2016年04月14日

慈悲の経済学@

20160128tania.jpg利己的な近代経済学から利他的なケアの経済へ

 いま、主流となっている経済モデル、「新古典派」の経済理論は、基本的に二つの想定に基づく。まず、人間は本質的に利己的な存在で、自らの効用を最大化して欲望を満たすために合理的に行動する『ホモ・エコノミクス』だと想定する。次に、アダム・スミスの『見えざる手』に象徴されるように、自由にゆだねればよりよき世界が実現されると考える(5,6)

「けれども、この想定はいずれも明らかに間違っています(5)。それは、人間性のごく一部を記述したものにすぎません。心理学や神経科学分野の研究からは、この想定を越えるものが示されているのです」(6)

 マックス・プランク認知神経科学研究所(Max Planck Institute for Human Cognitive and Brain Sciences)のタニヤ・シンガー(Tania Singer, 1969年〜)教授はそう語る(5,6)

 人間が消費欲や権力欲に動機づけられることは確かだ。けれども、気候変動や格差の広がりといったグローバルな問題に対処するには、古典的な『ホモ・エコノミクス』の概念に基づく現在優位な経済モデルを見直し、ケア経済を構築する必要がある(5,6)。そして、エコノミストたちの議論とは裏腹に(2)、神経科学の研究からは人間が他者をケアすることに対して深く動機づけられることがわかっている(5,6)

ダーウィンは慈悲的種族が最も繁栄すると論じていた

「適者適存(survival of the fittest)」という言葉がある(2)。ダーウィニズムは以下の三つの原理に基づく。

 @ 世代毎に生物が変化することで進化は起こる
 A 遺伝物質は突然変異等によって多様化する
 B 変化した個体は自然選択にさらされ、環境に適応するものが生き延びていく。

 この進化によって最適な適応がもたらされるというダーウィニズムの概念は、ネオリベラリズムのベースにもなっている(7p236)。けれども、「適者適存」という言葉を作ったのは、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809〜1882年)ではなく、進化論によって階級や人種的な優越性を正当化することを望んでいたハーバート・スペンサー(Herbert Spencer, 1820〜1903年)や社会進化論者たちだった(2)

 意外なことに、ダーウィン本人は、著作『人間の由来:性淘汰(1871年: The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex)』において「それ以外のどの本能や動機よりも同情(sympathy)こそが最も強力な本能で、時には自分の利益よりも強力である」と論じ、自然淘汰によって「最も同情的な種族こそが最も繁栄し最も多くの子孫を育める」と主張していた(1,2)

 ダーウィンには10人の子どもがいたが、病弱だった長女アニーは1851年に病に臥せったまま10歳で病死する(8)。この娘の死が人生における苦や慈悲についての深く洞察させる契機となった(1)。すなわち、ダーウィンの進化論は「最も親切なものが生きのびる(survival of the kindest)」というフレーズで最もよく説明できる(2)。昨今の進化論がすっかり無視しているのはこのポイントなのである(1,2)

慈悲があることが最もモテる条件だった

 進化論的にいえば、私たちは『遺伝子の乗り物』である。親の遺伝子が組合せられることで誕生し、しばらくの時間この地球上に滞在し、新たな『乗り物』、再生産された遺伝子を残して、それから、死んでいく存在である(3p127)。そこで、生物は、遺伝子を次世代に手渡すためにパートナーを選ぶ。進化論の言葉では、これを「連れ合い(mate)」と呼ぶ(1)

 David buss.jpgテキサス大学オースティン校のデイビッド・バス(David Buss,1953年〜)教授は、37カ国からの10,000人の適齢期の男女を対象に、パートナーを選ぶ際に最も重視されるファクターが何であるかという研究を実施した。その結果、女性は男性以上に相手の所得に関心があり、男性は女性以上に見かけに興味があることがわかった。けれども、この研究からは、同時に誰もさほど論じてはいないが、調査対象国すべてで唯一共通していた普遍的な要件も見出されている(1)。それは、男女ともに、連れ合いを選ぶ最も重要な魅力として「親切さ」をあげていたことである(1,2)。このことは、人類が生き残り戦略として親切さを求めており(1)、「慈悲」が適応進化の産物であることに他ならない(2)

慈悲は生得的な本能である

 Jean Decety.jpg人間だけではない。動物もその核心には慈悲心があるとの証拠が見出されている。例えば、社会神経科学を専門とするシカゴ大学のジーン・ディセティ(Jean Decety,1960年〜)教授の研究によれば、ネズミでさえも、苦しむ別のネズミに感情移入して支援するという。

Michael tomasello.jpg また、マックス・プランク研究所のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello,1950年〜)進化人類学研究所長は、チンパンジーや社会ルールを学んでいない幼児も自発的に支援行動に携わっていくことを見出している。しかも、それは報酬を期待してではなく、ただ本能的な動機づけからそうしているように思える(2)

「性善説:有意義な人生の科学(Born to Be Good: The Science of a Meaningful Life)」の著者でもある、カリフォルニア大学バークレー校のダッチャー・ケルトナー(Dacher Keltner) 社会・相互作用研究所長は(1)、これを「慈悲的本能(compassionate instinct)」と呼ぶ(2)。慈悲のような反応は、闘争・逃避反応と同じように、本能的な行動として脳内に埋め込まれた要素だと主張する(4p329)。言い換えれば、慈悲は、生得的で自動的な反応なのである(2)

