2015年06月26日

第19講 想念が現実を作る

はじめに

19 Chidananda.jpg このブログ「幸せ探偵」は、経済成長に依拠しない国家や社会の有り様を、個人レベルの「幸せ」という切り口から捉え直してみたいと思っている。第18講では思考のパワーを探ってみた。ネガティブ思考の問題については、第3講 ネガティブ思考とレジリアンスでも扱ったが、ことネガティブ思考の取り扱いに関しては、インドのヨーガ思想をおいて右に出るものはないであろう。ということで、23年も前に一度読んだ「ヨーガといのちの科学」を読み直してみた。スワミ・チダナンダジ(Swami Chidananda, 1916 〜2008年)は、スワミは2008年8月28日に92歳で入滅されたのだが、慈愛に満ちた言葉は、まさに「幸せな心のための科学」というにふさわしい。以下は、スワミが1988年に来日されたときの講和をまとめた著作の要旨である。

マネーとモノでは人は幸せになれない

 何が好きかと聞かれて、不幸や悲しみや苦しみが好きだという人は誰もいない。不幸や苦しみを求めている人は誰もいない。ただし、問題がある。幸せになるために、誰もが一生懸命、マネーを稼いでいることだ。マネーがあれば、自分の欲望を満たしてくれるモノが買える。そこで、幸せになれる手段になると考えているのである(p167)

 目標をもって生きるのはいい。けれども、教授になる、医学博士になる、あるいは、大金持ちになる、実業家になることが、果たして人間の最終目標なのだろうか。どのような種類の職業に就いたとしても、できればより楽に贅沢に暮らしたいという欲望から来ているとすれば、それで満足できるのであろうか(p81)。何かに頼ることは最終的に悲しみや痛みの原因になってしまう(p171)

エゴによる悲しみと恐怖が社会問題の根底にある

 人間の最も弱いところは私利私欲である(p164)。利己主義の人は、利己的な考えに自分が縛られ、スケールの小さい不幸で面白くない人生を送ることになってしまう。わがままであってもいけない。わがままは無知からもたらされる。そして、意識を心の小さなところへと押し込め、エゴ的にしてしまう。わがままな人が持つ幸せや喜びは小さく取るにたらないものでしかない(p169)

 そして、エゴが大きくなり、自分が中心になるほど、なぜか怒りがこみ上げ、悲しみも増えていく。これは非常に危険だ(p59)。矮小な人間となると欲望に走り、憎しみが起こり、嫉妬し、自己中心的になっていく。すると恐怖心が湧き、不安定な心の状態に圧倒され、自分が創り出した問題の蜘蛛の巣に閉じ込められ、他人にも迷惑をかけはじめる。世界中に大きな戦争や暴力が引き起こされていく。これが現在、社会に様々な問題を引き起こしている根本原因である(p37)

 ヨガを通じて奇跡的な力を得ることもできる。けれども、それは個人的なエゴを満たすにすぎない。不可思議な力を得たヨギは個人のエゴが強くなり、そのエゴの巣の中に自分自身を縛りつけることになる。神を求めないヨガは、家が留守のような空虚なヨガになってしまう(p39)

真実の本質とつながることが究極の幸せ

 要するに、人間には利己的なところがある。また、他人をいじめたり傷つけたりして喜ぶ性質もある。けれども、美しい歓びに惹かれる性質もある。つまり、三つの性質を持っている。このため、ブラフマンは、自己統制し、寛容であれ、他に尽くせとアドバイスをした(p164)

 そして、人間の心の奥底には純粋な歓び、平和を望んでやまない本質がある(p170)。普通に生活している以外の、ただそこに存在している状態だけを意識する状態がある。それが、あなたの真実の姿なのである。いま、経験している過去、現在、未来を超越したあなたが、最も基本となるあなたなのだ(P183)。超自然的な宇宙の存在を知り、それとつながることが究極の幸せなのである(p127)

ハタヨーガで健康になる

 健康は一番大切な富である。ハタヨガは他に類を見ない科学的なアプローチの方法である(p17)。脳からは脊髄が伸び、脊髄からは自律神経が横に広がっている。昔のヨギは脊髄が通っている脊椎が柔軟で健康であることが重要であることをしっていた。そこで、ヨガのアーサナでは自律神経網を健康にしておくため、脊椎を中心とした前かがみ、後ろへの反り、そして、ねじりのポーズを重視している(p45)

 また、各臓器から分泌されるリンパ液や胆汁、消化液等の内分泌活動も健康には欠かせない。ヨガのアーサナを行うと、身体の適切な場所にプラーナを送り込まれ、正常化する(p46)

 肉体と心はつながっている。そこで、アーサナを通じて肉体が整えば、プラーナ(気)も安定し、プラーナが安定すれば心も安定する。心理的な安定した状態が得られるのである(p41)。ある容器に水を入れ、水面の真ん中にバラの花を一本置いてみよう。入れ物が動いていなければ水もバラも静かだ。けれども、入れ物をゆり動かせば水もバラも動く。容器はあなたの肉体、バラはあなたの心だ。そして、水は身体の中にあるプラーナ、気だ。すなわち、身体が静かであれば、心も平衡を保って静かなのである(p43)。けれども、健康になって五感を楽しむのは消極的な目的である(p35)。幸せになるためには、五感が楽しむことを控えなければならない(p168)。そして、健康になる目的は他者に対して何か有益な奉仕をするためのものである(p35)

パタンジャリのヨガ

 ラージャ・ヨガは、紀元前2世紀にパタンジャリ・マハリシによって提唱されたものである。パタンジャリ・ヨガは、8部門に分かれることから、アシタンガ・ヨガ(八つのヨガ)とも言われる(p32〜33)

 パタンジャリは、ヨガの第一歩として、ヤマ(悪いことをしない)、第二段階としてニヤマ(良いことをする)を提案した。ヤマとは

 @人を傷つけない
 A嘘をつかない
 B考え方を浄化する
 C欲張らない
 D人生をシンプルにする

 この原則を守るだけでかなり理想的な人間になれる(p20〜21)

人は必ず死ぬ〜今日一日を大切に生きる

 インドのベーダンタ思想からすると人生は四段階にわかれる。

 第一は、学生時代。人生に対して自分の肉体的、精神的にトレーニングしていく時期である。

 第二は、修得した知識を最大限に生かして大人として周囲のために尽くしていく時期である。

 第三は、現職から離れ、知識や経験をさらに豊富にしていく時期である。第三の時期では、家庭や社会の義務が終わり、自己をなくして社会のためにすべてを捧げる時期である。

 第四は、水平線の向こうに一日の太陽が沈みかけている時期に似ている。すべての仕事から引退し、すべての社会的な責任を果たして、より深い精神的な祈りと神への近づきを個人として求める修行の時期である。夕焼けを待ちながら沈んでいく太陽と同じく、人生の終わりに向けて静かに神とともにある日々を過ごす(p53〜54)

 今日はあなたの人生にとっての一部だ。けれども、人生とは今日という日がずっと連続してできている。過去はひとつの記憶にすぎない。過去のことを云々しても何事も起こらない。それはもう存在しない。では未来とはなにか。未来とは自分の心の中にある期待にすぎない(p147)。だから、今日こそが最も大事な日なのである。そして、今日一日を大切に過ごせば、明日もうまく素晴らしい日になっていく(p148)

 人間は、この地球上に産まれ、いつの日にか去っていく。すべての人類はこの地球の巡礼者なのである(p130)。この地球上での滞在時間は限られている。その考えも行動も限ら時間の中で行わなければならない(p133)。死は確実なものだ。死は突然にやってくる。いつお呼びがくるかまったくわからない。つまり、そんなにのんびりしている時間はない。やりたい、やらなければならないと思うことは死が訪れるまでに成し遂げなければならない(p83,p219)。そして、いつか死が訪れることを念頭から離さなければ、すべてのことにあまりこだわったり執着しなくなる。いつも死を頭の中においておけば死は怖くなくなる(p220)

理想的な毎日の送り方

 第一は、良い人とつきあうこと、間違っている友人を避けることだ(p19,p87)。世の中の人は大きく4タイプに分けられる。ヨガはタイプに応じたつきあい方を提案している。

 @自分よりも地位、権利、マネー等で上の人
 A自分と同じくらいの人
 B自分よりも年齢、知識、権利等で下の人
 Cトラブルメーカー

  自分よりも上の人とのつきあいは神経質にする。上の人に対しても惑わされないようにしてほしい。自分よりも下の人に対しては、思いやりと同情心をもって接 すること。貧しい人や教育のない人には常に親切で思いやり深くあれば、心は平安である。逆に下の人に対いて利己的に高圧的に押さえつけると相手もイライラ して自分もイライラしてくる。同じ立場の人には嫉妬心がわく。競争心もでる。そこで、友情心をもって接して欲しい。最後の人は、君子危うきに近寄らず。な るべく無視するか、煩わされたり巻き込まれないようにすることだ。嫌だなという想いで見ているとその人の邪念が自分の心にも入ってくる。そして、神に「あ の人をいい人にしてください」と祈り、もう忘れてしまうのが一番いい方法である(p223〜225)。

 第二は、高い魂について書かれている本や経典を読むことだ(p19,p87)。多くの聖典を読めば、何が正しいのかが見分けが付くようになる(P244〜245)

 第三は、高貴な精神状態を作る修行の時間を持つことだ(p87)。これをスワディヤという。祈りは心を浄化するために非常に大切なものだ(p88)。すなわち、ハタヨガを行い、何か経典を読み、自分の中からネガティブなものを取り去る。神に祈り、瞑想する生活をするとよい(p94,p222)。ちなみに、マントラは古代の指導者たちが考え出したものではない。瞑想中に神から呼びかけられて感じた音である。したがって、マントラを唱えることで神に至ることができる。これを『ジャパヨガ』という(p122)

悲しみがあることを認めてあきらめて生きる

 人は人生での経験のひとつひとつが意味がないように思っている。けれども、そうではない(p62)。例えば、大変な苦しみにさいなまれる悲惨を持つことから、他人に対する同情心や優しさや愛を成長させていく。自分が体験しなければ、他人がどれだけ苦痛なのかつらいのかわからないではないか(p79)。人間が他の動物よりも優れているユニークな点は、他人の痛みを感じ、他人の役に立とうと考え行動できることである(p69)

 この現実の世の中には必ず悲しみや苦しみがつきまとうことを認めよう。そうすれば、それに対して期待や希望をもたなくなる。欲望につかまってもがくことも五感の奴隷になることもなくなる(p220)

エゴをなくし人のために尽くす

 人に暴力を振るうことはいけない。他人に対してしたことは必ずあなたに戻ってくるからだ(p168)。そこで、自分はエゴ的でなくても、周囲の人のエゴには寛大であってほしい。他人のエゴを嫌って攻撃すれば、その分、あなたのエゴは増えていく。逆に他人のエゴに対して寛大であればあるほど、あなたのエゴは減っていく。エゴのない奉仕がどれだけ大切かを自覚することだ(p247)。そして、意志力をもって質素な規則正しい生活をしていると、心のなかに「善」が起きてくる(p64)。自分をなくして人のために働くことが最も人間の美しい姿である(p169)

思考パターンは習慣の産物

 我々は毎日、50くらいの事柄についての考えを馳せている。そして、いつも周囲にあるものに気を取られて生きている(p14)。心とは、思想と感情と記憶からなっているが(p86)、ある考え方を繰り返ししていると、それがその人の思考パターンとなる。繰り返された考えは、次には行動となって繰り返し現れるようになる。これを繰り返すと、それが習慣化し、そのものが性格となり生き方となる(p18〜19)。自分が考えた世界が自分が見ている世界となる。そして、自分の考えの質があなたを作る。あなたの性格はすべてあなたが造ったものだ(p88)。すなわち、朝から晩までどのような質の思考を行うかどうかが、発する言葉や行動として現れてくる。私の行動は私の思考と感情から作られている。したがって、どのような「質」の「思考」を行うかが、どのような「質」の「行為」を行うかの結果となる(p149)

人間にはポジティブとネガティブ思考がある

 さて、ヨガは人間を心理的に観察することから、人間は一定方向に考える癖があることを発見した(p86)。あなたの心の中には二つの考えがある。正しいポジティブな方向に向かうものとネガティブな方向に向かうものだ(p85)。そこで、心を常に観察して、どちらの方向に向かっているのかを認識することが大事である(p86)。もし、ポジティブな方向に向かっていればそれを広げ、間違った方向に向かっていれば、大急ぎで捉まえて手前に引き戻し、良い方向に移し変えることが必要である(p85)。内的な心のトレーニングを行い、常に正しい考え方をすることが必要である(p18〜19)。心は微細で外に出てこないものだ。けれども、二つ目の心、心をつかんでもとに戻せばいい。この心の中にある力をブッディと呼ぶ(p175)。心の中に住んでいる古い習慣を捨てなければいけない。何が心を休ませず活動をさせ続けるのかの原因を探らなければならない。この実践をアッビアサと言う。そして、心を煽り立てるものを取り除いていくことをバイラニヤと言う(p174)

 前に述べたように、外に表れる行為のすべては、心の内側にあるものが表面化したものである。したがって、心の中から誤ったが考えが湧き出て心を占拠して続けると行為も間違った方向に進んでいく。心のマスターになることが必要なのである(p172)。ブッダは「自分の内側を制覇したものが一番偉大な勝利者だ」と語ったのもそのためである(p129,p172)。怒り、恐怖、エゴといった感情的なものはすべて思考から生じる。このため、湧き起こる想念、思考を停止し、自分のことを静める。パタンジャリは、これがヨーガであるとした(p32〜33)

 いったい、誰が他人の心を監視してくれるであろうか。この作業は自分自身でやるしかない(p86)。バガバット・ギータで、アルジュナが「心をコントロールすることは無理だ」といったときも、クリシュナ神は「忍耐強く自分の心に言ってきかせる。地道な努力を続けよ。そうすれば可能だ」と述べた(p173)。この作業が未来を変える(p85)

人間の構造と産まれてくる理由

 人間は5つの鞘(コーシャ)に包まれている(p91)。これは、2000年以上も前に書かれた『ヨーガ・スートラ』よりもさらに古く4000年以上も前に書かれたヨーガの思想の源『ウパニシャットの聖典』に登場する概念である(2,3)

 名 前鞘の種類内 容改善方法
第一鞘アンナ・マヤ・コーシャAnnamayakosya食物鞘一番粗雑なレベル。食物(アンナ)から出来ている肉体食養、アーサナ
第二鞘プラーナ・マヤ・コーシャPranamayakosya生気鞘生命エネルギー、プラーナからできている呼吸法(プラーナヤマ)
第三鞘マナス・マヤ・コーシャManomayakosya意志鞘思考、欲望、感覚等心(マインド・マナス)からできていて外界への五感情報によってコロコロと変化するモンキーマインド集中法(プラティアハーラ、ダラーナ)
第四鞘ヴィジナーナ・マヤ・コーシャVijinanamayakosya理智鞘記憶を用いて心を分析したり判断する。自我瞑想法(ディヤーナ)
第五鞘アーナンダ・マヤ・コーシャAnandamayakosya歓喜鞘至福の鞘。自我を越えて無限の宇宙とつながる魂。さとりの境地三昧(サマーディ)

(1p91〜94,2,3)

プラーナについて

 この宇宙は大変に粗雑なタマス、活動的でイライラしたラジャス、繊細なサットバの三つのグナから形成されている。この三つを超えたものがニルバーナ、悟りである(p120)

 また、霊的、魂のレベルで見ると、人間は、粗雑なグロス体(肉体)、目には見えない繊細なプラーナからなるサトル体(精妙体)、分子や電子よりもさらにさらに小さいコーサル体(原因体)から出来ている(p89,p157,p244)

 我々の身体の中には隠された力が眠っている。けれども、精細な力、プラーナを使わなければこの力を開くことはできない(p152)。プラーナは、プラーナ層、メンタル層、インテレクト層からなっている(p89)。そして、プラーナは二つのチャンネルを通じて働いている。一つが左側、月、もうひとつは右側、日を通っている。そこで、これを「ハ」片方を「タ」と呼ぶ。両方の力を合一させることが「ハタ・ヨーガ」となる。そして、下部の力がすべての階層を突き破って上昇していく。これをクンダリーニでチャクラを開くという(p152)。チャクラは、どのヨガをしても、心が純化して、落ち着いた状態、サットバになれば、目覚めるときには自動的に目覚める。チャクラを目覚めさせるために無理に瞑想することは薦められない(p154)

コーザル体について

 我々の心は自分が作り上げてきた過去のカルマに縛られている(p83)。こうした繊細なカルマによって現在を左右する傾向が産まれる。これをヴァーサナと呼ぶ。この隠れていて目に見えていない部分がいまのあなたを作り上げている(p89)。また、コーザル体は何千何万という種子から出来ているが(p244)、この種子の中に、以前の経験やその経験を通じて残された印象、サムスカーラが刻み込まれている。この印象が自分の考えの中にひとつの思想を作っている(p89〜90,p244)

 サムスカーラはさほど力を持っていないが、ヴァーサナは、過去からのカルマとして働きかける力が大きい(p89〜90)。人間は死ぬと、サトル体とコーザル体を乗せて宇宙に戻るが、コーザル体にはまだやり残しやり遂げられていない多くの要素、やり残したことをしたいという愛着心が残されている。このもう一度生まれ変わる原因を作ることから、コーサル体と呼ばれている(P244〜245)。要するに、過去から残された印象、体験のカルマ、満たされなかった欲望がもとに、人はそれぞれの使命を果たすために、人間は生まれてくる(p90, p125)。自己中心的な行動から抜け出て他人に尽くすこと。質素な生活を送り、他者に対して謙虚さを保つこと(p59)。より高い自己を目指して進化していくこと。それが人生の目的であり、何度も輪廻転生する理由なのである(p61)

【引用文献】
(1) スワミ・チダナンダ『ヨガといのちの科学』(1992)東宣出版
(2) 島田美映『パンチャコーシャ〜5つの鞘〜 』Yoga Room Luxury
(3) 上野玄春『第1章 ヨーガとは何か』生命の輝きを描き続ける

チダナンダジの画像はこのサイトから
posted by la semilla de la fortuna at 22:17| Comment(0) | ヨーガの科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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