2016年01月28日

瞑想と脳の科学B ヴィパッサナ瞑想では脳構造そのものが変化する

テーラワーダもチベット、禅にも共通する四つの気づきのメソッド

 ヴィパッサナという言葉は「洞察」を意味する。自分の身体、感覚、心、そして、心の内容と四つに「気づく」こと、「四念処(しねんじょ)」することが、ヴィパッサナ瞑想である。そもそも、ここで言う「気づき」とは、パーリ語の「サティ」、サンスクリット語の「スムリティ」に相当する。すなわち、物事を執着することなく観察することだと言えるだろう(p146)

 四つの気づきは、悟りに至るための37の方法(菩提三十七分法)のひとつであり、テーラワーダ仏教においても、大乗仏教においても共通して実践されている。チベットでは、仏教修行の基本である戒律、禅定、智慧の三学を学ぶときに四つの気づきが実践されるし、中国や日本の禅の修行にも、四つの気づきと共通する内容が含まれている(p147)

テーラワーダ仏教で発展したヴィパッサナ瞑想では波動が感じられる

20160127Goenkaji.jpg とはいえ、このヴィパッサナの瞑想体系は東南アジアにおいて大きく深く発展した(p149)。例えば、その中には、心身を整えるための戒律、集中する禅定、直感的洞察の三本柱からなるゴエンカの10日コースがある。瞑想時間は一日10時間にも及ぶが、ただ執着せずに観察していくと、退屈や怒りや恐怖の感情が起こり、過去の記憶も思い出されていく。内なる感覚への気づきはどんどんと深まり全身に微細な感覚が表れる(p148)。そして、猛烈なスピードで生まれては消えていくすべての物質を構成している微粒子の無常さをまざまざと体験するという。血液、骨、筋肉とどこを見ても波動の集まりだけを感じるようになっていく(p149)

僧院からメソッドは解き放たれた

 20160127Sayadaw.jpgそもそも、ミャンマーの上座部仏教僧侶、レディ・サヤドー(Ledi Sayadaw, 1846〜1923年)を祖とするこのヴィパッサナ瞑想法の伝統は、その孫弟子にあたるミュンマーの経済大臣であったサヤジ・ウ・バ・キン(Sayagyi U Ba Khin、1899〜1971年)へと伝えられていた。そして、ミャンマーでインド人の家系に生まれ育ったサティア・ナラヤン・ゴエンカ(Satya Narayan Goenka, 1924〜2013年)は、サヤジ・ウ・バ・キンからこのメソッドを14年指導を受ける。そして、インドで1969年から、瞑想の指導を始めたのである(p147)20160127Ba khin.jpgサヤジ・ウ・バ・キンがもたらした革命的な変化は、僧院外に瞑想法を持ち出し、社会の中で生きる人々に教えたことであった(p149)

刑務所の受刑囚たちの心を幸せにする

 ヴィパッサナ瞑想は1975年に刑務所において初めて行われる。ラジャースターン州のジャイプールの刑務所で当時の州政府の内務大臣で自ら瞑想を実践するラム・シンが、ゴエンカ氏を招いてコースを設けたのである(p150)。刑務所における瞑想の効果は画期的なもので犯罪者たちは自分の罪を反省し始める(p151)。瞑想は米国の刑務所においても行われ、犯罪者たちの自己や人生に対する肯定感が高まり、幸せ度が大きくなる成果をあげていく(p154)

2005年、瞑想で脳の物理構造が変化することが明らかになる

 20160127SaraLazar.jpgこうした社会変化を背景に、2005年、マサチューセッツ総合病院のサラ・ラザー(Sara Whitney Lazar)博士は、ヴィパッサナ瞑想の実践者の脳構造をMRIで調べ、その物理構造そのものが変化することを明らかにし、米国に衝撃を与えた(p146,p156)。平均9年、毎日40分瞑想を実践してきた20名の修行者(p156)たちの脳は、右の前島皮質と右の前頭皮質のうち、ブロードマンの9番と10番が明らかに厚かった(p157)。ラザー博士は精神科医であったが、学生時代に交通事故にあったことから、瞑想やハタ・ヨーガを実践していた(p156)

瞑想によって、ホメオスタシスと関係する右の島皮質が発達する

 島皮質は、内臓や身体感覚と深く関係する部位で、様々な情動や感情ネットワークの一部をなしている。例えば、悲しみや怒りを感じると左右両方の島皮質の後ろ部分が活性化するし、恐怖を覚えると右の島皮質が活性化する(p157)

20160127Craig.jpg クレイグ(A.D. Bud Craig)博士によれば、ホメオスタシスに関わる自律神経のうち、交換神経と副交感神経の走行や機能は左右で非対称であり、より高度な脳の部位にでもこの非対称性はそのままである。例えば、抹消神経からの情報は、脊髄神経を通じて視床、さらに、島皮質に伝えられる。けれども、副交感神経からの情報が主に脳幹に入る一方で、交換神経からの情報は、脊髄神経の第一層であるラミナ1につながっている。そして、ラミナ1は右側に多く、右の島皮質も交換神経との関係がより密接なのである(p160)。ラミナ1は霊長類と人類にだけ見出され、かつ、人間が圧倒的に多い神経である(p161)。また、ブロードマンの9番と10番は、注意や衝動の抑制、情動と認知の統合と密接に関わるエリアである(p158)

 また、島皮質は年齢が高くなるにつれて縮小していく。けれども、ラザーの研究から、瞑想者では体積減少が止まり、かつ、島皮質の体積が増大していることがわかった(p158)

 要するに、ヴィパッサナ瞑想を行うことで、ホメオスタシスや認知と情動の統合を行う前頭前野の部分のネットワークが一体的に働くと、右前島皮質が発達・分化すると考えられるのである(p161)

長期記憶は新たなシナプス形成によって作られている

20160127Eric Kandel.jpg さて、アメフラシはエラ呼吸をしているが、水管に触れるとエラを引っ込める。アメフラシの中枢神経系は約2万のニューロンからなっているが、この反射に関わるニューロンは400程度でしかない(p108)。そこで、コロンビア大学のエリック・リチャード・カンデル(Eric Richard Kandel, 1929年〜)博士は、アメフラシのニューロンに関係する研究を行い、長期記憶の形成、すなわち、神経回路の長期的な増強が、新たなシナプス形成と関わっていることを明らかにした。さらに、そのために必要なたんぱく質を合成するための遺伝子にスイッチが入るための分子的なカスケードも明らかにする(p112)。カンデル博士は、この神経系の情報伝達に関する発見の功績で2000年にノーベル生理学・医学賞を受賞している(p113)

瞑想は無意識領域に押し込められた過去の記憶を呼び起こし神経回路を作り変える

 実は、人間が学習した内容を作り変え、それから自由になる「脱学習」においても同じ化学的なプロセスが働いている。意図的に注意を注ぐことがトップダウン的な分子カスケードの引き金を起こす(p163)

 犯罪者の大半は、虐待や暴力、剥奪といった苛烈な経験をしている。それは強い情動とともに記憶されているが、最も強烈な体験は無意識領域に追いやられている。けれども、瞑想は、この「忘れていた記憶」を呼び覚ます。同時に、記憶に供給されている情動エネルギーが変化する。すなわち、記憶の解放と書き換えによって人格が変化する(p162)

 ジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856〜1939年)は、自由連想のプロセスを通じて無意識に押し込められていた記憶に気づくことで、思考の連鎖パターンを組み替えることが精神分析療法だと考えたが、このプロセスは、無意識に押し込められていた記憶が解放される精神分析と同じである(p163)

10日のリトリートに4回参加すると脳は変化する

 監獄での実践事例では、10日間のリトリートを4回繰り返すと、出獄後も後戻りしないですむようになるという。これは、ラミナ1に象徴される神経構造をベースに元からあった回路が強化されたり、新たな回路が産み出されるためではあるまいか(p161)

 すなわち、東南アジアの僧院であれ、インドであれ、米国の刑務所内の受刑者たちであれ、瞑想に専念する人々は、微細なやり方で脳内のタンパク質合成遺伝子にスイッチを入れ、脳内の化学を変え、シナプスの接続回路を物理的に変えることで、記憶の書き換えと過去の記憶からの解放という同じ作業をしていたのである(p163)

ゴエンカ氏の画像はこのサイトから
サヤドー氏の画像はこのサイトから
ウ・バ・キン氏の画像はこのサイトから
サラ・ラザー博士の画像はこのサイトから
クレイグ博士の画像はこのサイトから
カンデル博士の画像はこのサイトから

【引用文献】
永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ

posted by la semilla de la fortuna at 18:09| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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