2016年06月21日

彼岸の生物学C 先住民社会はパラダイスか

貧しい未開人から豊かな原初人へのイメージチェンジ

 人間の社会のあり様については、大きくわけると二つの見解がある。ルソーの『気高い未開人』とホッブズの『不潔で、残酷で、短い自然状態』である(6,7)。ボッブスによれば、未開人たちのこの悲惨な生活は、国家という人工装置によって初めて軽減できることから、社会にはある種の人工的な統制が必要だとの見解になる(6)

 したがって、ボッブスの言う「万人の万人との戦い」の理論は、進歩主義思想へとつながる。19世紀の米国の人類学者、ルイス・ヘンリー・モーガン(Lewis Henry Morgan,1818〜1881年)は『古代社会(en:Ancient Society)』』(1877)において、人類は、野蛮(狩猟採集)、未開(自給農業)、文明へと進歩していくと主張した。モーガンによれば、人類の目標はヨーロッパのような先進型文明に到達することであって、それ以外の生活は原始的で望ましくはない(6)

 木の実や草の根を探し求めてジャングルやサバンナをさまよう。一日の大半が食べ物探しに費やされ、ようやく生きていけるだけの粗末な食べ物を口にできる。夜にはへとへとに疲れ切り、動物のように地面に転がって寝る。絶対的な貧困。それが、長い間信じられ、今も信じられている未開社会に対するイメージだろう(1p33)。事実、ザイールの部族、ムトゥフ族のある草ぶき小屋には、枯れ草のベットや水を入れるヒョウタンなど家財道具はたった35しかなかった(1p20)

 一方、これとは正反対の見解を提唱してみせたのが、ジャン=ジャック・ルソーである。ルソーは、未開人は高潔に生きており、本来善であった人間が堕落したのは、社会システムのせいであり、自然状態に戻れば、一切の問題がなくなると考えた(6)

 1960年代には、カウンターカルチャーの影響もあって、ルソーの見解が人気を博していた(6)。しかも、1960年代に入ると、貧しい未開人という偏見的を根本からくつがえす事実が次々と明らかにされていく。構造人類学者レヴィ・ストロースが指摘するように、農業をまったく知らないか、あるいは知っていても農業にはあえて目を向けず、狩猟や採取だけに依存して暮らしを営んでいる人々が、生きるためにはほとんど働かないですんでいるという事実が発見されてきたのである(1p35)

クン・サン族は働かずに豊かな暮らしを享受する

bushwoman.jpg ボツワナのカラハリ沙漠で狩猟採集生活を営むクン・サン族の成年男子の平均労働時間は約6時間で、しかも週に二日ほどしか働いていなかった。週労働時間に換算すると、わずか1時間半〜2時間であった(1p37)。サン族の場合は、食料生産に従事していたのは男性では23.6%、女性では30.2%と53.8%でしかなかった(1p90)

 クン・サン族とともに4週間を過ごし、その生活を記録した人類学者リチャード・リー(Richard Lee,1937年〜)によれば、クン族たちは食料を確保するために週に平均20時間ほどしか働いておらず、道具や衣服づくりの時間を含めても40時間であった。カラハリ砂漠の気候条件は世界でも最も厳しいにも関わらず、クン・サン族の栄養状態はよく、ゆとりある暮らしを享受していた(7)

 タンザニアのエアシ湖畔にすむハザ族も、食料獲得には日当り平均2時間以下しか費やしていない(1p37)

 1960年に米国とオーストラリア科学調査団が行なったオーストラリアのアボリジニに研究結果でも、狩猟採集、食事の支度、道具の手入れ等をすべて入れても、食べ物を得るのに必要な時間は3〜5時間であった。しかも、食料を確保するための活動は、散発的、断続的で、おまけに必要なだけ採れたら、そこで活動を止めてしまうのであった(1p35)

 南米のベネズエラ・アマゾンの先住民、料理用バナナ、ヤシの実、虫等食生活に関しては充実なライフスタイルを送っている(4)。ヤノマミ族も一日1時間40分(1p38)。道具づくりや準備を入れても、3時間以下だ(1p38,4)。ヤマノミ族は、苦労せずに生きていけ(4)、生活の四分の三はハンモックに横たわって暮らしていた。生涯のほとんどが日曜日であった(1p38)。 

 クン・サン族の暮らしは例外ではなく、さらに環境が恵まれた地域での暮らしはもっと容易であった。しかも、自給のために費やされる20時間の「仕事」の多くは、決して辛く骨が折れるものではなかく、男性たちの自給のための仕事の大半は狩猟であって、それは、今、レクリエーションとしてなされている活動なのである(7)

 20160620Marshall Sahlins.jpg現実の石器時代の暮らしは、不快でもなければ、残酷でもなく、短くもなかった。石器時代の狩猟採集民や近代以前の農民たちの研究からは、「未開人」たちが不安に駆り立てられることなく、余暇に恵まれた豊かな暮らしを享受してきたことがわかっている(7)。1966年にシカゴで開かれた人類学の会議においてマーシャル・サーリンズ(Marshall Sahlins, 1930年〜)シカゴ大学教授は「原初の豊かな社会」というフレーズをつくりあげた(6)

女性が食料生産の柱を担っていた

 狩猟採集社会に関してどのようなイメージを持たれるだろうか。男性が一家の糧を得るため狩猟に出かけ、その間、女性が子どもの世話をしながら、家を守り、男性の帰りを待つ、というのが一般的なイメージではなかろうか。けれども、これは、近代「会社社会」の性差分業を過去に投影したロマンティシズムに過ぎない(2p222)

 多くの未開社会においては、男女がともに仕事をわかちあい、妻が夫に経済的に従属することはなかった(1p80)。確かに、狩猟採集社会では、男性が動物を狩り、女性が植物を採集するという分業がなされているが、とりわけ、低緯度地帯では、女性の採集活動に生活の多くがかかっている(2p222)。暮らしを支えているのは女性であり、女性の自主性や自立性が強かった(1p80)

 例えば、クン・サン族の社会では、女性が週に2〜3日行なう採集活動で得られる植物性の食料が、全体の60〜80%を占め、男性が狩猟で採ってくる獲物の2〜3倍の食料を供給していた。女性が植物性食物を見つけられる確率はほぼ100%だったが、狩猟で獲物を捕獲できる確率は23%にすぎず、時間あたりのエネルギー効率では、採取は狩猟の2.5倍も高かった(1p81)。消費カロリーやタンパク質の約三分の二を女性たちは供給していたため、女性の経済的地位は高く、離婚することで女性が経済的ダメージを受けることはなかった(2p221)

 ハザ族やアボリジニにおいても、植物性食料への依存度が重量でもカロリーでも約67%を占めていたことから、女性が一家の大黒柱であった(1p81)

 女性が大黒柱であれば、社会的地位もそれにふさわしく高かった。エディンバラ大学の人類学者のアラン・バーナード(Alan Barnard,1949年〜)教授とロンドン大学のウッドバーン(James Woodburn)教授はこう述べている。

「何を生産するか。収穫物をどうするのかを女性たちは自分で決めていた。夫の支配下にはなかった。離婚しても、子どもは普通は母親のもとにとどまり、その後どっちで暮らすかを自分で決めていた」(1p83)

女性の恋人ネットワークが集団をまとめあげていた

 未開社会においては、バンドは流動的で堅固な社会組織を構成していなかったし、メンバーもしょっちゅう入れ替わり、家族や親族のネットワークもゆるやかなものだった。現代的に言うならば、自立した諸個人の自発的な連携によるコミューンであったと言える(1p84)

 例えば、伝統的なクン・サン族の社会も、一夫一婦婚に基づく核家族が単位となる数十人のバンドからなってきたが、そのメンバーは固定的ではなく離合集散を繰り返していた。社会生活の基礎単位となる夫婦関係も安定したものではなく、離婚と再婚とが繰り返され(2p221)、だいたい平均で一生の間に三回結婚していた(2p222)

 多くの未開社会では、血縁関係がない人々をつなげるため、婚姻は重要である。とりわけ、非定住の狩猟採集社会においては、核家族を超えた親族関係があまり発展していないため、繰り替えされる離婚と再婚、そして、網の目のように広がる恋人のネットワークがゆるやかな共同体の統合を可能としていた(2p222)

 例えば、クン・サン族の社会では、男性が狩りに行っている間に女性たちは、仲間たちと木の実を採りに行ったり、これがチャンスとばかり、夫の目を盗んで恋人と密会したりしていた。クン・サン族では、婚外性活動が盛んで、恋人関係のネットワークが網の目のように発展している。すなわち、一個の女性の中には、特定の相手との長期にわたる交換と多様な相手との交換という二つの戦略が共存していた。これが、後には、婚姻と売春とに二極分化してゆく。また、男女の恋人関係は非対称で、たいがい男性が女性に贈り物を送ることで成立していた(2p223)

 とはいえ、クン・サン族の社会をなんの秩序もない「乱婚社会」と見るのは間違いで、公式な制度の婚姻を恋人関係が補完していたと言える。そして、女性は平均して四人の子どもを産むが、成人するのは半数なので人口の増減もなかった(2p222)

先住民社会は平等である

 クン・サン族の集団のカリスマ的リーダーとなっているのは、男性のシャーマンであったが、彼も大きな権力を握ることはなく、平等主義的な社会である(2p222)

 アマゾン上流の先住民社会でも、アヤワスカは誰でも飲むことができ、シャーマンだけに秘密にされているわけではない。エクアドルのヒバロ社会では4人に1人がシャーマンである。ペルーのシピボ社会でもひとつの社会に何人もシャーマンがいる。多くの人がシャーマンにならないのは、そのための修行が大変だからだにすぎないという(2p26)

20160617-Michael Harner.jpg ネオ・シャーマニズムの中心人物である文化人類学者マイケル・ハーナー(Michael Harner,1929年〜)博士は、こうした状況をシャーマニズムの持つスピリチュアル・デモクラシー(霊的民主主義)と呼ぶ(2p26)

部族社会は平和ではなかった?

 未開人たちは、労働時間をなるべく少なくし、必要なだけ手に入れたら、あとは生産を打ちきって、お互いに訪ねあっておしゃべりをしたり、昔話や神話を子どもに聞かせたり、昼寝を楽しんだり、ダンスや歌で夜をあかしていた。つまり、多くの社会主義者が未来の理想として掲げてきた半日労働や半週労働が、未開社会では実現していた(1p65)

 そこで、部族社会に対して過剰なロマンを抱く人たちは、ネガティブな面を無視しがちである。けれども、部族社会が平和で豊かなユートピアであったというのは幻想である(3p41)

 最近明らかになってきた様々な知見からすると、過去を賛美するルソーの見解も甘いことがわかっている(6)

 イリノイ大学のローレンス・キーリー(Lawrence H. Keeley)教授は『文明化以前の戦争』で、未開社会においては戦争が日常茶飯事であることを突き止めた。国家以前の社会で平和な社会は稀であった。牧歌的に思えていた先住民世界では闘争が日常茶飯事で(6)。狩猟採集民たちは、絶えず戦争状態で生活していた(7)

 平和でわかちあう民族、クン・サン族でも、稀に殺人行為が発生した。それは、たいがいは愛人をめぐる嫉妬心が口火を切り、何十年にも及ぶ血の復習戦に帰着した(7)

 サウス・カロライナ大学の人類学者カール・ハイダー(Karl G. Heider)名誉教授によれば、ニューギニアのダニ族では男性の3人に1人が戦争で死んでいる(6,7)

 アマゾンの先住民たちもラブとピースではなく、絶えず戦争が絶えることがなかった(2p271)。ヒバロ族は首狩り族でもある(2p272,2p286)。ちなみに、日本もほんの200、300年前までは首狩り族であった。忠臣蔵のような首狩り報復戦争の物語がいまでも多くの日本人を感動させている(2p273)

