身体を抜け出る幽体離脱や幻肢は心身二元論を立証する現象か

「体外離脱」や「幽体離脱」という現象をご存知だろうか。意識が身体から離脱してまるで自分の肉体を天井から見下しているかのように感じる現象だ
(3p155)。天井近くまで浮かんで自分を見下ろしている自分を見ているという霊体離脱体験は一般に考えられているよりもはるかに多い
(1p190)。こうした体験は数千年前から報告されており、幽霊といったこの世のものならぬ存在を人々に信じ込ませて来た
(1p189)。

作家マイケル・マーフィー(1930年〜)は、著作『スポーツと超能力』(1984)日本教文社で、スポーツ界の超自然的な体験の逸話も紹介している。アスリートたちは競技中に体外に抜け出したり、泳ぎ続けている自分の姿を空中からリラックスして見ていることがあるという。高見から広くプール全体を見渡して他の選手の動きを予測できる水泳選手もいる
(1p189)。
ジェット戦闘機のパイロットも同じような雲、エンジン音、振動という単調な条件が続く長時間飛行していると変性意識状態に陥ることがある(1p188)。コックピットの外を漂い機内の自分を振り返ってみていることがある。そして、登山家も高地をトレッキングしていて自分の身体を見失うことがある(1p189)。
けれども、最新の脳科学からは、この幽体離脱は側頭葉のてんかんが原因であることが判明してきた。実際、側頭葉に軽い電気ショックを与えるとそのように感じるのである(3p155)。とはいえ、なぜ側頭葉に電気ショックを与えるだけで幽体離脱現象が起きるのであろうか。その謎を解く鍵は幻肢にある。
「幻肢」という現象をご存知だろうか。手足を失ってもまだそれが存在しているかのように感じ続け、以前と同じような痛みや温感を覚え続ける現象だ(2p178,5p50)。医師、サイラス・ウィアー・ミッチェル(1829〜1914年)が命名した現象で、南北戦争後に広く知られるようになった。実際、手足を切断した人の70%は幻肢を体験するという(2p178)。そして、この幻肢も「心身二元論」を立証する現象だとずっと考えられて来た。人間は物質的な肉体と精神的な魂との双方からなっており、この無形の魂の存在を示す証拠が幻肢だというのである(1p141)。
顔と手の感覚はつながっている
けれども、最新の脳科学からは、この幻肢は脳によって作り出される現象であることが判明している。そして、その謎を解くヒントは、米国国立衛生研究所のティムシー・ポンズ(1956〜2005年)博士が行ったサルの「ボディ・マップ」の研究から始まった(1p139)。

動物は、一次体性感覚野、すなわち、触覚とかかわるボディ・マップと随意運動のボディ・マップを持つ
(1p30)。カナダの脳神経学者、マギル大学のワイルダー・ペンフィールド(1891〜1976年)教授は20年近い歳月をかけて感覚野と運動野に相当する脳内マップを作り上げる
(1p32)。図をご覧いただきたい。指と胴とでは触覚受容器の数が100対1も違う
(1p34)。このため、これを中世哲学用語で小人を意味するラテン語「ホムンクルス」にしてみるとこんな奇妙なカタチが出現するのである
(1p31)。
ポンズ博士は、サルの腕の神経を切断して、その腕を撫でてみた。当然のことながら腕のマップに相当するサルの脳神経は発火しなかった。ところが、顔にふれると死んだ手の領域にあったニューロン群は発火した(1p139)。これはある意味では不思議ではない。ペンフィールド教授が発見した感覚マップによれば腕のすぐ隣には顔のマップがあるからだ(1p139,3p53)。
カリフォルニア大学サンディエゴ校の神経科学研究所のヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951年〜)所長兼教授は、このサルの研究のことを知り「これで幻肢現象が説明できるのではないか」と考えた(2p177)。
脳の可塑性が失われた幻肢を作り出す
ラマチャンドラン教授は、ポンズ博士がサルに対してしたのと同じように、自動車事故で左腕を失ったばかりの17歳の青年に対して左頬に綿棒で軽くふれてみる実験をしてみた。すると青年は親指や人差し指の存在を感じた(1p140,2p178)。すなわち、実際の腕は失われていても、脳内にはまだ失われた腕の「マップ」が残され、その感覚が顔にあることが発見された(5p50, 5p51)。
この奇妙な現象は脳の立場になってみると理解しやすい。脳は絶えず腕から入ってくる情報を受け取っている。けれども、腕を失ってしまえば待てど暮らせど触覚情報がやってこない(5p51)。それまで手を感じていた感覚入力が減少し(2p190)、脳は感覚信号に飢えることになる(5p52)。一方、手に対応する体性感覚野の領域は顔に対応する領域のすぐ横にあるため(1p134)、神経系は隣接する顔面領域を感じていた体性感覚野を司る領域へと侵入する(2p190)。そこで、顔に触れられれば、その神経系は高次の脳領域に対して「手だ」と情報を発信するのである(5p53)。信じられないことだが、アザラシ肢症という先天性障害によって生まれつき腕がない患者であっても幻肢感覚を持つ(5p422)。このことは身体のイメージが生得的なものであることを想起させる(5p360)。
以前には脳の神経結合は胎児期や乳幼児期の早期に完成し、成人になってからは変化しないと考えられて来た。この理論からすれば、脳卒中になったり、脳に外傷を受ければ二度と機能回復は期待できない(5p53)。また、1980年代までは脳は特定の仕事をするように生まれつき組み込まれた多数のモジュールから構成されているとされてきた(5p64)。けれども、実際の脳には驚くべき可塑性がある(5p53)。1990年代になってからはこうした静的な見解はずっとダイナミックな図式へと置き換わった。脳の各モジュールは別の場所と隔離された状態で働いているのではなく、モジュール間にはたえずいったりきたりの相互作用がなされている(5p64)。
実際、ラマチャンドラン教授は脳画像法を用いて脳が変化して再編成されていることを確認した(2p178,5p55)。教授の発見後、まもなく、イタリアのジョヴァンニ・バルーチとサルヴァトーレ・アグリオティも別のケースを見出す。まさに逆のケースで、顔面に分布している感覚神経、三叉神経が切断されるとすぐに顔面のマップが手のひらにあらわれたのだ(5p54)。足が切断された後でペニスで幻の足の感覚が感じられるようになった患者もいる。確かに生殖器のマップも足のマップのすぐ隣に位置している(5p55)。
フェルトセンスから頭頂葉がボディマップを作り上げている
幻肢からわかるように、人間はボディ・マップを持つが、これは二つある。ひとつは、身体の物理的な特性に根差したボディ・スキーマ(身体図式)である。これは身体の感覚、フェルト・センスに基づく(1p46)。

フェルト・センスに基づく、ボディ・スキーマという概念は、1911年にイギリスのヘンリー・ヘッド(1861〜1940年) 卿とアイルランドの神経学者、ゴードン・ホームズ(1876〜1965年)卿によって提唱された。二人は、触覚からの情報と同じように身体の筋骨格系からの信号も脳に伝達されていて、姿勢や四肢の位置の確認に用いられていると考えた
(1p50)。さらに、二人はこのボディ・スキーマが着衣によって拡大することにも気づく
(1p50)。

けれども、ボディ・スキーマの概念だけでは身体経験の本質を完全にはとらえきれない。このため、米国の神経科学者、ニューヨーク大学医学部のポール・シルダー(1886〜1940年)教授は1935年に「ボディ・イメージ」という概念を導入した
(1p61)。ボディ・イメージは、自分自身の身体について学習した考え方から生じるボディ・イメージである
(1p46,1p56)。
鼻をピノキオのように伸ばし壁をすり抜ける
筋肉にある筋紡錘繊維は筋肉の長さの変化を絶えず感じ取っている。そして、その情報が絶えず脳に送られ続けていることがボディ・ルキーマを維持するためには重要である。身体に小さなバイブレータをテープで張り付けて振動を送ると、振動によって筋紡錘は腱が弛緩していると勘違いする。このため実際に関節が曲がっていなくても曲がっているという感覚が生じる。つまり、目で見ている手足の状態と固有感覚が矛盾する(1p79)。
肘の屈曲部、二頭筋の腱にバイブレータを張ってから一差し指を鼻にあてて目を閉じる。すると腕が伸びる感じがする。指が鼻先にさわったままなのに肘が顔から遠ざかる。脳は二つの合致しない感覚信号が届くと、身体からの伸展情報が誤っていると判断する変わりに、たとえ物理的に不可能であるとしてもこの矛盾を解決する解釈を打ち出す。つまり、鼻がピノキオのように60pも伸びる。
同じように、二頭筋の腱にバイブレータを張ってから腕をつっかえ棒にして壁によりかかり目を閉じる。たちまち、腕が縮んだような感覚がする。この場合は、幽霊のように壁をすり抜ける感覚を覚える(1p80)。

