ポジティブ・シンキングは偽りで危険
落ち込んでいる人に対して、「心配するなよ元気を出せ」と口先でアドバイスしても効果がない(1,P218)。本人がポジティブな感情を感じていなくても、無理に作り笑いをしたり、ポジティブな言葉だけを発していると、心は傷を受けてストレス・ホルモンに浸される(1,P257)。ネガティブな感情をゼロにしようとして偽りの笑顔を演じるポジティブ・シンキングは現実から遊離している。生物的にネガティブ感情がゼロということはありえないからだ(1,P196)。
ネガティブ思考には生物学的な根拠がある
けれども、同じネガティブな感情であっても、建設的なものと破壊的なものがある。夫婦間の感情力学を研究するワシントン大学の名誉教授ジョン・ゴットマン(John M. Gottman,1942年〜)博士によれば、怒りや対立は生産的なネガティブ感情だが、嫌悪や侮蔑は破壊的なネガティブ感情だという(1,P196)。すなわち、減らすべきは不適切なネガティブ感情なのである(1,P224)。
ネガティブとポジティブの比率
ネガティブな感情をゼロにできないとすれば、ポジティブな感情に対してネガティブな感情をどの比率まで下げればバランスが取れて幸せになれるのだろうか。その研究の糸口は意外なところからもたらされた。

ポジティブなチームには柔軟性があり(1,P182)、新たなアイデアに対してもオープンで、異質なものを受け入れて相乗効果を産み出すことができた(1,P183)。一方、混合グループは、強力なマイナスの状況に直面すると、アトラクターが自分のことしか視野に入らないネガティブなリミットサイクル(閉軌道)へと入り込み、他人の意見をろくに聞かず、自分以外をすべて批判するという状況から抜け出せなくなった。すなわち、レジリアンスがなかった(1,P181)。自説を曲げず、相手を批判するばかりの低グループは、ネガティブな閉軌道に入り込んだままであった(1,P182)。

ちなみに、計算上の最高上限は11:1だが(1,P195)、80%以上の人は3:1以下であり、平均値は約2:1で、辛い状況におかれた人は1:1となっている(1,P217)。
ジョン・ブールが19世紀半ばに考案したブール代数をベースに精神科医のロバート・シュワルツ(Robert Schwartz)は最適なポジティビティ比が4:1で、平均は約2:1で、鬱病患者等は1:1以下であるとした(1,P191)。シュワルツ博士によれば治療前の鬱病患者の比率は0.5:1で、治療をして回復した患者は4.3:1となっていたが、治療をしても回復しない患者の比率は0.7:1であった(1,P192)。
ネガティブな感情に対応する
それでは、ポジティブとネガティブな感情のバランスを保つためにはどうしたらよいのであろうか。
20世紀の心理学の最大の成果は、ネガティブ思考パターンによって、ネガティブ感情が産まれ、鬱病や脅迫神経症といった病的状態へと進んでいくメカニズムを明らかにしたことであろう(1,P227)。
ネガティブ思考は意図しなくても自動的に量産されてしまう(1,P232)。そして、ネガティブな思考状態に陥ったときには、ネガティブな感情が頭の中で繰り返し現れる。そして、ネガティブな感情はネガティブな思考を引き寄せる。こうした状態ではいくら頭の中で「しっかりと考えなければ」と思っても実際には思考はどこにも向かってはいない。この思考形態を心理学では「反芻」と呼ぶ(1,P233)。ネガティブ思考がストップされないと、失望、不安、恐怖、恥等の感情がふくれあがっていく(1,P230)。
人は感情をコントロールできる
ネガティブな思考回路から抜け出す最初の方法は「同じことをくどくどと考えても仕方がない」と自分が有害な反芻をしていることに「気づく」ことである。次にアルコールやドラッグ、セックス等不健全なやり方ではなく、健全な方法で問題から気持ちをそらすことである(1,P234)。薬物、ギャンブル、セックス、食べる等は中毒性の偽物の快楽だからである(1,P303)。
感情は天気のように気まぐれに思われるが、実は人間は自分の感情を驚くほどコントロールできる。ポジティブにスイッチを入れることは、なんでも間でも楽天的に考えるという気持ちの持ちようではなく意識的に思考回路を転換することである。「いまうまく行っていることは何か」と問いかけるだけでもその鍵は開く(1,P92)。
ネガティブな思考の根拠を調べる
マーティン・セリグマン(Martin Seligman, 1942年〜)博士は、ネガティブ思考をストップするには、それを抑圧したり心から追い出すのではなく、その事実をチェックすることだと述べている。ネガティブな感情の芽が芽生えたときに、それを摘むことができれば、少し気が抜けた気分に混じって健全な希望が湧いてくる。そこで、自責の念、他人に対する猜疑心等、自分の典型的なネガティブ思考の事例をカードに書き出し、次に、それにどれだけ「事実」が含まれているかをチェックする。無意識に産み出されるネガティブな思考は事実を示すだけでも解消されるという(1,P230〜232)。
ネガティブな思考を事実をもとに反論する
さらに、セリグマン博士は『反論法』を提唱する。人は他人から批判をされると「そうではない」と反論するが、自分自身を責める場合には、めったに反論することはない。そこで、ネガティブな想念が湧き上がってきたら、意識的にその想念に反論してみるのである(4,P57〜58)。
例えば、野球の試合に負けたり、試験に落ちたといううまくいかない状況が存在することは客観的な事実だとしても、どれに対してどのように対応するのかは本人の考え方次第である。悲観的な人は「自分のせいで負けた。もうおしまいだ」と考えるが、楽観的な人は「今日は調子が悪かった。練習して次にがんばろう」と前向きに考えるであろう。さらに、その悲観的な状況が、永久に続くものか、その影響がどこまで及ぶものか、本当にそれが自分のせいなのかを分析してみよう。悲観主義者は、悪い状況がずっと続き、その影響はすべてに及び、それは自分のせいだと考えてしまうが、楽観的に考えれば反証できることがわかる。
悲観主義者 | 楽観主義者 | |
時間的広がり | これから何度受けても合格はできない | 落ちたのは今回限りだ。次には合格するだろう |
影響の及ぶ範囲 | 私の夢は終わった。なりたい自分にはもうなれない | 結果は全体に及ぶ 落ちた結果は2、3の状況に影響するだけだろう |
自分との関係 | すべて自分が悪い | 他人や状況のせいだ。試験問題がひどすぎたんだ |
(3,P106〜109,4,P57〜59)
ネガティブな感情を受け入れる瞑想
ネガティブな感情に無理にフタをすることは逆効果である。そうした場合には、ネガティブな感情に心を開いて向き合う方が健全である(1,P238)。ネガティブな感情と向き合う場合に、最も有効なのが、自分の心の中で生じたことに判断を加えず、ただ認識するという瞑想のテクニックである。このトレーニングを重ねると、ネガティブな思考に対しても何の感情的な反応も引き起こさずに冷静に観察できるようになる。思考は思考にすぎない。空に生じる一片の雲のように心の中で湧き上がって形成されては霧散していく。このスキルによってネガティブな思考とネガティブな感情とのチェーンを断ち切ることができる(1,P239)。
マサチューセッツ大学医学大学院のマインドフルネスセンターの創設所長ジョン・カボットジン(Jon Kabat-Zinn, 1944年〜)は、1980年代の初めに、従来の仏教の修行から「マインドフルネス」の心理学を抜きだし「マインドフルネスに基づくストレス逓減法(MBSR)」を開発した(1,P238)。コンピューター会社で働くニーナさんはポジティビティ比が1:1で鬱状態にあったが、この瞑想を行ったところ6:1に変化した(1,P129)。自己主張のトレーニングを受けたり、逆境にめげない訓練を受けたわけではなく、ただ心が広くなっただけで生き方が劇的に変化した(1,P142)。
レジリアンスの高いポジティブ思考はトレーニングによって育まれる
ポジティブな感情であれば人は、多くのアイデアが湧き、逆境にあっても解決策を考えだせる(1,P112)。楽観主義者は、ネガティブなことを否定し好ましくない情報を避けているわけではない。コントロールできない状況をたえずコントロールしようとしているわけでもない。むしろ、リスクや脅威に対して慎重である(2,P126)。けれども、先のことを心配して「○○したらどうしよう」とは考えず、「そのときはそのとき。何とか対処できるだろう」と考えて目の前の現実に注目する。つまり、レジリアンスが高い人は、悲惨な出来事が起きたときにも逃避せず、起きた事態には反応する。けれども、「悪いことが起きるかもしれない」という予想で自分を不安に追い込む度合が低く(1,P162)、心が解放され、決めつけない態度で「いま」に集中する「マインドフルネス」能力が高い(1,P163)。

