2015年06月13日

第7講 ホログラフィック・ユニヴァース

はじめに

 ミハイ・チクセントミハイのフロー理論や自己実現論をより深く理解するためには、世界とは何か、時間とは何か、未来とは何かという深い理解が欠かせない。

 例えば『パワー・オブ・フロー』には、こんな記述がある。フローの中で生きているとき、わたしたちは適切な場所で適切なときに、適切なことをしているという感覚を抱く。心はウキウキしているが平静であり、自分自身を超えた偉大な何かとのつながりを感じる。人生は意味と目的に満たされ、魔法のような出来事が頻発する(P11)

 そこで、マイケル・タルボットの「ホログラフィック・ユニヴァース」を20年ぶりに読み直してみた。

07talbot.jpg 私の手にあるのは1994年版だが、2005年に「投影された宇宙」として再版されている。著者のタルボットは38歳の若さで1992年に事故で死去しており、出版から20年以上もたっているとはいえ、その内容はまったく古くない。訳者の川瀬勝氏はあとがきでこう書く。

「自分の力がまったく及ばない形で世界は機械のように動いている。自分はその怒涛のような流れに翻弄されるしかない。今日の人々が心にいだいている世界観をひとことで表現すればこうなるであろう。日常の多忙さのなかに埋もれていても、その根底にはどうしようもな無力感があり、そのゆきつく先には果てしない絶望が待ちかまえている。

私たちが醜悪な環境を作り上げているのも、この世界観が現実に具象化されたからにすぎない。そして、この無力感の根底には、自分が世界とは切り離された存在であるという見方、ボームの言う「断片化された現実感」がある。けれども、自我が登場したのは、人類の進化史ではごく最近のことで、せいぜいギリシア文化以降に発展したものにすぎない(略)。この本でタルボットが提示しているのは、まさにそんな無力感を吹き飛ばし、実は自分にはあらゆるものとの結びつきがあり、世界とはこんなにも神秘にあふれ、すばらしいものだったのだと感じさせてくれる世界観だ(P424)

 本の抜粋と再編集をご覧いただきたい。

この世は幻影である

 流れ星、舞い落ちる雪から、楓の木、回転する電子まで、ありとあらゆるものは時空間を超越したレベルから投影された幽霊のごとき映像にすぎない。この驚くべき考え方を築きあげたのは、スタンフォード大学の神経生理学者、カール・プリブラム(Karl H. Pribram, 1919〜2015年)と世界で最も尊敬される量子物理学者のひとり、ロンドン大学のデヴィッド・ボーム(David Joseph Bohm, 1917〜1992年)である。それぞれはまったく異なるアプローチから同じ結論に達した(PB〜C)

脳の記憶は特定の場所には存在しない

 1920年代。カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールドが、てんかん症の患者の側頭葉(こめかみの内側)に電気的な刺激を加えると、患者は過去に起きた出来事をあざやかに再体験した。このことから、特定の記憶は脳内の特定の場所に存在していると考えられた(P4)。けれども、ペンリールド自身も他の研究者もてんかん症患者以外では、脳をいくら刺激しても、同じ結果が得られなかった(P7)。また、医学的に脳の一部を切除されても、患者の記憶力はぼけることはあっても失われることはなかった。側頭葉そのものが除去されても記憶は失われなかった(P7)

 記憶だけではない。視覚機能もそうで、ネズミの視覚中枢の90%を除去しても、猫の視神経の98%を除去しても、視覚能力は大きくは損なわれなかった(P11)。このことから、プリブラムは、脳はホログラムのように情報を処理しているのではないかと考えた(P7)。ホログラフィ・フィルムにはどの小さな部分にもすべての全情報が含まれ、鮮明度が落ちこそすれ、小さな断片からも全情報を復元できるからだ(P10)

 1966年、プリブラムは、ホログラフィックな脳についての最初の論文を書いたが、ホログラフィックな脳モデルでは、記憶や視覚だけでなく、それ以外の性質も説明が付く(P13)。例えば、脳は狭いスペースに莫大な記憶を蓄積しているが、ホログラムの情報蓄積力も桁外れで、約平方センチに聖書50冊分の情報を記録できる(P14)。また、暗記したいものを全体をざっと眺めるだけで記憶できてしまう直感記憶も説明ができる(P17)。また、人間には感覚器官が存在していなくてもその感覚を体験できる能力がある。そのひとつが、切断した手足がまだあるように感じる幻肢現象である。これも、脳内の干渉パターンがホログラフィックに手足の感覚を生み出しているとすれが説明が付く(P20)

アインシュタインのパラドックス

 物理学には極めて不安定なポジトロニウム原子がある。ひとつの電子とひとつの陽電子からなり、二者は最終的には相殺しあい、光の素粒子である二つの光子に自然崩壊し反対方向に移動していく。二つの光子はどれだけ距離が離れていようが、計測するとまったく同一の偏向角を持つ。けれども光速よりも早く移動できる物質は存在しない。だとすれば、光速よりも早い「相互結合性」の存在を許す現実があるはずがない。1935年、アインシュタインは、ボリス・ポドルスキー、ネイサン・ローゼンらと共に、そう主張した。これを略してEPRパラドックスと呼ぶ(P34〜35)

2つの量子は別々には存在していない

 けれども、ニールス・ボーアは、光速よりも早いコミュニケーションが行われているとは考えなかった。素粒子が観察されるまで存在していなければ、二つの素粒子を独立した「モノ」として考えることはできない。2個の素粒子を別々のものとして見た段階でアインシュタインは誤っていると反論した(P35)

 07bohm.jpgデヴィッド・ボームも最初はボーアの解釈を受け入れていた(P36)。けれども、アインシュタインと対談した後、ますます釈然としなくなった。そこで、ボームは、1952年に新たな理論を提唱してみた。すなわち、観察者がいなくても電子等の粒子は存在する。ただし、それは、科学では発見できない深いリアリティのレベル、量子下に存在している。この二つの想定で量子力学で発見された事実が説明できることに気づいた。ボームは、量子下に存在するフィールドを「量子ポテンシャル」と名付けた(P39)

 古典科学は、システム全体の状況を部分の相互作用の結果として考える。けれども、ボームの量子ポテンシャルの考えでは、各部分の動きは全体が決めていると考える。素粒子はバラバラのモノではなく分割不可能なシステムの一部であるだけでなく、全体性の方が部分よりも優先するのである(P41)

 ボームは水槽の中を泳ぐ魚をたとえとして説明する。水槽も魚も見たことがなく、ただ2台のテレビカメラが写す画像だけから情報が得られるとしよう。2台のカメラは水槽の前にあり、もう1台のカメラは横におかれている。この状態で2つのテレビモニターを見れば2つの映像は別の魚を映しているように見えるであろう。けれども、2匹の魚の間には関係があることがわかっている。1匹が向きを変えればもう片方も動く。1匹が前を向けばもう片方は横を向く。全体の状況が把握されなければ、2匹は互いに瞬時にコミュニケーションをかわしているように見える。けれども、実際にはそうではない。何のコミュニケーションも行われていない。一段深いレベルの現実では、2匹の魚はひとつの同じものだからだ(P42〜43)

無秩序の下にはさらに深い秩序が存在する

 この問題を探究していくうちに、ボームは秩序にも程度の差があることに気づいた。一見、無秩序に見えるものも実は無秩序ではないかもしれないとひらめいた(P45)。この考えに没頭していたとき、ボームはBBCのテレビ番組に登場した装置でさらに啓発される。ビンと円筒の間の小さな隙間にグリセリンが入った装置だ。一滴のインクが入っており、ハンドルを回すとインクは広がって消えてしまうように見えるが、逆回転させると再びインクが表れたのだ。隠された秩序が存在している。この発見はボームを興奮させた。さらにその直後、ボームはホログラフィック・フィルムに出会う(P46)

 宇宙はホログラフィックな原理で働いており、それ自体が流れる巨大なホログラムなのだとの確信を深めた。ボームは1980年に『全体性と内在秩序』という著作で自分の考えを世に問うた(P47)。ボームの考えによれば、日常の現実もある種の虚像であって、その奥にはさらに深い秩序が隠されている。ボームはこの深いレベルの現実を『内在秩序』、私たちが存在しているレベルを『外在秩序』と呼ぶ。電子等の素粒子もインクの一滴がグリセリンから出現してくるように、内在秩序から出現したに過ぎない。ある素粒子が破壊されたように見えるときでも、それは消えてしまったわけではなく、本来の場所である深いレベルの秩序に再び包み込まれていったにすぎない(P48〜49)

 プリグラムとボームの理論を突き合わせてみると、脳とは時空を超えた深いレベルに存在する秩序から投影される波動を解釈して、客観的な現実として数学的に構築しているにすぎない。存在しているのは漠然とした波動の大海でしかなく、現実が堅固に見えるのも、脳が石や木といったなじみの物質に変換しているからにすぎない。磁器の滑らかさや足下に感じる海辺の砂の感触も高度な「四肢錯覚現象」にすぎないのである(P59)

【引用文献】
(1) チャーリーン・ベリッツ、メグ・ランドストロム『パワー・オブ・フロー』(1999)河出書房新社
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 第1章 ホログラムとしての脳、第2章 ホログラムとしての宇宙
タルボットの写真はこのサイトから
ボームの写真はこのサイトから
posted by la semilla de la fortuna at 21:00| Comment(0) | 宇宙と生命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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