2015年09月17日

第48講 幽界消滅

神は波動が低い魂を修行させるため三次元の物質世界を作った

 ダンディ・ハリマオ氏によれば、神(宇宙)が、三次元の物質世界を作ったのは波動が低い魂を修行させるためである。そのために、神は、地球社会を創出し、宇宙を彷徨っていた波動が低い魂を呼び寄せて、肉体という重い波動の衣を着せて暮らせるようにした。肉体の衣を魂に着せなければ、魂がむき出しになってしまい、魂の醜さを隠せず、互いにとても向きあえないからである。ただし、ただ肉体を着せただけでは、それを粗末に扱う。このため、神は「美」と肉体の快楽をも与えた。こうして魂の磨きの場として、多くの霊を地球に集めた。さらに、神は、地球上に物質的な豊かさを生み出し、医学を作り出すことで寿命も長くした。できるだけ地球時間での滞在時間を長くして、人間が「悟る」チャンスを増やすためである(7)

波動が高い魂は幽界から霊界へと進む

 ダンディ・ハリマオ氏によれば、神は、この三次元の物質世界の上に、四次元の「幽界」という想念の世界を創った。幽界は、精霊界とも、アストラル界とも言われ、さらにその上にある五次元の「霊界」を雛形とした世界である(6,7)

 一方、普通の人間は、亡くなってから49日間、幽界にとどまって、家族や世話になった人や思い出の場所に飛んでゆき、少しずつ「自分が死んだ」ことを悟っていく。そして、さらに波動が高い「霊界」にあがっていく(6)。ただし、稀には幽界を突き抜けていきなり上層の神霊界にまで到達する魂もある(7)。こうして、「霊界」にあがれば、二度と三次元の物質世界に姿を見せることはできない。どうしても、自分の家族や友人に知らせたいときは、夢枕に立つしかない(6)

幽界に留まり続けるのが幽霊である

 けれども、交通事故や遭難などで、突如として命を落とした魂は、自分の肉体が死んだことを悟れないため、49日間をすぎても、そのまま「幽界」にとどまってしまう。また、財産や愛する恋人、恨み等、この世に未練や怨念を強く残してきた魂も、波動が低いために、三次元のすぐ際の付近を浮遊して、因縁の強い場所の周辺から離れず自縛霊になってしまう。こうした魂は、波動が低いため、可視領域が広い人は見ることができる。あるいは、霊の波動を脳が感知して、これを映像化したりする。これが、俗にいう「幽霊」である(6)

アカシックレコード=パラレルな悪想念のゾーン

 さて、人間は、物質的に満ち足りてくるとろくなことを考えない。他人を呪ったり、嫉妬する悪想念も生み出す(7)。ダンディ・ハリマオ氏は、人間界のすぐ隣には(3)、恐怖、怒りといった人間の狂気やネガティブな想念がたまった吹き溜まり「パラレルの世界」「悪魔界」「ゾーン」が実在すると考えている(1,3,5)。このネガティブな想念がバキュームカーのように吸い込まれて、貯蔵され、焼き付けられているのが、アカシック・レコードという貯蔵庫、幽界である(3,5,8)

神は人間が悟りを開くために「悪」のゾーンも作った

 すなわち、悪魔とは、私たち自身の恐怖・憎悪・傲慢といったネガティブな想念の集合体である(8)。これを西洋では「ルシファー」、日本の神道では「スサノオ」と呼んでいる(7)

 そもそも人間が魂が悟りを開くことは大変である。最初は「希望」だけしかなかったが、悟りを早めるには「悪」が必要だし、悪を知ってこそ、初めて悟ることができる。このため、「物欲」という低い波動を蔓延させ、物質文明を発達させて、「悪」を教えることを神は仕組んだ。言い換えれば、「ルシファー」とは悪を教えるために神が作った「教師」なのである(7)。すなわち、ルシファーは、人間の心の成長に欠かせない「必要悪」としての存在価値が認められている間だけ、唯一無二の「神」によって、しばらくの間だけ「生かされているだけの」存在である。役目が終われば、消滅していく(1)

悪魔とは人間のエゴイズムが作り出した想念

 もともと悪魔は、ネガティブな想念の雲であって、具体的な形はなかった。けれども、悪魔に取り憑かれた神学者たちが、ヒトの形として焼き込んだ。これによって、悪魔(ルシファー)は、いっそう身近な存在になってしまった(8)

 すなわち、強いエゴが宿った人間が「悪魔」の正体であり(6)、人間の悪想念がルシファーを大きく育てあげたのである(7)

キツネツキは憑依現象

 さて、日本では狐は、畑の鼠等を食べて実りを約束することから、豊穣の守り神として祀られてきた。決して人間が恐れるものではない。ところが、「お狐さん」とは別に「キツネ」がある。「キツネの嫁入り」とか、「キツネ火」という現象は「もののけ」の類である(3)。前述したように、幽霊がそのまま留まると、執着の念が怨念となり、「悪霊」となり、しまいには魔物になってしまう。これが、日本で昔から言われている「キツネ」、「タヌキ」の類である(6)。「こっくりさん」なども「さわってはいけないもの」であるし(10)、キツネに化かされた、というのも「憑依」現象である(3)。現実世界にも色々と干渉するために、「祈り」によって、「死んだこと」を悟ってもらい、早く上の霊界にあがってもらう必要がある存在である(6)。なお、地方に行くと、集落の入り口に神社や鳥居がある。が、これは、悪霊を集落に入れないための防波堤の役目をしている「結界」であり、魔界とのチャンネルを断ち切ってきたのである(6,10)

聖書は魔術を禁じた

 いわゆる「魔術」はこの魔界への扉を開く(10)。こうした「黒魔術」秘儀を知ってしまうと、簡単に国を倒せたり、人を狂わしたりできる(2)。いったん扉が開かれてしまうと、次から次へと魔界から悪想念が押し寄せてくる。そして、この魔界に入り込むと自分だけの力で抜け出すことは至難の業である。このため、イエス・キリストは白魔術であっても、黒魔術であっても「一切の魔術に近づくな」と諭した(10)。聖書も「魔術には絶対に近づいてはならない」と強く禁じた(2,10)

想念は幽界の雛形を通じて現実化する

 人間の想念には、凄まじいほどのエネルギーがある(6)。幽界には、三次元の人間たちの想念を蓄積して、それを再び三次元に顕現させる役割もある(7)

思考の現実化は、この幽界の働きから説明できる。例えば、社是や社歌、スローガンをつくって社員の心にひとつにしようとする企業の取り組みは、社員一人一人の潜在意識に働きかけて、「会社が繁栄するように」という強烈なエネルギーを四次元に送り込む作業である。これによって、四次元では「会社が繁栄する」という「ヒナ型」が作られる。しばらく時間をおいてから、これが実際に、売り上げが上がるという現象として三次元に反映されて顕現化する(6)

 ダンディ・ハリマオ氏は「伊勢白山道」について、最近は金儲けに走り過って、とうとう「魔」に憑かれてしまったが、たまにはいいことも言っていると述べ、次のように引用する。

「私達を取り巻く世界は、大きく別けて神界、霊界、幽界、現実界、地獄界、にわけられる。幽界には、龍神界・天狗界・精霊界・・・・・夢の数だけある。例えば、仏像を作成して沢山の人がその像に、お願い事を祈念すると、仏像を取り巻く幽界が出現する。その幽界に生まれる存在は、お願い事の内容に沿った形態を取る。お願いを祈念する人間のエネルギーが蓄積して、その内容に合った姿を取る。一見するとその像に似た形で霊視されるが、深く観ると異様な姿が現れる。

