2018年05月28日

オーラの謎を解く共感覚

オーラを信じる民族

2018052801.jpg シャーマニック・ヒーリングやエネルギー・ヒーリング、レイキ等では、身体を満たして取り巻くとされている「生気論的なエネルギー場」を操作する。チャクラと呼ばれる特殊なポイントに磁石や水晶をかざしたりすることもある。しかも、ヒーラーも患者もリアルにエネルギーの流れを感じることが多い。科学ではまだ気の流れもそれ以外の超自然的な生命エネルギーの実在を確認できていない。しかし、多くの人々がそうしたものを手に取るように体験している事実がある以上、それを「ただの願望の産物にすぎない」とあっさりと片付けてしまうわけにはゆかない(1p211)

 世界中のあらゆる文化圏に住む人々がオーラが見えると主張してきた(1p187)。そして、中には生まれつきオーラが見える人も多くいる。彼らはオーラをチャクラから流れ出したエネルギー、すべての生きとし生けるものが発散している生命力のエネルギー場だと主張する(1p188)

20180528Himba.JPG アフリカのナミビア北西部の不毛な砂漠地帯、カオコランドに住む遊牧民、ヒンバ族は、人間は誰も自分の身体の周囲を包み込むスペースがあると信じている。しかも、このシャボン玉のような空間は他者の空間とも混じりあっているため、部族の者は決して孤独ではないと考えている(1p173)

John-EcclesS.jpg けれども、科学からすれば、身体を神秘的なエネルギー場が取り巻いているという考え方は否定せざるをえない(1p187)。最先端の機器を使用してもオーラの源といえる類のエネルギー場は確認できずにいる。ジョン・カリュー・エックルス(1903〜1997年)卿は主観的経験の「サイコン場」を提唱したが、その実証的証拠を示すことができなかった(1p188)

音楽家や詩人に多い共感覚の持ち主

 「共感覚(シネスシージア)」という現象をご存知だろうか。数字や文字に色があったり、色に匂いがあるように見える感覚のことだ(1p186)。1000〜1万人に一人とされているが(2p120)、音楽家や詩人には、共感覚の持ち主が多い。フランツ・リスト(1811〜1886年)はオーケストラの楽員たちにこう述べていた。

「もう少し青くしてください。このトーンにはそれが必要です」「ここは深い紫色です。バラ色ではなく」

 リストは冗談を言っていたのではなく、本当に音に色が見えるのであった(2p152)

 アルチュール・ランボー(1854〜 1891年)も「Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Оは青。母音よ」という詩を残している(2p152)

Vassily-Kandinsky.jpg ロシアの抽象画家、ワリシー・カンディンスキー(1866〜1944年)も共感覚の持ち主で(2p150)。色を見ると音が聴こえると言っていた。カンディンスキーはカンバスに音楽を描いていたのだ。そして、この絵を見るとその音楽が聴こえる共感覚者もいる(1p186)

 芸術家、小説家、詩人の3分の1は何らかの共感覚体験があるという(2p152)。そして、創造的な人たちには一般的に共感覚の出現率が高い。芸術家がメタファーを得意とするのも、メタファー的に表現をしているからではなく、共感覚の持ち主だからなのである(2p154)

共感覚の謎に取り組んだ天才ゴルドン

Francis-Galton.jpg ダーウィンの従妹にあたるフランシスコ・ゴルトン(1822〜1911年)卿は、過激な人種差別主義者で優生学という似非科学も支援していた(2p116)。とはいえ、ゴルトン卿の天才性は否定できない(2p117)。1892年にネイチャー誌に短い論文を発表し、「共感覚」についての初めて系統的な研究を発表しているからである。ゴルトン卿は最もよくある2タイプの共感覚、音が色を誘発するタイプの聴覚・視覚共感覚と数字が常に固有の色を帯びる書記素・色共感覚について指摘した(2p117)

目は見た通りのものを見ていない

 ラマチャンドラン教授はスーザンという自分の学生が実際に共感覚の持ち主であったことから、それがどのようなものなのかを実際にテストしてみた。すると、アラビア数字の「7」は赤色に見えたがローマ数字の「Z」では見えなかった。このことから、共感覚は数の概念ではなく、視覚的な外形によって引き起こされる現象であることがわかる(2p123)

 ここで、「見る」ということがどういうことなのかを考えてみよう。人間を含めて、霊長類では後頭葉と側頭葉、頭頂葉の一部が視覚に関与し、30もの視覚野のそれぞれが処理にかかわっている(2p88)。そして、知覚はただ脳の中に表示される像ではない。スイスの結晶学者、ジュネーブ大学のルイス・アルバート・ネッカー(1786〜1861年)教授は立法形の結晶を顕微鏡で覗いていて、ある日、突然にその結晶が反転して見えることに気づく。ネッカー教授が偶然に発見した「ネッカー・キューブ」は、そのことを立証している(2p80)

運動視に関与するMT野

 側頭葉のMT野は主に運動視に関与する(2p94)。ここにダメージを受けた患者は、新聞も読め、モノや人も認知できる。けれども、動いているものが連続した静止画像のように見える(2p95)。fMRIは脳の血流量の変化で生じる磁場を測定する装置だが、これで調べるとMT野は動くものには活性化するが、静止画や色がついた文字には反応しないことがわかる(2p95)。また、経頭蓋磁器刺激装置をもちいて、健全なボランティア被験者のMT野を一時的にノックアウトすると他の視覚能力が損なわれないのに、運動盲状態になる(2p96)

色の処理に関与するV4野

Semir-Zeki.jpg 同じように側頭葉の「V4」と呼ばれる領野に色の処理に特化した中枢が存在することは(2p96,2p138)、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジのセミール・ゼキ(1940年〜)教授によって発見されている(2p138)。この領野にダメージを受けると世界全体から色が消えて白黒映画のようになってしまう(2p96)

2018052802S.jpg そして、「V4」で処理された色の情報は側頭葉上方部の角回の近くにあるより高次の色の領野に送られて、さらに複雑に処理されている。例えば、緑の葉も日中と夕暮れ時では反射される光の波長組成が異なっている。にもかかわらず、夕暮れ時の葉が赤みがかって見えることはなく、同じ色合いの緑色に見えるのは、高次の色の領野が色調補正をしているからである(2p141)

類似した特徴をグループ化して分離する

Angular-gyrus(角回).gif 緑の木の葉のまだらもようの陰にライオンが隠れているとしよう。網膜に達する生の像はバラバラの黄色の断片にすぎない。けれども、脳はこの断片をつなぎあわせ、ライオンとして認識し、直ちに扁桃体に情報を伝える。つまり、類似した特徴をグループ化して分離する能力は、カムフラージュを見破り隠れた対象物を発見するために進化した(2p134)

 この能力は共感覚につながるのではないか。ラマチャンドラン教授は、「5」の中に三角形の形で「2」が紛れ込んでいる図を見せてみた。コンピューターで0.5秒見せると自然に形を見分けられないため正答率は50%でしかなかった。けれども、「5」に緑、「2」に赤の色を付けると正答率は80〜90%にあがった。そして、共感覚の持ち主に見せると、実際に数字が色分けされているように正答率は80〜90%だったのである(2p137)。これは、ゴルトン卿以来、初めて共感覚が実在することを示した実験だった(2p138)

色の共感覚は脳の混在によって生じる

Edward-Hubbard.jpg 最もよくあるタイプの共感覚は数字・色タイプである(2p138)。そして、ほぼ同じ部位に数字に特化した領野がある。この領域に障害がある患者は計算能力が失われることと(2p138)、視覚的な数字認識が起きる脳領野が「V4」の隣にあることはfMRIを用いてマッピング化することからもわかる(2p139)。数字・色の共感覚は、これらの特化した領野の間のクロス活性化で生じるのではないだろうか(2p143)

 LSD等の幻覚剤を服用すると共感覚が起きることがあるが、正常な脳でも互いに離れた脳領域の間でかなりの神経結合が存在することが判明している。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)という抗鬱剤を服用すると、共感覚が一時的に失われたという共感覚者もいる。これは、近くの脳領域での神経伝達物質によるクロス活性化によって共感覚が生じることを示唆している(2p143)

Steven-Scholte.jpg ラマチャンドラン教授はウィスコンシン大学マディソン校のエド・ハバート准教授とソーク研究所のジェフ・ボイントン(現在ウィスコンシン大学マディソン校教授)との共同研究によって、書記素・色の共感覚者では、色がついていない数字を見てもV4領域が活性化されることを示した。そして、オランダのアムステルダム大学のロムケ・ロウ博士とスティーヴン・ショルテ博士の研究によって、低位の共感覚者ではV4と書記素の領野をつなぐ軸索がかなり多く、高位の共感覚者では角回近辺の神経線維の数が多いことも明らかにされた(2p147)

ペリパーソナル・スペース

 さて、話が飛ぶ。脳は、身体の周囲を取りまく空間をイメージしている。神経科学者はこれを「ペリパーソナル・スペース」と呼ぶ(1p174,1p188)。外界を移動するときに身体が空間内のどこに位置しているのかを正確に把握しておかなければ、木の枝にぶつかったりするのだから当然のことだ(1p175)。この「ペリパーソナル・スペース」が、上述した数々の不思議な経験を科学的に理解するための手がかりになる(1p188)

「ペリパーソナル・スペース」が初めて体系的に研究されたのはいまから30年前。イタリアの神経科医、エドアルド・ビジアッチが右頭頂葉に脳卒中が起きた場合に起きる「半側空間無視」という障害に着目したことに始まる。「半側空間無視患者」は、例えば、左側の空間や自分の左半身をまったく認知できない。すなわち、それは最初から存在していないのである(1p177)

 このマッピングがどのようになされているのかをプリンストン大学の神経学者、マイケル・グライツィアーノのチャールズ・グロスは1994年にサルの脳に電極を挿入することで明らかにする。二人が着目したのは「前運動野」であった。そこは「運動野」であると同時に、触覚と視覚の両方に反応するニューロンが存在する。実験でサルの手の甲に刺激を与えると手の領域にあたる神経細胞がひとつ以上発火した。けれども、20p以内の離れた場所にモノをおいてもサルがそれを見た場合には同じニューロンが発火した(1p183)。これはこのニューロンが触覚だけでなく身の回りの空間もマッピングしていることを意味する(1p184)

オーラはペリ・パーソナルスペースと色の混線

Jamie-Ward.jpg 2003年、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの心理学者、現在、サセックス大学のジェイミー・ウォード教授は、オーラが見えるという女性、グロリアを研究していた。グロリアは情緒と色の共感覚の持ち主であった(1p185)

 人は誰もブルーな気分といったように気分を比喩的な意味で色と感覚を結びつけることがある。けれども、グロリアはその程度が半端ではない(1p186)。本当に色が見えるのである。すなわち、グロリアのオーラは、ペリパーソナル・スペースと色と感覚が統合されている(1p188)。ウォード教授はこの原因として、脳感覚領域の異常な混線のためだと考える(1p186)。つまり、オーラとは交差された脳の自然な産物だったのである(1p188)

【画像】
オーラの画像はこのサイトより
ヒンバ族の画像はこのサイトより
色の錯覚の画像はこのサイトより
角回(angular gyrus)の画像はこのサイトより

【人名】
ジョン・カリュー・エックルス(John Carew Eccles)卿の画像はこのサイトより
ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)の画像はこのサイトより
フランシスコ・ゴルトン(Francis Galton)卿の画像はこのサイトより
ルイス・アルバート・ネッカー(Louis Albert Necker)
セミール・ゼキ(Semir Zeki)教授の画像はこのサイトより
エド・ハバート(Edward M. Hubbard)准教授の画像はこのサイトより
ジェフ・ボイントン(Geoff Boynton)
ロムケ・ロウ(Romke Rouw)
スティーヴン・ショルテ(Steven Scholte)教授の画像はこのサイトより
ジェイミー・ウォード(Jamie Ward)教授の画像はこのサイトより

【引用文献】
(1) サンドラー・ブレイクスリー、マシュー・ブレイクスリー『脳の中の身体地図』(2009)インターシフト
(2) V.S.ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(2013)角川書店
posted by la semilla de la fortuna at 06:00| Comment(1) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

幻肢と幽体離脱の謎

身体を抜け出る幽体離脱や幻肢は心身二元論を立証する現象か

2018052002.jpg「体外離脱」や「幽体離脱」という現象をご存知だろうか。意識が身体から離脱してまるで自分の肉体を天井から見下しているかのように感じる現象だ(3p155)。天井近くまで浮かんで自分を見下ろしている自分を見ているという霊体離脱体験は一般に考えられているよりもはるかに多い(1p190)。こうした体験は数千年前から報告されており、幽霊といったこの世のものならぬ存在を人々に信じ込ませて来た(1p189)

Michael-Murphy.jpg 作家マイケル・マーフィー(1930年〜)は、著作『スポーツと超能力』(1984)日本教文社で、スポーツ界の超自然的な体験の逸話も紹介している。アスリートたちは競技中に体外に抜け出したり、泳ぎ続けている自分の姿を空中からリラックスして見ていることがあるという。高見から広くプール全体を見渡して他の選手の動きを予測できる水泳選手もいる(1p189)

 ジェット戦闘機のパイロットも同じような雲、エンジン音、振動という単調な条件が続く長時間飛行していると変性意識状態に陥ることがある(1p188)。コックピットの外を漂い機内の自分を振り返ってみていることがある。そして、登山家も高地をトレッキングしていて自分の身体を見失うことがある(1p189)

 けれども、最新の脳科学からは、この幽体離脱は側頭葉のてんかんが原因であることが判明してきた。実際、側頭葉に軽い電気ショックを与えるとそのように感じるのである(3p155)。とはいえ、なぜ側頭葉に電気ショックを与えるだけで幽体離脱現象が起きるのであろうか。その謎を解く鍵は幻肢にある。

 「幻肢」という現象をご存知だろうか。手足を失ってもまだそれが存在しているかのように感じ続け、以前と同じような痛みや温感を覚え続ける現象だ(2p178,5p50)。医師、サイラス・ウィアー・ミッチェル(1829〜1914年)が命名した現象で、南北戦争後に広く知られるようになった。実際、手足を切断した人の70%は幻肢を体験するという(2p178)。そして、この幻肢も「心身二元論」を立証する現象だとずっと考えられて来た。人間は物質的な肉体と精神的な魂との双方からなっており、この無形の魂の存在を示す証拠が幻肢だというのである(1p141)

顔と手の感覚はつながっている

 けれども、最新の脳科学からは、この幻肢は脳によって作り出される現象であることが判明している。そして、その謎を解くヒントは、米国国立衛生研究所のティムシー・ポンズ(1956〜2005年)博士が行ったサルの「ボディ・マップ」の研究から始まった(1p139)

Penfield.jpg 動物は、一次体性感覚野、すなわち、触覚とかかわるボディ・マップと随意運動のボディ・マップを持つ(1p30)。カナダの脳神経学者、マギル大学のワイルダー・ペンフィールド(1891〜1976年)教授は20年近い歳月をかけて感覚野と運動野に相当する脳内マップを作り上げる(1p32)。図をご覧いただきたい。指と胴とでは触覚受容器の数が100対1も違う(1p34)。このため、これを中世哲学用語で小人を意味するラテン語「ホムンクルス」にしてみるとこんな奇妙なカタチが出現するのである(1p31)

 ポンズ博士は、サルの腕の神経を切断して、その腕を撫でてみた。当然のことながら腕のマップに相当するサルの脳神経は発火しなかった。ところが、顔にふれると死んだ手の領域にあったニューロン群は発火した(1p139)。これはある意味では不思議ではない。ペンフィールド教授が発見した感覚マップによれば腕のすぐ隣には顔のマップがあるからだ(1p139,3p53)

 カリフォルニア大学サンディエゴ校の神経科学研究所のヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951年〜)所長兼教授は、このサルの研究のことを知り「これで幻肢現象が説明できるのではないか」と考えた(2p177)

脳の可塑性が失われた幻肢を作り出す

 ラマチャンドラン教授は、ポンズ博士がサルに対してしたのと同じように、自動車事故で左腕を失ったばかりの17歳の青年に対して左頬に綿棒で軽くふれてみる実験をしてみた。すると青年は親指や人差し指の存在を感じた(1p140,2p178)。すなわち、実際の腕は失われていても、脳内にはまだ失われた腕の「マップ」が残され、その感覚が顔にあることが発見された(5p50, 5p51)

 この奇妙な現象は脳の立場になってみると理解しやすい。脳は絶えず腕から入ってくる情報を受け取っている。けれども、腕を失ってしまえば待てど暮らせど触覚情報がやってこない(5p51)。それまで手を感じていた感覚入力が減少し(2p190)、脳は感覚信号に飢えることになる(5p52)。一方、手に対応する体性感覚野の領域は顔に対応する領域のすぐ横にあるため(1p134)、神経系は隣接する顔面領域を感じていた体性感覚野を司る領域へと侵入する(2p190)。そこで、顔に触れられれば、その神経系は高次の脳領域に対して「手だ」と情報を発信するのである(5p53)。信じられないことだが、アザラシ肢症という先天性障害によって生まれつき腕がない患者であっても幻肢感覚を持つ(5p422)。このことは身体のイメージが生得的なものであることを想起させる(5p360)

 以前には脳の神経結合は胎児期や乳幼児期の早期に完成し、成人になってからは変化しないと考えられて来た。この理論からすれば、脳卒中になったり、脳に外傷を受ければ二度と機能回復は期待できない(5p53)。また、1980年代までは脳は特定の仕事をするように生まれつき組み込まれた多数のモジュールから構成されているとされてきた(5p64)。けれども、実際の脳には驚くべき可塑性がある(5p53)。1990年代になってからはこうした静的な見解はずっとダイナミックな図式へと置き換わった。脳の各モジュールは別の場所と隔離された状態で働いているのではなく、モジュール間にはたえずいったりきたりの相互作用がなされている(5p64)

 実際、ラマチャンドラン教授は脳画像法を用いて脳が変化して再編成されていることを確認した(2p178,5p55)。教授の発見後、まもなく、イタリアのジョヴァンニ・バルーチとサルヴァトーレ・アグリオティも別のケースを見出す。まさに逆のケースで、顔面に分布している感覚神経、三叉神経が切断されるとすぐに顔面のマップが手のひらにあらわれたのだ(5p54)。足が切断された後でペニスで幻の足の感覚が感じられるようになった患者もいる。確かに生殖器のマップも足のマップのすぐ隣に位置している(5p55)

フェルトセンスから頭頂葉がボディマップを作り上げている

 幻肢からわかるように、人間はボディ・マップを持つが、これは二つある。ひとつは、身体の物理的な特性に根差したボディ・スキーマ(身体図式)である。これは身体の感覚、フェルト・センスに基づく(1p46)

Henry-Head.jpg フェルト・センスに基づく、ボディ・スキーマという概念は、1911年にイギリスのヘンリー・ヘッド(1861〜1940年) 卿とアイルランドの神経学者、ゴードン・ホームズ(1876〜1965年)卿によって提唱された。二人は、触覚からの情報と同じように身体の筋骨格系からの信号も脳に伝達されていて、姿勢や四肢の位置の確認に用いられていると考えた(1p50)。さらに、二人はこのボディ・スキーマが着衣によって拡大することにも気づく(1p50)

Paul-schilder.jpg けれども、ボディ・スキーマの概念だけでは身体経験の本質を完全にはとらえきれない。このため、米国の神経科学者、ニューヨーク大学医学部のポール・シルダー(1886〜1940年)教授は1935年に「ボディ・イメージ」という概念を導入した(1p61)。ボディ・イメージは、自分自身の身体について学習した考え方から生じるボディ・イメージである(1p46,1p56)

鼻をピノキオのように伸ばし壁をすり抜ける

 筋肉にある筋紡錘繊維は筋肉の長さの変化を絶えず感じ取っている。そして、その情報が絶えず脳に送られ続けていることがボディ・ルキーマを維持するためには重要である。身体に小さなバイブレータをテープで張り付けて振動を送ると、振動によって筋紡錘は腱が弛緩していると勘違いする。このため実際に関節が曲がっていなくても曲がっているという感覚が生じる。つまり、目で見ている手足の状態と固有感覚が矛盾する(1p79)

 肘の屈曲部、二頭筋の腱にバイブレータを張ってから一差し指を鼻にあてて目を閉じる。すると腕が伸びる感じがする。指が鼻先にさわったままなのに肘が顔から遠ざかる。脳は二つの合致しない感覚信号が届くと、身体からの伸展情報が誤っていると判断する変わりに、たとえ物理的に不可能であるとしてもこの矛盾を解決する解釈を打ち出す。つまり、鼻がピノキオのように60pも伸びる。

 同じように、二頭筋の腱にバイブレータを張ってから腕をつっかえ棒にして壁によりかかり目を閉じる。たちまち、腕が縮んだような感覚がする。この場合は、幽霊のように壁をすり抜ける感覚を覚える(1p80)

2018052001.jpg 同じように首の付け根の筋肉を振動させれば、頭は解剖学的に不可能な位置までくるりとまわり、悪霊のように真後ろを見ている感じがしている(1p81)

このように身性感覚の錯覚を引き起こせば、身体の一部を大きくしたり小さくしたり、曲げたり、あるいはあり得ないカタチにゆがんだように感じさせることができる(1p79)

頭頂葉が身体のイメージをリアルタイムで作り上げている

 ここで脳についてさらに詳しく説明しておこう。皮質は、名刺1枚分程の厚さの層、6層からなる神経細胞から形成されている。大脳皮質は広げると50〜60cmのディナーナプキン程度だが、それが頭蓋にきれいに収まるようにしわくちゃになるまで折り畳まれている(1p58)。大脳皮質は後頭葉、側頭葉、頭頂葉、前頭葉という4つの領域に別れ、それぞれ異なる機能を担当している(5p41)。例えば、皮質は視覚、聴覚、触覚、運動等の様々な専門領域にわかれ(1p58)、脳の後部、頭頂葉と側頭葉の2領域は身体と関連した感覚情報の処理を専門としている(1p329)。けれども、脳葉同士はかなり密接に相互作用しあっている(5p41)

 低次領域が未処理の感覚情報を得て高次領域に伝えている。伝えられた情報はさらに高次の領域に伝達されていく。そして、高次の心的機能は大脳皮質が担っているが、すべてを統合する最高領域は存在しない(1p58)。高次領域に達した情報は再び下の階層にフィードバックされている。例えば、大脳皮質の大半の領域には上の階層に情報を伝達する神経繊維1本あたり、処理した情報を下の階層に伝える神経繊維が10本もある(1p58)

Postcentral-gyrus(中心後回).gif 触覚、腱・関節、筋肉からの感覚情報は「中心後回」からその後方にある「一次体性感覚皮質(S1)」と「二次体性感覚皮質(S2)」へと送られる。この皮質領野には「身体感覚のマップ」がある(5p360)。体性感覚の情報は、そこから「上頭頂小葉」に送られ、そこで、視覚や聴覚や内耳からの平衡覚、そして、空間内における四肢の位置についての「視覚フィードバック」情報と結びつけ、こうした情報を調整することによって、リアルタイムで身体的自己のイメージを作りあげている(5p42, 5p43,5p360)

 すなわち、ボディ・スキーマは身体から送られる動的感覚信号によって(1p63)、頭頂葉が作り上げているし(1p52)、身体を取りまく空間も頭頂葉によってマッピングされている(1p183)。自分が世界のどこにいて、世界とどのように関係しているのかを淀みなく把握できるのは、頭頂葉が働いて、表象としての世界を作り上げているからなのである(1p53)

ダーウィンの慧眼〜ミラーニューロンの予言

Giacomo Rizzolatti.jpg さて、ここで話が少し飛ぶ。人間を含めて哺乳類には、共感力がある。けれども、この共感力がどのようにして生じるのかが解明されたのは意外に新しく、1990年に入ってからのことだ。それは、イタリアにあるパルマ大学の神経科学者、ジャコーモ・リッツォラッティ(1937年〜)博士が1匹のサルから発見した神経細胞「ミラーニューロン」がその皮切りとなった(6)

 とはいえ、このミラーニューロンの働きの重要性にいち早く着目していたのが、ダーウィンである。ダーウィンは、ハーモニカを吹いているのを目にして、ロンドン動物園の若いオランウータンがそれをひったくって真似をしはじめたことから類人猿の模倣能力について考えを巡らしていた(5p431)。そして、槍投げ選手の姿を見て膝を曲げたり、ハサミを使っている人の姿を見て無意識に顎を開けたり閉じたりして、その動きをなぞることがあることにも気づいていた(5p248,5p431)

 これは、ミラーニューロンの働きによる。実際、手で随意的な動きを行うとミュー波と呼ばれる脳波が消失するが、このミュー波は別の誰かが手を動かしているのを見ているときにも抑制がなされ消失する。けれども、上下に跳ねるボールのようにただの物体の運動を見ているときには起こらない。このことから、1998年にラマチャンドラン教授は、ミュー波の抑制はミラーニューロンによって生じると提言した(5p180)

自己という概念は幻想である

 意外なことだが、このミラーニューロンは「自由意志」や「自己」と深く関わってくる。誰でも、自分の身体は自分のものとして認識され他人の腕を自分の腕だと思い込んでしまうことはない(5p353)。そして、誰も自分の自由な意志をもっていると感じている。さらに、自分に対しても気づいている(5p355)。けれども、様々な神経学的な病状から、脳神経科学が明らかにしてきたのは、「自己」とは一枚岩的な存在ではなく、多数の構成要素からなっていることだ。これは自己に対する直感に真っ向から対立はする。けれども、単一の自己という概念は幻想のようなのである(5p348)

ミラーニューロンによる模倣を防ぐために進化した自由意志

Supramarginal-gyrus(上縁回).gif まず、「自己」の大きな特徴のひとつに「自由意志」がある。人は誰も自分で自分の行動を管理できていると感じている(5p401)。すなわち、この世界には複数の選択肢が存在しており、それに対して主体的な意志を持って特定の行動を選択しているという感覚をもっている(5p402)

Inferior-parietal-lobule(下頭頂小葉).gif けれども、まず、様々な行動の候補を思い浮かべて、それをイメージすることを可能としているのは、左脳の縁上回である(5p355,5p401)。頭頂葉は人類の進化の過程で著しく拡大した。とりわけ、顕著に発達したのが下頭頂小葉である(5p43)。下頭頂小葉は下等哺乳類ではあまり大きくないが霊長類では目立つようになり、大型類人猿では不釣り合いなほど大きく、人間で最大に達する(5p189)。そして、ある段階で角回、縁上回と呼ばれる2つの処理領域にわかれた(5p42)。下頭頂小葉から派生した角回と縁上回は類人猿の脳には解剖学的に存在しない(5p45)。おそらく、縁上回は手と目の協調という元の小葉が果たしていた機能を維持し、さらに熟練を要する模倣や道具使用のために精緻化され(5p256)、斧の刃を柄に取り付けるといった道具の製作によって進化したのだとラマチャンドラン教授は考える(5p401)

 さて、こうして進化した「縁上回」がその時々の状況で使える複数の行動オプションを絶えずイメージしているのだが(5p181)、この左の縁上回にダメージを受けた患者は、精神面では正常で言語的にも問題がないにもかかわらず、例えば、「さよなら」と言って手を振るといった簡単な動作ができない。これを「観念運動失行」という(5p255,5p401)

 次に、縁上回を含めた頭頂葉からの様々な選択情報を受けて、これを選択しているのが「前部帯状回」である(5p402)。ここにダメージを受けた患者は、「無動無言症」となる(5p346,5p402)。けれども、何週間かたって回復した少数の患者は「意識が完全にあって何が起きているのかもわかっていたが、何もしたくない状態であった」と答えている。すなわち、何かをしたいという欲求は、前部帯状回にあることがわかる(5p402)

 そして、運動ミラーニューロンによって自動的な模倣がされてしまうことを抑制しているのも、前頭葉にある抑制回路と考えられる。この抑制回路がダメージを受けると「前頭葉症候群」のように、コントールが効かない模倣動作、反響動作を繰り返すようになってしまうからである(5p181)。「前頭前皮質」が提示した価値に基づいて、行動を望ませているのは前部帯状回である(5p355)。すなわち、自由意志とはより正確には不適切な行動を「しない自由意志」であり、それが進化した理由は、ミラーニューロンによる衝動的な行動を抑制する必要性からかもしれない(5p181)

前頭葉の抑制回路によって個のアイデンティティは維持されている

 トロント大学の研究者たちは、脳外科手術を受けている患者の「前部帯状回」のニューロン活動の記録を取っていた。前部帯状回は身体的苦痛に反応することが知られているため、痛覚ニューロンとも呼ばれる。そして、他の患者が突かれているのを見ている時にも同じくらい盛んに反応することが発見された。これは、まさに他の患者に同情しているかのようである。さらに、マックスプランク研究所のタニア・シンガー(1969年〜)教授がボランティアの被験者を対象に実施した実験によっても確認された(5p180)

Christian-KeysersS.jpg さらに、フローニンゲン大学医学部のクリスチャン・カイザース(1973年〜)教授らが、触覚についても、脳画像の研究から同様のニューロンを頭頂葉において発見している。このニューロンは自己と他者との見分けがつかない(5p180)。このことは、他の人がさわられているのを目にする毎に「接触ニューロン」が発火して、「共感」することを意味する(5p181,5p366)

 けれども、痛覚や触覚のような感覚ミラーニューロンでも、自動的な発火によって見たものすべてを感じてしまうことにはならないのは、運動ミラーニューロンが「意志」によって抑制されているように、同じ抑制システムがあるからである(5p181)。皮膚の感覚ニューロンから「触られていない」との「無効信号」が出され、活性化したミラーニューロンからの情報の双方から高次の脳中枢が「共感するがこれは私ではない」と解釈しているからである(5p182)。すなわち、前頭葉の抑制回路、感覚受容器から出される無効信号、そして、ミラーニューロンの3セットの信号がダイナミックに相互やりとりすることによって、他者に共感しながらも、他者の接触を実際に感じることはないことが可能となっている。これは、前頭葉の抑制システムによって個のアイデンティティが維持されていることを意味する(5p182,5p366)

 それでは、この抑制システムが働かなければどうなるか。ラマチャンドラン教授は湾岸戦争で片手を失い、幻肢感覚を持つ患者に対して、別の人を見てもらいながら、その別の人の手を叩いてみた。すると驚くべきことに被験者は叩かれている感覚を幻肢に感じた。この現象は、別の人の手を見ることによってミラーニューロンが活性化し、かつ、それが自分の手ではないという手からの無効信号がなかったからに他ならない(5p182)

 驚いた教授は、腕を切断する代わりに腕と脊髄とをつなぐ「腕神経叢」に麻酔をかけて、同じ実験をしてみた。すると、被験者は実験協力者の手が触れられているのをただみただけで、麻酔の効いた腕に触覚を感じた(5p183)。教授はこの現象を「獲得性過共感」と名付けた。つまり、あなたの意識と別の人の意識とを隔てている唯一のものは、ただ皮膚だけかもしれないのである(5p182)

 事実、自己と他者との区別は、ミラーニューロンとそれと関連する前頭葉の抑制回路に依存する。自閉症の子どもは、会話の中で「私」と「あなた」を混同することが多いが、これも自我境界の形成が不十分なために自己と他者との区別がよくできないことを示している(5p368)

2018052701.jpg ラマチャンドラン教授は、ある実験を行ってみた。頭の毛がないマネキンを目の前に30cmほど離して立てて、その頭を見てもらう。次に、頭の後ろ、耳のそばをランダムになでられたり叩かれるのだが、同時に同じことを右手でマネキンの頭にも行う。2分もたたないうちに、なでられたり、叩かれたりする感覚が自分の見ているマネキンの頭から発生しているように感じ始められることがわかる。なかには、自分の目の前に双子の自分がいるか、幻の頭が存在していると感じる人もいる。

 脳は自分が見ているプラスチックの頭が自分の頭で感じるのとまったく同じタイミングや順序で具体的に叩かれることはとてもあり得ないと見なす。そこで、自分の頭を見ているマネキンに一時的に投影してしまうのである(5p417)。この実験からは、たとえ論理的にバカげているとしても感覚がマネキンの頭から生じていると体験してしまうこと。そして、自分の身体感覚を脳が構築していることがわかる(5p416)

人間の心は左脳と右脳の拮抗から生じている

 ここでまた話が飛ぶ。直感的、創造的、情動的な右脳と、直線的、合理的な左脳。左右の脳半球は別の働きをするよう特化している。多くの通俗の心理学ではそう指摘されてきたが、これには一抹の真実がある(5p373)。昼と夜、陰と陽等、物事を対極的な二つにわける二分法は単純すぎる発想に思えるが、システム工学の観点からすればまったく理にかなっている。そして、変動を回避しシステムを安定させるための制御システムは、生命現象では例外どころか、むしろ一般的なルールでもある。したがって、人間の精神の多くの諸相は、相補的な役割を果たす二つの脳の拮抗から生じている。そして、二つの脳の役割は、どちらかの半球が脳卒中等でダメージを受けた患者からわかる(5p375)

 では、それぞれの脳半球はどのような役割を果たしているのであろうか。左脳の役割は、感覚器から入力される情報を既存記憶と組み合わせ、自分の世界についての信念体系を構築することにある。そして、この信念体系と相矛盾する情報が入力されると、自己の一貫性を安定させるため、情報を捏造してまで全体との調和を維持しようとする。心理学的に見れば、認知的不協和を防いだり、エゴが瓦解するのを防ぐため、映画を作りだしていると言える。人生に一貫した感覚を持たせ、行動を安定させるためにはこれは必要なことである。けれども、左脳のこの働きに歯止めがかからなければ、妄想的な状態がどこまでも続いてしまう。

 これに対して、自分自身や自分がおかれた状況を他者中心の第三者の視点から冷静的・客観的に見ることでバランスを取ろうとするのが右脳である(5p374,5p381)。この右脳の働きによって、自己中心的な左脳が無視したり抑圧している食い違いが検出され、左脳は衝撃を受け自分が作り出した映画を修正する(5p375)

 マネキンの頭を自分の頭だと勘違いしてしまうような非現実的な映画を作り出す左脳に対して、客観的な現実を知らしめているのが右脳である。このことは、右脳の前頭頭頂領域にダメージを受けた患者では、左脳が暴走し(5p375)、現実を無視した妄想を作り続けだしてしまうことを意味する(5p376)。それが「病態失認」と呼ばれる奇妙な障害である。右脳に脳卒中を起こすと多くが左脳が麻痺するが、約20人に1人の割合で、自分の麻痺を否定するケースが見られる。その一例が28代のトーマス・ウッドロウ・ウィルソン(1856〜1924年)米国大統領である。ウィルソンは1919年に脳卒中で左半身が麻痺したがまったくどこにも問題がないと主張した(5p179)

角回を電気刺激すれば体外離脱体験を引き起こせる

 それでは、右脳の前頭頭頂領域にダメージを受けたり、この回路に影響を及ぼすケタミンを服用することによって、ミラーニューロンの働きを抑制している回路の抑制システムが乱れるとどうなるのだろうか。まさに、部外者の「視点」として自分自身を外側から見ているかのように客観的に捉え見るという右脳の働きが暴走し、自分の身体が遊離しているかのように感じる(5p382)。すなわち、ミラーニューロンの抑制システムが乱れれば、個の境界、身体のイメージが解体し、自分自身を上から見下ろしているような体験が生じる(5p366)

Olaf-Blanke.jpg スイスの連邦効果大学ローザンヌ校の神経学者オラフ・ブランケ教授は、2000年12月、ハンディという名の女性に角回に電気刺激を与えたところ、天井からぶら下がって自分の身体を見下ろしていると感じた。これは脳の電気刺激によって誘発された初めての霊体離脱体験の記録である(1p194)。また、別の女性の左角回に電流を流すと影のような人が後ろに付きまとっていると感じた。ドッペンゲルガー現象である(1p191)

 Angular-gyrus(角回).gif側頭頭頂接合部は視覚野の一部であるEBAと密接に連携することによって身体感覚を保持している(1p77,1p329)。側頭頭頂接合部の一部、右角回は自分が自分の体内に存在しているとの感覚を生む領域である(1p329)。電気刺激を受けていない段階では、彼女のボディマップは統合されていた。しかし、これが一時的にズレたことでハンディが感じる空間内での自分の位置と目に見える位置とが一致しなくなった。この混乱を理路整然とした経験に変えるには自分が浮かびあがってはるか高見から自分を見下ろしているのが最適である(1p195)。すなわち、ここに電気刺激を与えれば体外離脱を体験することになる(1p329,3p43)

 角回の近くには大きな静脈が集まっている。この領域への血流が妨げられると右角回に電気刺激をされていなくてもフェルト・センスが失われてしまうことがある。多くの人が臨死体験のあいだに体外離脱体験をするのはそのためなのである(1p195)

 幽体離脱は麻酔をかけた手術中にも頻繁に報告されている。麻酔中でも周囲の動きは情報として脳にインプットされ、脳波はそれを無意識に三次元に変換し、真上から手術を俯瞰しているかのように錯覚する(4p140)。そして、これを証明するのが、斜め後方からの自分の姿を認識したとしても、前方や真横から自分の姿を見る人はいないことだ。実は、これは脳にある構造による(3p156)

 人間の祖先であるサルは樹上生活をしてきた。そのため、まるで肉体から離脱したように、自分の位置を空間的に把握する能力が人間にも備わっている(3p156)。この「空間的知能」の能力が鋭敏化し、平面上の視覚情報が三次元に置換されると上述した神秘体験となる(3p156,4p140)

 深い瞑想やトランス状態に入ると身体や心が空間へと拡大していく。これは、身体の意識が薄れて自分が非局在化したとの感覚を抱くからである。同時に喜び、清涼感、共感が湧いてくる。瞑想に入った僧侶の脳を調べてみると頭頂葉の活動が低下していることがわかる。身体的自己の融解がボディ・マップと空間マップの遮断を伴うのは偶然の一致ではない(1p190)

【用語】
幻肢(Phantom limb)
国立精神衛生研究所(NIMH; National Institute of Mental Health)
神経科学研究所(Center for Brain and Cognition)
身体図式(body schema)
ボディ・イメージ(body image)
視覚野の一部(EBA=Extrastriate Body Area)

【画像】
霊体離脱の画像はこのサイトより
ホムンクルスの画像はこのサイトより
180度回転する映画エクソシストの首の画像はこのサイトより
中心後回(Postcentral gyrus)の画像はこのサイトより
上頭頂小葉(SPL=Superior parietal lobule)の画像はこのサイトより
縁上回(supramarginal gyrus) の画像はこのサイトより
下頭頂小葉(IPL= Inferior parietal lobule) の画像はこのサイトより
角回(angular gyrus)の画像はこのサイトより

【人名】
マイケル・マーフィー(Michael Murphy)氏の画像はこのサイトより
ワイルダー・ペンフィールド(Wilder Graves Penfield)博士
サイラス・ウィアー・ミッチェル(Silas Weir Mitchell)
ティモシー・ポンズ博士(Timothy Pons)
ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(Vilayanur-Ramachandran)博士の画像はこのサイトより
ヘンリー・ヘッド(Sir Henry Head)卿の画像はこのサイトより
ゴードン・ホームズ(Gordon Morgan Holme)卿
ポール・シルダー(Paul Ferdinand Schilder)教授の画像はこのサイトより
ジャコーモ・リッツォラッティ(Giacomo Rizzolatti)博士の画像はこのサイトより
クリスチャン・カイザース(Christian Keysers)教授の画像はこのサイトより
トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)
オラフ・ブランケ(Olaf Blank)教授の画像はこのサイトより

【引用文献】
(1) サンドラー・ブレイクスリー、マシュー・ブレイクスリー『脳の中の身体地図』(2009)インターシフト
(2) シャロン・ペグリー『脳を変える心』(2010)バジリコ
(3) 橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(2010)幻冬社
(4) 橘玲『亜久夢博士のマインドサイエンス入門』(2012)文春文庫
(5) V.S.ラマチャンドラン『脳のなかの天使』(2013)角川書店
(6) G. Conti, Feeling Others’ Pain: Transforming Empathy into Compassion, The Journal of Cognitive Neuroscience, June24, 2013.
posted by la semilla de la fortuna at 12:22| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

A贈与の生物学〜国家を作らなかった人々の論理

権力なき首長

 新石器時代には、政治があったとしても、呪術師や占い師たちのご神託で物事が決められる非合理きわまりないものにちがいない。それが、これまでのイメージだった。けれども、人類学の研究が進んだ結果、意外なほど「民主的」なやり方で政治が行われて来たことがわかってきた(3p138)

 20160704lowie robert.jpg例えば、米国の人類学者、カリフォルニア大学バークレー校のロバート・ハリー・ローウィー(Robert Harry Lowie, 1883〜1957年)教授は、南北のネーティブ・アメリカン社会を元に、「首長(titular)」の三つの特徴を以下のように整理してみせたが(3p136)、そこにはまさに根源的な「政治」の姿が表れている(3p137)

交渉と調整の人

 首長の役目は、部族内や他部族ともめ事がおきたときに、緊張をやわらげ、戦争や殺人といった最悪の事態に突入することを防ぐことにある(3p137)。ただし、「威信」はあっても、政治権力は持たなかった。したがって、気長にネゴシエーションを行いながら、緊張を取り除き、平和をもたらすため、自分の利害を離れ客観的な立場に立てる「正しい心」の持ち主であることが求められた(3p138)。首長の権威を支えているのは「理性」といえる(3p200)

