
感情と動機づけとしての慈悲
慈悲の性質を、心理学と神経科学からはっきりさせてみたい。さらに、慈悲のニューロン的なベースだけではなく、慈悲を構成する認識、動機、社会感情プロセス(socio-affective processes)も識別してみよう。そのためには、まず、慈悲を定義しておかなければならない(p179)。
一般的に慈悲は「他者を救うことに対する望みと結びついた、他者の苦しみへの深い自覚」「他者の苦しみを目にして生じる感覚。それに続いて起きる助けるための望みに動機づけられる」と定義される。この理解からすると、慈悲は感情(考慮する感覚)と動機づけ(苦しみを緩和することへの意志)の両者からなることがわかる(p179)。
存在のあり方や人生への態度としての慈悲
一方、感情や動機づけというよりも、慈悲は、現実にアプローチする人生への態度だという見方もある。これは慈悲の瞑想的観念(contemplative notions of compassion)とパラレルである。例えば、マサチューセッツ州のウィリアムズ大学(Williams College)のチベット仏教学のジョージ・ドレイファス(Georges Dreyfus,1950年〜)教授は、仏教においては、慈悲は、磨いたり発展できるメンタル的な要因とみられている、と主張する(p179)。つまり、慈悲には、感情や動機づけ(fleeting emotional-motivational state)としての「狭い慈悲」と、存在のあり方、現実にアプローチし、どのようにして生きるのかという人生への態度として「幅広い慈悲」と二つにわけられる(p179,p188)。
熟練者の慈悲は感情につながらない
ドレイファス教授は、初心者と慈悲の修行を積んだ人々とを区別し「感情と関連づけられる種類の心理的な特徴は、前者だけで表われるように思える」と記述する。
「初心者は、慈悲に圧倒されると語ることが多い。慈悲に深く動かされ、時には泣くこともある…。こうした感情は、マインドの平和を乱さないことからポジティブではある。けれども、それはマインドを動かす。けれども、彼らも進歩すればその慈悲は変わるであろう。それは通常の意味でさほど感情的なものではない。こうした慈悲は『平静(equanimous)』と呼ばれる。それは非常に強く、初心者のそれよりさらに強い…。けれども、ずっとバランスが取れ、感情の爆発をもたらさない」(p179)
この場合、慈悲は他者の苦しみや喜びに感情的に呼応する必要がないことにつながる。
ダライ・ラマ法王との対話でカリフォルニア大学サンフランシスコ校人間相互関係研究所ポール・エクマン(Paul Ekman,1934年〜)所長も、慈悲は感情ではないとの見解からこう語っている。
「感情は磨く(cultivated)必要がないが慈悲は磨ける。リアリティに対する知覚を感情は歪める。けれども慈悲は歪めない」(p179)。
そして、慈悲のハリファックス(Halifax)モデルも、慈悲が感情ではなくメンタル的な状態(mental disposition)であるとする(8章、9章、18章) (p179)。この幅広い慈悲はさらに3領域からなる。存在、感情、そして、視点取得である(p188)。
今の瞬間に没頭していた方が幸せである
さて、数多くの瞑想の伝統では、満ち足りた人生の基礎は、いまの瞬間に気づく能力にあるとしてきた。近代心理学の最近の発見は、この古代の知恵を裏付ける。例えば、米国の成人、2250人を対象とした研究では、ネガティブなことよりもポジティブなことを考えている方が幸せが感じられたが、最も幸せに感じられたのは、やっていることに完全に没頭していた時間、すなわち、心がまったく揺れ動いていない時であった。
将来の計画を立てる場合など、いまの瞬間に存在しない何かについて考えることは必要だし、有益な状況はある。けれども、自分が幸せになることからみると、いまの状況に気づいて、いまの瞬間へとマインドを引き戻す能力を持つことが望ましいことがわかる(p181)。すなわち、過去や未来ではなく、いまの瞬間に起きていることに対する気づきを鋭くすることが大切である(p180)。
そして、慈悲を育むためには以下の二要素が必要とされる。
@ 外での出来事から内なるメンタルな出来事(内省= introspection)や身体の出来事(内受容= interoception)にフォーカスを転じること
A 「気づき(attention)」の能力。そして、それと関連してマインドを安定させる能力(p180,p181)
この能力をまとめて「いま(presence)」と呼ぼう(p180)。
内なる感覚を自覚する力が高い人は他者の感情も理解できる
内なる意識とは、身体の内部の状態、筋肉のこわばりや呼吸、臓器の活動に気づく能力のことである。身体からのシグナルに意識をあわせることは、「いま」の瞬間にいることに役立つ。というのも、思考が、過去や未来や離れた場所に関わるのとは違って、身体からのシグナルは、常に、「いま」「ここで」で起こっているからである。この内なる身体の自覚は、自分自身や他者の感情を認識する基礎として、慈悲においても重要な役割を演じる(p181)。
神経学的いえば、身体からのフィードバック情報は、「島皮質(insula)」で処理される。島皮質は、感情を経験するときに活性化する。自分の感情認知に問題がある人は、島皮質や感受性皮質(interoceptive cortex)の活動が減っている。
興味深いことだが、内なる意識の自覚(interoceptive awareness)は、他者の感情に気づく能力と関係している。すなわち、自分自身の身体感覚に気づく能力が高い人は、他者の感情についても正確な判断を下せるのである。そして、他者の苦しみに感情移入するときに活性化するのもこの島皮質である(p182)。
したがって、身体感覚に気づいていることは与えられたどの瞬間でも「いま」起きていることにい続けられるだけでなく、自分自身や他者の感情に気づけるのである−これは慈悲で必要される二つの能力である(15章)(p183)。
気づきの脳
「いま」に完全に「存在」していることは、手近な「対象」に意識を向け、かつ、それを維持し続けることを意味する。このとき、実際の心の活動と意図とのコンフリクトとを神経認知機能は解決しなければならない。この機能には、前帯状皮質(ACC=Anterior cingulate cortex)と前頭前野背外側部(dorsolateral prefrontal cortex)が関わる。さらに長時間にわたって集中が持続されるときには、注意の状態を維持するうえで決定的な青斑核(locus coeruleus)や視床(thamalus)と連携した右半球優位の前頭ネットワーク(fronto-parietal network)、とりわけ、前帯状回(anterior cingulate gyrus)、右の前頭前野背外側部、下頭頂小葉(Inferior parietal lobule)が支えることになる(p181)。
リソースモデルは慈悲を感情と認知で区分する
「リソースモデル」は、タニア・シンガー博士らが行う慈悲の長期的な研究の枠組として開発されたモデルである(詳細はボックスV)。「リソース」とは、慈悲がもたらす、認識、感情、動機づけ、向社会性といった様々な領域での資源強化から命名された。とはいえ、慈悲の涵養(cultivation)は、まったく新たなスキルを獲得するというよりも、もともと存在している人間の特性を活用するものとして理解されている(p180)。

哺乳類の育児から暖かさの感情は誕生した
自分自身や他者に対する暖かさや親切心の感情を産み出す能力が、慈悲では重要である。この能力は、子孫をケアするために系統発生的に進化した「ケアシステム」や「親和システム(affiliative system)」に由来する。生物種の中では、このケアシステムが最も進化しているのは霊長類である。その育児において最も長く、かつ、集中的なケアを必要とするからである。ケアを提供する親とその受益者である幼児との緊密な感情的な絆、発達心理学でいう「アタッチメント」の基礎には、このケアシステムがある。
その後、ケアシステムは、パートナーとの間にロマンチックな感情的な絆を形成・維持することへと進展する。そこで、つながり感、信頼感、暖かさや親切心の感情を経験する。さらに、こうした先天的なシステムを活用することで、この親切心の感情は、友人、さらには、よそ者に対しても広げられる(p183)。

神経系統的にみると、ケアシステムや親和ケアシステムは、ドーパミン、オキシトシン、脳内アヘン(endogenous opiates)の放出が関係し、ケアを与えるものに報酬状態を引き起こす(7章、13章、15章)(p183,p186)。
難しい感情は判断せずに観察すれば受け入れられる
心理学の古典的な文献をみると、ネガティブ感情を抑圧(downregulate)するため、気晴らし(distraction)、抑圧(suppression)、再解釈(reinterpretation)等の様々な戦略があげられている。
とはいえ、他者の苦しみに直面した場合には、こうした戦略は非倫理的に思える。支援意欲を削いでしまううえ、自分も苦しみに直面することから、苦しみの解決に向けて建設的にアプローチする能力も落ちてしまう。このため、慈悲では、マインドフルに自分の感情に気づき、それを受け入れ、好奇心やケアの態度に向けるという別のアプローチを取ることで、困難な感情に対処する(p183)。

向社会的な動機づけ
「ケアシステム」では、感情的な動機づけによる行動は、他者を養うことに向けられる。慈悲の瞑想を毎日一週間実施した後、様々な支援行動が測定できるゲームで、より向社会的な行動を示すように課題を与えたところ(15章)、経験を積んだ瞑想者が慈悲の瞑想を行うと、運動野(motor areas)、中心前回(Precentral gyrus)とposterior medial frontal cortexが活性化されることがわかった。このことは、脳が行動準備をしていることを意味する(p186)。
そして、親切さ、ポジティブ感情といった向社会的な動機づけと関連する社会感情プロセス(socio-affective processes)は、進化の初期段階で発展した古い体性感覚(somatosensory)の機能、辺縁系(limbic cortices)と関連する動機づけシステムに根ざしている(p188)。
視点取得はメタ認知がかかわる
リソース・モデルのうち、「認識領域」は、仏教哲学の「知恵」、「洞察」「観(view)」と関連する(9章)(p187)。そして、「視点(パースペクティブ)」と呼ぶ。というのも、外部世界や内なる世界において、各個人に対して、「自己」に気づき、思考の流れを観察する才能、「他者の立場に立つ」ことを意味する「視点取得(perspective taking)」のメタ認知が求められるからである(p180,p187)。視点取得は三つのサブプロセスから構成される。まず、メタ認知がなされ、次に自己の視点取得がなされ、さらに他者の視点取得がされる。このプロセスに共通するのは、出来事からある一定距離をとって、認識システムに「流動性(fluidity)」を追加する能力である。それは、与えられた瞬間に、リアリティとして思えるモノから手放して、オルターナティブな視点を持つことを個人に求める(p186)。
メタ認知〜私を観察する
「メタ認知」とは、認識心理学で「知っていることを知っている」「思考について考えている」「認識をするプロセスや状態に気づいている」ことと理解されている。すなわち、思考のプロセスそのものに気づいて、ある種の視点を想定することを意味する。自分自身の内側や外側の出来事(例えば、フィーリング、肉体の感覚、周囲の人たち)が「自然な出来事」として、その進行が観察され、思考は「私」とは同一化されず、流れゆく心の出来事として見られる。思考と関連するこの状態は「脱分別(de-identification)」または「脱フュージョン(cognitive defusion)」とも呼ばれる(p186)。
なお、自分を監視するという至高体験の神経学的な基礎は、前前頭葉前部外皮(anterior prefrontal cortex)がかかわる(p181)。
多様な自己への視点を取得することはストレス解消につながる
多くの瞑想の伝統においては、「自己」の観念に疑いをはさんできた。そして、この「セルフ・エンティティ」の存在は、現代神経科学も疑問視する。神経科学によれば、脳内には自己のための「セルフ・センター」は存在せず、自己という感覚は、幅広い脳領域が相互作用することで引き起こされていることがわかっている。
多様な内側やその変化を観察することは、多様な自己のイメージ、「自己の複雑さ(self-complexity)」をもたらす。現代社会においては、エゴイズムやナルシシズムが高まっている。これに付随して、鬱病やバーンアウトも増えている。過剰な「自己」というアイデンティティは、自己に対する過剰な期待や自己批判につながるからである(3章)。したがって、過剰な自己の堅さを緩め、ユーモアがあることは、これを相殺する。したがって、多様な自己の視点を持つことは、過剰な自己というアイデンティティを薄めることにつながり、ストレスと関連した病気や鬱病へのバッファとして役立つ(p187)。
ニューロン・レベルでみると、自己反射(reflections about the self)、自分の記憶の検索(retrieval of autobiographic memories)、自己と関連した処理(processing of self-relevant stimuli)は、すべて、皮質正中内側部構造(cortical midline structure)の活動がかかわっている(p187)。
感情とは異なり他者の視点を取得する
このスキルは、信念や思想、意図(intentions)、見解等、自分以外の人々のメンタルな状態を理解する能力を参照している。他者の思考、意図、見解等のメンタルな状態を理解する能力は、認知視点取得(cognitive perspective-taking)理論、マインド理論(theory of mind)、mentalizingと呼ばれる(p187)。
なお、感情と認識の領域の違いは、概念だけではなく、異なる神経認知システムに依存しており、生物的にも区別される(p180)。誰か他者の視点を取得するとき、自分自身や他者に対するメタ認識や視点取得は、前頭葉や頭頂部の例えば、内側前頭前皮質(medial prefrontal cortex)、側頭頭頂接合部、楔前部、後帯状部(posterior cingulate)が関係する(p187,p188)。
この認知回路は、情動感染(emotion contagion)や共感を含めた感情回路とは区別される。感情回路では、身代わり感覚状態(vicarious feeling state)が存在するが、認知視点取得は、「冷たい」認識プロセスからなり、多くの感情を伴わない。これは、年齢、文化、ジェンダー等、他者が自分自身とあまりにも違うときに重要である。他者に対する自分自身の感情的な投影が、自己中心的なバイアスを産むことが多いからである。他者が何を考え感じているのかを推測する際に自分自身の経験や見解が入ると認識が歪む。これを「自己中心のバイアス(egocentric bias)」と呼ぶ。けれども、他者の視点を取得することで、この歪みを減らし、双方がより正確に互いのニーズや考えを理解しあうことができる。つまり、相互依存した自己解釈(interdependent self-construal)が可能となり、それは、より緊密な関係づくりやより向社会的な行動が可能となるのである(p187)。
パンクセップ教授の画像はこのサイトから
ホルゼル教授の画像はこのサイトから
【引用文献】
Boris Bornemann, Tania Singer“Chapter 10 A Cognitive Neuroscience Perspective The ReSource Model”