体外離脱者の真の姿は共鳴しあう光の波動である
オルダス・ハクスリー、ゲーテ、D・H・ロレンス等、多くの著名人がいずれも体外離脱を体験している。人類学者、エリカ・ブルギニヨンが現存する社会の57%に相当する世界の488の社会を調べたところ、その89%に体外離脱体験の伝承が見られることがわかった(P314)。体外離脱現象は多くの人が思っている以上に一般的な現象なのである(P315)。

体外離脱と臨死体験は類似している

体外離脱体験と同じく、臨死体験も世界共通の現象である。2500年前の『エジプトの死者の書』、2000年前のインドのパタンジャリによるヨガの文献、プラトンの『国家論』に登場する臨死体験者エルの黄泉の国への旅の記述、8世紀の『チベットの死者の書』の内容には驚くべき類似性がある(P328,330)。
そして、臨死体験者の体験は、体外離脱体験と類似している。例えば、スウェーデンの神秘思想家スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg, 1688〜1772年)は、8カ国語を話し、政治家、数学者、天文学者、事業家であり、趣味で時計や顕微鏡を制作するほか、治金学、色彩論、経済学、物理学、科学、鉱業、解剖学に関する著作があり、飛行機や潜水艦の原型も発明した当時のレオナルド・ダ・ヴィンチともいうべき人物であった(P353)。スウェーデンボルグは瞑想をしながら体外離脱ができたが、その領域の記録は臨死体験者の死後の描写と瓜二つである(P354)。
まず、体外離脱者と同じく臨死体験者も自分が実体のないエネルギー体であることに気づく(P337)。そして、車椅子の生活を余儀なくされていた人も歩けるようになり、手足の一部を切断した人も四肢を取り戻し、老いた人は若者の身体となり、子どもは大人になっていることが多い。これは、心の奥底にある深い願望が身体の形を創造していることを示唆している(P338)。

退行催眠の中間生も臨死体験と類似している
トロント大学医学部のジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜) 博士の退行催眠による生間領域での体験も、トンネルの通過、すでに世を去った親や親戚との出会い、人生の回顧、時間も空間も存在しない光に満ち溢れた領域、ガイドによる導き等、臨死体験の代表的な特徴が重なる(P338)。
臨死体験者に求められるのは愛である

同じように、ムーディ博士らによれば、臨死体験者は、一瞬にして全生涯が信じられないほど生々しく立体映像として再生されることを体験する。そして、パノラマ的な記憶が展開する最中、人生のすべての出来事に伴う喜びや悲しみ等、あらゆる感情を再体験する(P341)。親切にした人たちの幸せをわがことのように感じとり、人を傷つけた場合には相手が感じた痛みをはっきりと自覚する。同時に、ホイットン博士によれば、思慮を欠いた行為だけでなく、人生で達成しようと願っていて成就できなかった願望や夢についても悲しい痛みを感じるという(P342)。
臨死体験者は光の存在によるカウンセリングで愛を学ぶ
人生の回想は、エジプトやキリスト教等、世界の多くの宗教に記されている死後の審判とかなり類似する。ただし、ホイットン博士の被験者や臨死体験者は、審判は自己審判だけであり、自分の罪悪感や悔悛の気持ちから生じるものだけで、光の存在によって審判が下されることはまったくなく、ただ愛と受容の気持ちだけしか感じられないと述べている。私たちは自分が考えている以上に慈悲深い宇宙に生きている(P343)。光の存在はカウンセラーとして、怒りを愛に変え、誰もを無条件で許し、もっと愛することを学びこと。そうすれば、自分自身も愛されることを教える。すなわち、光の存在たちの道徳的規準は愛だけなのである(P344)。
臨死体験者に求められるのは知的な学びである
愛と同じく光の存在が重視するのが、知識である。臨死体験者は、自己成長や他の人を助ける能力と関連した知識を探究することと関連する出来事が人生回顧の最中に起こると、光の存在は喜んでいると指摘している(P344)。死後にはすべての知識にアクセスすることが可能となる。けれども、人生で学び続けることに意義があるのは、一人一人が他者に手を差し伸べるようになることと関連している(P347)。
臨死体験者は、例外なく深い心理的な変化を経験する。以前よりも楽観的で幸せでのんきで所有にあまり気をかけなくなる。愛の包容力が広がり、内向的な人は外向的になる。さらに、以前よりも精神的・霊的なものを志向するようになる(P370)。
同時に、物理学に強い関心を持つことも多い。ケネス・リング博士が調査した重機械を作業する作業員は、臨死体験前には、学問にまったく関心をもっていなかったが、回復後にはマックス・プランクや量子という言葉を突如として口にし、物理学に興味を抱き大学にまで入った(P371)。
臨死体験後に経験される知の図書館は情報庫の変換解釈か?
臨死体験者、ヨガの達人、アヤワスカを摂取したシャーマン、スーフィら、隠された領域を訪れた人々は、みな共通して、広大で光輝き美しさにあふれた天界の都市を目にしたと報告している(P375)。この都市には知識の探究に関連した学校等の建物が多く、ホイットン博士の被験者も図書館やセミナーを備えた広大な学びの殿堂で、高等教育機関で過ごしたと述べている。学ぶことだけを目的として作られた都市に関する記述は11世紀のチベットの文献にもみられ、それがジェームズ・ヒルトン(James Hilton, 1900〜1954年)の小説『失われた地平線』のシャングリラのモデルになったともされる(P376)。さらに、臨死体験者の中には、知識そのもので建物が建てられていると語っているものもいる。これは、純粋な知の生きた雲は、人間の心では、図書館といったホログラムにしか翻訳することしか処理できないことを示唆している(P377)。
相互結合性の世界観を古代ヒンドゥー教も華厳経も持っていた
ヒンドゥー教の聖典『ヴァタムサカ・スートラ』は宇宙をインドラ神の宮殿にくまなくつるされた伝説的な真珠の飾りにたとえた。7世紀の華厳宗も究極的な相互結合性と相互浸透性を驚くほど似た比喩で説明した。17世紀のドイツの哲学者ライプニッツは、華厳宗のことをよく知っていたらしい。だからこそ、ライプニッツは宇宙は、それぞれが宇宙全体の反映を内蔵している「モナド」からできていると主張した。そして、ライプニッツが積分法をもたらしたことで、ガーボル・デーネシュ(Gábor Dénes,1900〜1979年)はホログラムを発明できたのであった(P404〜405)。
ほとんどのシャーマン文化にある内在秩序と外在秩序の宇宙観
宇宙が内在秩序と外在秩序という二つの根本的な秩序の複合体であるというのがボームの見方だが(P398)、内在と外在秩序という考えは、ほとんどすべてのシャーマン文化の伝統に見出せる(P402)。
チリやアルゼンチンの草原地帯に住むアローカニア・インディアンでは、シャーマンの主な役割は病気の診断と治療である。そこで、内面透視能力がシャーマンになるための必須条件とされている。エクアドルの高原地帯に住むヒバロ・インディアンは幻覚性植物「アヤワスカ」と呼ばれる蔓植物からの抽出液を飲むことで、患者の身体をガラスのように見通す能力を得る(P252)。1960年、人類学者マイケル・ハーナーは、アマゾンに住むコソボ族と生活を共にしていた。ハーナーは、アヤワスカから作るシャーマンの聖なる飲み物を飲むことで、体外離脱を経験した(P368)。1961年時にハーナーはDNAの知識を持っていなかったが、生命の起源や進化を司る存在としてDNAを幻視した(P369)。
カルロス・カスタネダが出会ったヤキ・インディアンのシャーマン、ドン・ファンもこう言う。
「われわれは意識なのだ。物体ではない。固体でもない。境界もない。物と固体の世界は、この地球での一時を過ごしやすくする手段にすぎない。我々の理性が自分の全体性を悪循環の中に閉じ込めてしまうのだ。一生のうち、そこから出られる人間はほとんどない」(P212)。
オーストラリアの先住民、アボリジニのコミュニティで生活し研究を行った人類学者、ナンディスワラ・ナーヤカ・テーロ博士によれば、アボリジニのシャーマンが深いトランス状態で経験する「ドリーム・タイム」は西洋の死後の世界の概念と変らないと指摘する(P366)。そして、アボリジニは精神の真の源は、ドリーム・タイムの超越的現実にあると信じている(P402)。
スーダンのドゴン族も物質的世界はより深層にある根源的な世界の産物で、存在の根源的な次元から絶え間なく湧き出てきてはそこに戻る流れだと考えている(P402)。
ユダヤの神秘思想、カバラの伝統でも、創造物のすべては神の超越的側面が幻影として投影されたものだと考える(P401)。
チベット仏教では、これを「空」と「不空」と呼ぶ。「空」とは精妙で宇宙のあらゆるものが産まれる場所であり、そこからの限りない流れによってすべてがあふれ出てくる。けれども、実在しているものは「空」だけであり、眼に見える客観的世界の現実は錯覚にすぎない(P398)。チベット仏教で最も名高いヨーギ、ミラレパ(Mi-la-ras-pa, 1052〜1135年)によれば、人間が「空」を直接知覚できないのは、無意識の心があまりにも強く条件づけられているためである(P399)。
インドの聖者は宇宙を光の振動と捉えている

意識を変えるだけで、現実のより精妙なレベルにアクセスできるという考えは、ヨガの教えの主要な前提のひとつである。ヨガの修行の多くは、いかにしてこの旅をするかを教えるためのものである。そうした人間のひとりが、その名こそほとんど知られていないものの、広く尊敬を集めた人物、ヒンドゥー教の聖者シュリ・ユクテシュワル・ギリ(Yukteswar Giri, 1855〜1936年)である。1920年代にユクテシュワルに会ったエヴァンス=ヴェンツは、この聖者のことを「感じのよい雰囲気と高貴な人格」をもち、まちがいなく「まわりの信奉者がもつ敬愛に価する」と述べている。シュリ・ユクテシュワルは、パラマハンサ・ヨガナンダ(Paramahansa Yogananda, 1893〜1952年)の師でもあるが、この世界と次の世界との間を行ったり来たりすることにとりわけ才能があったようで、死後の世界は「光と色の非常にかすかな振動」でできており、「物質宇宙より何百倍も大きい」と描写した(P361)。

オーロビンドは、ほとんどの人間は心理的な幕があり、物質のベールの向こう側を見ることを妨げているが、ベールを除けば、すべてが強弱が変わる光の振動であることがわかると述べている。オーロビンドの見解も、ボームやプリグラムの結論と区別がつかない(P364)。
【引用文献】
マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社 第7章 時を超えて、第8章 スーパーホログラムの旅、第9章 夢時間への回帰
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