2016年02月08日

番場一雄のヨーガ―ハタ・ヨーガ@

はじめに

 番場一雄氏(1938〜2003年)の著作のまとめを紹介する。これも、1987年といまから29年も前に購入した著作だが、改めて読み直してみるとヨーガや仏教の理解に非常に役立つことがわかったからだ。番場氏は心不全のために66歳と師の佐保田博士よりも早く他界するが、とりわけ、番場氏がヨーガをやりながら内山興正(1912〜1998年)老師の下、参禅をしていたことは改めて気づいた。脳生理の部分についてはいささか古いことを免れないが、仏教とヨーガとの関係についてはいまも有効である。そこで氏の著作内容をまとめておく。

身体が病弱であるためハタ・ヨーガを始める

 番場一雄氏(1938〜2003年)は、小中学校から病弱で三分の一月は学校に通えなかった。17歳では肺結核を患う。35歳前後まで、抗生物質の副作用によって、胃腸障害、耳鳴り、慢性的な疲労感、慢性蕁麻疹に悩まされていた。このため、25歳からヨーガを始める(2p151)

佐保田01.jpg 佐保田鶴治(1899〜1986年)博士のヨーガ研修会は、京都東山連邦の宝塔寺のひとつ、大雲寺でされていた。博士と秋山陽文老師とがインド哲学と仏教を通じて懇意だったからである(1p41)。当時は月1回だけ研修会がもたれ、参加者も数十名だった(1p42)。アーサナが1時間。調気法20〜30分、瞑想法20分と全部で2時間のコースであった(1p44)

 佐保田博士は、@ゆっくり行い一定の時間保つ、A部位に意識を向ける、B動作と呼吸を合わせる、C緊張と弛緩を交代させる(1p45,2p22)。この四原則を守らなければ形だけアーサナに似ていても、実質的にはアーサナにはならず、期待する効果が得られないと言われた(1p44)。そして、心身が調和すると「梵歓喜」と呼ばれる至福の境地が表れてくると言われていた(1p45)。そこで、番場氏は、佐保田博士と石井祐雄氏の指導の下でアーサナを始めた(1p46)

 番場氏は、佐保田鶴治博士から、人の心を受け止める寛容心、生きとし生けるものへの慈しみ、人の心を見抜く直感力、物事にこだわらない大海のような心を直に感じて、大きな感動を受けた、と語っている(2p149)

正しい呼吸法で健康になる

ストレスから息が浅くなるため胸が狭まり腹が出てくる

 現代人は色々なストレスから呼吸が小さくなり、胸郭が萎縮している。肋骨が開くチャンスも少ない。息が浅いため、いつも汚れた息の上に新たに入ってくる息を混ぜて吸っていることになる(2p108)。石井祐雄氏によれば、いつもの呼吸は肺から出されない空気が2〜3割あるという(1p59)。そこで、普通の人間は25歳前後に肺活量が最大となり、その後は徐々に落ちていく(1p58)。番場氏は、長年のヨーガの経験から、呼吸の微妙な動きによって、その人の身心のレベルがわかるという。病んでいる人の息はスムーズに流れていないからである(2p155)。また、人間は若いときには内臓が引き締められているが、年とともに下垂気味になる。そのため、胸が貧相になり、腹が出てきて内蔵を骨盤で支えるようになる(2p99)

腹の引き締めを行なって息を吐き切る

 このため、ヨーガでは老化防止のために「調気法」を行なう前提として、腹をへこます練習を行なう。これを「ウディヤーナ(気をあげる)」と「バンダ(締め付け)」と呼ぶ(2p99,2p102)。この結果、内臓は刺激を受けて若々しさを取り戻す。心臓も下からマッサージを受けるため、心筋梗塞になったとしても後遺症を起こさず完治させることができるという(2p102)

20160208番場.jpg そして、アーサナやプラーナヤーマの練習によって胸郭が発達して肺活量が増えてゆく(2p107)。健康な男性の肺活量は3500〜4000ccだが、番場一雄氏は2800ccしかなかった。けれども、20年もヨーガを続けた結果、6470ccに増えたのである(1p101,2p114)

吐く息を長くする自然な呼吸で心臓の負担が小さくなる

 呼吸は自律神経によってコントロールされている。けれども、呼吸だけは自分の意志でもコントロールすることができる(1p57)。ヨーガはそこに着目した(1p58)。そこでは、ヨーガでは、入息、保息、出息を1:4:2で行い、吸うよりも出す方を長くする(1p120)。『ヨーガと医学』(1980)紀伊国屋書店の著者、スティーブン・F・ブレナ(Steven.F.Brena)博士によれば、肺にとって生理学的に最も楽な状態とは息をゆっくりと吐いている時であり、その時には、心臓の右心室からの静脈と、酸素供給を受けて左心房へ出て行く血液とが最もバランスが取れた状態にあると述べている(1p120,2p109)

 ジョギング等によって無理をして筋肉を堅くすると、心臓に負担がかかり心臓肥大を進行させるが、ヨーガで肺活量が多くなるとエネルギーのバランスが良くなるため、心臓が次第に小さくなる(1p112)。事実、番場一雄氏も肺機能が目覚ましく向上し心臓が小さくなったという(1p101)

 そして、このヨーガの呼吸を練習すると交感神経が緩んで副交感神経が優位になるために、高血圧であっても血圧が10〜30mmも下がる(2p115)

保息することで血管を緩めスムーズに血液を流す

 普通の成人では、息を止めていられるのは1〜1分半が限度である(2p111)。番場一雄氏もヨーガを始めた頃には、カパーラ・パーティ浄化法やバストリカーといった調気法が苦しく(1p60)、保息(クンヴァカ)も1分もできなかった。けれども、いまでは3分以上できるようになった(1p60,2p111)

 そして、血液中の酸素が飽和状態になると、倦怠感や恐怖心が起こり、頭の働きが低下し、脳動脈も収縮する。保育器の中の未熟児が酸素の過剰供給で失明するのもそのためである(2p112)。一方、血液中に含まれる二酸化炭素には脳血管を緩め拡大させる。そのため、血管は柔らかくなり血液がスムーズに流れる。クンヴァカに意味があるのはそのためだったのである(2p113)。さらに、ヨーガではプラーナを取り入れている。そこで呼吸法のことを「プラーナ・ヤーマ」と呼んでいる(1p58)

ハタ・ヨーガのアーサナをすれば身体の姿勢が美しくなる

 ハタ・ヨーガでアクロバットのようなアーサナをすることは不自然に思える(1p126)。けれども、基本的なヨーガのアーサナを毎日30分前後、食事をするように行なっていくと美しい姿が現れてくる(2p158)。身体の動きが次第にスムーズに背骨は張りを持つようになり、全身のバイタリティが高まってくる(2p14)。いつも背骨が伸びやかにまっすぐ立ち、誰でも歩く姿勢が美しくなる。不思議なことに、歩行の度に脚は動いても、上半身は手や腕の動き以外はシーンと静止している感じである。あたかも高級乗用車に似ている(2p166)。ブッダの修行法「三十七菩提分法」に「軽安(きょうあん)」と呼ばれる修行法があるが、これは、ヨーガの心身統一による禅定力によって、身も心も春のそよ風のように軽やかになることを言う(2p15)

 また、現代人は立っているときの重心がカカトの方にきているが、古代人は立った時の重心の位置が現代人よりも前方にあったという(1p139,2p160)。京都の三十三間堂の千体の千手観音がしている「立禅」のような姿になる(2p160)。すなわち、実践すればするほどその姿勢は仏像のように美しくなり活力が満ちてくる(1p127)。それは、人間の身体には美しい姿勢を築こうとする設計図があるからである(2p159)

 16〜17世紀のインドのハタ・ヨーガの文献、『ゲーランダ・サンヒサー』によれば、シヴァ神は太古に8400万もの対位法を説かれ、うち84が優れ、さらに人間社会では34のアーサナが素晴らしいと記されている(1p127)。けれども、20年の実践から番場氏は、背中を伸ばす体位、背中をそり上げる体位、背骨をねじる体位の三つにアーサナが集約できると述べている(1p128)

アーサナは身体で唱えるマントラで動く瞑想である

 番場氏は、本当に体が心と一体となって、相互に情報が交換できれば、身体に異変があれば直ちにそれが意識できるはずである、と述べる(2p176)。確かに、普段の意識では、身体のことが感じられない。けれども、ヨーガの実習が進むと、身体感覚が目覚め、身体への意識化が進む。随意筋だけでなく、不随意筋や内蔵までが意識対象になってくる(1p95,2p180)。いままで鈍感であった腰や背骨が力強く活き活きとしてくるのがわかり(2p165)、内臓感覚が目覚めて、疲労やストレスで胃腸が腫れていると、それが手に取るようにわかるようになるのである(2p102)。このため、番場氏は「ヨーガは身体で唱えるマントラである」と述べる(2p18)

坐禅では安楽の法門なのだろうか?

20160208内山.jpg 生活に伴う過度なストレスを解消して、心の安らぎや健康を得たい。こうした人々のニーズを反映して、瞑想や座禅がブームになっている(1p169)。佐保田博士は「ヨーガ禅」と述べ、ヨーガが禅と密接に関係があるとしていた(1p64)。そこで、番場氏はほぼ2年にわたって、ヨーガをやりながら、吉田山の麓にある換骨堂という曹洞宗の寺で、内山興正(1912〜1998年)老師の下、参禅をした。ともに参禅していたのは心理学者の牧康夫氏であった(1p65)。ちなみに、牧康夫氏はフロイト研究で著名な研究者である。神経症に陥って、研究所の地位を捨て婚約まで辞退する。けれども、ヨーガを実践した結果、結婚し、愛児を設け再び大学の教壇に立つ(1p7)。とはいえ、その後不可解な死を遂げている(1p8)。それは、自殺である。

 番場氏は、禅堂で座禅をしたが、それは楽ではなくいろいろな想念が去来した(1p68)。道元禅師は「坐禅は安楽の法門である」と述べたが、本当にそれができるのであろうか(1p68,1p119)

 一般の修行者にとっては坐禅をするだけでも大変な緊張をもたらす。禅宗は意志宗と言われるほど強固な意志が必要である。佐々木雄二医学博士によれば脚や膝の痛みを訴えるものが89%にも登ったという。また、江戸時代前期の臨済宗の僧、盤珪永琢禅師(1622〜1693年)は胸部疾患、江戸中期の臨済宗の僧、白隠慧鶴禅師(1686〜1769年)は禅病に陥った。いずれも生理を無視して過酷な修行をしたためであろう。そこで、健康が維持されて瞑想ができればその方が望ましい、と番場氏は考える(1p119)

 座禅では結跏趺坐だが、ヨーガでは蓮華坐(パドマ・アーサナ)である(1p67)。『ハタヨーガ・プラディーピカー』には、パドマ・アーサナを行うことであらゆる病気がなくなると書かれている(2p35)。確かに、自律神経が集まった腹部の太陽神経業が、活性化し、臍の下の丹田に精気が充実した感じを覚える(2p35)。けれども、ヨーガではさらに、達人坐(シッダ・アーサナ)をより重視している(1p67)

 ヨーガではまず身体の歪みをアーサナで意識的に筋肉を緊張させて緩めるやり方をする(1p69)。つまり、正しく座るための身体の条件が整えられないまま坐禅の姿勢をするとむしろ身体を悪くするのではないかと番場氏は言う(1p70)

ハタ・ヨーガは弛緩と緊張のリズムによって自然に瞑想に入る

 ヨーガをベースにドイツの医師シュルツ(Johannes Heinrich Schultz,1884〜1970年)が創案した「自律訓練法」では手足の温感は得られても、それ以降の太陽神経叢の温感まではなかなかいけない。けれどもヨーガのシヴァ・アーサナを行えば、ほとんど誰もが上腹部に温感を確実に感じられる。それは、弛緩をするためにまず意識的に緊張をさせるからである(1p115)

 また、静のままの坐禅では生命の根本が感じられないが、動から静のヨーガに瞑想の秘密が隠されていると番場氏は体験的に感じた(1p75)。瞑想が深まって心が統一され、三昧の境地に入っていくと、通常とは異なる意識状態が表れる。脳生理学の研究からはα波やθ波が出現することが知られている。けれども、こうした脳波はヨーガのアーサナや調気法のなかでも現れる(1p170)。正しい呼吸と一体となった緊張と弛緩のリズムが身体の感覚として外界の対象から心の動きを引き離してしまう。こうして、意識は「非思量」を経験できる(1p77)。このことから、座禅が「静」の瞑想であると同時に、ヨーガのアーサナや調気法も「動」の瞑想であることがわかるのである(1p170)

佐保田博士の画像はこのサイトから
番場一雄氏の画像はこのサイトから
内山老師の画像はこのサイトから

引用文献
(1) 番場一雄『ヨーガの思想』(1986)NHKブックス
(2) 番場一雄『一億人のヨーガ』(1988)人文書院
posted by la semilla de la fortuna at 05:00| Comment(0) | ヨーガの科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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