2016年07月03日

贈与の生物学@ 脳神経の配線変化による人類の誕生

はじめに

 先住民、シャーマニズム、脳神経科学、仏教、慈悲、脱成長経済、贈与といったキーワードが気になっている。これが、中沢新一明治大学特任教授が2001年から2003年にかけて行った講義をベースとした『カイエ・ソバージュ』シリーズのテーマとなっていることを知った。脱成長経済の鍵となる贈与経済は、脳神経科学や慈悲、仏教思想とどのように絡んでくるのだろうか。ついては、中沢氏の著作の内容をここで再整理しておきたい。

ユーラシアには中石器時代から続く神話が残されている

 ケルト文明の伝承が色濃く残るフランスのブルターニュやイギリスのウェールズ地方とアジアには、「燕石」についての瓜ふたつの神話が残されている(2p40)。この事実に着目したのは南方熊楠(1867〜1941年)で(2p41)。「燕石」は日本では9世紀に書かれた『竹取物語』に登場するが(2p48)、柳田國男(1875〜1962年)によれば、燕の古い名称は「ツチハミクロメ(土喰黒女)」であり、燕は闇と湿気、すなわち、死の領域にかかわる動物なのである(2p77)

 また、世界最古のシンデレラの物語は9世紀に中国の『酉陽雑俎』に記録されたもので(2p133)、この事実を発見したのも南方熊楠である(2p132)

 ユーラシア大陸の両端に類似した神話があることは、中石器時代に共有されていた思考が残っているからではないだろうか(2p41)

 日本の『古事記』や『日本書記』は8世紀にある政治的な意図をもって編纂されたものだが、その中には、中石器時代や新石器時代の文化に属する驚くほど古い神話が保存されている。これは世界の文明の中でも類例をみない(2p11)

環太平洋には国家を作らなかった人々の文化圏がある

 中国西南部の雲南地方には、イ族、ナシ族、リース族等、多くの少数民族が居住する。現在は山岳地帯に居住しているが、以前は、揚子江に近い平原部で生活していたらしく、縄文人ともかかわりが深い(3p150)。例えば、上述した最古のシンデレラの物語は、唐末期に南中国の少数民族「荘族」の伝承を記録したものらしい(2p133)

20160703map2.jpg 中国では漢民族によって国家が作られるが(3p150)、中沢特任教授は、中国南西部から、日本の東北と北海道、サハリン島、アムール川流域、北米西海岸、そして、南米にまで国家を作ろうとはしなかった環太平洋の人々の文化が辿れると主張する(3p151)

 北海道とサハリンにはアイヌ、サハリンの北方には、ウィルタやギリヤークがおり、オホーツ海に面したアムール川流域には、オロチやウリチ等の狩猟民がいる(3p27)。さらに、北方にはコリャークやチュクチがおり(3p28)、カナダではバンクーバー島を中心に、トリンギット族、ハイダ族、クワキウトゥル族、トィムシアン、サリッシュ族等が居住している(3p28,3p154)

 もちろん、こうした社会が平等であったわけではない。富は蓄積され、貴族、平民、戦争で負けて捕虜になった奴隷と社会の階層化は生じていた(3p160)。けれども、王や国家が出現するあらゆる条件が整っているにも関わらず、彼らは、王や国家を作ることを拒否していた。このことから、中沢特任教授は、社会が発展進化するにつれて、首長が王になり、国家が誕生するわけではないと考える(3p159,5p17)

3万年前にシベリアから移動し、1万年前にアメリカに進出

20160703map1.jpg ホモ・サピエンスは、約10万年前にアフリカを出発し、ヨーロッパやオーストラリア大陸には4万年前、シベリアを超えてバイカル湖周辺には3万数千年前に出現した(7p74)。そして、シベリアからアメリカ大陸への移住は大きく三波にわたってなされた(3p66)

 第一波として、バイカル湖の東のほとりに住んでいた「古モンゴロイド」が、マンモスを追って今から1万年前にベーリング海峡をわたり、ローレンタイドとコルディエラ氷床の間を抜けて中央平原地帯へと進んだ(3p67,3p157)

 移住の第二波は、やはりバイカル湖周辺に居住していたが、その後に、アムール川流域にかなり長期間滞在する中で、独自の文化を身に付けた「北西海岸インディアン」たちである(3p158)

 さらに、南米大陸にたどりついた集団は、アンデス山麓にしばらく滞在した後、あるグループは最南端を目指して南下し、別のグループはオリノコ川流域にそって北上を続け太平洋に到達した。そして、もうひとつのグループはアマゾン川流域の森林地帯に散会していった(5p26)

3万年前に最古の哲学、神話が登場した

 地球上の各地では、いまから1万年前に農業が始まり、動物が家畜化される。これを「新石器革命」と呼ぶ(2p13)。けれども、中沢特任教授は、上部石器時代、3万数千年前に、ホモ・サピエンスの大脳組織に飛躍的な変化が起きたことが重要であると考える(2p12,7p2,7p24)。世界中に残されている神話的な思考の痕跡を探ってみると、ある深いレベルで働いている一貫性のある「論理」が存在していることがわかる(7p14)。これをクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss, 1908〜2009年)にならって「人類最古の哲学」と呼ぼう(2p20,7p14)。すなわち、この脳組織の変化によって、中石器時代に人類は最初の「哲学」を作り出す(2p13)。そして、人類が文字を作り出したのは「神話」を語り始めてから2万年以上も後のことなのである(2p17)

ネアンデルタールとホモ・サピエンスの違いは無意識にある

 ネアンデルタール人は、高度な技術的才能を持ち優れた石器を作り出した。間違いなく言語も話していた(7p67)。ネアンデルタール人は妊娠期間が1年近くもあった(7p65)。そして、ネアンデルタールは、子ども時代が非常に短く、3歳でも新人の成人並の脳を持っていた(7p64)。けれども、ネアンデルタール人の脳は言語的認識を行う部分、社会的認識を行う部分がバラバラに別れて発達し、それぞれが独立して作業をしており、その間のスムーズな連携網は発達していなかったらしい(2p12,5p57)。けれども、象徴的思考、メタファーの能力が欠如していた(3p78,7p69)

 一方、ホモ・サピエンスでは、脳内の結合組織が横断的につながれ、これまでなかった流動的知性が発達する(3p78,5p57)。このことで、人類は「記号」ではなく「意味」として物事を理解できるようになり、そこから「言語」もいまある形へと組織化される(3p78)

 あらゆる言語は、異なる領域を重ねて圧縮する「隠喩(パラディグマ軸)」と異なる領域をずらす「換喩(シンタグマ軸)」からできている(3p78,5p58)。言語は人間の象徴だとされるが、より正確にいえば、言語を可能としている比喩能力、そして、それを可能としている流動的知性の働きこそが人間の証なのである(3p78)。この比喩的思考能力によって、言葉で表現する世界と現実とは必ずしも一致しなくてもよくなり、現実から自由な思考が可能となる。このため、人類は、言葉をしゃべり、歌を歌い、神話という最初の哲学を作り出し、複雑な社会を作り出すことが可能となった(3p58)

 カナダのユーコン川に住むアタパスカン族の神話は、最も古く、コリャーク、チュクチ族等の古モンゴロイドの間でも知られているのと同様の内容を持つ(3p66)。それは、人間が熊になるという神話である(3p74)。ネアンデルタールは、人間は人間、熊は熊と認識していたが、ホモ・サピエンスのように人間が熊になるという思考はできなかった(3p76)

統合失調症は無意識が生で表れた症状

 レヴィ=ストロースはことあるごとに「神話は無意識の行う思考である」と語っているが(7p59)、象徴的思考には、圧縮や置き換えによって意味を横断的につなぎあわせていく流動的な知性活動が不可欠である。それは、豊かな無意識が必要である(p68)。そして、フロイトによれば、「無意識」は、ホモ・サピエンスは妊娠期間が短く、未熟なままに子どもが産まれてくるという「未熟さ」のため発達する(7p65)。「夢」は「無意識」が語る言葉と言われるが、夢は、イメージを圧縮する隠喩とイメージをずらす換喩からできている。「無意識は言語のように構造化されている」とジャック・ラカンが語ったのはそのためなのである(3p58)。すなわち、人類とは初めて無意識を持ったヒトであると定義できる(7p76)

