手に「波動」や「オーラ」、「気」などと呼ばれている影響を与えるからである(3)。このオーラは、「女に性欲処理を望む男性」「女性をセックスの道具としか見ない男性」「性欲が満たされない欲求不満の男性」を引き寄せるオーラになる(15)

 もちろん、援交や性風俗で働いている女性たちにもキレイなオーラの持ち主はいる。けれども、こうしたキレイなオーラは「性的サービス」や「自堕落なセックス」で汚されていく(13)。女性は誰もが「慈愛」を持ち合わせている。けれども、マネーをもらって行為をすれば、その相手の「何か」も受け入れることになる(3)。そして、性風俗嬢や援助交際を何年もしていれば、性を仕事にする女性特有の「ゴミ溜めのような性エネルギーの想念(オーラ)を放ち始める(12,15)

性欲のオーラーは性欲の鬼畜を引き寄せる

 このオーラは、「女に性欲処理を望む男性」「女性をセックスの道具としか見ない男性」「性欲が満たされない欲求不満の男性」を引き寄せるオーラになる(15)。自分よりも相手が低い霊的エネルギー体(想念体、プラーナ、エレメンタル、気魂等)を持っていると、その影響を知らずに吸収し、感情面、肉体面、霊的側面での統制、人格的なバランスが崩れる(13)

「写真を見ただけで欲情してくる」。そうした「色気」のオーラーをまとう女性には、それに見合った男たち、性欲の鬼畜が引き寄せられる(15)

悪魔に憑依されているようなセックス依存症の女優

 あるアダルト・ビデオを見ているなかで、とても恐ろしい思いをしたことがある。ある女優が、相手のプロの男優とのセックスの最中に、男優が物怖じするほど恐ろしい「唸り声のような喘ぎ声」をあげてオーガズムを感じていたのだが、映画『エクソシスト』で悪霊に憑依された少女が見せる奇怪な顔の表情に近いものを現わしたのである。文明人が行うセックスは「悪霊降し」「悪霊との交わり」とも言えなくもない(5)

 例えば、ダスカロスの『メッセンジャー』には、この悪霊との交わりに近い逸話がこう書かれている。

「現世を去ってもセックスの快楽を忘れられず、その快楽を求める亡者(男の浮遊霊)が女性に憑依して、誰でも構わない男とのセックスを求めさせる」

 男性に取り憑くよりも女性の方がオーガズムが強いことから(5)、あまり幸福ではなく死んだ人の霊等、ネガティブなグループ・エレメンタルが引き寄せられ(12)、女性に憑くのかもしれない(5)。これが「引き寄せの法則」という(12)

ブルセラは呪術と同じである

 この強力な生霊が、ブルセラがなぜいけないのかにつながる。ブルセラとは、少女や女子中高生が、性欲が満たされない男性に対してブルマや下着を高額で売ることである。そして、男性は下着と共に女性の「写真」を見ることで自分の性欲を満たす。このとき、男性は、意識的であれ無意識的であれ、「性的な想念」を下着を売った女性に対して送っている。想念が強ければ強いほど「想念体」も強力で、たとえ下着を買った男性が死んだとしても「死霊」として想念体の無念な部分が残る。呪術師や霊能者は、写真を見て、その人間を追跡したり想念を読んだり、呪いをかけたりするが、これと同じである(16)。ストーカーも危険で、もし好かれると、その人からは「気魂(きこん)」、「色情霊」がでる。「気」がくすめば、知らず知らずのうちに、そのマイナスの「気」に見合った異性を引き寄せ好きになってしまう(3)

悪い場には悪い想念が渦巻く

 殺人現場となった部屋で不可解な出来事や悪いことが起こるのは事実である。それは「波動と想念体」が、その部屋を占領しているからである。「殺された被害者のつらく悲しい気持ち(想念体)」「断末魔の叫び(波動)」「加害者の恨み(想念体)」等が相乗効果で、その部屋に留まるからである(14)

 性風俗店が立ち並ぶ場(フィールド)も、不浄なエネルギーを身につける場としては最も適し、さまざまな不浄なエネルギー体(想念体)、人霊(死霊)、生霊(活発な想念体)が渦巻いている(15)。ラブホテルも邪霊が引き寄せられ、「邪気」や「情念」が渦巻きやすい(6)。この寄りつく暗い気の渦を都会では「死霊」、自然がある場所では「もののけ(低級な自然霊)」と呼ぶ(3)

売春をしていると幸せには慣れないのは霊的な縁のため

 俗にいわれている「あげまん」や「さげまん」は、女性の持つプラス想念体、マイナス想念体を男性が受けることであると言える(13)

 売春や性風俗をしている女性たちが、幸せになれないのは、淫らな性的行いをした「霊的因縁」を必ず背負い、霊的世界が現実世界に現われたためである。誰とでも性的関係を行う援助交際は、スピリチュアルな面からみれば、知らずしらずに恐ろしい霊的縁を結ぶ行為といえる。自分の運命を汚す恐ろしいことをしていることになる(16)

【引用文献】
(1) 2007年9月20日「スピリチュアルと性欲」スピリチュアルラボ
(2)2008年3月29日「スピリチュアルなセックス」スピリチュアルラボ
(3) 2008年4月5日「霊的に「性風俗」や「援助交際」が危険なわけ」スピリチュアルラボ
(4) 2008年4月19日「スピリチュアルな性教育(マスターベーション)」スピリチュアルラボ
(5) 2008年5月3日「スピリチュアルなセックスの真髄」スピリチュアルラボ
(6) 2008年6月22日「神さまの前でセックス」スピリチュアルラボ
(7)2008年6月24日「売春「性器の取扱注意!」」スピリチュアルラボ
(9) 2008年9月30日「〈風俗〉と〈セックス〉と〈スピリチュアル〉」スピリチュアルラボ
(10) 2008年10月29日「女性の〈オーガズム〉と〈クンダリニー覚醒〉」スピリチュアルラボ
(11) 2008年11月24日「スピリチュアルで見たオナニー、マスターベーションの害」スピリチュアルラボ
(12) 2009年5月4日「霊的に「援交」「性風俗」が超危険でマイナスな理由」スピリチュアルラボ
(13) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「セックス、性的サービス」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(14) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「性風俗」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(15) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「援助交際」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(16) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「ブルセラ」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(17) 2009年9月20 日「性とスピリチュアル(売春や買春でのマイナス面)」スピリチュアルラボ
(18) 2010年2月23 日「素敵なスピリチュアルセックスがしたい」スピリチュアルラボ
(19) 2011年7月30日「スピリチュアル的に売春は“ヤバイ”」スピリチュアルラボ
(21)2012年8月26日「〈セックス〉もたしなむ“スピリチュアル”」スピリチュアルラボ
(22) 2013年1月14日「性風俗と瞑想とセックス【スピリチュアル男女の悩み】」スピリチュアルラボ
ダスカロスの画像はこのサイトから

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2015年08月22日

第37講 人生の目的を探る(2) 生まれ変わり

スティーヴンソン教授の生まれ変わり研究

12Ian Stevenson.jpg 生まれ変わりの研究は、ヴァージニア大学精神科のイアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson, 1918〜2007年)教授の業績を抜きに語ることはできない(6)。スティーヴンソン教授は、超心理学の造詣が深く、「心霊研究」の中心的主題の一つとされていながら、超心理学が棚上げにした「死後存続」の問題を、改めて正面から取り上げた(7)

 1960年に米国心霊現象研究協会(ASPR= American Society for Psychical Research)の会報に生まれ変わりに関する研究論文を発表して以来、長年にわたるフィールドワークを続けてきた。そして、1987年には、生まれ変わりに関する最初の著書『前世を記憶する子供たち』を公刊し、きわめて大きな反響を呼んだ(7)

 スティーヴンソン教授は、きわめて慎重で批判的な理性と柔軟な理解力を兼ね備え、面接と実地調査という、手のかかる方法を40年にわたって地道に積み重ね(7)、生まれかわりを示唆する事例を2000以上も収集している(7,8)。スティーヴンソン教授の研究は、非常に客観的・実証的で、科学者たちもその信憑性を認めている(8)

タイの殺人事件の記憶を話し始めた子ども

 子どもが前世の経験を初めて話し始めるのは、だいたい2〜5歳までで平均は言葉を話し出す3歳2カ月である(5,6)。そして、ほとんどが5〜8歳になると前世の話をしなくなり(5)、その記憶を失ってしまう(6)。記憶のテーマは、前世の最後の日の近くに起きた出来事に集中する。スティーブンソン教授のデータによれば、75%の子どもが自分の死んだ時の様子を覚えており、その死に様は、老衰のような自然死よりも事故や事件に巻き込まれて死んだケースが多い。また、自分や家族、友人、関係のあった人物の名前、自分の持ち物、なじみのある場所をすぐに見わけられるという(5)。幼児は他の言語を習得するとか旅行する等、多くの体験をしていないことから、その内容を検討する価値は高い(6)

 さらに、前世で誰かに殺された子どもの場合、その殺人犯の名前さえも覚えていることが多い。タイで見つかったケースでは、1962年2月12日に、ター・タコという町で11人兄弟の10番目の子どもとして生まれたボンクチ・プロムシンの事例がある。

 母によれば1歳4カ月のときに言葉を話し始め、その後、1歳8カ月の時に「前世」について語り始めた。眠りから覚めると「おうちに帰りたい…。ここはボクの家じゃない」としつこく言うようになった。さらに、2歳になると、「前世の母親と父親」について語るようになり、「前世の名前」がチャムラットであったと言い出した。その後は「前世の持ち物」についても語るようになり、さらに前世に住んでいたファ・タノンの町で祭りの時に、二人の男によって殺された様子を語り始めた。

 ボンクチの両親は、彼が言う人物も家族も知らなかった。父親はファ・タノンに知人がいたが、事件に巻き込まれて息子を失った家族のことは知らなかった。ところが、ボンクチの語ったことが、ファ・タノンに住むある家族の耳に入った。その家族は1954年4月8日に「チャムラット・プー・キオ」という名の息子を殺人事件で失っていたのである。

 1964年の6月と9月の二度にわたって、チャムラットの両親は、ボンクチとその家族に会いに訪れ、ボンクチが語る「チャムラットの人生」がほとんどすべて正しいことが確認された。

 このエピソードはタイの新聞で報じられ、これを受けてタイの3人の医師が調査を行いそれをレポートにまとめた。この医師の1人が情報提供者としてスティーブンソン教授に知らせ、教授は1966年から5回にわたってタイに飛んで現地調査を行った。

 教授はボンクチ本人とその家族、チャムラットの家族とそのガールフレンド、警察関係者、プロムシン家の友人や隣人と次々に会って調査した。「前世」に関する一連の発言は34項目に及び、うち、証人によって事実と一致していることが確認できたのが29項目、確認できなかったのが4項目、間違いであることが判明したのが1項目だったのである(5)

生まれ変わりの事例に対する反論

 現在の科学では脳の活動を離れて心や「魂」が存在するとは考えられない。このため、数多くの科学者たちはこうした「生まれ変わり」の研究を否定する。であるとすれば、この現象はどのように説明できるのであろうか。まず、考えられるのは、子どもやその家族が嘘をついているケースである。現世の家族と前世の家族が裏で話し合い作り話を流したという説である。けれども、調査事例のほとんどは「前世の記憶」を持つ子どもとして有名になることを子どもや家族はむしろ迷惑がっている(5)

 第二は、「前世の」家族やその関係者と、その子どもの家族との間につきあいがあって「前世の人物」が事件や事故で亡くなった話をしているところを子どもが聞き、その後に自分が空想の中で「前世の自分」を作り上げていく可能性である。けれども、スティーブンソン教授が調べたケースでは、家族の間に交流があったり、家族間に共通する知りあいがいたことが確かめられたのはわずかしかなく、大部分のケースでは、「現世」と「前世」の家族を結ぶ情報ルートは見つからなかった。したがって、潜在記憶説では説明できない(5)

虫の知らせと超感覚的知覚

 さて、ある人が、有能だと評判のある霊媒のもとへ行ったとする。霊媒は「あなたの死んだお母さんが、今ここに来ている」と告げ、母親が当人に対して使っていた特殊なニックネームや幼かった頃の出来事、特に母親と当人自身しか知らなかった出来事等を明かしたとする。ごく普通の人であれば、この体験は非常に驚きとなるはずである。そして、母親が死後も生きていることを実感するであろう。けれども、ここにはトリックの介在する余地がある。つまり、霊媒は、その人の心の中を、「ESP」(テレパシー)で読み、そこから「母親の証言」を捏造した可能性があるからである(7)

 自分の家族や親しい友人、恋人の身に危険が迫っていたり、まさに相手が死んだ瞬間に「強い胸騒ぎ」や「いやな予感」を覚えたり、眠っているときに本人が「夢枕」に立つ経験をすることがある。いわゆる「虫の知らせ」と呼ばれる体験である。こうした体験も「偶然の一致」を越え、霊媒と同じく、テレパシーや予知といった超感覚的知覚(ESP)の要素がかかわっている(5)

死後の存在を否定するために考え出された超ESP仮説

 そこで、この「強力な透視能力」を想定すれば、「死後」の証明問題はさらに困難になる。例えば、幼児や催眠等で「前世」の記憶を語ったとして、それが、歴史資料等の記録で事実と一致することが証明されたとしても、「強力な透視能力」を登場させると、それは真正な前世記憶だとは言えなくなる(7)

「生まれ変わり」の記憶を持つ子どもが、無意識に「強力な透視能力」を発揮して、しかるべきところにある「記録」や人々の心の中にある「前世の人物」にまつわる情報を読み取って、それらを瞬時に総合して、その「前世記憶」を作り出し、自分が「前世の人物」だと信じ込むようになったと考えることが少なくとも論理的には可能だからである(5,7)

 もちろん、調査された子どもが超能力を持っている証拠はほとんど見あたらない。さらにESPは情報の発信者と受信者の間に愛情や信頼等の強い感情的な結びつきがあるときに発生しやすいことがわかっている。「虫の知らせ」にしても、互いに親しく、愛しあい、切っても切れない仲になっているときに発生しやすく、「赤の他人同士」で起こることはまずない(5)。わずか3〜4歳の子どもが、ESPを使ってまったく関係もない人物の人生記録を読み取って、完全にそれになりきって見せることが可能かどうかはかなり疑問だし説得力はない(5,6)

 とはいえ、百数十年に及ぶ「死後存続の証明努力」に最後に立ちはだかったのが、この「超ESP仮説」であった。多くの心霊研究者や超心理学者は「超ESP仮説がなければ、死後存続はとっくに証明済みとされていた」と考える。というよりも、死後存続を何としても否定しようとして、ひねり出されたのが、この「超ESP仮説」だと言えるのである。そして、この超ESP仮説に果敢に挑戦したのが、スティーヴンソン教授なのである(7)

ESPでは真性異言は説明できない

 スティーヴンソン教授が注目したのは、ESPによる「情報取得」では説明できない現象を示すケースである。その最大のものが「言語能力」、前世で語っていた言葉を口にする「真性異言」(ゼノグロッシー= xenoglossy)である。「真性異言」は、ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの生理学者で、心霊研究協会の会長も務めたシャルル・ロベール・リシェ(Charles Robert Richet、1850〜1935年)の造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言う。

 このうち、特定の文章や語句だけを繰り返すものを「朗唱型真性異言」、その言語で意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼ぶ。「朗唱型真性異言」は、ESPによる情報伝達の範囲内と言える。

 37mirabelli.jpg例えば、ブラジルの霊媒カルミネ・カルロス・ミラベリ(Carmine Carlos Mirabelli,1884〜1951年)は、様々な超常現象を起こしたが、自動筆記で30もの外国語を筆記し、学んだはずがないフランス語で1時間に1700語に及ぶ意味の通る文章を書き、ヘブライ語、アラビア語、さらには日本語でも死者からのものとおぼしきメッセージを自動記述している。とはいえ、「超ESP」では「外国語の会話能力」は獲得できない。したがって、ある人物が学んだことがない言語自由に操れる「応答性真性異言」があれば、それは、生まれ変わりの最も有力な証拠となりうるのである(7)

19世紀の女性が出現したシャラーダ

 応答性真性異言の事例は、きわめて珍しく、スティーヴンソン教授が収集した2000に及ぶ事例のうち、わずか3例にすぎない。催眠中に前世人格が出現しスウェーデン語で語ったイェンセンとドイツ語で語ったグレートヒェンの事例、そして、前世の人格が主人格に入れ替わったと思われるシャラーダの事例である(7)

 37satwant.jpgインド国立精神栄絵師神経科学研究所のサトワント・パスリチャ(Satwant Pasricha)博士は、過去世の記憶を持ち、前の両親を覚えている事例を45集め、うち、38例でその発言内容の正確さを確認している(3p78)が、スティーブンソン博士とパスリッチャ博士が行った研究に、1941年、インド、マハーラーシュトラ州ナーグプルに生まれたウッタラ・フッダル(Uttara Huddar)という32歳のインド女性の事例がある(5,7)

 フッダルは、それまで大学で教師の仕事をしていたが(5)、1970年から身体的な疾患から、ホメオパシー医の診察を受けるようになり、1973年には入院生活に入った。その際、ヨガ行者が講演にやってきて、瞑想の講義をした。少々の瞑想経験を持っていたウッタラは、瞑想の練習に参加した。

 その後、本人の行動が顕著な変化を見せ、ウッタラの母語であるマラーティ語とはまったく異なる、ベンガル語を話し始め、ベンガル州プルドワンで1800年代前半に生きたシャラーダ(Sharada)という女性に、ほぼ完璧に人格変換してしまったのである(7)

 この新しい人格は少なくとも30回にわたって出現し(5)、シャラーダに「人格変換」している間、ウッタラには全く記憶がない。この人格変換は、不定期に起こったが、シャラーダの生まれまた死亡した日である月に2度ほどある「アシュタミーの日」に起こることが多かった。また、シャラーダの「出現」は、大半は1〜3日続くものであったが、1〜2週間続く時もまれにあり、中には40日以上にわたることもあった(7)

 過去世のシャラーダは、7歳の頃に叔母の紹介でアーユルヴェーダ医師と結婚し、その後、妊娠5カ月の時に、夫を家に残して、かつて、住んだことのあるサプタグラムという村に旅行したが、そこで、庭の花を摘んでいる時に爪先を毒ヘビにかまれて死んだ。彼女は、それ以降の記憶はなく、自分が死んだ意識がなく、もといた所に戻り、家族たちに再会したいと頻繁に主張したのである(7)。このケースは「憑依現象」や「多重人格障害」と異なっており、区別してとらえる必要がある(5)

 第一に、新たに現れた人格が、ふだん用いる言葉(マラーティー語)がまったく話せず(5,7)、ヒンディー語、英語等はまったく理解できず(7)、一方で、習ったはずがないベンガル語を自由にしゃべれたことである(5,7)。家族も誰も知らない言葉を話すために「シャラーダ」が何をいっているのかさっぱりわからなかった(5)

 第二に、「シヤラーダ」は19世紀に生まれ育ったベンガル地方の「女性」として振る舞い、その「人生」について多くを語り続けたが、ベンガル語の通訳がその発言を記録したところ、その内容は19世紀初期のベンガル地方の農村の状況とー致していた(5)

 彼女は自分が住む土地の人々がまったく知られないベンガルの食べ物のことを知っていたし、ベンガル地方の小さな町や村の名前にも通じ、その地方の地理にとても詳しかった。しかも、彼女の使った言葉は上手なベンガル語であり、かつ、その言葉は現在使われているベンガル語ではなく、かなり古い時代のものであった(5)。さらに、文明の利器を知らず、テープレコーダーを再生すると仰天してその中に「悪霊がいる」と言った。また、電話を知らなかった(7)

 第三に、「シャラーダ」は、自分の名前を含めて家族についても詳しく語り、彼女が主張する家族も証言通りに見つかった。裏付け調査から、家系図にシャラーダが語った男性6人の名前が正確に書かれていたのである(5)

 スティーヴンソン教授は、持ち前の熱意と忍耐力を発揮して、驚異的と思えるほどの周到な調査を行ない、ウッタラがベンガル語を習得したことがないこと、シャラーダの記憶とその言語が、証言する前世に符合することを立証した。超ESP仮説では、この言語能力を説明することができない(7)

生まれ変わりの目印

 ESPでの情報取得ではうまく解釈できない証拠として、スティーヴンソン教授は『生まれ変わりの刻印』(笠原敏雄訳、春秋社)で、112に及ぶ「前世に関連する先天性刻印」の事例を報告する。「先天性刻印」とは、前世の人格が死亡した際の創傷、あるいは前世人格が持っていた痣や欠損、ないしは創傷痕・手術痕等が現世人格に痣や欠損型奇形として再現される事例で、なかには、殺される際に手や指を切断されたために、その部分が先天性奇形となって現世人格に再現された例もある(7)。例えば、前世で戦闘機の銃撃で死んだ日本兵だったと主張するミャンマーの少女の鼠蹊部には銃撃痕に似た奇形がある(6)

37Pollock twins.jpg スティーブンソン教授が調査した200件以上の子どもは、痣と同じ部分で弾丸や刀剣の傷がもとで死んでいるが(1p96,3p76)、教授が着目する事例の一つが、1958年にイギリス北部のノーサンバーランド州へクサムに一卵性双生児として生まれたジリアン・ポロックとジェニファー・ポロックである。二人は、2〜4歳までの間に、1957年の5月5日に、歩道に乗り上げてきた自動車にはねられて死んだ二人の姉ジョアンナ(当時11歳)とジャクリーン(6歳)の生涯を記憶しているとの発言を行い、所持品をみわけたりした(5,7)
 両親は、悲しみのあまり我を失うほどにショックを受けた。だが、父親のポロック氏は生まれ変わりを強く信じていたことから、妻が1958年のはじめに妊娠した時「死んだ二人の娘が双子として生まれてくるはずだ」と自信を持って言い切った。病院では「そんなことはありえない」と否定されたにもかかわらず、妻は双子を生むはずだと言い続けた。そして、本当に双子が生まれた(5)

 さらに、死んだジャクリーンの体にあった二つの傷跡と大きさも場所も一致する痣が、妹のジニェファーの体にあることに夫妻が気づいた。ジェニファーの眉間にある痣は、ジャクリーンが3歳の時転倒してバケツにぶつけた傷と一致していたし、左腹部にある茶色の痣も同様の痣と一致していた(5,7)

 ジェニファーとジリアンは一卵性双生児で、二人の遺伝子は全く同じで、肉体的には同じ特徴を持った人間として育つはずである。ところが、ジリアンの方には痣が全くみられなかった。となると、ジェニファーのあざは母親が妊娠しているときに起こった「何らかの異常」によってできたことになる。しかも、死んだジャクリーンの身体にあった傷跡と大きさや位置が一致する場所にあざがあったわけだから、この「異常」はたまたま偶然に発生したものとは考えにくい(5)

 もうひとつは、1935年にトルコのハタイ地方のアンタキヤで生まれたセミル・ファーリシである。彼は、誕生の2、3日前に死亡した遠い親戚である「セミル・ハイイク」の生涯と死の状況を話した。

 セミル・ハイイクは、二人の姉妹を強姦した二人の男を殺害して逮捕されたが、逃亡に成功し、山岳地帯に潜伏し、旅行者の金品を強奪していた。結局、フランス警察に包囲されて、火をかけられた隠れ家の中でライフルで自殺するのだが、セミル・ファーリシが生まれる前の晩に、父親は、セミル・ハイイクが自宅に入ってくる夢を見て、彼が自分たちの息子として生まれ変わろうとしていると思ったという。生まれてきたセミル・ファーリシは、右顎の下側に顕著な母斑があり、生まれて数日間、そこから出血があったため、縫合する必要があった。これは喉にライフルの銃口を当て、足で引き金を引いて自殺したセミル・ハイイクの遺体の状況と一致していた。また、左頭頂部に髪の毛のない直線状の部分があったが、これも顎から入った弾丸が頭蓋の骨を一部持ち上げて外へ貫通したことと対応していた。さらに、セミル・ファーリシは、言葉が話せるようになる2歳の頃から、セミル・ハイイクであった「前世」を語り、警官に対して敵対的な態度を示し投石すらした。棒きれをライフルに見立てて遊んで、父親のライフルを持ち出して何人かの兵士を撃とうとしたこともあった(7)

 超ESP仮説で説明するには、生まれる直前の胎児であったセミル・ファーリシが、なぜか、遠い親戚であるセミル・ハイイクの死をESPで知り、セミル・ハイイクの生涯の記憶や感情の一部を取得し、さらに死亡の際の銃弾創の状態を知り、それを自らの体に部分的に再現して、生まれてきたことになる(7)。スティーブンソン教授は「生まれ変わり」の可能性を認めなければ、こうした子どもたちのもっている特徴をうまく説明できないと考える(5)

死後存続は証明されている

 これはきわめて重大なことである。いかに奇矯とはいえ、超ESP仮説は、死後存続を否定するものとして立ちはだかっていた。それが突破されたということは、「死後存続が証明された」ということになる。もちろん、多くの人々は、心理的抵抗から、無意識に「無視」を決め込んでいるようにさえ思える。とはいえ、スティーヴンソン教授の研究のおかげで、百年余に及ぶ死後存続の証明問題は、「すでに証明された」ことになるのである(7)

永遠の自己が存在することは世界の文化が認めてきた

 永遠の自己を体験したという物語は、どの文化においても記録されている(4p191)。肉体や感情や思考に取り囲まれているエゴが幻想にすぎず、それを超越した自己が死後も存在し続けるという証言が3000年以上も続いていることは、死後にも人生が存在する基礎のひとつとなってきた(4p193)

 例えば、紀元前2000年前。インドではヴェーダ文明が出現する(4p40)。最古の経典、リグ・ヴェーダには、次のような聖歌がある。

 美しい羽を持つ二羽の鳥は友達であり同志だ。

 一本の同じ木に止まり、一羽はその木の甘い果実を食べる。

 もう一羽はそれを見ている。自分は果実を食べはしない。

 この聖歌は、甘い果実を食べる現世の自己と現世を超越した果実を食しない者が本質的にひとつであることに言及したものであると言われている(4p192)

 釈迦は2万5000年の間に550回転生したと言われるが、この世への執着が生まれ変わりという足踏み車に一人しばりつけていると述べている(1p86)。アジアでは、輪廻転生の考え方は、ごく普通に受け入れられてきた。インドは下等動物から準形而上的存在(天部)までを包摂する壮大な輪廻転生の神話を持つ。そして、仏教も基本的にはそれを継承している。バリ島では、人は一族の数世代後に生まれ変わるとされ、子どもが生まれると、それが一族の祖先の誰の生まれ変わりかをシャーマンに判定してもらうことが通常になされている(6)

世界中には死後の世界の物語がある

 体外離脱体験も多くの文化で記録され、その状態を表現する言葉が存在する。古代エジプトではカ(Ka)、古代ギリシアではオケマ(Ochema)、ヒンドゥー教ではコシャ(Kosha)、デハ(deha)、サリラ(sarira)と呼ばれていた(4p195)。また、臨死体験も世界共通の現象である。肉体が消滅した後も霊的な魂が生き残り続けるとの教えは、世界中のどの文化においても見出せる(4p191)

 多くの古代民族や部族は輪廻転生を信じて来た。紀元前3400年前のシュメール社会では、家長が死ぬと来世でも仕えられるように召使いを殺害するなわらしがあった(1p27)。古代エジプト人は中間世をアメンティ、日本の沖縄ではグショウ(後世)、オーストラリアのアボリジニは、アンジェアと呼んでいる。古代ヘブライ人は、カバラの根本教典『ゾーハル』(光輝の書)で来世のための教えを受ける場所をパーディッシュと呼んだ(1p26)

 古代エジプトでは、女神イシスに助けられてオリシス神が冥界から蘇える。古代ギリシアのエレフシナでも農業の女神デーメーテールが黄泉の世界にいる娘ペルセポネから帰還するという祭儀がなされていた。また、ワインの神ディオニソスをあがめる祭典でも死と再生が描かれていた(4p36〜37)

 ペルシアでは、ミトゥラ神が崇められ、聖なる牛が殺され、神の身体と血を代表するパンを食べた。こうした儀式に参加することで、人々は死の恐怖がない人生を保証されていた。同じ儀式はゲルマン民族のオーディン崇拝やケルト族のドルイド信仰にも見られる(4p36〜37)。北ヨーロッパの古代人も生まれ変わりを確信し、子どもが誕生するときには憐れんで泣き、歓びを持って死を迎えたという。古代ケルトのドルイド教徒は最もその確信が深く、今生で借金が払えなければ来世に支払えばいいとしていた(1p87)。ドルイドとは「オークの木を知っている人々」の意味で、紀元前7世紀ごろから現れ、泉や森、とりわけ、ヤドリギやオークを神聖視し、古代ケルト信仰を司っていた司祭階級である(1p263)

ピタゴラスもプラトンは循環的な世界観〜輪廻転生を信じていた

 ピタゴラス(紀元前580〜500年)は、イタリアのクロトンに禁欲的な教団を作り、数学、宇宙に関する研究を行っていたが、科学と宗教との間には境界がなく、天空の音階理論や霊魂輪廻説を提唱していた。プラトン(紀元前427〜347年)もアカデモスの森の近くに「アカデメイア」という学校を作ったが、輪廻転生を信じていた(4p46〜47)。プラトンは『国家』の第10巻で戦死して12日目に蘇生したエルの物語について詳しく書いている(1p28)

 古代ギリシア人では古代インドの信仰を同じく「惨めで気が滅入るような車輪」という表現が出てくる(1p87)。ピュタゴラス教団やオルフェウス教団が「必然の円環」や「運命の車輪」といった表現を用いていた(1p263)

アジアの循環型の世界観と対立するユダヤ・キリスト教の世界観

 このように、アジアの賢人もギリシアの哲学者たちのほとんども、地上での生活は終わりなき循環であり、解放された魂がそこから逃げ出せると考えていた(4p51)。一方、東洋や古代ギリシアの循環的な世界観とは鋭く対立し、世界の出来事には宇宙的な目的があり、人間の魂も世界も旅の途上にあると初めて主張したのがユダヤ教である。ユダヤ教は、時間は終わりなき円ではなく、矢であり、より高い次元に向かっており、いつの日にか救世主によって正義の時代がもたらされると考えた(4p51)。初期キリスト教は、世界には方向と目的があるとのユダヤの信仰を継承し、発展させていく(4p54)。さらに、人間は死後には眠るように終末を待ち、そこで最後の審判を受けるというキリスト教の教義にとって、生まれ変わりは絶対に認められない観念である(6)

輪廻思想を信じていたキリスト教

 とはいえ、初期のキリスト教は輪廻転生を信じていた(4p36)。聖パウロも「ガラテア人への手紙」の6章7節で「人は種をまけば、その刈り取りもすることになる」と語っている(1p86)

 グノーシス派は、キリスト教とほぼ同時期に成立し、アレキサンドリアやシリアを中心に栄えた宗教である。4世紀以降にキリスト教が公認され、グノーシス派は異端として絶滅されたが、その残された数少ないグノーシス派の文献に3世紀にコプト語で書かれた福音書『信仰の知恵(ピスティス・ソフィア)』がある。ここには「魂はこの世のひとつの身体から別の身体へとつぎつぎに注ぎ入れられる」というイエスの言葉が引用されている(1p88)

 ところが、4世紀以降、キリスト教が政治力を持つまでに発展していくと、輪廻転生を信じる者たちは、教会にとって脅威であった。自らの心の内に確たるよりどころを持っていると教会や国家に隷属する保証がないからである(1p88)。例えば、輪廻説を信じたオリゲネス派と同じく、「人はみなキリストと等しくなる」と宣言する修道士たち、イソクリストイ派が出現する(1p264)。輪廻転生はコンスタンチヌス大帝の時代にローマ帝国が修正するまでは『新訳聖書』にも書かれていたのだが(3p21)、553年にコンスタンティノープルで開催された第五回「公会議」において、コンスタンチヌス大帝は輪廻説の恐るべき復活に対して、教会は正式に波紋を行うと布告を出す。そして、これに反抗する人々、カタリ派への迫害が始まる(1p88)。西洋においては、生まれ変わりの概念はそれを主張した勢力が異端とされたこともあってタブーとされてきたが、輪廻転生思想が消え失せるのはようやく13世紀になってからなのである(1p89,6)

プラトン説を想起させる真性異言

 さて、プラトンは人間の魂は不死であり、地上で物事を経験するときに、生前に天上界で学んだアーキタイプ「イデア」のことを思い出すという『想起説(アナムネーシス)』を提唱した(1p263)。そして、「簡単に知識が習得されるのは、その知識を前世に持っていたからであり、そのため思い出すことが簡単なのである」と述べている。ローマ時代の雄弁家キケロもプラトンの説を踏襲し「子どもが多くのことをすばやく把握できるのは産まれる前にたいがいのことを知っていたという証拠である」と述べている。こうした理論からすると、神童のような才能は、必ずしもその人生で開発されるのではなく、前世に起因することになる(1p87)

 霊界からのメッセージはほぼすべては「霊界においては言語は不必要で、思いはテレパシーによって伝達される」と述べている。言語能力を含めて、「訓練」によって獲得された身体と深く関連した動作やスキルは、純粋に霊魂の世界に属するよりも、現界との媒介部分、霊と身体との中間にある「エーテル体」や「神経魂」(マイヤーズ通信に登場する用語で、日常的な生命活動や適応活動を司る精神の非意識的領域)等に所属すると考えられる。 先天性刻印も、前世人格のエーテル体の欠損が、現世の人格のエーテル体に影響を与え、生物学的には同じではないが、イメージ的に似た母斑なり欠損を作り出したということになろう(7)

人は内面的に成長するために自ら運命を選んで生まれ変わる

 スティーヴンソン教授は、前世とおぼしき記憶を思い出した子どもたちの聞き取り調査から、以下の結論を見出している。

 @ 愛おしさ、罪悪感、義務感から過去世で知っていた人間と一緒に生まれ変わることが多い

 A 因果応報的なカルマは存在しない。運命は偶然ではなく、人としての責務から自ら選んだものである

 B 人生で最も重要なことは、外面ではなく、人間としての内面的な成長である(2p294〜296)。

 とはいえ、これ以上の人生の目的は、スティーヴンソン教授が否定的な「前世療法」から探らなければならない。

【引用文献】
(1) J.L.ホイットン他『輪廻転生−驚くべき現代の神話』(1989)人文書院
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社
(3) 飯田史彦『生きがいの想像』(1996)PHP
(4) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店

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2015年08月20日

第36講 人生の目的を探る(1) 前世療法

結果の平等は扱いの平等を不平等にする

 政治的理想としての「平等」とは、「法の下における扱いの平等」のことである。殺人をしたのであれば、大統領であろうとホームレスであろうと殺人罪に問われることは同じだというのが法治主義の大原則である。

 ところが、この「平等」を共産主義は読み換えて、「結果の平等」を提唱した。ある人が努力して9俵のコメを作ったとする。そして、これとは別に1俵しか作れなかった人がいる。「結果の平等」では、9俵の人の4俵を強制的に1俵の人に移転することになる。これは「扱いを不平等にする」ことにほかならない(12)

人間の才能は平等ではない

 平等を達成するためには、知力、感性、意志力、創造力、運が誰も同じでなければならない。全員が同じ色・大きさ・形をしていなければならない。けれども、そんなつまらない世界があるのだろうか。「多様性」「複雑性」こそがこの宇宙の本質ではないか。

 そして、人間は平等ではなく、特別な才能を持った人、幸運に恵まれた人がたくさんいる。音楽にしろ美術にしろ文学にしろ、天賦の才を持つ人がいる。事業を立ち上げ年商数十億の会社を作る商才を持つ人がいる。さらに、そうした名声や富とは無縁でも、多くの人に好かれる「何か」を持つ人もいる。要するに、人間が平等には創られていないことは冷厳たる現実で、そこから目を背けて理想を語っても何の意味もない(12)

