アダム・スミスは良心を説いていた

慈悲の瞑想の実践者は不公正な状況を憂え多額の贈与を行う
MITの経済学者とともにウィスコンシン・マディソン大学でリチャード・デビッドソン(Richard J. Davidson, 1951年〜)教授は、このスミスの思考を先に押し進めることにつながる次のような実験を行っている(p138)。
このゲームは3人のプレーヤーたちが以下のマネーを手にした状態からスタートする。
@プレーヤー1 100ドル
Aプレーヤー2 0ドル
Bプレーヤー3 50ドル
つまり、このゲームは、最も豊かな者が最も貧しい者に対して贈与を行ったとしても、それが「不公正」である場合に、中間層はいったいどのような反応を示すのかを調べるためになされたのであった(1p136)。
そして、このゲームの結果、プレーヤー3の贈与額の多寡は、本人がどれだけの慈悲心を持っているのかに依存することがわかった。すなわち、どう行動するのかは慈悲心の度合いに依存するのであって、近代合理的な経済人のモデルが現実とは合致しないことが示されたのである(1p137)。
それでは、この「慈悲心」は、もともと決まったものなのであろうか。デビッドソン教授は、瞑想の初心者に対して毎日30分、二週間、後述する「慈悲の瞑想」を行うという実験をしてみた。そのやり方は、まず愛している人が、「幸せになりますように」から始めて、他人、難しい関係にある相手、さらにすべての人間へと広げていくやり方で、後述する伝統的な仏教の「非」に相当する。その結果、島皮質の活動が増大し、その活動が大きいほど寄付額も大きくなることがわかった(1p135)。
グーグルも慈悲の瞑想を行っている
ソーヤ海氏がやり方を解説している「グーグルのマインドフルネス革命」(2015)サンガによれば、グーグル社内には31カ所の瞑想スペースが設けられ、グーグル社員5万人の10〜15%が「マインドフルネスストレス低減法」を行っているという。もちろん、グーグルが瞑想を推進しているのは、自己認識力とセルフコントロール力を向上させるためである。
仏教では「能力の向上」はあくまで副作用であって、エゴを捨て去ることで人生の苦を克服することが瞑想の主目的なのだが、できるだけ宗教性を排除してハードルを下げるのがグーグルのやり方らしく、こうした言葉は一切出てこない(3)。とはいえ、グーグル社員が実践している最先端の瞑想プラクティス、「慈悲のプラクティス」は「慈悲の瞑想」と同じものなのである(4)。
慈悲の瞑想を行うと幸せとなり共感能力が高まる
慈悲の瞑想を行うと、喜びや肯定性と結びついている前頭前野左部が活性化する。また、抑鬱と結びついている前頭前野右部の信号が減る。その結果、人は幸せになる。さらに、デーヴィッドソン教授の研究からは、慈悲の瞑想は、ただ喜びや幸せになるだけでなく、共感やひらめきや創造性といった様々な神経回路を共鳴させ、それらを大きく成長させる可能性を持っていることがわかってきた(1p261,1p263,1p267)。すなわち、人間には、もともと共感する能力があり、そうした力を育てていくことは可能なのである(1p261)。
共感力は競争で有利に立てることから進化した

けれども、一方で、共感能力は、自分の行為が他者にどのような感情をもたらすのかを感じて予測することによって、欲望や行動を抑制する基盤にもなる。すなわち、経済的な道徳心や倫理感もこの能力が土台となっている(1p261)。
社会性の神経科学によれば共感能力は恐怖心によってブロックされる
けれども、興味深いことに、共感から慈悲の神経ネットワークが立ち上がって活性化していくプロセスは「恐怖」によってブロックされてしまう(1p263)。
もとより人間には共感能力がないわけではない(1p265)。けれども、共感とは 自己と他者とを区別することを前提とした自動的な反応である(1p262,1p263)。そして、人間は、恐怖心と共感との結合を意識的に断ち切る方法をしらない(1p265)。そのため、他者の苦しみへの共感は、恐怖に結びつく(1p263)。このため、社会性の神経科学によれば、人間は共感によって味わう苦しみを排除するために、他者を視野から追い出し、自分のまわりに高い壁を作って他者を援助することを断念しようとする(1p263,1p265)。そして、市場が作り出す享楽を消費するのである(1p265)。そして、この心理作用は意識的にコントロールすることができない(1p262)。
生命のホメオスタシスをベースとしたアイオワ大学医学部精神科医のアントニオ・ダマシオ(Antonio Damasio,1944年〜)博士の情動理論をさらに発展させることによって、タニヤ・ジンガー博士たちは、島皮質の二重機能モデルを産み出す。この二重機能モデルからは、他者の苦しみに対する共感と、慈悲や愛とが同列ではないことがわかる(p262)。
共感にかかわる島皮質と恐怖にかかわる扁桃体とには強い神経的な結びつきもあることから、このことは脳の解剖学的構造からも推測できる(1p263)。さらに、タニア・ジンガー博士たちは「囚人のジレンマ」ゲームを用いて、直接的に知らない相手に対しても人は共感を覚えるものの、好き嫌いがその共感に影響することを明らかにした(1p263)。
共感に伴う恐怖や好悪に伴う共感への影響を克服するメソッドを仏教は開発してきた
@ したがって、共感(他者の苦しみ)に伴う恐怖にどのように対処するのか
A 好き嫌いによって共感が抑えられてしまうプロセスにどのように対処するのか
この二つがポイントであることがわかる(1p263)。
共感と恐怖との関係や共感と好き嫌いの関係を深く理解したうえで、実践的なスキルを編み出してきたのが仏教なのである(1p264)。共感と恐怖とのつながりを断ち切る瞑想の伝統を開発し、それを「菩薩」と称してきたのである(1p265)。
慈悲の瞑想とは何か
チベット仏教でも大念処経「サティパッターナ・スッタ」に書かれている修行方法で、ヴィパッサナーと同じように自分の身体の状態や感覚、感情等を観察する瞑想、「四念処」が行われる。とはいえ、大乗仏教であるため、慈悲の瞑想が重視されている(2p163)。
慈悲の瞑想とは、チベット仏教にはニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派があるが、うち、ニンマ派の修行プロセスの中に位置づけられている(1p120)。
長期の隠棲修行をおこなう場合に、修行者たちは9種類の哲学と瞑想メソッド(九乗)を段階的に学んでいく。まず、無常を始めとして世間への執着を断ち切る出離の修得(声聞乗)を学ぶ(1p121)。その後、「九乗」の三番目に学ぶ「菩薩乗」の中で慈悲の瞑想は学ばれることになる(1p120)。
菩薩乗は、「空性」の悟りを目的とする。そして、これには、直接的にこの目的に向かう「頓悟(とんご(=禅)」と、段階的にこの目的へと進む「漸悟(ぜんご)」がある。そして、慈悲の瞑想は、後者の「漸悟」の修行の入口にあるものとしてチベット仏教では重要視されている(1p120)。
慈悲の瞑想は大きくは以下の三つのやり方からなる。
@心の浄化
生きとし生けるすべての感覚を持つ生物(有情)が、かつては自分の母であったことを認めてその恩義に報いる瞑想である(1p121)。輪廻世界をさまようどの生物の苦しみも自分と無関係には存在していない。この当事者意識をもって、かつて被った恩義を返すためには、すべての生物を苦しみから解き放とうと決意する必要がある。けれども、煩悩や無知におおわれたままでは他者を救うことは不可能である。このため、煩悩や無知を抜け出すための修行が必要であるとの決心が生れる。これが第一ステップである(1p122)。
A四無量心
対象を区別せず、すべての生物に対して慈(いつくしみ)、非(あわれみ)、喜(よろこび)、捨(平等)を育む瞑想である。例えば、ニンマ派の場合は、捨から始まり、慈、悲、喜へと進めていく(1p123)。