 よく、思考は現実化すると言われる。これは、個人や集団が発する思念エネルギーが幽界に蓄積して、サポートする霊的存在を生み出し、現実界へ作用するためである。昭和の時代には、大きな事業を展開した人には、龍神の形態を取る幽界の存在が憑いていることが多かった。この龍神は、太古から存在する神界の眷属としての真の龍神ではなく、個人が強く思念することで幽界で形成されたか、呼び寄せた「偽の龍神」である。そこで、個人の事業や夢も、人が強く思念すれば、内容に関わらず実現しやすかった」(6)

人間のエゴによって幽界がパンク状態になった

 すなわち、これまでは、環境汚染を招こうが、社員が過労死しようが、企業としての結果が、それなりに出て、エゴイズムな想念も受け入れられた。けれども、それは、幽界(四次元)にゆとりがあったからであった(6)。だが、あまりにも幽界に悪想念が溜まりすぎたことから、そろそろ大掃除をしようと、まず神の経綸は、幽界での大建て替えを始めた(7)

 こうして、今はエゴが通用しなくなってきた。目の前にある壁にピンポン玉を投げつけるようなもので、エゴだらけの悪い想念を出せば、クイック・レスポンスですぐに跳ね返って自分の顔面にあたってしまう。これが今の企業社会の現状である(6)

 ダンディ・ハリマオ氏は「伊勢白山道」の「幽界消滅について」をさらに引用する。

「けれども、それは、幽界が機能していた時代のことである。今、幽界の次元縮小が始まっている。昭和の時期と比較して、現在は既に幽界は、半分以下になっている。正神のお使いは、個人利のために動くことは絶対にない。幽界が消滅しつつあるため、神意に沿わない個人の願望は、実現しにくい時代に入っている」(6)

 そして、ダンディ・ハリマオ氏はこう述べる。

 五次元以上の高次元で繰り広げられていた神々(魂)たちの戦いは、すでに決着がつき、神がルシファー軍団を完膚なきまで打ち負かしてしまったという。このため、高次元(神界)から、六次元→五次元(霊界)、四次元(幽界)、三次元と、きれいな高い振動数の波動が、ちょうど四次元の幽界をすぎて三次元に伝播しつつあるのが現状である(8)

幽界が消滅しても悪霊たちは波動が高い霊界には生けない

 要するに、幽界領域は、いまどんどんと狭くなっており、最終的には消滅することになる(6,7)。幽界が大掃除されるのであれば、幽界にいた不成仏霊たちは、霊界(五次元)にあがればいい。けれども、幽界よりも霊界のほうが数段高い。高エネルギーで猛烈な勢いで振動する波の渦(霊界)に入れば、波動が低い霊はその高エネルギーの波によって、打ち消されてしまう(7)。すなわち、執着の強い霊や、悪霊たちは、自分の波動が消されてしまうために、波動が高い霊界にはいけない(6,7)。各次元には、それぞれ波長領域があって、自分も、その波長範囲でなければ、その次元に同化できない(7)

幽界の縮小で行き場を失った霊が憑依を始めている

 そして、幽界の魔物、低級霊たちは、振動数が高い綺麗な波動がやって来ることをとっくに自覚して知っている。ネガティブなエネルギーを得ている低次元・地獄層の四次元の最下層が押しつぶされ、消えてなくなってしまえば、悪の源泉も消滅する(8)。「憑依現象」、あるいは「精神感応」という方法によって、これまで「悪の智恵の源泉」からサジェスチョンを受け取ってきたが、それにアクセできなくなってしまうし、悪の親分・ルシファー」の魂も消されてしまう。彼らは、そのことを知っている(5)。幽界の霊には肉体がない。このため、ゆき場を失った幽界の霊が、三次元に「避難」してきている(6,7,8)。幽界(四次元)の消滅に際して、「憑依する側」も自分たちが削除されないように、最期の周期に入って必死なのである(5,6)

 ある特殊な儀式を行ったり、魔の波動を発する音楽を聴くと、頭の中でスイッチが入り、このネガティブな想念が滞留するゾーンと感応する。これがチャネリングで、脳に映像化されて悪魔の形に見える。悪魔界からやってきた悪想念が「すっ」と入ってくる(3)。いわゆる「憑依」である。これを日本では、「魔に取り憑かれる」という(1,3)。「映画のエクソシストも現実で、心霊的に「憑依」されたものである(3)

ネガティブな想念と感応することが憑依現象で今は危険な時代

 ダンディ・ハリマオ氏は、いまは、憑依の危険性がますます高まっている時代だと警告する(10)。その理由は、昔は幽界が比較的綺麗であったが、現代は、あまりにも幽界が汚れすぎ(8)、幽界が三次元のほうに押し出され、はみ出すくらいになってきていること(7)。そして、三次元の人間も、物質的な考え方に傾いているため(7)、霊的な抵抗力がなく(8)、四次元(幽界)の魔物と簡単に感応してしまうからである(7)。悪心が芽生えない人は、魔界とチャネリングすることはないのだが(1)、このエゴを限りなく拡大していったのが米国である(6)。お金儲けをしたい、有名になりたい、テレビで評判になりたい、という現世的な俗な心が発する「邪気」を敏感に嗅ぎつけて、彼らは憑依する(5,10)

 ダンディ・ハリマオ氏によれば、自殺者だけでも年間3万人を超え、行方不明者も含めると10万人が消えているのも、「憑依」が原因であれば(6,8)、かつてないほどに、凶悪事件が連続して起きているのも「憑依」による(8)

 この状態になりやすい人は、一般の人より、もともとは優れた感性や頭脳を持った人が多い。芸術的な才能のある感受性の強い人ほど憑依される。これが、鬱病のひとつの原因である(6)。そして、今の芸術家は「魔界」からインスピレーションを受けているという(8)。また、最近の若い人に表情がなくなっているのも、「死んだ霊」が憑依しているからである(6)。「霊能者」と呼ばれる人たちも「憑依」されている(5)

魂の波動をあげよう

 これまで述べてきたように、ネガティブな想念でパンパンに膨れあがった四次元(幽界)が破裂すれば、これまで死後に、まず予行練習をしてきた四次元がなくなってしまうため、私たちの魂は、いきなり五次元の高い波動の世界に入らなければならなくなる。心が浄化されていて、五次元の霊界にスムーズに入れる魂はごく少ないであろうし、下手をすれば、波動によって消されてしまう。魂の死は、魂の消去を意味する(6)。人間は悟るべくしてせっかく三次元に生まれてきたのに、「抱き憑かれ心中」で自分の魂まで消されてしまったのではたまらないではないか(7)

 そこで、魂の修養を重ねておかなければならない。霊界では肉体がなくなり、魂が丸裸にされる。だから、いくらヨガや宗教にのめりこんでも、嘘偽りままでは、五次元の狭き門はくぐれない(7)。形だけ「祈り」ってみても、心の中が偽りだらけなら、それは地獄への道である(6)

一人で悟るしかない

 「人間万事塞翁が馬」という素晴らしいことわざがある。あさはかな人智に頼らず、ひたすら上を見て愚直に努力する。こういう人は、うまく天の波に乗っていける人である。ダンディ・ハリマオ氏の周囲にも、一人だけだが、そういう不思議な人がいるという(5)

しょせん、人間は独りで生まれ、独りで死んでいく存在である。野に咲く孤高の白ゆりを見て、気高さを知ったり、流れ行く雲を見て、輪廻を思ったり、自分で「悟る」以外にない(5)。孤独な作業だが、自分で「悟る」以外に魂の波動を高くする方法はない(7)。そして、私たちがミソギを済ませて、自我意識が抑えられれば、魂は昇華するであろう(8)


【引用文献】

posted by la semilla de la fortuna at 19:00| Comment(0) | 魂の人生論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: