2016年07月08日

トランスパーソナル心理学入門B〜人生のミッションを知るプロセス・ワーク

基本的な欲求が満たされなくても人は自己実現を目指す

13viktor.jpg マズローの理論からすれば、「自己実現」という上位の欲求は、生理的・安全的欲求が満たされたうえでのみ満たされるはずである。けれども、オーストリアの心理学者、ビクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905〜1997年)博士が、目にしたのは、悲惨な状況の中でも耐え抜いた人がいたことだった。フランクル博士は、「基本的な欲求が満たされなくても人は崇高に生きられるのではないか」と考え、それをマズローに問いかけてみた。マズローの答えはイエスだった(4)

すべて人は未来からの可能性の呼びかけに応えるために存在している

 「私の人生は何をやってもうまくいかない。ただの一度もいい思いをしたことがない。誰にも必要とされていないこんな人生は、生きるに値しないのではないか」

 こう思い悩む人は、こうした思考法を止め、自分のことを待っている誰か、自分のことを必要としている何かに目を向けてみるといい。とかく、人は人生の意味を問いかける。けれども、フランクル博士は、「人生」の方が人間に問いを発していることから、人生の意味を問いかける必要はないと考えた。これは、人生の意味についての立ち位置を180度転換するものである(5)

 フランクル博士によれば、この世には、かならずあなたを必要としている「何か」や「誰か」が存在している。そのつながりの中で人は生きている(5)。すなわち、どの人にも絶えず実現されることを待っている「可能性」が存在している。その可能性は、絶えず、今に先行して、未来から「可能性」を呼びかけている。この未来からの可能性からの呼びかけに応えるために、私たちは存在しているとも言えるし(3)、誰しもが、この人生からの呼びかけに応える責任を持っているとも言える。フランクル博士によれば、答えなければならないのは、人生からの問いなのである(5)

 そこで、空虚感におそわれる人に対して、フランクル博士は「未来にあなたを待っているものに目を向けよ」と示唆する。あなたに見出されるものを待っている「何か」を探せと外に目を開くことを促す(5)

実存的不安はトランスパーソナルへの発展の悩み

「どんなにあなたが絶望していても人生の方であなたに絶望することはない」

 フランクル博士のメッセージは数多くの絶望する人の魂を救ってきた(5)

 プレパーソナルなレベルでは、自分を殺してしまい自分の人生が無内容であると空虚感をいだくと述べた。けれども、健全な自我が確立されていたとしても、自分はあっても、あるべき「つながり」から切り離されてしまっているがために抱く空虚感もある。これは、自己発展の途上にある人がさらに成長していくための空虚感である(2p173)。パーソナルな自己実現の段階から、トランスパーソナルな高次の段階へと進むための苦しみといえる(2p175)。フランクル博士によれば、人生の意味を疑うことは、最も人間的な表現なのである(2p176)。そこで博士はこれを「実存的空虚感」と呼んだ(2p173)

 それでは、この実存的空虚さを乗り越えるにはどうしたらよいのだろうか。諸富祥彦教授によれば、方法は二つある。ひとつは、フリードリッヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche, 1844〜1900年)のように人生の無意味さを直視することである。世界には何の目的も終わりもなく、一切はただ永遠に意味もなく「永劫回帰」しているというニヒリズムを徹底することである。すると、哲学者、京都大学の西谷啓治(1900〜1990年)名誉教授の言う、すべてを肯定する地平が逆に開けてくる(2p176)

 もうひとつは、ひたすらこの世に生れてきた意味を求めていくことである。すると、エゴの働きが次第に弱まり、消え失せ、それと同時に自分ではない何かが自分の内側にあることに気づく(2p177)。古い自分であるエゴは死に、これまで自分であると思っていた自分が、「内なるいのちの働き」によって生かされている自分のほんの一部でしかないことに気づく。エゴが死んで無我になり、真の自己に目覚める。この「死と再生」ともいうべき深い自己変容体験の中から、本当の自分とは何かという答えを「向こう」から告げられるのである(2p178)

人生の出来事には意味がある〜ヒルマン博士の「魂のコード」

20160707James Hillman.jpg『魂のコード』の著者、米国の心理学者、ジェイムズ・ヒルマン(James Hillman, 1926〜2011年)博士は、子ども時代の心の傷によって人生が決定づけられると考える「トラウマ理論」を厳しく批判する(2p185)。トラウマ理論では、人生そのものが、安っぽい心理学的な物語に矮小化されてしまうからである。その代わりに、人生には理屈では説明できない「何か」があり、その運命の守護霊(ダイモーン)によって、自分がやらなければならないある道に呼び込まれて行くのだと運命の感覚の復権を説く(2p186)。ヒルマン博士は、日々の出来事には意味があるとして、人生の使命、摂理といった古い観念を蘇えらす(2p187)。そして、フランクル博士と同じように、毎日のささいな出来事に「向こうからの呼び声」を聴くことの大切さを強調する(2p183)

 どのような仕事であれ、たまたま与えられた仕事だとみなしていては心を込めてすることはできない。逆に、どんなささいな仕事であっても、そこに眼に見えない「ご縁」を感じることができれば、ひとつひとつの仕事に慈しみを感じて、丁寧に取り組むことができる(2p189)。自分の仕事を「天職」として受け取る感覚が育まれる(2p188)

 仕事と同じように人間関係や出会いも、自分の意図を超えた運命、ご縁の力が働いていると感じれば、様々な出会いがすべてかけがえなき慈しむべきものに思えてくる。

「たまたま適性があったからこの仕事に就いたのだ」とか「たまたま適齢期で条件があったから結婚したのだ」と割り切って生きていくと、心を込めて人生を生きて行くために必要なとても大切な何かを失ってしまう(2p190)

 ヒルマン博士の『魂の心理学』は単なる運命論ではない。人生には意図を超えた運命の力が働いているが、ほとんどの人はそれに気づかず、人生を粗末に扱う習慣が身に付いてしまっている。そこで、人生に働いている運命の力を思い出して、自覚的に生きよ、と説く(2p191)

シンクロニシティが続くとフローの人生を生きられる

06mihaly.jpg 自分の意図や努力を超えて働いている力を自覚することは、ハンガリー出身の米国の心理学者、クレアモント大学院大学のミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi, 1934年〜)教授の言う「フロー」の概念とも合致する(2p191)

 テレビをつけた瞬間に自分に重要なニュースが流れてくる。バス停に着いた途端にバスが到着する。コーヒーを飲みながら気になる人を思い浮かべていたら、自分の目の前にその人がいた。こうした偶然をシンクロニシティと呼ぶ(6p89)

 不思議なことだが、「人生」からの呼びかけに無心になって生きるとき、人生全体の隠れたミッションが顕在化していく。この流れに乗って生きていくとき、ミッションの実現に必要なものはすべて自ずから与えられはじめる。起こるべくしておきた偶然は、もはや偶然ではなく、「シンクロニシティ」であると言える。そして、人生の決定的な場面では、シンクロニシティが顔を出すことが多い。シンクロニシティが頻繁に生じ始めると、自分を超えた大きな流れが人生で働き始める。チクセントミハイは、教授はこの流れを「フロー」と名付けた(3)

フローの人生を生きていると人生への疑問も解消される

 自分の意志を超えた大きなフローが生じ始め、こうしたフローの中で生きているとき、適切な場所で適切なときに、適切なことをしているという感覚を抱く。マネーであれ、仕事のチャンスであれ、人生の流れを前進させるのに必要なものがちょうどよいタイミングで与えられる不可思議な出来事が頻発していく。また、心はウキウキしているが平静であり、自分自身を超えた偉大な何かとのつながりを感じ、人生は意味と目的に満たされ、生きる意味や目的への疑問はおのずから解消される(3)

 いま自分はこの人生を生きていて、共にいるべき人と共にいて、この人生で自分が行うべきことを行っているという感覚が持てるとき、私のことを必要としている誰かがいて、私のことを必要としている何かがあって、私はその何かや誰かとつながることができているという感覚を持てるとき、どれほど貧しく、どれほど孤独で、どれほどさみしく、どれほど健康を害していても、心の深いところで生きる意味を実感しつつ生きていける。すなわち、魂のミッション、生きる意味、精神の気高さという心の一番深いところで、生きる意味と使命感が満たされた生き方を得ることが大切なのである(4)。そうすれば、どのような挫折や失敗があっても幸せといえるギリギリの幸せが得られる(3)

 何やら新手の宗教のように思える(4)。けれども、心の深いところで満たされた人生を生きている人は、「私はなすべきことをなしている」という実感を抱いて、人生を意味あるものとして感じ生きていることが多い(2p192,4)。実際、諸富祥彦教授は、カウンセリングを通じて、そうした気づきに多く立ち会ってきた(5)

二つの選択肢〜すべての出来事には意味がある

 人間は驕慢な生き物である。何事もなく平穏な日々を過ごしているとますます驕慢となり、自己中心的になっていく。つらく苦しい悩ましいできごとを経験しなければ、自分を深く見つめて人生を変えていくことはできない(5)

13Mindell.jpg そこで、思い出すことすら辛い出来事や、慢性の病、障害や死といった否定的なことも含めて、「人生のすべての出来事には意味がある」、「ある種の必然性をもって、起こるべくして起こっている」とアーノルド・ミンデル(Arnold Mindell, 1940年〜)博士は考える(2p162,5)。それとしっかりとかかわることで私たちの魂は耕され人生は豊かになっていく(2p219)。なぜならば、すべてのできごとは、気づきと学び、自己成長の機会であって、「それに対してどう答えるのか」を迫ってきているからである(5)

 ここで、二つの選択枝がある。ひとつは人生からの「問いかけ」に耳を貸さず、心を閉ざし続け、これまでと同じパターン化された日々を繰り返していくことだ。結果として、何を学ぶこともなく人生に大きな変化も生じない(5)

 もうひとつは、人生で起きた辛く苦しい体験に正面に向き合い、「できごと」が自分に何を学ばせようとしているのかを丁寧に振り返り、自分を深く見つめることだ(5)

 もちろん、この未来の可能性に対して、どのように応えるべきかは本人の自由である。けれども、この呼びかけを満たせる「最善の答え」はひとつしかない。その意味で、人生は半分は自由であり、半分は決まっているとも言える(3)

人間は目的を持って生まれてくる

 人は偶然としか思えない出来事を通じて「運命の人」と出会ったり、自分の「天職」とも言える仕事に出会ったりする。そして、偶然の出会いを通じて知らず知らずのうちに「運命の道」へと誘われていく(2p164,6p164)

 実は、すべての人間は、この世で果たすべき「使命と課題」をもって産まれてきている(5)。この人生で果たすべき暗黙の「使命(ミッション)」を刻印されて、一人ひとりの「魂」はこの世に産まれてきている(バースディ・プロミス) (3,4,5)。逆に言えば、そのミッションを生きて、現実化し、使命を果たすために、人はこの世に産まれてきたのである(4)。そして、この自分の魂に刻み込まれたミッションを発見したとき、「ああ、これこそが、私が生きることになっていた人生だ」「このことをなすために、私はこの世に生まれて来たのだ」という感慨を覚えることが多い(2p165,3,5, 6p93)。自分の人生に課された使命を「暗黙の予感」として発見でき、これまで歩んできた道が運命の道であったことに気づく(5)

ミンデル博士のプロセスワーク

 この人生における大切なメッセージに気づくうえで最も優れた方法が、ミンデル博士の確立した『プロセス志向の心理学』である(2p193,3)。ミンデル博士によれば、人は誰も自分がどう生きればよいのかの深い心の知恵を持っている(6p118)。それが、ささやきの声、静かな沈黙の呼びかけ、サイレント・コーリングである(6p170)。そこで、博士も「センシェント」と呼ばれる繊細な感覚を重視する。この感覚があれば、何が本当に必要で、何が不必要かが見分けることができるようになっていく(3)

13Ken Wilber.jpg この宇宙のすべてはつながっている。一見するとバラバラに思えるものも、すべては究極的な一の顕れである(3)。ミンデル博士は、人生の流れや人生の方向性を作り出している源の力を人知を超えた「プロセス・マインド」だと考える(3,6p119)。ミンデル博士のものの見方には、老荘思想のタオや量子力学、アニミズム的な気配が漂う。そして、これをケン・ウィルバー(Kenneth Wilber, 1949年〜)は「スピリット」と呼ぶ(3)

 普段目にしている現実の次元とは別に、それは、スピリットや内なるタオイストの賢人、仏性、慈悲、システムマインド等と多くの哲学や宗教で呼ばれてきたより深い次元、エッセンスの次元がある(3,6p119〜120,6p180)。それは、時空間に束縛されず、すべてを知っている深い知恵である(6p180)。米国の先住民やオーストラリアのアボリジニたち、とりわけ、シャーマンは、ミンデル博士が「プロセス・ワーク」で使う「心の魔法」を身に付けていたと言える(6p182)

魂が喜ぶ人生を生きることが幸せにつながる

 フランクル博士は、幸福は決して目標ではなく、結果にすぎないと述べているが(6p156)、本当の幸せを手に入れるためには、幸せを求めるのではなく、何か自分が大切にしたいものを大事にしたり、自分の人生で成し遂げるべき「使命」に取り組んだり、愛する人のために尽くしたりすることなのである。そして、我を忘れて何か夢中になっているときに、幸せだと感じられる状態がやってくる(2p158)

 自己を超えた生命の流れがある。この偶然のつながりから、様々なシンクロニシティが産まれてくる。人生で劇的に大きな流れを創りだし、成功や幸せを手にできる人は、このシンクロニシティに対して開かれた心の姿勢を持っている人が少なくない。大切なことは、人との出会い、つながり、ご縁を大切にすることなのである。幸せになれる人は、自分にあまり関心を注がない。逆説的だが、この世界を信じて愛することが、巡り巡って真の幸福を与えることにつながる(3)

 日々魂が喜ぶ毎日、悔いのない人生を生きるためには、収入よりも、ただそれをしているだけで魂が喜ぶ仕事をする。あるいは、勤務時間が一定で残業等がなく、残りの時間でできるだけ魂が喜ぶことのために時間を使うしかない(2p150)。もちろん、魂が喜ぶ仕事は人によって違う。とはいえ、魂が喜ぶ仕事に就くことは、間違いなく、多くのお金を稼いだり、高い社会的地位に就くよりも大切なことなのである(2p151)

フランクル博士の画像はこのサイトから
ヒルマン博士の画像はこのサイトから
ミハイ教授の画像はこのサイトから
ミンデル博士の画像はこのサイトから
ウィルバーの画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) ケン・ウィルバー『無境界』(1986)平河出版社
(2) 諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』(1999)講談社現代新書
(3) 諸富祥彦『生きづらい時代の幸福論』(2009)角川ONEテーマ
(4) 諸富祥彦『人生を半分あきらめて生きる』(2012)幻冬舎新書
(5) 諸富祥彦『あなたがこの世に生まれてきた意味』(2013)角川SSC新書
(6) 諸富祥彦『自分に奇跡を起こす心の魔法40』(2013)王様文庫
(7) プラユキ・ナラテボー、篠浦伸禎『脳と瞑想』(2014)サンガ
posted by la semilla de la fortuna at 00:00| Comment(0) | 魂の人生論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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