捨 今は友人であってもかつては敵であったかもしれず、あるいは、未来は敵となるかもしれない。今は敵であってもかつては母として自分を大切に育ててくれたかもしれない。それを繰り返し考え、すべての生き物に対して平等心を養う(1p123)。
慈 母親が巣で雛鳥を抱いて温め食べ物を与えているように、あらゆる生き物が幸せであるように願う心を修得する(1p124)。
悲 これから死刑場に連れて行かれる罪人が母親である。あるいは、自分が激しく流れる川に子どもが流され溺れながらもどうにもできない母親であるとイメージし、苦しんでいるものが苦しみから解き放たれるように願うことである(1p124)。
喜 迷っている子どもと再会した母親のように、幸せであるのを見てそれを喜ぶことを願う(1p124)。
B抜苦与楽
慈悲の瞑想の中核であり、思考の消滅した「無分別」の境地を体験するための重要な方法で、呼吸とともに他者の苦しみをもらい、自らの幸せを贈ることをイメージする瞑想である(1p126)。
まず、心臓か喉にあらゆる願いをかなえる宝の玉、「如意宝珠(にょいほうじゅ)」をイメージする。次に吸う息とともに、六道の有情の苦しみと悪業が黒い煙となって入って来るが、それは心臓の「如意宝珠」の輝く光にふれた瞬間に消滅する。そして、吐く息とともに、喜び、幸せ、富、善業などが光となって放たれ、有情の苦しみを和らげていく(1p126)。
慈悲の瞑想の四無量心は好き嫌いを突破する
慈悲の瞑想によってネガティブな感情と関連した回路は次第に力を失っていく。それは仏教が抱いてきた考え方と良く似ている(1p132)。
伝統的な仏教の「無所縁」では、特定対象に意識集中することを放棄する。7世紀半ばのインド仏教、唯識派の最大の知識人、ダルマキールティ(dharmakīrti=法称)は、対象を持った慈悲が修得された後、すべてが幻であることを認識しつつ、かつ、同時に慈悲を抱いている状態だと説明している(1p120)。
すべての生き物を心や身体といった構成要素に分解して吟味していくと、どこにも実体がないことがわかる。こうして「四つの無量の心」は「空性」の瞑想と一体となって「対象のない慈悲」をもたらす。悪意や暴力から解き放たれ、このうえなく清らかな心の本性を見出せるのである(1p125)。
「好き嫌いによって共感が抑えられてしまうプロセスにどのように対処するのか」がポイントであると述べたが(1p263)、大乗仏教では、ありとあらゆる生命に対する平等な心が慈悲を育むうえで最も重要だとしている。そして、この「四無量心」の瞑想は、まさに好き嫌いをコントローするための方法なのである(1p264)。
「抜苦与楽」の瞑想は共感と恐怖との結びつきをカットする
「抜苦与楽」の修行を続けていくと、そのプロセスで、苦しみを味わうことへの恐怖が次第に消え、静かな勇気が目覚めてくる(p264)。あるときすべての思考が止まる。そして、「空性」が体験され、すべての生命に対する強烈極まりない慈悲が自然に生れる。大乗仏教で空性の悟りを絶対的な菩提心(勝義菩提心)と称しているのは、「空性」の悟りが、自然にほとばしりでる慈悲を伴っているからである(1p126)。
学生向けの教育用に改良された慈悲の瞑想


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【引用文献】
(1) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(2) バリー・カーズィン『慈悲と智慧の科学』(2016)瞑想を語る、サンガジャパン
(3) 2015年6月7日suzuki yu「グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端の瞑想プラクティス」
(4) 2015年6月17日suzuki yu「くやしいが「慈悲の瞑想」はやっぱりメンタルに効果があるようだ」