トランス状態に入ると身体が消える人間がいる
幸せになるには経済成長は必要ではなくモノがなくても心の持ちようで幸せにも健康にもなれる。そして、ポジティブなマインドが人を健康にし、ネガティブなマインドが人を病気にすることの意味を掘り下げると、肉体そのものがマインドによって作られているのかもしれない結論にゆきついたのであった。
身体の本質はホログラフィックで非物質的なものであることを際立たせるのが、1905年にアイスランド人の霊媒、インドリディ・インドリダソンに起きた現象である。インドリダソンは心霊現象とは無縁の素朴な田舎の人間であったが、優れた霊媒の能力を持っていた。即座にトランス状態に入れると同時に、深いトランス状態にはいると身体のいろいろな部分が完全に消滅してしまうのであった。アイスランドを代表する数人の科学者が超常現象を調査ことになったが、驚きで呆然とする科学者の目の前で腕や手がうっすらと消え、覚醒する前には再び出現し物質化するのであった(P214)。
テレーゼ・ノイマンは物質化現象を引き起こしている

サイ・サイババ(Sathya Sai Baba, 1926〜2011年)やテレーゼ・ノイマン(Therese Neumann, 1898〜1962年)は身体の周囲に目に見える光を放っていたとされる(P221)と述べたが、現在で最も有名な物質化現象の事例は、サティア・サイババによるものだが(P197)、物質化の驚くべき事例は、テレーゼ・ノイマンにもみられる。
ノイマンは、1923年にある若い僧侶の喉の病を自分の身体に移したときから「不食生」がはじまり、その後、数年間、ノイマンは水分を摂取するだけで生きた。さらに、1927年からは水も飲まなくなってしまう。そして、その後も35年間、何も飲まず何も食べなかった。
1927年7月14〜29日まで、医師の監督下のもと、フランスシスコ派の尼層看護婦4人がノイマンの一挙一動を監視した結果、ノイマンが2週間の間、一滴の水も飲まず何も食べていなかったことが確認されている。
人間は食べなくても2週間は生きられるが、水なしではその半分も生きられない。さらに、平均的な人間は毎日、吐息で約400g、毛穴からもほぼ同量の水分を排出している。ところが、ノイマンはまったく脱水症状を示さなかった。毎週、聖痕の傷が開くと血液が流出するために4kg以上体重が減少したが、1〜2日のうちにそれが戻ってしまうのであった。このことから、ノイマンが聖痕の発言を繰り返すために必要な血液だけでなく、健康を保って生存するのに必要な水と栄養も物質化させていたことがわかる(P201〜202)。
物質化現象はリアリティがホログラムであることを示唆する

ディヴィッド・ボームは、宇宙のあらゆるもの発生する源、内的秩序の眼に見えない精妙なレベルでイメージすることからすべてが始まると考える。その意図がいくつものレベルを通過して最終的に外在秩序に姿を現す。ボームにとっては、イメージと現実とは区別できないもので、心の中にあるイメージが物質的な存在として現れてくるのも驚くにはあたらない(P101)。
スタンフォード大学物質科学部長でもある物理学者ウィリアム・ティラー(William Tiller)も、肉体だけでなく、宇宙そのものも精妙なエネルギーとして始まり、徐々に密度を増して物質化していったと考える(P255)。
ノイマンは重力を無視する超能力者でもあった
聖痕を出現させることができるテレーゼ・ノイマンは、同時に超能力者でもあった。ノイマンの足から血が流れ出るとき、血はキリストの傷から流れ出たのと同じく足の指先に向かって流れ、ベットに上半身を起こしているときには重力に逆らって上に向かって流れたのである(P153)。
念力現象によって骨折を治療する
ドイツのダルムシュタットに住むルーテル教会の尼層たちがチャペルの建設をしていた際、シスターの一人がコンクリートの床から落下した。すぐさま病院に担ぎ込まれたが、骨盤が複雑骨折していた。尼層たちは通常の治療を望まずかわりに世を徹して祈り続けた。さらに二日後にはシスターを連れ帰り、祈り続けると同時に手かざし療法を行った。その結果、2週間もかからず完全に回復した。
7世紀にイギリスで同様の事件が起きている。ヘクサムの教会の建設中に、ボテルムという名の石工が落下して両腕と両足を骨折した。主教聖ウィルフリッドは瀕死のボテルムに祈りを捧げ他の作業員にも祈るよう依頼した。その結果、速やかに回復したのである。
ハワイのシャーマン、「カフナ」にも数分の祈りと瞑想の後に骨折を治してしまったケースがみられる。
骨折は自然治癒するのにかなりの時間が必要で、ルルドの泉でのミチェーリの骨盤の奇跡的再生ですら数カ月を要している。したがって、こうした事例は、無意識レベルでの念力が骨折を治していることを思わせる(P163〜164)。
念力現象によって物質が沸騰する
ナポリの大寺院ドゥオーモ・サン・ジェンナーロでは、毎年5月と9月に奇跡が起きる。小さな小瓶に入った茶色の粉末状の物質が泡だって深紅の液体に変わるのだ。
この粉末状の物質は、伝説によれば305年にローマのディオクレティアヌス皇帝によって斬首の刑になった聖ヤヌアリウス、サン・ジェンナーロの血液であるとされている(P151)。粉末状の物質が本物の血液であることは1902年にナポリ大学の科学者が分光器を用いて分析したことから実証されているが、この科学的には説明不可能な奇跡も、奇跡を目にしたいと集まった人々の信念によって引き起こされている可能性が高い(P152)。
物理法則は現実ではなく習性?


子どもたちの心は、束縛を受けず、世界をあるがままにしなやかに認める。けれども、同じ渦巻きが繰り返し形成されると思考が窮屈な壁をつくってしまう。自分の意見を正当化しようとし、新たな情報に接しても価値観を変えることはめったになく、会話を通じても本当の交流を深めることにほとんど関心を示さない(P86)。
物理学者、ディビッド・ピート(David Peat,1938年〜)博士も、繰り返しが多い性質を「宇宙神経症」と呼ぶ。神経症にかかると同じところにひ
っかかってしまったかのように、生活の中で同じパターンを繰り返したり、同じ行動を取ったりする(P177)。

「椅子やテーブルもこれと同じなのではないかと思うことが多い。まさに物質の神経症とも言えるもので繰り返しの産物なのである。椅子やテーブルは絶え間ない流れの中でできた『習性』でしかなく、流れの方が真実なのである」(P178)。
深い確信を伴う信念がシェインバークのいう渦巻きのように思考内で固定されてしまうように、物理法則も石に刻まれたような絶対的なものではなく、ホロムーブメント内で固定されてしまった渦巻きでなのではないか。そして、物理法則が流れの産物であるとすれば、それは相当深く刻み込まれた習性ではあるが、上述した物質化や念力のように通常の現実を規定している物理法則の一部も、その効力を一時中断させることが可能であることが示されている(P178)。そして、信念が深ければ深いほど、強烈な感情を伴うものであるほど、現実に対して引き起こせる変化も大きい(P179)。

【引用文献】
マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 第3章 ホログラフィック・モデルと心理学、第5章 奇跡がいっぱい
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