2015年06月19日

第13講 没落社会ではフローで生きよう

衰退する日本では社会的成功に幸せはおけない

 社会的に成功した人間は生きる意味を見出しやすい一方で、社会的に挫折した人間は生きがいを得られない。そう考えられがちである。けれども、今後、日本は人口が減少し、社会的な成功はごく少数の人しか手にできなくなっていく。経済成長や物質的な満足に左右される成功や失敗の次元だけを人生の尺度にしていれば、日本人の幸せは低下していかざるをえないであろう(2)

心理学は病んだ心を癒す学問ではない

 第二次大戦以前の心理学は、大きくは以下の三つの目的を目指していた。

 @心の病を治療する

 A日々の暮らしを向上させる

 B優れた才能を見極めて伸ばす(4,P26)

 けれども、第二次大戦後、後の二つの役割は軽視され、「心理学=心を病んだ人を治療する学問」と見なされるようになっていく。例えば、心理学者にカウンセリングを受けに行くと友人に告げてみて欲しい。「それは凄い。自分を向上させるためなんだね」という言葉はまず返ってこないであろう(4,P27)

 とはいえ、ヒンドゥ教や仏教も、思いやり、慈悲、喜び、愛といった感情を重視してきた。こうした古代の哲学思想は、ポジティブ心理学に大きく影響を与えた。例えば、カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875〜1961年)は1933年に「完全な人間」という概念を提唱した(4,P29)。また、1950年代に誕生し、1960年代に発展する「人間性心理学」は、ネガティブを重視する精神分析や外部から観察できる行動を重視した行動主義といった主流の心理学に意義を唱えた(4,P30,117)

 13Carl Rogers.jpgこの運動の重要人物を二人あげれば、「完全に機能する人間」という概念を導入し、人間には成長に向かう根源的なモチベーション、「自己実現傾向」があると主張したカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers, 1902〜1987年) (4,P117)と、自己実現を重視し「ポジティブ心理学」という言葉を始めて用いたアブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908〜1970年)であろう(4,P30)

自己実現は社会的な成功とは無関係

 マズローの理論からすれば、自己実現という上位の欲求は、生理的・安全的欲求が満たされたうえで満たされるはずである。けれども、オーストリアの心理学者、ビクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905〜1997年)が、目にしたのは、悲惨な状況の中でも耐え抜いた人がいたことであった。フランクルは、様々な基本的な欲求が満たされなくても人は崇高に生きられるのではないかと考え、それをマズローに問いかけた。マズローの答えはイエスだった(2)

すべて人は未来からの可能性の呼びかけに応えるために存在している

 「私の人生は何をやってもうまくいかない。ただの一度もいい思いをしたことがない。誰にも必要とされていないこんな人生は、生きるに値しないのではないか」

 こう思い悩む人は、こうした思考法を止め、自分のことを待っている誰か、自分のことを必要としている何かに目を向けてみるといい。とかく、人は人生の意味を問いかける。けれども、ヴィクトール・フランクルは、「人生」の方が人間に問いを発していることから、人生の意味を問いかける必要はないと考えた。これは、人生の意味についての立ち位置を180度転換するものである(3)

13viktor.jpg「どんなにあなたが絶望していても人生の方であなたに絶望することはない」。フランクルのメッセージは数多くの絶望する人の魂を救ってきた(3)


 空虚感におそわれる人に対して、フランクルは「内側を見つめるのを止め、未来にあなたを待っているものに目を向けよ」と示唆する。自分の内側を見つめるのではなく、あなたに見出されるものを待っている「何か」を探せと外に目を開くことを促す(3)

 フランクルによれば、この世には、かならずあなたを必要としている「何か」や「誰か」が存在している。そのつながりの中で人は生きている(3)。すなわち、どの人にも絶えず実現されることを待っている「可能性」が存在している。その可能性は、絶えず、今に先行して、未来から可能性を呼びかけている。この未来からの可能性からの呼びかけに応えるために、私たちは存在しているとも言えるし(1)、誰も、この人生からの呼びかけに応える責任を持っているとも言える。フランクルによれば、答えなければならないのは、人生からの問いなのである(3)

見えない世界からの呼びかけに耳を澄ます

 それでは、いまに先行している未来の可能性は、どのようにして見つけ出せばよいのであろうか。

 一人静かな時間を持ち、人生全体からの呼びかけをからだ全体で受け止めてみよう。私たちを超えた何かの力。私を超えた向こうからの呼び声。妙に気になる夢。人間関係のトラブル。なぜか思い出す映画の一場面。たまたまつけたテレビドラマの登場人物が語る言葉。気づく必要のある大切なメッセージは様々な形でやってくる。沈黙すると、ひっそりと届けられる呼びかけの声、サイレント・コーリングに気づく(1)

 この人生や状況からの呼びかけに対して心を閉ざし、自分自身に関心を向けていくと、それは自己愛や自己執着につながる。昨今のスピリチュアル・ブームが危険なのは、こうした新たな自己執着や虚しさを産むからである。フランクルもマズローも自分から目を離せと言う(1)

13gendlin.jpg カール・ロジャースは「自分が自分を受容的に耳を傾けられるとき、自分自身になれるとき、私はよりよく生きることができる」と述べ、自分の心の声を他の誰かに聞いてもらう『傾聴』が大事だとした。さらに、ロジャースの弟子である、ユージン・T・ジェンドリン(Eugene T. Gendlin, 1926年〜)博士は「フォーカシング」を創設し(3)、人生からの呼びかけを「暗黙への生起(Occuring into implying)」と呼んだ(1)

二つの選択肢〜すべての出来事には意味がある

 人間は驕慢な生き物である。何事もなく平穏な日々を過ごしているとますます驕慢となり、自己中心的になっていく。つらく苦しい悩ましいできごとを経験しなければ、自分を深く見つめて人生を変えていくことはできない。思い出すことすら辛いできごとを含めて、すべてのできごとには意味がある。ある種の必然性をもって、起こるべくして起こっている。なぜならば、すべてのできごとは、気づきと学び、自己成長の機会であり、「それに対してどう答えるのか」を迫ってきているのである(3)

 ここで、二つの選択枝がある。ひとつは人生からの「問いかけ」に耳を貸さず、心を閉ざし続け、これまでと同じパターン化された日々を繰り返していくことだ。結果として、何を学ぶこともなく人生に大きな変化も生じない(3)

 もうひとつは、人生で起きた辛く苦しい体験に正面に向き合い、「できごと」が自分に何を学ばせようとしているのかを丁寧に振り返り、自分を深く見つめることだ(3)

 もちろん、この未来の可能性に対して、どのように応えるべきかは本人の自由である。けれども、この呼びかけを満たせる「最善の答え」はひとつしかない。その意味で、人生は半分は自由であり、半分は決まっているとも言える(1)

人は目的を持って生まれてくる

 実は、すべての人間は、この世で果たすべき「使命と課題」をもって産まれてきている(3)。この人生で果たすべき暗黙の「使命(ミッション)」を刻印されて、一人ひとりの「魂」はこの世に産まれてきている(バースディ・プロミス) (1,2,3)。逆に言えば、そのミッションを生きて、現実化し、使命を果たすために、人はこの世に産まれてきたのである(2)

 そして、この魂に刻み込まれたミッションを発見したとき、「ああこれだったのだ」「私の人生はこういうことになっていたのだ」「このことをなすために私は生まれてきたのだ」「私はこの人生を生きることになっていたのだ」という感慨を覚えることが多い(1,3)。自分の人生に課された使命を「暗黙の予感」として発見でき、これまで歩んできた道が運命の道であったことに気づく(3)

 何やら新手の宗教のように思える。けれども、心の深いところで満たされた人生を生きている人は、「私はなすべきことをなしている」という実感を抱いて生きていることが多い(2)。実際、諸富祥彦氏は、カウンセリングを通じて、そうした気づきに多く立ち会ってきた(3)

シンクロニシティとフローの人生

 不思議なことだが、この「人生」からの呼びかけに無心になって生きるとき、人生全体の隠れたミッションが顕在化していく。この流れに乗って生きていくとき、ミッションの実現に必要なものはすべて自ずから与えられはじめる。起こるべくしておきた偶然は、もはや偶然ではなく、「シンクロニシティ」であると言える。このシンクロニシティが頻繁に生じ始めると、自分を超えた大きな流れが人生で働き始める(1)

06mihaly.jpg 人生の決定的な場面では、シンクロニシティが顔を出すことが多い。ハンガリー出身の米国の心理学者ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi, 1934年〜)は、この流れを「フロー」と名付けた(1)。

 自分の意志を超えた大きなフローが生じ始め、こうしたフローの中で生きているとき、適切な場所で適切なときに、適切なことをしているという感覚を抱く。マネーであれ、仕事のチャンスであれ、人生の流れを前進させるのに必要なものがちょうどよいタイミングで与えられる不可思議な出来事が頻発していく。また、心はウキウキしているが平静であり、自分自身を超えた偉大な何かとのつながりを感じ、人生は意味と目的に満たされ、生きる意味や目的への疑問はおのずから解消される(1)

 いま自分はこの人生を生きていて、共にいるべき人と共にいて、この人生で自分が行うべきことを行っているという感覚が持てるとき、私のことを必要としている誰かがいて、私のことを必要としている何かがあって、私はその何かや誰かとつながることが13Mindell.jpgできているという感覚を持てるとき、どれほど貧しく、どれほど孤独で、どれほどさみしく、どれほど健康を害していても、心の深いところで生きる意味を実感しつつ生きていける。すなわち、魂のミッション、生きる意味、精神の気高さという心の一番深いところで、生きる意味と使命感が満たされた生き方を得ることが大切なのである(2)。そうすれば、どのような挫折や失敗があっても幸せといえるギリギリの幸せが得られる(1)

 細かなことは別として自分の人生は、大筋は向かうべき方向に向かっている。この感覚を欠いていると何が本当に必要で、何が不必要かが見分けることができなくなる。「プロセス志向心理学」を確立したアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell, 1940年〜)は「センシェント」と呼ばれる繊細な感覚を重視する。ミンデルのものの見方には、老荘思想のタオや量子力学、アニミズム的な気配が漂うが、ミンデルも偶然の積み重ねが人生の流れを産み出すと考える(1)

宇宙がつながっていると信じて愛することが幸せにつながる
 
 13Ken Wilber.jpgこの宇宙のすべてはつながっている。一見するとバラバラに思えるものも、すべては究極的な一の顕れである。これを仏教では「空」、ミンデルは「プロセス・マインド」、そして、ケン・ウィルバー(Kenneth Wilber, 1949年〜)は「スピリット」、と呼ぶ。すなわち、自己を超えた生命の流れがある。この偶然のつながりから、様々なシンクロニシティが産まれてくる。人生で劇的に大きな流れを創りだし、成功や幸せを手にできる人は、このシンクロニシティに対して開かれた心の姿勢を持っている人が少なくない。大切なことは、人との出会い、つながり、ご縁を大切にすることなのだ。幸せになれる人は、自分にあまり関心を注がない。逆説的だが、この世界を信じて愛することが、巡り巡って真の幸福を与えることにつながるのである(1)

【引用文献】
(1) 諸富 祥彦『生きづらい時代の幸福論』(2009)角川ONEテーマ
(2) 諸富 祥彦『人生を半分あきらめて生きる』(2012)幻冬舎新書
(3) 諸富 祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(4) イローナ・ボニウェル『ポジティブ心理学が1冊でわかる本』(2015)国書刊行会
ロジャーズ博士の画像はこのサイトから
フランクル博士の画像はこのサイトから
ジェンドリン博士の画像はこのサイトから
ミハイの画像はこのサイトから
ミンデル博士の画像はこのサイトから
ウィルバーの画像はこのサイトから

posted by la semilla de la fortuna at 20:00| Comment(0) | 幸せの科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: