悟りの証とされた未知なる物質仏舎利

けれども、シッタールダの遺骨だけが仏舎利なわけではない(2)。チベットの高僧は、死後も腐敗しない。呼吸も止まり心臓も止まっているが、皮膚の色は赤みを帯びたままで数日から数週間にわたって、瞑想のポーズが保たれ、この状態が、数日、人によっては数週間つづく。この現象は、チベット語で「真実の心」、あるいは「聖なる心」という意味で「トゥクタム(thugs dam)」と呼ばれているという(6p189)。
「トゥクタム」だけでも十分に驚くべき現象だが、さらに摩訶不可思議な現象がある。ある一人のラマがトゥクタムに入ったとの報告を受けたダライ・ラマ14世は、仏塔と同じかたちの小さな構造物、「プルカン」を造って、その中で弱火で1週間以上かけてゆっくりと遺体を焼き上げるようアドバイスをした。そして、一週間後、建物を空けてみると、白い骨片と遺灰の中から五色の仏舎利が出て来たというのである(5p228)。
仏教では、悟りを開いた高僧は、凡人ではとうてい蓄えることができない物質をこの世以外の領域から体内に蓄積することができるとされてきた(3)。そして、トゥクタムに入れるほどある程度、高い悟りを得た人の場合では、荼毘に付されれば、ブッタと同じように遺灰の中には真珠や宝石のような仏舎利が残される(2,3,6p202)。確かに、普通の人たちの火葬では、そうした物質は残されない(3)。そして、その美しさは、僧侶の魂が存命中に到達した純粋さを表し、ニルヴァーナの証とされてきた(2)。中国の仏典に出てくる仏舎利は白いものだが、密教修行で高い境地にまで達すると五色の仏舎利が出るとされている(6p203)。
浄土教徒(Many Pure Land Buddhists)は、阿弥陀仏(Amitabha)の力によって、仏舎利が出現すると信じている。また、鳩摩羅什(くまらじゅう、クマーラジーヴァ、Kumārajīva、344〜413年)は、約300巻もの仏典を漢訳し仏教普及に尽力したが、その翻訳が間違っていなかった証として、火葬のされた後も鳩摩羅什の舌は無傷のまま残されたとの伝説も残されている(2)。
仏舎利の成因を科学的に考える
仏舎利はどのようにして生じるのか。その理由を科学的に説明するためいくつかの成因説が提唱されている。
まず、仏舎利は、体内で生理的に形成されたとの説がある。僧侶たちは長時間瞑想するため代謝が低い。厳格な菜食主義に従うためその食事の内容もふつうと違う。そして、ビタミンの欠乏は腎結石につながる。つまり、瞑想習慣や食生活によって形成された腎結石が仏舎利だというのである。
けれども、運動不足や低代謝で結石が作られるとすれば、その僧侶たちは生前にかなりの苦痛を感じていたことになる。けれども、ブッダが胆石や腎結石の痛みで苦しんでいたとはどうも思えない。さらに、胆石であれば、その色は通常、暗茶色か黒色なのだが、仏舎利の色はこれとは違う。
さらに、胆石や腎結石はコレステロールが過剰に蓄積したときに形成される。肉食をしない僧侶たちの脂肪摂取量は平均よりもかなり少ない。また、タンパク質はマメから摂取されるが、マメにはコレステロール値を下げる働きがある。つまり、現実の僧侶たちの食生活は腎結石にかからないことにつながっている。
第二は、僧たちが禁欲生活を送っているため、精子が体内に蓄積し、その精液が硬化したものが仏舎利であるとの説がある。けれども、この説も、比丘尼が死後に荼毘に付されたときにも仏舎利が見つかったことから誤りであることがわかっている。
第三に、仏舎利は、真珠貝が形成する真珠と同じようなものではないかという説もある。タンパク質や炭水化物といったふつうの有機物は荼毘に付されれば燃えてしまう。そこで、仏舎利は無機物であるに違いない。そして、軟体動物は、身を守るために、アラゴナイト(aragonite)やタンパク質コンキオリン(conchiolin)を分泌する。そして、真珠貝では、砂粒やバクテリアといった異物が刺激となって、真珠が形成される。そして、ある状況下では、人間の骨が結晶構造を作れるとの証拠もある。確かに、化学分析をしてみると仏舎利の化学成分は骨に近い。けれども、髪、肉、血からなる仏舎利もある(2)。
常識を超えた仏舎利の異常な物理化学特性
1993年に、韓国の仁荷大のイム・ヒョング・ビン(Lim Hyoung Bin)博士は、仏舎利の成分を化学分析している。そのリポートによれば、仏舎利からは、カルシウム、リン酸、酸化アルミニウム、フッ素、二酸化ケイ素、ナトリウム、クロム、マグネシウム、リチウム、チタン等12種類の成分が特定された。それは骨と類似しているが、奇妙なことに放射性元素のプロトアクチニウム(Pa= Protactinium)も含まれているのである(2)。
さらに、チベットの密教経典『燃え上がる遺骨』によれば、仏舎利にも普通の白い仏舎利と青いラピスラズリやサファイア、緑の球、ルビーのような鮮やかな色彩に輝く仏舎利の2タイプがあり(5p231,6p203)。後者は金床の上に置いてハンマーでたたいても壊れないという(5p231)。
実際、仏舎利はダイヤモンドよりも硬いことが知られている。スチールですら12000lb/m2で壊れるのだが、イム博士の試験でも仏舎利は15000 lb/m2でも無傷のままであった。さらに3000度でも無傷なほど高熱にも耐える。その不可解な起源に加えて、その信じ難いほどの物理化学的特性を理解する多くの試みは、実を結ばなかったのである(2)。
さらに、『燃え上がる遺骨』によれば、仏舎利は遺灰の中に残されるというよりも、頭蓋骨のところから小さな球が次々と出て来てそれが増殖していくという(6p203)。根っからの合理主義者で、ひどく疑り深い京都文教大学の永沢哲准教授はこの様子を確認にいく。そして、准教授が目にしたのは、ラマのものと思しき真っ白な頭蓋骨だった。そして、その中からは直径2cmほどの白い球のような球状の無数の骨が溢れ出し、時間が経つに連れて透明な真珠へと姿を変えているのであった(6p229)。
仏舎利からは聖なるエネルギーが放出されている

けれども、現実の仏舎利は希少で、かつ、聖なるものと考えられて来たため、この現象に関しては、ほとんど研究がなされてこなかった(3)。けれども、スタンフォード大学のウィリアム・A・ティラー(William A. Tiller)名誉教授とメイヨー・クリニック(Mayo Clinic)の医師、ニシャ・J・マネック(Nisha J. Manek)博士は、仏舎利に関する研究を行い、2012年にアリゾナ大学で開催された『意識科学に向けた会議(Toward a Science of Consciousness Conference)』でその結果を発表した(3,4)。そして、仏舎利には生前の僧の意志が刻印されていると述べ、多くのファンを喜ばせた(4)。
マネック博士は、スタンフォード大学で学んだ後、長年、メイヨー・クリニックで働き、現在は、ティラー名誉教授の「心霊エネルギー科学研究所(Institute for Psychoenergetic Science)」で研究を行っている(3)。博士は、仏教徒ではなかったが、2009年9月にミネソタ州のミネアポリス(Minneapolis)で開催された仏舎利の展示会に参加したところ「私の世界観はひっくりかえってしまいました。人生が変わる経験をしてしまいました」と博士は語る(1)。

2010年7月30日。ロサンゼルスのヒンズー教徒寺(Los Angeles Hindu Temple)でまた別の仏舎利の展示会が開催されるが、マネック博士は9ヵ月前の体験を再確認する。そして、数千人の展示会への参加者からのメッセージや電子メールから、やはり認識のシフトが生じていたことが判明する。
参加者たちがどのような宗教を信じているのか、瞑想の習慣があるのかどうかは重要ではなく、多くの人々が深い平和な感覚を報告して涙を流した。病気が快復してしまった人もいた。ある初老の男性は重い糖尿病で腎臓透析をしていたが、それさえ治ってしまった。そして、展示会に参加した1年半後もまだ健康だという。

2011年7月には、ケニアのナイロビで3日間、やはり仏舎利の展示会が開催され約5000人が訪れたが、この展示会でも、様々な信仰や経験を持つ誰もが平和と落ち着きを感じ、人生において何をすべきかについて最高の直観を得たと報告している(1)。

脳を越える肉体なきマインド
自然を理解するための従来の科学的な研究方法とは、科学的な事実として認められることを『ボトムアップ』で構築していくアプローチである。けれども、仏舎利展示会に参加したごく普通の人たちのスピリチュアルな経験は神経科学的な従来の意識モデルが瓦解することを意味する。
神を信じることと実際に神に接した経験をすることとはまったく違う。仏舎利は、言葉や文字を介さずに「無条件な慈悲」のエネルギーを人々に直接与えている。高いスピリチュアルな状態についての知識ではなく、インスピレーション体験を強力に伝播する能力がある(1)。
これは、仏舎利に意識、生来の知性(innate intelligence)があることを意味する。そして、この異常で奇跡的に見える仏舎利現象を理解するためには、物理的に存在しない『肉体』や『神経系』を研究するという事実に直面せざるをえなくなる。なぜならば、物理的な『肉体』や『神経系』に一切依存することなく、どうしたわけか仏舎利からは「無条件な慈悲」といった高められた意識(evolved consciousness)が発せられているからである(1)。

それでは、「無条件の慈悲」のような意識は、いかにして、仏舎利の形で存在できるのであろうか。この謎に答えるには「精神エネルギー科学(Psychoenergetic science)」が役立つ(1)。マネック博士は「仏舎利からある種のエネルギーが放射され、それが自分の心臓に流れていると感じた。このような経験ができるものはなかった」と説明するが、博士が主観的に感じたエネルギーを客観的に測定するための方法をティラー名誉教授は開発してきたからである(3)(続)。
【画像】
ブッダの銅像の画像はこのサイトより
永沢哲准教授の画像はこのサイトより
聖母アマチの画像はこのサイトより
ニシャ・J・マネック博士の画像はこのサイトより
光の写真は文献(1)より
ゲシェ・ラマ・コンチョグ師の画像はこのサイトより
ウィリアム・A・ティラー名誉教授の画像はこのサイトより
【引用文献】
(1) Nisha J. Manek and William A Tiller, The Sacred Buddha Relic Tour: For the Benefit of All Beings Presented at the Annual Toward A Science of Consciousness Conference: Forum on Eastern Philosophy Symposium University of Arizona Center for Consciousness Studies, Tucson, Arizona, April 9th, 2012
(2) Biochemical Mysteries, Last Assignment: Solution?, Hypotheses/Theories relating to the Mystery,April 2013.
(3) Tara MacIsaac, What Are the Pearl-Like Objects Found in Monks’ Ashes After Cremation?, The Epoch Times, Feb28, 2014.
(4) Manchán Magan, Do Buddhist relics have powers? See foryourself, Irishtimes, Nov 14, 2014.
(5) 永沢哲「骨の宝石〜ブッダの境地の証」『チベット仏教』(2016)サンガジャパン
(6) 永沢哲・藤田一照『禅・チベット・東洋医学』(2017)サンガジャパン