物惜しみしない

 20160704PierreClastres.jpgケチであることは自分を否定することに等しいため、首長は、物惜しみしなかった(3p137)。フランスの人類学者、ピエール・クラストル(Pierre Clastres, 1934〜1977年)の『国家に抗する社会』によれば、誰よりも所有物が少なく見栄えのしない装身具しかもっていない者が首長である。求めるものをすべて与えてしまうのが首長の役割だからである。レヴィ=ストロースも『悲しき熱帯』において「首長の人気の程度では、気前のよさが大きな役割を果たす」と述べている(3p141)。首長は、「貪欲」に対立する作法、文化を身に付けていたといえる(3p142)

弁舌がさわやか

 ためになる話や教訓となる話を聞きたいという人々の欲求には根深いものがある(3p144)。このため、多くの部族の首長には、毎朝や日暮れ時に、何かためになる話をして人々を喜ばせる義務があった。とはいえ、人々が飽きてしまわないように話さなければならない。このため、首長は誰よりも弁舌が巧みで、かつ、うまく踊り歌えなければならなかった(3p143)。踊りと歌で人々に深い感銘を与えた後、おもむろに正しい生き方を諭す。これはまさに文化的な行為といえる(3p144)。なお、現代でも若者たちに最も影響力を持っているのがミュージシャンであることはこれと無関係ではない(3p145)

戦争時には戦争のリーダーが登場する

 けれども、首長の交渉や調停がいつも成功するとは限らない。その場合には、首長とは別に戦時のリーダーが選ばれ、男たちを率いて戦争にでかけることになった。ここでリーダーに求められる能力は勇気である。したがって、二つのリーダーは完全に分離されていた(3p139)

熊楠と折口は対称性の思考を模索していた

20160704Orikuchi.jpg 南方熊楠(1867〜1941年)は傑出した対称性の思考能力を持っていた(7p91)。熊楠が粘菌の研究に没頭したのも、動物と植物、生と死との間の高次元領域を発見することを求めたからであった(7p4,7p93)。また、民俗学者の折口信夫(1887〜1953年)も、表面的には違って見えるものの間に共通性や同質性を見出し、ひとつのものとして捉える能力に長けていた。これもまさに「対称性の思考」といえる(7p90)

幸福という言葉は異界を表す言葉から作られた

 例えば、幸福という言葉は明治時代に英語の「hapiness」やフランス語の「bonheur」を翻訳するため、それまでのやまと言葉にあった「さち」と中国語由来の「福」を組み合わせ作られた(6p176,7p208)

 折口信夫によれば「さち」は、新石器時代の狩猟社会使われていた言葉である。「さ」は古代語で境界を表し「ち」は霊力を意味する(6p177,7p211)。すなわち、森の守護神である熊が境界を超えて人間に贈与する狩猟の豊かさを意味していた(7p211)

 「福神」も、折口信夫の言う、海の彼方にある他界「常世」が関係していた(6p177)。記紀や万葉集、風土記に見られる「常世」は、この世とは時空間の尺度が違い、生命力が溢れた豊穣な世界だとされてきたが(6p208)、オーストラリアのアボリジニの言う「ドリームタイム」に類似する(6p178)。「福神」は、そうした空間や死霊の世界と深くつながり、無限の富や生命を貯蔵し、人間世界に豊かな富をもたらす神と考えられて来た(7p213)。ここには対称性の原理が働いている(7p211)。とりわけ、「さち」は、空間的に対称性の原理を作動させている(7p212)。したがって、人間の幸せは対称性と切り離しては考えられないのである(7p214)

冬は霊力が高まる聖なる時間である

 折口信夫は、霊魂や神の概念がどのようにして誕生したのかを探る中で「古代」という概念を提示する(3p164)。折口は「たま」が極めて古い時代から生き残って来た言葉だと考える。そして、長く寒い「ふゆ」に「たま」が増えると考えた(3p165)。日本の冬は聖なる時間であり、霊力が増える意味を持っていた(3p172)

20160704FranzBoas.jpg 折口が独創的な「霊魂論」を着想したヒントには(3p26)、北西インディアン部族、クワキトゥル族、トリンギット族、ツィムシアン族が行っていた祭りについて、コロンビア大学のフランツ・ボアズ(Franz Boas, 1858〜1942年)教授の研究がある(3p168)

無文字社会のイニシエーションと怪物

 国家を持たない無文字社会では、イニシエーションの儀式が盛んに行われて来た。若者がこれを通過してはじめて大人社会に迎え入れられることになる(7p45)。共同体の長老たちが厳重に保管し、資格ありと認められた若者が、厳しいイニシエーションの儀式を通過した末にようやく体験できる「特別な知恵」が最も大切にされてきた(7p138)

 例えば、北米北西海岸に住む先住民、クワキトゥル族は、夏には協同で漁撈や狩猟採集を行い、首長がリーダーとなっているが(3p170)、冬になると家族中心の社会構造が一変し、人々は「アザラシ組」「ワタリガラス組」といった秘密結社に属し、霊力を発動させるための祭り「ツェツァイカ」を行うのである(3p172)

 うち、最も権威ある秘密結社、アザラシ組の一員になるためには、「ハマツァ(人食い)」の儀式を経験する。その中で志願者は「パブバクアラヌフスィイェ」という強力な人食いの怪物に食べられる体験をしなければならない(3p174,7p46)

20160704Kwakwakawakwgirl.jpg 人類の古いイニシエーションの儀式の主題は、真っ暗の小屋や洞窟に若者が長時間放置し、これから怪物に喰われるのだぞと脅されるというものである。そして、闇の中で若者を待ち受けている怪物は、ほとんどが半人・半獣の怪物なのである(p130)

 夏は狩猟の季節であり、人間が動物を殺す。けれども、冬にはこの関係が逆転し、森を住処とする自然の王「パブバクアラヌフスィイェ」に人間が食べられるのである(3p175)

自らを犠牲にすることで幸をもたらすアリクイ

 中央アフリカのバンツー系の一部族「レレ族」は、動物/人間、女/男、左/右と二項論理によって自分たちの生きる世界を構築しているが(7p122)、1970年代に人類学者、ノースウェスタン大学のメアリー・ダグラス(Mary Douglas, 1921〜2007年)教授は、男たちだけが参加するある特別な儀式ではこの秩序が崩壊することを報告している(7p123)

 20160704douglas.jpg若者が長老からレレ族伝承の「特別の知恵」を授けられるイニシエーションの儀式では、全員でアリクイを食べる(7p124)。そして、彼らの二項論理では分類できない「怪物」、アリクイを食べることで女性たちが妊娠し、狩人は獲物をたくさんしとめられると考える(7p125)。さらに、アリクイは自らの内部から世界に幸せをもたらす能力を解放しようとして、自ら進んで死を選んだと解釈される。怪物的な動物は聖者のような利他心をもって自分を犠牲に捧げようとしていると考えることによって、アリストテレス型の論理が解体され(7p126)、生と死の対立を超えた高次元な世界が追求されているのである(7p127)

人間に変身するシャチやヤギ

 クワキゥトゥル族は、人間とシャチとが入れ替る「トランスフォーム・マスク」を作っているが、こうした仮面は北西海岸のインディアンやイヌイットに至るまで広範な地域で発見されている。東京帝国大学の金田一京助(1882〜1971年)教授の「山の思考」によれば、明治の東北盛岡でも春田打ちの舞に出てくる芸人が、美しい女性の田の神と醜い山の神の顔を交互に入れ替えるマスクで芸を演じていた(7p42)

 北米北西海岸に居住するトンプソン・インディアンの神話「狩人と山羊」では、山羊も人間となる(7p26)。そこには、山羊と人間を切り離す非対称の原理と、山羊と人間との間に絆を作り出す「対称性の原理」のバランスとがよく考え抜かれている(7p30)

冬には逆に人間が食べられる〜対称性の論理でバランスをとる

ポイエーシス(贈与)からテクネー(開発)へ

 例えば、ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger, 1889〜1976年)は、近代技術の本質を明らかにするため、古代ギリシア人がテクノロジーについて、どのように考えていたのかに着目した。テクノロジーの語源は、ギリシア語の「テクネー」だが、この言葉は「ポイエーシス」と対比的な意味を持っていた(3p121)

 すなわち、ギリシア人は、自然に花が咲くように、自然が隠し持っていた豊かなものを自発的に持ち出す「贈与」を「ポイエーシス」と呼ぶ一方、岩山を砕いて鉄鉱石を取り出したり、鉄鉱石を熱して純度が高い鉄を作る等、自然の中に隠れている豊かなものを挑発的に引き出す行為のことを「テクネー」と呼んでいた。そして、ハイデガーは、近代社会では技術が「テクネー」としての性格を強め、自 然を開発の対象として見るようになってしまったことに危機感を抱いていた(3p121)

 確かに、人間は技術を手にすることによって動物よりも圧倒的に有利な立場に立てたし、自然の富も無尽蔵に手に入れられるように見える。けれども、人間が動物に対して「非対称的」な関係を打ち立ててしまえば、いずれ非道な仕打ちに怒った自然が、人間に豊かな富を贈与しなくなるに違いない。先住民たちは、そう考えていた(3p176)

夏には人間が獣を食べ、冬には獣に人間が食べられる

 夏の狩猟の季節には、世俗的な季節を指導する首長は、法律家であり、道徳家であり、理性と弁舌をもって社会に平和をもたらすため、威信を保っていた(3p182)。そして、こうした社会においては、シャーマンはいつも社会の周辺部にいて、権力の中心には近づけないようにされていた(3p135)。ただし、冬の祭りの時には、戦士、シャーマン、秘密結社のリーダーが中心となった(3p183)。戦争も祭りとよく似た行為である(3p180)。ただし、伝統社会での戦争は、失われたバランスを取り戻すことが目的であり、報復が完了すればそれで終わり、大量虐殺や全面戦争には至らなかった(3p182)

 要するに、二つの異なる原理をバランスさせることで、無文字社会、国家を持たない社会は3万年以上も比較的つつましくこの地球上で生きて来た(7p118)。人間と動物との間には対称性の思考があるため、狩猟民は乱獲を起こさなかったのである(7p154)

 1920年代には、フランツ・ボアズ教授による北米西海岸の先住民の姿が紹介されていた時代だった。彼らの生業も日本の縄文時代も、いずれも、狩猟と漁撈に依存し、熊とサケが重要な動物となっていた点で類似していた(3p155)。このため、宮沢賢治(1896〜1933年)は『氷河鼠の毛皮』(大正12年、1923年)という作品で、節度をもって生きることの大切さを格調高く童話で描いて見せている。

20160704賢治2.jpg『おい、熊ども。きさまらのしたことは尤もだ。けれどもなおれたちだつて仕方ない。生きてゐるにはきものも着なけあいけないんだ。おまへたちが魚をとるやうなもんだぜ。けれどもあんまり無法なことはこれから気を付けるやうに云ふから今度はゆるして呉くれ』

ローウィー教授の画像はこのサイトから
クラストルの画像はこのサイトから
折口信夫の画像はこのサイトから
ボアズ教授の画像はこのサイトから
ダグラス教授の画像はこのサイトから
宮沢賢治の画像はこのサイトから
クワキトゥル族の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 中沢新一『宗教入門』(1993)マドラ出版
(2) 中沢新一『人類最古の哲学・カイエ・ソバージュ1』 (2002)講談社選書メチエ
(3) 中沢新一『熊から王へ・カイエ・ソバージュ2』 (2002)講談社選書メチエ
(4) 中沢新一『愛と経済のロゴス・カイエ・ソバージュ3』 (2003)講談社選書メチエ
(5) 中沢新一『神の発明・カイエ・ソバージュ4』 (2003)講談社選書メチエ
(6) 中沢新一・河合隼雄『仏教が好き』(2003)朝日新聞社
(7) 中沢新一『対称性人類学・カイエ・ソバージュ5』(2004)講談社選書メチエ
posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月03日

贈与の生物学@ 脳神経の配線変化による人類の誕生

はじめに

 先住民、シャーマニズム、脳神経科学、仏教、慈悲、脱成長経済、贈与といったキーワードが気になっている。これが、中沢新一明治大学特任教授が2001年から2003年にかけて行った講義をベースとした『カイエ・ソバージュ』シリーズのテーマとなっていることを知った。脱成長経済の鍵となる贈与経済は、脳神経科学や慈悲、仏教思想とどのように絡んでくるのだろうか。ついては、中沢氏の著作の内容をここで再整理しておきたい。

ユーラシアには中石器時代から続く神話が残されている

 ケルト文明の伝承が色濃く残るフランスのブルターニュやイギリスのウェールズ地方とアジアには、「燕石」についての瓜ふたつの神話が残されている(2p40)。この事実に着目したのは南方熊楠(1867〜1941年)で(2p41)。「燕石」は日本では9世紀に書かれた『竹取物語』に登場するが(2p48)、柳田國男(1875〜1962年)によれば、燕の古い名称は「ツチハミクロメ(土喰黒女)」であり、燕は闇と湿気、すなわち、死の領域にかかわる動物なのである(2p77)

 また、世界最古のシンデレラの物語は9世紀に中国の『酉陽雑俎』に記録されたもので(2p133)、この事実を発見したのも南方熊楠である(2p132)

 ユーラシア大陸の両端に類似した神話があることは、中石器時代に共有されていた思考が残っているからではないだろうか(2p41)

 日本の『古事記』や『日本書記』は8世紀にある政治的な意図をもって編纂されたものだが、その中には、中石器時代や新石器時代の文化に属する驚くほど古い神話が保存されている。これは世界の文明の中でも類例をみない(2p11)

環太平洋には国家を作らなかった人々の文化圏がある

 中国西南部の雲南地方には、イ族、ナシ族、リース族等、多くの少数民族が居住する。現在は山岳地帯に居住しているが、以前は、揚子江に近い平原部で生活していたらしく、縄文人ともかかわりが深い(3p150)。例えば、上述した最古のシンデレラの物語は、唐末期に南中国の少数民族「荘族」の伝承を記録したものらしい(2p133)

20160703map2.jpg 中国では漢民族によって国家が作られるが(3p150)、中沢特任教授は、中国南西部から、日本の東北と北海道、サハリン島、アムール川流域、北米西海岸、そして、南米にまで国家を作ろうとはしなかった環太平洋の人々の文化が辿れると主張する(3p151)

 北海道とサハリンにはアイヌ、サハリンの北方には、ウィルタやギリヤークがおり、オホーツ海に面したアムール川流域には、オロチやウリチ等の狩猟民がいる(3p27)。さらに、北方にはコリャークやチュクチがおり(3p28)、カナダではバンクーバー島を中心に、トリンギット族、ハイダ族、クワキウトゥル族、トィムシアン、サリッシュ族等が居住している(3p28,3p154)

 もちろん、こうした社会が平等であったわけではない。富は蓄積され、貴族、平民、戦争で負けて捕虜になった奴隷と社会の階層化は生じていた(3p160)。けれども、王や国家が出現するあらゆる条件が整っているにも関わらず、彼らは、王や国家を作ることを拒否していた。このことから、中沢特任教授は、社会が発展進化するにつれて、首長が王になり、国家が誕生するわけではないと考える(3p159,5p17)

3万年前にシベリアから移動し、1万年前にアメリカに進出

20160703map1.jpg ホモ・サピエンスは、約10万年前にアフリカを出発し、ヨーロッパやオーストラリア大陸には4万年前、シベリアを超えてバイカル湖周辺には3万数千年前に出現した(7p74)。そして、シベリアからアメリカ大陸への移住は大きく三波にわたってなされた(3p66)

 第一波として、バイカル湖の東のほとりに住んでいた「古モンゴロイド」が、マンモスを追って今から1万年前にベーリング海峡をわたり、ローレンタイドとコルディエラ氷床の間を抜けて中央平原地帯へと進んだ(3p67,3p157)

 移住の第二波は、やはりバイカル湖周辺に居住していたが、その後に、アムール川流域にかなり長期間滞在する中で、独自の文化を身に付けた「北西海岸インディアン」たちである(3p158)

 さらに、南米大陸にたどりついた集団は、アンデス山麓にしばらく滞在した後、あるグループは最南端を目指して南下し、別のグループはオリノコ川流域にそって北上を続け太平洋に到達した。そして、もうひとつのグループはアマゾン川流域の森林地帯に散会していった(5p26)

3万年前に最古の哲学、神話が登場した

 地球上の各地では、いまから1万年前に農業が始まり、動物が家畜化される。これを「新石器革命」と呼ぶ(2p13)。けれども、中沢特任教授は、上部石器時代、3万数千年前に、ホモ・サピエンスの大脳組織に飛躍的な変化が起きたことが重要であると考える(2p12,7p2,7p24)。世界中に残されている神話的な思考の痕跡を探ってみると、ある深いレベルで働いている一貫性のある「論理」が存在していることがわかる(7p14)。これをクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss, 1908〜2009年)にならって「人類最古の哲学」と呼ぼう(2p20,7p14)。すなわち、この脳組織の変化によって、中石器時代に人類は最初の「哲学」を作り出す(2p13)。そして、人類が文字を作り出したのは「神話」を語り始めてから2万年以上も後のことなのである(2p17)

ネアンデルタールとホモ・サピエンスの違いは無意識にある

 ネアンデルタール人は、高度な技術的才能を持ち優れた石器を作り出した。間違いなく言語も話していた(7p67)。ネアンデルタール人は妊娠期間が1年近くもあった(7p65)。そして、ネアンデルタールは、子ども時代が非常に短く、3歳でも新人の成人並の脳を持っていた(7p64)。けれども、ネアンデルタール人の脳は言語的認識を行う部分、社会的認識を行う部分がバラバラに別れて発達し、それぞれが独立して作業をしており、その間のスムーズな連携網は発達していなかったらしい(2p12,5p57)。けれども、象徴的思考、メタファーの能力が欠如していた(3p78,7p69)

 一方、ホモ・サピエンスでは、脳内の結合組織が横断的につながれ、これまでなかった流動的知性が発達する(3p78,5p57)。このことで、人類は「記号」ではなく「意味」として物事を理解できるようになり、そこから「言語」もいまある形へと組織化される(3p78)

 あらゆる言語は、異なる領域を重ねて圧縮する「隠喩(パラディグマ軸)」と異なる領域をずらす「換喩(シンタグマ軸)」からできている(3p78,5p58)。言語は人間の象徴だとされるが、より正確にいえば、言語を可能としている比喩能力、そして、それを可能としている流動的知性の働きこそが人間の証なのである(3p78)。この比喩的思考能力によって、言葉で表現する世界と現実とは必ずしも一致しなくてもよくなり、現実から自由な思考が可能となる。このため、人類は、言葉をしゃべり、歌を歌い、神話という最初の哲学を作り出し、複雑な社会を作り出すことが可能となった(3p58)

 カナダのユーコン川に住むアタパスカン族の神話は、最も古く、コリャーク、チュクチ族等の古モンゴロイドの間でも知られているのと同様の内容を持つ(3p66)。それは、人間が熊になるという神話である(3p74)。ネアンデルタールは、人間は人間、熊は熊と認識していたが、ホモ・サピエンスのように人間が熊になるという思考はできなかった(3p76)

統合失調症は無意識が生で表れた症状

 レヴィ=ストロースはことあるごとに「神話は無意識の行う思考である」と語っているが(7p59)、象徴的思考には、圧縮や置き換えによって意味を横断的につなぎあわせていく流動的な知性活動が不可欠である。それは、豊かな無意識が必要である(p68)。そして、フロイトによれば、「無意識」は、ホモ・サピエンスは妊娠期間が短く、未熟なままに子どもが産まれてくるという「未熟さ」のため発達する(7p65)。「夢」は「無意識」が語る言葉と言われるが、夢は、イメージを圧縮する隠喩とイメージをずらす換喩からできている。「無意識は言語のように構造化されている」とジャック・ラカンが語ったのはそのためなのである(3p58)。すなわち、人類とは初めて無意識を持ったヒトであると定義できる(7p76)

 20160703Blanco.jpgフロイトは、無意識の活動として圧縮や情動の混乱、置き換え等をあげたが(7p59)、チリの精神科医イグナシオ・マッテ・ブランコ(Ignacio Matte Blanco, 1908〜1995年)は『無限集合としての無意識−バイロジックの試み』(1975)で、カオスのように見える総合失調症の背後には、フロイトが無意識の特徴としてあげたのと完全に一致する論理があることを見出す。このことから、ブランコは、統合失調症とは、無意識活動が「生の形」で表面に浮上した現象であると主張する(7p53)

無意識は個を認識しない

 この神話的思考を動かしている最も基本的な思考プロセスは、現在の科学的思考とまったく同じ「二項論理」であり(7p15,7p24)、それ以来、人類の知的能力は進歩していない(7p24)。けれども、神話と科学には大きな違いがある。科学は二項論理を用いてアリストテレス型の論理を働かせる(7p25)。うち、最も重要なのがAという命題があり、非Aという命題があるとき、Aと非Aとは両立しえないという「矛盾律」である(7p25)。

 けれども、無意識も神話と同じくアリストテレスの論理に従わない。アリストテレスの論理は「個」を認識することから出発する(7p53)。けれども、無意識は「個」には関心を示さず、「個」を日本国民や人類のように一般化して扱おうとする。これを哲学者、京都大学の田邊元(1885〜1962年)名誉教授は「種の論理」と呼ぶ(7p54)。すなわち、フロイトが見出した無意識では自己と他者との区別をせず、個を認識しない(7p164)

無意識は非対称の関係性を対称的に扱う

 無意識は非対称の関係を対称的に扱おうとする。これをブランコは「対称の原理」と呼ぶ(7p54)。そして、時間は消失し、部分と全体との差異もなくなる(7p55)。例えば、統合失調症の患者は情動に障害があるが、ブランコによれば、それは、非対称の関係にある愛と憎しみが同質の情動として扱われてしまうためなのである(7p56)

対称性原理の復興が必要

 神話的思考では「対称性の論理」が働いていたが(7p15)、近代以降の科学や哲学は、「非対称の原理」によって成り立ち、対称性の論理を極力排除しようとする(7p32,7p15)。形而上学、資本主義の経済活動、国家権力のすべてが非対称性の論理と関係している。それが、無意識の働きに抑圧や歪みをもたらしている(7p119)

 そこで、神話の対称性の論理を復活させることには今日大きな意義がある。交換が贈与となり、言語は詩となり、人間が宇宙の一部にすぎない倫理的思考が生命を取り戻すからである(7p15)

 とはいえ、現代人がもはや神話の思考に戻ることは不可能である(7p119)。「野生の思考」だけでこの状況に立ち向かうことはできない(7p147)。したがって、流動的知性=無意識の中から出現する新たな智、「対称性人類学」を作り出して行くしかない(7p120)。「対称性人類学」とは抑圧されていない無意識をできるだけ純粋な形で取り出そうとする試みなのである(7p146)

北米西海岸の先住民の図はこのサイトから
ホモ・サピエンスの移動図はこのサイトから
マッテ・ブランコの画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 中沢新一『宗教入門』(1993)マドラ出版
(2) 中沢新一『人類最古の哲学・カイエ・ソバージュ1』 (2002)講談社選書メチエ
(3) 中沢新一『熊から王へ・カイエ・ソバージュ2』 (2002)講談社選書メチエ
(4) 中沢新一『愛と経済のロゴス・カイエ・ソバージュ3』 (2003)講談社選書メチエ
(5) 中沢新一『神の発明・カイエ・ソバージュ4』 (2003)講談社選書メチエ
(6) 中沢新一・河合隼雄『仏教が好き』(2003)朝日新聞社
(7) 中沢新一『対称性人類学・カイエ・ソバージュ5』(2004)講談社選書メチエ
posted by la semilla de la fortuna at 12:42| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月21日

彼岸の生物学D 狩猟採集社会の脱魂型シャーマンから農業祭司社会の憑依型シャーマン

狩猟採集部族社会から農耕社会へ

 20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンス型人類が5万年前の出アフリカ以降、長き放浪のライフスタイルを捨て、定住を始めるのは、1万5000年前のことである。人類史上においては、定住の方が農業の始まりよりも約5000年も早かったし、はるかに重要だった(9)

 狩猟採集民たちは私有財産を持たず、冨の格差もなく、だれもが平等な社会だった。だが、定住化と農耕社会の発展によってこれが変わる(3)

 狩猟採集の部族社会では、シャーマンたちが「聖なるもの」と直接交流し、その豊穣な世界を話し言葉でコミュニティの構成員とわかちあうことで、誰もが密接なつながりを感じることができた(2p48)。各個人が「聖なるもの」に直接的にコンタクトすることも認められていた(2p49)。こうした狩猟採集民の社会におけるシャーマンの権力は、個人的な能力に依存していた。マックス・ヴェーバーの支配類型では「カリスマ支配」にあたる(1p77)。けれども、定住的な農耕社会では、祭司宗教が中央集権的な政治権力と結びつく。神主や神父等は、個人的な霊能力ではなく、世襲的な儀礼執行権であり、ヴェーバーの論理では伝統支配になっていく(1p77)

農耕社会では儀式が日常化する

 これには理由がある。社会の規模が拡大し、社会制度が複雑化すると、狩猟採集社会においては適応的であった脳の情報処理は適応できない(1p81)。例えば、播種した種がやがて実りをもたらすことを信じなければ農業はやれない。数字を記した紙切れや円盤が食料と交換できることを信じなければ貨幣経済は成立しない(1p82)。このため、シャーマン的な意識はより社会の周辺に追いやられてしまうことになる(1p56,1p82)

 狩猟採集社会における儀式は、必要に応じて不定期になされるものである。けれども、農耕社会、とりわけ、雨季や乾季が周期的にめぐる社会では農耕儀礼が大きな役割を果たすようになっていく(1p55)

 農耕社会の日常では収穫を期待して禁欲的に労働する「俗なる」時間が流れているが、収穫を祝う祭りでは日常的な社会秩序が呈しし、「聖なる」時間が出現する。こうして共同体全体がリセットされ、再び俗なる時間のサイクルが始まる。けれども、こうした円環的な時間が支配する社会においては、過剰な欲望は祭りによって蕩尽されるが、差し迫った必要性がなく定期的になされる儀礼は形骸化しやすく、現在の日本の盆踊りのようにトランスを伴わないものに変容してしまう。このため、原初のシャーマニズムが持っていた日常性を破壊する力強いエネルギーは形骸化して衰える(1p56)

変性意識を伴わない祭司を憑霊型シャーマニズムがサポート

20160203Michael Winkelman.jpg アリゾナ州立大学の人類学者、マイケル・ウィンケルマン(Michael Winkelman)教授の調査では、17社会では「憑依型」のシャーマニズムが見出されたが、南北アメリカを除いて、すべてが、アフリカ、ユーラシア、オセアニアとの農耕・牧畜社会で(1p70,1p216)、かつ、ほとんどの場合が祭司とセットになっていた(1p70)。中南米先住民の農耕社会では、男性の脱魂型シャーマンが祭司的な役割も兼ねながら、社会の中心的な地位を占めているのだが(1p84)、それ以外の農耕・牧畜社会においては、祭司が社会の中心に位置し、シャーマニズムは憑霊型シャーマニズムという形で社会の周辺に追いやられていることがわかる(1p70)

神の統合と神話の形成

 事例を見てみよう。例えば、紀元前3500年前から古代メソポタミアでは、シュメール人たちが20余りの都市国家を建設するが、それぞれの国家にはそれぞれの守護神があった。けれども、紀元前1700年前に、バビロンのハムラビ王が全土を統一する。同時に、バビロンの守護神マルズクが各都市国家の守護神の中での最高神となる。その後、前1350年頃からアッシリアがオリエントを統一する。すると、今度は、都市国家アッシュルの守護神であったアッシュルが最高神にひきあげられた(2p52)

 横並びの諸部族が民族国家として統一されていくにつれて(2p51)、神々の間にヒエラルキーが生じ、武力で勝利した部族が自分たちの神を権威化し、他の部族の神をその下に据えたことがわかる(2p52)

 国家の誕生によって社会の規模が巨大化すると、従来の「手づくり」の方法はできなくなる(2p48)。ここで、話し言葉から書かれた文字への変化が起き、「神話」が意図的に編集される。すなわち、文字の発明によって、人々の抽象化能力が高まり、巨大集団に対する帰属意識を持てるようになる(2p49)。民族神話によって王権は正当化され、祭司が宗教的権威を独占してゆく(2p85)

祭司を補完する憑依型のシャーマンの登場

 キリスト教や仏教等の超越性宗教は、根源的な世界観を与えることで、救済や解放をもたらす。とはいえ、人間が生きるなかでぶつかるドロドロとした現実的な問題には手が届かないことが多い。高尚な哲学が生活者の生々しい悩みにうまく応えられないのと同じである。祭祀型宗教も形式的な教義や儀式も個々の人の悩みに答えることが弱い(2p15)

 そこで、憑依型のシャーマンが、これを補完し、人々の切実な悩みに憑依霊の助けを借りて答える(2p16)。なお、完全に自我が霊にのっとられる場合には、別の一人の人物が審神(さにわ)として媒介の役割を果たすこともある(2p15)

 戦闘集団の長である男性が部族長となる。戦争の果てに古代初期に王国が誕生すれば、その武装勢力を率いてきた部族長が王となっていく。こうして、元々は祭祀長が部族長であったのが、戦闘隊長が部族長へと昇格し、その下や横並びに祭祀長(シャーマン)が控えるという形に逆転した(7)。すなわち、より社会の分業化が進むにつれ、政治を行なう首長、公的儀礼を司る祭司、占いや病気治療等の私的領域をサポートする憑霊型シャーマンへと役割が分化する(1p50)

シャーマニズムと祭司宗教は対立する

 国家の祭祀による宗教儀式には「変性意識」を伴う必要がない。それどころか、国家神話を再現する形式的な神話儀式を安定的に行うためには、変性意識はノイズになりかねない(2p50)。そこで、草の根のシャーマニズムは「国家宗教」によって抑圧されてゆく。祭祀権力を一極集中させ、「天につながれるのは我だけだ」とする必要があったからである(2p49,2p85)。そこで、「宗教性」の名のもとに「宗教性」を抑圧するというパラドックスが生じる。脱魂体験を有していたシャーマンたちが、儀礼的な祭祀を行う祭司へとかわるにつれて「シャーマニズム」は死んでいくことになる(2p50)

 もはや、各個人が「聖なるもの」に直接つながることは許されない(2p85)。もちろん、祭司が権力を持つ社会においても、シャーマン的な人物は出現する。イエスやムハンマドもシャーマン的なカリスマと言えるが、異端として弾圧されることが多い(1p79)。シャーマン的な能力を持つ人々は邪教によって人々を惑わすとして処刑された(2p85)。この状況は、とりわけ、西洋で顕著だった。古代国家から中世にかけて武力戦争の皆殺しにより、共同体が完全に解体され、国家をまとめるための観念(宗教)が構築され、大衆まで浸透していったからである(7)

モンゴルではシャーマンは弾圧された

 モンゴルではシャーマンのことを「ボー」と呼ぶ。古来からのシャーマニズム文化は、辺境の森林地帯タイガ、最北端のフブスグル県に居住するダルハト・モンゴル人たちが最もよく継承してきた(1p162)。モンゴルのボーたちは、鳥の羽飾りを付けて儀式を行い、その中で天界(テンゲル)へと飛翔し霊(オンゴット)たちと出会い、知識を得て戻ってくる(1p164)

 けれども、シャーマニズムはモンゴル史の繰り返し排斥されてきた。チンギス・カーンの時代にはまだ社会的に重要な地位を占めて来たが、13世紀にチベット仏教が伝わり、その後、国教とされると、土着のシャーマニズムは政治権力と結びついた仏教勢力から排斥された。仏教僧は貴族階級と結びついて特権を享受してきた。政治権力と結びついた祭司宗教とシャーマニズムの対立という図式がここには見られる(1p162)

 けれども、1930年代には、スターリンの後押しを受けたチョイバルサン政権下で「共産主義」が「国教」となる。シャーマニズムも仏教も、人民に非科学的な迷信を流布するものとして弾圧された。この時期に粛清された僧とボーの数は2万人とも3万人とも言われているが、その正確な数はわかっていない(1p162)

アニミズムが残る沖縄とユタ

 日本社会は、もともと女性的なものを抑圧して周辺化することがあまりない社会であった(1p72)。本土では男性中心主義的な仏教が浸透し、それに対抗する形で「神道」が整備されていったが、沖縄はそうした宗教的な影響をさほど受けなかった(1p73)。だから、沖縄には古き良き日本の文化が残されている(1p72)。山や森は御獄(ウタキ)、鍾乳洞はガマと呼ばれアニミズム的な信仰対象となっている(1p73)。沖縄のガジュマルの木には、赤い神の子どもの姿の「キジムナー」という精霊が住む(4p30)

臨死体験と類似したシャーマンのユタ

 沖縄本島や周辺離島、奄美諸島等に古来から存在する民間の祈祷師「ユタ」は、日本の伝統的なシャーマンである。神とつながる霊的な資質、霊能力を持ち、沖縄の言葉では「カミンチュ(神の人)」と称されている(5)。沖縄のユタも東北のイタコと同じで、別の霊的な存在が取りついてメッセージを告げる「憑依型」である(2p16)。沖縄のユタは、「カンカカリャー(神懸かり屋)」「カミダーリ(神垂り)」「カンダーリィ(神ダーリィ)」「カミブリ(神触れ)」という様々な心身異常「巫病」を経験する(1p72,1p210,5)。神の姿を見たり神の声を聞くといった神秘体験をする(1p210)。「巫病」とは、熱にうなされたり、寝込んだり、錯乱状態になる等の精神疾患状態を一定期間体験することである。これはユタとなるための通過儀礼で(5)、守護霊的な存在が特定され、それを拝むようになるとカミダーリはおさまり、霊能力が覚醒し、必要に応じて先祖や神のメッセージを受け取ったり病気を治したりできるようになる(1p211,5)。統合失調症では、幻聴が多く被害妄想等ネガティブな体験が多いが、カミダーリは幻視が多く、かつ、崇高な体験を伴うことが多く(1p211)、臨死体験と類似する。治癒能力が高まることも、シャーマンとの類似性をうかがわせる(1p212)

イタコやユタは右脳が活発化している

 脳波測定装置でイタコの脳波を測定してみると驚くべきことがわかる。依頼者の話を聞いているときには左側の前頭葉が活発に活動して、右半球の活動は目立たないが、死者がのり移って語りだす「口寄せ」が始まると、右半球の前頭葉の活動が優勢になる(8)

 イタコほど急激ではないものの、日本古来のシャーマン、ユタの脳波も、歌が始まると30秒ほどで左半球の前頭葉の活動が抑えられ、右半球の前頭葉では、ベータ波(活発な思考や集中と関連する脳波)が高まり、神様と話しているときには、右半球の前頭葉がはっきり優位となっている。通常ではまったく見られないベータ波の20〜30ヘルツで強いピークが認められ、通常では深く寝入っているときにしか認められない非常に低い周波数のデルタ波が、歌が始まり4〜5分が経過すると右脳で強く出はじめる(8)

ユタを補完するノロと支配

 沖縄の巫女は、ユタと別にノロ(祝女)、ツカサ(司)と呼ばれる祭司系の人たちもいる(1p72)。いずれも、超自然的な世界に関わることから、その起源は同じであり、いまも離島部では両方を兼ねている人が少なくない(1p74)

 けれども、ノロは、その後、王権の支配組織に積極的に組み込まれる。琉球王国は王の姉妹である聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とするヒエラルキー的な神女組織を整備し、末端の村々への中央集権的な支配体制を確立した(1p74)。沖縄には男性よりも女性の方が強い霊力を持ち、男性を霊的に庇護するという観念があるが、聞得大君は王の姉妹から選ばれ王を霊的にサポートする役割を担っていた(1p139)。その一方で、琉球王国は、ユタを危険なサブカルチャーとして弾圧した(1p74)

 大日本帝国も特高警察を使って片っ端から検挙していった。ユタは自分の他界的な経験から新たな神話を勝手に作り出してしまうからである。その後、琉球王国を併合した大日本帝国は、ウタキに鳥居を建て、神女組織を国家神道の下請け組織に改組しようとした(1p75)

日本の神道は国家宗教である

 さて、最近、ニューエイジ思想等では、縄文以来として「神道」を過剰評価する動きがある(2p55)。ラフカディオ・ハーン、アーノルド・トインビー、レヴィ・ストロース等の学者もエキゾチズム的にこうした捉え方をしている。けれども、これは部族シャーマニズムと国家宗教である「神道」を混同した誤りである。「神道」はよくも悪くも、部族シャーマニズムではなく、民族国家宗教である(2p56)

 民族国家宗教では「聖なるもの」への個人的な回路を抑圧し、祭司が宗教的権威を独占し、国王の祭司を正当化する「書かれた民族神話」が有され、血縁を離れた抽象的な大集団への帰属意識が生まれている。この三条件のすべてが神道では満たされている(2p57)。そのことを踏まえないと、アイヌや琉球、北米ネーティブ・ピープルの復興運動と天皇制に本のナショナリズムが結びつくという奇怪な現象まで起きうる(2p56)

日本神話は男性優位・障害者差別を含んでいる

 農耕の成立、富の蓄積、国家の台頭によって、聖なる対象は動物から人間の女性、豊穣の女神へ、そして、男性へと移り変わっていく(2p26,2p61)。『古事記』には、猿の要素、サルタヒコや女神アマテラスが登場する。このため、世界の神話の中では比較的古層を多く残存させているとの見方も可能である。けれども、きちんと分析すれば、男性的な天空神の支配という典型的な国家宗教としての役割を備えている(2p61)。例えば、『古事記』の冒頭では、イザナギとイザナミが交わることで国が産み出されるが、イザナミが先に声をかけて交わった結果、蛭子が誕生したため葦船に乗せて流す下りがある(2p62)。すなわち、日本神話は、男性優位思想と障害者差別から始まっている(2p63)

日本は7世紀に国家統一イデオロギーとして誕生した

「神道」というタームは8世紀に成立した『日本書記』において文献上初出する。「神道」とはもともと道教の用語である。同じく、「天皇」という用語も登場する。「天皇」も北極星を神格化するための道教の用語で、宇宙の最高神を指す。また、「天孫が天上世界から地上世界へと降臨する」という概念も中国の『詩経』に原型が見られ、その後道教に取り入れられている(2p59)

 すなわち、7世紀の天武朝の時期に、強力な中国の影響力の下、各部族間の争いを抑え、強力な神話によって国家を統一することが求められていた(2p58)。そこで、中国思想をベースに「天皇を中心とした神の国=日本」という古代国家デザインが誕生した(2p59)。「神話」「天皇」「日本」は、国家統一のためのセット理念として発明されたイデオロギーなのである(2p59,2p76)

 この7世紀以前には、「大王」はいたが「天皇」は存在しなかった(2p74)。さらに、日本も存在しなかった。網野善彦は「『日本』とはなにか」で、このあたりまえの事実を次のように述べている。

「日本が地球上にはじめて現れ、日本人が姿を見せるのは、ヤマトの支配者たち、『壬申の乱』に勝利した天武朝廷が「倭国」から『日本』へとその国名を変えた時である」(2p75)

 すなわち、それ以前には、オホーツク文化圏、東北文化圏、日本海文化圏、太平洋文化圏、朝鮮九州文化圏、南西諸島文化圏等があっただけであった(2p76)

 平城京後の奈良文化財研究所には発掘された「隼人の盾」が展示されている。征服された異民族である「隼人」たちは、天皇の前でこの盾を持って整列させられ、服属儀礼としての「土人の踊り」をさせられたという。また、犬の遠吠えの真似もさせられたという。もともと「まつり」とは天皇への服属儀礼を意味する言葉である。天皇への服属を拒否し続ける部族が「まつろわぬ民」と言われるのはそのためなのである(2p58)

復活するシャーマニズム

 19世紀の米国の人類学者、ルイス・ヘンリー・モーガン(Lewis Henry Morgan, 1818〜1881年)は『古代社会(en:Ancient Society)』』(1877)において、人類は、野蛮(狩猟採集)、未開(自給農業)、文明へと進歩していくと主張した。モーガンによれば、人類の目標はヨーロッパのような先進型文明に到達することであった(9)。このモーガンの理論を受け継いだエンゲルスの社会進化論によれば、狩猟採集経済は最も原始的な社会形態であり、共産主義社会が最も進んだ社会形態のあるはずである。シャーマニズムや呪術は、宗教に取って代わられ、宗教も唯物論的な科学思想に取って代わられるはずである。けれども、21世紀の地球では、エンゲルスの理論と逆方向の変化が起きているように見える(1p169)

20160621mongolia12.jpg その後、モンゴルでは人民革命党による一党独裁が終わり、国立中央図書館前に立っていたスターリン像が撤去された。1997年には、ソ連が持ち去り行方不明になっていた、モンゴル仏教総本山ガンダン寺の「大観音像」が再建される(1p168)

 現在のモンゴルでは、コミュニズムとキャピタリズム、シャーマニズムとブッディズムという四つのイデオロギーが交錯している。そのような中で、街を捨てて遊牧生活に戻っていく人も少なくない。モンゴルよりもさらに北のロシアのサハでは、昔ながらの狩猟が再び盛んになりつつあるという(1p169)

ウィンケルマン教授の画像はこのサイトから
ガンダン寺の「大観音像」の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 蛭川立『彼岸の時間〜意識の人類学』(2002)春秋社
(2) 長澤靖浩『魂の螺旋ダンス』(2004)第三書館
(3) ニコラス・ウェイド『5万年前』(2007)イースト・プレス
(4) 蛭川立『精神の星座』(2011)サンガ
(5) 2011年10月27日「君もシャーマンになれるシリーズ2―シャーマンとは?予言者とは?」生物史から自然の摂理を読み解く
(6) 2011年11月17日「君もシャーマンになれるシリーズ3〜シャーマンとは?予言者とは?」生物史から自然の摂理を読み解く
(7) 2011年11月25日「君もシャーマンになれるシリーズ4―シャーマンの誕生の背景」生物史から自然の摂理を読み解く
(8) 2011年12月15日「君もシャーマンになれるシリーズ5〜南米のシャーマンは何を見ているのか?」生物史から自然の摂理を読み解く国家神話と祭司の登場
(9) スペンサー・ウェルズ『パンドラの種』(2012)化学同人
posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彼岸の生物学C 先住民社会はパラダイスか