平凡な人生を送る庶民がいるからこそ歴史は成り立つ

 それでは、才能や運によって輝かしい活動をした人の人生にだけ意味があり、そうでない人の人生は意味なのであろうか。この価値観は、とりわけ、西欧のエリートたちが無意識に抱いている。歴史を重視する西洋人は、歴史に名を刻むことに執着心を持っている。一部のエリート科学者も、物質世界は偶然に人間という生物を生み出したが、人間は唯一宇宙を観察・分析する知を持ち、宇宙に対峙して、その謎を解こうと探究する科学者、すなわち、自分自身に存在意味があると考える。

 けれども、よくよく考えてみるとこれは論理破綻をしている。歴史や文化は、それを受け止める人々がいるから成立する。無名で凡庸な人々の人生に意味がなければ、歴史も文化も意味がない。歴史を動かした人物や時代の寵児、偉人や天才は、共に生きている人間全体がいるからこそ意味がある(12)

フランクルの意味論は不十分

13viktor.jpg 意味の心理学を提唱したヴィクトール・フランクルビクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905〜1997年)が、「どんな人生にも意味がある」と述べてきたことについては、紹介してきた。

 けれども、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーの高森光季氏は、フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を始めとする著作は、唯物論的なニヒリズムに論駁した点で「素晴らしい」と評価しつつ、限界があるとも述べる。フランクル博士は唯物論と真っ向から対立することを避けたために、「人生に意味がある」ことの意味の最終的な根拠がなく、それを心情や信仰に訴えざるを得ない。だから、フランクル博士の理論はスピリチュアリストの目から言うと不十分なのだと主張する(12)

中年の危機を乗り越えるには聖なる歓びを

 世界的に著名な神話学者ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell, 1904〜1987年)は「中年の危機に陥って道を見失ってしまったときには、自分の歓びに従いなさい。そうすれば、ドアがなかったところにドアが新しく開きますよ」と答えている(5p121)

 36Joseph Campbell.jpgキャンベルの言う「歓び」とは、古代ヒンドゥー教の言うアナンダ、宇宙の根底にある聖なる歓びのことを意味する。

 自分が行っていることに全力を投入しているとき、仕事に夢中になっているとき、人生の正しい道を歩んでいると感じている瞬間に、私たちは超常的なエクスタシーをほんの束の間だが味わう(5p121)


 古代ギリシア人は、恍惚的な体験は日常的な現実をより高次の世界に引き上げると信じ、この至高体験を「ディオニソス」の神として人格化していた。したがって、この瞬間が神からの贈り物であると感じるならば、まさに古代ギリシア人の感じ方そのものであることになる(5p122)。アシジの聖フランチェスコ、ルーミー、ウィリアム・ブレーク、シュリ・ラマクリシュナ等多くの人々がこうしたエクスタシーを感じてきた(5p122)

 幸せ探偵は「中年」もすぎ、老境にさしかかろうとしている。そこで、人生の意味を魂の面から何回にわけて探ってみたい。

退行催眠による前世の発見

 人間が死後どうなるかについては、19世紀以降、冷静かつ理性的に、かなりきちんと取り生んできた研究史の蓄積がある(11)。そして、退行催眠という精神医学療法が発達したことから、この研究はかなり進展してきた(3p43)。催眠で時間を遡っていくと、出生以前の記憶、前世や前世と現世の間の領域(中間生)を甦らせるケースがあるのである(11)

 オーストラリアのヒーラー、フランツ・アントン・メスマー(1734〜1815年)は、無意識や精神医学の先駆けとなった数々の発見をした。メスマーは患者を暗示にかけることで自己回復力を活性化させることで様々な治療を行って見せた(5p74)。メスマーは、すべての人間には『動物磁気』が流れていると考えたが、後に多くのドイツロマン派の人々の興味をそそった。イギリスの医師、ジェームズ・ブレイドは1843年に『催眠術』という言葉を使い、メスマーが用いた手かざし療法を一般に普及させた。イギリス人の医師、ジョン・エリオットソンとジェームズ・エスデイルは催眠術で麻酔をかけずに痛みも苦しみもなく手足を切断することに成功した(5p75)

 36Rochas.JPGこのメスメルの手法をまね、ドイツの化学者、カール・ライヘンバッハの言う自然エネルギー「オド」の研究を引き継ぎ、1891年に一連の催眠術の実験を行ったのが、フランス人のアルベール・ド・ロシャ(Albert de Rochas,1837〜1914年)大佐である(1p90,3p45)。ロシャ大佐は被験者を誕生以前の「過去世」に退行させたのだが、このトランス状態での記憶が本当に前世を反映するものであるかどうかを確証できなかった(1p90)

 ロシャ大佐の後継者としてイギリスのアレキサンダー・キャノン(Alexander Cannon, 1896〜1963年)博士は膨大な量の前世のデータ解析を進めていた(1p93)。博士は1300人以上を退行催眠させ、コンプレックスや恐れの起源をフロイトのような幼児体験よりも前世のトラウマによるものだとし、前世療法の先駆者となった(1p93〜94,3p46)。事実後述するブライアン・L・ワイス博士(Brian Leslie Weiss, 1944年〜)によれば、60%の患者は幼児期の記憶を思い出すことで病気が治るが、40%は過去世にまでさかのぼらなければ心のトラウマは癒せないという(3p54)

ブライディ・マーフィの謎

 36tighe.jpg1952年に、米国コロラド州のアマチュアの催眠術師、モレイ・バーンスタインが地元に住む主婦、ヴァージニア・タイ(Virginia Tighe)を退行催眠させたところ、トランス状態で、アイルランドの娘、ブライディ・マーフィ(Bridey Murphy)であることを思い出す(1p34,1p91,8,10)。タイは、自分が、アイルランドに暮らし、1864年に66歳で死んだブライディ・マーフィーだとして、記憶を語ったのである。ヴァージニアはアイルランドを訪れたことがないのに、そこで語られた情報は、驚くべき一致を見せた。このことは『ニューヨーク・タイムズ』を始めとするメディアで大きく取り上げられ、全米とヨーロッパで話題となり(10)、1956年に出版された『ブライディ・マーフィーを探して』が100万部を越えるベストセラーとなった(8)。これ以降、退行催眠や前世への関心が高まり(1p34,1p91)、様々な医師や催眠療法士が「前世退行」の研究を開始していく。スピリチュアリズムにおける「ハイズヴィル事件」のように前世療法時代の幕開けを告げる事件となったのがこの「ブライディ・マーフィー事件」であった(10)

退行催眠で臨死体験と類似した体外離脱や故人との出会いが発見

 1970年に、ヴァージニア大学医学部の精神科教授イアン・スティーブンソン博士(Ian Stevenson, 1918〜2007年)が生まれ変わりの綿密な調査・研究論文を発表したことにより、生まれ変わりの問題が幅広い関心を集めるようになる(10)

 カナダ最高の州立大学、トロント大学医学部の精神科の主任教授である(1p267)ジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜)博士は、もともと宗教や神秘思想に興味を持っていたことから、1970年頃から退行催眠による前世療法を行なっていた(10)。また、米国のグレン・ウィリストン(Glenn Williston)博士も心理療法士として早くから前世療法を試み(9)、1983年には『生きる意味の探究(Discovering Your Past Lives)』を刊行し前世療法のパイオニアとなった(9,10)。また、イギリスでも1979年に、ピーター・モスという催眠療法家によって『Encounters with the Past』という前世記憶に関する本が刊行された(10)

 11Raymond Moody.jpgさらに、米国では1975年にヴァージニア大学の精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody, 1944年〜)博士の『かいまみた死後の世界』がベストセラーとなり(2p328,5p196,11)、同時期に、エリザベス・キュブラー=ロス(Elisabeth Kübler-Ross, 1926〜2004年)が同じ結論を得たことから、臨死体験に関心がもたれるようになっていた(2p328,5p196)


 ホイットン博士はムーディの研究とその大きな反響に促されて(11)、退行催眠を用いて過去世の記憶をたどる研究を進めてきたのだが(1p46)、体外離脱、トンネルの通過、すでに故人となっている愛する人々、親や親戚との出会い、人生の回顧、天使のような人物との出会い、ガイドによる導き等、時間も空間も存在しない輝く光に満ち溢れた領域との一体化等、臨死体験の代表的な特徴と重なることが見られることが明らかとなってきた(2p338,5p196)。さらに、それは、レイモンド・ムーディ博士だけでなく、コネティカット大学の心理学のケネス・リング(Kenneth Ring,1936年〜)教授、心臓病の専門医、エモリー大学のマイケル・セイボム(Michael B. Sabom,1939年〜)教授、モーリス・ローリングズ博士(Maurice Rawlings, 1922年〜)らの体験も同じだった(1p46)

退行催眠で中間生を発見

 12Joel Whitton.jpgホイットン博士は、1974年、28歳のときに、偶然に「中間生(interlife, between-life)」という奇妙な状態に「遭遇」していた(1p32,9)。トロント市内のごく普通の主婦、ポーラ・コンシディンを退行催眠させて、米国の農家の娘、マーサー・ペインであることを思い出させていたのだが、博士が「マーサーになる前の人物に戻ってください」と口にすべきところを「マーサーになる前に戻ってください」と指示したため、「空に浮かんで生れるのを待っている」という驚くべき答えが戻ってきてしまったのである(1p38)。かくしてホイットン博士の研究は、中間世に向かった(1p41)。そして、これを中心主題に1986年に『輪廻転生―驚くべき現代の神話』を執筆する(9,10)

ブライアン・ワイス博士と前世療法ブーム

 1982年にマイアミ大学医学部の精神科の教授であったブライアン・L・ワイス博士(Brian Leslie Weiss, 1944年〜)も、キャサリンに出会って輪廻転生や過去世に着目することになる(3p48,4p8)。博士も、1980年に偶然の手違いから患者の「前世想起」に出会い、疑いを抱きつつ探究の道に入ることになった(10)。「手違い」とは、ある患者に退行催眠を施し「あなたの症状の原因となった幼い頃の出来事に戻りなさい」と指示するところを、ただ「原因となった時まで戻りなさい」と指示したため、「私は長いドレスを着ています……アロンダ……18歳です……時代は紀元前1863年」とアロンダの死の場面を語り(9,10)、他にも二つの「過去生」を断片的に語ったのである(9)

36Brian Weiss.jpg ワイス博士は、普通の医師・催眠療法家で、死後存続や輪廻説に関する知識は全くなかったし(10)、前世等というものを信じていなかった。けれども、様々な文献をあさり、また退行催眠を続けていく中で、生まれ変わりの真実性を確信するようになる。一人の患者をめぐっての未知の探究プロセスを描いた1988年の著書『前世療法』は、ミステリアスで感動的な物語として、多くの読者を魅了した(9)。前世療法が一大ブームとなり、かなりの大衆的人気を獲得したのは博士の影響によるところが大きい(9,10)。前世療法専門の学会ができ、会報誌も刊行されるようになっていく(10)

前世療法は批判されている

 このように、「前世療法」は、近年、非常に大衆的な人気を博している。その一方で、数多くの批判もなされている(10,11)。死後存続や輪廻転生説を否定する唯物論者が批判するのは当然のこととしても(10)、生まれ変わり研究の第一人者スティーヴンソン教授も「証拠価値としてほとんど意味がない」とし、前世療法や催眠を通じた過去生想起を厳しく批判している(10,11)

「私としては、心得違いの催眠ブーム、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がある現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法として催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている」(『前世を記憶する子どもたち』7頁)

 スティーヴンソン教授は催眠による前世想起を全面否定しているわけではない。けれども、厖大な労力を費やし、周到な情報収集と綿密な検討を重ねて、反対論者にも納得できる事例を蓄積してきた教授からすれば、安易に前世を云々する大衆的セラピストや巷の霊能者と一緒くたにされるのは心外だというわけであろう(10)

前世療法とは基本的に療法でその情報は厳密に立証されていない

 前世療法とは、基本的には様々な心理的な症状を抱えたクライエントに対して行なわれる心理療法である(10)。退行催眠によって出生以前にさかのぼり、さらに「あなたの現在の症状に関係した過去の人生があるなら、そこに行ってみましょう」という誘導によって、それによってクライアントの抱えていた心身症状が軽減するものである。前世の記憶を想起することで症状が改善されれば「療法」として意義があることから、症状改善に主眼が置かれ、出てきた前世記憶が真実かどうかは、大きな意味を持たない(10,11)。 そこで、ホイットン博士にしろ、ワイス博士にしろ前世記憶の実証性の追究は、まったく不十分なのである(10)

