はじめに
このブログ「幸せ探偵」は、経済成長に依拠しない国家や社会の有り様を、個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみたいと思っている。
「幸せ」になるための条件とは、マネーやモノではなく、ソニア・リュボミアスキー教授が言う、感謝して生きる。他人と比較しない。人に親切にする。楽観的 に生きる。豊かな人間関係を育む。やりがいがあり没頭できる仕事や経験を増やす。人生に目標を持ち、それに向けて努力する。運動や瞑想を行うことといった 取り組みなのであった。
こうしたポジティブ心理学の観点からみると、まさに、ラテンアメリカは、それを地で行っていることがわかる。八木啓代氏の名著を紹介してみよう。

世界で一番幸せなラテンの人々
「世界価値観調査(WVS=World Values Survey)」というものがある。ミシガン大学を中心とする社会学者たちが世界70カ国以上の男女1000人を対象に、5年毎に面接によるアンケート調 査を行い、人々の意識変化を追う国際プロジェクトだ。2005年度の結果は、1位がコロンビア、2位がメキシコ、3位がグアテマラで、日本は15位であっ た。
「地球幸福度指数(HPI=Happy Planet Index)」というものがある。ロンドンに本部があるシンクタンク、新経済財団が143カ国で行なった調査で生活の満足度と環境に対する負荷から算出し たものだ。環境負荷を重視しているため先進国には不利だが、この結果も1位がコスタリカ、2位がドミニカ共和国、3位がジャマイカ、4位がグアテマラと中 米諸国が並び、日本は75位、米国は114位であった。治安が悪いとされ、経済格差も激しいラテンアメリカ諸国が最も幸せだという結果が出ている(p8〜10)。
内戦よりも多くの自殺者を出す日本
日本では1997〜2009年までの13年で40万人近くが自殺によって命を落としている。しかも、公にされている自殺者には身元不明の自殺と見なされる 死者はカウントされていない。いき倒れや無縁死は年間に3万2000人にも及び、その死因には餓死や凍死が目立つ。豊かなはずの日本には、心が冷えるよう な孤独と貧困がある(p12〜14)。
一方、コロンビアの内戦は、政府、共産主義ゲリラ、極右ゲリラが麻薬を絡めて三つ巴で争ったものだった。けれどもその死者は1964〜2000年で20万 人である。熾烈を極めたエルサルバドルの内戦の死者も10年で7万人。イラク戦争でのイラク人の死者も2004〜2008年で8万5000人である (p15)。日本は自殺によって戦争や内戦以上の死者を出している(p16)。
日本の自殺は世間体を気にする閉塞感によるところが大きい
無縁死とされる3万2000人のすべてが天涯孤独で身寄りも友人もないはずがない。本当は家族がいる。けれども、心理的な理由から頼れない。実の子どもよりも世間体の方が重要だという日本の価値観に問題がある。今の日本の閉塞感は不況だけが原因ではない(p107)。
ラテンアメリカ人の幸せな人生観に学ぶ
1989年にアルゼンチンが5000%ものハイパーインフレを経験したように(p104)、ラテンアメリカ諸国は、日本とは比べものにならない超格差社会であり、政治や経済も不安定極まる(p17)。キューバを除けばラテンアメリカ諸国の国家によるセーフティネットは皆無に近い(p83)。にもかかわらず、明るいラテンアメリカから帰国すると日本の閉塞感に愕然とすることが良くある(p22)。ラテンアメリカの人々は、世界で最も「幸せ」なのではなく、ただ世界で最も「おめでたい」だけかもしれない。けれども、幸せとは煎じ詰めれば主観だ(p11)。無格差社会・無縁社会・経済危機と言われる時代に、どのような状況でも幸せに生きる智慧を持ち、したたかに生き抜いているラテン人の生き方から学ぶべきことは多い(p24)。
欠点をけなすのではなく相手を褒める文化
ラテンアメリカでは、見ず知らずの女性に対しても甘い言葉、ピローポ(投げ言葉)がかけられる。ピローポは口説き文句ではなく、挨拶の一貫としての褒め言 葉にすぎない。とはいえ、ラテンの子どもたちは、子どもの頃から、周囲の大人が女性に対してピローポを投げているのを見て育つ。14〜15歳になれば、女 性をエスコートする側に回る(p27)。要するに、できるだけ相手の良い点を見つけ、まず相手を誉めるという文化がラテン文化の神髄にある(p28〜29)。
毎日、愛を表現することで幸せ度がアップする夫婦関係
「素敵な服だね」といった馬子にも衣装と取られかねない発言はしない。「その服を選んだセンスは素晴らしい」とその人間の内面を誉める。そして、決して他人と比較しない(p32)。 「うちの奥さんほど優しくて賢くて私のことを思ってくれている素晴らしい女性はいない。彼女のような人に巡りあえた私はほんとうに幸せだ」と人前で堂々と言う。ここまで言われて不愉快になる恋人や奥さんがいるであろうか(p35)。長年連れ添った夫婦や親兄弟ですら、言葉なくしてはわかりあうことはできない(p178)。また、話をじっくりと聞き、自分がどれほど相手を大切に思っているのかを日々伝えることに余念がない(p43)。
しかも、誉めることは簡単そうに見えて実は容易ではない。まず、相手を観察しなければならない。プロであるラテンの男たちは実によく相手を観察している(p31)。 ピローポはお世辞とは違う。お世辞とは心にもないことを言うこと。すなわち、事実ではないと思っていることを相手の気を引くために口にする嘘である。けれども、ピローポは「心にもないこと」を言っているのではなく、愛情をもって相手をよく観察し、気づいた良いところを口に出して評価しているのである(p178)。
米国の心理学者ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842〜1910年)は「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」と唱えた。毎日、愛している、あなたが大事だと言われ続ければ、愛情が湧き、絆が深くなり幸せ度がアップするはずである(p36)。共に暮らすパートナーを褒めちぎることによって、ラテン系の夫婦は生涯現役を保っているのである(p43)。
生涯男女であり続けるラテンの夫婦
日本では結婚したとたんに多くのカップルがパートナーと対等の男と女ではなく主人ととの妻になってしまう。さらに「愚妻」「粗大ゴミ」といった表現がある(p38〜39)。けれども、ラテン諸国では、人前で自分のパートナーをおとしめるようなことを口にする男性や女性がいたらその場でアウトである(p42)。 あなたは素敵だ、愛していると言われ続ければ、互いが男と女であることを意識せざるをえない。ラテンでは男性も女性も生涯現役で「枯れる」という発想はない(p36)。ラテンの女性は70歳になっても80歳になっても現役の女を捨てることはない。お母さんもお父さんの妻として魅力的な存在で、愛情深い夫婦関係には子どもといえども入り込めない(p54)。 女性は自分が美しくないと思えば美しさを失う。家事も無表情で食事を食べるだけであれば、料理や掃除をしようという気分もだんだん萎えてくる。けれども、たとえ簡単なメニューでも作った料理が誉めてもらえればまた作ろうという気になるではないか(p46)。
エレガントな別れ
日本では結婚した以上は添い遂げるべき。よほどの理由がなければ離婚すべきではない。という意識が強い。壊れるべきが壊れたことに関しても、自分は悪くな く、相手が悪いといことをアピールしがちである。けれども、ラテンアメリカでは、これをただ「愛情が冷めた」という一言ですましてしまう。相手を罵るわけ でもなく、自分を卑下するだけでもなく、淡々と愛情のバランスが壊れた事実を説明する。親や友人、周囲を巻き込んでの罵りあいの別れにはならないため、分 かれた男女が少し時間が経つと、良き友人として普通につきあうケースも多い。別れた相手を非難するのはエレガントではない。そこには、自分を大切にするラ テン人たちの大きな知恵がある(p96〜98)。
痛みを共感しあう癒し
失業とは職場から「あなたは不要だ」と言われるようなものだ。だから、かなりの喪失感を伴う(p86)。 日本では「同情されたくない」という言葉がよく耳にされる。たしかに、同情という感情には上から目線が見え隠れする。また、「どんな言葉をかけていいのか わからない」という理由で苦しんでいる人を避けてしまう傾向がある。けれども、共感は違う。本当に悲しいときに必要なのは、言葉ではなく同じ目線で一緒に 悲しんでくれる、すなわち、完全に同等の立場で相手の痛みを思いやる。同じ痛みをわかちあえないとしてもそれを理解して感じようとする気持ちである。ラテ ン系の人々の豊かな人間関係の根底には、この共感力の高さがある(p88〜90)。
生活を助け合う友人や家族の絆
日本ではお金がないために結婚できないと考える人が多い。だが、ラテンアメリカでは考え方は逆になる。お金がないからこそ、就労状況が不安定だからこそ、結婚することで二人分の収入で生活費をシェアしていこうとする(p79〜80)。日本では失業すると直ちにホームレスになってしまう。2か月も家賃を滞納すれば出て行かざるを得ない。そして、ネットカフェ難民になっていく。だからこそ、友達や家族を頼る。友だち同士のルームシェアはごく普通に行われている(p82〜85)。
肌のふれあいによるスキンシップの文化
ラテン系の国々にはキスとハグの文化がある。ふれあうこととは、相手の存在を「肌」で感じることだ。例えば、とてもつらいときには、百の言葉よりも黙って ハグされたほうが気持ちは伝わる。一方、日本には親子や兄弟姉妹の間ですら「ふれあう」文化がない。この意志疎通のやり方を持たない日本人は感情を伝える ことが下手だと言えよう(p68〜69)。
ハグには深い意味はない。ハグのある文化とは、男女の間にも、恋愛以外の関係があることを日々確認する文化でもある。オール・オア・ナッシングではなく、 白と黒との間のグレーゾーンが幅広く、人間関係が豊かだと言える。一方、ハグがない日本では、異性同士でキスをしたり、抱き合っていると、そういう関係を 意味してしまう。そのため、部下の女性を触るだけでセクハラで訴えられたり、スキンシップといえば「エッチすること」しか連想できない。家庭内暴力や引き こもりが起きたり、大人になってからも、さほど好きでもない相手とのセックスに走ってしまうのも、子どものことからスキンシップにかけ、素朴なふれあいの 愛情を渇望するためなのではあるまいか(p69〜74)。
音楽と踊りを楽しむ
クラシックとして知られる「セレナーデ」は本来、男性が女性を称えるために奏でる音楽である。女性の家の窓際で愛を告白するために歌を歌ったり楽器を奏で たりする中世からの伝統だった。スペインやフランスでははるか昔に廃れてしまったが、ラテンアメリカでは本来のセレナーデの伝統がまだ存在している。 キューバの首都ハバナでもわずか30年前ぐらいまではそうした伝統が見られたという(p120〜121)。 日本では芸術家といっても尊敬されず胡散臭い職業と思われている。けれども、ラテンアメリカでは芸術家の社会的な地位は高い(p156)。 人を楽しませたり、感動を与えることが立派な仕事として認められているからだ。いくらのお金になるのかという市場主義的なものさしが評価基準となる日本と は異なり、食料やマネーを溜め込むだけのアリ的な人生よりも、キリギリス的な人生のほうがはるかに豊かなものだと考えられている(p158)。
働くのは最小限でいい。むしろ、働きすぎないほうがいい。この感覚がラテンアメリカに根強いのは、温暖な気候に恵まれ、食料が豊かで食料備蓄に意味がない こともある。イソップ童話が生まれたギリシアも温暖な地中海性気候である。そして、古代ギリシアでも歌うことは教養と見なされていた(p162〜163)。
家族、恋人、友人の他者との中に居場所がある
ラテンは、いいかげんで、女たらしで、享楽的。食べることや芸術を愛して、人生を楽しむというイメージも強い(p21)。 ラテンの人々が常に明るくその社会を生き抜いているのは、人生の主軸をマネーやモノにおいていないからだ。家族や恋人、友人といった他者との関係の中に自 分を位置づけ、自分の居場所を見出し、愛する他者とのふれあいながら生きているからである。ラテンの人々が音楽を大事にするのも、踊りを愛するのも、他者 との関係性をつなぐための潤滑油だからである(p108)。人間、大半のものを失ったとしても、命さえあれば何回でもやり直せる。やり直せると思っている限り、その人は不幸ではない。これがラテン人の人生観である(p111)。
セロトニンが活発に分泌されるためネガティブにならない
キューバは平均寿命が70歳代後半という長寿国である。けれども、キューバ人たちの食生活は健康的な長寿食ではない。ラードであげた豚肉や鶏肉がいちばんの好物で野菜もあまり食べず、アルコールやタバコ、砂糖が大好きである(p169)。にもかかわらず、キューバ人たちが健康なのは、予防医療システムのためだけではない(p171)。
自律神経失調症や鬱病は脳内物質セロトニンが関係する。セロトニンは脳内の縫線核のセロトニン神経で作られ、快感を刺激するドーパミンと恐怖感や緊張感を 刺激するノルアドレナリンとのバランスを保っている。すなわち、セロトニンが不足すると心のバランスは崩れる。抗鬱薬として知られるSSRIもセロトニン が再吸収されないようにすることで血中のセロトニン濃度を高める薬である。
このセロトニンを研究する東邦大学医学部の有田秀穂教授によれば、セロトニンは以下の条件で活発に分泌されるという。
@日光を浴びる、Aリズムのある動きとほどよく集中して行なう、B肌のふれあいによるスキンシップ、C喜怒哀楽を抑えず素直に表現する、D共感力を高める、Eきちんと食事を取る。
まさに、ラテン文化そのものではないか。事実、有田教授の実験によれば、わずか2曲、10分程度、サルサを踊るだけでセロトニンが大量に分泌され血中のセ ロトニン濃度が一挙に上昇したという。太陽のもとで歌と踊りを愛するラテン文化は、セロトニン大量分泌文化だったのである(p173〜176)。
【引用文献】
八木啓代『ラテンに学ぶ幸せな生き方』(2010)講談社α新書
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