グーグルは慈悲の瞑想を行っている
「グーグルのマインドフルネス革命」(2015)サンガによれば、グーグル社内には31カ所もの瞑想スペースが設けられ、グーグル社員5万人の10〜15%が「マインドフルネスストレス低減法」を行っているという。
グーグルが社員に瞑想を奨めているのは、もちろん、自己認識力やセルフコントロール力を高めるためだ。ハードルを下げるために宗教性も排除され、仏教関係の言葉は一切出てこない。けれども、グーグル社員が実践している最先端の瞑想プラクティス、「慈悲のプラクティス」は「慈悲の瞑想」と同じものなのである(2)。
慈悲の瞑想にはやはり効果がある
suzuki yu氏は「慈悲の瞑想」をまったくやってこなかった。理由は三つある。
なんだか恥ずかしい
見も知らぬ他人の幸せを願うことは偽善者ぽい
思ってもいないことを心のなかでくり返すのはスピリチュアルぽくて嫌だ
とはいえ、「慈悲の瞑想」には以下のような効果があり、それを実証データも豊富にあるという。
@ ポジティブな感情が増え鬱病の症状が軽減される
A 迷走神経の働きがよくなりストレスが減る
B 慢性痛や頭痛を減らす効果がある
C 脳の灰白質が厚くなる
さらに、その瞑想も1日10〜15分続ければよい(3)。
そこで、suzuki yu氏は、慈悲の瞑想を試みてみた。すると、定番のリラクゼーション法である「自律訓練法」でもおなじみのズシーンと全身が地中にめり込んでいく体感があった。また、同氏は「Muse」という脳波計で日々の瞑想内容を記録しているのだが、そのデータに明確な変化が出た。数値が100%に近いほどアルファ波の発生量が多く、メンタル的に落ち着いていることを示すが、それが増えたのである。慈悲の瞑想を取り入れると、明らかに数値が安定している。
「ここまで変化が出ると、その効果を認めざるを得ない。やはり、2000年以上の歴史を持つテクニックには、ちゃんとした効力があるものだ」と同氏は感想を述べている(3)。
パニック障害を克服したニュースキャスター
suzuki yu氏は、「慈悲の瞑想」にうさん臭さを感じている懐疑論者でも、試してみるとその効果を認めざるを得ないとして(3)、ABCニュースの有名キャスター、ダン・ハリス(Dan Harris,1971年〜)氏の著作『10% Happier』を紹介している(1)。

結果として、ハリス氏は、パニック障害を克服するのだが、「瞑想前よりも10%だけ幸せになった」と控えめに効果を評価する。瞑想をしてからといってイライラが消えるわけではない。ただ、ネガティブな感情と少しだけ距離が取れるようになるという(1)。
ハリス氏はスピ系が嫌いである。それだけに同氏著述はバランスがとれている。同著の内容を紹介してみよう。
トールの過去と未来論に魅せられる
エックハルト・トール(Eckhart Tolle, 1948年〜)という人物の名を耳にしたハリス氏は『ニュー・アース―意識が変わる世界が変わる』(2008)サンマーク出版を手に入れる(4p93)。
トールによれば、人間は生れてから死ぬまで、ひっきりなしに何かを考えている頭の中の声に支配されている。そのほとんどはネガティブな思考であり、かつ、同じことの繰り返しである(4p94)。ハリス氏は、トールがあげたエゴに捉われた人にありがちな行動リストを読み、まるで自分のことを言われているかのように夢中になった(4p95)。
トールによれば、エゴは決して満足しない。どれだけ買い物をしても、どれだけ美味しいものを食べても、エゴの欲はとどまることをしらない。また、エゴはいつも自分の外見、豊かさ、社会的地位等を周囲と比べることで自分の価値を測ろうとする。そして、エゴは昔の恨みや不満をいつまでも抱えていて何度も頭の中で再生する。
さらに、過去の出来事を何度も再現し、未来の出来事を予想してはまだ起きてもいないことに想いを巡らせている。トールによれば、人間は過去の記憶と未来の期待の中だけで生きている。過去と未来にばかり執着するために現在が犠牲になっている。けれども、いまあるのは、「今とここ」だけなのである(4p96)。
トールの人生の転機はケンブリッジの大学院生であったときに訪れた。いきなり至福を感じ、それから2年も強烈で完全な幸せに包まれながら公園のベンチに座って過ごすことになった。その後、トールはカナダに移住し、『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』(2002)徳間書店を執筆する。この書物はセレブの間で話題となり、ジム・キャリーとジェニー・マッカーシーは協働でこの書物を推薦する動画を作った(4p99)。
浮世離れし、今を生きるための具体的なアドバイスがないことが問題

「ネガティブな感情はないのですか」
このハリス氏からの質問に対して、トールは「ない」と答える(4p111)。トールは完全に陶酔したような雰囲気を持っていた(4p123)。ハリス氏はトールをインチキだとは思わない。悪人のようなオーラをまったく出していないからである(4p115)。
エセ科学のトンデモ理論や眉唾物の体験談はともかく、人間心理について驚くほどの洞察力を発揮している。そうハリス氏は、トールを評価する。けれども、トールの書物に対する最大の不満と弱点として、エゴと戦うための具体的なアドバイスや行動プランが一切ないのである(4p104)。
俗物そのもののチョプラ
トールとのインタビューの6週間後に、ハリス氏はディーパック・チョプラ(Deepak Chopra,1947年〜)とテレビ番組で出会う(4p117)。チョプラの年収は2200万ドル(4p130)。レディー・ガガからも最も人生で影響を受けた人物とまで評価されている人物である(4p133)。

「トールと出会った」と語るハリス氏に対して、チョプラは、「トールはそれほどいい書き手ではない」と開口一番切り捨てた(4p120)。そして、チョプラもトール氏と同じように、過去や未来をいっさい考えず、未来への期待も不安もなく、ただ現代だけを生きている(4p121)。フローと無理のない自然発生的な状態で生きていると主張する(4p131)。
けれども、現実のチョプラは自著のプロモーション活動に熱心で、カメラマンには「太って見えないように撮ってくれよ」と指示するように矛盾に満ちているのである(4p131)。ハリス氏は、浮世離れしたトールと異なり、チョプラのぎらぎらした野心の方がまだ好感が持てる、という(4p134)。
トールの主張の原点は仏教だった?
こうしたプロセスを経て、最終的にハリス氏がたどりついた解決策が瞑想であった。当初は「ヒッピーのお遊びだろう」と疑っていたが、ハーバード大学出身の医学博士、「ブッダのサイコセラピー」の著者であるマーク・エプスタイン(Mark Epstein,1953年〜)教授から瞑想の科学的な根拠を知らされ考えを改める(1)。

ネガティブに物事を考える傾向も仏教では、何も役に立たない思考であるとして、これを「戯論(けろん)」と名付けている。また、他人と比較する心は「慢」、欲しがる心は「欲」としている(4p145)。
けれども、欲を否定するのは向上心を否定することにつながるのではないだろうか。執着はよくないというが愛する人に執着するのもいけないのだろうか。手放すという概念は受け身的な生き方につながるのではないだろうか。また、幸せになることを目指しながら、一切皆苦という言葉があるのはおかしい(4p146)。ハリス氏は、エプスタイン博士と会ってみた(4p149)。
精神分析と異なりブッダのメソッドでは実際に苦を取り除ける
エプスタイン博士によれば、ブッダは世界最初の精神分析医とも呼べるという。しかも、セラピーでは問題の原因はわかっても救済はできない。フロイトでさえもセラピーで達成できるのは、激烈な悲痛を一般的な不幸にすることでしかないことを認めている(4p140)。けれども仏教は違うのである。
自分も愛する人たちもいつか必ず死ぬ。名声もいつか失われ美も衰える。普通なら見過ごしされがちなひとつの真理にブッダは注目した。このすべてが移り変わる世界の中で、永遠には続かないものに執着することが苦しみの原因となっている(4p143)。
誰も頭ではすべてが無常であることをわかっていても、それを感情のレベルでは受け入れられない(4p143)。すべてが自分の力でコントロールできると勘違いしている。そこで、ブッダによれば、真の幸せの道は、無常の概念を腹の底から理解することから始まる。不安は避けられないことを知る知恵。これが不安の智慧なのである(4p144)。
ハリス氏は、トールやチョプラとは違って具体的な実際に役立つ行動プランが仏教にきちんと存在することを知った(4p154)。例えば、瞑想をするとぼんやりするのではないかと思える。けれども、エプスタイン博士によれば、瞑想はむしろ精神を鋭敏にして洞察力を高める。これは、自己啓発の世界で猛威をふるっている100%のポジティブ・シンキングとは正反対のものである(4p176)。そして、初心者が仏教を知るため、カリフォルニアのスピリットロック(4p189)で開催されるジョセフ・ゴールドスタイン(Joseph Goldstein, 1944年〜)の「7月の瞑想合宿」という10日間で約1000ドルの合宿に参加することにする(4p186)。
接心での慈悲の瞑想でムディターを体験する

ハリス氏が参加した10日の合宿の食事はベジタリアンで(4p189)、歩くときも、食べるときもいつも意識的にゆっくりと行動し、自分の心に細心の注意を払うものであった(4p193)。また、早朝5時に起床し、1時間の瞑想を行い、それを延々と夜22時まで続ける。毎日約10時間も瞑想するのである(4p193)。また、パーリー語で書かれた仏陀への帰依と戒律を唱えるのであった(4p195)。
ハリス氏は2日目の段階ではウォーキング・メディテーションの意味もわからず(4p197)、ただ「瞑想が早く終わってくれ」とだけ考えていた(4p198)。3日目からは慈悲の瞑想が始まるが、ただただ退屈でうんざりしていた(4p208)。5日目には絶望的な気分となる(4p209)。そして、肩の力を抜いて瞑想をしてみようと考えた。すると、ついに何かを感じた(4p212)。眼の中では光が見える(4p213)。その後は、いま、ここに存在している感覚が感じられ、一瞬で現れる小さな思考にも気づけるようになった(4p215)。「無常」という概念がたんなる概念ではなく感じられるようになったのである(4p216)。そして、慈悲の瞑想を唱えると限りなく涙が溢れてきた(4p218)。そして、ドラッグの1000倍は気持ちが良い幸せの波が次々と押し寄せてきた(4p219)。ハリス氏はブッダの像に自然にお辞儀をしていた(4p223)。6日目には、五感が研ぎ澄まされて、恐ろしいほど精神が鋭敏になっていた(4p223)。部屋の向こうで食事をしている男性に対して、他人の幸せをともに喜ぶ、仏教で言う「喜(ムディター)」の感覚が急激に沸き上がっていた。あまりに強い感情で泣きたくなってしまう(4p224)。
しかし、その日の午後にはまったく何も感じられなくなってしまう(4p225)。8日目にハリス氏はゴールドスタインと面接して、瞑想に浮き沈みがあるのはあたりまえのことであることを知る(4p227)。
幸せを追い求めるとむしろ不幸になる
ゴールドスタインは、人間は一生自分を騙し続けるという。食事をすれば、パーティにいけば、休暇が来れば、セックスをすれば、昇進をすればと(4p255)、私たちは人生の大部分において「○○さえあれば」という思考に突き動かされている。そして、満たされない感覚は絶対に消えない。すなわち、幸せを追求することがかえって不幸の源になっているのである(4p256)。
瞑想が深まると1分当たりの気づきの量が増えていく
夜の7時の法話ではゴールドスタインはこうも語った。
「在家で修行をしている人が執着や欲を捨てることが不可能だと感じて当然です。たいていの人は聖アウグスティヌスの言葉の方に共感を覚えるはずです。『神よ、私に慎み深さをお与えください、しかし、今はまだいいです』」
笑いが起こる。悟りへの道はゴールドスタインによれば、まず瞑想中に集中力が極限にまで高まることから始まる(4p228)。
「瞑想を続ければ1分間で気づく数NPMの数値が上昇するでしょう」(4p226)。
NPM数が爆発的に増加すると、映画のように滑らかに流れていた世界が1秒が24コマに分解され、宇宙は原因と条件の広大な海という姿を表す。すべての物事がめまぐるしく変化し、すべてが無常であることを理解する。そこからは、恐怖の瞬間、落とし穴、罠という回り道がある。そして、最期に瞑想が真に目指す地点にたどり着く。人生の屋台骨であると思っていた自己が実は幻想にすぎないことを理解するのである(4p229)。
エゴが幻想であることを知ればネガティブ感情もなくなる
瞑想とはエゴをコントロールすることではなく、エゴそのものに実体がないことを理解することなのである。仏教によれば、自己という幻想があらゆるネガティブ感情の源泉となっている。一方、ありのままの姿では、人間はエゴよりもはるかに大きな存在で全体とつながっている(4p229)。そこで、自己が幻想であることが理解できれば、ネガティブな感情が精神から引き抜かれ、完全な瞑想が達成でき、猿の心はガゼルの心になるのである(4p230)。
悟りに向けた四段階
ゴールドスタインによれば、悟りには4段階がある。第一段階が預流果である。第二段階が、一度戻った人で「一来果(いちらいか)」、第三段階が戻らない人で「不還果(ふげんか)」、第四段階の完全に悟りを開いた人が「阿羅漢(あらかん)」である。そして、各段階がさらに16段階ずつに別れている(4p246)。
「状況に対する感じ方は変わらない。けれども、その感情に執着することはなくなる。必要以上に大げさにすることもなくなる。ただ感情がわきあがりとおりすぎていく」
「死ぬのは怖くないですか」
「その瞬間になるまでは誰にもわからない。けれども言う間の段階では怖くない」
実際にゴールドスタインを見ていると普通の人よりも幸せそうであった(4p247)。けれども、 何十年も修行を積んでいるエプスタイン博士でも、ゴールドスタインとは違って悟りの第一段階にまでまだ達していないという(4p254)。
効率性をあげるため大企業が座禅を取り入れ始めた

瞑想が企業で受け入れられたのは、スピリチュアルな面には一切ふれず、集中力が高まり、創造性や革新性が広がるという実務面が強調されたからだ。マルトゥラーノによれば、脳科学の研究から人間の脳は一度にひとつのことしかできないことが判明したという。これは同時に多くのことをしているのはバリバリ仕事をしているように見えて実際には生産性を下げていることを意味している(4p263)。メールをチェックするのはその時だけにし、会議のときは会議だけを行い、電話の時には電話だけをし、一定時間毎に頭を休める小休止をしたほうが、集中力や思考力が向上し、創造的にもなることがわかってきたのだという(4p264)。
いま、ここに集中する
ブッダによれば、人間は三つの方法で物事に対応する。望ましいと思うか。拒絶するか。ぼんやりしているかである。ただ、これとは別に四番目の選択がある。自分が考えたことに判断を下さず、ただ客観的に眺めるというやり方である(4p165)。仏教のたとえでは、自分の心を滝だとすると、落ちる水が「思考」と「感情」であり、滝の後ろにある空間が「身アンドフルネス」なのである(4p168)。
瞑想のおかげで退屈もしなくなった。時間があれば自分の呼吸に意識を集中するか、ただ周りの状況をありのままに眺めるようになった(4p163)。
ほとんどいつも、あちこちに飛ぶ思考のカーテンを通じて世界を見ていたことに気づいたのである。普段の生活でも「いま、ここ」に集中することを心がけたおかげで、静謐(静謐)とい地下水脈に碇をおろしたような感覚を覚えるようになった(4p164)。
瞑想は脳を変化させる
ハリス氏は、ヒッピーやニューエイジに対して嫌悪感を抱いていた(4p155)。そこで、瞑想が科学的にも研究されていることを耳にして、ハリス氏は衝撃を受ける。カウンターカルチャーであったはずの瞑想が、いまや科学界の主流になっていたのだ(4p257)。
例えば、ハーバード大学がMRIを用いて行なった大規模な研究により、マインドフルネス・ストレス軽減法(MBSR=Mindfu lness-based stress reduction)を8週間行なうと、自己認識や思いやりを司る前頭前皮質の部位が大きくなる一方、ストレスと関係する最も古い部位の脳幹が小さくなることがわかった。
また、脳のデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)は、過去を思い出したり未来を予想したりと思考に没頭すると活発になるが、イエール大学の研究では、瞑想を習慣化させると、瞑想をしている時だけでなく、日常時にもDMNが不活発になることがわかった(4p259)。
すなわち、脳内での無意味なおしゃべりが沈黙し、周囲で起きていることをただ気づき、現在を味わう気持ちを大切にすると言う心境変化が脳科学的に説明できるのである(4p260)。瞑想は暴走する思考を制御するための地道な脳の反復練習だったのである(4p161)。
地に付いたダライ・ラマ〜慈悲の瞑想は自分のため
「科学的な発見が仏教の教えと矛盾したらどうするのか。信じていることが否定されたらどうするのか」というハリス氏の質問に対して、ダライ・ラマは「ただその事実を受け入れ信仰を変えます」と答える。
「こころがいつも平静ですか」という問いかけには「いえ、そんなことはありません。たまには癇癪をおこすこともありますよ」と答える(4p270)。
エックハルトやチョプラよりもはるかにまともなのである(4p271)。
また、ダライ・ラマは、慈悲の心を持つことと自己愛も両立できることを示唆する。
「仏教は慈愛が大事とか言うがそれは偽善ではないか」との問いかけに「他者の幸せを願う気持ちを育てれば、それはそのまま自分にとっても大きな利益になるからです」(4p271)。「慈悲の心を実践すると最終的には自分の利益になります。ですから、人間は自分勝手だが、愚かな自分勝手ではなく、賢い自分勝手になりなさい、と言っているのです」とダライ・ラマは答える(4p272)。ダライ・ラマは地に足が着いている(1)。