20160620Yanomami.jpg カリフォルニア大学サンタバーバラ校の人類学者、ナポレオン・シャグノン(Napoleon Chagnon,1938年〜)名誉教授の著作『ヤノマミ:猛烈なる人々(Yanomamo: The Fierce People)』によれば、ヤマノミ族も戦闘にあけくれ(4,7)、成人男性の死因の30%が暴力で、40歳以上では57%が殺害が原因で2人以上の肉親を失っている(4)

 シャグノンの師にあたる遺伝学者ジェームズ・ニール(James Van Gundia Neel, 1915〜2000年)はこう主張する。

「近代文化は、弱者を支援するため『非優生学的』」である。それは、人類のオリジナルの「集団構造」からはるかに逸脱している。孤立した小規模な部族集団は、女性にアクセスするため、男性たちは互いに暴力で競争していた。こうした社会においては、最良の戦士が最も多くの妻や子どもを持ち、次世代に彼らの遺伝子の多くを伝承でき、それが遺伝子プールの質を連続的にアップグレードすることにつながる」(8)

チンパンジーには闘争本能がある?

 豊かであるにもかかわらず、人類が闘争するのはなぜなのか。そのヒントをチンパンジーに求める見解がある(4)

20160620Jane Goodall.jpg 動物が初めて道具を使うことを明らかにしたイギリスの動物学者ジェーン・グドール(Jane Goodall, 1934年〜)博士は、アフリカのゴンベの森のチンパンジーたちが楽しく暮らしていると想定していた。けれども、実際は正反対だった。チンパンジーたちは、定期的に近くのコミュニティを急襲しては、死ぬまで攻撃していた。この発見に生物学者や社会学者は仰天した(4)

 意外に思えるかもしれないが、4000種もいる哺乳動物やそれ以外の1000万種以上の動物の中で、急襲・殺害という行動パターンを取るのは、たった2種。チンパンジーとヒトだけしかいない。ヤマノミ族やダニ族と同じように、チンパンジーの成熟した雄も約30%が攻撃活動に参加することが原因で命を落としている。すなわち、人類の闘争本能は、はるか類人猿の時代から継承されたものだといえる(4)

ヤノマミ族の戦争もチンパンジーの闘争も西洋人のコンタクトが引き起こした

 ルソー的なアナーキズム社会が牧歌的な平和な社会ではなく、チンパンジー的な残虐性が伴うとすると、やはり複雑化した統制社会は避けられないのだろうか。文化を通じて支配的な「悪魔の遺伝プログラム」を克服するまで、人類は戦争を避けられないのであろうか(8)

 けれども、シャグノン教授が目にしたヤノマニ族の暴力のほとんどは、皮肉なことにシャグノン教授、すなわち、西洋社会とコンタクトしたことで始まった混乱から生じたとの見解もある。シャグノン教授とともに研究を行ったケネス・グッド(Kenneth Good)博士は、どの米国の人類学者よりも長く12年もヤノマニ族の中で暮らしたが、グッド博士によれば、シャグノン教授は、研究に協力させるため武装して村に入り、ゆく先々で対立関係を作りあげていたという。

 20160620Ferguson Brian.jpgラトガーズ大学の人類学者、ブライアン・ファーガソン(Brian Ferguson,1951年〜)教授は、1995年の著作『ヤノマニの戦争:政治史(Yanomami Warfare: A Political History)』で、シャグノン教授の見解に反論し、ヤノマニの戦争のほとんどが、外部から鉄器や新たな病気がもたらされた撹乱によると主張する。ファーガソン教授の説明によれば、1950年代に宣教師たちがやってきて、キリスト教に改宗させるために軽率にも斧や刀を提供したことで、その地域は戦争へと突入してしまったのである。

 したがって、「コンタクト以前」のほんとうの社会がどうであったのかを知ることは極めて難しい。最も僻地においてさえ、人類学者が訪れるよりも先行して、西洋テクノロジー、細菌、通商の影響で、社会的な崩壊が引き起こされている。

 同じことは人間以外にも言える。人類の本能的な悪の証拠とされる野生のチンパンジーの殺人行為も、研究者がアクセス可能な撹乱された群れでのみ発生することを霊長類学者マーガレット・パワー(Margaret Power)は実証している(8)

 霊長類や原始人の軍事闘争的な性格を目にするとき、私たちはほとんど私たち自身のシャドゥを目にしているのかもしれない(8)

アヤワスカを利用して死者と出会う

 西洋人たちは、アヤワスカによって「人生の意味を知った」というめくるめく体験をすることが多い(2p270)。アヤワスカではどのような体験ができるのだろうか。明治大学の蛭川立准教授は実際にアヤワスカ体験をしている。

 30分をすぎると蛍光色の万華鏡のような幾何学模様が見えてきた(5p78)。さらに、次の第二段階では、臨死体験と似て死の世界に引きずり込まれていく感覚があった(5p80)。蛭川准教授はすでに他界した祖母に会った。そして、相手の方がびっくりし「まだこんなとこ来たらあかんで。ここは死んだ人が来るところや」と言われたという(5p83)

 また、知り合いの父親が金色に光る存在に吸い込まれて消えて行った光景を見た。あまりにリアルであったため、1月後に帰国した後で確認したところ、その日に他界したという(5p84)。シャーマンによれば、アヤワスカの精霊は、人が死ぬことをあらかじめ教えてくれるという(5p85)。さらに、天使のような存在とも出会った。けれども、それは、よれよれのスーツを着た冴えない日本の中年の営業マンの姿であった(5p89)

カルマの概念は格差社会において意味を持つ

 カリフォルニア大学の人類学者、G・スワンソン(Guy E. Swanson, 1922〜1995年)教授は、全世界からサンプリングした46社会の世界観を比較してみた。死後の霊魂の観念を持たない文化は皆無だったが、生前の行いによって死後に罰を受けるとする文化は13社会、28%しかなく、かつ、エジプトやインドのように社会的ヒエラルキーが発達した社会でしか見いだされなかった。インドのようなヒエラルキー社会においては、高いカーストに生れた人は、「前世のカルマが良かったからだ」と自分の立場を正統化し、特権を行使できるメリットがある(2p19)。このことから、地獄という観念は、階層化された社会が、その秩序を守り人々を統制するために考えだしたものともいえる(2p20,2p22)

臨死体験から神は誕生した

 一方、社会的な階層が発達していない社会においては、こうした観念そのものが意味をもたない(2p19)。事実、アイヌやシベリア、台湾、アマゾンの先住民たちは、死後の世界は現在の生活と変らないか、むしろさらに楽になると考えてきた(2p20)

 20160620michael sabom.jpg救命医療が飛躍的に進歩した結果、臨死体験の経験者が増えているが、エモリー大学のマイクル・B. セイボム(Michael B. Sabom)教授の『あの世からの帰還』(1986)によれば、臨死体験は信仰の強さとは無関係に起きている。むしろ、あらかじめ知識をもっていなかった人の方が体験率は高い(2p21)。体外離脱を体験し、いままでの自分の人生を走馬灯のように早送りでながめ、お花畑のような美しい世界にたどりつき、ご先祖様に出会う(2p16)。しかも、臨死体験では、地獄のような体験をする人は少なく、美しい世界に行く体験が多い(2p21)。したがって、天国という観念は、臨死体験がベースとなって地獄よりも先に生れたと蛭川准教授は考える(2p22)

「いま、ここ」の体験がアヤワスカの真骨頂

 けれども、アヤワスカの意味は、極彩色のビジョンが見えることではなく、狭い自我の崩壊と精神の拡大にある(2p271)。例えば、アヤワスカを飲んだ後、2〜3時間が経過すると効果はピークを過ぎるが、その後の第三段階では愛さえ意味を失う(5p96)

 自分を犠牲にして相手に尽くすという自己犠牲にしても、自分と他人とが区別されていることが前提である。けれども、すべてが一体となれば、愛と言う概念そのものが意味を失う(5p97)。そして、自分という存在が消滅してしまっている状態を観察している自分だけがいる(5p99)。さらに、流れる時間も意味を失ってしまっている。ゲシュタルト崩壊が起こり、「いま、ここ」に過去と未来の全宇宙が一体化し、完全な調和に包まれているという感覚がいだかれる(5p100)。臨死体験者が日常のさりげない風景がきらきら輝いてとても美しく感じられるというのと同じである(5p102)

 このことから、硬直化した時間観念を脱構築するうえで、アヤワスカは有効なツールであると蛭川准教授は結論づける(2p286)

 さらに「あの世」に行って戻ってきた人は、死への恐怖を減らす(2p21,2p212)。そして、物質的な成功や他人に注目されたいという資本主義的な競争原理への関心を低下させ、他人への寛容性や共感性が高まり、ごく普通の生活がすばらしいと思うようになる。また、人生の内的な意味や本当の目的、神秘的な経験への関心を深める。かといって、既成宗教への信仰に回帰することはなく、組織宗教への信仰心はむしろ減少してしまう(2p212)

西洋人と違いアヤワスカは先住民では深い人生哲学を産み出さない

 こうしたことから、アヤワスカへの関心は高まり、2000年3月にはサンフランシスコでカリフォルニア総合学研究所(CIIS)が、世界初のアヤワスカに関する国際会議「アヤワスカ―アマゾンのシャーマニズム・科学・スピリチュアリティ」を開催している(2p269)

 けれども、先住民たちは『マリアシオン』と呼ぶ変容意識でいろいろな精霊や蛇、ジャガーと出会うが、バッド・トリップもしないし、自分自身の人生を内省的に考えるという体験談を聞かない(2p270)

 蛭川准教授は、西洋人たちには、フーコーが言う意味で抑圧された本能の解放こそが人間の解放だというイデオロギーが埋め込まれており、アヤワスカを用いて、化学的に壊さなければならない堅い自我がある一方、先住民には、崩壊するような硬い自我がないからではないかと考える(2p271)。西洋人たちがサイケディック体験を通じて東洋思想への理解を深めることが多い一方で、サイケディック・シャーマニズムからはさほど深い思想は産み出されてきてはいない(2p273)

部族社会には地球的な視野はなかった

 長澤靖浩氏も部族社会に自然に対する一定程度の節度があったことは確かだが、それはエコロジー思想に基づくと考えるのは、現代のロマンの投影かもしれない。技術不足のために自然の支配を否応なく受けていたにすぎないともいえる(3p42)

 また、部族社会の人々は狭い世界でしか生きてこず、部族社会には全地球的な視野はなかった(3p42)。地球的なビジョンがなければジョン・レノンの「イマジン」は誕生しえない(3p44)。マジック・マッシュルームを崇拝していた古代アステカ人は生きた人間の心臓を神に捧げていた(2p286)

サーリンズ教授の画像はこのサイトから
ハーナー博士の画像はこのサイトから
グードル博士の画像はこのサイトから
ファーガソン教授の画像はこのサイトから
セイボム博士の画像はこのサイトから
ヤノマニ族の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 山内 昶『経済人類学への招待』(1994)ちくま親書
(2) 蛭川立『彼岸の時間〜意識の人類学』(2002)春秋社
(3) 長澤靖浩『魂の螺旋ダンス』(2004)第三書館
(4) ニコラス・ウェイド『5万年前』(2007)イースト・プレス
(5) 蛭川立『精神の星座』(2011)サンガ
(6) スペンサー・ウェルズ『パンドラの種』(2012)化学同人
(7) Charles Eisenstein” The Ascent of Humanity” (2013) EVOLVER EDITIONS; Reprint edition
posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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