血の穢れとは何か
要するに、霊能力を持つ人によれば、金銭をもらって性交渉を行うと相手の霊的な穢れを受けてしまう。さらに、不倫でのセックスを含めた関係には、「血の穢れ」という因縁を作ってしまう(7,9)。不倫の性的関係が「血の穢れ」と言われるのは、血液が汚れるという意味ではない。神道系巫女(霊能者)によれば、「血縁」「親族」である。「親の因縁で…」「家系の因縁で…」というように子や孫、曾孫に悪い霊的縁が結ばれるからである(7,14)。すなわち、普段から悪い人たちとつきあっていると、似たような妖気(悪想念のエネルギー)が集まってくる。そして、その妖気に引き寄せられる「死者の霊」もいて、それが子どもになるために受胎の機会を待っていたりもする。これを「血の穢れ」という(9)。
前世があることは事実だ
子どもが前世の記憶を語る話は事実であり、欧米の精神医学雑誌でも認められている(19)。『前世を記憶する子どもたち(2)ヨーロッパの事例』で、ヴァージニア大学精神科のイアン・スティーヴンソン(Ian Stevenson, 1918〜2007年)教授は、実際に、前世で殺人を犯したことを記憶していた子どもを例にあげる。その子どもは、前世では富豪の子として殺人を犯したが、警察への賄賂で捕まらずに逃げおおせた。物心がつくと殺人を隠蔽できたことを自慢し得意気に話す高慢な性格だったが、数年後には、この高慢さは消え、独り身の母親の元に産まれた事で、母の世話をする母親想いの青年に育っていたという(20)。
カルマの法則で人は転生する
「カルマの法則」はその元をたどると古代インドの聖典や神話にゆきつく。インドでは「善い行為(カルマ)を積むことで来世では、今よりも善い階級の人物に転生でき」「悪い行為を行えば動物や虫ケラになってしまう」と信じてきた。インドに「輪廻転生やカルマ」の考え方が存在するのは、霊的透視能力が鋭敏な霊能者リシが実際に存在したからである。
けれども、インドのカルマの法則は、カルマを懲罰的な意味合いで扱っているために誤った部分も見受けられる。20世紀最大のヒーラーといわれる「ダスカロス」ことスティリアノス・アテシュリス(1912〜1995年)や20世紀最大の予言者といわれるエドガー・ケイシー氏(1877〜1945年)は「カルマは懲罰のためにあるものではなく、人間の魂を磨き成長させるために神が計らった「慈悲の法則」、「愛の法則」だと語る。カルマは「魂の性質や能力を円満に育て上げること」、要するに「人格の陶冶」のためにあるのである。前生で殺人を犯した人物の青年の魂の成長も、この「慈悲の法則」を考慮に入れると理解できる(20)。
人の性格も前世の体験が影響する
「生まれかわり」は、それぞれの人間の「心と意識」が起こす「カルマ」によって成り立つ宇宙の摂理である。信じる信じないにかかわらず誰もが必ず体験している。それを忘れているのは、その方が万人にとって都合がよいためだけである。
例えば、産まれた時から前世で殺人を犯して自殺した事を記憶していたら、その人物は正常な発達ができるだろうか。また直ぐに自殺してしまうかもしれない。けれども、人の「人格・性格・嗜好」の傾向も、何度も何度も生死を繰り返した経験によって「過去のカルマの総計」に成り立っている(20)。
数多くの霊視(過去生リーディング)の結果から、不健全な霊的修行を行った前世の結果が今生に影響を及ぼすこともわかっている。一例をあげれば、ある医師は口下手で人と打ち解けて話せない短所があった。霊視によれば彼は前世ではクエーカー教徒であり、「沈黙の行」を行った霊的修行を行った結果が現世に影響を与えていたという(21)。
「魂の縁」とは「奇妙」なものだ。『前世を記憶する子どもたち』によれば、次のように生前に、ある人の子どもとして生まれ変わりを願っていた人が、その人のもとに転生した記録が残されている。
「マウン・ミント・ティンは、アルコール依存症だった前世を記憶していたビルマの子どもだが、本人自身も小さい頃にしきりに酒類を欲しがった。その母親は、息子の前世の人格と目される男性に地酒を飲ませて感謝されていた」
「インドの農民ジュギ・ラルは、死んだ時に、その穀物卸商の家族の中に生まれ変わりたいと思ったことを記憶していた」(19)。
カルマの法則では自分の魂に沿った仕事を選ぶべき
輪廻転生やカルマの考えに立脚すれば、職業を選ぶとき、自分が前生で身につけて来た特技を考えることが必要となる。例えば、ピアノに秀でた才能を持つ神童は、過去生で何度も何度も音楽的な才能を伸ばすことに努力した人なのである。もし、職業を選ぶとき金銭を考えずに仕事を選ぶことができれば、あなたは何を選ぶだろうか。自分の才能を開花させ、最も興味がある方向に進むことがよいに違いない。自分の魂に沿った職業を見い出して、転職することは、技能の面からも霊的な魂の学びからも望ましいのである。本来の魂が欲している仕事を見つけ、金銭目的ではなく行為によって世の中に貢献すること。この事をヨーガでは「カルマ・ヨーガ」という(20)。
セックスの波動を受けて子どもたちは生まれてくる
さて、性行為でお金を頂いている女子たちは、売春をした相手があなた自身の赤ちゃんとして産まれてきたら嬉しいだろうか。これは、実際に起こりうる(19)。さて、良い意味でも悪い意味でもカルマを解消するために子どもは生まれてくる(13)。
夫婦間の性行為は共に生きる共生相手だから、互いのカルマの解消にも役立つが、売春・買春では話が違ってくる。セックスしている時は生まれたい霊たちがカップル間のカルマに見合った霊たちが寄ってくる。色情霊も寄ってくる(17)。すなわち、産まれてきたい魂はどこにもいる(6)。セックスを行っている男女の「陽」と「陰」の「波動」「気」「オーラ」の共鳴は宇宙に一つの輝きとして現れる。その「波動の輝き」は人間になりたい魂たちに伝わる。その輝きを目指して魂たちが宿りにくる。光り輝く者には「この二人の間に生まれれば俺もやり直せるんじゃないだろうか」と更生を願う魂がやってくる。一方、怪しく光る者たちへは「私が行って、この人を救ってあげよう」と救世を願う魂がやってくる(2)。
例えば、霊能者ダスカロスは「エレメンタル」の話から、似た想念の魂を招くと指摘し、インドの霊能者ヨガナンダは「ヨガナンダとの対話」でこうアドバイスしている。
「霊的な子どもが欲しいのであれば、両親は肉体的結合を果たすとき、その意識を高く保っていることが重要です。というのは、そのときの波動が、アストラル界での火花の質を決定するからです」(p.106〜107)
そして、瞑想は想念のバリアーを形成する助けになる。不純な想いを持った魂の受胎を妨げる効果がある。そのため、これから妊娠して子どもを授かりたいと願っている女性は、できるだけ日々善性の想念を保ち「邪な魂」が受胎しないように気をつけるべきなのである(19)。
結婚した男女は、子どもを授かるための「神聖なセックス」を行うパートナーとなるのである。したがって、その手助けをできるのにしない「富裕な自分勝手なカップル」は、祖霊たちにも申し訳ない罪だといえる。だから、善気(エレメンタル)がある神棚のある部屋で良いセックスを行おう。神さまはとても喜ぶはずだ。そして、祖霊や子どもたち、誰に見られていても恥ずかしくないセックスをすべきなのである(6)。
レイプされた場合も高次元の意識に記憶が残る
女性が無理矢理、性的な関係を持たされた時にも霊的な「縁」はできてしまう(13)。「昏睡させられレイプされたら覚えていないし関係ないのではないか」と思われるかもしれないが、そうではない。
意識には「低次元の私」と「高次元の私」の二つの意識がある。高い意識層には、今まで行った自分の行為や想念(善行、悪行、道徳的、非道徳的な行い)の全てが蓄積されている。たとえ、「低次元の私」の意識が泥酔している時にレイプされても「高次元の私」はそれを観察・記録している。
この「低次元の私」の肉体が死を向かえて「高次元の私」の元へ帰るとき「低次元の私」は、「高次元の私」の下で今までの記録を見せられる。「低次元の私」は、「高次元の人格的な人間性」を求めて、人格的、知性的、道徳的に足りない部分を補うことを希望する。こうして人は「転生」する。 したがって、泥酔して意識を失っている時に行われたレイプも、その後のトラウマになる可能性があるのである(14)。
女性が心的に憔悴してしまうのは、加害者の男性の想念体が付着したためともいえる。けれども、その女性を救う善良な家族や男性パートナーがいれば、そうした悪い想念体は加害者に返上できる。返されたレイプの加害者は、相当な「負のカルマを積んだ」ことになる(13)。
ヒーリングで宿命を変えるというのはペテンである
カルマの法則からすれば、生まれ持っての個性・性格や能力、生まれる国や地域・家族等、「宿命」は変えられない。一人ひとりは、現実世界に生まれて来た時点で、その人の「宿命」に沿った時空間を生きることになる。「占星術」を使って誕生日を調べることで、その人の個性や「人生のサイクル」や「転機」などが、ある程度わかるのはこのためである(12)。
ヒーリングを受けたり、クリスタルを身につけたり、霊能者が念をこめた腕輪をしても、問題は解消されない。「私は霊が見えるから、色情霊を除霊してあげるよう」「私は、かなり修行をつんだ霊能者(神父や聖者)だから、私とセックスすればカルマの解消、ヒーリングになる」。スピリチュアル詐欺師のセックス・性的強要。これらは、「まやかし」である(12)。
感謝の想念でカルマを解消する
けれども、個性を開花させる選択「運命」は変えられる(12)。ダスカロスは「悔い改め」を行うことで、このカルマの解消ができるとした(16)。では、その悪い運命を少しでも変えるにはどうするのか。
昔の花魁は風俗嬢とは違っていた
江戸時代の遊郭で仕事をしていた花魁は、現在の性風俗嬢とは全くイメージが異なっていて、芸事、教養、仕草、性戯とすべての面で男性の高嶺の華のような女性だったらしい。女性たちは、男性を心も身体も充分に満足させてあげるために、自分が絶頂を迎えないような練習と集中力を鍛えていたという(19)。
健全な気を浴びる
早朝午前6時頃に起床して朝日を浴びる。できるかぎり「プラスの気」を取り入れる。そして、沐浴をする。バスルームで水のシャワーでも構わない。それが神道でいう「禊(みそぎ)」、キリスト教的にいえばヨハネがイエスにした「水による洗礼」である(3)。
良い人とつきあい、良い想念を抱く
「セックスしたい!」「女の裸がみたい!」として亡くなっていった色情霊たちは沢山いる。汚い場所には、危ない霊たち(エレメンタル)が居つく。性を遊びや金儲けに使ったりすると「魔」に喰われてしまう。この「魔」を呼ぶのは自分の想念である。できるだけ良い想念を抱いて生きていけば、こういった事態に陥らないですむ。そのためには、良い本を読み、良い人とつきあうことだ(3)。
ヨガと瞑想で女性は輝く
今まで愚かだった自分が招いた原因をすっぱりと断つ解決法のひとつが「スピリチュアル・フィットネス」である。エネルギーを消費する激しいスポーツとは違って、ヨガ・真向法・チベット体操、瞑想(ヴィパッサナー、マインドフルネス)、坐禅は、霊的エネルギーを自分でコントロールすることに重点を置いた「スピリチュアルなフィットネス」である。ヨガや瞑想をしている女性たちが、売春や性風俗、AV女優として働いている女性たちに比べて内面から美しく見えるのは、こうしたフィットネスを行っているからである。
坐禅は霊(想念体)を凌駕する。ヨガや坐禅を行って精神的な強さを身につければ、悪霊と呼ばれる想念体(エレメンタル)たちも太刀打ちできず去ってゆく(12)。
そこで、性風俗で働いていた女性や売春(援交女性)をしていた女性が光り輝く道、新しい人生を歩み出すキッカケとして、ヨガや瞑想(坐禅)を行うことをおすすめする。スピリチュアル・フィットネスをすることで知らずしらずに内面の輝きが増し、善なるプラーナが身体を包み込んでゆくであろう(12)。
霊的な理論によれば、瞑想では、霊的なエネルギーであるエレメンタルを世界に放出して、自己だけでなく他者にも影響を与える事が求められるが、まずは、より良く生きるための洞察力を得るために「想念を整える」手段と考えればいい(22)。ただし、テレビや雑誌が紹介する生半可な「ツキを呼ぶ瞑想」等は、危ない霊を呼ぶことにつながる。俗な瞑想なので悪霊しか寄ってこない。幸せが何なのかを自覚しなければならないフランス人仏教僧リカール氏の『Happiness幸福の探求』は「ツキ」や「本当の幸せ」とは何かをわかりやすく書いている(17)。
神様にお祈りする
光の先へとゆけない霊たちは自縛霊になっている場合が多い。そこで、自分だけが救われるのを願うのではなく、そうした色情霊たちも欲情をなくして一緒に救われるように祈ることである。神様に熱心にお祈りをするようになると、憑いていた霊たちも救われるようになる。もし改心できる霊があれば、憑いた人の心と一緒に浄化されてゆく。
自分の方も現実世界でイキイキと生きられるようになるし、憑いた霊も救われる。人助けをしたことにもなる。こうしてカルマの解消をしてゆけば、自分で作りだしたカルマも解消できて「今を精一杯に生きる」ことが出来るようになっていく。「精一杯に生きて」、神様の方を向いて生きることができるようになれば、自然と善い補助の守護霊たちが勝手にあいの手を差し伸べて来てくれる。「神聖なる法則の計画」に合うような生き方ができるようになる(17)。
感謝して生きることで運命を上向きにする
昔の日本で、売春婦の女性たちが尼僧として尼寺へ行くことを志願したのも、この世での汚れを洗い清めるための道を選んだからだといえる(15)。男性たちの“ゴミのような性欲エネルギーの穢れを解消するには、感謝のエネルギー体(想念体)を頂けるような仕事や活動を行うことが一番いい(16)。すなわち、性的な邪の想念体を凌駕するのは、無垢でピュアな人たちが発する「ありがとう」という想念体なのである(15,16)。
神道巫女や伊勢白山道も「心の勉強」「感謝」が必要だと述べている。無理せずにできる「心の勉強」と「自分や家族」、「神様」、そして、「祖霊」への感謝によって、まず自分の運命を上向きにする(7)。
イエスは娼婦と言われるマグダラのマリアの家に泊まった。その後、マグダラのマリアはイエスが処刑されるまで付き添ったといわれている。イエスからは、それほど慈悲のあるオーラがでていた。そのポジティブなオーラを受けたマリアも自らが輝かずにはいられなかったのである(3)。
内なる声に耳を傾ける
思考は、「想念体」、「想念形態」、「エレメンタル」、「気魂」と呼ばれる目に見えない半物質として「意識」や「深層意識」、そして、さらに深い「超意識(Super Consciousness)」(過去世の意識が蓄積されている魂の層=スカロスは「永遠のパーソナリティー」という言葉で表現)に蓄積されて影響を及ぼす(21)。
霊性の師たちは「自分の思い描く姿」をビジョンを明確に描いて、そこに向けて行動をすることを勧めている。自分の今世を大切にするためには、自分の本当の声を大切にしたい。例えば、快楽的なセックスや性生活に並々ならぬ関心がありながらも、そうなってはいけないという否定を促す「善性の声」が聞こえている人は、その声は過去に犯した過ちを犯してはならないという、あなた自身の声だと思ってほしい。本当の優しさは菩薩のように受け入れる心だけでなく、不動明王のように心を鬼にして突き放すことでもある。
自分の心に嘘をつけば、その意識は病的な何かを後々残す。本当に幸せだとは言えなくなる。そして、自分が幸せにならないと家族も幸せにできない。まずは、善の声を聴いて大切にしてもらいたい。そして、自分の健康と健全な恋愛ができるように頑張ることだ。木村藤子さんは『神様に愛される生き方・考え方』を書いているが、想いは出会いを作る。自分を内面から磨いてゆけば自然とそういった出会いがある(20)。
【引用文献】
(1) 2007年9月20日「スピリチュアルと性欲」スピリチュアルラボ
(2)2008年3月29日「スピリチュアルなセックス」スピリチュアルラボ
(3) 2008年4月5日「霊的に「性風俗」や「援助交際」が危険なわけ」スピリチュアルラボ
(4) 2008年4月19日「スピリチュアルな性教育(マスターベーション)」スピリチュアルラボ
(5) 2008年5月3日「スピリチュアルなセックスの真髄」スピリチュアルラボ
(6) 2008年6月22日「神さまの前でセックス」スピリチュアルラボ
(7)2008年6月24日「売春「性器の取扱注意!」」スピリチュアルラボ
(8) 2008年8月6日「スピリチュアルの問題 《自慰》 《マスターベーション》 《オナニー》」スピリチュアルラボ
(9) 2008年9月30日「〈風俗〉と〈セックス〉と〈スピリチュアル〉」スピリチュアルラボ
(10) 2008年10月29日「女性の〈オーガズム〉と〈クンダリニー覚醒〉」スピリチュアルラボ
(11) 2008年11月24日「スピリチュアルで見たオナニー、マスターベーションの害」スピリチュアルラボ
(12) 2009年5月4日「霊的に「援交」「性風俗」が超危険でマイナスな理由」スピリチュアルラボ
(13) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「セックス、性的サービス」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(14) 2009年5月12日「霊的(スピリチュアル) に「性風俗」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(15) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「援助交際」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(16) 2009年5月13日「霊的(スピリチュアル)に「ブルセラ」が危ないワケ」スピリチュアルラボ
(17) 2009年9月20 日「性とスピリチュアル(売春や買春でのマイナス面)」スピリチュアルラボ
(18) 2010年2月23 日「素敵なスピリチュアルセックスがしたい」スピリチュアルラボ
(19) 2011年7月30日「スピリチュアル的に売春は“ヤバイ”」スピリチュアルラボ
(20) 2012年 8月4日「【風俗嬢 セックス業を仕事にするとき…】“生まれかわり”と“カルマ”を考えた「職業」選び」スピリチュアルラボ
(21)2012年8月26日「〈セックス〉もたしなむ“スピリチュアル”」スピリチュアルラボ
(22) 2013年1月14日「性風俗と瞑想とセックス【スピリチュアル男女の悩み】」スピリチュアルラボ
性風俗で働く女の人は、相手の男側の負のエネルギーをもらうので、よほどの例を除いて精神が崩れていくらしい。知り合いで5人が性風俗へいっていて、その5人がみなその後精神疾患にかかったのを知っています。治っている人もいるし、治ってなさそうな人もいます。買春と何か関係あるのかと思ってしまいます。精神をやむ人がすべてというとではありませんが、女を性欲処理の道具にしたカルマかと思ってしまいます。