結果の平等は扱いの平等を不平等にする
政治的理想としての「平等」とは、「法の下における扱いの平等」のことである。殺人をしたのであれば、大統領であろうとホームレスであろうと殺人罪に問われることは同じだというのが法治主義の大原則である。
ところが、この「平等」を共産主義は読み換えて、「結果の平等」を提唱した。ある人が努力して9俵のコメを作ったとする。そして、これとは別に1俵しか作れなかった人がいる。「結果の平等」では、9俵の人の4俵を強制的に1俵の人に移転することになる。これは「扱いを不平等にする」ことにほかならない(12)。
人間の才能は平等ではない
平等を達成するためには、知力、感性、意志力、創造力、運が誰も同じでなければならない。全員が同じ色・大きさ・形をしていなければならない。けれども、そんなつまらない世界があるのだろうか。「多様性」「複雑性」こそがこの宇宙の本質ではないか。
そして、人間は平等ではなく、特別な才能を持った人、幸運に恵まれた人がたくさんいる。音楽にしろ美術にしろ文学にしろ、天賦の才を持つ人がいる。事業を立ち上げ年商数十億の会社を作る商才を持つ人がいる。さらに、そうした名声や富とは無縁でも、多くの人に好かれる「何か」を持つ人もいる。要するに、人間が平等には創られていないことは冷厳たる現実で、そこから目を背けて理想を語っても何の意味もない(12)。
平凡な人生を送る庶民がいるからこそ歴史は成り立つ
それでは、才能や運によって輝かしい活動をした人の人生にだけ意味があり、そうでない人の人生は意味なのであろうか。この価値観は、とりわけ、西欧のエリートたちが無意識に抱いている。歴史を重視する西洋人は、歴史に名を刻むことに執着心を持っている。一部のエリート科学者も、物質世界は偶然に人間という生物を生み出したが、人間は唯一宇宙を観察・分析する知を持ち、宇宙に対峙して、その謎を解こうと探究する科学者、すなわち、自分自身に存在意味があると考える。
けれども、よくよく考えてみるとこれは論理破綻をしている。歴史や文化は、それを受け止める人々がいるから成立する。無名で凡庸な人々の人生に意味がなければ、歴史も文化も意味がない。歴史を動かした人物や時代の寵児、偉人や天才は、共に生きている人間全体がいるからこそ意味がある(12)。
フランクルの意味論は不十分

けれども、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーの高森光季氏は、フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を始めとする著作は、唯物論的なニヒリズムに論駁した点で「素晴らしい」と評価しつつ、限界があるとも述べる。フランクル博士は唯物論と真っ向から対立することを避けたために、「人生に意味がある」ことの意味の最終的な根拠がなく、それを心情や信仰に訴えざるを得ない。だから、フランクル博士の理論はスピリチュアリストの目から言うと不十分なのだと主張する(12)。
中年の危機を乗り越えるには聖なる歓びを
世界的に著名な神話学者ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell, 1904〜1987年)は「中年の危機に陥って道を見失ってしまったときには、自分の歓びに従いなさい。そうすれば、ドアがなかったところにドアが新しく開きますよ」と答えている(5p121)。
自分が行っていることに全力を投入しているとき、仕事に夢中になっているとき、人生の正しい道を歩んでいると感じている瞬間に、私たちは超常的なエクスタシーをほんの束の間だが味わう(5p121)。
古代ギリシア人は、恍惚的な体験は日常的な現実をより高次の世界に引き上げると信じ、この至高体験を「ディオニソス」の神として人格化していた。したがって、この瞬間が神からの贈り物であると感じるならば、まさに古代ギリシア人の感じ方そのものであることになる(5p122)。アシジの聖フランチェスコ、ルーミー、ウィリアム・ブレーク、シュリ・ラマクリシュナ等多くの人々がこうしたエクスタシーを感じてきた(5p122)。
幸せ探偵は「中年」もすぎ、老境にさしかかろうとしている。そこで、人生の意味を魂の面から何回にわけて探ってみたい。
退行催眠による前世の発見
人間が死後どうなるかについては、19世紀以降、冷静かつ理性的に、かなりきちんと取り生んできた研究史の蓄積がある(11)。そして、退行催眠という精神医学療法が発達したことから、この研究はかなり進展してきた(3p43)。催眠で時間を遡っていくと、出生以前の記憶、前世や前世と現世の間の領域(中間生)を甦らせるケースがあるのである(11)。
オーストラリアのヒーラー、フランツ・アントン・メスマー(1734〜1815年)は、無意識や精神医学の先駆けとなった数々の発見をした。メスマーは患者を暗示にかけることで自己回復力を活性化させることで様々な治療を行って見せた(5p74)。メスマーは、すべての人間には『動物磁気』が流れていると考えたが、後に多くのドイツロマン派の人々の興味をそそった。イギリスの医師、ジェームズ・ブレイドは1843年に『催眠術』という言葉を使い、メスマーが用いた手かざし療法を一般に普及させた。イギリス人の医師、ジョン・エリオットソンとジェームズ・エスデイルは催眠術で麻酔をかけずに痛みも苦しみもなく手足を切断することに成功した(5p75)。
ロシャ大佐の後継者としてイギリスのアレキサンダー・キャノン(Alexander Cannon, 1896〜1963年)博士は膨大な量の前世のデータ解析を進めていた(1p93)。博士は1300人以上を退行催眠させ、コンプレックスや恐れの起源をフロイトのような幼児体験よりも前世のトラウマによるものだとし、前世療法の先駆者となった(1p93〜94,3p46)。事実後述するブライアン・L・ワイス博士(Brian Leslie Weiss, 1944年〜)によれば、60%の患者は幼児期の記憶を思い出すことで病気が治るが、40%は過去世にまでさかのぼらなければ心のトラウマは癒せないという(3p54)。
ブライディ・マーフィの謎

退行催眠で臨死体験と類似した体外離脱や故人との出会いが発見
1970年に、ヴァージニア大学医学部の精神科教授イアン・スティーブンソン博士(Ian Stevenson, 1918〜2007年)が生まれ変わりの綿密な調査・研究論文を発表したことにより、生まれ変わりの問題が幅広い関心を集めるようになる(10)。
カナダ最高の州立大学、トロント大学医学部の精神科の主任教授である(1p267)ジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜)博士は、もともと宗教や神秘思想に興味を持っていたことから、1970年頃から退行催眠による前世療法を行なっていた(10)。また、米国のグレン・ウィリストン(Glenn Williston)博士も心理療法士として早くから前世療法を試み(9)、1983年には『生きる意味の探究(Discovering Your Past Lives)』を刊行し前世療法のパイオニアとなった(9,10)。また、イギリスでも1979年に、ピーター・モスという催眠療法家によって『Encounters with the Past』という前世記憶に関する本が刊行された(10)。

ホイットン博士はムーディの研究とその大きな反響に促されて(11)、退行催眠を用いて過去世の記憶をたどる研究を進めてきたのだが(1p46)、体外離脱、トンネルの通過、すでに故人となっている愛する人々、親や親戚との出会い、人生の回顧、天使のような人物との出会い、ガイドによる導き等、時間も空間も存在しない輝く光に満ち溢れた領域との一体化等、臨死体験の代表的な特徴と重なることが見られることが明らかとなってきた(2p338,5p196)。さらに、それは、レイモンド・ムーディ博士だけでなく、コネティカット大学の心理学のケネス・リング(Kenneth Ring,1936年〜)教授、心臓病の専門医、エモリー大学のマイケル・セイボム(Michael B. Sabom,1939年〜)教授、モーリス・ローリングズ博士(Maurice Rawlings, 1922年〜)らの体験も同じだった(1p46)。
退行催眠で中間生を発見

ブライアン・ワイス博士と前世療法ブーム
1982年にマイアミ大学医学部の精神科の教授であったブライアン・L・ワイス博士(Brian Leslie Weiss, 1944年〜)も、キャサリンに出会って輪廻転生や過去世に着目することになる(3p48,4p8)。博士も、1980年に偶然の手違いから患者の「前世想起」に出会い、疑いを抱きつつ探究の道に入ることになった(10)。「手違い」とは、ある患者に退行催眠を施し「あなたの症状の原因となった幼い頃の出来事に戻りなさい」と指示するところを、ただ「原因となった時まで戻りなさい」と指示したため、「私は長いドレスを着ています……アロンダ……18歳です……時代は紀元前1863年」とアロンダの死の場面を語り(9,10)、他にも二つの「過去生」を断片的に語ったのである(9)。

前世療法は批判されている
このように、「前世療法」は、近年、非常に大衆的な人気を博している。その一方で、数多くの批判もなされている(10,11)。死後存続や輪廻転生説を否定する唯物論者が批判するのは当然のこととしても(10)、生まれ変わり研究の第一人者スティーヴンソン教授も「証拠価値としてほとんど意味がない」とし、前世療法や催眠を通じた過去生想起を厳しく批判している(10,11)。
「私としては、心得違いの催眠ブーム、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者がある現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法として催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている」(『前世を記憶する子どもたち』7頁)
スティーヴンソン教授は催眠による前世想起を全面否定しているわけではない。けれども、厖大な労力を費やし、周到な情報収集と綿密な検討を重ねて、反対論者にも納得できる事例を蓄積してきた教授からすれば、安易に前世を云々する大衆的セラピストや巷の霊能者と一緒くたにされるのは心外だというわけであろう(10)。
前世療法とは基本的に療法でその情報は厳密に立証されていない
前世療法とは、基本的には様々な心理的な症状を抱えたクライエントに対して行なわれる心理療法である(10)。退行催眠によって出生以前にさかのぼり、さらに「あなたの現在の症状に関係した過去の人生があるなら、そこに行ってみましょう」という誘導によって、それによってクライアントの抱えていた心身症状が軽減するものである。前世の記憶を想起することで症状が改善されれば「療法」として意義があることから、症状改善に主眼が置かれ、出てきた前世記憶が真実かどうかは、大きな意味を持たない(10,11)。 そこで、ホイットン博士にしろ、ワイス博士にしろ前世記憶の実証性の追究は、まったく不十分なのである(10)。
ウィリストン博士の著書には、クライアントが、イングランドで20世紀初頭に流行した「底だけが木の靴」や、ダムで沈んでしまった小さな町の名前などを想起した等(11)、通常は知ることのできない過去の事実と符合するケースが数多くあげられている(10,11)。けれども、これも厳密な立証の記述は伴っていない(10)。要するに、「症状の緩和」が中心となるため、前世や中間生の実在を実証的に検証しようとする試みがほとんどなされておらず、実証という点では弱いのである(11)。
さらに、症状の改善に関する検証も曖昧である。劇的に効果が現れるケースが数多く紹介されているが、その効果の持続性は追跡調査されていない。また、症状が改善される理由も不明で、仮説の域を出ていない(10)。
輪廻転生は統計的にも整合性が取れる
サンフランシスコ在住の心理学者、故ヘレン・ウォンバック(Helen Wambach, 1925〜1986年)博士は、小規模なワークショップで退行催眠をかける調査を29年も行なってきた。輪廻転生では、誰もが有名人が歴史的な人物の過去世ばかりを思い出しているとの批判がなされるが、ウォンバック博士の調査では被験者の90%以上が小作人
や農民、労働者、狩猟採集民としての過去世を呼び起こし、貴族としての前世は10%にも見た図、有名人であった記憶を持った人は一人もいなかった(2p304〜305)。また、紀元前2000年まで退行させた被験者の性別も50.6%が男性、49.4%が女性であった。さらに、当時使用していた衣服、食器、履物等も歴史的事実と一致していた。ウォンバック博士は「道路わきのテントにいて、通りがかりの人1000人がペンシルヴァニア州の橋を渡った話をすれば、あなたはペンシルヴァニア州に橋があると納得するでしょう」と語っている(1p95)。

ブライディ・マーフィーは幼児記憶の産物だった
とはいえ、現在の科学では脳の活動を離れて心や「魂」が存在するとは考えられない。このため、数多くの科学者たちはこうした「生まれ変わり」の研究を否定する(6)。元愛媛大学教授の中村雅彦博士も、臨死体験も退行催眠も「死後の世界」が存在する証拠にはならないと主張する。死にかけている脳が見せる「幻覚」であることを否定できないからである(5)。

けれども、「前世の記憶」を覚えている子どもたちの存在は、人間の心が肉体の死後にも残る「証拠」となりうる(5)。米国の心理学者ウェイリアム・ジェームズは「すべてのカラスが黒いという法則を覆すためには、一羽のカラスが白いことを証明するだけで十分である」と述べているが、その努力をしてきたのが、スティーブンソン博士なのである(1p95)。
【引用文献】
(1) J.L.ホイットン他『輪廻転生−驚くべき現代の神話』(1989)人文書院
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社
(3) 飯田史彦『生きがいの想像』(1996)PHP
(4) ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(2001)PHP
(5) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店
(7)ウィキペディア
(8) 2005年2月1日:本城達也「ブライディ・マーフィー」超常現象の謎解き
(9) 2006年4月18日「超ESP仮説は棄却された―スティーヴンソンの「真性異言」および「先天性刻印」の研究をめぐって」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(10) 2007年9月5日「死後存続証明の新たな展開――臨死体験と前世療法」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(11) 2010年12月21日「(8)「死後生」研究の簡単な歴史」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(12) 2012年3月26日高森光季「どんな人生にも意味がある――霊学の視点から」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(9) 2006年4月18日「超ESP仮説は棄却された―スティーヴンソンの「真性異言」および「先天性刻印」の研究をめぐって」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(10) 2007年9月5日「死後存続証明の新たな展開――臨死体験と前世療法」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(11) 2010年12月21日「(8)「死後生」研究の簡単な歴史」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
(12) 2012年3月26日高森光季「どんな人生にも意味がある――霊学の視点から」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー
フランクル博士の画像はこのサイトから
キャンベルの画像はこのサイトから
ロシャ大佐の画像はこのサイトから
バーンスタインとタイの画像は文献(8)から
ムーディ博士の画像はこのサイトから
ホイットン博士の画像はこのサイトから
ワイス博士の画像はこのサイトから
ウォンバック博士の画像はこのサイトから
ラベル:魂の人生論