スティーヴンソン教授の生まれ変わり研究

1960年に米国心霊現象研究協会(ASPR= American Society for Psychical Research)の会報に生まれ変わりに関する研究論文を発表して以来、長年にわたるフィールドワークを続けてきた。そして、1987年には、生まれ変わりに関する最初の著書『前世を記憶する子供たち』を公刊し、きわめて大きな反響を呼んだ(7)。
スティーヴンソン教授は、きわめて慎重で批判的な理性と柔軟な理解力を兼ね備え、面接と実地調査という、手のかかる方法を40年にわたって地道に積み重ね(7)、生まれかわりを示唆する事例を2000以上も収集している(7,8)。スティーヴンソン教授の研究は、非常に客観的・実証的で、科学者たちもその信憑性を認めている(8)。
タイの殺人事件の記憶を話し始めた子ども
子どもが前世の経験を初めて話し始めるのは、だいたい2〜5歳までで平均は言葉を話し出す3歳2カ月である(5,6)。そして、ほとんどが5〜8歳になると前世の話をしなくなり(5)、その記憶を失ってしまう(6)。記憶のテーマは、前世の最後の日の近くに起きた出来事に集中する。スティーブンソン教授のデータによれば、75%の子どもが自分の死んだ時の様子を覚えており、その死に様は、老衰のような自然死よりも事故や事件に巻き込まれて死んだケースが多い。また、自分や家族、友人、関係のあった人物の名前、自分の持ち物、なじみのある場所をすぐに見わけられるという(5)。幼児は他の言語を習得するとか旅行する等、多くの体験をしていないことから、その内容を検討する価値は高い(6)。
さらに、前世で誰かに殺された子どもの場合、その殺人犯の名前さえも覚えていることが多い。タイで見つかったケースでは、1962年2月12日に、ター・タコという町で11人兄弟の10番目の子どもとして生まれたボンクチ・プロムシンの事例がある。
母によれば1歳4カ月のときに言葉を話し始め、その後、1歳8カ月の時に「前世」について語り始めた。眠りから覚めると「おうちに帰りたい…。ここはボクの家じゃない」としつこく言うようになった。さらに、2歳になると、「前世の母親と父親」について語るようになり、「前世の名前」がチャムラットであったと言い出した。その後は「前世の持ち物」についても語るようになり、さらに前世に住んでいたファ・タノンの町で祭りの時に、二人の男によって殺された様子を語り始めた。
ボンクチの両親は、彼が言う人物も家族も知らなかった。父親はファ・タノンに知人がいたが、事件に巻き込まれて息子を失った家族のことは知らなかった。ところが、ボンクチの語ったことが、ファ・タノンに住むある家族の耳に入った。その家族は1954年4月8日に「チャムラット・プー・キオ」という名の息子を殺人事件で失っていたのである。
1964年の6月と9月の二度にわたって、チャムラットの両親は、ボンクチとその家族に会いに訪れ、ボンクチが語る「チャムラットの人生」がほとんどすべて正しいことが確認された。
このエピソードはタイの新聞で報じられ、これを受けてタイの3人の医師が調査を行いそれをレポートにまとめた。この医師の1人が情報提供者としてスティーブンソン教授に知らせ、教授は1966年から5回にわたってタイに飛んで現地調査を行った。
教授はボンクチ本人とその家族、チャムラットの家族とそのガールフレンド、警察関係者、プロムシン家の友人や隣人と次々に会って調査した。「前世」に関する一連の発言は34項目に及び、うち、証人によって事実と一致していることが確認できたのが29項目、確認できなかったのが4項目、間違いであることが判明したのが1項目だったのである(5)。
生まれ変わりの事例に対する反論
現在の科学では脳の活動を離れて心や「魂」が存在するとは考えられない。このため、数多くの科学者たちはこうした「生まれ変わり」の研究を否定する。であるとすれば、この現象はどのように説明できるのであろうか。まず、考えられるのは、子どもやその家族が嘘をついているケースである。現世の家族と前世の家族が裏で話し合い作り話を流したという説である。けれども、調査事例のほとんどは「前世の記憶」を持つ子どもとして有名になることを子どもや家族はむしろ迷惑がっている(5)。
第二は、「前世の」家族やその関係者と、その子どもの家族との間につきあいがあって「前世の人物」が事件や事故で亡くなった話をしているところを子どもが聞き、その後に自分が空想の中で「前世の自分」を作り上げていく可能性である。けれども、スティーブンソン教授が調べたケースでは、家族の間に交流があったり、家族間に共通する知りあいがいたことが確かめられたのはわずかしかなく、大部分のケースでは、「現世」と「前世」の家族を結ぶ情報ルートは見つからなかった。したがって、潜在記憶説では説明できない(5)。
虫の知らせと超感覚的知覚
さて、ある人が、有能だと評判のある霊媒のもとへ行ったとする。霊媒は「あなたの死んだお母さんが、今ここに来ている」と告げ、母親が当人に対して使っていた特殊なニックネームや幼かった頃の出来事、特に母親と当人自身しか知らなかった出来事等を明かしたとする。ごく普通の人であれば、この体験は非常に驚きとなるはずである。そして、母親が死後も生きていることを実感するであろう。けれども、ここにはトリックの介在する余地がある。つまり、霊媒は、その人の心の中を、「ESP」(テレパシー)で読み、そこから「母親の証言」を捏造した可能性があるからである(7)。
自分の家族や親しい友人、恋人の身に危険が迫っていたり、まさに相手が死んだ瞬間に「強い胸騒ぎ」や「いやな予感」を覚えたり、眠っているときに本人が「夢枕」に立つ経験をすることがある。いわゆる「虫の知らせ」と呼ばれる体験である。こうした体験も「偶然の一致」を越え、霊媒と同じく、テレパシーや予知といった超感覚的知覚(ESP)の要素がかかわっている(5)。
死後の存在を否定するために考え出された超ESP仮説
そこで、この「強力な透視能力」を想定すれば、「死後」の証明問題はさらに困難になる。例えば、幼児や催眠等で「前世」の記憶を語ったとして、それが、歴史資料等の記録で事実と一致することが証明されたとしても、「強力な透視能力」を登場させると、それは真正な前世記憶だとは言えなくなる(7)。
「生まれ変わり」の記憶を持つ子どもが、無意識に「強力な透視能力」を発揮して、しかるべきところにある「記録」や人々の心の中にある「前世の人物」にまつわる情報を読み取って、それらを瞬時に総合して、その「前世記憶」を作り出し、自分が「前世の人物」だと信じ込むようになったと考えることが少なくとも論理的には可能だからである(5,7)。
もちろん、調査された子どもが超能力を持っている証拠はほとんど見あたらない。さらにESPは情報の発信者と受信者の間に愛情や信頼等の強い感情的な結びつきがあるときに発生しやすいことがわかっている。「虫の知らせ」にしても、互いに親しく、愛しあい、切っても切れない仲になっているときに発生しやすく、「赤の他人同士」で起こることはまずない(5)。わずか3〜4歳の子どもが、ESPを使ってまったく関係もない人物の人生記録を読み取って、完全にそれになりきって見せることが可能かどうかはかなり疑問だし説得力はない(5,6)。
とはいえ、百数十年に及ぶ「死後存続の証明努力」に最後に立ちはだかったのが、この「超ESP仮説」であった。多くの心霊研究者や超心理学者は「超ESP仮説がなければ、死後存続はとっくに証明済みとされていた」と考える。というよりも、死後存続を何としても否定しようとして、ひねり出されたのが、この「超ESP仮説」だと言えるのである。そして、この超ESP仮説に果敢に挑戦したのが、スティーヴンソン教授なのである(7)。
ESPでは真性異言は説明できない
スティーヴンソン教授が注目したのは、ESPによる「情報取得」では説明できない現象を示すケースである。その最大のものが「言語能力」、前世で語っていた言葉を口にする「真性異言」(ゼノグロッシー= xenoglossy)である。「真性異言」は、ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスの生理学者で、心霊研究協会の会長も務めたシャルル・ロベール・リシェ(Charles Robert Richet、1850〜1935年)の造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言う。
このうち、特定の文章や語句だけを繰り返すものを「朗唱型真性異言」、その言語で意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼ぶ。「朗唱型真性異言」は、ESPによる情報伝達の範囲内と言える。

19世紀の女性が出現したシャラーダ
応答性真性異言の事例は、きわめて珍しく、スティーヴンソン教授が収集した2000に及ぶ事例のうち、わずか3例にすぎない。催眠中に前世人格が出現しスウェーデン語で語ったイェンセンとドイツ語で語ったグレートヒェンの事例、そして、前世の人格が主人格に入れ替わったと思われるシャラーダの事例である(7)。

フッダルは、それまで大学で教師の仕事をしていたが(5)、1970年から身体的な疾患から、ホメオパシー医の診察を受けるようになり、1973年には入院生活に入った。その際、ヨガ行者が講演にやってきて、瞑想の講義をした。少々の瞑想経験を持っていたウッタラは、瞑想の練習に参加した。
その後、本人の行動が顕著な変化を見せ、ウッタラの母語であるマラーティ語とはまったく異なる、ベンガル語を話し始め、ベンガル州プルドワンで1800年代前半に生きたシャラーダ(Sharada)という女性に、ほぼ完璧に人格変換してしまったのである(7)。
この新しい人格は少なくとも30回にわたって出現し(5)、シャラーダに「人格変換」している間、ウッタラには全く記憶がない。この人格変換は、不定期に起こったが、シャラーダの生まれまた死亡した日である月に2度ほどある「アシュタミーの日」に起こることが多かった。また、シャラーダの「出現」は、大半は1〜3日続くものであったが、1〜2週間続く時もまれにあり、中には40日以上にわたることもあった(7)。
過去世のシャラーダは、7歳の頃に叔母の紹介でアーユルヴェーダ医師と結婚し、その後、妊娠5カ月の時に、夫を家に残して、かつて、住んだことのあるサプタグラムという村に旅行したが、そこで、庭の花を摘んでいる時に爪先を毒ヘビにかまれて死んだ。彼女は、それ以降の記憶はなく、自分が死んだ意識がなく、もといた所に戻り、家族たちに再会したいと頻繁に主張したのである(7)。このケースは「憑依現象」や「多重人格障害」と異なっており、区別してとらえる必要がある(5)。
第一に、新たに現れた人格が、ふだん用いる言葉(マラーティー語)がまったく話せず(5,7)、ヒンディー語、英語等はまったく理解できず(7)、一方で、習ったはずがないベンガル語を自由にしゃべれたことである(5,7)。家族も誰も知らない言葉を話すために「シャラーダ」が何をいっているのかさっぱりわからなかった(5)。
第二に、「シヤラーダ」は19世紀に生まれ育ったベンガル地方の「女性」として振る舞い、その「人生」について多くを語り続けたが、ベンガル語の通訳がその発言を記録したところ、その内容は19世紀初期のベンガル地方の農村の状況とー致していた(5)。
彼女は自分が住む土地の人々がまったく知られないベンガルの食べ物のことを知っていたし、ベンガル地方の小さな町や村の名前にも通じ、その地方の地理にとても詳しかった。しかも、彼女の使った言葉は上手なベンガル語であり、かつ、その言葉は現在使われているベンガル語ではなく、かなり古い時代のものであった(5)。さらに、文明の利器を知らず、テープレコーダーを再生すると仰天してその中に「悪霊がいる」と言った。また、電話を知らなかった(7)。
第三に、「シャラーダ」は、自分の名前を含めて家族についても詳しく語り、彼女が主張する家族も証言通りに見つかった。裏付け調査から、家系図にシャラーダが語った男性6人の名前が正確に書かれていたのである(5)。
スティーヴンソン教授は、持ち前の熱意と忍耐力を発揮して、驚異的と思えるほどの周到な調査を行ない、ウッタラがベンガル語を習得したことがないこと、シャラーダの記憶とその言語が、証言する前世に符合することを立証した。超ESP仮説では、この言語能力を説明することができない(7)。
生まれ変わりの目印
ESPでの情報取得ではうまく解釈できない証拠として、スティーヴンソン教授は『生まれ変わりの刻印』(笠原敏雄訳、春秋社)で、112に及ぶ「前世に関連する先天性刻印」の事例を報告する。「先天性刻印」とは、前世の人格が死亡した際の創傷、あるいは前世人格が持っていた痣や欠損、ないしは創傷痕・手術痕等が現世人格に痣や欠損型奇形として再現される事例で、なかには、殺される際に手や指を切断されたために、その部分が先天性奇形となって現世人格に再現された例もある(7)。例えば、前世で戦闘機の銃撃で死んだ日本兵だったと主張するミャンマーの少女の鼠蹊部には銃撃痕に似た奇形がある(6)。

両親は、悲しみのあまり我を失うほどにショックを受けた。だが、父親のポロック氏は生まれ変わりを強く信じていたことから、妻が1958年のはじめに妊娠した時「死んだ二人の娘が双子として生まれてくるはずだ」と自信を持って言い切った。病院では「そんなことはありえない」と否定されたにもかかわらず、妻は双子を生むはずだと言い続けた。そして、本当に双子が生まれた(5)。
さらに、死んだジャクリーンの体にあった二つの傷跡と大きさも場所も一致する痣が、妹のジニェファーの体にあることに夫妻が気づいた。ジェニファーの眉間にある痣は、ジャクリーンが3歳の時転倒してバケツにぶつけた傷と一致していたし、左腹部にある茶色の痣も同様の痣と一致していた(5,7)。
ジェニファーとジリアンは一卵性双生児で、二人の遺伝子は全く同じで、肉体的には同じ特徴を持った人間として育つはずである。ところが、ジリアンの方には痣が全くみられなかった。となると、ジェニファーのあざは母親が妊娠しているときに起こった「何らかの異常」によってできたことになる。しかも、死んだジャクリーンの身体にあった傷跡と大きさや位置が一致する場所にあざがあったわけだから、この「異常」はたまたま偶然に発生したものとは考えにくい(5)。
もうひとつは、1935年にトルコのハタイ地方のアンタキヤで生まれたセミル・ファーリシである。彼は、誕生の2、3日前に死亡した遠い親戚である「セミル・ハイイク」の生涯と死の状況を話した。
セミル・ハイイクは、二人の姉妹を強姦した二人の男を殺害して逮捕されたが、逃亡に成功し、山岳地帯に潜伏し、旅行者の金品を強奪していた。結局、フランス警察に包囲されて、火をかけられた隠れ家の中でライフルで自殺するのだが、セミル・ファーリシが生まれる前の晩に、父親は、セミル・ハイイクが自宅に入ってくる夢を見て、彼が自分たちの息子として生まれ変わろうとしていると思ったという。生まれてきたセミル・ファーリシは、右顎の下側に顕著な母斑があり、生まれて数日間、そこから出血があったため、縫合する必要があった。これは喉にライフルの銃口を当て、足で引き金を引いて自殺したセミル・ハイイクの遺体の状況と一致していた。また、左頭頂部に髪の毛のない直線状の部分があったが、これも顎から入った弾丸が頭蓋の骨を一部持ち上げて外へ貫通したことと対応していた。さらに、セミル・ファーリシは、言葉が話せるようになる2歳の頃から、セミル・ハイイクであった「前世」を語り、警官に対して敵対的な態度を示し投石すらした。棒きれをライフルに見立てて遊んで、父親のライフルを持ち出して何人かの兵士を撃とうとしたこともあった(7)。
超ESP仮説で説明するには、生まれる直前の胎児であったセミル・ファーリシが、なぜか、遠い親戚であるセミル・ハイイクの死をESPで知り、セミル・ハイイクの生涯の記憶や感情の一部を取得し、さらに死亡の際の銃弾創の状態を知り、それを自らの体に部分的に再現して、生まれてきたことになる(7)。スティーブンソン教授は「生まれ変わり」の可能性を認めなければ、こうした子どもたちのもっている特徴をうまく説明できないと考える(5)。
死後存続は証明されている
これはきわめて重大なことである。いかに奇矯とはいえ、超ESP仮説は、死後存続を否定するものとして立ちはだかっていた。それが突破されたということは、「死後存続が証明された」ということになる。もちろん、多くの人々は、心理的抵抗から、無意識に「無視」を決め込んでいるようにさえ思える。とはいえ、スティーヴンソン教授の研究のおかげで、百年余に及ぶ死後存続の証明問題は、「すでに証明された」ことになるのである(7)。
永遠の自己が存在することは世界の文化が認めてきた
永遠の自己を体験したという物語は、どの文化においても記録されている(4p191)。肉体や感情や思考に取り囲まれているエゴが幻想にすぎず、それを超越した自己が死後も存在し続けるという証言が3000年以上も続いていることは、死後にも人生が存在する基礎のひとつとなってきた(4p193)。
例えば、紀元前2000年前。インドではヴェーダ文明が出現する(4p40)。最古の経典、リグ・ヴェーダには、次のような聖歌がある。
美しい羽を持つ二羽の鳥は友達であり同志だ。
一本の同じ木に止まり、一羽はその木の甘い果実を食べる。
もう一羽はそれを見ている。自分は果実を食べはしない。
この聖歌は、甘い果実を食べる現世の自己と現世を超越した果実を食しない者が本質的にひとつであることに言及したものであると言われている(4p192)。
釈迦は2万5000年の間に550回転生したと言われるが、この世への執着が生まれ変わりという足踏み車に一人しばりつけていると述べている(1p86)。アジアでは、輪廻転生の考え方は、ごく普通に受け入れられてきた。インドは下等動物から準形而上的存在(天部)までを包摂する壮大な輪廻転生の神話を持つ。そして、仏教も基本的にはそれを継承している。バリ島では、人は一族の数世代後に生まれ変わるとされ、子どもが生まれると、それが一族の祖先の誰の生まれ変わりかをシャーマンに判定してもらうことが通常になされている(6)。
世界中には死後の世界の物語がある
体外離脱体験も多くの文化で記録され、その状態を表現する言葉が存在する。古代エジプトではカ(Ka)、古代ギリシアではオケマ(Ochema)、ヒンドゥー教ではコシャ(Kosha)、デハ(deha)、サリラ(sarira)と呼ばれていた(4p195)。また、臨死体験も世界共通の現象である。肉体が消滅した後も霊的な魂が生き残り続けるとの教えは、世界中のどの文化においても見出せる(4p191)。
多くの古代民族や部族は輪廻転生を信じて来た。紀元前3400年前のシュメール社会では、家長が死ぬと来世でも仕えられるように召使いを殺害するなわらしがあった(1p27)。古代エジプト人は中間世をアメンティ、日本の沖縄ではグショウ(後世)、オーストラリアのアボリジニは、アンジェアと呼んでいる。古代ヘブライ人は、カバラの根本教典『ゾーハル』(光輝の書)で来世のための教えを受ける場所をパーディッシュと呼んだ(1p26)。
古代エジプトでは、女神イシスに助けられてオリシス神が冥界から蘇える。古代ギリシアのエレフシナでも農業の女神デーメーテールが黄泉の世界にいる娘ペルセポネから帰還するという祭儀がなされていた。また、ワインの神ディオニソスをあがめる祭典でも死と再生が描かれていた(4p36〜37)。
ペルシアでは、ミトゥラ神が崇められ、聖なる牛が殺され、神の身体と血を代表するパンを食べた。こうした儀式に参加することで、人々は死の恐怖がない人生を保証されていた。同じ儀式はゲルマン民族のオーディン崇拝やケルト族のドルイド信仰にも見られる(4p36〜37)。北ヨーロッパの古代人も生まれ変わりを確信し、子どもが誕生するときには憐れんで泣き、歓びを持って死を迎えたという。古代ケルトのドルイド教徒は最もその確信が深く、今生で借金が払えなければ来世に支払えばいいとしていた(1p87)。ドルイドとは「オークの木を知っている人々」の意味で、紀元前7世紀ごろから現れ、泉や森、とりわけ、ヤドリギやオークを神聖視し、古代ケルト信仰を司っていた司祭階級である(1p263)。
ピタゴラスもプラトンは循環的な世界観〜輪廻転生を信じていた
ピタゴラス(紀元前580〜500年)は、イタリアのクロトンに禁欲的な教団を作り、数学、宇宙に関する研究を行っていたが、科学と宗教との間には境界がなく、天空の音階理論や霊魂輪廻説を提唱していた。プラトン(紀元前427〜347年)もアカデモスの森の近くに「アカデメイア」という学校を作ったが、輪廻転生を信じていた(4p46〜47)。プラトンは『国家』の第10巻で戦死して12日目に蘇生したエルの物語について詳しく書いている(1p28)。
古代ギリシア人では古代インドの信仰を同じく「惨めで気が滅入るような車輪」という表現が出てくる(1p87)。ピュタゴラス教団やオルフェウス教団が「必然の円環」や「運命の車輪」といった表現を用いていた(1p263)。
アジアの循環型の世界観と対立するユダヤ・キリスト教の世界観
このように、アジアの賢人もギリシアの哲学者たちのほとんども、地上での生活は終わりなき循環であり、解放された魂がそこから逃げ出せると考えていた(4p51)。一方、東洋や古代ギリシアの循環的な世界観とは鋭く対立し、世界の出来事には宇宙的な目的があり、人間の魂も世界も旅の途上にあると初めて主張したのがユダヤ教である。ユダヤ教は、時間は終わりなき円ではなく、矢であり、より高い次元に向かっており、いつの日にか救世主によって正義の時代がもたらされると考えた(4p51)。初期キリスト教は、世界には方向と目的があるとのユダヤの信仰を継承し、発展させていく(4p54)。さらに、人間は死後には眠るように終末を待ち、そこで最後の審判を受けるというキリスト教の教義にとって、生まれ変わりは絶対に認められない観念である(6)。
輪廻思想を信じていたキリスト教
とはいえ、初期のキリスト教は輪廻転生を信じていた(4p36)。聖パウロも「ガラテア人への手紙」の6章7節で「人は種をまけば、その刈り取りもすることになる」と語っている(1p86)。
グノーシス派は、キリスト教とほぼ同時期に成立し、アレキサンドリアやシリアを中心に栄えた宗教である。4世紀以降にキリスト教が公認され、グノーシス派は異端として絶滅されたが、その残された数少ないグノーシス派の文献に3世紀にコプト語で書かれた福音書『信仰の知恵(ピスティス・ソフィア)』がある。ここには「魂はこの世のひとつの身体から別の身体へとつぎつぎに注ぎ入れられる」というイエスの言葉が引用されている(1p88)。
ところが、4世紀以降、キリスト教が政治力を持つまでに発展していくと、輪廻転生を信じる者たちは、教会にとって脅威であった。自らの心の内に確たるよりどころを持っていると教会や国家に隷属する保証がないからである(1p88)。例えば、輪廻説を信じたオリゲネス派と同じく、「人はみなキリストと等しくなる」と宣言する修道士たち、イソクリストイ派が出現する(1p264)。輪廻転生はコンスタンチヌス大帝の時代にローマ帝国が修正するまでは『新訳聖書』にも書かれていたのだが(3p21)、553年にコンスタンティノープルで開催された第五回「公会議」において、コンスタンチヌス大帝は輪廻説の恐るべき復活に対して、教会は正式に波紋を行うと布告を出す。そして、これに反抗する人々、カタリ派への迫害が始まる(1p88)。西洋においては、生まれ変わりの概念はそれを主張した勢力が異端とされたこともあってタブーとされてきたが、輪廻転生思想が消え失せるのはようやく13世紀になってからなのである(1p89,6)。
プラトン説を想起させる真性異言
さて、プラトンは人間の魂は不死であり、地上で物事を経験するときに、生前に天上界で学んだアーキタイプ「イデア」のことを思い出すという『想起説(アナムネーシス)』を提唱した(1p263)。そして、「簡単に知識が習得されるのは、その知識を前世に持っていたからであり、そのため思い出すことが簡単なのである」と述べている。ローマ時代の雄弁家キケロもプラトンの説を踏襲し「子どもが多くのことをすばやく把握できるのは産まれる前にたいがいのことを知っていたという証拠である」と述べている。こうした理論からすると、神童のような才能は、必ずしもその人生で開発されるのではなく、前世に起因することになる(1p87)。
霊界からのメッセージはほぼすべては「霊界においては言語は不必要で、思いはテレパシーによって伝達される」と述べている。言語能力を含めて、「訓練」によって獲得された身体と深く関連した動作やスキルは、純粋に霊魂の世界に属するよりも、現界との媒介部分、霊と身体との中間にある「エーテル体」や「神経魂」(マイヤーズ通信に登場する用語で、日常的な生命活動や適応活動を司る精神の非意識的領域)等に所属すると考えられる。 先天性刻印も、前世人格のエーテル体の欠損が、現世の人格のエーテル体に影響を与え、生物学的には同じではないが、イメージ的に似た母斑なり欠損を作り出したということになろう(7)。
人は内面的に成長するために自ら運命を選んで生まれ変わる
スティーヴンソン教授は、前世とおぼしき記憶を思い出した子どもたちの聞き取り調査から、以下の結論を見出している。
@ 愛おしさ、罪悪感、義務感から過去世で知っていた人間と一緒に生まれ変わることが多い
A 因果応報的なカルマは存在しない。運命は偶然ではなく、人としての責務から自ら選んだものである
B 人生で最も重要なことは、外面ではなく、人間としての内面的な成長である(2p294〜296)。
とはいえ、これ以上の人生の目的は、スティーヴンソン教授が否定的な「前世療法」から探らなければならない。
【引用文献】
(1) J.L.ホイットン他『輪廻転生−驚くべき現代の神話』(1989)人文書院
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社
(3) 飯田史彦『生きがいの想像』(1996)PHP
(4) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店
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言える応答性真正異言能力者です。ここに出て
くる方々は応答性は1か国ですよね?ましてや
アンビリバボーに出てくる稲垣氏のネパール語
を語る女性とネパール人の男性は約10年間重なっている事から、過去性はあり得ないと思い
ます。ほぼ憑依現象でしょう。私の真正異言は
10か国以上でます。そのうちフランス語、ポル
トガル語、スペイン語は対話した事があります。広いこの世界には考えられないような
能力を持つ人がいる事を思ってください。
あなたが私の事を嘘つきとお思いならば、
どうすれば証明すればいいですか?