2015年08月30日

第41講 人生の目的を探る(6) 中間世

前世療法の過去世は死後の世界の謎を切り開く

 19世紀に「霊媒」が引き起こす超常的現象を通じて多くの人に伝えられた「スピリチュアリズム」が、最も伝えようとしたポイントは、人間の魂が死を超えても存続することだった(9)

 現代は、スピリチュアリズムに代わって臨死体験や前世療法が「死後存続」の研究の前面に出て来ている(8)

 12Joel Whitton.jpg臨死体験は、どれほど医学が発達して多くの人が体験するようになったにしても、特異な体験であることには変わりはない。一方、前世療法は、深い催眠に入れる資質さえあればごく通常的な方法で体験できる。ジョエル・ホイットン(Joel Whitton,1945年〜)博士は4〜10%と言っているが、さらに高い数字をあげる臨床家もいる(9)。このため、とりわけ、前世療法が、人々の好奇心を刺激して大衆的な広がりを見せている(8)

「臨死体験」も「前世療法」も医学や心理学の領域から生まれてきたもので、スピリチュアリズムとは直接的な関係を持っていない。けれども、それらは明らかに「死後存続」「霊の実在」を立証する方向へと向かっている(9)

 そのうえ、前世療法は、「中間世(interlife, between-life)」という「この世を超えた世界」を経験する点で、臨死体験よりもはるかに深い内容を持つ。中間世とは、ある一つの人生が終わって、別の人生へと生まれ変わるまでに留まる世界でのことである。臨死体験は「国境まで行って足止めをされた体験」だが、前世療法はたとえ主観的な想起であるにしても、国境を何度も越え、そして戻ってきた体験だからである(9)

 この中間世は、前世療法のパイオニアであるグレン・ウィリストン(Glenn Williston)博士も注目していたが(8)、とりわけ、それをクローズアップさせ(9)、そこにおける「大いなる存在」からの指導を重視したのがホイットン博士である(8)

中間世はエジプトやチベットの死者の書と類似する

 ホイットン博士は、この中間世の状態が、チベット人が8世紀に書いた『バルド・ソドル(チベットの死者の書)』のバルドと類似していることに気づく(1p25,1p269)

「汝は血と肉の肉体を持たない。それゆえいかなる音、光、色も汝をいためつけることはできず、汝は死ぬことができない。これがバルドの状態であると知れ」(1p40)

 中間世の状態は、仏教でも中有(ちゅうう)、あるいは、中陰として古くからその存在を伝えられ(1p269)、それは、2500年前の『エジプトの死者の書』、2000年前のインドのパタンジャリによるヨガの文献、プラトンの『国家論』に登場する臨死体験者エルの黄泉の国への旅の記述とも驚くべきほと類似している(2p328,330)

中間世をさらに探究したニュートン

41Michael Newton.jpg この「中間世」問題に焦点をあて、1980年代の10年間、ほぼこの問題に焦点をしぼって退行催眠を行ない、ホイットン博士以上に執拗にこの部分を探究したのが、マイケル・ニュートン(Michael Neuton,1932年〜)博士である。

 ニュートン博士は、15歳の頃から「催眠術の実験」を行なってきた。そして、カウンセラー・催眠療法士となった後も、本来は「懐疑的な人間」で、「行動療法の専門家」であった。けれども、クライエントから「過去世退行」を試みてほしいとの要請を受け、前世療法の治療効果とその内容の豊かさに魅せられていく。

 通常の心理療法のカウンセリングは1〜1時間半をかけて行なわれるが、ニュートン博士はセッションに4〜5時間をかける。これはかなりのエネルギーを要する作業だが、これだけの時間をかけたことによって、死後と次の転生までのプロセスと魂のありようが、具体性・細密性をもって浮かび上がってきたのである。

 この内容は、1990年代に刊行された2冊、『死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」』2000年、ヴォイス刊(Journey of Souls: Studies of Life Between Lives, 1994)と『死後の世界を知ると、人生は深く癒される』2001年、ヴォイス刊(Destiny of Souls: New Case Studies of Life Between Lives, 2000)に微細に描かれている。

死直後のトンネル体験

 多くの臨死体験者や退行催眠者は、トンネル体験を報告する(1p16,1p50)。不思議で素晴らしいこの体験が始まることから、死者のこの世への愛着心はすぐに消え失せる。そして、すでに他界している身内や友人等と出会うこともあるという(1p50)

 41haraldsson.jpg米国心霊現象研究協会の研究者カーリス・オシス(Karlis Osis, 1917〜1997年)博士とアイスランド大学の心理学者エルレンドゥール・ハラルドソン(Erlander Haraldson,1931年〜)博士が書いた『人は死ぬ時何を見るのか(At the Hour of Death)』(1979)で、オシスとハラルドソンは、既になくなっている友人や親類、聖人等が迎えに来て、あの世へのスムーズな移行をサポートするビジョンを見出すことを見出している(5p198)

 京都大学のカール・ベッカー(Carl, Becker, 1951年〜)教授も臨死体験中に他界していた近親者と出会ったケースが多くあると報告している(3p95)

死直後の霊的存在との出会い

 死の直後、より厳密には死の直前に、魂は肉体から抜けて、自らの体や周囲の様子を眺め、やがて光る霧に包まれ、トンネル状の空間を光に向かって昇っていく。そして、物故者や霊的存在と出会う。臨死体験でも報告されているこのプロセスは、ニュートン博士の報告でも同じである(8)

 ただし、ニュートン博士は、このプロセスは魂のレベルに応じて、様々な形を取ることを明らかにしている。比較的若い魂は、ゆっくりと進み、親しい親族や知人の出迎えを受ける。一方、ある程度の成長を遂げた魂は、ガイド等の高位の霊的存在とすぐに出会う。中には、類魂たちとの出会いを経ずに、一気に高位の霊界に帰還する魂もあると言う(8)

自分で世界を作り出す

 体外離脱者と同じく臨死体験者も自分が実体のないエネルギー体であることに気づく(2p337)。そして、車椅子の生活を余儀なくされていた人も歩けるようになり、手足の一部を切断した人も四肢を取り戻し、老いた人は若者の身体となり、子どもは大人になっていることが多い。これは、心の奥底にある深い願望が身体の形を創造していることを示唆している(2pP338)。チベットの死者の書ではバルドに住まう者は、自らの想念で自らの環境を作り出すと述べているが、死後の世界では、心に思い描いたことはすぐさま大パノラマとして実現する(1p54〜55)

光体験との出会い

11kenneth Ring.jpg 次に臨死体験者は、意識が肉体を離れて、トンネルを通り、圧倒されるようなまばゆい光と至高の歓びと平和を感じたと述べている(1p16,1p51,3p217)。紀元前1300年前に書かれた古代エジプトの『エジプトの死者の書』では、この世のどのような幸せもこの純粋な恍惚感に匹敵するものはない。存在するのはただ愛だけであると語っている(1p51)。彼らが語る死後の世界は、地球上でみたどの世界よりも明るい光で満ち溢れ、時間と空間が存在しない。コネティカット大学の心理学教授、ケネス・リング(Kenneth Ring,1936年〜)博士は、これは来世の持つホログラフィックな波動という特性の証拠であると指摘する(2p336)。この超意識下でのまばゆい光をリング博士はクンダリーニ体験と共通であると語っている(1p269)。そして、この光の中で深遠な啓示を受ける人もいる。ある男性はこれまで解けずにいた数学の方程式が解けたし、ある音楽家は大作曲家にしか作れない素晴らしい音楽を耳にする(1p53)

 ブライアン・L・ワイス博士(Brian Leslie Weiss, 1944年〜)によれば、この光は、瞑想中や神秘体験中にも出会うことができる(5p218)。そして、博士によれば、地獄はない。ただ、様々なレベルの無知がある。無知であるほど光が少なく、深刻な無知状態であるとほとんど光が存在しない(5p224)。一方、よりレベルが上に行くと光の質が変化し、より明るくより柔らかになっていく(6p135)

中間世の超意識では知力が高まる

 ニューヨークにあるアルバート・アインシュタイン医科大学のモンタギュー・ウルマン(Montague Ullman, 1916〜2008年)名誉教授によれば、夢の中では目覚めた状態よりも賢くなれることがある。精神分析の診療では、意地が悪く利己的で人間的な暖かみが書け、何ひとつまっとうにできないどうしようもない患者がやってくる。けれども、目覚めているときには短所を認める気がなくても、夢の中では例外なく、その欠点が描写され、覚醒を優しく促す比喩が登場する(2p69)。無意識は意識を成長させることを願っているかのように思える。

 ホイットン博士も死の次の瞬間、魂が肉体を離れて、意識は空中に浮遊し、自分の死体を見つめ、光のようなものに引き寄せられたり包まれたりし、輝きに満ちた世界に移行すると指摘する。そして、クライアントが「光に包まれて幸福を感じている」とか「肉体も性別もなくなって、きわめて心地よい状態にいる」等といった感想を述べ(9)、この中間世の人間の意識が過去世に退行しているときに経験される意識よりもはるかに高いことに気づく。そこでは、通常の意識では見られない人生に対する哲学的な考察や善悪の判断力が高まり、人間が存在する意味や目的がより明確に理解できる。そこで、ホイットン博士はこの並はずれた知覚状態を『超意識』と呼ぶ(1p21,1p269,9)

人生の回顧と反省

 ヴァージニア大学の精神科医レイモンド・ムーディ(Raymond Moody, 1944年〜)博士らによれば、臨死体験者は、一瞬にして全生涯が信じられないほど生々しく立体映像として再生されることを体験する。そして、パノラマ的な記憶が展開する最中、人生のすべての出来事に伴う喜びや悲しみ等、あらゆる感情を再体験する(2p341)。親切にした人たちの幸せをわがことのように感じとり、人を傷つけた場合には相手が感じた痛みをはっきりと自覚する(2p342)

 同じように、退行催眠でも、ホイットン博士によれば、思慮を欠いた行為だけでなく、人生で達成しようと願っていて成就できなかった願望や夢についても悲しい痛みを感じるという(2p342)。ワイス博士も死んだ後には、一瞬にフィードバックで助けた人や傷つけた人、愛した人、憎んだ人等、すべての人間関係を再体験し、その感情を味わうと述べる(5p23)

 ニュートン博士も、魂が今生でなしてきた行為を回顧・省察するプロセスを仔細に描く。他の魂に与えた苦痛を自らが受けるようにして再体験する「因果応報」も、このプロセスに確かにある(8)

 この人生の回想は、エジプトやキリスト教等、世界の多くの宗教に記されている死後の審判とかなり類似する(2p343)

 古代エジプトでは死後には、恐ろしい裁判官の前で「魂の計量」を受けると信仰されてきた(1p59)。カルマは悪業に相応の報いを呵責なく与えるものであった。紀元前2600年前の『プターホテプの教え』の第28節には「汝の行いは変じて汝の裁きとなる」と書かれている(1p102)。ゾロアスター教も精霊の裁判官が各人の生前の行為に応じて運命を天秤にかけると教えてきた(1p59)。旧約聖書や新約聖書も同様である(1p102)。また、釈迦も「過去を知りたければ自分の現在の人生を見なさい。未来を知りたければ自分の現在を見なさい」と述べている。人は自分が他人を喜ばせたり悲しませたりしたのと同じことをそっくりそのまま自分も体験することになる。古代では、そのようにカルマは解釈されてきた(1p101)

 けれども、ホイットン博士によれば、そうではない。審判は自己審判だけであり、自分の罪悪感や悔悛の気持ちから生じるものだけである(2p343)。問題とされるのは一人一人の誠実さ、内なる道徳性だけである(1p61)

臨死体験者は光の存在によるカウンセリングで愛を学ぶ

 中間世に移行した魂は、ホイットン博士によれば、高度に霊的発展を遂げた裁判官、老賢人、ガイド等と表現される姿のはっきりしない「偉大な存在」と出会う(1 p59,9)。4人や、まれには7人であることもあるが、たいていは3人である。ここから、ヒンドゥー教の三神一体(創造者ブラフマン、破壊者シヴァ、保持者ヴィシュヌ)やキリスト教の父と子と聖霊という概念が生まれたのではないかという(1p59)

 光の存在たちは、これまでの一生をフラッシュバックのように一瞬で回顧させる。ただし、罪を深く悔いる魂に自責の念をつのらせることはせず、人生のプラス面や前向きであった点を指摘して勇気づける。人生の重要なエピソードを取りあげてアドバイスを行い、それがどれほど芳しくないものであったとしても、その人を成長させる体験であったと励ます(1p62〜64,9)

 すなわち、光の存在によって審判が下されることはまったくなく、ただ愛と受容の気持ちだけしか感じられないと述べている。私たちは自分が考えている以上に慈悲深い宇宙に生きている(2p343)。光の存在はカウンセラーとして、怒りを愛に変え、誰もを無条件で許し、もっと愛することを学びこと。そうすれば、自分自身も愛されることを教える。すなわち、光の存在たちの道徳的規準は愛だけなのである(2p344)

人生の目的はエゴを捨て他者を愛すること
 
 36Brian Weiss.jpgワイス博士の見解によれば、人生の目的はシンプルである。数ではなく暖かい思いやりと愛と理解ををもって他者に手を差し伸べられることが大切である(4p93,4p109)。より良い人間関係を保ち、より愛を深め、思いやり深くなり、精神的にも肉体的にも霊的にもより健康となり、他の人々を支援することが人生の目的なのである(6p35)。このため、慈愛、思いやり、希望、許し気づきなどを学び、多くの時間を祈りや他の人を助けることや愛することに使う一方で、恐怖、憎しみ、プライド、エゴ、欲望、拒絶、利己主義、怒り、罪悪感、虚栄心、差別、野望等のネガティブな資質を捨て(4p93,4p259)、モノをためたり、過去を悔いたり、未来を心配したり、他人を傷つけたり、暴力をふるうことを止めるが大切なのである(4p260)。より優しく愛情深く、暴力的でない人間になっていけば進んでいる方向は正しいし(4p19)、人生の目的は内なる平和と贖罪、行動と神の恵みによってカルマを克服することなのである(4p198)。多くの人に愛情を与え、関わった人々を幸せにしてきた場合には、光の存在から大変に賞賛されるという(3p110)。キリストが「互いに愛せよ」と述べているように、他人を助けることは自分のためになるというのが、カルマの第一の原則なのである(1p101)

光の存在のカウンセリングを受けて次の人生のプランニング

 ホイットン博士の最も注目すべきポイントは、肉体を離れた魂は時間や空間がない世界に入り、地上での生活を検討した結果、カルマに応じて次の転生をプランニングすることがわかってきたことであろう(1p17,1p65)

 中間世の状態で、魂は自分の行為を回顧する。そして、それを踏まえて知識を得て、次の人生の選択を行い、学んだことを実施に移すチャンスに備える(1p71,1p102)。カルマとは自分の性質を高めるために自分自身が創り出したものである(1p103)。そして、肉体を持った状態でしかカルマの調整はできない(1p71,1p102)

 すなわち、両親、職業、人間関係等は前もって選ばれている(1p46)。ワイス博士が退行催眠から得た結論も、魂は、母親が妊娠する以前に自分の人生の計画を立て、受胎されたころに自分が生まれる身体を選ぶことによって生まれてくるということである(4p70,4p72,6p23,6p140)

 ホイットン博士によれば、裁判官たちは、魂にどのようなカルマの負債があるのか、どんな点を学ぶ必要があるのかを踏まえて幅広いアドバイスを行うという(1p65,9)。ワイス博士も計画を立てるときには、非常に賢い愛に満ちた霊的存在に支援を受けていると述べる(4p70,6p26)。ニュートン博士も、ガイドとの対話を通して、人生の隠された意味を悟ったり、今回の生で予定していた様々な学びをきちんと学ぶことができたかを確認するという(8)。そして、学びを自覚すると、さらなる成長を求めて、やはり高度な存在からの助言に学びつつ、次の人生を選択するのである(9)

中間世で経験される知の図書館は情報庫の変換解釈か?

 臨死体験者、ヨガの達人、アヤワスカを摂取したシャーマン、スーフィら、隠された領域を訪れた人々は、みな共通して、広大で光輝き美しさにあふれた天界の都市を目にしたと報告している(2p375)。この都市には知識の探究に関連した学校等の建物が多く、ホイットン博士の被験者も図書館やセミナーを備えた広大な学びの殿堂で、高等教育機関で過ごしたと述べている。学ぶことだけを目的として作られた都市に関する記述は11世紀のチベットの文献にもみられ、それがジェームズ・ヒルトン(James Hilton, 1900〜1954年)の小説『失われた地平線』のシャングリラのモデルになったともされる(2p376)。さらに、臨死体験者の中には、知識そのもので建物が建てられていると語っているものもいる。これは、純粋な知の生きた雲は、人間の心では、図書館といったホログラムにしか翻訳することしか処理できないことを示唆している(2p377)

中間世で求められるのは知的な学びである

 愛と同じく光の存在が重視するのが、知識である。臨死体験者は、自己成長や他の人を助ける能力と関連した知識を探究することと関連する出来事が人生回顧の最中に起こると、光の存在は喜んでいると指摘している(2p344)。死後にはすべての知識にアクセスすることが可能となる。けれども、人生で学び続けることに意義があるのは、一人一人が他者に手を差し伸べるようになることと関連している(2p347)

 硬い決意を持つ魂は、バルドの期間のほとんどを学びに費やす。図書館や研究室で一心に学んでいたという。しかし、物質世界に捉われている魂は、あわてて肉体に戻ってしまう。さらに、向上心のない人々は裁判官の前では眠ってしまい、この世にまた生れるためにせかされるまで目を覚まさないという(1p71)

 なお、紀元前5世紀のギリシアの歴史家へロドトスによれば古代エジプトではある転生から次の転生までが3000年だとしていた(1p76)。しかし、ホイットン博士によれば、次の転生までの期間は、最短で10カ月、最長で800年以上、平均で40年ほどであった(1p75)

持っていけるのは才能

 人は死ぬときには、モノを持ってはいけない。持っていけるのは、自分の行った行為、思考、知識だけである。また、愛する人とは会えるが、モノとは会えない。すなわち、他の人とどのように交流したのかが、物質的にどれだけ蓄積したかよりも重要である(4p97)。したがって、字なくを高めるだけでなく、スキルや才能を向上させることもカルマ的な成長に含まれる。幼稚で自己中心的な性格が円熟した人格へと発展していくことをホイットン博士は知る。非凡な才能もこれまでの転生での努力の積み重ねによるものなのである(1p110)

この世への帰還

 古代チベット人は、来世を選ぶ手続きのことを知っていたことから「バルド・ソドル』では肉体を去った魂に対して「汝の産まれんとする場所を調べよ、肉体を選択せよ」とアドバイスしている(1p65)

 最終決定を下せば、後は再び肉体に下降して生れるだけである(1p74)。ホイットン博士の被験者の多くは、母親の上に浮いていたと述べている。さらに、母親にタバコやアルコールを止めさせ、母子が互いに健康で幸せになるようにアドバイスをしていた魂もある(1p77)。一方、ワイス博士の講演を聞いた大学院生で妻が妊娠四カ月の時に、なぜ二人の間に生まれることにしたのか人生の目的や計画を語った娘が登場したという院生がいる(4p72)

 そして、バルドの記憶はすっかりと消え去ることによって、過去の世界に郷愁を感じたり、過去の所業に心を乱されることなく新たな人生に乗り出すことができる(1p77)。最も、過去の記憶を持っている子どももいる(4p81)。例えば、古代エジプトでは犬が死んだときに油と包帯で来るんで葬っていたが、それと同じように、飼い犬を埋葬した子どもがいるし(4p83)、キリスト時代のパレスチナ周辺で語られていた古代アラム語を話し始める赤ちゃんもいる(6p84)。このように今世では一度も聞いたことも習ったこともない外国語をしゃべる現象はゼノグロッシー(異言能力)と呼ばれ、前世記憶の証拠とされている(6p20)

シナリオの人生を歩む

 そして、計画したとおりの人生、シナリオどおりの人生を生きている人は、人生がしかるべく展開していると感じるという。しかし、計画を逸脱してしまった人々は何事も意のままにならず、自分のセリフを思い出せなくなった役者のように、人生のドラマでその場しのぎの芝居をやるしかなくなってしまう(1p73)。成長した魂は、だいたいのアウトラインだけを作って、難しい状況に身をおいて、より創造的な活動をしていく(1p67)。こうした人は即興芝居をする役者のようにいくらでも即興を演じられる(1p73)

 また裁判官を無視しても罰は受けないが、そうした場合には人生の終わりになって自分の人生がムダであったと悔やむ結果になるという(1p74)。人生は生まれてくる前に決めてきた計画にどれだけ忠実であるのかを発見するのが人生である(3p93)。人間関係を通じて喜びや痛みなど、愛について学ぶ生きた実験室なのである(3p92)。 

あえて試練を選ぶ

 なお、人生は障害が多いほうが多く学べることから(4p93)、霊的に成長をするために厳しい人生を選んで生まれてくることもある(4p86,4p93)。魂が成長するにつれて次第に人生が辛いものになっていくのはこのためなのである(1p66)。すなわち、辛い人生を耐え忍ばなければならないからといっても、必ずしも前世で悪い体験をしたためとは限らない(1p110)。催眠下で語るカルマのシナリオがどれほど苦難に満ちた人生であったとしても、語るときは淡々としているという。一方、中間世のシナリオが立てられていない場合が最も厳しい。シナリオがないことをホイットン博士が告げるときには、被験者は必ず不安な顔をするという(1p74)。このように、このホイットン博士やスティーヴンソン博士の見解によれば、無意識の心は、自分の運命の大枠をつかんでいるだけでなく、自らその方向付けすら行ない、人生の計画を立てていることになる(2p292〜293)

中間世の存在は独立している

 さて、次の生を選ぶアドバイスを行う「偉大な存在者」の問題は謎めいている。霊魂説を否定したい研究者は、これを「ハイアー・セルフ(高位自我)」として捉えようとするが、これはかなり苦しい解釈である。「偉大な存在者」は、「中間世での記憶を想起している」だけとは言い切れない姿を見せる。クライエントは、「光に包まれた世界でこういう存在にあって、こういうことを言われた」という記憶を報告するだけでなく、実際に中間世の場面から、その存在と話しつつ、そこから得られた情報を口にする状態になることがあるからである。ワイス博士の著作にも「偉大な存在者」が、クライエントの口を借りて、治療者へのメッセージを語る場面もある。すると「偉大な存在者」は記憶の中に出てくるものではなく、現にそこに出現しているものとなる(9)

中間世では別次元に移行している

 すると、前世療法における中間世の状態は特異な意味を持つ。それはクライエントの記憶の報告ではなく、クライエントが、その瞬間、中間世―つまりはこの世を超えた世界に移行し、そこで、この世を超えた世界にいる「偉大な存在者」「守護霊」と直接的なコンタクトをしていることになる。すなわち、前世導入催眠とは、とりわけ、中間世導入催眠とは、「記憶想起」ではなく、現時点的に起こる「霊界との接触」、ある種の「交霊会」と言える。

 クライエントがその状態を、光に包まれた、至福の状態と表現し、ずっと留まりたいとさえ告白し、またその状態に入ること自体が治癒効果を持ち、クライエントの意識の豊かさ、霊的叡智を高めることもそれを促す。前世療法の顕著な治療効果は、そこに由来するのではあるまいか(9)

生まれ変わるのは学びのため

 キュブラー=ロスは、スピリチュアリズムにきわめて近い思想を表明してきたが、それ以外の臨死体験研究者は、スピリチュアリズムを無視ないし拒否してきた。けれども、前世療法家たちは、スピリチュアリズムにきわめて近い人間観・霊魂観を展開している。

 ホイットン博士によれば、生まれ変わりの目的は、やりそこなったこと、失敗したことの「負債」を返し、さらなる「学び」をすることだとされている」

 ウィリストン博士も「生まれ変わりは魂の成長と進化のためにあり、人生はそのための学校だ」と述べこう語っている。

「生まれ変わりを進歩そのものだと考えるのは誤りだ。生まれ変わりによって与えられるのは、『進歩の機会』にすぎない。『進歩』が約束されるわけではない」(9)

 人間の魂は死後も存在し続け、人間が現世を生きているのは、霊的な成長・進化を遂げるためである。そして、人間を助け、指導してくれる高位の存在がある。こうした考えは、ほとんどスピリチュアリズムそのものである。中間世は霊界のそのものであり、「偉大な存在」は、明らかに他者で、まさしく「守護霊」「指導霊」そのものである。すなわち、スピリチュアリズムの基本的な考えは、150年前とは姿を変えながらも、今もこの世界に静かに浸透し続けているのである(9)

【引用文献】
(1) J.L.ホイットン他『輪廻転生−驚くべき現代の神話』(1989)人文書院
(2) マイケル・タルボット『ホログラフィック・ユニヴァース』(1994)春秋社
(3) 飯田史彦『生きがいの想像』(1996)PHP
(4) ブライアン・L・ワイス『魂の療法』(2001)PHP
(5) ジェームズ・レッドフィールド他『進化する魂』(2004)角川書店
(6) ブライアン・L・ワイス『未来世療法』(2005)PHP
(9) 2007年9月5日「死後存続証明の新たな展開――臨死体験と前世療法」東京スピリチュアリズム・ラボラトリー

ホイットン博士の画像はこのサイトから
ニュートン博士の画像はこのサイトから
ハラルドソン博士の画像はこのサイトから
リング博士の画像はこのサイトから
ワイス博士の画像はこのサイトから

 
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