同じように首の付け根の筋肉を振動させれば、頭は解剖学的に不可能な位置までくるりとまわり、悪霊のように真後ろを見ている感じがしている
(1p81)。
このように身性感覚の錯覚を引き起こせば、身体の一部を大きくしたり小さくしたり、曲げたり、あるいはあり得ないカタチにゆがんだように感じさせることができる(1p79)。
頭頂葉が身体のイメージをリアルタイムで作り上げている
ここで脳についてさらに詳しく説明しておこう。皮質は、名刺1枚分程の厚さの層、6層からなる神経細胞から形成されている。大脳皮質は広げると50〜60cmのディナーナプキン程度だが、それが頭蓋にきれいに収まるようにしわくちゃになるまで折り畳まれている(1p58)。大脳皮質は後頭葉、側頭葉、頭頂葉、前頭葉という4つの領域に別れ、それぞれ異なる機能を担当している(5p41)。例えば、皮質は視覚、聴覚、触覚、運動等の様々な専門領域にわかれ(1p58)、脳の後部、頭頂葉と側頭葉の2領域は身体と関連した感覚情報の処理を専門としている(1p329)。けれども、脳葉同士はかなり密接に相互作用しあっている(5p41)。
低次領域が未処理の感覚情報を得て高次領域に伝えている。伝えられた情報はさらに高次の領域に伝達されていく。そして、高次の心的機能は大脳皮質が担っているが、すべてを統合する最高領域は存在しない(1p58)。高次領域に達した情報は再び下の階層にフィードバックされている。例えば、大脳皮質の大半の領域には上の階層に情報を伝達する神経繊維1本あたり、処理した情報を下の階層に伝える神経繊維が10本もある(1p58)。

触覚、腱・関節、筋肉からの感覚情報は「中心後回」からその後方にある「一次体性感覚皮質(S1)」と「二次体性感覚皮質(S2)」へと送られる。この皮質領野には「身体感覚のマップ」がある
(5p360)。体性感覚の情報は、そこから「上頭頂小葉」に送られ、そこで、視覚や聴覚や内耳からの平衡覚、そして、空間内における四肢の位置についての「視覚フィードバック」情報と結びつけ、こうした情報を調整することによって、リアルタイムで身体的自己のイメージを作りあげている
(5p42, 5p43,5p360)。
すなわち、ボディ・スキーマは身体から送られる動的感覚信号によって(1p63)、頭頂葉が作り上げているし(1p52)、身体を取りまく空間も頭頂葉によってマッピングされている(1p183)。自分が世界のどこにいて、世界とどのように関係しているのかを淀みなく把握できるのは、頭頂葉が働いて、表象としての世界を作り上げているからなのである(1p53)。
ダーウィンの慧眼〜ミラーニューロンの予言

さて、ここで話が少し飛ぶ。人間を含めて哺乳類には、共感力がある。けれども、この共感力がどのようにして生じるのかが解明されたのは意外に新しく、1990年に入ってからのことだ。それは、イタリアにあるパルマ大学の神経科学者、ジャコーモ・リッツォラッティ(1937年〜)博士が1匹のサルから発見した神経細胞「ミラーニューロン」がその皮切りとなった
(6)。
とはいえ、このミラーニューロンの働きの重要性にいち早く着目していたのが、ダーウィンである。ダーウィンは、ハーモニカを吹いているのを目にして、ロンドン動物園の若いオランウータンがそれをひったくって真似をしはじめたことから類人猿の模倣能力について考えを巡らしていた(5p431)。そして、槍投げ選手の姿を見て膝を曲げたり、ハサミを使っている人の姿を見て無意識に顎を開けたり閉じたりして、その動きをなぞることがあることにも気づいていた(5p248,5p431)。
これは、ミラーニューロンの働きによる。実際、手で随意的な動きを行うとミュー波と呼ばれる脳波が消失するが、このミュー波は別の誰かが手を動かしているのを見ているときにも抑制がなされ消失する。けれども、上下に跳ねるボールのようにただの物体の運動を見ているときには起こらない。このことから、1998年にラマチャンドラン教授は、ミュー波の抑制はミラーニューロンによって生じると提言した(5p180)。
自己という概念は幻想である
意外なことだが、このミラーニューロンは「自由意志」や「自己」と深く関わってくる。誰でも、自分の身体は自分のものとして認識され他人の腕を自分の腕だと思い込んでしまうことはない(5p353)。そして、誰も自分の自由な意志をもっていると感じている。さらに、自分に対しても気づいている(5p355)。けれども、様々な神経学的な病状から、脳神経科学が明らかにしてきたのは、「自己」とは一枚岩的な存在ではなく、多数の構成要素からなっていることだ。これは自己に対する直感に真っ向から対立はする。けれども、単一の自己という概念は幻想のようなのである(5p348)。
ミラーニューロンによる模倣を防ぐために進化した自由意志

まず、「自己」の大きな特徴のひとつに「自由意志」がある。人は誰も自分で自分の行動を管理できていると感じている
(5p401)。すなわち、この世界には複数の選択肢が存在しており、それに対して主体的な意志を持って特定の行動を選択しているという感覚をもっている
(5p402)。

けれども、まず、様々な行動の候補を思い浮かべて、それをイメージすることを可能としているのは、左脳の縁上回である
(5p355,5p401)。頭頂葉は人類の進化の過程で著しく拡大した。とりわけ、顕著に発達したのが下頭頂小葉である
(5p43)。下頭頂小葉は下等哺乳類ではあまり大きくないが霊長類では目立つようになり、大型類人猿では不釣り合いなほど大きく、人間で最大に達する
(5p189)。そして、ある段階で角回、縁上回と呼ばれる2つの処理領域にわかれた
(5p42)。下頭頂小葉から派生した角回と縁上回は類人猿の脳には解剖学的に存在しない
(5p45)。おそらく、縁上回は手と目の協調という元の小葉が果たしていた機能を維持し、さらに熟練を要する模倣や道具使用のために精緻化され
(5p256)、斧の刃を柄に取り付けるといった道具の製作によって進化したのだとラマチャンドラン教授は考える
(5p401)。
さて、こうして進化した「縁上回」がその時々の状況で使える複数の行動オプションを絶えずイメージしているのだが(5p181)、この左の縁上回にダメージを受けた患者は、精神面では正常で言語的にも問題がないにもかかわらず、例えば、「さよなら」と言って手を振るといった簡単な動作ができない。これを「観念運動失行」という(5p255,5p401)。
次に、縁上回を含めた頭頂葉からの様々な選択情報を受けて、これを選択しているのが「前部帯状回」である(5p402)。ここにダメージを受けた患者は、「無動無言症」となる(5p346,5p402)。けれども、何週間かたって回復した少数の患者は「意識が完全にあって何が起きているのかもわかっていたが、何もしたくない状態であった」と答えている。すなわち、何かをしたいという欲求は、前部帯状回にあることがわかる(5p402)。
そして、運動ミラーニューロンによって自動的な模倣がされてしまうことを抑制しているのも、前頭葉にある抑制回路と考えられる。この抑制回路がダメージを受けると「前頭葉症候群」のように、コントールが効かない模倣動作、反響動作を繰り返すようになってしまうからである(5p181)。「前頭前皮質」が提示した価値に基づいて、行動を望ませているのは前部帯状回である(5p355)。すなわち、自由意志とはより正確には不適切な行動を「しない自由意志」であり、それが進化した理由は、ミラーニューロンによる衝動的な行動を抑制する必要性からかもしれない(5p181)。
前頭葉の抑制回路によって個のアイデンティティは維持されている
トロント大学の研究者たちは、脳外科手術を受けている患者の「前部帯状回」のニューロン活動の記録を取っていた。前部帯状回は身体的苦痛に反応することが知られているため、痛覚ニューロンとも呼ばれる。そして、他の患者が突かれているのを見ている時にも同じくらい盛んに反応することが発見された。これは、まさに他の患者に同情しているかのようである。さらに、マックスプランク研究所のタニア・シンガー(1969年〜)教授がボランティアの被験者を対象に実施した実験によっても確認された(5p180)。

さらに、フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース(1973年〜)教授らが、触覚についても、脳画像の研究から同様のニューロンを頭頂葉において発見している。このニューロンは自己と他者との見分けがつかない
(5p180)。このことは、他の人がさわられているのを目にする毎に「接触ニューロン」が発火して、「共感」することを意味する
(5p181,5p366)。
けれども、痛覚や触覚のような感覚ミラーニューロンでも、自動的な発火によって見たものすべてを感じてしまうことにはならないのは、運動ミラーニューロンが「意志」によって抑制されているように、同じ抑制システムがあるからである(5p181)。皮膚の感覚ニューロンから「触られていない」との「無効信号」が出され、活性化したミラーニューロンからの情報の双方から高次の脳中枢が「共感するがこれは私ではない」と解釈しているからである(5p182)。すなわち、前頭葉の抑制回路、感覚受容器から出される無効信号、そして、ミラーニューロンの3セットの信号がダイナミックに相互やりとりすることによって、他者に共感しながらも、他者の接触を実際に感じることはないことが可能となっている。これは、前頭葉の抑制システムによって個のアイデンティティが維持されていることを意味する(5p182,5p366)。
それでは、この抑制システムが働かなければどうなるか。ラマチャンドラン教授は湾岸戦争で片手を失い、幻肢感覚を持つ患者に対して、別の人を見てもらいながら、その別の人の手を叩いてみた。すると驚くべきことに被験者は叩かれている感覚を幻肢に感じた。この現象は、別の人の手を見ることによってミラーニューロンが活性化し、かつ、それが自分の手ではないという手からの無効信号がなかったからに他ならない(5p182)。
驚いた教授は、腕を切断する代わりに腕と脊髄とをつなぐ「腕神経叢」に麻酔をかけて、同じ実験をしてみた。すると、被験者は実験協力者の手が触れられているのをただみただけで、麻酔の効いた腕に触覚を感じた(5p183)。教授はこの現象を「獲得性過共感」と名付けた。つまり、あなたの意識と別の人の意識とを隔てている唯一のものは、ただ皮膚だけかもしれないのである(5p182)。
事実、自己と他者との区別は、ミラーニューロンとそれと関連する前頭葉の抑制回路に依存する。自閉症の子どもは、会話の中で「私」と「あなた」を混同することが多いが、これも自我境界の形成が不十分なために自己と他者との区別がよくできないことを示している(5p368)。

ラマチャンドラン教授は、ある実験を行ってみた。頭の毛がないマネキンを目の前に30cmほど離して立てて、その頭を見てもらう。次に、頭の後ろ、耳のそばをランダムになでられたり叩かれるのだが、同時に同じことを右手でマネキンの頭にも行う。2分もたたないうちに、なでられたり、叩かれたりする感覚が自分の見ているマネキンの頭から発生しているように感じ始められることがわかる。なかには、自分の目の前に双子の自分がいるか、幻の頭が存在していると感じる人もいる。
脳は自分が見ているプラスチックの頭が自分の頭で感じるのとまったく同じタイミングや順序で具体的に叩かれることはとてもあり得ないと見なす。そこで、自分の頭を見ているマネキンに一時的に投影してしまうのである(5p417)。この実験からは、たとえ論理的にバカげているとしても感覚がマネキンの頭から生じていると体験してしまうこと。そして、自分の身体感覚を脳が構築していることがわかる(5p416)。
人間の心は左脳と右脳の拮抗から生じている
ここでまた話が飛ぶ。直感的、創造的、情動的な右脳と、直線的、合理的な左脳。左右の脳半球は別の働きをするよう特化している。多くの通俗の心理学ではそう指摘されてきたが、これには一抹の真実がある(5p373)。昼と夜、陰と陽等、物事を対極的な二つにわける二分法は単純すぎる発想に思えるが、システム工学の観点からすればまったく理にかなっている。そして、変動を回避しシステムを安定させるための制御システムは、生命現象では例外どころか、むしろ一般的なルールでもある。したがって、人間の精神の多くの諸相は、相補的な役割を果たす二つの脳の拮抗から生じている。そして、二つの脳の役割は、どちらかの半球が脳卒中等でダメージを受けた患者からわかる(5p375)。
では、それぞれの脳半球はどのような役割を果たしているのであろうか。左脳の役割は、感覚器から入力される情報を既存記憶と組み合わせ、自分の世界についての信念体系を構築することにある。そして、この信念体系と相矛盾する情報が入力されると、自己の一貫性を安定させるため、情報を捏造してまで全体との調和を維持しようとする。心理学的に見れば、認知的不協和を防いだり、エゴが瓦解するのを防ぐため、映画を作りだしていると言える。人生に一貫した感覚を持たせ、行動を安定させるためにはこれは必要なことである。けれども、左脳のこの働きに歯止めがかからなければ、妄想的な状態がどこまでも続いてしまう。
これに対して、自分自身や自分がおかれた状況を他者中心の第三者の視点から冷静的・客観的に見ることでバランスを取ろうとするのが右脳である(5p374,5p381)。この右脳の働きによって、自己中心的な左脳が無視したり抑圧している食い違いが検出され、左脳は衝撃を受け自分が作り出した映画を修正する(5p375)。
マネキンの頭を自分の頭だと勘違いしてしまうような非現実的な映画を作り出す左脳に対して、客観的な現実を知らしめているのが右脳である。このことは、右脳の前頭頭頂領域にダメージを受けた患者では、左脳が暴走し(5p375)、現実を無視した妄想を作り続けだしてしまうことを意味する(5p376)。それが「病態失認」と呼ばれる奇妙な障害である。右脳に脳卒中を起こすと多くが左脳が麻痺するが、約20人に1人の割合で、自分の麻痺を否定するケースが見られる。その一例が28代のトーマス・ウッドロウ・ウィルソン(1856〜1924年)米国大統領である。ウィルソンは1919年に脳卒中で左半身が麻痺したがまったくどこにも問題がないと主張した(5p179)。
角回を電気刺激すれば体外離脱体験を引き起こせる
それでは、右脳の前頭頭頂領域にダメージを受けたり、この回路に影響を及ぼすケタミンを服用することによって、ミラーニューロンの働きを抑制している回路の抑制システムが乱れるとどうなるのだろうか。まさに、部外者の「視点」として自分自身を外側から見ているかのように客観的に捉え見るという右脳の働きが暴走し、自分の身体が遊離しているかのように感じる(5p382)。すなわち、ミラーニューロンの抑制システムが乱れれば、個の境界、身体のイメージが解体し、自分自身を上から見下ろしているような体験が生じる(5p366)。

スイスの連邦効果大学ローザンヌ校の神経学者オラフ・ブランケ教授は、2000年12月、ハンディという名の女性に角回に電気刺激を与えたところ、天井からぶら下がって自分の身体を見下ろしていると感じた。これは脳の電気刺激によって誘発された初めての霊体離脱体験の記録である
(1p194)。また、別の女性の左角回に電流を流すと影のような人が後ろに付きまとっていると感じた。ドッペンゲルガー現象である
(1p191)。

側頭頭頂接合部は視覚野の一部であるEBAと密接に連携することによって身体感覚を保持している
(1p77,1p329)。側頭頭頂接合部の一部、右角回は自分が自分の体内に存在しているとの感覚を生む領域である
(1p329)。電気刺激を受けていない段階では、彼女のボディマップは統合されていた。しかし、これが一時的にズレたことでハンディが感じる空間内での自分の位置と目に見える位置とが一致しなくなった。この混乱を理路整然とした経験に変えるには自分が浮かびあがってはるか高見から自分を見下ろしているのが最適である
(1p195)。すなわち、ここに電気刺激を与えれば体外離脱を体験することになる
(1p329,3p43)。
角回の近くには大きな静脈が集まっている。この領域への血流が妨げられると右角回に電気刺激をされていなくてもフェルト・センスが失われてしまうことがある。多くの人が臨死体験のあいだに体外離脱体験をするのはそのためなのである(1p195)。
幽体離脱は麻酔をかけた手術中にも頻繁に報告されている。麻酔中でも周囲の動きは情報として脳にインプットされ、脳波はそれを無意識に三次元に変換し、真上から手術を俯瞰しているかのように錯覚する(4p140)。そして、これを証明するのが、斜め後方からの自分の姿を認識したとしても、前方や真横から自分の姿を見る人はいないことだ。実は、これは脳にある構造による(3p156)。
人間の祖先であるサルは樹上生活をしてきた。そのため、まるで肉体から離脱したように、自分の位置を空間的に把握する能力が人間にも備わっている(3p156)。この「空間的知能」の能力が鋭敏化し、平面上の視覚情報が三次元に置換されると上述した神秘体験となる(3p156,4p140)。
深い瞑想やトランス状態に入ると身体や心が空間へと拡大していく。これは、身体の意識が薄れて自分が非局在化したとの感覚を抱くからである。同時に喜び、清涼感、共感が湧いてくる。瞑想に入った僧侶の脳を調べてみると頭頂葉の活動が低下していることがわかる。身体的自己の融解がボディ・マップと空間マップの遮断を伴うのは偶然の一致ではない(1p190)。
【用語】
幻肢(Phantom limb)
国立精神衛生研究所(NIMH; National Institute of Mental Health)
神経科学研究所(Center for Brain and Cognition)
身体図式(body schema)
ボディ・イメージ(body image)
視覚野の一部(EBA=Extrastriate Body Area)
【画像】
180度回転する映画エクソシストの首の画像はこのサイトより 中心後回(Postcentral gyrus)の画像はこのサイトより 上頭頂小葉(SPL=Superior parietal lobule)の画像はこのサイトより 縁上回(supramarginal gyrus) の画像はこのサイトより 下頭頂小葉(IPL= Inferior parietal lobule) の画像はこのサイトより 角回(angular gyrus)の画像はこのサイトより 【人名】
マイケル・マーフィー(Michael Murphy)氏の画像はこのサイトより ワイルダー・ペンフィールド(Wilder Graves Penfield)博士
サイラス・ウィアー・ミッチェル(Silas Weir Mitchell)
ティモシー・ポンズ博士(Timothy Pons)
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(Vilayanur-Ramachandran)博士の画像はこのサイトより
ヘンリー・ヘッド(Sir Henry Head)卿の画像はこのサイトより ゴードン・ホームズ(Gordon Morgan Holme)卿
ポール・シルダー(Paul Ferdinand Schilder)教授の画像はこのサイトより ジャコーモ・リッツォラッティ(Giacomo Rizzolatti)博士の画像はこのサイトより クリスチャン・カイザース(Christian Keysers)教授の画像はこのサイトより トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)
オラフ・ブランケ(Olaf Blank)教授の画像はこのサイトより 【引用文献】
(1) サンドラー・ブレイクスリー、マシュー・ブレイクスリー『脳の中の身体地図』(2009)インターシフト
(2) シャロン・ペグリー『脳を変える心』(2010)バジリコ
(3) 橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(2010)幻冬社
(4) 橘玲『亜久夢博士のマインドサイエンス入門』(2012)文春文庫
(5) V.S.ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(2013)角川書店
(6) G. Conti, Feeling Others’ Pain: Transforming Empathy into Compassion, The Journal of Cognitive Neuroscience, June24, 2013.