貧しい未開人から豊かな原初人へのイメージチェンジ

 人間の社会のあり様については、大きくわけると二つの見解がある。ルソーの『気高い未開人』とホッブズの『不潔で、残酷で、短い自然状態』である(6,7)。ボッブスによれば、未開人たちのこの悲惨な生活は、国家という人工装置によって初めて軽減できることから、社会にはある種の人工的な統制が必要だとの見解になる(6)

 したがって、ボッブスの言う「万人の万人との戦い」の理論は、進歩主義思想へとつながる。19世紀の米国の人類学者、ルイス・ヘンリー・モーガン(Lewis Henry Morgan,1818〜1881年)は『古代社会(en:Ancient Society)』』(1877)において、人類は、野蛮(狩猟採集)、未開(自給農業)、文明へと進歩していくと主張した。モーガンによれば、人類の目標はヨーロッパのような先進型文明に到達することであって、それ以外の生活は原始的で望ましくはない(6)

 木の実や草の根を探し求めてジャングルやサバンナをさまよう。一日の大半が食べ物探しに費やされ、ようやく生きていけるだけの粗末な食べ物を口にできる。夜にはへとへとに疲れ切り、動物のように地面に転がって寝る。絶対的な貧困。それが、長い間信じられ、今も信じられている未開社会に対するイメージだろう(1p33)。事実、ザイールの部族、ムトゥフ族のある草ぶき小屋には、枯れ草のベットや水を入れるヒョウタンなど家財道具はたった35しかなかった(1p20)

 一方、これとは正反対の見解を提唱してみせたのが、ジャン=ジャック・ルソーである。ルソーは、未開人は高潔に生きており、本来善であった人間が堕落したのは、社会システムのせいであり、自然状態に戻れば、一切の問題がなくなると考えた(6)

 1960年代には、カウンターカルチャーの影響もあって、ルソーの見解が人気を博していた(6)。しかも、1960年代に入ると、貧しい未開人という偏見的を根本からくつがえす事実が次々と明らかにされていく。構造人類学者レヴィ・ストロースが指摘するように、農業をまったく知らないか、あるいは知っていても農業にはあえて目を向けず、狩猟や採取だけに依存して暮らしを営んでいる人々が、生きるためにはほとんど働かないですんでいるという事実が発見されてきたのである(1p35)

クン・サン族は働かずに豊かな暮らしを享受する

bushwoman.jpg ボツワナのカラハリ沙漠で狩猟採集生活を営むクン・サン族の成年男子の平均労働時間は約6時間で、しかも週に二日ほどしか働いていなかった。週労働時間に換算すると、わずか1時間半〜2時間であった(1p37)。サン族の場合は、食料生産に従事していたのは男性では23.6%、女性では30.2%と53.8%でしかなかった(1p90)

 クン・サン族とともに4週間を過ごし、その生活を記録した人類学者リチャード・リー(Richard Lee,1937年〜)によれば、クン族たちは食料を確保するために週に平均20時間ほどしか働いておらず、道具や衣服づくりの時間を含めても40時間であった。カラハリ砂漠の気候条件は世界でも最も厳しいにも関わらず、クン・サン族の栄養状態はよく、ゆとりある暮らしを享受していた(7)

 タンザニアのエアシ湖畔にすむハザ族も、食料獲得には日当り平均2時間以下しか費やしていない(1p37)

 1960年に米国とオーストラリア科学調査団が行なったオーストラリアのアボリジニに研究結果でも、狩猟採集、食事の支度、道具の手入れ等をすべて入れても、食べ物を得るのに必要な時間は3〜5時間であった。しかも、食料を確保するための活動は、散発的、断続的で、おまけに必要なだけ採れたら、そこで活動を止めてしまうのであった(1p35)

 南米のベネズエラ・アマゾンの先住民、料理用バナナ、ヤシの実、虫等食生活に関しては充実なライフスタイルを送っている(4)。ヤノマミ族も一日1時間40分(1p38)。道具づくりや準備を入れても、3時間以下だ(1p38,4)。ヤマノミ族は、苦労せずに生きていけ(4)、生活の四分の三はハンモックに横たわって暮らしていた。生涯のほとんどが日曜日であった(1p38)。 

 クン・サン族の暮らしは例外ではなく、さらに環境が恵まれた地域での暮らしはもっと容易であった。しかも、自給のために費やされる20時間の「仕事」の多くは、決して辛く骨が折れるものではなかく、男性たちの自給のための仕事の大半は狩猟であって、それは、今、レクリエーションとしてなされている活動なのである(7)

 20160620Marshall Sahlins.jpg現実の石器時代の暮らしは、不快でもなければ、残酷でもなく、短くもなかった。石器時代の狩猟採集民や近代以前の農民たちの研究からは、「未開人」たちが不安に駆り立てられることなく、余暇に恵まれた豊かな暮らしを享受してきたことがわかっている(7)。1966年にシカゴで開かれた人類学の会議においてマーシャル・サーリンズ(Marshall Sahlins, 1930年〜)シカゴ大学教授は「原初の豊かな社会」というフレーズをつくりあげた(6)

女性が食料生産の柱を担っていた

 狩猟採集社会に関してどのようなイメージを持たれるだろうか。男性が一家の糧を得るため狩猟に出かけ、その間、女性が子どもの世話をしながら、家を守り、男性の帰りを待つ、というのが一般的なイメージではなかろうか。けれども、これは、近代「会社社会」の性差分業を過去に投影したロマンティシズムに過ぎない(2p222)

 多くの未開社会においては、男女がともに仕事をわかちあい、妻が夫に経済的に従属することはなかった(1p80)。確かに、狩猟採集社会では、男性が動物を狩り、女性が植物を採集するという分業がなされているが、とりわけ、低緯度地帯では、女性の採集活動に生活の多くがかかっている(2p222)。暮らしを支えているのは女性であり、女性の自主性や自立性が強かった(1p80)

 例えば、クン・サン族の社会では、女性が週に2〜3日行なう採集活動で得られる植物性の食料が、全体の60〜80%を占め、男性が狩猟で採ってくる獲物の2〜3倍の食料を供給していた。女性が植物性食物を見つけられる確率はほぼ100%だったが、狩猟で獲物を捕獲できる確率は23%にすぎず、時間あたりのエネルギー効率では、採取は狩猟の2.5倍も高かった(1p81)。消費カロリーやタンパク質の約三分の二を女性たちは供給していたため、女性の経済的地位は高く、離婚することで女性が経済的ダメージを受けることはなかった(2p221)

 ハザ族やアボリジニにおいても、植物性食料への依存度が重量でもカロリーでも約67%を占めていたことから、女性が一家の大黒柱であった(1p81)

 女性が大黒柱であれば、社会的地位もそれにふさわしく高かった。エディンバラ大学の人類学者のアラン・バーナード(Alan Barnard,1949年〜)教授とロンドン大学のウッドバーン(James Woodburn)教授はこう述べている。

「何を生産するか。収穫物をどうするのかを女性たちは自分で決めていた。夫の支配下にはなかった。離婚しても、子どもは普通は母親のもとにとどまり、その後どっちで暮らすかを自分で決めていた」(1p83)

女性の恋人ネットワークが集団をまとめあげていた

 未開社会においては、バンドは流動的で堅固な社会組織を構成していなかったし、メンバーもしょっちゅう入れ替わり、家族や親族のネットワークもゆるやかなものだった。現代的に言うならば、自立した諸個人の自発的な連携によるコミューンであったと言える(1p84)

 例えば、伝統的なクン・サン族の社会も、一夫一婦婚に基づく核家族が単位となる数十人のバンドからなってきたが、そのメンバーは固定的ではなく離合集散を繰り返していた。社会生活の基礎単位となる夫婦関係も安定したものではなく、離婚と再婚とが繰り返され(2p221)、だいたい平均で一生の間に三回結婚していた(2p222)

 多くの未開社会では、血縁関係がない人々をつなげるため、婚姻は重要である。とりわけ、非定住の狩猟採集社会においては、核家族を超えた親族関係があまり発展していないため、繰り替えされる離婚と再婚、そして、網の目のように広がる恋人のネットワークがゆるやかな共同体の統合を可能としていた(2p222)

 例えば、クン・サン族の社会では、男性が狩りに行っている間に女性たちは、仲間たちと木の実を採りに行ったり、これがチャンスとばかり、夫の目を盗んで恋人と密会したりしていた。クン・サン族では、婚外性活動が盛んで、恋人関係のネットワークが網の目のように発展している。すなわち、一個の女性の中には、特定の相手との長期にわたる交換と多様な相手との交換という二つの戦略が共存していた。これが、後には、婚姻と売春とに二極分化してゆく。また、男女の恋人関係は非対称で、たいがい男性が女性に贈り物を送ることで成立していた(2p223)

 とはいえ、クン・サン族の社会をなんの秩序もない「乱婚社会」と見るのは間違いで、公式な制度の婚姻を恋人関係が補完していたと言える。そして、女性は平均して四人の子どもを産むが、成人するのは半数なので人口の増減もなかった(2p222)

先住民社会は平等である

 クン・サン族の集団のカリスマ的リーダーとなっているのは、男性のシャーマンであったが、彼も大きな権力を握ることはなく、平等主義的な社会である(2p222)

 アマゾン上流の先住民社会でも、アヤワスカは誰でも飲むことができ、シャーマンだけに秘密にされているわけではない。エクアドルのヒバロ社会では4人に1人がシャーマンである。ペルーのシピボ社会でもひとつの社会に何人もシャーマンがいる。多くの人がシャーマンにならないのは、そのための修行が大変だからだにすぎないという(2p26)

20160617-Michael Harner.jpg ネオ・シャーマニズムの中心人物である文化人類学者マイケル・ハーナー(Michael Harner,1929年〜)博士は、こうした状況をシャーマニズムの持つスピリチュアル・デモクラシー(霊的民主主義)と呼ぶ(2p26)

部族社会は平和ではなかった?

 未開人たちは、労働時間をなるべく少なくし、必要なだけ手に入れたら、あとは生産を打ちきって、お互いに訪ねあっておしゃべりをしたり、昔話や神話を子どもに聞かせたり、昼寝を楽しんだり、ダンスや歌で夜をあかしていた。つまり、多くの社会主義者が未来の理想として掲げてきた半日労働や半週労働が、未開社会では実現していた(1p65)

 そこで、部族社会に対して過剰なロマンを抱く人たちは、ネガティブな面を無視しがちである。けれども、部族社会が平和で豊かなユートピアであったというのは幻想である(3p41)

 最近明らかになってきた様々な知見からすると、過去を賛美するルソーの見解も甘いことがわかっている(6)

 イリノイ大学のローレンス・キーリー(Lawrence H. Keeley)教授は『文明化以前の戦争』で、未開社会においては戦争が日常茶飯事であることを突き止めた。国家以前の社会で平和な社会は稀であった。牧歌的に思えていた先住民世界では闘争が日常茶飯事で(6)。狩猟採集民たちは、絶えず戦争状態で生活していた(7)

 平和でわかちあう民族、クン・サン族でも、稀に殺人行為が発生した。それは、たいがいは愛人をめぐる嫉妬心が口火を切り、何十年にも及ぶ血の復習戦に帰着した(7)

 サウス・カロライナ大学の人類学者カール・ハイダー(Karl G. Heider)名誉教授によれば、ニューギニアのダニ族では男性の3人に1人が戦争で死んでいる(6,7)

 アマゾンの先住民たちもラブとピースではなく、絶えず戦争が絶えることがなかった(2p271)。ヒバロ族は首狩り族でもある(2p272,2p286)。ちなみに、日本もほんの200、300年前までは首狩り族であった。忠臣蔵のような首狩り報復戦争の物語がいまでも多くの日本人を感動させている(2p273)

20160620Yanomami.jpg カリフォルニア大学サンタバーバラ校の人類学者、ナポレオン・シャグノン(Napoleon Chagnon,1938年〜)名誉教授の著作『ヤノマミ:猛烈なる人々(Yanomamo: The Fierce People)』によれば、ヤマノミ族も戦闘にあけくれ(4,7)、成人男性の死因の30%が暴力で、40歳以上では57%が殺害が原因で2人以上の肉親を失っている(4)

 シャグノンの師にあたる遺伝学者ジェームズ・ニール(James Van Gundia Neel, 1915〜2000年)はこう主張する。

「近代文化は、弱者を支援するため『非優生学的』」である。それは、人類のオリジナルの「集団構造」からはるかに逸脱している。孤立した小規模な部族集団は、女性にアクセスするため、男性たちは互いに暴力で競争していた。こうした社会においては、最良の戦士が最も多くの妻や子どもを持ち、次世代に彼らの遺伝子の多くを伝承でき、それが遺伝子プールの質を連続的にアップグレードすることにつながる」(8)

チンパンジーには闘争本能がある?

 豊かであるにもかかわらず、人類が闘争するのはなぜなのか。そのヒントをチンパンジーに求める見解がある(4)

20160620Jane Goodall.jpg 動物が初めて道具を使うことを明らかにしたイギリスの動物学者ジェーン・グドール(Jane Goodall, 1934年〜)博士は、アフリカのゴンベの森のチンパンジーたちが楽しく暮らしていると想定していた。けれども、実際は正反対だった。チンパンジーたちは、定期的に近くのコミュニティを急襲しては、死ぬまで攻撃していた。この発見に生物学者や社会学者は仰天した(4)

 意外に思えるかもしれないが、4000種もいる哺乳動物やそれ以外の1000万種以上の動物の中で、急襲・殺害という行動パターンを取るのは、たった2種。チンパンジーとヒトだけしかいない。ヤマノミ族やダニ族と同じように、チンパンジーの成熟した雄も約30%が攻撃活動に参加することが原因で命を落としている。すなわち、人類の闘争本能は、はるか類人猿の時代から継承されたものだといえる(4)

ヤノマミ族の戦争もチンパンジーの闘争も西洋人のコンタクトが引き起こした

 ルソー的なアナーキズム社会が牧歌的な平和な社会ではなく、チンパンジー的な残虐性が伴うとすると、やはり複雑化した統制社会は避けられないのだろうか。文化を通じて支配的な「悪魔の遺伝プログラム」を克服するまで、人類は戦争を避けられないのであろうか(8)

 けれども、シャグノン教授が目にしたヤノマニ族の暴力のほとんどは、皮肉なことにシャグノン教授、すなわち、西洋社会とコンタクトしたことで始まった混乱から生じたとの見解もある。シャグノン教授とともに研究を行ったケネス・グッド(Kenneth Good)博士は、どの米国の人類学者よりも長く12年もヤノマニ族の中で暮らしたが、グッド博士によれば、シャグノン教授は、研究に協力させるため武装して村に入り、ゆく先々で対立関係を作りあげていたという。

 20160620Ferguson Brian.jpgラトガーズ大学の人類学者、ブライアン・ファーガソン(Brian Ferguson,1951年〜)教授は、1995年の著作『ヤノマニの戦争:政治史(Yanomami Warfare: A Political History)』で、シャグノン教授の見解に反論し、ヤノマニの戦争のほとんどが、外部から鉄器や新たな病気がもたらされた撹乱によると主張する。ファーガソン教授の説明によれば、1950年代に宣教師たちがやってきて、キリスト教に改宗させるために軽率にも斧や刀を提供したことで、その地域は戦争へと突入してしまったのである。

 したがって、「コンタクト以前」のほんとうの社会がどうであったのかを知ることは極めて難しい。最も僻地においてさえ、人類学者が訪れるよりも先行して、西洋テクノロジー、細菌、通商の影響で、社会的な崩壊が引き起こされている。

 同じことは人間以外にも言える。人類の本能的な悪の証拠とされる野生のチンパンジーの殺人行為も、研究者がアクセス可能な撹乱された群れでのみ発生することを霊長類学者マーガレット・パワー(Margaret Power)は実証している(8)

 霊長類や原始人の軍事闘争的な性格を目にするとき、私たちはほとんど私たち自身のシャドゥを目にしているのかもしれない(8)

アヤワスカを利用して死者と出会う

 西洋人たちは、アヤワスカによって「人生の意味を知った」というめくるめく体験をすることが多い(2p270)。アヤワスカではどのような体験ができるのだろうか。明治大学の蛭川立准教授は実際にアヤワスカ体験をしている。

 30分をすぎると蛍光色の万華鏡のような幾何学模様が見えてきた(5p78)。さらに、次の第二段階では、臨死体験と似て死の世界に引きずり込まれていく感覚があった(5p80)。蛭川准教授はすでに他界した祖母に会った。そして、相手の方がびっくりし「まだこんなとこ来たらあかんで。ここは死んだ人が来るところや」と言われたという(5p83)

 また、知り合いの父親が金色に光る存在に吸い込まれて消えて行った光景を見た。あまりにリアルであったため、1月後に帰国した後で確認したところ、その日に他界したという(5p84)。シャーマンによれば、アヤワスカの精霊は、人が死ぬことをあらかじめ教えてくれるという(5p85)。さらに、天使のような存在とも出会った。けれども、それは、よれよれのスーツを着た冴えない日本の中年の営業マンの姿であった(5p89)

カルマの概念は格差社会において意味を持つ

 カリフォルニア大学の人類学者、G・スワンソン(Guy E. Swanson, 1922〜1995年)教授は、全世界からサンプリングした46社会の世界観を比較してみた。死後の霊魂の観念を持たない文化は皆無だったが、生前の行いによって死後に罰を受けるとする文化は13社会、28%しかなく、かつ、エジプトやインドのように社会的ヒエラルキーが発達した社会でしか見いだされなかった。インドのようなヒエラルキー社会においては、高いカーストに生れた人は、「前世のカルマが良かったからだ」と自分の立場を正統化し、特権を行使できるメリットがある(2p19)。このことから、地獄という観念は、階層化された社会が、その秩序を守り人々を統制するために考えだしたものともいえる(2p20,2p22)

臨死体験から神は誕生した

 一方、社会的な階層が発達していない社会においては、こうした観念そのものが意味をもたない(2p19)。事実、アイヌやシベリア、台湾、アマゾンの先住民たちは、死後の世界は現在の生活と変らないか、むしろさらに楽になると考えてきた(2p20)

 20160620michael sabom.jpg救命医療が飛躍的に進歩した結果、臨死体験の経験者が増えているが、エモリー大学のマイクル・B. セイボム(Michael B. Sabom)教授の『あの世からの帰還』(1986)によれば、臨死体験は信仰の強さとは無関係に起きている。むしろ、あらかじめ知識をもっていなかった人の方が体験率は高い(2p21)。体外離脱を体験し、いままでの自分の人生を走馬灯のように早送りでながめ、お花畑のような美しい世界にたどりつき、ご先祖様に出会う(2p16)。しかも、臨死体験では、地獄のような体験をする人は少なく、美しい世界に行く体験が多い(2p21)。したがって、天国という観念は、臨死体験がベースとなって地獄よりも先に生れたと蛭川准教授は考える(2p22)

「いま、ここ」の体験がアヤワスカの真骨頂

 けれども、アヤワスカの意味は、極彩色のビジョンが見えることではなく、狭い自我の崩壊と精神の拡大にある(2p271)。例えば、アヤワスカを飲んだ後、2〜3時間が経過すると効果はピークを過ぎるが、その後の第三段階では愛さえ意味を失う(5p96)

 自分を犠牲にして相手に尽くすという自己犠牲にしても、自分と他人とが区別されていることが前提である。けれども、すべてが一体となれば、愛と言う概念そのものが意味を失う(5p97)。そして、自分という存在が消滅してしまっている状態を観察している自分だけがいる(5p99)。さらに、流れる時間も意味を失ってしまっている。ゲシュタルト崩壊が起こり、「いま、ここ」に過去と未来の全宇宙が一体化し、完全な調和に包まれているという感覚がいだかれる(5p100)。臨死体験者が日常のさりげない風景がきらきら輝いてとても美しく感じられるというのと同じである(5p102)

 このことから、硬直化した時間観念を脱構築するうえで、アヤワスカは有効なツールであると蛭川准教授は結論づける(2p286)

 さらに「あの世」に行って戻ってきた人は、死への恐怖を減らす(2p21,2p212)。そして、物質的な成功や他人に注目されたいという資本主義的な競争原理への関心を低下させ、他人への寛容性や共感性が高まり、ごく普通の生活がすばらしいと思うようになる。また、人生の内的な意味や本当の目的、神秘的な経験への関心を深める。かといって、既成宗教への信仰に回帰することはなく、組織宗教への信仰心はむしろ減少してしまう(2p212)

西洋人と違いアヤワスカは先住民では深い人生哲学を産み出さない

 こうしたことから、アヤワスカへの関心は高まり、2000年3月にはサンフランシスコでカリフォルニア総合学研究所(CIIS)が、世界初のアヤワスカに関する国際会議「アヤワスカ―アマゾンのシャーマニズム・科学・スピリチュアリティ」を開催している(2p269)

