ガムランを聞くと脳は活性化する

人間は熱帯林の音でリラックスできる
人間が普通に耳で聞くことができる音の周波数は2〜20万ヘルツである。けれども、人類が長らく暮らして来た原生林、例えば、アフリカの熱帯雨林は10万ヘルツ以上の可聴帯域外の音、超高周波成分が含まれている(p59)。農村や屋敷林がある場所では6万ヘルツくらいの音しかないが、それでも、まだ可聴帯域外の音が多く含まれている。けれども、都会は500〜1万5000以下の低周波の音が集中している。大橋力博士によれば、人間は長く暮らして来た熱帯林の音環境に適応しているために、脳もそうした環境において最も活性化する。都会でストレスを感じるのはそのためなのだという(p60)。
ラットの海馬の神経細胞が自然に近い複雑な環境の中で運動することで新生していくように、人間も野生の自然、とりわけ、熱帯雨林の中で進化してきた生物種である。そして、熱帯雨林で狩猟採集を行っていた10万年前からその遺伝子はほとんど変わっていない。なればこそ、積極的に作り替えられていない原生林のなかでもっとも生き生きと活動するのである(p246)。
モノカルチャー景観の中では人は安心できない

生命と技術の倫理について考え抜いたドイツの実存主義哲学者ハンス・ヨナス(Hans Jonas, 1903〜1993年)は『責任という原理』(2000)東信堂でこう述べている。
「小規模農家による雑多な農場経営では、栽培植物は風景と一体化している。すべてが人工的であっても自然らしさを備えている」(p244)。
一方、効率性の追求によってもたらされた米国中西部にみられる穀物の単調な光景は人間疎外と結びついている。大工場が「文化」としての故郷を提供しないのと同じく、自然としての単調さからは故郷が提供されない。人間が美を感じるためには景観の変化の織りなす複雑さが必要なのである(p245)。
荒廃した時代を生きることになる人類
人口増加と生産拡大に伴い、水や鉱物資源をめぐる国家間の爭いは、ますます激化していく。環境汚染と資源枯渇、食料問題、気候変動、巨大地震やハリケーンといった自然災害に直面しながら、これからの数十年は荒廃した時代を生きていくことになる(p256)。

ジャック・アタリは贈与の時代が来ると予想する
こうした状況の中で、アタリは、環境問題や貧困問題に取り組むNPOやNGOによるソーシャル・ビジネスの活動比重が増え、利他性に基づく経済や贈与のネットワークを構築していくと考える(p256)。アタリは彼らを「トランスヒューマン」と呼び、その中に、イエスやブッダ、マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910〜1997年)と共通する人格を読み取っている(p255)。
はたして、利益への欲望に突き動かされ圧倒的な力を持って進むグローバルな市場経済やそれに従属する巨大な国家の前に、贈与のネットワークや利他性はどれだけの力を持つのであろうか。アタリの未来予想は、イノベーションに出遅れたヨーロッパがキリスト教的なニューマニズムの観念を布教するための手段なのではあるまいか。けれども、欧州開発銀行の総裁を長く務め、北アフリカでマイクロファイナンスを実践しているアタリの見解はあくまでもリアルである(p257)。
環境悪化でベーシックニーズを満たす職業が価値を持つようになる
アタリは、急速な技術革新によって今後数十年で起きる人々の価値観やライフスタイルの変化が、利他性の流行を底から支えると考える(p258)。まず、環境や資源、食料問題が悪化し自然災害が増えれば増えるほど、人間の生命の基底に関わる欲求を満たすことが改めて大きな価値を持つようになる(p259)。
生の体験が価値を持つようになっていく
また、イノベーションによって複製可能なモノをコピーしたり、情報を生産するコストは急激に低下している。そのために、逆に複製できない生の体験や身体に深くかかわる技能に与えられる価値は高くなっていく。例えば、音楽でいえば、ネットからダウンロードされるメディアの価値は事実上ゼロに近づき、生演奏に重点が移りつつある(p259)。
幸せな時間が価値を持つようになる

企業経済も利他性に基づく贈与経済に向かう
そもそも経済とは、人間の欲求を理解して、それを充足することで成り立つものである。したがって、企業活動は利他性に基づくNPOに近づいていく傾向をはらんでいる(p257)。だとすれば、それを妨げる投機的投資やカジノ資本主義の根源である金融業活動を規制すればよい、とアタリは考える(p258)。
他者の苦しみが除かれることを歓び、利他を実践することを喜び、新たなひらめきを生んで創造することを喜ぶ。そうした人々が誕生する文化を作り出すことが、未来の地球システムや人類にとって、生存可能な軌道を産み出すために最も重要なのである(p269)。
仏教は利潤追求活動を避け里山内で自活する贈与コミューンを産んだ
実のところ、利益を生む時間と幸せな時間との関係も深い社会的・倫理的に反省したのが仏教だった。仏教の瞑想の伝統は古代都市時代から生まれた。ブッダの熱心な弟子となったのは、都市国家において商業活動を営む人々が多かった。仏典に貨幣経済に由来する無数の比喩が見出されるのはそのためである。そして、利益を生む時間によって支配される都市を離れ、里山の中で幸せな時間を生きることを選択した。そして、彼らが作り出したコミュニティ、サンガのガバナンス原則は、友愛と贈与だったのである(p266)。
とはいえ、彼らの生活は都市に住む信者からの棋符や贈与によって支えられていた。このため、幸せな時間を生きながらも、利益を生む時間の中で生きる市民社会とどのように関係するのかを深く反省することとなった。この中から、南インド出身で中観派の創設者、ナーガルジュナ(Nāgārjuna,150〜250年頃、龍樹)による贈与や経済的正義をめぐる『宝行王正論』や同じく、南インド出身の中観派の僧侶、シャーンティデーヴァ(Śāntideva, 650〜700年頃、寂天(じゃくてん))による時間と自由をめぐる『入菩提行論』が誕生してゆくのである(p266)。
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【引用文献】
永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