 ウィリストン博士の著書には、クライアントが、イングランドで20世紀初頭に流行した「底だけが木の靴」や、ダムで沈んでしまった小さな町の名前などを想起した等(11)、通常は知ることのできない過去の事実と符合するケースが数多くあげられている(10,11)。けれども、これも厳密な立証の記述は伴っていない(10)。要するに、「症状の緩和」が中心となるため、前世や中間生の実在を実証的に検証しようとする試みがほとんどなされておらず、実証という点では弱いのである(11)

 さらに、症状の改善に関する検証も曖昧である。劇的に効果が現れるケースが数多く紹介されているが、その効果の持続性は追跡調査されていない。また、症状が改善される理由も不明で、仮説の域を出ていない(10)

輪廻転生は統計的にも整合性が取れる

 サンフランシスコ在住の心理学者、故ヘレン・ウォンバック(Helen Wambach, 1925〜1986年)博士は、小規模なワークショップで退行催眠をかける調査を29年も行なってきた。輪廻転生では、誰もが有名人が歴史的な人物の過去世ばかりを思い出しているとの批判がなされるが、ウォンバック博士の調査では被験者の90%以上が小作人12helen wambach.jpgや農民、労働者、狩猟採集民としての過去世を呼び起こし、貴族としての前世は10%にも見た図、有名人であった記憶を持った人は一人もいなかった(2p304〜305)。また、紀元前2000年まで退行させた被験者の性別も50.6%が男性、49.4%が女性であった。さらに、当時使用していた衣服、食器、履物等も歴史的事実と一致していた。ウォンバック博士は「道路わきのテントにいて、通りがかりの人1000人がペンシルヴァニア州の橋を渡った話をすれば、あなたはペンシルヴァニア州に橋があると納得するでしょう」と語っている(1p95)

ブライディ・マーフィーは幼児記憶の産物だった

 とはいえ、現在の科学では脳の活動を離れて心や「魂」が存在するとは考えられない。このため、数多くの科学者たちはこうした「生まれ変わり」の研究を否定する(6)。元愛媛大学教授の中村雅彦博士も、臨死体験も退行催眠も「死後の世界」が存在する証拠にはならないと主張する。死にかけている脳が見せる「幻覚」であることを否定できないからである(5)

12Ian Stevenson.jpg 例えば、ブライディ・マーフィーは、本当に実在したのかどうかの論争を巻き起こし、本格的な調査がなされた(7)。けれども「ブライディ・マーフィー」やその家族とされる人物は誰一人として実在しなかった(7,8)。ブライディは、ベルファストの聖テレサ教会でカトリックの式を挙げたとされるが、そうした教会は存在せず、結婚後にずっと住んでいたという「ドゥーリー通り」も存在しなかった。また夫はクィーンズ大学で法律を教えていたはずだったが、夫の名前はもとより、同僚として名前をあげられていた人々も誰一人として大学に在籍していなかった(8)。そして、当時29歳であったヴァージニア・タイは、アイルランドに行ったことはなかったが、幼少期に住んでいたシカゴの近所に「ブライディ・マーフィー・コーケル」という名前のアイルランド系の女性が住んでいたことがわかった。このことから、「ブライディ・マーフィー」はヴァージニアの前世ではなく、彼女の頭の片隅に眠っていた幼少期の記憶が退行催眠で呼び覚まされたことによって創作された、架空の女性であると結論づけられたのである(7)

 けれども、「前世の記憶」を覚えている子どもたちの存在は、人間の心が肉体の死後にも残る「証拠」となりうる(5)。米国の心理学者ウェイリアム・ジェームズは「すべてのカラスが黒いという法則を覆すためには、一羽のカラスが白いことを証明するだけで十分である」と述べているが、その努力をしてきたのが、スティーブンソン博士なのである(1p95)

【引用文献】
(1) J.L.ホイットン他『輪廻転生−驚くべき現代の神話』(1989)人文書院
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社
(3) 飯田史彦『生きがいの想像』(1996)PHP
(4) ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(2001)PHP
(5) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店
(7)ウィキペディア

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2015年08月17日

第35講 右脳と未来予知(4)リスク管理体制

リスクを回避するために生物は感覚器官を進化させた

 シャーマンの能力の一つ、「危機察知能力(予知能力)」は、生物進化上どのような機能から派生してきたのだろうか。生物の脳の進化史から見てみよう(3)

 どの生物も外部環境から情報をキャッチすることで行動している。単細胞生物ですら「受容体」で特定の物質濃度を感知して、その濃度勾配によって行動する。これを「走化性」と呼ぶ。けれども、走化性に見られるようなシンプルな行動だけではその生物が絶滅してしまうリスクが高い。そこで、数多くの外部情報をキャッチして、それに応じて多様な行動を取れるよう、生物たちは「感覚回路」を進化させてきた(2)

最初にできた感覚器―嗅覚器

 例えば、クラゲは、何かに触れれば、意志とは無関係に神経針を出す。そして、触角の次に最初にできた「感覚器」は嗅覚器である。もともと、味と臭いとを感知する器官は分化せず、ひとつの「化学受容器」で感知していた。「味覚器」は生きていくのに安全な食べものかどうかを「毒見」する接触刺激器官である。一方、遠方にある敵や獲物を感知する遠隔刺激器官が「嗅覚器」である。さらに、眼を獲得した動物達は、世界や他の動物を遠方からはっきりと認識するようになっていく(2)

 このように、初期生物は感覚回路からの情報を即座に運動神経に伝達する危機回路を発達させることで、危機に対応してきた。とはいえ、この原初的な危機回路の判断軸は、物質的な特性に依存している。自然外圧には適応していても、外敵等の種間闘争に対しては十分とはいえない(2)

魚は危機管理として仲間を認める群集機能を発展させた

 ヒトデのような棘皮生物にもすでに仲間を認識する能力があると言われるが、神経細胞は全身に分散していて、まだ脳は形成されていない。次の魚類になると、視覚、聴覚、側線感覚をたよりに振動や音の外部刺激を感じ取り、逃避行動を起こすことができる。延髄が感じた興奮が反対側の脊髄に伝わって、筋肉を収縮させ、刺激とは反対の方向へと反射的に進むことが出来る。さらに、魚類には、危機に対応して「群集行動」を取る。この「群集行動」は、群れることで外敵から身を守るという危機対応だが、この行動を取るには同類を認識することが必要である。すなわち、危機対応であると同時に「同類認識」でもある。そして、反射的な逃避行動よりも、より高度な進化形態なのである(2)

 次の爬虫類は、舌による温度と嗅覚感知機能を発達させることで危機察知や防御力を高めた。とりわけ、嗅覚が原始的な脳の初期の感覚機能のひとつで判断の中心になっている。同類認識による集団性も高まり、ワニ等では獲物を仲間とわけあうようになっていく(2)

仲間を認める群集機能は扁桃体が担っている

 さて、最近の生物分子学や遺伝子分析等の研究から、この「群れ」や「縄張り」行動が、「扁桃体」を主体とする大脳辺縁系が関わっていることがわかってきた(2)

 扁桃体とは大脳辺縁系の下(2)、側頭葉の内側、海馬のやや内前方に位置する長さ15〜20mm程度のアーモンド(扁桃)型をした組織である(3)

 魚類の脳には哺乳類の扁桃体の原型となる扁桃体の片鱗の領域が見られるが(2)、この後に扁桃体に相当する機能をもつことになる「領域」が仲間を認識して、群れ行動を司っている。また、危機に対する反射行動は、延髄のマウスナー細胞等が司るが、多様な外部環境に対する高度な適応機能は扁桃体領域が担っている。すなわち、扁桃体は系統発生的には最も古い「旧皮質」に位置する。すなわち、嗅脳とともに脳が形成される魚類から存在する。そして、「古皮質」に位置する海馬等は両生類以降の構造といえるが(3)、その原型に該当する部位も魚類段階から存在する。すなわち、扁桃体と海馬の両者は、古くから密接に関わっていた(4)

 両生類でも、水中にいる幼生期には、反射行動を司る延髄のマウスナー細胞が存在するが、生体になると消滅する。このことからも、地上での危機適応機能が扁桃体に集約されていくことがわかる。

 爬虫類では、危機に対しては扁桃体と「青斑核」が携わる。危機に対する適応様式には、逃げるだけでなく「攻撃行動」が加わり、逃走か攻撃の判断を行う。魚でも危機に対する反射行動は延髄のマウスナー細胞等が司っているが、高度な適応機能は、後に扁桃体に相当する機能をもつ「領域」でなされているのである(3)。すなわち、「扁桃体」は、個体の危機行動だけでなく、相手の表情から意図を読み取り、仲間を認識して群れ行動を取る等、社会的認知も司っている(2,3)

 さらに、扁桃体は左右に二つ存在するが、役目が異なり、「右脳」にある扁桃体の第一の機能は、生存にとって重要な危険や恐怖を呼び起こす対象(外敵や獲物)に対して反応することなのである(3,5)。それでは、なぜ、右脳の側にある扁桃体がリスク回避と関係しているのだろうか。どのように扁桃体が進化してきたのかを整理する中から解明していこう(2)

「知」よりも「情」が立つのは、扁桃体の防衛システムのため

 哺乳類、とりわけ、猿や人類では、リスク回避で、大脳辺縁系の扁桃体が重要な役割を果たしている(2)。扁桃体は「扁桃複合体」と呼ばれるように、多数の核(神経細胞の集まり)からなる複雑な内部構造を持つが、大きくは「外側核」と「内側核」に大別され、一方は摂食行動を抑制し、他方は促進する等、この二つは相反する働きを持つ(3)

 扁桃体が複雑な機能を持つ理由のひとつにその神経伝達物質の多さがある。ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン、アセチルコリン等、20種以上の神経伝達物質が確認されている。加えて扁桃体には、五感のすべての情報が集中する神経回路網が連絡しており、快感回路=ドーパミン神経回路網等も含まれている。そして、視床下部との連絡回路も発達しており、視床下部の様々な活動をコントロールしていると考えられている(3)

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚等の感覚回路で得られた情報は、まず視床に届き、そこからたったひとつのシナプスによって扁桃体に到達する(2,5)。扁桃体の神経細胞は、長い突起で外部との連絡を行う錐体細胞と扁桃体内部の回路である星状細胞の二種類からなっている(3)。そして、この信号を受けて、扁桃体は、過去のトラブルの記憶から、これが自分を傷つけるものかどうかチェックする(5)。もし、「恐怖」と判断されると、即座に脳全体に緊急事態を発する。脳は興奮状態となり、感覚は鋭敏になる(3,5)

 同時に、扁桃体から出ている別の神経回路から、戦ったり逃げたりするのに必要なホルモン、ノルエピネリン(ノルアドレナリン)の分泌を促す。脳幹にも信号が送られ(5)、表情は恐怖に凍りつき、心臓の拍数は早くなり、血圧は上昇し、呼吸数は少なくなり、筋肉はとりあえず必要がない動きを中断し、必要に応じて動かせるよう準備する(3,5)

 もちろん、扁桃体だけでなく、同じ信号が同時に思考を司る大脳新皮質にも視床から送られている(5)。大脳新皮質は、思考を一時中断して目の前の非常事態に関連した知識を過去の記憶から引き出す(3,5)。そのうえで、直接情報よりも僅かに遅れるが、大脳皮質で認知されて高次に処理された適正かつ精密な情報も扁桃体に入っていく。原始的で低次なものと識別的で高次な二種類の情報が扁桃体内で遭遇することによって、扁桃体は、過去の記憶をチェックし(3)、快か不快か、有益か有害かの判断を行い(2,3)、これに基づき逃避・攻撃行動が取られるのである(2)

 このように扁桃体には、感覚器官からのあらゆる生情報が直接的に入ってくる。そこで、大脳新皮質が何層もの神経回路を通じて情報を吟味・認識して、完全に事態を把握するより前に緊急時の危機に素早く反応できる(3,5)。すなわち、非常事態が起きた時には大脳辺縁系が新皮質を押さえ込んでしまう(1)。これが「情動」が「理性」を凌駕する現象なのである(5)

「心」は扁桃体を幹とする四層構造から作られている

 「心」と「身体」は別々のものであり、さらに意識や行動のベースとなる「心」も、大脳皮質連合野、すなわち、頭脳によって作り出されたものだと考えられてきた(5)。けれども、「大脳新皮質」がすべての情動を支配しているわけではない。感動すれば涙が流れるし、緊張や恐怖を感じれば心臓の鼓動は早くなる(1)。実際には、「こころの脳」とも呼ぶべき大脳辺緑系と大脳基底核が「大脳皮質連合野」を制御しているのであり、機能的に見れば、大脳皮質連合野は機能枝にすぎない(5)

 生物進化の基本法則は、塗り重ね構造である。脳もこれと同じで、何億年にもわたる進化史の中で、原始的な部分の上に新たな機能を塗り重ねる形で進化してきた。したがって、各部位に囚われず、「古い脳」の役割から「新しい脳」の役割を俯瞰していけば、脳の本質が理解できる。大きく見れば、脳は、@脳幹、A小脳、B大脳辺縁系、C大脳新皮質の4つに分類でき、この順に塗り重ねられて来た。脳の原型はプラナリアの段階から見られ、現在の基本構造に整ったのは今から5億年前と言われている。それ以降、「生命維持」「運動機能」「情動」をベースに脳は構成され・作動してきた(1)

1.脳幹−生命維持の脳

 脳内の最も古い部分は、脊髄の上端を取り巻く脳幹で、神経系を持つどの生物にも備わっている。脳幹は原始的で、学習や思考機能は持たない。むしろ、呼吸や代謝等の生命維持の基本機能を調節し、あらかじめ決まっているプログラムに従って反応や動作をコントロールする。爬虫類までは、この脳幹が主役だった(1)

2.小脳―運動機能の脳

 小脳は運動機能の中枢と言われ、ここがダメージを受けると運動障害が起きて平衡感覚にも異常が生じる。長らく、小脳は運動機能だけに関与すると考えられてきた。確かに、サルやヒヒまでは小脳の機能はすべて運動に関係している。けれども、チンパンジー等の類人猿や人間では、小脳は外側に大きく広がり、高度な情報処理や思考を司る大脳の連合野とつながっている。そして、近年の研究から、言語やイメージ等の高度な思考も扱うことがわかってきた(1)

3.大脳辺縁系−情動の脳

 情動脳の基礎となるのは、臭いを認識する「嗅葉」である。この嗅葉から情動を支配する脳の最初の部分が発生し、やがて脳幹の上端をとり巻くまで発展してきた。初期の嗅葉は、2〜3層のニューロンが重なったシンプルな構造で、一段目のニューロンで臭いを感じ取り、食べられるか否か、敵か獲物か、性行動の対象かを判断し、二段目のニューロンが神経系を通じて全身にメッセージを伝え、反射行動(食べる、近づく、逃げる等)を命じている(1)

 けれども、原始哺乳類の登場とともに、この情動脳が大きく変化し、新たな脳が脳幹を取り巻くドーナッツ状に発達した。脳幹を縁どる形状から、この脳を「大脳辺縁系」と呼ぶ。この大脳辺縁系によって、脳は独自の「感情機能」を持つようになった。強い願望や怒りで頭がいっぱいのとき、あるいは、恋に目がくらんでいるとき、恐怖におののいて後ずさりするとき、その行動を支配しているのは大脳辺縁系である。

 大脳辺縁系の進化で「学習」と「記憶」という二つの能力が革命的に発達したおかげで、哺乳類は生死を分ける場面で適切な選択ができ、周囲の変化に対していつも決まった反応ではなく、少しずつ対応を工夫して適応できるようになった(1)

 この情動の脳は、思考する脳が生まれるはるか以前から存在している。大脳新皮質の多くの部分は、辺縁系から派生したり、それが拡大する形で発生している。すなわち、神経回路の構造からすれば、情動を支配する大脳辺縁系が決定的な部分を握っている。大脳新皮質が情動の脳の上に塗り重ねられた事実だけで、思考と情動の力関係がわかる。系統発生的に根っ子に近い分だけ、情動を支配する脳は大脳新皮質のあちらこちらにつながる無数の回路を持つ(1)

4.大脳新皮質−思考する脳

 さらに、今から約1億年前に哺乳類の脳には大脳新皮質ができ、一気に大きく成長する。大脳新皮質が発達するとともに、脳の神経回路の結びつきも幾何級数的に増え、脳の神経結合が多いほど、選択しうる反応の種類も多くなる(1)。こうして、哺乳類では、五感から得た情報を元に、外部の刺激に応じて複雑化した脳機能によって多様な反応を示せるようになった(2)。進化の観点から見れば、大脳新皮質を得たことで、生物は逆境を生き残るための調整力が格段に高まったといえる(1)

「心」の中心は感情をコントロールする扁桃体である

 すなわち、「心の脳」は、海馬(知)、扁桃体(情)、側坐核(意志) との三つの神経核から構成されている。この三つの神経系は、それぞれ独立に機能するが、その中心となっているのが、情を扱う「感性の座」、扁桃体である。扁桃体は、大脳辺緑系と大脳基底核の両方にまたがり、海馬(知)と側坐核(意志)をコントロールし、さらに、視床下部、脳幹を介して、二重の神経線維によって身体と結ばれ、身体もコントロールしている。身体を鍛えることが「心」を鍛えることにつながるのはこのためだ。要するに、「こころ」は扁桃体を中心としたひとつの有機システムとして機能している。「心」と「身体」は密接に関連している。すなわち、心は、人間の脳、心の脳、命の脳という三層の脳と身体の4層によって構成されている(5)

 そして、扁桃体からの「心の情報」は、情報の種類によって三方向にわかれていく。心は、知(海馬)、情(扁桃体)、意(側坐核)の三つの神経核からなるが、その中核となる感性の座が扁桃体である(5)。それでは、扁桃体が機能しないとどうなるのだろうか(2)

扁桃体と海馬が「知」のベースである長期記憶に関わっている

 一口に記憶といっても、様々な種類の記憶がある。一瞬で忘れる短期記憶、常に思い出せる長期記憶、身体で憶えている記憶等、人は種類に応じて多様な記憶を行っている。記憶は、感覚記憶、短期記憶、長期記憶という段階で取捨選択されていくが、各情報を長期間記憶するかどうかを判断するのが、大脳辺縁系にある「海馬」なのである。短期記憶はまず海馬に送られて、1カ月程度保持される。その間、「生きていく上で必要か否か」という視点から厳しく審査を行い、それを通過した情報だけが(4)、側頭葉等の頭頂、後頭の各連合野の大脳皮質に送られ、長期間記憶が保存されていく(3,4,5)。自転車の乗り方やスポーツの技能等「体で覚えている記憶=手続き記憶」は、海馬や側頭葉ではなく、小脳や大脳基底核で記憶されている(4)

 情動を司る扁桃体は海馬と隣り合わせの位置にあり、相互に情報交換しており、長期記憶には扁桃体が強く働いている(2,3,5)。恐怖等の情動を伴なう記憶は通常の記憶と異なり、扁桃体に貯蔵されていると言われている(4)

 「記憶」は感情を伴うことによって強化される(2)。非常に嬉しかった出来事や非常にショッキングな出来事は生々しく記憶される。このことから、情動が記憶回路に大きく影響していることは知られていた。そして、1998年の薬理学実験(Cahill L, et al.: Trends Neurosci 1998 ; 21 : 294-9.)から、扁桃体にある「外側基底核」を人為的に刺激すると、海馬の歯状回における活動の痕跡を示す遺伝子の発現が観察された。さらに、外側基底核から歯状回への神経伝達回路は比較的長い経路とはいえ、間にシナプスを介さない単一シナプスによるネットワークであることがわかり、両者の繋がりは確かなものになった(4)。例えば、好きなことは努力しなくて覚えられ、喜怒哀楽の感情を強く抱いた出来事をいつまでも覚えているのはそのためだ。強い恐怖や危機体験が強く記憶されることも扁桃体が関わっている。海馬を電気的に刺激すると過去の記憶が鮮明に呼び起こされる「フラッシュバック」が生じることがわかっている(3)

脳で唯一成長する神経細胞を持つ海馬の可塑性は魚類や両生類から継承

 通常の神経系は生命の維持に必要な活動を管理する組織であることから変化しない。とりわけ、中枢神経系が変化したり崩壊することは個体の死に直結するリスクがあることから変化しない。神経細胞の成長や増殖が唯一可能なのは「海馬の苔状線維」といわれている。大脳系の神経細胞がまだ貧弱であった魚類や両生類は、外界変化に適応するため神経系の可塑性を神経細胞自体の成長や増殖に求め、それを海馬に託した。これが、哺乳類にも継承されているのである(4)

可塑性のために傷つきやすく、萎縮する海馬

 けれども、外界の変化に臨機応変に適応し、成長や増殖するという可塑性を持たせたことから、海馬は非常に脆く、壊れやすい。例えば、脳が酸素不足に陥ると最初に死んでいく細胞も海馬である。さらに、強いストレスがかかると海馬はダメージを受けて萎縮し、五感からの情報を分類・整理する働きが低下する(4)。そこで、記憶を司る扁桃体と海馬がダメージを受けると、モノ忘れや集中力を欠くようになり(3)、昔のことは覚いだせても、新しいことはすぐに忘れ覚えられなくなってしまう(4)。これが進行すると認知症やアルツハイマー症になる(3,4)
戦争等の過酷なストレスや鬱でも海馬が萎縮することが知られ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)は海馬の異常によるとされている(4)。

「情」を扱う右脳扁桃体がダメージを受けると愛情を失い仲間と交流できなくなる

 愛情や憎しみに関する情動は視床下部方向に向かい(2)、扁桃体は、生存に重要な危険や恐怖を呼び起こす対象である外敵や獲物に対して反応する(3)。そこで、扁桃体を破壊されたサルは、通常であれば見ただけでも恐れたり逃げたり、怒って攻撃をするヘビやクモに対して何の反応すら示さず、口に持っていき食べようすらする。人間でも扁桃体が機能しないと、生存上、有益か否かの判断ができなくなってしまう(2)

 また、扁桃体は、愛くるしい対象や仲間に対しても反応する。自然の景観や芸術等に接したときの情感、崇高な宗教的経験の感情や超越的感動も扁桃体に根ざしている(3)。個体の危機行動だけでなく、相手の表情から意図を読み取るなど社会的認知行動とも関係が深い(2,3)。扁桃体が傷つくと集団の中で孤立する等社会生活がうまくいかなくなることが確認されている(3)。大脳にあるすべてのホルモンは身体にもある。そこで、ダメージが扁桃体支配下の視床下部にまで障害が及ぶと、情動障害、激怒や飢え、性欲異常、自律神経の失調等の症状が生じる。心の構成要素とである情動身体系のダメージがすべての精神病や精神障害の原因となっているのである(2)

「意」を扱う側坐核がダメージを受けるとやる気を失う

 第三はやる気である。やる気に関する意志行動系の情報は側坐核の細胞群に送られる。側坐核からは、前頭前野と各運動連合野に出力される。扁桃体や側坐核に障害が起きると、やる気を失い、気分が欝となり、ひきこもりや不登校等につながる(5)

イメージされた危機や恐怖に左脳の扁桃体は反応する

 さて、左脳の扁桃体の役割は、イメージした恐怖に反応することである。その一つの事例を示す。あるグループに病院のベッドで寝ている患者の写真を見せて、「治癒する見込みがない」と説明したうえで、その患者になることをイメージさせると、恐怖と関係する左脳の扁桃体の活性が高まる。そして、イメージと関係する左脳の前頭前皮質の活性も高まる。すなわち、恐怖をイメージしていることがわかる。一方、これと別のグループに同じ写真を見せながら「病気が回復途上だ」と説明すると、扁桃体の活性は左右ともに低下し、前頭皮質の一部の活性が高まる。

 この実験からは、「イメージされた恐怖」によって左脳の扁桃体が活性化し、認識を変えることで感情の反応がコントロールできることがわかる。すなわち、右脳の扁桃体は、生の外界刺激に直接反応するが、言語や観念を司る左脳と結びつきが強い左脳の扁桃体は、左脳の大脳新皮質がイメージした恐怖の信号を受けて反応しているのである(3)

幼児期に形成される情動反応

 扁桃核の情動反応は、生で粗な情報に反応することから不正確さを孕む(3)。このシステムは、プラスに働けば、瞬間的にリスクを回避できる。けれども、この回路はよく間違いを犯す。そのため、大脳新皮質が慎重に情報を分析し判断するよりも一瞬早く、扁桃体からの命令で人間は反射的に行動を起こしてしまう。これを「脳の誤作動」と呼ぶこともある(5)

 情動反応が不正確さを増すもうひとつの理由は、強烈な情動の記憶は生後2〜3年までの幼少時に作られるためである(5)。生後まもない時期には、言語的に文脈を記憶する海馬や、理性的思考の場である大脳新皮質が発達途上であるのに対して、扁桃体は誕生の時点でかなり発達しており、生後まもなく完成する。このため、この幼少期に虐待や遺棄等で、深く心が深く傷ついたときには、本来は不要な恐怖や不安反応を示すことがあるのである(3,5)

【引用文献】
(1) 2012年8月22日「君もシャーマンになれるシリーズ13〜脳は「生命維持」「運動」「情動」「思考」の4層から成る」生物史から自然の摂理を読み解く
(2) 2012年12月30日「君もシャーマンになれるシリーズ18―危機察知⇒予測思考を可能にする第一歩は、外圧の変化(自然、種間、同類)に適応すること」生物史から自然の摂理を読み解く
(3) 2013年1月31日「君もシャーマンになれるシリーズ19―扁桃体がシャーマン脳の鍵を握る!?」生物史から自然の摂理を読み解く
(4) 2013年2月17日「君もシャーマンになれるシリーズ20―海馬:汎用化された記憶を手がかりに人は予測する」生物史から自然の摂理を読み解く
(5) 2013年3月21日「君もシャーマンになれるシリーズ21―こころの脳:神経の仕掛け線と身体の反応、心の形成」生物史から自然の摂理を読み解く

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2015年08月16日

第34講 右脳と未来予知(3)右と左の機能分化

急速に進化しすぎた人類の脳

 自然界に存在するものは、山であれ、なんであれ、基底部が大きく安定している。生物の司令塔である脳は安定した存在であるべきだ。けれども、人類の脳は他の動物と比べて、基底部よりも上部の大脳新皮質が大きすぎ、どこか不安定・アンバランスな形状をしている(2)

 人類は急速に「思考(観念)機能」を進化させ、これによって、人類は逆境を生き延びることができた。けれども、急速な進化を遂げた大脳新皮質が脳をコントロールすることで、それ以前の脳(脳幹、小脳、大脳辺縁系)の機能が制御・抑制されてしまっている。逆にいえば、大脳新皮質の思考機能を抑えることで、脳の基底的役割(生命維持、運動機能、情動)を開花させることができる。ここにシャーマン脳のヒントがある(2)

イタコやシャーマンは右脳が活発化している

 脳波測定装置でイタコの脳波を測定してみると驚くべきことがわかる。依頼者の話を聞いているときには左側の前頭葉が活発に活動して、右半球の活動は目立たないが、死者がのり移って語りだす「口寄せ」が始まると、右半球の前頭葉の活動が優勢になる。

 イタコのケースほど急激ではないものの、日本古来のシャーマン、宮古島のユタの前頭葉の脳波も、歌が始まると30秒ほどで左半球の前頭葉の活動が抑えられ、右半球の前頭葉では、ベータ波(活発な思考や集中と関連する脳波)が高まり、神様と話しているときには、右半球の前頭葉がはっきり優位となっている。

 さらに、ユタの一人、根間ツル子さんの脳波では、通常ではまったく見られないベータ波の20〜30ヘルツで強いピークが認められる。また、デルタ波は通常は深く寝入っているときにしか認められないが、歌が始まり4〜5分が経過すると、非常に低い周波数のデルタ波が、とりわけ、右脳で強く出はじめる(1)。すなわち、シャーマンがその能力を発揮している時には右脳が活性化している。このため、シャーマン脳のヒントは右脳にある(4,5)

右脳・左脳分化は脊椎動物から見られる

 長らく、言語や右利き、空間関係等の脳内での処理能力の偏りは、人間だけに見られる特徴で、それ以外の動物には右脳や左脳の機能に差はないと考えられてきた。けれども、数々の観察や実験から、他の動物も右脳と左脳の機能が分化していることがわかってきた(4)。生物の脳は、一塊の神経節から発生している。いわゆる「中枢神経」が誕生した段階では、脳の左右分化はまだ見られない(5)。けれども、右脳と左脳の分化は、約5億年前に脊椎動物が出現した時に既に見られ(3,4)。脳の基本構造や右脳左脳の機能差の原型が誕生した(4)。明確な左右分化が始まるのは、魚類の段階からである。そして、爬虫類、両生類、哺乳類、霊長類へと進化して「新しい脳」が塗り重ねられる毎に左右分化が進んでいく(5)

左脳はパターン化された行動を調整している

 一般的に、右脳は感情や感覚を担い、左脳は主に言語や論理を担うとされている(5)。けれども、多くの生物実験の研究結果から、「パターン化した日常的な行動」を担うのが左脳である一方、「天敵に出くわすなど突然の場面での行動」をコントロールするのが右脳であるように役割分化してきたことがわかってきた(3,4,5)

補食行動は左脳の働きでなされている

 脊椎動物の多くは神経回路が左右で交叉しているため、右半身を左脳が、左半身を右脳がコントロールしているのだが、左脳が日常的な行動の制御に特化していることを裏づける証拠として、数多くの脊椎動物の日常的な摂食行動が右側に偏っていることがあげられる。

・魚類、爬虫類、ヒキガエルは、自分の右側にいる獲物を捕まえる傾向がある。
・ニワトリ、ハト、ウズラ、セイタカシギ等の鳥類は、主に右眼で様々な種類の餌をつついたり獲物を捕まえたりしている。
・ニュージーランドのハシマガリチドリのクチバシが右に湾曲しているのも主に右眼を使って川底の石の下にいる餌を探すためである。
・ザトウクジラの観察結果から、75頭のうち60頭に右の顎だけにすり傷があり、他の15頭は左の顎だけにすり傷があることが見出された。これは、クジラが海底の餌を集めるときに片方の顎を好んで用い「右顎利き」の方が標準的であることを示している。
・霊長類(サル)に両手を使って餌を取らせる課題を与えると、右手がよく使われることが明らかになった。同じく、好物のハチミツをプラスチックの筒に入れると、ハチミツを掻き出す作業では2対1の割合で右手が使われる。また、食べ物を見つけるために難しくて複雑な課題に取り組ませると、利き手を好んで使う。例えば、チンパンジーは右手で道具を使う。

 このように、魚類、爬虫類、両生類、鳥類、哺乳類等、すべての脊椎動物は、通常の摂食行動で右側を偏って使っている(4)

左脳が担うコミュニケーション

 音声言語や非音声言語も、人類が出現するはるか以前から存在していた動物に生じた大脳半球の機能差に由来する。そして、鳥類の研究からは、左脳が歌を制御していることが明らかになっている。また、アシカやイヌ、サルでは、左脳が同種の仲間の泣き声を認知している。そして、サルの一種であるコモンマーモセットは、仲間に向けて友好的な鳴き声を出すときには、口の左側よりも右側を広く開ける。ヒトも話すときには口の右側を左側より大きく開く傾向がある(4)

 このように、日常行動のひとつである発声機能や言語でも身体的な右側、すなわち、左脳の優位性が認められる(4)

リスクを回避するために生物は感覚器官を進化させた

 どの生物も外部環境から情報をキャッチすることで行動している。単細胞生物も「受容体」で特定の物質濃度を感知して、その濃度勾配によって行動する。これを「走化性」と呼ぶ。ただし、走化性に見られるようなシンプルな行動では絶滅してしまうリスクも高い。そこで、多くの情報をキャッチし、それに応じて多様な行動が取れるように生物は感覚回路を進化させてきた(6)

 まず、最初にできた「感覚器」は嗅覚器である。もともと味と臭いを感知する器官は分化せず、ひとつの化学受容器で感知していた。「味覚器」は生きていくのに安全な食べものかどうかを「毒見」する接触刺激器官である。一方、遠方にある敵や獲物を感知する「遠隔刺激」の器官が嗅覚器である。さらに、眼を獲得した動物達は、さらに世界や他の動物を遠方からはっきりと認識するようになっていく(6)

リスクを回避する右脳の機能は魚類段階から進化した

 魚類は、視覚、聴覚、側線感覚をたよりに、振動や音といった外部刺激をキャッチして、逃避行動を起こせる。延髄が感じた興奮が脊髄に伝わり、筋肉を収縮させて、反射的に刺激とは反対の方向へと進む(6)。そして、魚類、両生類、鳥類、哺乳類は、いずれも左視野(脳の右側)に捕食者(天敵)が入った方が、右視野(脳の左側)に入ったよりも大きな回避反応を示すことが、様々な動物の捕食者に対する反応を調べた研究から論拠が得られている。このことから、脊椎動物の進化の初期に、想定外の刺激を感知し、それに反応する機能を脳の右半球が受け持つようになったことがわかる(5,7)

 人間でも、即時的な行動が必要となる想定外の刺激に対しては、右利きでも左手(右脳)の方が早く反応する。ワシントン大学のフォックスらは、こうした研究から、ヒトの警戒システムは右脳にあり、想定外のリスクを回避する機能は右脳が担っていると結論づけている(5,7)

顔を見分けて仲間を認識するのも右脳の力

 けれども、魚類は、危機に対応してただ反射的な逃避行動をするだけではない。さらに、高度な進化形態である「群集行動」も取れる(6)。想定外の天敵から逃避する以外に、初期の脊椎動物がすばやく反応する必要があったのは、同種の仲間との出会いであった(5,7)

 魚類や鳥類では仲間の群れを認識し、すぐに反応する社会行動が見られるが、これをコントロールしているのも右脳である。ケンブリッジ大学のケンドリックは、ヒツジも顔の記憶から他のヒツジを認識でき、この認識は右脳がかかわっていることを明らかにした。すなわち、相手の顔を認識する右脳の能力は、比較的初期の脊椎動物が手にした同種の仲間の外見を認識する能力に由来する(5,7)

 人間でも、相手の顔を認識できなくなる「相貌失認」は右脳の障害に原因があることから、顔を認識する機能は右脳にあることがわかっている(5,7)

左脳は部分に着目し、右脳は全体のパターンを認識している

 イスラエルのハイファ大学のナボンの実験から、人の全体と部分の認識力に関して驚くべき事実が明らかになった。脳にダメージのある患者に、約20個の小さなAが大きなHを形づくるように並べた図を見せ、その図を描かせたところ、左脳にダメージがあっても右脳が正常な患者は、小さなAの文字をまったく含まない単純なHを書くことが多い一方で、右脳にダメージがあって左脳が健全な患者は、小さなAの文字を紙全体にばらばらと書いたのである(5,7)

 このことから、左脳は部分に着目する一方で、右脳は詳細な特徴にはあまり注目せず、全体状況に注意を向けていることがわかる。すなわち、右脳は個々の要素ではなく、つながりの全体パターンとして空間を捉えていることがわかる(5,7)

右脳の全体把握と危機回避力、仲間認識力はシャーマンの能力と関係する

 「右脳」の役割をまとめると@危機回避機能、A全体把握機能、B顔認識機能(同類認識)であることがわかる(5)

 さて、人類は観念回路を獲得したことで、様々な現象のつながりを見出したり、想像力を働かせることで、感覚回路で捉えるよりも早い危機察知を可能にした。そして、こうした能力も本能的な右脳の危機察知回路の上に形成されてきた(3)。危機を察知して対応するために、感覚回路との結びつきは、右脳の方が左脳よりも強い(2)。直感力は一般的に右脳の特徴とされるが、これは、危機察知のために右脳と強く結びついた感覚回路と観念回路による想像力・観察力の結果であろう(3)。したがって、トランス状態に入って右脳が活性化しているシャーマンは、右脳の危機察知回路と結びついた感覚回路・観念回路から、その未来予知・予言能力を得ているのであろう(3,5)

 最も高度な能力が必要とされるのは「未来予測」で、全体を見据えた上での総合的判断が必要となる。これも、右脳の持つ、全体把握能力が生きている(5)

 さらに、顔の認識力も、同類の判断と共に相手の表情から、相手への同化を行う上で最も重要なファクターといえる(5)。そして、対象への深い同化には、βエンドルフィンの分泌で活性化も関係している(3)。以上のように、右脳の役割はシャーマンの能力と深く関係する(5)

サヴァン症候群でも右脳が活発化している

 シャーマン以外で大脳の右半球の活動が活発化する「症例」には、「サヴァン症候群」がある。サヴァン症候群とは、言語・論理的には知的障害であっても、膨大な書籍を一度見ただけで記憶したり、10桁以上の素数を言えたり、初めて聞いたチャイコフスキーの曲をいきなりピアノで再現できる等、特定分野で超常的な能力を発揮する人々のことである。

 サヴァン症候群は、言語野のある左脳の損傷が原因で、それを補完するために右脳が能力を発揮していると言われている。あるいは、通常は何らかの形で左脳が右脳を制御しているのが、左脳がダメージを受けたことで、その抑制が取り払われ、右脳の能力が全面的に発揮されているとの仮説もある(1)

 このサヴァン症候群のように、右脳だけが強く働く事例もある。けれども、これは極めて特異であって、全体からすれば、右脳と左脳とは一体となって全体的に機能していて、それぞれは単独では機能しない(7)

左脳は分析的、右脳は直観的だが右脳開発論は間違っている

 世の中には直感力に優れた人もいれば、論理能力に長けた人もいるが、右脳と左脳が機能分化しているといっても、右脳型の人は右脳ばかりが働き、左脳型の人は左脳ばかりが働いているわけではない(7)

 例えば、脳の両半球の機能差に焦点をあてた研究は以前から数多くなされている。その代表的なものにガザニガとルドゥー、スプリンガーとドイッチュ、ブライデン、ヤングらの研究がある。こうした研究からは、一部の例外を除き、左脳と右脳の機能差は予想に反して小さいことがわかっている。脳機能の観点からは、重要だがいわれたほどの違いはない。より正確に言えば、ある特定の知的作業に関してはいずれの半球も行えるが、一方の半球の方が他方よりも優れているという連続的な機能差しかない。

 脳にダメージを受けた被験者を調べることから、言語情報関しては、左脳の方が右脳よりも優れていることが判明している。左脳の特定部分の言語野がダメージを受けると、失語症という機能障害にかかるからである。普通の人間を被験者にして研究からも、左脳の方が言語処理では適して早いことがわかっている。とはいえ、その反応時間差は微々たるもので、100ミリ秒単位の違いでしかない。すなわち、左脳の方が優れているが、右脳にも言語情報を処理する能力はある(8)

 一般的に、左脳は分析的・合理的・論理的な脳、右脳は創造的・芸術的・直感的な脳であると言われる。そこで、教育論やビジネス能力開発では、論理的な「左脳中心」の現在教育で直感力や創造力に優れたこの「右脳」の能力が封じ込められているため、天才脳を育てるためには右脳の能力を伸ばす「右脳教育」を重視すべきだといった「右脳信仰」とも言える主張がなされている(7)。けれども、脳腫瘍や脳卒中等の疾患で脳にダメージを受けた患者の創造力や芸術性の変化を調べることから、絵や音楽の創造性が右脳に宿っているという俗説はまったくのでたらめであることが判明している。左脳をオフにして、右脳で自由な発想をしようという手法「ブレーンストーミング」もまったく効果的でも効率的でもないことが明らかになってきている(8)

 流行する教育論のように右脳だけを鍛えることなど出来ないし、そうした偏ったトレーニングで、「右脳教育」を推し進めた結果、様々な障害が生じているケースさえあり、それは危険なのである(7)

【引用文献】
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2015年08月15日

第33講 右脳と未来予知(2)

アジアのシャーマンは太鼓のリズムで肉体と魂を切り離す

 あらゆる自然現象にはリズムがある。生命はその進化の過程で、自然現象に、呼吸や心臓、脳や生殖のリズム等を見出してきた。私たちがリズムに心地よさを見出すのは、それが、生命や自然との共鳴だからだ。すなわち、リズムをあわせることは、生命が太古の昔から継承してきた「振動する身体」を確かめている瞬間だともいえる(4)

 アジアのシャーマンたちは、儀式で歌や音楽を使い、トランス状態に入っていく。シャーマンが精神世界へと移動するには身体と魂を切り離す必要がある。そのきっかけに使われるのが太鼓である(3)。儀式の方法は地域によって異なるが、一般的には太鼓による独特なリズムに合わせて意識を変え、予知や治療などの超常的能力を発揮していく(3,4)。地域差はあるが、太鼓のリズムは心拍数に近い100〜120BPMのリズムを刻む。現代でもトランス音楽等で100〜120BPMのリズムを長時間聞き続けるとトランス状態に近い意識になることができるとされている。だから、シャーマンにとって、太鼓は重要な意味を持つ。太鼓を魂の乗り物と位置づけている地域すらある(3)。シャーマンが叩く太鼓のリズムは、人類の身体に記憶されているリズムと自然界の波長をあわせ、生命が内包する自然のリズムを増幅させるアンプのような役割を担っている(4)

中南米のシャーマンは幻覚植物を利用して肉体と魂を切り離す

 アジアのシャーマンが踊りや祈り、歌で覚醒していくのに対して、南米、とりわけ、中南米の原住民たちは、1万年以上も前から幻覚植物を利用して覚醒する(1,2)

 例えば、南米のシャーマン(クランデーロ)は、アマゾン川流域に自生するアワヤスカとチャクルーナの葉を混合させて作った幻覚剤を利用する。アヤワスカの有効成分はハルマリン(1,2)、チャクルーナの有効成分はトリプタシンであり、強力な幻覚作用を持つ。服飲後30分ほどで効果が現れ、作用時間は2〜6時間程度だが、強力な幻覚作用に襲われる(1)

 メキシコのインディアンは、メスカリン等の幻覚性物質を含む幻覚サボテン「ペヨーテ」を利用し、マヤやアステカ等のメキシコ文明でもシロシビンやシロシンを含む100種類以上の幻覚きのこ「マジックマッシュルーム」が儀式や治療に用いられた(2)

リズム運動はセロトニンを活性化させ、幻覚を引き起こす

 幻覚植物を利用しない場合であれ、する場合であれ、シャーマンたちがトランス状態に入って幻覚を見る点は共通している。幻覚=トランス状態の鍵を握るのが「脳の安定化装置」である(2)

 歩行や呼吸、咀嚼といった反復したリズム運動を行うと、脳内のセロトニン神経が活性化することが実験から確かめられている(4)。また、踊りや歌等による単純なリズム運動もセロトニン神経を活性化させることがわかっている。また、幻覚植物の成分であるシロシビン等は、セロトニンとよく似た分子構造を持つ。このため、セロトニンレセプターの働きを強める(2)

 人類の脳は、それ以外の動物に比較して大脳新皮質が極端に肥大化し「不安定化」している(2)。このため、脳に外部から流入する情報を取捨選択することで脳の安定化が図られている。ところが、セロトニンやその受容体であるセロトニンレセプターと呼ばれる脳神経伝達物質の働きが強まると、この安定化装置の「ネジ」が緩んで外界情報が次々と流入してくる(2,4)。このため、普段はゲットされない膨大な外部情報が脳内に流れ込む。この外部情報と潜在意識に記憶されている情報とが組み合わされたときに、人は「幻覚」を見るとされている(4)

脳内麻薬を分泌する松果体〜幻覚を誘発するジメチルトリプタミン

 また、脳の中心付近の脳幹や小脳上部に位置し、2つの視床体が結合する溝にはさみ込まれた約8mmの赤灰色の内分泌器官、松果体からは、生死に関わる危機に陥った時に脳の麻薬物質と言われ幻覚を引き起こす「ジメチルトリプタミン(DMT)」が分泌されることがわかっている。DMTは、「アヤワスカ」の他、ある種のヒキガエルやヒトの血球等にも存在する物質である(7)

 未開部族らが祭りや踊りを通じてトランス状態に陥り、非日常的世界を経験するのは、ある種のリズムや運動でDMT等の脳内物質が放出されるためだとも言われる(7)

ジメチルトリプタミンの働きで臨死体験が起きる

 松果体は、扁桃体が形成される以前から存在する古い器官で、脳幹等の古い脳とより密接に関係している。そして、脳の深部に到る三つの神経節細胞を有し、その一つは脊髄の巨大なニューロンとも結合している。

 生死に関わる危機にさらされると、松果体から幻覚物質ジメチルトリプタミンが放出されるのは、危機や死に対する恐怖を和らげるためではなく、日常的にはフィルターがかかった情報を認識し、危機に対処するための過去の記憶を呼び起こし、危機に対する突破口を切り開くためだとも言える。

33Rick Strassman.jpg 齧歯類の研究等から松果体で生成される幻覚物質やホルモンは、神経細胞であるニューロンの感受性や反応に影響を与えることがわかっている。そこで、DMT等によって、例えば、電磁波のように普段は認知できない外界刺激を感知できるようになる可能性もある(7)

 ニューメキシコ大学の精神医学者リック・ストラスマン(Rick Strassman, 1952年〜)教授が、計60人以上の被験者に対して400回以上に渡ってDMTを静脈注射で投与する実験を行ったところ、被験者の半数近くが地球外生物のエイリアンに遭遇したという。そこで、ストラスマン教授は、宗教的な神秘体験や臨死体験は松果体で生産されるDMTが関係すると考える。また、米国の幻覚剤の研究家であるテレンス・マッケナ(Terence McKenna, 1946〜2000年)は、DMTはエイリアンがいる異次元に誘う作用があると主張している(7)

生物は無意識で周辺環境を判断してきた

 長い進化史を見れば、生物は脳がない時代から、身体感覚を用いて情報を得て判断してきた。大脳新皮質、主に前頭葉が発達することで意識が形成され、さらに、250万年前に言語が発明され、言語情報を共有することによって、人間の環境適応度はさらに高まった。けれども、このことで、無意識から情報を引き出す能力は弱まった。脳内で顕在意識だけを処理する、言わば観念病に侵されているともいえる。無意識の領域から情報を引き出すには、観念レベルを超えた判断が必要なのである(6)

シャーマンは無意識から情報を得て幻覚を見ている

33Mckenna.jpg ヘミシンクと呼ばれる音楽は、僅かに異なる波長のリズムを左右の耳から流す。脳は左右の耳から入るリズムを同調させようとするが、微妙に波長がずれているため、リズムにゆらぎが生じ、幽体離脱などのトランス状態を引き起こす(4)。これと同じく、シャーマンは脳の安定化装置を緩めることで、トランス状態に入り幻覚を見ていると言える。そして、トランス状態に入ると、通常では入ってこない、自然界の微細な動きや人の肉体の微細な変化、心の変化と言った情報も脳内に入ってくる。シャーマンの働きは、こうした通常では掴み取れない微細な外界情報をゲットすることにある(2)

 シャーマンの脳は、左半球の前頭葉・大脳新皮質(=言語野)の働きが抑えられ、言語以前の空間把握を司る右半球の働きが活発化している。思考の集中時に見られるベータ波に、通常では見られないピーク波が現れる一方、通常眠っている時にだけ見られるデルタ波も現れる(5,6)。いずれも、通常の脳の活動状況には見られない現象だが、シャーマンの脳は、デルタ波が示す睡眠時と同じ無意識下で情報を処理すると同時に、ベータ波が示す無意識領域から何らかの情報をゲットしていると考えられる(6)

 そして、DMTで目にされる幻覚が誰しも似たような内容であることは、こうした幻覚が、人類が過去に経験して蓄積して共通に持つ古い記憶『集団的記憶(集団無意識)』に由来する可能性が高いことを示唆する。そして、その集団的記憶は、危機に直面した際に生存の可能性を高めてきた(7)。すなわち、普通の人間のイメージを超えて、表層意識ではなく、無意識領域に蓄積された情報源からの情報を意識的に収集することで、直感的に物事の方向性を決定するシャーマンの能力は、原始人類には生き残るうえで欠かせない予知・予言となってきたのである(6)

【引用文献】
ストラスマン教授の画像はこのサイトから
マッケナ氏の画像はこのサイトから
posted by la semilla de la fortuna at 17:49| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする