2015年6月24日改正
人生はあきらめて生きていい
「人生を半分あきらめて生きる」というフレーズを耳にしてどう思われるだろうか。大きくは次の三つの反応があるだろう。
第一は、それを否定する人だ。そういう人は、これまで成功してきたし、仕事や恋愛や自分の未来にまだまだ希望を抱いている。ならば、無理してあきらめる必要はない。
第二は、幼少期から家族関係がギクシャクしたり、受験に失敗したり、希望した職種に就職できなかったり、結婚しようと思っていた相手に突然ふられたり、人生の辛酸をなめてきたにもかかわらず、自分の努力が足りない、いまのままでは駄目だと思っている人だ。このタイプの人は実は最も生きるのが辛くなってしまう。理想が高いために、常に自分を責めてしまうからだ。
第三は、「あきらめない」「がんばれ」といったポジティブな言葉を耳にすると辛くなり、「あきらめて生きる」という言葉を聞くと、どこかホッとする人だ。おそらく、この数年で最も増えているのがこの人たちだろう(4p66〜67)。
苦労してためたお金が紙くずになる時代
いま、私たちは、どのような時代を生きているのだろうか。経済が縮小して人口が減少する時代だ。どうみても、経済成長は望めない(4p28)。
安倍政権はアベノミクスを成功させ、1年で2%のインフレ率を目指している。これは、10年後には物価が2割も高まり、マネーの価値が2割も減ることを意味している(6p176)。モルガン銀行の伝説のディーラー、藤巻健史氏の予想は、さらに厳しい。苦労して貯金したマネーの実質価値が10分の1になるどころか、日本経済は数年後に破綻し、いまのマネーが紙切れ同然になる可能性が高いと警告している(6p185)。つまり、いまという時代は、長年苦労してきた貯金も一挙に紙くずになるリスクが高い「無力社会」なのだ(1)。
最も大切なものはマネーではなく時間だ
プリンストン大学のダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman,1934年〜)教授は、経
済学と認知科学を統合して、行動ファイナンス理論やプロスペクト理論を提唱した行動経済学者だが、豊かになれば幸せかどうかをビジネス・ウーマンを対象に調査したところ、高収入で不幸だと思う人は20%と少なかったが、収入がかなり低い人たちも32%にすぎず、7割はそれなりに楽しく暮らしていた(4p133〜134)。つまり、収入の多寡が幸せに直結せず、幸せ・不幸を決めるのは、マネー以外の何かなのだ(6p184〜185)。

では、人生で何が取り返しがつかないものかを考えてみよう。マネーはたとえ失ったとしてもまた働けば増やせる。仕事で失敗して評価を落としたとしても、また努力すればそれは回復できる。けれども、人生で取り返しがつかないものがある。それは、時間だ。マネーは人生の時間を豊かなものにするための手段にすぎない(6p178)。
失業率が高く年収も日本よりも少ないヨーロッパ人たちは、ゆったりと時間をかけて食事を楽しみ、夏には1月以上リゾート・バカンスに出かける。経済的には日本よりもはるかに不安定であっても、手元に余裕のお金があれば、それを楽しんで使うことを知っている(6p177)。けれども、日本人はワーカーホリックとマネーホリックにかかっている(6p184)。ヨーロッパ人からすれば、楽しみもせず、あくせくと働いて人生を終えてしまう日本人は野暮そのものなのだ(6p177)。
つまり、本当の幸せを考えれば、限られた時間をどれだけ「魂が喜ぶ時間」にできるかが最も大切なことになる(6p178)。いま、どれだけマネーを儲けたかよりも、どれだけ多くの人たちを幸せにできたかに人生の価値があるというまっとうな価値観を持つ若者が増えているのは喜ばしい(6p188)。
今一瞬を心を込めて生きる
幸せになれる選択対象を手にできる人がごく少数に限られ、極度に予測不可能性が高いこのような時代に実現可能な希望に躍らせてはならない。こうした時代に長期的な人生展望を持つことは無益なばかりか危険ですらある。このような時代の中で、死の間際に「私は幸せだった」と心の底から思える人生を生きるには、本当の意味でクレバーでなければならない(4p38)。
そもそも、「真面目に頑張っていれば、人生はいつかいいことがあるはずだ」という思い込みは、人生はいつ想定外のことが突然起こるかわからないというリアルな事実を直視していないから成り立つ。
「こうなればよかった」と過去に思い描いた願望に逃避しても、「いつか、きっとこうなる」と未来に思い描く空想に逃げるのも止めるしかない。となれば、できることは、ただこの瞬間を心を込めて生きるしかない(4p196)。
エリザベス・キューブラー=ロス(Elisabeth Kübler-Ross, 1926〜2004年)が死にゆく人を見つめてきたその経験から学んだ最大のことは「いま、この瞬間」に心を込めて本当に生きることだった。例えば、愛する人と一緒にいても、心を込めてその一瞬一瞬をすごしていなければ、本当に一緒にいたことにはならない。
すなわち、無力な私たち人間にできることは、「今日一日が人生最後の日になるかもしれない」とそんな思いを胸に刻んで一瞬一瞬心を込めて生きることしかない(4p95,8p142)。とりあえず、あと1年、さしあたりあと1年と一年単位で生きのびていくしかない(4p40)。
メキシコには骸骨の仮面を被って踊る「死者の日」という祭りがある。この祭りに込められているのは「メメント・モリ(死を忘れるな)」「カルペ・ディエム(その日をつかめ、いまを楽しめ)」という意味だ(4p96)。 米国の宗教哲学者、ポール・ティリッヒはこういう。
「明日、死す者のようにして生きよ」(4p98)。
ジョブズは、日々、死を意識して好きなことを追求した
スィーブ・ジョブズ(Steve Jobs, 1955〜2011年)が語るとき、そこには情熱と勢いと活気がある(3p65)。1983年、ジョブズはペプシコの社長、ジョン・スカリーを引き抜こうとしていた。その時、スカリーが忘れられない一言でこう説得した。
「一生、砂糖水を売り続ける気かい。それとも世界を変えるチャンスにかけてみるかい」(3p63)。
そして、ジョブズも、いまを楽しめ、好きなことをせよと述べている。
「仕事というのは一生のかなりの部分を占める。本当に満足するには、すごい仕事だと信じることをするしかない(3P65)。そして、すごい仕事をするには自分がすることを大好きになるしかない。だから、大好きなことを見つけてほしい。大好きなことを追求し、自分の使命を果たせ。どこにいきたいのかは心が知っている。今日はすてきなことができたと思いながら眠りにつく。僕にとってはそれが一番大事だ」(3p69)。
2005年6月12日にスタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチでも、ジョブズはこう述べた。

死ぬときに何を残したいのかを考えながら生きる
心理カウンセラー、石井希尚氏は、こう述べている。
「人は見ている方向に近づいていく。あなたは、死んだときに墓碑銘になんと刻まれたいだろうか。最後に看取った人が『この人はこういう人だったなぁ』というその人々の言葉こそ、あなたが近づいていった人なのだ」(2)
ソニア・リュボミアスキー教授も、「この世に去った後で自分が残したいと思うことを考えるといい」と示唆する(5p245)。
末期癌のホリスティック医療に取り組む帯津良一博士は、やすらかに死んでいく人と後悔しながら死んでいく人との違いについてこう述べている。
「自分の人生でやりべきこと、やりたいと思うことをやりきったと思える人は、とてもいい顔をしてやすらかに死を迎える」
そして、キューブラー・ロス博士も人が死の際に語る言葉は「ああっあれをしておけばよかった」という呟きだという(4p97〜98,8p143)。
こうしたことを踏まえ、諸富祥彦教授は「やりたいと思ったことをすぐ始めるひとは慎重さにかけると思われがちだ。けれども、いつかしたいという想いを先のばししているうちに、本当にしたいことをほとんどやらずじまいで終わってしまうことの方がよっぽど愚かな生き方であるとはいえないだろうか」(8p129)。「そのうちにやってみたいことがあれば前倒しでどんどんするしかない。また、伝えたい思いがあれば、いますぐ伝えるしかない。そして、一人の時間をつくり、自分が本当にしたいことはなにか。これをせずには死ねないと思うことは何かを考えることだ」とアドバイスする(4p202〜204)。
なぜ、やりたいことをやらずにいると後悔をするのか。これには、科学的な根拠がある。

「ツァイガルニク効果」と呼ばれる現象が意味することは、人は行動した結果、たとえ失敗したとしても、その失敗を心理的に正当化して納得させることには長けている一方で、行動をしそびれたことに対する後悔は、後になってもやわらぐことはなく、時間が経つにつれ心の痛みになる傾向があることだ。大学時代にもっと勉強しておけばよかったとか、恋人に告白しておけばよかったという後悔は、つかみ損ねた二度とめぐってこないチャンスを伴うケースが多いからだ。やらなかったことを後悔しないことが幸せにつながるのであれば、多少のリスクを冒しても人生にはもっと挑戦したほうがいいことになる(7p285〜288)。
たとえ思い描いた夢が実現できなくても人は幸せになれる
多くの人は自分の夢や目標が達成できることが幸せの条件だと考えている。けれども、夢や目標が実現できなければ幸せにはなれないというのは「幸せの神話」にすぎない(7p59)。数多くの研究結果から、驚くべきことがわかってきている。幸せとは目標を追い求めることから産まれるものであって、目標の達成から産まれるものではないということだ。すなわち、人は目標に向かって努力し、その目標を追求する「プロセス」を楽しむことで幸せになれるのであって、結果としてその目標が達成できなかったとしても人は幸せになれるし、結果が実現されるかどうかは幸せとは無関係だったのである(5p253,7p58〜59)。
【引用文献】
(1) 諸富 祥彦『生きづらい時代の幸福論』(2009)角川ONEテーマ
(2) 石井希尚『明けない夜はない』(2009)ディスカヴァー・トゥエンティワン
(3) カーマイン・ガロ『スティーブ・ジョブズ脅威のプレゼン』(2010)日経BP社
(4) 諸富 祥彦『人生を半分あきらめて生きる』(2012)幻冬舎新書
(5) ソニア・リュボミアスキー『幸せがずっと続く12の行動習慣』(2012)日本実業出版社
(6) 諸富 祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(7) ソニア・リュボミアスキー『人生を幸せに変える10の科学的な方法』(2014)日本実業出版社
(8) 諸富祥彦「自分に奇跡を起こす心の魔法40」(2013)王様文庫
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ジョブズの画像はこのサイトから
ゼイガルニクの画像はこのサイトから