人類は七段階でエネルギー利用を発展させてきた
文明史家のアンドレ・ヴァラニャック(André Varagnac, 1894〜1983年)は、人間のエネルギー利用の形式を大きく七段階にわけてみせた。
第一は火である。人類以外の動物は筋肉しか使っていない。けれども、人類は、はじめて、筋肉以外のエネルギー、火を使うようになった動物である。火の利用は、おそらく、ホモ・サピエンスの誕生以前にまで遡る。
第二は、畜力である。一万数千年前から農耕がはじまり、その後、牧畜が起こり、牛に犂を付け、耕起に使うといったエネルギー利用がなされるようになる。
第三は、冶金術である。金属がある程度利用できるようになることから、風車や水車を作って風力や水力を使えるようになった。
第四は、火薬で(p18)、第五以降が、この300 年の変化で、石炭、石油、そして、第七が、20 世紀後半での原子力とコンピュータの発達利用である。この原子力とコンピュータの時代によって、生活様式は変化した。普段体を使う必要がなくなったことから、汗をかくことで気持ち良くなるという経験も消滅した。とはいえ、こうした近代エネルギーはいずれも持続不可能である。ウランは70 年くらいしかもたない。石炭や石油、天然ガスもいずれ枯渇する(p19)。
ポスト3.11の文化や社会
けれども、すでに大きな意識変化は起きている。世論調査によっても、これまでの生活様式やエネルギー利用を続けることはできず、それでもかまわないということが、おおまかな合意になってきている。もちろん、かつての狩猟採集社会や農耕牧畜に戻ることはできないが、エネルギー利用は、ソーラー、風力、あるいは潮力を利用する基本的に持続可能な自然エネルギーになっていく(p19)。

狩猟採集民の原理−わかちあいと贈与の復活
3.11 以降の変化のひとつが、何かあるとバーベキューがしたくなっていることである。例えば、明るい蛍光灯やLED を使っても、落ち着かない。ゆらゆら揺れている火をみると、心が落ち着く。皆で、ご飯を食べ、しゃべって、楽しく歌をうたって、暗くなってきたら、ちらちら揺らぐ炎をぼんやり眺める。そういう生活が楽しくなっている。
少し余裕があったら、寄付してしまう。それは、贈与やシェアすることで社会を作りたいという狩猟採集民の社会の原理や倫理が、欲求として表面にあらわれてきているように思える。狩猟採集時代には、狩猟が成功すれば、誰もが分配して食べ、火を囲んで、ダンスを踊っていた。それが、人間の最も古い層に属するスピリチュアリティである。それが、3.11 の後に、現代の空間に、急速に露出してきた。ここ数百年というのはまさに少し長かった夢のようなものだった。これから、こうした動きがさらに、広く、深く復活してくるであろう。あるいは形を変えて、転生してくるであろう(p20)。
ポスト3.11の鍵となるのは慈悲の瞑想
慈悲の瞑想は利他精神を作り出せる
これから徐々に姿をあらわすだろう、ポスト3.11 の21 世紀文明の最初の手がかりになるのは、2004 年に発表された「慈悲の瞑想」についての研究である。人間は、共感能力を持つ。それは、論理的に思考することで相手の状態を推論するのではなく、ほぼ瞬間的に生まれる直観的な心のはたらきである。
けれども、この共感が起きたときに、人間は大きく二つの方向で反応していく。
第一は、共感が慈悲や慈愛がわきおこる引き金となって、利他的行為につながるケースである。これは、今回3.11 の後に、非常に多くの人たちが体験した(p20)。
けれども、もう一つ別のプロセスもある。それは、共感が起きても、恐怖や不安によって利他的行動が遮断される場合である。誰かが苦しんでいる状態を目にしたとき、自分も同じ状況になったらどうしようかと不安や恐怖を抱き、それを未来に投影してやめてしまう。その場所にいて共感し続けると疲れてしまう、あるいは苦しくて、耐えられないため、逃げたり目をそむける。私たちは、この二つのパターンの間を移動したり、揺らいできた。けれども、慈悲の瞑想の一つ、息を吸うとともに他者の苦しみを吸いこみ、吐くときにじぶんの心臓から、喜びや富を光として贈る瞑想を実践すると、苦しみを味わうことに対する恐怖が小さくなり、静かな勇気が生まれる(p21)。
慈悲の瞑想は閃きと同じ脳状態を保つ
もちろん、恐怖そのものは、必ずしもマイナスの感情とは言えない。けれども、恐怖心をもっているときに人間が行う判断や、そこで生じてくるインスピレーション、思考や発想はたかが知れていて、創造性とはほとんど無関係である。
けれども、慈悲の瞑想をした場合に「アハ体験」と同じ状態が、その3000〜6000 倍もの長さの時間で続く。これが創造性と直接結びついているかどうかは、まだ明らかではないが、創造性や閃きが生じやすい脳の状態を、一定の時間キープすることから、創造性の回路が強化される可能性が大きい(p21)。
瞑想は無意識なパターンから人を解放し創造性を育む
アインシュタインは「一定の年齢を超えてから本を読むと、人間はバカになるからやめろ」と語っていた(p21)。それは、パターンができてしまうためである。ある状況ではパターンが有用なこともあるが、そのパターンにあまりに深く入り込んでしまうと、新しいものは生み出せない(p22)。
パターン化は、知的創造に限られない。何かを見て怖いと思う。あるいは、こういうことは自分にはできないと思って萎縮する。こうした思考や行動パターンは、自分がこれまでに習慣化してきたパターンへの自動反応で無意識に産み出されている。そして、こうしたパターンは、身体の状態や感情と深く結びつき、だいたい、幼い頃に作られている。けれども、ヴィパッサナ瞑想等は、こうした反応パターンから自分を解放する。すなわち、瞑想は、心を平穏にするだけではなく、創造的な知恵が生まれやすい条件をととのえる(p22)。
今世紀半ばにかけての危機の時代には、それは、とくに重要な意味を持つ(p22)。これから生まれ出る文明は、創造性を成長させ、発揮する方法を文化の中に組み込んでいる必要がある。すなわち、慈悲の瞑想は、恐怖や不安から自分を解放し、利他性と創造性を発揮するための方法の一つとして、使える(p21)。
ブータンの幸せの三要件〜自給、コミュニティ、自然
人口70 万人のブータンは、たくみな外交手腕によって、固有の文化や伝統を守り、低い技術水準やGDP にもかかわらず、浪費に依存しない高い幸福度を実現している。そして、ブータン人の幸せは、大きくは以下の三つに依存する。
第一に、食べるのに困らない。ブータンの食料自給率は高く、誰かが仕事を求めれば、はたらく場所をすぐに得られる。最低限の衣食住は、確保できる。
第二に、コミュニティがしっかりしていて、帰属感が得られる。共同作業が多く、それが、人間の関係をしっかり保証している。
第三に、自然環境が豊かである。国土の60%以上が森林で、憲法上、この60 %を維持することが決められ、裏山の樹木を伐採するのに許可がいる。
見過ごされがちだが、環境のもたらす美的・感性的満足は、人間の幸福度に大きく影響する。熱帯雨林は非可聴帯域の音を含むが、この熱帯雨林とよく似た音の分布を持つバリ島の音楽は脳の回路を活性化するが、ブータンの僧院で鳴り響いている宗教音楽は、バリ島とほとんど同じ音の構造を持つ(p24)。
21世紀の新文明のキーワードは惑星総幸福
そして、永沢准教授は、これから生まれてくるであろう21 世紀の新しい文明は、ブータンの「国民総幸福」(GNH)の哲学を発展させた概念、自分の造語で「惑星総幸福」(Gross Planetary Happiness:GPH)という概念になるのではないかと指摘する(p24)。
「惑星的思考」という言葉を第二次世界大戦の直後に「存在への問い」という論文で用いたのは、マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger,1889〜1976年)である。ハイデガーは、大地に対する支配や大地のつくりかえによって各地域で積み重ねられてきた伝統的が破壊されることは、人間に大きな不幸を招き寄せると、ごく初期から近代的な科学技術を批判してきた。一方で、ハイデガーは、必ずしも普遍性や科学も捨てず、伝統的な知恵と科学、両者の対話の中から、何かを創っていくことが大切だと考えていた(p10)。では、3.11の震災以降の世界での伝統的な智恵と科学の融合はどうなっていくのであろうか。
精霊とアニミズムの復活
第一は、人間の身体と意識をめぐる思考や、それとつながっている実践を、これから先の社会は、おそらく取り戻していく必要がある(2p23)。
そして、生命エネルギーについての思考を掘り下げれば、「精霊」と呼ばれるものにつきあたる。樹木、山、湖、岩といった自然をかたちづくる存在には、命が宿っている。それは、人間とも共通の精神を持ち、人間との間にコミュニケーションが起こる。そういうふうに、世界のあちこちの文化が、語ってきた(p23)。例えば、京都の北山で長い間、木を切ってきた方は、「木と話す」という言葉を使っている。木をみたときに、その中を流れる生命の声や響きが聞こえる。そういう感覚が、非常に重要になってくるのではないか。そういう意味で、アニミズム的なものの復権ということが、やはり必要になるだろう(p22)。
こうした生命エネルギーをめぐる知恵の伝統は、一人称の直観に基づき、認知科学でいえば、こうした見方は、自然にかんする博物学的知性とコミュニカティヴな社会的知性の融合から生まれた、擬人論にすぎない。けれども、そういう直観は、とても普遍的で古い人間の思考と感覚の層に由来している。この気や精霊にたいする感覚の復活が、これから非常に重要になるだろうと私は思っている。この自然環境がもたらす満足について、その最たるものは、聖地であろう。聖地が人間を幸福にする意味について、私たちは、これから、考えなおす必要がある(p23)。
色即是空の世界観
第二に、これは別の言葉でいうと、「心も体も光である」ということになる。健康な人をみると、そこに輝きを感じ、幸せになる。子ども、産まれたばかりの赤ん坊、元気な赤ん坊は輝いている。それをみていると、じぶんも元気になる。私たちは生命の輝きや光を感じる。それを中心にした社会や文化をこれから創っていく必要がある(p23)。
ミクロの素粒子のレベルでみていけば、私たちが物質だと思っているもののほとんどは、空間である。量子力学までいかなくとも、この原子核と、周囲の電子軌道の間の距離を考えてみると、その間にある空間は非常に大きい。原子が占めている体積の、99.99999999% が空間である。それは、仏教でいう、空、色即是空ということだ。こうした認識の延長上に、私たちの21 世紀的な文明の核となる世界観は創られていく。チベットの密教、とりわけ、ゾクチェンと呼ばれる密教と量子力学や超弦理論を結びつける作業を行いたい。そういう「惑星的思考」が、21世紀文明の核の一つになっていくはずだと、私は考えている(p24)。
そして、永沢哲准教授は、今、気や生命エネルギーからできている「微細な身体」、「霊的な身体」の概念が、人類のなかでどのように発生したのか、この微細な身体と、性や死の関係をテーマに、本を書いているという(p23)。
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【引用文献】
永沢哲『日本トランスパーソナル心理学/精神医学会第12回学術大会基調講演:惑星的思考へ』トランスパーソナル心理学/ 精神医学vol.12, No.1, Sept, 2012 p.10-p.29