慈悲の瞑想には脳科学的根拠がある
自己愛があるからいい人にもなれるというダライラマの主張には科学的な根拠もある。慈悲の瞑想を行なうとストレスホルモン、コルチゾールの分泌量が大幅に減少する。これは、慈悲の瞑想を行なえば、ストレスに効果的に対応できるように身体が変化することを意味している(4p273)。また、義務感ではなくボランティアで他人に親切にすると、それが快楽として脳に認識される「ぬくもり効果」があることもわかってきた(4p274)。
慈悲の瞑想をしていると、より同情心に溢れ、孤独であるよりも他人と過ごす時間が長くなり、よく笑い、「私」という単語を使う回数が少なくなることが、ウィスコンシン大学マディソン校の「健康な精神研究センター」のリチャード・デヴィッドソン(Richard J. Davidson, 1951年〜)の研究によってわかった(4p274)。
人間は利己的な存在で、道徳心は卑劣さという底なし沼の表面に張り付いているだけにすぎない、というダーウィニズムの適者生存の考え方は間違っており、他者のために自分を犠牲にする部族は他の部族よりもむしろ繁栄することがわかってきた。そして、これは、個人にも適用できそうなのである(4p275)。
慈悲の瞑想によっていい人になれる
ハリス氏は実験として慈悲の瞑想を取り入れてみる。ブッダによれば、夜が良く眠れ、顔つきが晴れやかとなり、人間や動物から好かれ、天界の存在から守られ、生まれ変わってからも幸せになれるという(4p276)。それはともかく、誰もが切り離されたエゴで争いあっている。そこで、週に2回慈悲の瞑想を取り入れてみた(4p277)。
何カ月かたつと様々な変化が訪れた。とはいえ、いきなり聖人君子になったおか、ありがたい後光がさすようになったとかではない。ただ、いい人でいることが日々の生活での優先事項として意識されるようになったのである。
マインドフルになっていると怒りの感情はより鋭敏に感じられる。けれども、ネガティブモードから解放されると、被害妄想のレベルが下がり、判断力が高まり、さらに幸せになるという循環が生まれる。いい人でいた方がよい(4p278)。もちろん、野心を持って頑張ることはよいことだが、結果を自分で思い通りにはできないことを自覚しておけばよい(4p303)。
幸せはスキルである〜いまよりも10%幸せになるというキャッチフレーズ
以前には人間の脳は成人になると変化しないと考えたれてきた。けれども、神経には可塑性があり、瞑想によって脳の構造を作り変えることが可能なことがわかってきた。もともと幸せ「happy」の「hap」は「運」を意味するが、このことは、「幸せ」が偶然に左右される運ではなく、スキルであることを意味している(4p261)。
10日目の瞑想を終えたハリス氏は、変人だと思われずに自分の瞑想について話す方法を考えていた。にわかに瞑想の達人とされてしまったからである(4p238)。また、合宿中の至福を体験したことから自分が学んだことを是非他の人にも伝えたいと思っていた(4p240)。
けれども、瞑想のことを聞かれれば、気まずそうに黙ってしまうか、ムキになってマインドフルネスの素晴らしさを論じるかの両極端しかなかった。そそいて、いずれも相手の目にはかすかな恐怖の色がうつる(4p239)。そこで、とっさに思い付いたフレーズが「瞑想すると今よりも10%幸せになれる」ということだった(4p240)。
自己啓発によるある大言壮語よりも信頼でき、かつ、投資した分のリターンはきちんと満たされている決めゼリフではないか(4p241)。自分の精神をきちんと見つめないと人生を知ることもできない。けれども、10%にとどまることはなく、100%の幸せ、すなわち、悟りも可能なのである(4p245)。
ハリス氏の画像はこのサイトから
トール氏の画像はこのサイトから
チョプラ博士の画像はこのサイトから
エプスタイン博士の画像はこのサイトから
ゴールドスタインの画像はこのサイトから
ジャニスの画像はこのサイトから
【引用文献】
(1) 2014年6月21日suzuki yu「瞑想は人生を10%だけ幸せにする」
(2) 2015年6月7日 suzuki yu「グーグル社員5万人の「10人に1人」が実践する最先端の瞑想プラクティス」
(3) 2015年6月17日suzuki yu「くやしいが「慈悲の瞑想」はやっぱりメンタルに効果があるようだ」
(4) ダン・ハリス『10%HAPPIER』(2015)大和書房