仕事はマネーを稼ぐための苦痛な手段なのか
ソニア・リュボミアスキー教授は、人間が働く理由として、大きく三つの見方をあげる。
第一は、仕事は本質的に必要悪であって、ポジティブなものではないし見返りもない。生計という目標を達成するための手段であり、働くのは仕事から離れた時間を楽しむマネーを得るための労働と見る見方だ。
第二は、自分が成長して、さらに高い社会的なステータス、権力、自尊心といった見返りを得るための手段、キャリアと見る見方である。
第三は、金銭的な見返りや出世のためではなく、働くことそのものが愉しみであって、働きたいから働いている。すなわち、仕事そのものを「転職」と見る見方である。教師、芸術家、科学者、外科医等は、好きな仕事が出来ている。そこで、自分の仕事を天職と考えられることが多いであろう(3,P219)。
けれども、そうした恵まれた仕事だけが天職となるわけではない。ソニア教授が、ある病院の清掃担当者28人にインタビューしたところ、清掃がつまらないものだと考え最低限の仕事しかしていない人がいる一方で、患者や看護師がよい一日を送れるための意義ある重要な仕事だと考えている人もいた。彼らは清掃という仕事が好きでやっていた。すなわち、これまでと違う視点で仕事を見れば、仕事から生きがいを得る可能性があることがわかる(3,P220)。
受動的なレジャーは苦痛な時間であって幸せではない

「私たちは作曲をするかわりに有名なミュージシャンの音楽を聴き、美術作品を描くかわりに絵を鑑賞し、マスメディアが作り上げた余暇を受動的に消費だけしている。このような時、自由時間は楽しいどころか倦怠感や不満を感じている。苦労して産み出した余暇時間なのに気分が低下しているのだ(1,P203)」。
テレビはスキルが求められない受動的な体験であることから、量子力学のドキュメンタリー番組でも見ない限りは、後述する「最適経験」にはつながらない(4,P80)。
また、現代人はいつも時間不足に悩まされている。34%の人がせかされていると感じ、61%の人が時間に余裕がないと答え、40%はマネーよりも時間が不足していると感じている。けれども、物理的に余暇の時間が減っているわけではない。実際には労働時間は減り、自由時間が増えている。すなわち、多くの時間を手にしているのに、人々は主観的に少なくなったと感じている。問題はここにある(4,P156)。
それでは、なぜ現代人は、せかされた感覚を抱くのだろうか。第一は、ひとつのレジャーに専念せず、登山やセーリング等、あれもこれも一度にやろうとするため時間に縛られているように感じてしまうことだ。そして、第二は、前述したテレビを見ることのように受動的なレジャーが増え、他人との交流や野外活動といった能動的なレジャーが減っているためなのである(4,P158)。
農業がはじまって人々は苦痛になった
太古の採集狩猟時代には人々は一日3〜5時間しか働いていなかった。残りの時間は、休息や会話、ダンスに使っていた。さらに、狩猟や釣りはいまレジャーとなっているように非常に楽しい行為である。つまり、仕事と遊びの区別もなかった。この対局にあるのが19世紀の工業労働者であろう。彼らは、一日12時間以上も工場や鉱山で働くことを強いられていた。
量だけではない。仕事の質にも違いがあった。イタリアには「仕事は人間を高貴にもし、動物にも変える」という古いことわざがある。熟練したスキルや能力が必要とされ、自発的に自由やれる仕事をすれば人間性を高めることができるが、能力を要さず人から強制される奴隷のような仕事からは何も得られず、自分の無力さ以外には何も感じられない。創世記第一節は「神はアダムに額に汗して耕すことを命じた」と書く。仕事が苦痛であるという世界観は、ほとんどの複雑化した文明に共通している(1,P179〜180)。
仕事そのものを楽しむ伝統的なムラのおばあさん
けれども仕事はほんとうに苦痛なのだろうか。レジャーよりも生活の中で仕事が一番楽しくなりうる事例がある。ミハイは、ファウスト・マシミーニ教授とアントネラ・デレ・ファーヴェ博士らイタリアの心理学チームが、イタリア北部のアルプス山脈の谷間の工業化されない伝統的なコミュニティ、ヴァル・ダオスタ(Val d'Aosta)州のポント・トレンタッス(Pont Trentaz)村で調査を行った事例をあげる。

セラフィーナさんには都市的な生活を選択する機会もある。テレビを見ることもできる。けれども、村の66〜82歳までの老人たち10人全員は、近代的な都市生活に魅力を感じず、仕事を減らしたいと思っていなかった。仕事と家族生活とがやりがいがあり、かつ、環境と調和した生活が可能となっていたのだ(1,P181〜184)。
自分が主人公となれば仕事を楽しい時間にすることができる
農作業そのものは、採集狩猟活動に比べれば楽しみにくい。定住的で作業内容も反復的である。狩人は獲物の追い方を一日に数回も変えられるが、農民は穀物の栽培の仕方を年に数回しか決められない。さらに成果が出るまで数カ月もかかる(1,P190)。おまけに、アルプスの山での暮らしは厳しい。けれども、村人たちは、こうした強いられた仕事を楽しくすることに成功していた。
その理由は三つある。
第一は、村人たちは毎日16時間以上も働いているが、仕事と自由時間とをほとんど区別していないことである。
第二は、自分が生活の主人公だと感じていることである。
第三は、自然とつながっていることである。セラフィーナさんは木、石、山を友達のように知っており、家に伝わる物語は数世紀も前にさかのぼり土地の景観とも結びついている。1473年のペストで村で生き延びたたった一人の少女が、はるか谷を下った村のたった一人の男性と石の橋の上で出会い、二人は互いに助け合い、結婚し、彼女の家族の祖先となったのである(1,P181〜183)。
18世紀以前の家内工業の仕事も豊かであった。イギリスの機織り職人たちは、自分の家に機織り機を持ち、天気が良ければ機織りを止めて果樹園や野菜畑で働いた。気が向けば民謡を歌い、布が一反織れれば小さな祝宴を開いた(1,P190)。すなわち、自分が直面する活動に注意を集中し、対象との相互作用に没入すれば、与えられた仕事であっても、自分から自由に選びとられたもののように感じるのである(1,P189)。
やりたいからしているとき人はフロー体験をしている
バーバラ・フレドリクソン教授は、好きなことに情熱を傾けているとフロー体験が味わえると指摘する(2,P270)。スポーツ、ダンス、芸術的想像活動、セックス、人との交流、読書や勉強(4,P80)。何かをするのに夢中となってふと気がつくと数時間も立っていた。約90%の人々はそうした経験をしたことがあるという。アスリートはこの経験を「ゾーンに入っている状態」と呼ぶ(4,P74)。この現象を発見し「フロー」と名付けたのは、ミハイである(4,P75)。フローの概念は、ミハイが創造的なプロセスを研究していた1960年代に産まれた(3,P212)。ミハイはフロー現象を追求するため、登山家、テニス選手、バレエダンサー、外科医等数多くの人々に聞き取り調査を行った。その結果、ミハイが達したのは、フローは普遍的な現象であり、次のような特徴を持つということだった(4,P76)。
@その瞬間にやっていることに集中し、一切の雑念が生じない
Aギター奏者が楽器と一体となり奏でている音楽そのものとなるように、なんの努力もなく行動と意識が融合している
B体験中に自意識が喪失する(4,P77)。感情も欠落し感情を超越した状態となっている(4,P78)。けれども、フロー体験後には自意識は強められ以前よりも自分が大きな存在となったように感じる(4,P77)。また、ポジティブな感情が増加している(4,P78)
C自分がしていることをコントロールできている感覚があり失敗する不安がない
D時間間隔が歪んで思っている以上に早く時間が経過する
E行動そのものに本質的な価値が見出せ、行動することそのものが目的となり、やりたいからしている。もし、やるための理由があるとしてもそれは後付の口実にすぎない(4,P78)。
フロー体験は能力に見合ったことに挑戦することで産まれる
それでは、こうしたフロー体験は、どのようにすれば体験できるのであろうか。フローが体験できるためには、まず、自分の能力が試される努力目標に出くわす必要がある。そして、その課題に立ち向かうのに自分のスキルや能力がちょうどよいレベルにある条件でしか生じない(4,P76)。課題が自分の能力を上回っていて、自分の能力を超えたことに挑戦すれば人は不安を感じるだそうし、逆に能力の方が課題を上回っていて挑戦のしがいがなければ飽きてしまう(2,P213,4,P76)。逆に、不安と退屈のバランスがちょうどとれた課題に挑戦すれば、どれほど単調で退屈に思える仕事でさえも、人はフローを体験できることになる(2,P213)。すなわち、日常でなされている活動のほとんどは、条件を満たせばフロー体験となる可能性がある。これをミハイは「最適経験」と呼ぶ(4,P80)。
すなわち、「フロー理論」によれば、どのような仕事でも、理論的には楽しくやれる。本当に楽しんで仕事をすれば、効率的に仕事ができるし、計画されている以上の目標を達成することも可能になる(1,P192〜193)。完全に集中して行動しているときには、消費されるエネルギー量も少ないから、多くの労力を要する課題を、少ない努力で解決でき、大きな成果をあげられることから、経済的に見ても効率的である(4,P79)。
けれども、ほとんどの体験はフローにはつながらない。その理由として、ミハイは、短期的に生産性が最優先することで、フローを産み出す条件と不一致が生じてしまうことだと指摘する(1,P192〜193)。その結果、フロー体験につながらない行動ばかりが選ばれることになる。前述したように、仕事の方がレジャーよりも高いスキルを求められるためフロー体験が起きやすいのだが、人々は、仕事で喜びを得られないため、テレビを選びがちなのである(4,P81〜82)。
フロー体験を通じて人は幸せな人生を実現できる
フロー体験を増やす第一歩は、日々の生活の中でまず目の前の課題に関心を向けることであろう。ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842〜1910年)は「私の経験とは私が関心を向けることに同意したものだ」と述べた(2,P216)。まさに、自分が関心を向けるものがあなたの経験であり人生となるのである(2,P217)。
外的な目標の達成よりも自分自身のために物事を行う人のことをミハイは「自己目的型の人格」と呼ぶ。こうした人物はフローを多く体験できる(4,P83)。そして、フロー体験を体験すると、次のように人生をさらに有意義に感じることができる。
@人生に対して無関心となるのではなく関心を持てる
A人生に対して退屈となるのではなく、活動を楽しめる
B自分を無価値とは思わず、自信を感じる
C物事に対して無力感を覚えるのではなく、物事をコントロールしている感覚を持てる(3, P215)
フローは老荘思想の「遊」につながる
『荘子』の「養生主篇」には、魏の恵王の御前で、見事な刀捌きで牛一頭を素早く解体して見せ、王を感銘させる身分が低い包丁という使用人の寓話が登場する。関心する恵王に対して、料理人は「私が心がけているのは技を超えた道でございます」と答え、これが「包丁」の語源となった。荘子は、「逍遥する」や「遊」、という自発的な自己目的な概念を提唱する。「遊」とは、進路、すなわち、道に正しく従うことを意味する。これはまさにフローの概念であろう(1,P187)。
アブラハム・マズローは最高の喜びに満ちた刺激的な瞬間のことを「至高体験」と呼んだ。フロー体験と至高体験には多くの共通点がある。けれども、フローと比較して至高体験はめったに起こらない。至高体験の特質はまだ多くの謎に包まれている(4,P87〜88)。とはいえ、ミハイは「自分がやっていることに完全に没頭することで人は幸せな人生を実現できる」と主張する(3,P213)。チクセントミハイの著作『フロー体験・喜びの現象学』がベストセラーとなり、ハワイで偶然セリグマンとミハイが出会わなければポジティブ心理学運動は産まれなかったであろう(4,P75)。
確かに、幸せを感じながら人生を生きられた方がよいに決まっている。そして、幸せは、忍耐力や好奇心や粘り強さを高め、身勝手さを弱め、幸せな人の方は、楽しくない仕事も長時間継続でき、同時に複数の作業も手際よくこなせるのである(4,P83, P95)。
【引用文献】
(1) ミハイ・チクセントミハイ『フロー体験喜びの現象学』(1996)世界思想社
(2) バーバラ・フレドリクソン『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』(2010)日本実業出版社
(3) ソニア・リュボミアスキー『幸せがずっと続く12の行動習慣』(2012)日本実業出版社
(4) イローナ・ボニウェル『ポジティブ心理学が1冊でわかる本』(2015)国書刊行会
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