 けれども、先住民たちは『マリアシオン』と呼ぶ変容意識でいろいろな精霊や蛇、ジャガーと出会うが、バッド・トリップもしないし、自分自身の人生を内省的に考えるという体験談を聞かない(2p270)

 蛭川准教授は、西洋人たちには、フーコーが言う意味で抑圧された本能の解放こそが人間の解放だというイデオロギーが埋め込まれており、アヤワスカを用いて、化学的に壊さなければならない堅い自我がある一方、先住民には、崩壊するような硬い自我がないからではないかと考える(2p271)。西洋人たちがサイケディック体験を通じて東洋思想への理解を深めることが多い一方で、サイケディック・シャーマニズムからはさほど深い思想は産み出されてきてはいない(2p273)

部族社会には地球的な視野はなかった

 長澤靖浩氏も部族社会に自然に対する一定程度の節度があったことは確かだが、それはエコロジー思想に基づくと考えるのは、現代のロマンの投影かもしれない。技術不足のために自然の支配を否応なく受けていたにすぎないともいえる(3p42)

 また、部族社会の人々は狭い世界でしか生きてこず、部族社会には全地球的な視野はなかった(3p42)。地球的なビジョンがなければジョン・レノンの「イマジン」は誕生しえない(3p44)。マジック・マッシュルームを崇拝していた古代アステカ人は生きた人間の心臓を神に捧げていた(2p286)

サーリンズ教授の画像はこのサイトから
ハーナー博士の画像はこのサイトから
グードル博士の画像はこのサイトから
ファーガソン教授の画像はこのサイトから
セイボム博士の画像はこのサイトから
ヤノマニ族の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 山内 昶『経済人類学への招待』(1994)ちくま親書
(2) 蛭川立『彼岸の時間〜意識の人類学』(2002)春秋社
(3) 長澤靖浩『魂の螺旋ダンス』(2004)第三書館
(4) ニコラス・ウェイド『5万年前』(2007)イースト・プレス
(5) 蛭川立『精神の星座』(2011)サンガ
(6) スペンサー・ウェルズ『パンドラの種』(2012)化学同人
(7) Charles Eisenstein” The Ascent of Humanity” (2013) EVOLVER EDITIONS; Reprint edition
posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月19日

彼岸の生物学B 危機回避のためのOSアップデート


どの宗教のベースにも変性意識がある

 20160618-Williams2.jpgデヴィッド・ルイス=ウィリアムス(James David Lewis-Williams,1934年〜)教授は、どの宗教にもその基盤には変性意識状態があると主張する。私たちの祖先は「幻覚」を価値あるものとして位置づけ、同じリズムを繰り返すドラムや踊り、過呼吸、飢餓、自傷行為、幻覚植物を用いることで「幻覚」を体験してきた。幻覚植物の利用は後期石器時代にまで遡る。そして、狩猟採集社会においては、幻覚体験をする役割を担うのがシャーマンであった(2p56)。狩猟採集社会においては、シャーマンはコミュニティのリーダーであり、死者の魂の導き手であり、予言者であり、病気の治療者だった(1p50)

20160619krippner.jpg 米国の心理学者スタンリー・クリップナー(Stanley Krippner, 1932年〜)セイブルック大学教授は、進化心理学の立場から、変性意識に入る能力は、全人類が狩猟採集生活を送っていた時代に適応進化させたものだと主張する(1p28)。現代の都市化社会では、この能力が抑圧されて社会的に開発されていないだけであって、誰もが潜在的にはシャーマンになれる能力を持っていることになる(1p29)。けれども、超越的な変性意識に入る能力をホモ・サピエンスが適応進化させてきたとすれば、それにはどのような意味があったのだろうか(1p50)

リスク回避のために生物は感覚器官を進化させた

 どの生物も外部から情報をキャッチすることで行動している。単細胞生物は特定の物質濃度を「受容体」で感知して、その濃度勾配によって行動する。これを「走化性」と呼ぶ。けれども、走化性に見られるようなシンプルな行動だけでは絶滅するリスクが高い。そこで、多くの情報をキャッチし、それに応じて多様な行動が取れるように感覚回路を進化させてきた(10)

 まず、生きていくのに安全な食べものかどうかを「毒見」する接触刺激器官として「味覚器」が発達した。一方、遠方にある敵や獲物を感知する「遠隔刺激」の「感覚器」が嗅覚器である。もともと味と臭いを感知する器官は分化せず、ひとつの化学受容器で感知していた。その後、眼を獲得することで、動物は遠方から敵や餌をはっきりと認識できるようになっていく(10)

左脳はパターン化された補食行動を調整している

 長らく、言語や利き腕、空間関係等の脳内での処理能力の偏りは、人間だけに見られる特徴であって、それ以外の動物では右脳や左脳の機能には差がないと考えられてきた。けれども、数々の観察や実験から、かなり初期の段階から右脳と左脳の機能分化が始まっていることがわかってきた(7)

 脊椎動物の多くは神経回路が左右で交叉しているため、右半身を左脳が、左半身を右脳がコントロールしているが、左脳が日常的な行動の制御に特化していることを裏づける証拠として、魚類、爬虫類、両生類、鳥類、哺乳類等、すべての脊椎動物が、日常的な摂食行動を右側に偏って行っていることがあげられる(7)

 音声言語や非音声言語も、人類が出現するはるか以前から存在していた動物に生じた大脳半球の機能差に由来し、鳥類の研究からは、左脳が歌を制御していることが明らかになっている。また、アシカやイヌ、サルでも、左脳が同種の仲間の泣き声を認知している。そして、サルの一種であるコモンマーモセットは、仲間に向けて友好的な鳴き声を出すときには、口の左側よりも右側を広く開ける。ヒトも話すときには口の右側を左側より大きく開く傾向がある。日常行動のひとつである発声機能や言語では、身体的な右側、すなわち、左脳の優位性が認められる(7)

リスクを回避する右脳の機能は魚類段階から進化した

 生物の脳は、一塊の神経節から発生しており、いわゆる「中枢神経」が誕生した段階では、脳の左右分化はまだ見られない(8)。けれども、約5億年前に脊椎動物が出現した時点では、右脳と左脳の分化が既に認められ(6,7)、脳の基本構造や右脳左脳の機能差の原型が誕生する(7)。魚類は、視覚、聴覚、側線感覚をたよりに、振動や音といった外部刺激をキャッチして、逃避行動を起こすことができるが(10)、明確な左右分化が始まるのは、この魚類の段階からである。そして、爬虫類、両生類、哺乳類、霊長類へと進化して「新しい脳」が塗り重ねられる毎に左右分化が進んでいく(8)。魚類、両生類、鳥類、哺乳類と、いずれも左視野(脳の右側)に捕食者(天敵)が入った方が、右視野(脳の左側)に入ったよりも大きな回避反応を示すことが、様々な動物の捕食反応を調べた研究からわかってきた(8,12)

 このことから、想定外の刺激を感知し、それに反応する機能は、かなり古い時期から脳の右半球が受け持つようになってきたことがわかる。人間でも、即時的な行動が必要となる想定外の刺激に対しては、右利きでも左手(右脳)の方が早く反応する。ワシントン大学のフォックスらは、こうした研究から、ヒトの警戒システムは右脳にあり、想定外のリスクを回避する機能は右脳が担っていると結論づけている(8,12)

顔を見分けて仲間を認識するのも右脳の力

 けれども、魚類は、危機に対応してただ反射的な逃避行動をするだけではなく、さらに、高度な進化形態である「群集行動」をとることもできる(10)。想定外の天敵から逃避する以外に、初期の脊椎動物が反応する必要があったのは、同種の仲間との出会いであった(8,12)

 20160619Keith kendrick.jpg魚類や鳥類では仲間の群れを認識し、すぐに反応する社会行動が見られるが、これをコントロールしているのも右脳である。ケンブリッジ大学のケイス・ケンドリック(Keith Kendrick)教授は、ヒツジも顔の記憶から他のヒツジを認識でき、この認識は右脳がかかわっていることを明らかにした。すなわち、相手の顔を認識する右脳の能力は、比較的初期の脊椎動物が手にした同種の仲間の外見を認識する能力に由来する。人間でも、相手の顔を認識できなくなる「相貌失認」は右脳の障害に原因があることから、顔を認識する機能は右脳にあることがわかっている(8,12)

左脳は部分に着目し、右脳は全体のパターンを認識している

 20160619David Navon.jpgイスラエルのハイファ大学のナボン(Emeritus David Navon)教授は、脳にダメージのある患者に、約20個の小さなAが大きなHを形づくるように並べた図を見せ、その図を描かせるという実験を行ってみた。このことから、全体と部分の認識力に関する驚くべき事実が明らかになった。左脳にダメージがあり右脳が正常な患者は、小さなAの文字をまったく含まない単純なHを書くことが多い。一方、右脳にダメージがあり左脳が正常な患者は、小さなAの文字を紙全体にばらばらと書いたのである。このことから、左脳が部分に着目する一方で、右脳は詳細な個々の要素にはあまり注目せず、全体状況に注意を向け、つながりの全体パターンとして空間を捉えていることがわかる(8,12)

右脳は、全体把握、危機回避力、仲間認識力を司る

 以上のように、長い生物の進化史を見れば、脳がない時代から、生物たちは身体感覚を用いて情報を得て判断してきたことがわかる(9)。また、多くの生物実験の研究結果から、「パターン化した日常的な行動」を担うのが左脳で、「天敵に出くわすなど突然の場面での行動」をコントロールするのが右脳と役割分化してきたことがわかってきた(6,7,8)

 すなわち、「右脳」の役割は、@危機回避機能、A全体把握機能、B顔認識機能(同類認識)であることがわかる(8)

 危機を察知して対応するための感覚回路との結びつきは、右脳の方が左脳よりも強い(5)。直感力は一般的に右脳の特徴とされるが、右脳と強く結びついた感覚回路が危機察知のために働くからだ(6)

日常性のシンキング・マインドでは危機対応ができない

 人類は急速に大脳新皮質、とりわけ、前頭葉が発達させることで「観念機能」を進化させてきた(5,10)。さらに、250万年前に言語が発明され、言語情報が共有されることで、環境適応度はさらに高まり、人類は逆境を生き延びることができてきた(5,9)。けれども、急速な進化を遂げた大脳新皮質が脳をコントロールすることで、それ以前の脳(脳幹、小脳、大脳辺縁系)の機能が制御・抑制されてしまっている(5)。すなわち、このことで、逆に無意識から情報を引き出す能力は弱まった。脳内の顕在意識だけを処理する、言わば「観念病」に侵されているともいえる(9)。これは、逆にいえば、大脳新皮質の思考機能を抑えることで、脳の基底的役割(生命維持、運動機能、情動)を開花させ、無意識の領域から情報を引き出し、観念レベルを超えた判断が得られることを意味する(5,9)

 コンピュータのOSがコンフリクトを起こしてフリーズしてしまったときには、リセットしてシステムを再起動する必要がある(1p55)。これと同じように、日常的なものの見方の枠組みでは解決できない問題に直面したときには、自動処理されてきた常識的な情報処理を一旦中断し、作業を再点検する必要がある(1p54)

自動化したシンキング・マインドを抜け出ればシンクロする?

 20160619Deikman.jpg変性意識状態というと、日常的な意識状態よりも覚醒水準が下がるイメージがある。けれども、逆なのだ。カリフォルニア大学デービス校のチャールズ・タート(Charles T. Tart,1937年〜)教授によれば、むしろ日常の方が、自分自身が所属する文化からの反復的な暗示によって文化的な催眠状態・自動運転状態におかれている(1p54)。そして、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の心理学者アーサー・ダイクマン(Arthur J. Deikman, 1929〜2013年)教授は、変性意識状態を認知の「脱自動化」として捉える(1p54)

イギリスの社会人類学者、ジェームズ・ジョージ・フレイザー(James George Frazer, 1854〜1941年)卿は、大著『金枝篇』において、正しいものを科学、誤ったものを呪術と定義した。以来、誤った認識に基づく実践が「呪術」と称され、なぜ、人々は誤った因果関係を信じるようになるのかを文化人類学者や社会心理学者たちは研究するようになった(1p53)

 けれども、正しい因果関係といった時点において、そこには科学的思考が伴っている。近代社会は因果性の原則に基づいて科学技術を高度に発展させてきたが、それは因果性の原理が正しいからではなく、近代社会のイデオロギーには因果性の原則の方が親和性があっただけにすぎない。また、「呪術」は共時性という因果性とは独立した原理に基づく実践かもしないのである(1p注10)

本能、情動、知性が統合されたシャーマンの変性意識が意識を進化させる

 シャーマンの脳は、左半球の前頭葉・大脳新皮質(=言語野)の働きが抑えられ、言語以前の空間把握を司る右半球の働きが活発化している。思考の集中時に見られるベータ波に、通常では見られないピーク波が現れる一方で、通常眠っている時にだけ見られるデルタ波も現れる(4,9)。いずれも、通常の脳の活動状況には見られない現象だが、シャーマンの脳は、デルタ波が示す睡眠時と同じ無意識下で情報を処理すると同時に、ベータ波が示す無意識領域から何らかの情報をゲットしていると考えられる(9)。ここにシャーマン脳のヒントがある(5)

20160203Michael Winkelman.jpg 哺乳類の旧脳、とりわけ、記憶の海馬や快楽に関わる海馬―中隔、視床下部が、情動や自律神経のバランスを制御する領域が活性化し(3p55)、旧脳からの徐波で前頭葉両半球でも徐波のコヒーレンスの増大が起きることで、認知と情動、直観と分析的知性の高次な統合がもたらされる(3p56)

 アリゾナ州立大学の人類学者、マイケル・ウィンケルマン(Michael Winkelman)教授は、この変性意識状態を「統合意識モード」と呼び、この統合こそが、宗教や人類の進化において決定的な役割を担ったとウィンケルマン教授は考える(3p54,3p55)

松果体から分泌されるジメチルトリプタミンの働きで臨死体験が起きる

 松果体は、脳の中心付近の脳幹や小脳上部に位置し、2つの視床体が結合する溝にはさみ込まれた約8mmの赤灰色の内分泌器官である。扁桃体が形成される以前から存在する古い器官で、脳幹等の古い脳とより密接に関係している(11)

 松果体は、ヨガのチャクラ、神に通じる「第三の眼」としてスピリチュアリズムが重視してきた。松果体は、超心理学の分野でも研究が進められているが、その本当の機能がほとんどわかっていない謎の器官である。ヨガでは、アジナ・チャクラ、仏教では、釈迦の額にある白毫(びゃくこう)として知られ、古代エジプトでは、精神の覚醒の象徴のシンボリズムとして使われ「万物を見通す目」のデザインもこの松果体の形を表している(13)

 スピリチュアルなカルチャーの多くは、この松果体が「悟り、啓蒙、霊性」で重要な役割を果たし、その機能が発揮されることで宇宙意識とつながると考えている(13)

33Rick Strassman.jpg アヤスワカの有効成分は脳内の神経伝達物質セロトニンと類似した構造を持つ「ジメチルトリプタミン(DMT)」だが、生死に関わる危機にさらされると、松果体からも、幻覚を引き起こす幻覚物質「DMT」が分泌されることがわかっている(11,14)。未開部族らが祭りや踊りを通じてトランス状態に陥り、非日常的世界を経験するのは、ある種のリズムや運動でDMT等の脳内物質が放出されるためだとも言われる(11)。ニューメキシコ大学の精神医学者リック・ストラスマン(Rick Strassman, 1952年〜)教授は、宗教的な神秘体験や臨死体験は、松果体で生産されるDMTが関係すると考えている(14)

ジメチルトリプタミンは集合無意識から情報を引き出す

 けれども、危機や死に直面するとDMTが放出されるのは、危機や死に対する恐怖心を和らげるためではない。DMTは、神経細胞であるニューロンの感受性や反応に影響を与え、例えば、電磁波のように普段は認知できない外界刺激を感知できる可能性もある。すなわち、日常的にはフィルターがかかった情報を認識し、危機に対処するための過去の記憶を呼び起こし、危機に対する突破口を切り開くためなのである(14)

 DMTで目にされる幻覚が誰しも似た内容であることは、こうした幻覚が、人類が過去に経験して蓄積して共通に持つ古い記憶『集団的記憶(集団無意識)』に由来する可能性が高いことを示唆する(9)

「未来予測」は最も高度な能力が必要とし、全体を見据えた上での総合的判断が必要となる。そこで、右脳の全体把握能力が必要となる(8)。シャーマンがトランス状態に入ってその能力を発揮している時には右脳が活性化しているが、その時、シャーマンは、右脳の危機察知回路を発揮させ、その未来予知・予言能力を得ているのであろう(6,7,8)。すなわち、シャーマンは、表層意識ではなく、無意識領域に蓄積された集団的記憶から、情報を意識的に収集することで、直感的に物事の方向性を決定し、危機に直面した際に生存の可能性を高めてきたが、この能力は、人類が生き残るうえで欠かせなかった(9,11)

 人類はその歴史の大半を、狩猟採集民として生きてきたが、そのごく初期の時代から人類は徹夜で踊ってきたが、それは、ダンスのトランスが、脳のなかに潜在している回路を開き、通常とは違う意識状態、光に満ちた体験をもたらしたからなのである(3p23)。

ウィリアムス教授の画像はこのサイトから
クリップナー教授の画像はこのサイトから
ナボン教授の画像はこのサイトから
ケンドリッジ教授の画像はこのサイトから
ダイクマン教授の画像はこのサイトから
ウィンケルマン教授の画像はこのサイトから
ストラスマン教授の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 蛭川立『彼岸の時間〜意識の人類学』(2002)春秋社
(2) グラハム・ハンコック『異次元の刻印(上)-人類史の裂け目あるいは宗教の起源』(2008)バジリコ
(3) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(4) 2012年8月2日「君もシャーマンになれるシリーズ12―シャーマン(予知・予言能力)の脳回路」生物史から自然の摂理を読み解く
(5) 2012年8月22日「君もシャーマンになれるシリーズ13〜脳は「生命維持」「運動」「情動」「思考」の4層から成る」生物史から自然の摂理を読み解く
(6) 2012年9月22日「君もシャーマンになれるシリーズ14〜【シャーマン脳仮説】脳構造と右脳・左脳分化」生物史から自然の摂理を読み解く
(7) 2012年9月29日「君もシャーマンになれるシリーズ15〜脳はなぜ左右で分業したのか【日常行動の左脳】」生物史から自然の摂理を読み解く
(8) 2012年10月4日「君もシャーマンになれるシリーズ16〜脳はなぜ左右で分業したのか【危機察知の右脳】」生物史から自然の摂理を読み解く
(9) 2012年11月1日「君もシャーマンになれるシリーズ17〜【シャーマン脳仮説】シャーマンは無意識領域から情報を引き出している」生物史から自然の摂理を読み解く
(10) 2012年12月30日「君もシャーマンになれるシリーズ18―危機察知⇒予測思考を可能にする第一歩は、外圧の変化(自然、種間、同類)に適応すること」生物史から自然の摂理を読み解く
(11) 2013年5月2日「君もシャーマンになれるシリーズ22〜松果体がシャーマン能力を開花させる「鍵」か?」生物史から自然の摂理を読み解く
(12) 2013年12月30日「右脳・左脳―機能分化の真実を探るその1」生物史から自然の摂理を読み解く
(13) 2014年3月11日「核サミットで世界の指導者が身に付けた邪悪なピラミッド形」カレイドスコープ
(14) 2013年5月2日「君もシャーマンになれるシリーズ22〜松果体がシャーマン能力を開花させる「鍵」か?」生物史から自然の摂理を読み解く
posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月18日

彼岸の生物学A 太鼓とクスリ

セロトニンは脳の安定化装置のネジを外す

 シャーマンたちは踊りや歌で、トランス状態に入っていくが、なぜ、踊りによって変性意識に入れるのであろうか(8)

 人類の脳は、それ以外の動物に比較して大脳新皮質が極端に肥大化し「不安定化」している。このため、脳に外部から流入する情報を取捨選択することで脳の安定化が図られている。したがって、幻覚トランス状態に入るための鍵を握るのが「脳の安定化装置」を緩めて外すことにある(7)。そして、セロトニンやその受容体であるセロトニン・レセプターと呼ばれる脳神経伝達物質の働きが強まると脳の安定化装置の「ネジ」が緩んで外界情報が次々と流入してくる(7,9)。このため、普段はゲットされない自然界の微細な動きや人の肉体の微細な変化、心の変化と言った膨大な外部情報が脳内に流れ込む(7)。シャーマンは、こうした通常では掴み取れない微細な外界情報をゲットする(8)。この外部情報と潜在意識に記憶されている情報とが組み合わされたときに、人は「幻覚」を見るとされている(10)

 20160618-Williams2.jpg南アフリカのウィットウォータースランドの大学のデヴィッド・ルイス=ウィリアムス(James David Lewis-Williams,1934年〜)教授は、踊りが幻覚トランス状態に入りやすい脱水状態や過呼吸を引き起こすことに気づいた(3p108)。そして、歩行や呼吸、咀嚼といった反復したリズム運動を行うと、脳内のセロトニン神経が活性化することが実験から確かめられている(9)

太鼓のリズムもセロトニンを活性化させる

 踊りや歌等による単純なリズム運動もセロトニン神経を活性化させることがわかっている(7)。あらゆる自然現象にはリズムがある。呼吸や心臓の鼓動、脳や生殖もリズムを持つ。私たちがリズムに心地よさを見出すのは、進化の過程で身に付けて来た生命のリズムが自然と共鳴するからだ。リズムをあわせることとは、太古の昔から生命が継承してきた「振動する身体」を確かめている瞬間だともいえる(9)

 また、太鼓も、おそらく人類最古の楽器で、シャーマンがトランス状態に入るためには、なくてはならない道具だった(2p235,8)。太鼓のリズムは心拍数に近い100〜120BPMでリズムを刻む。現代でもトランス音楽等で100〜120BPMのリズムを長時間聞き続けるとトランス状態に近い意識になれることがわかっている(8)。太鼓からはじき出される単調なリズムは、日常的な時間の流れを停止させ、永遠の「今」を刻み続ける(2p235)。シャーマンが叩く太鼓のリズムは、身体に内包されている自然のリズムの記憶を呼び覚まし、増幅させるアンプのような役割を持つ(9)

 シャーマンにとって、太鼓は重要な意味を持つ。太鼓を「魂」の乗り物と位置づけている地域すらある(8)。そして、中世ヨーロッパやモンゴルにおいては太鼓を所持することそのものが「麻薬」を所持するかのように禁止されていた(2p235)

中南米のシャーマンは幻覚植物を利用する

 アジアのシャーマンたちが踊りや祈り歌を通じて変性意識に入っていくのに対して、南米、とりわけ、中南米の原住民たちは、1万年以上も前から幻覚植物を利用してきた(6,7)。幻覚物質はアマゾン流域では何千年も先住民たちの重要な文化の一部となっている(3p61)

幻覚植物ペヨーテとメスカリン

 1901年に哲学者、心理学者、ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842〜1910年)は、亜酸化窒素ガスを吸引することでトランス状態に入り、意識と現実との関わりについて形而上学的な洞察を得た(3p149)

20160618–aldous-leonard-huxley.jpg それ以降、先進国におけるサイケデリック・ハーブの時代は、大きく三つに分けられる。まず、着目されたのがサボテンに含まれるアルカイド、ペヨーテである(2p268)。メキシコのインディアンは、幻覚性物質を含む幻覚サボテンを利用してきたが(7)、19世紀末に学名が付けられ、有効成分のメスカリンが分離された。1953年に作家、オルダス・ハクスリー(Aldous Huxley, 1894〜1963年)の『知覚の扉』はメスカリンを摂取した体験で産みだされたものだが(2p268,3p150)、その後もハクスリーは、メスカリン、シロシビン、LSD等を体験し「脳や神経系、感覚器官の主な機能は、情報を産み出すのではなく、捨てる減量バルブとして働くことで私たちを守ることが目的である」との仮説を立てる(3p150)。メスカリンはヨーロッパの知識人たちの間で流行し、サルトルの『嘔吐』もメスカリンの産物と言えるかもしれない(2p268)。なお、最初にLSDを合成した化学者、アルバート・ホフマン(Albert Hofmann, 1906〜2008年4月29日)も1983年にハクスリーと同じく「LSDの影響で脳が生化学的に変化することで、受信機がふだんの日常生活とは異なる波長にあうことで、別の現実が出現してくる」と述べている(3p151)

LSDはセロトニンの抑制を外し超越体験を引き起こす

 1950〜1960年代にかけては、LSDの臨床実験や研究がなされたが、LSDで経験される「変性意識状態」が、宗教で言われてきた神秘体験と極めて類似していることが明らかになって来た(5p53)

 そのメカニズムの中核には、やはりセロトニンを神経伝達物質とする神経回路がある(5p53)。アーノルド・マンデル(Arnold J Mandell)博士によれば、セロトニンが生産される「縫線核」は原始的な脳の部位や脳幹にまたがっているが、LSDをはじめとする幻覚物質は、セロトニンと拮抗的に働く。このため、海馬のCA3細胞へのセロトニンの抑制が失われる。このため、CA3細胞の活動は活発化し、海馬−中隔において、ゆっくりとしたアルファー波やシーター波の脳波が発生する。さらに、海馬−中隔で同期化が起こり、前頭葉においても同期化が起きていく。結果として、LSDは左脳と右脳の融合を通じて超越体験がもたらされる(5p54)

マジック・マッシュルーム(シロシビン)もセロトニンの抑制を外す

 1960〜1970年代のサイケデリックの黄金時代にLSDと並んで着目されたのが(2p268)、マジック・マッシュルームとそこからアルバート・ホフマンが分離したシロシビンである(2p268,5p54)。シロシビンも、セロトニンとよく似た分子構造を持つ。このため、セロトニン・レセプターの働きを強める(7)。そこで、セロトニンの抑制作用が抑えられ、海馬に影響し、側頭葉が刺激される。その結果、情動や視覚中枢のブロックが解放され、抑圧されていた無意識の情動が浮上して幻覚体験が生れる(5p56)

 20160618–Sabina.jpgシロシビンも後期旧石器時代にヨーロッパで洞窟壁画を描く触媒になった可能性があるとされているが(3p155)、現在、このキノコを用いる伝統を持っているのは、中米の先住民だけで(2p268)、マヤやアステカ等のメキシコ文明においてもシロシビンやシロシンを含む100種類以上の幻覚きのこ「マジック・マッシュルーム」が儀式や治療に用いられてきた(7)。菌類学者G・ワッソンとLSDの生みの親アルバート・ホフマンよって見出されたマサテコ族の女性シャーマン(クランデラ)、マリア・サビーナ(María Sabina, 1894〜1985年)はヒロインとなり(2p268,2p287)、彼女の住むメキシコ・オアハカ州の山村、ワウトラ・デ・ヒメーネスはヒッピーたちの巡礼地となっていた(2p268)

セロトニンと類似したジメチルトリプタミンで幻覚を起こすアヤワスカ

 そして、第三の波がアヤワスカ(Ayawaska)である。アヤワスカは1960年代に最強のサイケデリックスを探し求めていた作家、W・バロウズがすでに記述しているが、熱帯雨林からやってきた神秘的なハーブというイメージが、エコロジーやアーバン・シャーマニズムと重なって人々の心を捉え、流行し始めたのは1990年代に入ってからである(2p269)

 幻覚植物アヤワスカとは、インカのケチュア語で『魂の蔦』あるいは「死者のツタ」を意味する(3p60,4p80)

 アマゾン川流域に自生するキントラノオ科のつる植物バニステリオプシス・カーピ(アワヤスカ)に、ジメチルトリプタミン(DMT)を含む植物、プシコトリア・ウィリディス(チャクルーナ)の葉を加えて煮出して作られた飲料である(3p62〜63,2p156,6,7)

 アヤスワカの有効成分DMTは、脳内の神経伝達物質セロトニンと類似した構造を持つ。このため、脳に作用して意識を変容させる(4p46)。DMTは、ある種のヒキガエルやヒトの血球等にも存在する物質で(10)、DMTは幻覚を引き起こすが、普通は、胃の中に存在する酵素、モノアミン・オキシダーゼがこれを分解し、不活性化している。けれども、ツタには、この酵素の阻害化学物質が含まれているため、DMTをうまく作用させるのである(3p62〜63,3p156)。人類学者、ジェレミー・ナービーはこう述べる。
「アマゾンには8万種もの植物がある。うち、幻覚をもたらす低木の葉を選び取り、幻覚作用を妨げる酵素を不活性化する物質を含むツタと組み合わせている。どうして、こういうことを知っていたのかと尋ねると『幻覚性植物から直接この知識をもらった』と彼らは言うのである(3p62〜63)

 民族植物学者、リチャード・エバンス・シュルツも驚いている。

「化学や生理学の知識がない原始社会の人々がなぜ、モノアミン・オキシターゼ阻害成分でアルカイドを活性化する解決策に出会ったのか不思議と言わざるを得ない。実験の繰り返し。おそらく違うだろう。組み合わせの数があまりにも多すぎる」(3p64)

アヤワスカでUFOによる拉致体験ができる

 1991年に全米で実施された世論調査から、成人の約2%がUFOによる拉致体験をしていることが判明したが(3p162)が、拉致されたと信じる人々が最も頻繁に報告している事例が、エイリアンから異物を体内に挿入されたという体験である。1961年に車で走行中に宇宙人に誘拐されたことで知られるベティとバーニー・ヒル夫妻の事例でも、長い針をヘソから挿入されたと述べている(3p165)。奇妙なことに、狩猟採集社会の民族史や人類学の研究からは、頭部や身体に水晶を挿入されたり、四肢を切断されたり、脳や目を摘出されるといった体験が記述されている(3p158)。オーストラリアでは、精霊がやってきて内蔵を入れ替える手術を施した後、呪力を持つ石や蛇を体内に埋め込んでシャーマンに変身させる伝説が各地の先住民社会に見られる(2p101)

 UFO拉致体験では、空に引き上げられる体験が多いが(3p190)、シャーマンの入門儀礼でも、神々や精霊の領域は空にあるために空の旅の体験事例が多い(3p186)。オーストラリアの北西部のシャーマンは「空気のロープを使って空にいく」と語り、クン・サン族も「紐やロープを用いて空の旅を行う」と主張し、クリン族やクルナイ族のシャーマンは「身体からクモの巣のように細い糸が出て、それを伝って天界に昇る」と述べている(3p190)

 明治大学の蛭川立准教授は、ペルー・アマゾンのシピボ族のシャーマン、マテオ・アレバロ氏から、アヤワスカの儀式の中で、緑色をした小人の異星人に誘致された経験を聞いているが(2p100)、アメリカのグレート・ベーズンの先住民のシャーマンは「小さな緑色の人」を守護霊として持つ(2p101)。そして、ハート型の頭を持つ小柄な宇宙人グレーとそっくりのイメージは、後期旧石器時代のヨーロッパの洞窟壁画やクン・サン族も描いている(3p199)

 同時に、エイリアンは、動物やエイリアンと動物の両方の特徴を持つ姿で出現することが多い(3p200)。ブラジルのイピフマ族のシャーマン、ベルナルド・ペイホト博士は人類学の研究者でもあるが、UFOに拉致された体験も持ち、グレイは、イブヒマ族がフクロウの姿をした「イクヤ」と呼ぶ精霊だと明言している(3p204)

33Rick Strassman.jpg ニューメキシコ大学の精神医学者リック・ストラスマン(Rick Strassman, 1952年〜)教授は、計60人以上のボランティアの被験者に対して400回以上に渡ってDMTを静脈注射で投与する実験を続けて来た(3p153,11)。その結果、被験者の半数近くが地球外生物のエイリアンに遭遇したという(11)。ストラスマン教授は、このことから、ハクスレーと同じく、幻覚剤が受信機としての脳の波長を変え、目に見えない存在をかいまみせると述べている(3p153)

33Mckenna.jpg 米国の幻覚剤の研究家であるテレンス・マッケナ(Terence McKenna, 1946〜2000年)氏もDMTはエイリアンがいる異次元に誘う作用があると主張している(11)。このことから、UFOの目撃やエイリアンから誘拐されたといった体験は、変性意識状態から生じる体験だと考えることが最も理解しやすい(3p163)

幻覚物質を用いて手術を行っていた古代人

20160126William Laughlin.jpg 先住民の医療技術には驚くべき高さの水準のものがある。例えば、アリューシャン列島に住む先住民アリュート族をコネチカット大学のウィリアム・ラフリン(William S. Laughlin, 1919〜2001年)教授が調査したところ、涙腺、虫垂、脾臓等、360もの身体部位の単語を持っていた。アリュート族は、狩猟民で、多くの動物を解体しては衣服や容器を作っている。人間と身体構造が似ているラッコも盛んに解剖し、死因が不明な場合は検屍解剖もしている(1p171)

 けれども、アリュート族はただ外科手術を行うだけでなく、中国とよく似た「気」の概念を持ち、鍼で多くの病気が治療できることを知っていた。また、マッサージも行い、格闘技も発達させている。鍼、気、そして、武術にまで共通するとなるとただ事ではない(1p176〜177)。このため、ラフリン教授は、伝統医療は、アリュート族が独自に発達させたのではなく、北東アジアのモンゴロイドをルーツとする先史時代にあるのではないか、と考えている(1p178)

 世界の各地の先住民社会では、儀式としての人体の変形がごくあたりまえのように行われている。顔面や頭部の変形も各地でなされ、コロンブス自然のチリには顔面を変形させるための器具さえあった。古代ペルーでは、頭蓋骨に穴をあける穿頭術も発達していた(1p173)。T・D・スチュアートが214の頭蓋骨を調べた結果、完全に治癒したものが55.6%、治癒の初期段階にあるのが16.4%で、治癒痕跡が見られないものは28%だった。別の400の頭蓋骨の同様の調査でも62.5%が治癒している。

 実はこれは、驚くべき治癒率である。ヨーロッパで近代的な麻酔法や消毒法が導入され、死亡率が43%から14%に下がったのは19世紀半ば以降のことで、それ以前の18世紀には致死率が100%に近い難手術だった。このことから、穿頭術にかけては、古代ペルーは、ヨーロッパよりも優れていた(1p192)

 これも、精神活性物質が関係している。例えば、チョウセンアサガオには強力な薬効や精神作用があるが、ニューメキシコ州の先住民、ズーニー族は、様々な外科処理の前にこの薬草を用い麻酔に使っているのである(1p180)

農業は幻覚物質を得るために始まった?

 人類は石器時代にすでに酒を発明しているが、それよりもさらに古くから使われていた植物がある。近東の新石器時代のイェリコ遺跡では、ベラドンナ(ナス科の有毒植物)、マンドレーク、ヒヨス等、麻酔作用のある植物が最初に栽培されている(1p201,1p205)

 ケシも地中海西部では8000年前から栽培されている。また、中央アジア原産のカンナビスも5000年前に、ケシを用いた儀式がなされており、ルーマニアのクルガン文化の墓地からは焦げた大麻の種子が残っている。前5世紀にギリシアの歴史家ヘロトドスは、黒海北部の遊牧民スキュタイがカンビタスを使っていることを記録しているが、ソビエトの考古学者がアルタイ山脈にあるスキタイの古墳からカンビタスの種子を発見している。カンビタスは、中国にも及んだ。古代中国にはカンビタスを使う道士(シャーマン)の話が頻繁に登場する(1p202〜203)

 東南アジアでは精神活性物質として、コショウ属のキンマが知られるが、やはり9000〜7500前のタイ北西部のスピリット洞窟遺跡からはキンマの実が見つかっている(1p204)

 オーストラリアの先住民たちは農業をしていないにも関わらず、草の実を挽く食品加工は少なくとも3万年前から行っていた(1p239)。そして、ニコチンを含む植物ピチュリを用い、ピチュリからニコチンを引き出すため、アルカリ成分が非常に多いブロートン・アカシアを使っていた。彼らも食用植物よりも、精神作用のある植物の方を重視していた(1p205)

 北米の先住民、ブラックフット族は、農業を軽蔑して行わないが、唯一の例外がタバコである。タバコの原産地は、パタゴニア低地、パンパス、グランチャコ等、南米南部で、アメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものだが、8000年前に彼らが農業を始めたのは、「食料」ではなく「タバコ」を確保するためであった(1p205)

20160618–andrew-sherratt.jpg シェフィールド大学の考古学者、アンドルー・シェラット(Andrew Sherratt、1946〜2006年)教授は、農業は食料生産のために始まったという通説に疑問を投げかける。農業のルーツは食料生産ではなく、精神活性物質、精神に何らかの薬理作用を持つ物質を含むタバコ等を安定供給するためだったとの説を唱えている(1p205)

 どうも、農業も腹を満たすためよりは、心を満たす、すなわち、精神活性物質を確保するために始まったらしい。けれども、だとすれば、なぜ、古代人たちはこれほど、トリップすることにこだわっていたのだろうか。

ウィリアムス教授の画像はこのサイトから
ハクスリーの画像はこのサイトから
サビーナの画像はこのサイトから
ストラスマン教授の画像はこのサイトから
マッケナ氏の画像はこのサイトから
ラフリン教授の画像はこのサイトから
アンドリュー教授の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) リチャード・ラジリー『石器時代文明の驚異』(1999)河出書房新社
(2) 蛭川立『彼岸の時間〜意識の人類学』(2002)春秋社
(3) グラハム・ハンコック『異次元の刻印(上)-人類史の裂け目あるいは宗教の起源』(2008)バジリコ
(4) 蛭川立『精神の星座』(2011)サンガ
(5) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(6) 2011年12月15日「君もシャーマンになれるシリーズ5〜南米のシャーマンは何を見ているのか?」生物史から自然の摂理を読み解く
(7) 2012年1月5日「君もシャーマンになれるシリーズ6〜シャーマニズムと幻覚回路」生物史から自然の摂理を読み解く
(8) 2012年2月23日「君もシャーマンになれるシリーズ8―リズムを合わせるとは?その1」生物史から自然の摂理を読み解く
(9) 2012年3月15日「君もシャーマンになれるシリーズ8―リズムを合わせるとは?その2」生物史から自然の摂理を読み解く
(10) 2012年8月2日「君もシャーマンになれるシリーズ12―シャーマン(予知・予言能力)の脳回路」生物史から自然の摂理を読み解く
(11) 2013年5月2日「君もシャーマンになれるシリーズ22〜松果体がシャーマン能力を開花させる「鍵」か?」生物史から自然の摂理を読み解く
posted by la semilla de la fortuna at 20:14| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月17日

彼岸の生物学@ ダンスと変性意識

環境や他者とつながっていた先住民は見事に死を迎えられた

 フォレスト・カーターの『リトル・トリー』(2001)めるくまーるには、こんなシーンが出ている。

「祖父の顔に笑みが広がった。今生も悪くはなかったよ。次にうまれてくるときは、もっといいじゃろ。また会おうな。そして、祖父は吸い込まれるように急速に遠くにいった」

20160617-Ishi.jpg シオドーラ・クローバーの『イシ−北米最後の野生インディアン』(2003) 岩波現代文庫によれば、北米先住民ヤヒ族の最後の生き残りとされるイシが残した告別の言葉は「あなたはいなさい。ぼくはいく」であった。

 現在では、このような見事な死を迎えることがきわめて難しくなっている。現代人は死に対してきわめて未熟である(10p111)

 ふつう、死後の世界の観念は、誰にとっても避けられない「死」という不条理を回避するために産まれたと考えられている。身体が死んでも「自分」が残って生き続けると考えれば、この不条理を避けられるからだ。けれども、かけがえのない「自分」という発想や、刻々と迫りくる死という不安は、過去・現在・未来という直線的な時間に捉われた近代人特有のものであって、太古の人々はそうした不安はあまり感じていなかった(1p20)

20160617-Peter Berger.jpg 米国の社会学者・神学者、ピーター・ラドウィグ・バーガー(Peter Ludwig Berger, 1929年〜)ボストン大学名誉教授は、人類の宗教史をたどっていくと世界のどの地域にも類似した経験や考え方があるとし、これを「神話的基盤」と呼んだ。例えば、リアリティ全体をひとつの溶け合ったものとして認識することは、どの文化圏にも共通して見られる。そこでは、自然や人間、霊界、動物と人間との境界線は流動的であり、相互に行き来できた。人は「自己」を宇宙の一部として経験・理解していた(10p98)

 個人が明確な輪郭を持った「自我」として経験されず、部族や氏族の仲間や人間以外の環境とつながったものとして経験される神話的なリアリティの中では、死は意味をもたない。個人の輪郭がはっきりしていなければ、死の輪郭もはっきりしない(10p99)

 すなわち、自然や他者と切り離されていなかったことによって、太古の人々はまっとうに死ぬことができたのではあるまいか。そこで、まず、狩猟採集民たちの世界観を見ていこう。

太古から人類はシャーマニズムを持っていた

 ネアンデルタール人の埋葬跡やクロマニヨン人の残した壁画等、人類の精神文化史をたどっていくと「シャーマニズム」が見られる。その初源的な姿のヒントとなるのが、先住民社会等に残される「シャーマニズム」の伝統だ(3p11)

 シャーマンは世界各地域に事例が見られ、その歴史は長い(7)。「シャーマン」という言葉は、東シベリアのアルタイ系先住民、ツングース族の「エヴェンキ語」の「シャマン」に由来し、「暗がりの中で見える人」「知識と知恵のある人」(1p161,6)。したがって、シャーマニズムは、アルタイ語系諸民族の宗教的伝統と言える(1p161)

 アリゾナ州立大学の人類学者、マイケル・ウィンケルマン(Michael Winkelman)教授は、ランダムにサンプリングした47民族社会に存在する115もの呪術的・宗教的な職能者を統計的に分析してみた。すると、シャーマン、霊媒、呪医(ヒーラー)、祭司の4種類に分類できることがわかった(1p26)

 20160617-CharlesT.Tart.jpg宗教的な実践がない社会はなく、3分の2の社会に広い意味でのシャーマンが存在し、9割に相当する43社会には、変性意識状態に入る職能者が存在していた(1p27)。変性意識状態とは、米国の心理学者、カリフォルニア大学デービス校のチャールズ・タート(Charles T. Tart,1937年〜)教授の造語で、通常の覚醒時とは異なる意識状態のことを言う(5p57)。したがって、意識状態を変化させ、超自然的存在とコンタクトする文化とは、人間社会にとって普遍的な現象といえる(1p27)

エクスタシーの語源は体外離脱体験

 そもそも、シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう(3p13)。シャーマンたちの他界への旅を人類学では「脱魂」「呪的飛翔」「エクスタシー」と呼ぶ。宗教学者のミルチャ・エリアーデ(Mircea Eliade,1907〜1986年)は、シャーマニズムを「エクスタシーの技術」と定義する。なお、エクスタシーという言葉は、気持ちいいというニュアンスで使われているが、もともとのギリシア語「エクスタス」は「外側に立つ」という意味で体外離脱体験を示唆している。体外離脱体験は、深遠な法悦感を伴うことからそういう感覚がエクスタシーと称されるようになったのであろう(1p24〜25)

脱魂型シャーマン文化が最も基礎

 シャーマンの変性意識は、「脱魂型」と「憑霊型・憑依型」とにわけられるが(1p27,1p69,3p14)、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる狭義の「脱魂型」のシャーマンは、全世界の4分の1の社会にしか存在しない。その大半は、カラハリ砂漠や極東シベリアやアメリカ先住民で、狩猟採集生活をおくってきた人々の社会だ(1p27,3p14)。そして、脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしている(3p16)。このことから、脱魂型シャーマンが最も普遍的な宗教実践の基本形であることをうかがわせる(1p27)

最古の人類クン・サン族にも微細な身体の概念がある

bushwoman.jpg 最近のDNA 人類学の発達から、人類の誕生や分化、移動についてのかなりわかってきた。アフリカ南西部のカラハリ砂漠で生きるサン人、いわゆるブッシュマンが、最も古い原型を保っている民族とされる(7p23)。とりわけ、ボツワナのドーベ地区に暮らす先住民、クン・サン族は、人類社会の原型のモデルとして注目されている。農耕も牧畜も行わず、半砂漠地帯に適応したサン族の暮らしぶりを見れば、太古の人々の生活の様子をかいま見れると考えられて来たからだ(1p221)

 もちろん、レヴィ・ストロース(Lévi-Strauss, 1908〜2009年)に言わせれば、現在存在している部族社会は、「退行現象」を起こした社会であって、そのまま歴史上の原始社会と同一ではない。現在の部族社会に見られるシャーマニズムを太古のシャーマニズムとすることには無理がある。とはいえ、史実と異なるとしても、それを参考としていくしかない(3p12)

20160206Richard Katz.jpg クン・サン族のシャーマンは、トランス・ダンスという踊りを通じて意識状態を変容させて、彼岸の世界に入っていく(1p25, 4p108)。シャーマンたちは、『ンム』と呼ばれる大変な高温と活力を発生させる能力を持つ。人類学者リチャード・カッツ(Richard Katz)博士に対して「踊って踊って踊る。すると、ンムがお腹の中に入り込んで背中を持ちあげる。すると身体が震え始めて熱くなる。ンムが身体のあらゆる部分、足の先から髪の毛の中にまで入り込む。それは神から与えられる」と語っている(2p118〜119)

『ンム』には病を癒す霊力があると考えられているが、この力は特別な人が手にしているだけではない。このため、男性の大半と女性の3人に1人は霊力を持つことを試みる。けれども、成功するのは男性の半数、女性では10人に一人にすぎない。体内の『ンム』が活性化すると身体中が沸騰したような恐ろしい体験『キア』が起こり、それをコントロールすることが難しいためだ(1p25)

 鍵となるのは、踊りであり、長時間踊っていると、臍の下にある生命エネルギーが熱くなり、脳天を突きぬけて上昇する。中国では、人間を「気」や生命エネルギーの場としての「微細な身体」として捉えてきた。けれども、興味深いことに、これを見れば、「気」やインドのプラーナに相当する概念が、最古の狩猟採集民、クン・サン族にもあり、クンダリニーの覚醒とほぼ同一の体験をダンスを通じてしていることがわかる(9p23)

シャーマニズムでは動物の精霊が重要な地位を占める

 太古のシャーマニズムでは、動物の精霊が聖なる象徴で、熊や鷲は特別重要な存在とされていた(3p22〜25)。旧石器時代の壁画が、現在の狩猟採集部族が、共通して動物霊を聖なる存在として重視していることからも、そのことがわかる(3p26)

 動物霊と交信する宗教は、アニミズムと呼ばれ、原始的とされがちである(3p26)。けれども、アニミズムが多神教に発展し、多神教が一神教へと発展していくとする図式はかなり怪しい。現存する部族社会においても至高神信仰が多くあり、狩猟採集社会の最初の神の観念も至高神であったとの主張もある(3p28)

 とはいえ、部族社会の至高神の観念には、地球生態系への深い感謝や祈りが付随する。動物の精霊が重要な地位を占めていて、上から人格神が支配するといった観念は見出せない(3p30)

外から見る人類学から自ら体験する人類学へ

 1960年代後半から1970年代にかけて、宗教人類学では大変な変化が起きた(8p52)。それまで人類学者たちは、「儀礼」を外から観察して、神話の構造分析や社会・政治組織とつなげて論じて来た。けれども、この時期から人類学者たちはシャーマンや呪術師に直接弟子入りして、自分の体験をベースに内側から儀礼の内容を語るようになったのである。この変化の背景には環境問題や戦争等、近代技術や合理主義がもたらした限界が明らかになったことがある(8p53)

20160617-Michael Harner.jpg『シャーマンへの道』平河出版社の著者、米国の人類学者、マイケル・ハーナー(Michael Harner,1929年〜)博士は、エクアドル・アマゾンのヒバロ社会において聖なる植物アヤワスカを用いたシャーマニズムの伝統と出会って衝撃を受ける。その後、北米で太古の連打という技法を学んで、独自の「ネオ・シャーマニズム」と呼ばれるメソッドを開発し(1p234,3p31)、カリフォルニアにあるエサレン研究所等でワークショップを開催している(3p31)

ネオ・シャーマニズムの変性意識では動物と出会える

 明治大学の蛭川立准教授は、カリフォルニア大学バークリー校において、ハーナー博士等が行ったワークショップに参加したところ、沖縄のガマのビジョンが見え、その中でミュウミュウと鳴く茶色い毛むくじゃらのアザラシのような動物に出会ったという(1p234)

 長澤靖浩氏も、1999年にエサレン研究所で指導を受けた濱田秀樹氏の指導するワークショップに参加した。イメージの中で洞窟をくぐり抜けてバンビと出会い(3p32)、その後、年老いたカモシカと出会う。そして、そのカモシカの胸に飛び込んだ(3p33)。また、竜宮場のような場所に案内され、援助霊であるカモシカから、大地が巨大な亀であることを教えられているという(3p34)

ホモ・サピエンスはなぜ15万年、文化を持たなかったのか

 現在、最古されるホモ・サピエンスは、エチオピアで発見された19万6000年前のものである(4p49)。彼らは、解剖学的には現代人とまったく同じ肉体に進化し、現代人と同じ高度な脳も手にしていた。にもかかわらず、象徴化の能力が示され始めるのは10万年前からであり、かつ、アフリカでしか起きていない(4p42〜4p43,4p49)

 「シンボル化」の最古の事例は約11〜9万年前に南アフリカに出現した骨で作られた道具である(4p45)。また、約7万7000年前には、南アフリカのケープ州のブロンボス洞窟で、幾何学模様が付いた赤色のオーカーや小さな貝殻に穴を開けたビーズのセットが発見されている(4p45〜46)

 オーストラリアにも古くから人類が移住している。その年代は6万年前とされるが、大洋を航海するためには高度な抽象化の能力が必要であろう。そこで、ブロンボスのオーカーの年代に近い7万5000万年前にまで遡るとする意見もある(4p47)

4〜5万年前に意識革命が起きた

 フランスのラスコーやスペインのアルタミラ等の洞窟には世界最古の芸術が残されているが、これまで発見されているヨーロッパ最古の洞窟壁画は3万5000年前のものだ(4p42)。すなわち、4〜3万年以降に突如として洞窟芸術の爆発が怒り、約1万2000年前まで続いている(4p14)

 すなわち、洞窟芸術の爆発が起こり、人類の意識革命が起きたのは4〜5万年前のことでしかない(8p57)。約25万年前に出現したネアンデルタール人は、象徴化の能力を欠いており(4p45)、ホモ・サピエンスも15万年は文化を持たなかった。すなわち、原生人類の脳の肉体構造と精神との間にギャップがあることを意味している(4p50)

変性意識状態から洞窟壁画と宗教は産まれた

 古代サン族が描いた格子、網目、梯子、ジグザグ模様の幾何学パターンは、現在のボランティアの被験者たちが幻覚物質で体験した「内視現象」やヨーロッパの洞窟壁画と似ている。そのことに南アフリカのウィットウォータースランド大学のデヴィッド・ルイス=ウィリアムス(James David Lewis-Williams,1934年〜)教授は気づき(4p105,4p108)、1988年に「現代人類学」で、洞窟壁画と宗教の起源に関して神経心理モデルを提唱している(4p57)

洞窟壁画に登場する動物は変性意識で出会った

 20160203Michael Winkelman.jpgマイケル・ウィンケルマン教授は、ペンシルバニア大学のユージーン・ダギリ(Eugene G. d'Aquili,1940年〜)博士や人類学者ウィリアム・ラフリン(William S. Laughlin, 1919〜2001年)博士が、提唱する「神経現象学」をさらに深め、脳科学とシャーマニズムの研究をつなげようと試みている(8p53)

 後期旧石器時代に起きたこの精神革命は宗教につながるが、洞窟や岩絵に描かれたモチーフは、現代人が変性意識で体験する光のビジョンと共通する。すなわち、その背景にシャーマニズム的な呪術的実践で生れた変性意識状態があったことは間違いない(8p58)

 壁画のほとんどは馬、野牛、マンモス等を描いている。このため、狩猟の対象となる動物を支配するための魔術のためだと考えられた(4p101)。けれども、洞窟に残された骨から祖先が食べていたものを知ることができるが、それは壁画に描かれたものとは一致しない(4p102)

d-ijigen07.jpg また、壁画には人間と動物とをあわせた想像上の怪物が描かれている。ギリシア語の野獣を意味する「テリオン」と人間を意味する「アントロポス」を合わせ、「テリアントロプス」と呼ばれる。例えば、約1万7000年前のフランスのトロワ・フレール洞窟には、フクロウ、狼、鹿、馬、ライオンが混ざった「呪い師」と呼ばれる絵が有名である。イタリア北部の約3万5000年前のフマネ洞窟にも人間と野牛があわさった野牛人間がある。これはフランスの約3万2000年前のショーベ洞窟のものと一致し、スペイン北部の約1万5000年前のエル・カスティーヨ洞窟のものにも酷似している(4p102)

 アフリカのナミビアの洞窟でも約2万7000年前の下半身が人間でライオンの頭部をもつ絵が発見されている。南アフリカには下半身が人間で上半身がカマキリである絵もある(P103)。南アフリカのサン族は、カマキリのイメージを含めて、自分たちの祖先が残した洞窟壁画について説明しているが、彼らによれば、壁画は部族のための情報を得るために霊界を旅したシャーマンによって書かれたという(4p107)。ヨーロッパ南西部にある300程の洞窟壁画はビジョン芸術だったのである(4p57)

イシの画像はこのサイトから
バーガー名誉教授の画像はこのサイトから
ウィンケルマン教授の画像はこのサイトから
タート教授の画像はこのサイトから
カッツ博士の画像はこのサイトから
ハーナー博士の画像はこのサイトから
サン族の画像はこのサイトから
占い師の画像はこのサイトから

【引用文献】
(1) 蛭川立『彼岸の時間〜意識の人類学』(2002)春秋社
(2) ジェームズ・レッドフィード『進化する魂』(2004)角川書店
(3) 長澤靖浩『魂の螺旋ダンス』(2004)第三書館
(4) グラハム・ハンコック『異次元の刻印(上)-人類史の裂け目あるいは宗教の起源』(2008)バジリコ
(5) 蛭川立『精神の星座』(2011)サンガ
(6) 2011年10月27日「君もシャーマンになれるシリーズ2―シャーマンとは?予言者とは?」生物史から自然の摂理を読み解く
(7) 2011年11月17日「君もシャーマンになれるシリーズ3〜シャーマンとは?予言者とは?」生物史から自然の摂理を読み解く
(8) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(9) 永沢哲『日本トランスパーソナル心理学/精神医学会第12回学術大会基調講演:惑星的思考へ』トランスパーソナル心理学/ 精神医学vol.12, No.1, Sept, 2012 p.10-p.29
(10) 片山恭一『死を見つめ、生をひらく』(2013)NHK出版新書
posted by la semilla de la fortuna at 07:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月14日

慈悲の神経科学J 慈悲の経済学A

20160128tania.jpg利己的な近代経済学から利他的なケアの経済へ

 いま、主流となっている経済モデル、「新古典派」の経済理論は、基本的に二つの想定に基づく。まず、人間は本質的に利己的な存在で、自らの効用を最大化して欲望を満たすために合理的に行動する『ホモ・エコノミクス』だと想定する。次に、アダム・スミスの『見えざる手』に象徴されるように、自由にゆだねればよりよき世界が実現されると考える(5,6)

「けれども、この想定はいずれも明らかに間違っています(5)。それは、人間性のごく一部を記述したものにすぎません。心理学や神経科学分野の研究からは、この想定を越えるものが示されているのです」(6)

 マックス・プランク認知神経科学研究所(Max Planck Institute for Human Cognitive and Brain Sciences)のタニヤ・シンガー(Tania Singer, 1969年〜)教授はそう語る(5,6)

 人間が消費欲や権力欲に動機づけられることは確かだ。けれども、気候変動や格差の広がりといったグローバルな問題に対処するには、古典的な『ホモ・エコノミクス』の概念に基づく現在優位な経済モデルを見直し、ケア経済を構築する必要がある(5,6)。そして、エコノミストたちの議論とは裏腹に(2)、神経科学の研究からは人間が他者をケアすることに対して深く動機づけられることがわかっている(5,6)

ダーウィンは慈悲的種族が最も繁栄すると論じていた

「適者適存(survival of the fittest)」という言葉がある(2)。ダーウィニズムは以下の三つの原理に基づく。

 @ 世代毎に生物が変化することで進化は起こる
 A 遺伝物質は突然変異等によって多様化する
 B 変化した個体は自然選択にさらされ、環境に適応するものが生き延びていく。

 この進化によって最適な適応がもたらされるというダーウィニズムの概念は、ネオリベラリズムのベースにもなっている(7p236)。けれども、「適者適存」という言葉を作ったのは、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809〜1882年)ではなく、進化論によって階級や人種的な優越性を正当化することを望んでいたハーバート・スペンサー(Herbert Spencer, 1820〜1903年)や社会進化論者たちだった(2)

 意外なことに、ダーウィン本人は、著作『人間の由来:性淘汰(1871年: The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex)』において「それ以外のどの本能や動機よりも同情(sympathy)こそが最も強力な本能で、時には自分の利益よりも強力である」と論じ、自然淘汰によって「最も同情的な種族こそが最も繁栄し最も多くの子孫を育める」と主張していた(1,2)

 ダーウィンには10人の子どもがいたが、病弱だった長女アニーは1851年に病に臥せったまま10歳で病死する(8)。この娘の死が人生における苦や慈悲についての深く洞察させる契機となった(1)。すなわち、ダーウィンの進化論は「最も親切なものが生きのびる(survival of the kindest)」というフレーズで最もよく説明できる(2)。昨今の進化論がすっかり無視しているのはこのポイントなのである(1,2)

慈悲があることが最もモテる条件だった

 進化論的にいえば、私たちは『遺伝子の乗り物』である。親の遺伝子が組合せられることで誕生し、しばらくの時間この地球上に滞在し、新たな『乗り物』、再生産された遺伝子を残して、それから、死んでいく存在である(3p127)。そこで、生物は、遺伝子を次世代に手渡すためにパートナーを選ぶ。進化論の言葉では、これを「連れ合い(mate)」と呼ぶ(1)

 David buss.jpgテキサス大学オースティン校のデイビッド・バス(David Buss,1953年〜)教授は、37カ国からの10,000人の適齢期の男女を対象に、パートナーを選ぶ際に最も重視されるファクターが何であるかという研究を実施した。その結果、女性は男性以上に相手の所得に関心があり、男性は女性以上に見かけに興味があることがわかった。けれども、この研究からは、同時に誰もさほど論じてはいないが、調査対象国すべてで唯一共通していた普遍的な要件も見出されている(1)。それは、男女ともに、連れ合いを選ぶ最も重要な魅力として「親切さ」をあげていたことである(1,2)。このことは、人類が生き残り戦略として親切さを求めており(1)、「慈悲」が適応進化の産物であることに他ならない(2)

慈悲は生得的な本能である

 Jean Decety.jpg人間だけではない。動物もその核心には慈悲心があるとの証拠が見出されている。例えば、社会神経科学を専門とするシカゴ大学のジーン・ディセティ(Jean Decety,1960年〜)教授の研究によれば、ネズミでさえも、苦しむ別のネズミに感情移入して支援するという。

Michael tomasello.jpg また、マックス・プランク研究所のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello,1950年〜)進化人類学研究所長は、チンパンジーや社会ルールを学んでいない幼児も自発的に支援行動に携わっていくことを見出している。しかも、それは報酬を期待してではなく、ただ本能的な動機づけからそうしているように思える(2)

「性善説:有意義な人生の科学(Born to Be Good: The Science of a Meaningful Life)」の著者でもある、カリフォルニア大学バークレー校のダッチャー・ケルトナー(Dacher Keltner) 社会・相互作用研究所長は(1)、これを「慈悲的本能(compassionate instinct)」と呼ぶ(2)。慈悲のような反応は、闘争・逃避反応と同じように、本能的な行動として脳内に埋め込まれた要素だと主張する(4p329)。言い換えれば、慈悲は、生得的で自動的な反応なのである(2)

人間の子どもが脆弱になったため慈悲が産まれた

 けれども、人類は互いに戦いあう存在ではなかったのだろうか。なぜ、同情や慈悲が最大の本能だと言えるのであろうか(1)。その答えは、子どもが脆弱であって親に依存する存在であることにある。

「子どもが脆弱であることが、人間関係を変えたのです。生きのびるために慈悲を欠かせないものにしたのです」

 Dacher Keltner.jpgケルトナー所長は、慈悲の進化的なルーツと生物学的な根拠を論じる。博士によれば、チンパンジーの赤ちゃんは自分自身で食べることができるし、自分で起き上がることができる。けれども、人間の赤ちゃんは自分では食べられないし、起きあげることもできない。頭が大きいからである。人はアフリカのサバンナで直立歩行を始め、産道を抜けられないほど頭が大きくなっていく。この大きな頭に適合するため、人間の赤ちゃんは未成熟なまま産まれる。すなわち、人間の赤ちゃんは地球上で最も脆弱な存在である。産まれてからは他者のケアに依存する。このシンプルな事実がすべてを変えた。それが我々の神経系を組み替え、育児(caretaking)のために協力的なネットワークが構築され、それが社会構造を組み替えた。人類はケア(caregiving)的な生物種になったのである。すなわち、人類は互いにケアしあうように誕生している(1)

 すなわち、慈悲なくしては、人類の生き残りや繁栄があり得なかったし、慈悲が人の生き残びるために欠かせない自然な傾向であることは驚くべきことではない(2)。生き残り、つながり、人生において連れ合いを発見するという個としての最大のニーズに寄与するものとして、生物種としての人類がどのような存在であるのかを規定しているのは「慈悲」という特性なのである(1)

シンガー教授の画像はこのサイトから
バス教授の画像はこのサイトから
ディセティ教授の画像はこのサイトから
トマセロ所長の画像はこのサイトから
ケルトナー所長の画像はこのサイトから

【引用文献】
(3) Paul Gilbert, “Chapter 7 The Flow of Life An Evolutionary Model of Compassion” , Compassion, Bridging Practice and Science, Max Planck Society, 2013.
(4) Jocelyn Sze, Margaret Kemeny, “Chapter 18 The Art of Emotional Balance”,Compassion, Bridging Practice and Science, Max Planck Society, 2013.
(7) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(8) ウィキペディア
posted by la semilla de la fortuna at 21:16| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする