2016年03月16日

慈悲の神経科学G〜自分への慈悲瞑想で幸せになる

16Kristin Neff.jpgクリスティン・ネフ(Kristin Neff)博士は、カリフォルニア大学バークレー校で1997年に人間開発で学位をえた。博士は、オースティンのテキサス大学(University of Texas)の人間開発と文化の准教授である。博士は、自己への慈しみの分野のパイオニアで、10年以上も自己への慈しみへの最初の経験的研究を実施してきた。数多くの学術論文に加え、2011年にウィリアムモロー(William Morrow)から出版された「自己への慈しみ(Self- Compassion)」の著者である。博士の仕事は、ニューヨーク・タイムズ、MSNBC、ナショナル・パブリック・ラジオ、サイエンティフィック・アメリカン、サイコロジー・トゥディを含め、幅広くメディアから受け入れられている。同僚であるクリストファー・ゲルマー(Christopher Germer)博士と連携して「マインドフル・セルフ・コンパッション(MSC= Mindful Self-Compassion)」と呼ばれる8週間の教育プログラムを開発し、世界中で自己への慈しみのワークショップを提供する。ビデオ、ガイド瞑想、エクササイズ、研究論文、自分自身の自己への慈しみレベルのテスト方法を含めて、自己への慈しみについての情報は-www.self-compassion.orgで入手可能である。博士は、彼女の自閉症の息子を癒すため、馬の背でモンゴルを旅した彼女の家族の旅の記録、ベストセラー本、受賞したドキュメンタリー『馬の少年(The Horse Boy) 』でも知られる(p509)

16Christopher Germer.jpgクリストファー・ゲルマー(Christopher Germer)博士は、マインドフルネス、受容、慈悲ベースの精神療法を専門とする民間の臨床心理学者である。博士は、瞑想・精神療法研究所(Institute for Meditation and Psychotherapy)の設立メンバーで、過去27年、ほぼハーバード・メディカル・スクールの心理学の臨床インストラクターであった。ゲルマー博士は、『自己への慈しみへのマインドフルな道(The Mindful Path to Self-Compassion)』の著者であり、『Mindfulness and Psychotherapy』『Wisdom and Compassion in Psychotherapy: Deepening Mindfulness in Clinical Practice』の共著者である。博士はマインドフルネスと自己への慈しみで国際的に講義やワークショップを行っている(p499)

自分を責めるネガティブ思考に陥りがち

 人から拒否され、物理的にも問題を抱え、仕事上でも大失敗を犯す。こうした人生での難題やストレスにどう対応されているだろうか。私たちはネガティブな経験には本能的に戦うようにできている。そこで、大半の人たちは、状況が悪化すると自分を咎める。

 西洋文化は、悩み苦しむ友人や家族、隣人に対して親切であることを重視する。けれども、こと自分自身のこととなるとそうではない。ミスを犯したり、失敗をしたときには、まず自分を責めてしまう。トラウマ的な出来事や事故等、自分のコントロール力を超えたことに対してさえ、自分を慰めるよりも問題解決に重点をおきがちである。けれども、残念ながら、この傾向はさらに傷を深めるだけなのだ(p291)

自尊心を維持するためにはポジティブ思考が必要

 精神の健康には自尊心(self-esteem)は欠かせない。自尊心を欠いていると、不安を抱えて憂鬱となり、幸せになれないことは広く認められている(p298)。自尊心とは、自分自身をポジティブに評価する度合のことだ。とりわけ、米国文化では、高い自尊心を持つことが求められる(p295)

 けれども、この自尊心には問題がある。自尊心を維持し続けることが、先入観を抱いたり、ナルシシズムに耽ったり、他人を虐げたりといった問題行動につながることが研究からわかっているからだ。おまけに、こうした自尊心は、自分がスマートで魅力的であったり、人気を得ているといったことが条件となりがちだ。そこで、成功しているかどうかでたえずゆれうごく。また、ポジティブな自己評価にも依存する(p298)

悪いことが起きたとき自分自身に優しくする

 けれども、もし、何かが悪いと感じた時に、一瞬心を静めて、自分自身を慰めてみたとしたらどうなるだろうか。自分の欠点に気づいた時も、厳しく自己批判をするのではなく、自分自身にもっと優しくしてみたらどうなるだろうか。

 苦しみに対して敏感となり、苦しみから救い出したいと深く願う。これが「慈悲」だ。そして、この「慈悲心」を内なる自分自身に対して向けたものが「自己への慈しみ(self-compassion)」である。

 自分の犯したミスや失敗を考える時も、不十分な自分をけなしてみたり、叱りつけたりといった残酷な態度を取るかわりに、無条件の受容と暖かさを持って情け深く自分を励ます。耐え難い外的状況に直面したときも、自分ではコントロールできない辛い人生の状況に対して自分をなぐさめる。これが自己への慈しみだ(p291)

自尊心と同じく自己への慈しみも幸せ感情につながる

 研究からは、自尊心も自己への慈しみも幸せな感情と関連し、心配事や憂鬱が減り、より幸せで、楽天主義で、人生に満足できることがわかっている。そして、自己への慈しみが自尊心と関係していることもわかっている。いずれも自分に対するポジティブな感情から構成することからこれは驚くべきことではない(p298)

 例えば、デューク大学のマーク・リチャード・レアリー(Mark Richard Leary, 1954年~)教授らの研究によれば、スポーツ競技でチームが敗北した場合にも、自己への慈しみが大きい場合は、悲しさや屈辱感といったネガティブな感情がさほど報告されず、より平静でイラつきもなかったことがわかっている(p298)。そこで、自尊心と自己への慈しみは表面的には同様なものと思われがちだ。けれども、両者を区別することが重要である(p295)

自尊心が高い人は無理をしてもポジティブ評価を求める

 テキサス大学のウィリアム・スワン(William B. Swann, 1952年〜)教授は、趣味や将来の夢等を簡単に自己紹介してもらい、そのうえで、オブザーバーからこの自己紹介についてポジティブやネガティブなフィードバックを下すという実験をしてみた。

 すると、自己への慈しみが高い個人は、評価がポジティブであってもネガティブであっても、自分のパーソナリティに対するそのフィードバックを同じように受け入れた。けれども、自己への慈しみが低い個人は、フィードバックがネガティブな時には防衛的となり、ポジティブだったときにのみ、それが自分の個性なのだとオブザーバーの評価を認めた。

 一方、自尊心ではこれとは逆のパターンが見出された。評価がポジティブであってもネガティブであっても、そのフィードバックを同じように受け入れたのは、自尊心が低い個人だった。そして、自尊心が高い個人は、フィードバックがポジティブであったときにのみ、それが自分自身のパーソナリティなのだとして受け入れたのである(p298)

この研究は、自己への慈しみがあれば、自分のパーソナリティのポジティブな面だけでなくネガティブな面でも、それを認めて受け入れられる一方で(p298)、高い自尊心を維持するためには、ポジティブな自己評価に依存しなければならず、ポジティブな自己評価を守るために認識の歪みがもたらされてしまうことを示唆している(p299)

自尊心は他者の評価が必要だが自己への慈しみはいらない

 一方、自己への慈しみは、ポジティブな判断や評価には基づかない。自分が特別な存在であったり、平均以上であるからではなく、ただ人間であることから、自分自身に慈しみを感じる(p298)

 自尊心がナルシシズムと大きく関連するのに対して、自己への慈しみは、ナルシシズムとはまったく関連性がない(p299)。世界でトップであるときも落ち込んでいるときも関係ない(p298)。このことは、自己への慈しみが高ければ、無理に自分を高く評価したり、他者よりも自分が優れているといった感覚をいだく必要がないことを意味する(p298,p299)。すなわち、他人と較べて自分の方が上だとか、ある基準を満たしているとかいった自分に対するポジティブ評価に依存しない。ここが、自己への慈しみが、自尊心と決定的に違う点なのだ(p298)。他人が自分をどう評価するのかも気にしない。そこで、無理に自己防衛をしたり、怒って反発して悩んだりする必要がない(p299)

 ネフ博士らがオランダで行った大規模な調査では、自分を良いと感じるうえでは自己への慈しみの方が自尊心よりも健全なことが明らかとなった。そして、自己への慈しみは、自尊心よりも暖かい感情が8カ月間も安定していた(p299)。つまり、自己への慈しみは、自尊心よりも感情的により安定性をもたらし(p298)、感情的なレジリアンスをもたらすことができる(p291,p298)。傷ついても急速に回復して立ち上がるすることが可能なのだ(p291)。そして、自己への慈しみは誰でも学べる。たとえ、幼少期に十分な愛情を受けられなかった人でも、自分に優しくあることを躊躇する人でも学べる(p291)

まず不健全な自分を認める思いやりが慈悲の中心

 様々な仏教の老師たちの言葉を活用して、ネフ博士は、自己への慈しみが主に三要素からなっていると判断する。

@優しさ、Aあたりまえの人間感(sense of common humanity)、Bマインドフルネスだ。そして、この三要素が相互作用することによって自己への慈しみの枠組みは作り出されていくという(p291)

 自己への慈しみの中心となるのが、思いやりである。これは、どの人間も傷のある作品であって、完璧ではなく(p294)、誰もが失敗し、誤りを犯すことを認めることから始まる(p291,p294)。例えば、毎日、私たちは、非現実的な完璧なスタンダードを掲げ、それを達成できない自分に鞭打っている(p291)。とかく、苦しんでいたり、自分の欠点を考えていると、自分自身を弱く無価値な人間だと考えることに夢中になって、孤立しがちだ。同じく、外的状況が悪化すれば、自分にとくにトラブルが起きていなくても、他の人たちはもっと楽に過ごしていると羨むことが多い。そして、健全で幸せな暮らしを送っている人たちとは自分は別なのだと孤立感を覚えてしまう。けれども、これは、論理的ではなく、より大きな視野を失ったある種の視野狭窄(tunnel vision)状態にいることに他ならない。けれども、自己への慈しみがあれば、視野は広がり、人生の難題や個人的な失敗も、人間の一部であることだと認められる。これは、私たちが苦しいときに、他者とつながり、孤立していないと感じる助けになる(p294)

マインドフルネスによって自己への慈しみが育める

判断をしないマインドフルネスでは辛い感情から逃避しないことが可能となる

 人生の難題に対峙している時には、まず立ち止まって、どれだけ自分が苦しんでいるのかを確かめることが必要だ。けれども、まっしぐらに問題解決を目指して露頭に迷ってしまうことが多い。そこで、こうした苦しい思考や感情から逃避する傾向に対抗して、たとえ不愉快な時であっても、真実を経験することが必要である。そして、それを可能にするのが、マインドフルネスなのである。

 マインドフルネスとは、いまの瞬間に「気づく」ことを意味する。いまの瞬間の経験に判断を下さず、逃避したり抑制せずに「オープン」に受け入れる。こうすることで、どのような思考、感情、感覚にも「気づく」ことが可能となる(p294)

マインドフルネスでネガティブ思考と感情の反芻から抜け出せる

 また、私たちは、「私が失敗した」ではなく「私は失敗者である」。「私は失望している」ではなく「私の人生は失敗である」とネガティブな思考や感情をを反芻しがちである。これは私たちの視野を狭める。けれども、自分の痛みをマインドフルに観察すれば、苦しみを誇張することなく認めることができる。自分自身や自分の人生に対してより賢く、より客観的な視点を持てる(p294)

マインドフルネスは自己への慈しみに欠かせない

 自己を慈しむには、苦しんでいる自分を認めることが必要である。そして、自分が苦しんでいることは自明のことのように思える。けれども、その苦しみが内なる自己批判から生じている時には、たいがい、自分がどれだけ苦しんでいるのかを認めない。したがって、マインドフルネスは、自己への慈しみを経験するうえで欠かせない要素なのである(p294)

 けれども、マインドフルネスと自己への慈しみは同じではない。

 第一に、自己への慈しみを伴うマインドフルネスのタイプは、一般的なマインフルネスに比べて、そのスコープが狭い。一般のマインドフルネスでは、受容と平静さ(equanimity)をもって、ポジティブであれ、ネガティブであれ、ニュートラルであれ、どのような経験にも気づける能力のことである。これに対して、自己への慈しみのマインドフルネスでは、ネガティブ思考や感情に巻き込まれた自己がバランスがとれていることを意味する。

 第二の、違いはそのターゲットにある。一般のマインドフルネスは、経験者としての自己よりも、内なる体験(感覚、感情、思考)に焦点をおく傾向がある。これに対して、自己への慈しみは苦しむ自己に向けられる(14章)(p294)

マインドフルネスでも自己の慈しみが高まる

 自己に対する親切さVS自己批判、共通する人間性VS孤立、マインドフルネスVS自意識過剰等、様々な自己への慈しみのディメンジョンを測定する26項目の尺度が開発されている(p295)

 そして、ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn)が開発した「マインドフルネスストレス軽減プログラム(MBSR= Mindfulness-Based Stress Reduction)」も自己への慈しみを伸ばすうえで効果的である。マインドフルネスとは、いまの瞬間に思い浮かぶ困難な考えや感情に気づいたうえで、それを判断せずに受け入れるテクニックである。実際、マインドフルネスによって自己への慈しみがかなり高まることが研究から明らかになっている。また、マインドフルネスで幸せ感が高まる鍵は、自己への慈しみにあると示唆する研究者もいる(p306)

マインドフル・セルフコンパッション・プログラムではさらに自己の慈しみが高まる

16-2.jpg とはいえ、マインドフルネスのプログラムは、マインドフルネスを強化するテクニックを教えることに重点がおかれているため、自己への慈しみのスキルに費やされる時間は相対的に少ない。そこで、クリストファー・ゲルマー(Christopher Germer)とクリスティン・ネフ(Kristin Neff)は「マインドフル・セルフコンパッション(MSC= Mindful Self-Compassion)」と称されるスキルを教える短期プログラムを開発した(詳細はボックスI)。

 マインドフルネスストレス軽減プログラム(MBSR)を研究した5つの文献によれば「自己への慈しみ尺度(SCS=Self-Compassion Scale)」で平均0.44ポイント(範囲0.11〜0.61)増え、別の3つのマインドフルネス認知セラピー(MBCT=mindfulness-based cognitive therapy)の研究では、平均0.30ポイント(0.22〜0.38)増えた。一方「マインドフル・セルフコンパッション(MSC= Mindful Self-Compassion)」では、5ポイント尺度で1.13ポイントも増えた。

 図をご覧いただきたい。自己の慈しみ(self-compassion)、マインドフルネス(mindfulness)、他者に対する慈悲(compassion for others)の割合の増加を示したものだ。このランダム化実験では、対象群(N = 27、82%女性、平均年齢49.11歳)に対して、実験群(N = 24;78%女性、平均年齢=51.21歳)では自己への慈しみのレベルを43%も増やしていることがわかる。このことから、「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」の具体的なスキルの教えで、自己への慈しみレベルが効果的に高まることがわかる(p307)

自己への慈しみで憂鬱は減らせる

 当初は、マインドフルネスと自己への慈しみのいずれもが、ストレスを減らし、人生への満足感を高めるのではないか、と予測されていた。また、自己の慈しみではなく、マインドフルネスの増加が、感情的な逃避(emotional avoidance)を減らすと予想されていた。けれども、さらに、「マインドフル・セルフコンパッション」プログラムと関連して、不安や憂鬱が減るのは、マインドフルネスのためではなく自己への慈しみが高まることによることもわかってきた(P308)

 多くの研究から、自己への慈しみがあると不安や憂鬱が少ないことが見出されている。不安や憂鬱をもたらすのは自己批判だが、自己への慈しみによって、この自己批判が減るからである。そして、ネフ博士ら(Neff, Kirkpatrick and Rude)の調査によれば、自己への慈しみレベルが高い人は、それを欠く人たちに比べて、反芻も少ない。この反芻が減ることが自己への慈しみのメリットの鍵である。自分の欠点を受け入れることで、ネガティブ・サイクルを壊せるからである(p295)

 臨床分野における自己への慈しみの研究はエキサイティングである。批判的な母親を持ち、アタッチメント・パターンが不安定な障害のある家庭出身であると、自己への慈しみを欠くケースが多い。心理セラピーの患者は、家族環境に問題があることが多いことから、自己への慈しみを伸ばすことで恩恵を得るであろう。

 自己への慈しみは精神療法とも関係し、精神療法によって自己への慈しみが産み出されるとすれば、それは、療法を理解するうえでた重要な意味を持つ。ネフ、カークパトリックとルード(Neff, Kirkpatrick and Rude)は、1カ月以上の間隔をおいて自己への慈しみの変化を患者がどのように経験したのか、その変化を追ってみた。クライアントが自己批判を減らし、自己への慈しみを抱ける支援としては、「ゲシュタルトの二つの椅子テクニック(Gestalt two-chair technique)」が用いられた。

 自己への慈しみのレベルが高まることで、自己批判、憂鬱、反芻(rumination)、思考抑圧(thought suppression)、不安が減ることがわかった。

 ポール・ギルバート(Paul Gilbert)は「慈悲心修業(CMT=Compassionate Mind Training)」と呼ばれるグループ・セラピー介入を開発している(第3章)。慈悲心修行は、とりわけ、自虐習慣が身に着いた人々が自己への慈しみを開発できるようにデザインされたスキルである。このパイトット研究でも、慈悲心修行プログラムを参加した後、患者の憂鬱、自虐、恥辱、劣等感はかなり減り、研究の終わりにはほぼ全員が、病院から退院できると感じていた(p303)

 自己への慈しみは、難しい感情に対応する際にも効果的な方法である。例えば、Sbarra, Smith & Mehlは、離婚経験者を対象に対話内容にどれだけ自己への慈しみがあるのかどうかを評価する研究を行い、離婚後の心理的なケアに役立つことを見出している。自分たちの破綻を話す際に、自己への慈しみを表した人たちは、心理的に調整力が高く、その効果が9カ月以上も持続することを見出している。

 また、自己への慈しみは、幼少期のトラウマ解消にも役立つ。Vettese, Dyer, Li and Wekerleは、自己への慈しみの報告レベルと、幼年期の虐待やその後の感情失調症(emotional dysregulation)と関連があることを見出している。これは、自己への慈しみによって、トラウマを持った人々もより生産的に人生をやり直せることを示唆している(p307)

自己への慈しみは動機づけに効果的でより成長できる

 多くの人たちは、動機づけのためには自己批判が必要だと考えている。自己を慈しみすぎれば、自己満足し怠惰となってしまうというわけだ。建設的な自己批判は確かに必要である。けれども、厳格すぎる自己批判は、人を憂鬱にし、自信(self-confidence)を失わせてしまう。

 研究からも、人が学び成長していくうえでは、自己への慈しみが動機づけを強化することにつながることが示されている。例えば、ネフ博士たちは、「自己への慈しみと学習目標の研究」で、パフォーマンスとしての目標よりも自己への慈しみのほうが重要なことに気づく。

 学ぶことそのものを重視する学生たちは、新たなスキルを学ぶことに対する好奇心や要望で動機づけられ、誤りを犯すことも学習プロセスの一部とみなす傾向がある。けれども、パフォーマンス志向の学生たちにとっては、成功は自分の自尊心を守ったり、強化する手段であるため、失敗を恐れる傾向がある。

 ネフ博士らは、最近中間の試験に失敗した学生たちの反応も調査し、自己を慈しむ場合は、自己批判を減らすことと関連して、失敗に対する恐れが少なく、自分の失敗を学習経験として、より受け入れられることを明らかにした(p299)。つまり、ネガティブな感情に圧倒されず、困難な感情を経験し、有効で重要なものとしてそれを快く認められるかだ(p295)

 自己を慈しむ人たちも、自己への慈しみを欠く人たちと同じほど高い目標を目指している。けれども、たとえ目標を満たせなくても、悲しんだり、イラついたりせず、また起き上がり、再び挑戦していく。

 すなわち、自己を慈しむ場合は、自己満足して、ただ現状を受け入れるのではなく、失敗を自分の価値とつなげないため、失敗からも成長できるのである(p299)

 また、自己を慈しむ人たちは、ダイエット]、禁煙等、健康と関連する行動にも従事することが見出されている。自分自身をケアし、幸せで、健康でありたいため、自分の人生に生産的な変化を起こすことに動機づけられているのである(p299)

自己への慈しみと対人関係

 このように自己への慈しみは個人の心理面で役立つが、対人関係も良好にする。例えば、カップルの研究からは、自己への慈しみがある方が、よりパートナーに感情的につながり、暴力や口論が少なく、より相手を受け入れて相手の自律をサポートすることがわかっている。

 また、自己に慈しむ人たちは、過去の誤りの責任を負って誰かを傷づけたときには謝罪もする。例えば ブレイネスとチェン(Breines and Chen)による最近の研究によれば、自己に慈しむインストラクションを受けたグループは、起きた失敗を悔やむよりも、結果を修復し再び失敗を繰り返さないよう動機づけられることを明らかにしている。自己受容があれば、誠実に自分の非を認めることが容易になるからである。

 また、自己を慈しむ人々は、他者に対しても多くの慈悲心を抱く。ネフ博士ら(Neff and Pommier)による最近の研究では、自己に慈しみのある人は、他者をより思いやり、許し、利他的であることがわかっている。そのうえ、他者の苦しみを考慮する際にも、さほど個人的な悩みを経験しなかった。このことから、自己への慈しみが、ケア業務じ従事する人たちをバーンアウトから救ううえで重要なスキルであることがわかる(p307)

自己への慈しみはよりよい人生を可能とする

 また、自己への慈しみには生理学上の効果もある。ブリストル大学のヘレン・ロックリフ(Helen Rockliff)博士らは、自己への慈しみを高めるエクササイズによって、ストレスホルモン、コルチゾルが減らせることを見出している。これは、ストレスを受けたときに、自分をなだめる能力が大きいことと関連している(p295)

 要するに、マインドフルネスも慈悲(compassion)も、いずれも心の健康を高めるうえでは重要な手段だと言える。そして、心理学的な機能からみると、双方にオーバーラップする効果がある(P308)
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図は、総合的な人生への満足度と幸せを表したものだ。頭をご覧いただきたい。このプログラムは、憂鬱、不安、ストレス、感情的な逃避をかなり減らし、人生の満足をかなり増やすことがわかるだろう(p307)。自己への慈しみが、幸せ、人生への満足、楽天主義、好奇心、熱狂、興味、インスピレーション、興奮といったポジティブな感情と強く結び付くことは驚くことではない(p295)。さらに、自己への慈しみは、ネガティブな感情をポジティブな感情に置き換えるのではなく、新たなケアやつながりというポジティブな感情がネガティブな感情を抱擁することによって、双方を同時経験できるようにするのである(15章)(p295)。また、どの研究結果も、成果が半年や1年後のフォローアップでも維持された。さらに「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」の1年のフォローアップ以降に生活の満足度は増加している。これは、自己への慈しみの修行を続けることで、人生の質を高め続けられることを示唆する(P308)

 自己への慈しみは、人々が慢性的な苦しみに対処することを助け、日常生活において感情のバランスを維持し、幸せを強化し、より健康的でいることを可能にするのである(p307,p308)

【引用文献】
Kristin Neff, Christopher Germer, “Chapter 16 Being Kind to Yourself The Science of Self- Compassion”



posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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