2015年06月11日

第5講 人生を半分はあきらめて生きる

幸せになれる人はごく少数しかいない無力社会

「ただ生活費のためだけに、やりたくもない仕事に何十年も費やし、いつのまにか人生が老いていく。正社員には一生なれず、年収400万円以上は絶対に稼げず、どれほど結婚したくてもいい人とは一生めぐり合えないかもしれない。まわりを見てもうまくいっている夫婦は少ない。たいして愛してもいない人と結婚してひたすら我慢の連続のような人生を生きることはたまらない。されど、孤独死することもたまらない。努力したところでその見返りがあるとは思えない。婚活や就活に励んでみても、幸せになれるかどうかの確信はない(1)

『人生を半分あきらめて生きる』で諸富祥彦明治大学教授はこう書く。確かにこれが、今の時代の気分ではないだろうか。コツコツと真面目に頑張れば、いつかは必ず報われる。そういう社会は確かにいい社会だ。けれども、努力すれば報われるというのは真っ赤な嘘だ。残念ながら今の日本社会はそれとはほど遠い。いまの時代に不安を抱かずに生きられる方が神経がまともではない(1)

無限に選択が強いられる社会

 現代は自分探しの時代だと言われる。学校においても会社においても、個性を発揮する自分らしさが尊重されている。けれども、これほどまでに自分探しや個性が求められることそのものが、現代社会の病理だ。そもそも複雑化した現在社会の中で、自分らしく生きることそのものが難しいではないか(2)

 恋愛や仕事にしても8割方が運や勢いだ。にもかかわらず、人生の選択肢の幅は極めて幅広く、仕事や結婚をはじめとして、自分がどのような人生を歩むのかが絶えず問われ続けている(1)

 アルビン・トフラーは『未来への衝撃』(1970)で、選択肢が多すぎると自由が奪われることを警告してみせた。この懸念は現実となった。商品ひとつとっても1950年から1963年にかけて、米国のスーパーで販売される石鹸や洗剤は65から200に増えた。2004年には、地域のスーパーには360種ものシャンプーやコンディショナー整髪料が置いてある。スワースモア大学のバリー・シュワルツ(Barry Schwartz,1946年〜)教授は、選択肢が多いことがむしろ生活を悪化させていると主張する(4)

ベストな選択を追い求めれば人は絶望する

 05BarrySchwartzHires.JPG教授は『なぜ選ぶたびに後悔するのか』(2004)で、過剰な選択肢を前に、世の中の人は大きく二通りの人がいること気づいた。ある最低基準を満たせれば満足してあとはもう選択しない「サティスファイサー(満足者)」と、常に最高の条件を満たすものを手に入れようとすべての選択枝を検討して追い求める「マキシマイザー(追及者)」だ(3,4)

 マキシマイザーの方が客観的には経済的に成功し、マキシマイザーの平均初任給はサティスファイサーよりも年7000ドル、20%も高い。けれども、人生や職業に対する満足度は低い(3,4)。これには理由がある。マキシマイザーは、常に、いい大学に進学し、いい職を確保し、いい車を所有し、いい服を着ようと考える。さらに良いモノを期待し続ける。この満たされることがない高い期待は人を絶望に導く(4)

選択と自己責任を強いる冷たい社会

 西洋社会では、自由や自主的な選択が健全な精神の条件とされている。けれども、すべての情報を得ることは困難だし、選択肢が増えれば判断も誤る。さらに、「別の選択肢の方が良かったのではないか」という後悔の念に常に捉われる。同時に、失敗して高い期待が満たされなければ、自分の判断が誤ったという自己責任感に苛まれる(4)

 人生はなんともならないことだらけだなのだが、自分の人生の幸・不幸のすべては「自分の選択の結果」なのだと思い込まされている。つまり、いま不幸なのは自分の選択の誤りのためだ、結局自分が悪いのだという思いを抱かざるを得ない自己責任社会なのである(1)。だから、若者たちの間では驚くほど鬱病や自殺が増えている(4)

他人との比較の幸せモデルにこだわる異常な日本社会

 さらに、日本社会が求める「自分らしさ」や「個性」は、絶えず他者と比較することで評価されるものだ。世間体、学歴、収入等、他者との比較で生きていれば、どこまで自分を高めたところで、それは、自分と同じ能力を持った他の誰かと交換可能な存在でしかない。効率がすべてに優先され、自分は交換可能な歯車のような存在でしかないことを多くの人たちが実感している(2)

 そこで、人は相手や世間から受け入れられる「匿名の誰か」という仮面を演じるようになっている。その背景にあるのは、集団から排除される不安、孤独への不安だ。世間の価値観や物事の見方にあわせることで、自分を失う人のことをマルティン・ハイデガーは『ダス・マン(頽落した人)』と呼んだが、モノやマネーはあっても夢はなく、上辺の人間関係はあっても深いつながりはない。こうした閉塞感に包まれた時代に生きている(2)

選択がない社会の方が豊かだ

 選択はあるレベルまでは自由を増やす。けれども、あるレベルを超えればむしろ不自由にしてしまうのである(4)。このジレンマを逃れる方法は、比較するのを止めることだ(3)。さらに、選択をあきらめてみよう。無限の自由がなく制約が科されていたとしたらどうなるだろうか。制約は選択肢の数を減らす。さらに、一度した選択に対しては心変わりしない方が不安感を減らせる。そして、期待しなければ、後悔もせず、すでに手にしている恩恵に感謝することができる(4)

【引用文献】
(1) 諸富 祥彦『人生を半分あきらめて生きる』(2012)幻冬舎新書
(2) 諸富 祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(3) ソニア・リュボミアスキー『人生を幸せに変える10の科学的な方法』(2014)日本実業出版社
(4) イローナ・ボニウェル『ポジディブ心理学が一冊でわかる本』(2015)国書刊行会
バリー教授の画像はこのサイトから
posted by la semilla de la fortuna at 12:00| Comment(0) | 幸せの科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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