小学生5、6年生を対象とした12週間の「楽観主義トレーニング」の結果も大きく「友達が電話をくれない。嫌われているんだ」と悲観的な堂々めぐりの解釈をする原因を突き止めることで「たぶん、忙しいだけなんだ」と楽観的に考えられるようになる。このプログラムを受けた子どもたちは2年後も参加しない学生よりも落ち込む割合が少なかった(2,P124)。
脳内の神経回路が変わるとレジリアンスが高まる
人の身体は常に変化している。味蕾細胞は数時間、白血球は10日、筋肉細胞が約三カ月で入れ替わる。新たな習慣を身に付けるのに三カ月かかるのもそのためだ(1,P124)。
そして、性格も産まれつきのものだと思われがちだが、身体も脳も絶えず変化していることを考えれば、性格は習慣だと考えた方が理に適っている(1,P141)。
感情の流れを決定しているのは思考の習慣であり、思考の習慣を変えれば感情の方向も変わることが研究から実証されている。実際、脳には可塑性があるため、新たな思考習慣が形成されると脳神経の配線も抜本から変る(1,P219)。
「○○であったらどうしよう」と心配すればするほど『眼窩前頭皮質』の神経細胞は活性化する。機能的磁気共鳴画像(fMRI)を用いてクリスチャン・ウォーが脳の状態を調べたところ、レジリアンスが高い人は、感情に関わる脳の『島皮質』の回復力が高く『眼窩前頭皮質』があまり活動しないことがわかった(1,P161)。
さらに、マインドフルネス瞑想のトレーニングを受けた患者の脳は、ネガティブな脳回路が抑えられポジティブな回路が活性化されていることがわかってきた(1,P240)。
瞑想にはさらに効用もある。人は、宝くじにあたるといった幸運や下半身が麻痺するといった悲運に遭遇しても、いずれ感情は以前の状態に戻っていく。この状況に順応する力を「快楽のトレッドミル(踏み車)」と呼ぶ。けれども、瞑想によるポジティブな感情はゆっくりだが絶えず高まっていく(1,P138)。瞑想には「快楽順応」を克服する効果もあったのである。
【引用文献】
(1) バーバラ・フレドリクソン『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』(2010)日本実業出版社
(2)ソニア・リュボミアスキー『幸せがずっと続く12の行動習慣』(2012)日本実業出版社
(3)枝廣淳子『レジリエンスとは何か』(2015)東洋経済新報社
(4)イローナ・ボニウェル『ポジティブ心理学が1冊でわかる本』(2015)国書刊行会
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