 20160703Blanco.jpgフロイトは、無意識の活動として圧縮や情動の混乱、置き換え等をあげたが(7p59)、チリの精神科医イグナシオ・マッテ・ブランコ(Ignacio Matte Blanco, 1908〜1995年)は『無限集合としての無意識−バイロジックの試み』(1975)で、カオスのように見える総合失調症の背後には、フロイトが無意識の特徴としてあげたのと完全に一致する論理があることを見出す。このことから、ブランコは、統合失調症とは、無意識活動が「生の形」で表面に浮上した現象であると主張する(7p53)

無意識は個を認識しない

 この神話的思考を動かしている最も基本的な思考プロセスは、現在の科学的思考とまったく同じ「二項論理」であり(7p15,7p24)、それ以来、人類の知的能力は進歩していない(7p24)。けれども、神話と科学には大きな違いがある。科学は二項論理を用いてアリストテレス型の論理を働かせる(7p25)。うち、最も重要なのがAという命題があり、非Aという命題があるとき、Aと非Aとは両立しえないという「矛盾律」である(7p25)。

 けれども、無意識も神話と同じくアリストテレスの論理に従わない。アリストテレスの論理は「個」を認識することから出発する(7p53)。けれども、無意識は「個」には関心を示さず、「個」を日本国民や人類のように一般化して扱おうとする。これを哲学者、京都大学の田邊元(1885〜1962年)名誉教授は「種の論理」と呼ぶ(7p54)。すなわち、フロイトが見出した無意識では自己と他者との区別をせず、個を認識しない(7p164)

無意識は非対称の関係性を対称的に扱う

 無意識は非対称の関係を対称的に扱おうとする。これをブランコは「対称の原理」と呼ぶ(7p54)。そして、時間は消失し、部分と全体との差異もなくなる(7p55)。例えば、統合失調症の患者は情動に障害があるが、ブランコによれば、それは、非対称の関係にある愛と憎しみが同質の情動として扱われてしまうためなのである(7p56)

対称性原理の復興が必要

 神話的思考では「対称性の論理」が働いていたが(7p15)、近代以降の科学や哲学は、「非対称の原理」によって成り立ち、対称性の論理を極力排除しようとする(7p32,7p15)。形而上学、資本主義の経済活動、国家権力のすべてが非対称性の論理と関係している。それが、無意識の働きに抑圧や歪みをもたらしている(7p119)

 そこで、神話の対称性の論理を復活させることには今日大きな意義がある。交換が贈与となり、言語は詩となり、人間が宇宙の一部にすぎない倫理的思考が生命を取り戻すからである(7p15)

 とはいえ、現代人がもはや神話の思考に戻ることは不可能である(7p119)。「野生の思考」だけでこの状況に立ち向かうことはできない(7p147)。したがって、流動的知性=無意識の中から出現する新たな智、「対称性人類学」を作り出して行くしかない(7p120)。「対称性人類学」とは抑圧されていない無意識をできるだけ純粋な形で取り出そうとする試みなのである(7p146)

北米西海岸の先住民の図はこのサイトから
ホモ・サピエンスの移動図はこのサイトから
マッテ・ブランコの画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 中沢新一『宗教入門』(1993)マドラ出版
(2) 中沢新一『人類最古の哲学・カイエ・ソバージュ1』 (2002)講談社選書メチエ
(3) 中沢新一『熊から王へ・カイエ・ソバージュ2』 (2002)講談社選書メチエ
(4) 中沢新一『愛と経済のロゴス・カイエ・ソバージュ3』 (2003)講談社選書メチエ
(5) 中沢新一『神の発明・カイエ・ソバージュ4』 (2003)講談社選書メチエ
(6) 中沢新一・河合隼雄『仏教が好き』(2003)朝日新聞社
(7) 中沢新一『対称性人類学・カイエ・ソバージュ5』(2004)講談社選書メチエ
posted by la semilla de la fortuna at 12:42| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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