人間の子どもが脆弱になったため慈悲が産まれた

 けれども、人類は互いに戦いあう存在ではなかったのだろうか。なぜ、同情や慈悲が最大の本能だと言えるのであろうか(1)。その答えは、子どもが脆弱であって親に依存する存在であることにある。

「子どもが脆弱であることが、人間関係を変えたのです。生きのびるために慈悲を欠かせないものにしたのです」

 Dacher Keltner.jpgケルトナー所長は、慈悲の進化的なルーツと生物学的な根拠を論じる。博士によれば、チンパンジーの赤ちゃんは自分自身で食べることができるし、自分で起き上がることができる。けれども、人間の赤ちゃんは自分では食べられないし、起きあげることもできない。頭が大きいからである。人はアフリカのサバンナで直立歩行を始め、産道を抜けられないほど頭が大きくなっていく。この大きな頭に適合するため、人間の赤ちゃんは未成熟なまま産まれる。すなわち、人間の赤ちゃんは地球上で最も脆弱な存在である。産まれてからは他者のケアに依存する。このシンプルな事実がすべてを変えた。それが我々の神経系を組み替え、育児(caretaking)のために協力的なネットワークが構築され、それが社会構造を組み替えた。人類はケア(caregiving)的な生物種になったのである。すなわち、人類は互いにケアしあうように誕生している(1)

 すなわち、慈悲なくしては、人類の生き残りや繁栄があり得なかったし、慈悲が人の生き残びるために欠かせない自然な傾向であることは驚くべきことではない(2)。生き残り、つながり、人生において連れ合いを発見するという個としての最大のニーズに寄与するものとして、生物種としての人類がどのような存在であるのかを規定しているのは「慈悲」という特性なのである(1)

シンガー教授の画像はこのサイトから
バス教授の画像はこのサイトから
ディセティ教授の画像はこのサイトから
トマセロ所長の画像はこのサイトから
ケルトナー所長の画像はこのサイトから

【引用文献】
(3) Paul Gilbert, “Chapter 7 The Flow of Life An Evolutionary Model of Compassion” , Compassion, Bridging Practice and Science, Max Planck Society, 2013.
(4) Jocelyn Sze, Margaret Kemeny, “Chapter 18 The Art of Emotional Balance”,Compassion, Bridging Practice and Science, Max Planck Society, 2013.
(7) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(8) ウィキペディア
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2016年03月18日

慈悲の瞑想の神経科学18〜慈悲心は感情がバランスして発動される

Jocelyn Sze.jpgジョスリン・セー(Jocelyn Sze)博士は、スタンフォード大学で心理学で学士を、カリフォルニア大学バークレー校で臨床科学で学位を得ている。バークレーでは、臨床心理学でディーボルド・フェローシップ(Diebold Fellowship)、グレーター・グッド・サイエンス・センター・ホーナデー・フェローシップ(Greater Good Science Center Hornaday Fellowship)、そして、シェルドンJ.コーチン学術論文賞(Sheldon J. Korchin Dissertation Prize)を受賞している。サンフランシスコVAメディカル・センター(San Francisco VA Medical Center)で臨床インターンシップとポスドク・フェローシップを終えている。感情、心理、老化のジャーナルで論文を執筆している。現在は、サンフランシスコで臨床サービスを行なっており、気分、不安、行動の健康、成人やカップルの人間関係の問題でエヴィデンス・ベースの精神療法を専門としている。個人的な実践に加え、博士は、スタンフォード大学、UCSF、SFVAMCで研究やプログラムの開発事業に携わっている。博士の関心は、感情と老化、テクノロジー支援の精神療法(technology-assisted psychotherapy interventions)、感情の調節や幸せに対してマインドフルネスが及ぼすメカニズムである(p507)

Margaret Kemeny.jpgマーガレット・ケメニー(Margaret Kemeny)博士は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校で健康心理学で学位を得て、臨床心理学でのトレーニングも受けている。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で臨床免疫学でのポスドクのフェローシップを終えている。健康心理学や精神神経免疫学(psychoneuroimmunology)の分野の専門家として、この分野で多くの出版もしている。UCLAの心理学と精神医学の教授で、ノーマン・カズンズ精神神経免疫学センター(Norman Cousins Center in Psychoneuroimmunology)の所長だった。現在は、カリフォルニア大学、サンフランシスコ校の精神医学部の教授で、健康心理学プログラムの所長である。彼女の学際的な研究プログラムは、神経内分泌系、免疫系、健康と病気への心理学的な要因に重点がおかれている。効果を中心に行う。とりわけ、生理学的なシステムの中心や周辺、そして、健康と認識や感情がどれだけ結び付いているのか、そして、心理学的な介入が、感情的、生理学的、そして、健康にどれだけ恩恵をもたらせるのかに関心を抱いている。博士は、心理学的・生物学なプロセスで、慈悲を含めた瞑想と感情の調節カリキュラムの効果を評価する「感情バランス育成プロジェクト(Cultivating Emotional Balance project)」の代表調査者だった。彼女は慈悲の定義の科学的な会議を組織しリードもしている(p512)

慈悲は感情のひとつとして位置づけられがちだ

 感情は動機づけの強力な要因となり、ある行動へと人々を動かす。例えば、恐怖心があれば脅威から逃げ、怒りは、相手を攻撃することで自分を守り、喜びは対象にアプローチさせる。このため、動機づけのベースには感情があり、感情が強ければ強いほどより強く動機づけられると想定する文献も数多い。

「慈悲(compassion)」に関しては、一致した定義がない。このため、情(sympathy)、共感(empathy)、おもいやり(empathic concern)、哀れみ(pity)といった感情がその代用品として用いられることが多い。英語、イタリア語、中国語等、多くの言語の語彙を研究すれば、こうした感情用語のグループに慈悲も入ることがわかる(p327)

慈悲は感情であるよりも動機づけのメカニズムだ

 けれども、慈悲は感情とは違う。慈悲のユニークさは、感情の状態であるというよりも、苦しみの中にある他者を意識し、それを救いたいという動機を持つことにある。

 英語の辞書では、この動機づけの面に重点をおく。アメリカン・ヘリテッジ・ディクショナリー(American Heritage Dictionary)では「他者を救う望みと結び付いた他者の苦しみへの深い自覚」、メリアム・ウェブスター(Merriam-Webster)では、「他者の苦しみを理解し、それに対して何かをしたいと思う人間の質」と定義している。同様に、ダライ・ラマ(Dalai Lama)も慈悲について「自己や他者を救うことに深くコミットメントする苦しみへの敏感さ」と定義している。

 この定義のように、慈悲は、感情というよりも、ある特定の感情状態を強化したり抑制したりし、動機づけをもたらすものとして概念化したほうがよい(p327)

慈悲は対象がなくても発動される

 感情であれば、例えば、別の主体や対象に対して、どれだけ効率的なシグナルを発することができるかという面で評価できる(p327,p328)。一方、慈悲を動機づけとして概念化すると、これは重要な意味を持つ。

(a)行動を開始するための望み

(b)障害に直面してもその目標に向かう粘り強さや続けられる努力

(c)目標を追い求めるために必要とされるエネルギーが集中力

 ふつうは動機づけを与えるためにはこれらが関係している。けれども、これでは慈悲は定義できない(p327)

 他者に対する暖かさ、同情(sympathy)、悲しさといった感情によって規定されるものに慈悲は依存しない。様々な感情の条件下において慈悲は柔軟に生じ、感情が不在であってさえ生じる。すなわち、慈悲は、ターゲットに対する感情的な執着が存在しなくても慈悲は発動できる。したがって、感情ではなく、動機づけとして慈悲を概念化すると、慈悲は、「他者」あるいは、ターゲットが、「無資格(unqualified)」であっても存在でき、「評価」を伴わない望みとしても概念化できる(p328)

恐怖と怒りで他者に向かう感情は慈悲心を妨げる

 感情とは別のものとして慈悲を見る別の鍵は、私たちがどれだけ互いの関係性を理解しているかが関係してくる。すなわち、理論的に言えば、感情と動機づけは密接にリンクする。そして、感情は動機づけの先駆的な駆動力として働く。そして、環境内の対象に注意を向け、特定のやり方で行動するように知らせる働きを持つ(p328)

 慈悲心を持つためには、他者、とりわけ、苦しむ他者に思いをよせなければならない。この慈悲心を達成するうえでは、感情はネックとなる。慈悲の目標とは違う方向へと注意をそらせてしまうからだ(p329)

 慈悲の障害となる一つ目の感情は、闘争・逃避反応である。闘争・逃避反応は、自分自身や拡張された自己、すなわち、自分の子孫の幸せや生き残りにつながるが、他者をケアするという動機づけとは対立する[7章](p329)。

 カリフォルニア大学バークレー校社会・相互作用研究所のダチャー・ケルトナー(Dacher Keltner)所長は、著作「善として誕生:有意義な人生の科学(Born to Be Good: The Science of a Meaningful Life)」で、闘争・逃避反応と同じく、慈悲のような他者指向の反応も、本能的な行動として脳内に埋め込まれた要素だと主張している(p329)。闘争・逃避反応では、脅威に対処するため、交感神経系(SNS= sympathetic nervous system)が活性化し、ノルエピネフリン(norepinephrine)等のホルモンが放出され、血管系や呼吸器系が活性化する(p332)。要するに、闘争・逃避反応と関連する感情、すなわち、恐怖や怒りは、慈悲を妨げる(p329)

安心して他者に対峙するときには副交換神経が活性化する

 慈悲は他者の苦に重きをおく「向社会的反応(prosocial behavior)」である。脅威ベースの感情が血圧をあげるのと対象的に、「他者指向」の「向社会的反応」では、交感神経系ではなく、迷走神経(vagus nerve)や副交感神経系(PNS= parasympathetic nervous system)が活性化する[17章]。とりわけ、副交感神経系の活性化は、外に対する気づき(outward attention)と連動して起きていることがわかっている。例えば、スティーブン・ポージス(Stephen Porges)らは「社会的なかかわり(social engagement)」があるときには、副交感神経系が活性化し、それは、交感神経系を含めてストレス系を静める反応が関連してくると主張する。確かに、馴染んだ顔しかなく、「安全」だと安心できる状況では、闘争・逃避活動は減り、呼吸性洞性不整脈(RSA= respiratory sinus arrhythmia)が高まる。呼吸性洞性不整脈が高いことは、副交感神経系が優位である指標だ。ダチャー・ケルトナー所長は、こうした変化によって、相手にアプローチし、相手を安心させるための身体の準備がなされていると述べる。脅威に基づく感情システムとは異なる精神生物学的な関係性があることも、慈悲が、感情とは異なる性質を持つことを潜在的に支持する(p332)

自分に向かう恥とプライドの感情も慈悲心を妨げる

 慈悲の障害となる二つ目の感情は、恥辱(shame)、当惑、プライドといった自意識的の感情(selfconscious emotions)である。

 恥辱とは、自分は理解力が乏しいと感じるように自分に対するネガティブ評価が中心となる。当惑(embarrassment)は、自分に対するネガティブ評価に加えて、他者を意識した行動に向けられる。例えば、大勢の前でけつまづけば当惑を感じる(p329)。要するに、自分が劣っているのではないかという自己評価や他者が自分をどのように見ているのかという評価。自分の自尊心やステータスを維持することに対する脅威として恥辱や当惑は生じる(p329)

 一方、プライドは自分に対する「ポジティブ」な評価である。とはいえ、こうした感情の注意は「社会的な自己」の維持に向けられている。このため、他者の苦に対して使えるエネルギーや関心を減らす(P332)。要するに、ネガティブな恥辱や当惑であれ、ポジティブなプライドであれ、こうした感情は、いずれも「自己」に注意を向けるため、慈悲の能力を減らしてしまうのである(p329)

 要するに、闘争・逃避感情(怒りや恐怖)と自意識過剰感情(恥辱、当惑、プライド)といったネガティブな感情は、慈悲が発動するうえでのネックとなる(p328,p332,p333)

豊かすぎる感情と乏しすぎる感情も慈悲心を妨げる

 第三に、感情が豊かすぎても乏しすぎても慈悲の駆動は妨げられる(p332)。まず、主観的な感情、とりわけ、ネガティブな感情が強いと慈悲は妨げられる。と同時に、過剰な感情も慈悲を抑制する。これまでの数多くの研究から、侵略をしたり、喜びの対象を探すといった動機づけの場合とは異なり、感情がバランスして、感情・覚醒度が低い(low arousal emotional states)ときに、最も慈悲がうまく作動することが示されている。同時に、感情に対して無神経であっても慈悲は妨げられる(p328)。他者の感情に共鳴する「感情的共感(affective empathy)」と慈悲とにはつながりがあることが研究からはわかっている(p333)鬱病(depression)、統合失調症(schizophrenia)、精神病(psychopathy)を含め、数多くの精神障害において情動鈍麻(blunted affect)が共感や向社会的行動の減少と関係することが知られている(p333)

 また、感情が非常に乏しい別の事例に、他者をケアすることによる感情的なバーンアウトで生じる「同情疲労(compassion fatigue)」として知られる現象がある。「身代わりのトラウマ(vicarious traumatization)」と評されることもあるが、感情麻痺(emotional numbness)や離人感(detachment from others)を伴う。この「同情疲労」は、他で論じられるように(15章)、「共感の悩み疲労(empathic distress fatigue)」と新たに名前すべきであろう。ナンシー・アイゼンバーグ(Nancy Eisenberg)とダニエル・ベートソン(Daniel Batson)は、高い感情的な感染(high emotional contagion)、すなわち、他者の悩みを目にして悩んでしまうことが、他者指向の動機づけを抑制してしまうというパイオニア的な研究を進めている[15章も参照](p333)

 感情的な共感、あるいは、まだ他者と自己とが区別されているとはいえ、適度なレベルでの「感情のわかちあい」があることが、他者の感情を理解して、他者指向の慈悲を発動させるには必要である。向社会的行動と前部島皮質(anterior insula)における脳の感情反応が関係することもこのことを生物学的に支持する(p333)。

感情のバランスが大切〜最先端科学が見出したのはシャカの「中道」だった

 すなわち、感情のタイプや感情ヴェイレンス(valence)を問わず、感情的な強度は、慈悲を妨げる(p332)。要するに、感じすぎる、あるいは、ほとんど何も感じないのではなく(p328)、感情が多すぎるのでも少なすぎるのでもなく、熱すぎるのでも冷たすぎるのでもなく(p327)、適度なバランスが取れていることで慈悲心は発揮される(p327)。要するに、感情が豊かすぎても、乏しすぎても慈悲は働かない(p333)

 こうした社会心理学や社会神経科学(social neuroscience)の研究結果からは、慈悲を含めた「向社会的反応」を育むためには、感情調節と認識のコントロール力が大切であることが見えてくる。これは、仏教の「中道」の概念と一致する(p333)。すなわち、自己中心的な感情を減らし、とりわけ、潜在的に破壊的な感情をいかにうまく管理するかが、慈悲を育む鍵であって、感情のバランスを保つことが決定的なのである(p328,p333)。さらに、感情のバランスが慈悲の瞑想の効果を説明する鍵であることを示唆する証拠もある(p337)

感情のバランスを保つための第一ステップ〜マインドフルネス

 それでは、どうすれば、感情のバランスは保てるのであろうか。そのための最初のステップは、自分への気づき(self-awareness)を促進するテクニック、マインドフルネスである。マインドフルネスは、自分のマインドへの気づきを高めることに重点をおいていることから、この目標を果たすうえで中心的となろう(p333)。破壊的な感情を管理するには、ただそれを避けるのではなく、それに圧倒されたり、流されることなく、それを認め、マインドフルでいることが大切である(p328)。いくつかの研究は、慈悲が、認識のコントロール能力と関係することを示唆している(p332)。そして、マインドフルネス他の瞑想法は、慈悲を促進する認識力を強化できるのである(p337)

感情のバランスを保つための第二ステップ〜慈悲の瞑想

 慈悲を育むための二番目のステップは、他者の苦を減らす動機を直接高める仏教の瞑想技術、「慈悲の瞑想(loving-kindness meditation and compassion meditation)」である。これは、他者の苦を減らすことへの望みを高め、ポジティブで向社会的なマインドの状態を促進する意図をもって教えられる(p336)

 慈悲を育む三番目のステップは、困難な状況下においても、「破壊的」な感情を減らし、現実に向社会的な行動を増やすことである(p336)

 そして、瞑想は、この三つの目標を大いに助ける。すなわち、自分への「気づき」で、苦を減らすことへの動機づけが高まり、より向社会的な方向へと行動を変える(p336)

慈悲の瞑想によって優しい社会は創れる

 闘争・逃避と関連した感情は、生理的に「向社会的反応」を妨げるが、その一方で、精神生物学的な研究からは、他者に向けられた慈悲等の「向社会的な反応」によって、逆に闘争・逃避反応が減らせることもわかってきている。例えば、ナンシー・アイゼンバーグ(Nancy Eisenberg)らは、恐怖心をあおるフィルムに比べ、同情心をそそるフィルムを見た場合では、子どもも成人も心臓の鼓動率が低下することを明らかにしている。そして、「向社会的な行動」に従事した方が、ストレスが減り、より幸せになることがますます明らかになってきている(p332)。

 ある研究では、8週間の瞑想を行なった後、参加者は、プライドやコントロールといった高ポジティブ状態(high arousal positive states)を評価するよりも、静けさや満足等といった感情・各制度が低い状態(valuing low arousal emotional states)を評価するようにシフトした。すなわち、瞑想によって、感情のバランスへの評価は変えられる。

「感情バランス育成プロジェクト(Cultivating Emotional Balance Project)」の結果からは、ストレスによる感情的・生理的な反応が減り、相手の表情から感情を読み取る力が高まり、向社会的反応が強化された(図)(p336)。さらに、重要なことは、自己報告された行動だけでなく、苦を救うことに対して大きな動機をもったことが実際の行動にも影響したように見えることだ(p337)

 瞑想が「向社会的反応」に有益に働くことは多くの文献から示唆されている(p337)。すなわち、社会的な団結を支援する方向へと人の意識を転換できるのである(p332)


18-1.jpg(A) 事後テスト・瞑想時間(分)とスピーチのタスクでの拡張期血圧(DBP=diastolic blood pressure;mmHg)

r(31)=‐51、p < 0.01

(B) 事後テスト・瞑想時間(分)とスピーチのタスクでの収縮期血圧(SBP= systolic blood pressure,mmHg) r(31)=‐43、p < 0.05

(C) 5ヶ月のフォローアップ・瞑想時間(分)と数学のタスクでの呼吸性洞不整脈(RSA= respiratory sinus arrhythmia;ログパワー)

r(34) = -58、p <0.01

(D) 5ヶ月のフォローアップ・瞑想時間(分)と数学のタスクでの拡張期血圧(DBP= diastolic blood pressure;mmHg)

r(30) = -36、p <0.05 (p336)

【引用文献】
Jocelyn Sze, Margaret Kemeny, “Chapter 18 The Art of Emotional Balance”

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2016年03月17日

慈悲の瞑想の神経科学P〜慈悲の瞑想で人は健康で幸せになれる

Bethany.jpgコック・ベサニ(Bethany E. Kok)博士は、チャペルヒル(Chapel Hill)のノース・カロライナ大学(University of North Carolina)で、ウィリア.R.ケナン(William R. Kenan)の下で学んだ後、ライプチヒにあるマックス・プランク認知神経科学研究所(Max Planck Institute for Human Cognitive and Brain Sciences)で博士号を取得した。社会的なつながり感とポジティブ感情と自律神経の調節の相互関係性の論文で、2010年にクリストファーR.アグニュー研究革新賞(Christopher R. Agnew Research Innovation Award)とパーソナリティと社会心理学会(Society for Personality and Social Psychology)から傑出した研究賞(Outstanding Research Award)を受賞している。副交感神経系を調整するメカニズムとして、社会的な絆を学際的に研究している(p494)

主観的な経験は身体と心に影響する

 いったい慈悲的な暮らしとはどのようなものなのだろうか。裸の皮膚にあたる最初の数滴の雨のショック。最初のキスの幸せ感。鉛のような孤独の重さ。つまるところ、人生とは、主観的なレンズを通じて経験されるものだ。そして、多くの科学者たちは、主観的な経験は、免疫系や視床下部-下垂体-副腎系(HPA axis=hypothalamic-pituitary-adrenal axis)に変化を及ぼすほど実質的なものだと主張している。したがって、主観的な慈悲経験を規則的にすることは、内分泌系や免疫、エピジェネティック・システム(epigenetic systems)の変化が付随する。

 それでは、慈悲の瞑想は、どのように主観的な経験の変化を引き起こし、それは、神経学、生理学的な機能の変化につながるのだろうか。まず、慈悲経験を特徴づける二つの主観的な経験、ポジティブな感情と他者へのつながり感が、身体や脳にどのようなインパクトを及ぼすのかを見てみよう(p315)

ポジティブ感情は人を健康にする

 ポジティブな感情は人を健康にする。実際に自分が書き記したポジティブな感情の量が多い上位4分の1は最も低い4分の1よりも10年も寿命が長かったという研究結果もある。健康な人々の場合、ポジティブな感情の頻度が多いと風邪にかかりにくく、患者の場合では死亡率が低下する。愛情、感謝、満足、喜び等、個人的なポジティブ感情の影響を調べた約300もの研究のメタ分析からは、ポジティブ感情は、免疫機能を高め、生理的に人を健康にするだけでなく、自尊心、問題解決力の改善、人間関係での満足、利他的な行動といった恩恵ももたらされると結論づけられている。ただし、重要なことは、効果をもたらすものは、具体的なポジティブな感情の内容よりも、その感情の「経験頻度」であることがわかっている。

04barbara fredrickson.jpg それでは、なぜポジティブ感情の頻度が健康につながるのだろうか。その説明には、ノースカロライナ大学のバーバラ・フレドリクソン(Barbara Lee Fredrickson, 1964年〜)教授の「拡張−形成理論(broaden-and-build theory)」が役立つ(p316)

 恐怖、嫌悪といったネガティブな感情は、人々の意識を狭め、生きのびるための策略(例えば、闘争・逃避、敵意)につながるが、喜び、興味、静けさ、愛といったポジティブな感情は、人々の意識を広げることで、生きのびるための資源(例えば、道を見つけるスキル、レジリアンス、社会的な絆、生理的なフィットネス)を育む。そして、行動や目の動き、脳活動を評価する実験からは、ポジティブな感情が実際に意識を広げることが立証されている。そして、慈悲には、愛や喜びといった感情が伴う(15章、18章)。すなわち、結果として、より創造的で柔軟性があるアプローチを人生に取れるし、それが成長や健康を促進するのだ(p316)

社会的なつながり感が最も人を健康にする

 飲み食いして、眠るのと同じほど、社会的なつながり感が、生理的機能でも必要なことが、最近の研究からは判明している。メタアナリシスからは、社会的なつながり感があると全死亡リスクが50〜91%も下がることが見出されている。これは、運動をしたり体重を健全に維持するよりも3倍も大きく、喫煙に匹敵する効果だ。社会的関係のつながりの中にいるとい自覚があると、心臓病、いくつかの癌、様々な感染症にかかりにくい。

 では、なぜ社会的なつながり感は人を健康にするのだろうか。研究者たちは、8週間以上の実験的な研究によって、社会的なつながり感を高めた参加者たちの迷走神経(vagal tone)が対照群よりも高まっていることを見出した。確かに自律神経が調節されれば、それは、ポジティブな健康結果とつながる。逆に言えば、社会的な孤立感は、ネガティブな健康結果をもたらすことになる。孤立感は、寂しさ(loneliness)とも呼ばれ、生理機能に強力に影響する。このため、心臓病、高血圧、疲労感、浅い睡眠、運動活動の減少、認知機能の低下といったリスクも高まる(p315)

 そして、社会的なつながり感は、慈悲の決定的な要素であって(15章)、慈悲は他者とのつながり感を経験させる(p316)。慈悲は、さほど孤独ではないと人に感じさせ、自分が他者や世界ともっとつながっていると気づかせる。そこで、健康な生理的機能をもたらすことにもなる(p315)

慈愛の瞑想はポジティブ感とつながり感を高め人を健康にする

 社会的なつながり感とポジティブ感情の文献からは、「暖かく愛情深い感情」を慈悲の瞑想の一部として経験すれば、これが心や身体の双方に作用することがわかる。それでは、こうした主観的な経験は、慈悲行動の潜在的なメカニズムになるのであろうか(p316)。すなわち、自己や他者に対するポジティブな意図を持つことが、他者に関心を向けることとなり、それが、結果として、行動的な変化を生じるのであろうか(p315)

(a)慈悲の瞑想がポジティブ感情や社会的なつながり感を引き起こすのかどうか

(b)ポジティブ感情や社会的なつながり感は、健康上の変化や慈悲の修行と関係するのかどうか

 これを確かめるには、主観的な経験や生理的機能の変化を時間をかけて追跡しつつ、実験的に慈悲を引き起こしてみることであろう。二つの慈悲の瞑想の研究で、研究者たちは、この二つの問題に対処した。

 慈悲の瞑想、メッタ(metta)とは、仏教の瞑想伝統から引き出された感情の修行法で「生けとし生けるすべてのものが幸せでありますように。安全でありますように。安らかでありますように(May all beings live with ease)」といったフレーズを唱える。

 同時に、瞑想のターゲットに向けて、ポジティブな愛の感情を育み、ターゲットに向けて送る感情を視覚化する。他者が喜びや平和を感じることを願う。そして、意識的に他者のための暖かさや深い愛情感を産み出すプロセスを通じて、メンタル面や生理面での健康とともに、ポジティブ感情や社会的つながり感を日々育むのである(p316)

17-1.jpg ある縦断的研究(longitudinal study)で、参加者たちは9週間の瞑想を行いポジティブな感情を日誌につけるよう依頼された。まず、経験豊かな教師の指導で一週間のワークショップに参加し、約1時間の慈悲のグループ瞑想を行なった。その後は一人で実践するように、瞑想CDを受け取った。一方、対照群(waitlist control condition)はまったくトレーニングを受けず、研究の終了後にトレーニングを受けることとされた。この結果をご覧いただきたい。7週間以上の慈悲の瞑想の修行によって、ポジティブ感情が増えたことがわかるだろう。そして、その効果は修行を止めた後の1週間後になされた測定でも持続していた。さらに、ポジティブな感情は瞑想に費やされた時間に応じて増えた。すなわち、瞑想に多くの時間を費やしたと報告した参加者は、ポジティブな感情が大きく増えていた。一方で、対照群の参加者はなんら変化を示さなかった。

 このことは、慈悲の恩恵は、グループや教師からの学びに使われた時間といった文脈上の要因ではなく、瞑想そのものに起因することを示唆している。 さらに、日常でもポジティブ感情が増えることは、ポジティブな社会や環境との関係、そして、生理的な健康が高まり、憂鬱感が減り、人生に対する満足度も高まることを意味する(p317)

 二番目の慈悲の瞑想の縦断的研究では、参加者たちは、9週の瞑想修行と日誌を書くことを依頼された。今回は、参加者は毎日、ポジティブ感情と社会的なつながり感の双方を報告した。さらに、被験者は、研究の最初と終わりに自律神経の調節指標、迷走神経のトーンが測定された。迷走神経のトーンは、変化する状況に対して、柔軟かつ急速に適応する身体能力を表し、免疫機能や心臓血管系の健康とも関連する。この結果、やはり、慈悲の瞑想のポジティブ感情への効果が表れ(図1)、社会的なつながり感と迷走神経のトーンも高まっていた(p320)。神経系活動と副交感神経(parasympathetic nervous system)のバランスを調節する肉体の能力が改善されていたのだ(p321)

 すなわち、慈悲の瞑想は、ポジティブ感情の経験頻度や強度を高め、社会的なつながり感も高め、両者が変わることが、迷走神経のトーン、自律神経の調節にも影響し、メンタル面と生理面で健康を改善できるのである(p317,p320)。このことは、慈悲が主観的な経験が、ただ自分が楽しさを感じるだけでなく、メンタル面でも生理的でも健康を改善することを意味している(p320,p321)

慈悲の瞑想で健康になれば、人は慈悲的行動を取るようになる

 17-2.jpg要するに、主観的な経験と生理的な状態との関係性は両方向である(2p315)。興味深いことだが、健康が改善されることは、将来、慈悲を経験する可能性も高める。すなわち、慈悲の瞑想をすることによって、ポジティブ感情や社会的なつながり感を経験することが、健康につながり、結果として、慈悲的行為の主観的なインパクトを増やす。慈悲を経験すれば、将来、さらに多くの慈悲を経験する可能性をもった身体に変わっていく(図2)。要するに、このらせん状のプロセスを通じて、慈悲は努力しなくても自ずから維持されていく実践となっていく(2p320)。慈悲的な暮らしは、ポジティブな感情や社会的なつながり感に満たされている(2p321)。そして、慈悲がもたらす主観的なつながり感が、慈悲的行動へと人々を促す生理的な原動力となっていたのである(2p316)

フレドリクソン教授の画像はこのサイトより

【引用文献】
Bethany E. Kok,“Chapter 17 The Science of Subjective Experience, Positive Emotions and Social Closeness Influence Autonomic Functioning”


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2016年03月16日

慈悲の瞑想の神経科学16〜自分への慈悲瞑想で幸せになる

16Kristin Neff.jpgクリスティン・ネフ(Kristin Neff)博士は、カリフォルニア大学バークレー校で1997年に人間開発で学位をえた。博士は、オースティンのテキサス大学(University of Texas)の人間開発と文化の准教授である。博士は、自己への慈しみの分野のパイオニアで、10年以上も自己への慈しみへの最初の経験的研究を実施してきた。数多くの学術論文に加え、2011年にウィリアムモロー(William Morrow)から出版された「自己への慈しみ(Self- Compassion)」の著者である。博士の仕事は、ニューヨーク・タイムズ、MSNBC、ナショナル・パブリック・ラジオ、サイエンティフィック・アメリカン、サイコロジー・トゥディを含め、幅広くメディアから受け入れられている。同僚であるクリストファー・ゲルマー(Christopher Germer)博士と連携して「マインドフル・セルフ・コンパッション(MSC= Mindful Self-Compassion)」と呼ばれる8週間の教育プログラムを開発し、世界中で自己への慈しみのワークショップを提供する。ビデオ、ガイド瞑想、エクササイズ、研究論文、自分自身の自己への慈しみレベルのテスト方法を含めて、自己への慈しみについての情報は-www.self-compassion.orgで入手可能である。博士は、彼女の自閉症の息子を癒すため、馬の背でモンゴルを旅した彼女の家族の旅の記録、ベストセラー本、受賞したドキュメンタリー『馬の少年(The Horse Boy) 』でも知られる(p509)

16Christopher Germer.jpgクリストファー・ゲルマー(Christopher Germer)博士は、マインドフルネス、受容、慈悲ベースの精神療法を専門とする民間の臨床心理学者である。博士は、瞑想・精神療法研究所(Institute for Meditation and Psychotherapy)の設立メンバーで、過去27年、ほぼハーバード・メディカル・スクールの心理学の臨床インストラクターであった。ゲルマー博士は、『自己への慈しみへのマインドフルな道(The Mindful Path to Self-Compassion)』の著者であり、『Mindfulness and Psychotherapy』『Wisdom and Compassion in Psychotherapy: Deepening Mindfulness in Clinical Practice』の共著者である。博士はマインドフルネスと自己への慈しみで国際的に講義やワークショップを行っている(p499)

自分を責めるネガティブ思考に陥りがち

 人から拒否され、物理的にも問題を抱え、仕事上でも大失敗を犯す。こうした人生での難題やストレスにどう対応されているだろうか。私たちはネガティブな経験には本能的に戦うようにできている。そこで、大半の人たちは、状況が悪化すると自分を咎める。

 西洋文化は、悩み苦しむ友人や家族、隣人に対して親切であることを重視する。けれども、こと自分自身のこととなるとそうではない。ミスを犯したり、失敗をしたときには、まず自分を責めてしまう。トラウマ的な出来事や事故等、自分のコントロール力を超えたことに対してさえ、自分を慰めるよりも問題解決に重点をおきがちである。けれども、残念ながら、この傾向はさらに傷を深めるだけなのだ(p291)

自尊心を維持するためにはポジティブ思考が必要

 精神の健康には自尊心(self-esteem)は欠かせない。自尊心を欠いていると、不安を抱えて憂鬱となり、幸せになれないことは広く認められている(p298)。自尊心とは、自分自身をポジティブに評価する度合のことだ。とりわけ、米国文化では、高い自尊心を持つことが求められる(p295)

 けれども、この自尊心には問題がある。自尊心を維持し続けることが、先入観を抱いたり、ナルシシズムに耽ったり、他人を虐げたりといった問題行動につながることが研究からわかっているからだ。おまけに、こうした自尊心は、自分がスマートで魅力的であったり、人気を得ているといったことが条件となりがちだ。そこで、成功しているかどうかでたえずゆれうごく。また、ポジティブな自己評価にも依存する(p298)

悪いことが起きたとき自分自身に優しくする

 けれども、もし、何かが悪いと感じた時に、一瞬心を静めて、自分自身を慰めてみたとしたらどうなるだろうか。自分の欠点に気づいた時も、厳しく自己批判をするのではなく、自分自身にもっと優しくしてみたらどうなるだろうか。

 苦しみに対して敏感となり、苦しみから救い出したいと深く願う。これが「慈悲」だ。そして、この「慈悲心」を内なる自分自身に対して向けたものが「自己への慈しみ(self-compassion)」である。

 自分の犯したミスや失敗を考える時も、不十分な自分をけなしてみたり、叱りつけたりといった残酷な態度を取るかわりに、無条件の受容と暖かさを持って情け深く自分を励ます。耐え難い外的状況に直面したときも、自分ではコントロールできない辛い人生の状況に対して自分をなぐさめる。これが自己への慈しみだ(p291)

自尊心と同じく自己への慈しみも幸せ感情につながる

 研究からは、自尊心も自己への慈しみも幸せな感情と関連し、心配事や憂鬱が減り、より幸せで、楽天主義で、人生に満足できることがわかっている。そして、自己への慈しみが自尊心と関係していることもわかっている。いずれも自分に対するポジティブな感情から構成することからこれは驚くべきことではない(p298)

 例えば、デューク大学のマーク・リチャード・レアリー(Mark Richard Leary, 1954年~)教授らの研究によれば、スポーツ競技でチームが敗北した場合にも、自己への慈しみが大きい場合は、悲しさや屈辱感といったネガティブな感情がさほど報告されず、より平静でイラつきもなかったことがわかっている(p298)。そこで、自尊心と自己への慈しみは表面的には同様なものと思われがちだ。けれども、両者を区別することが重要である(p295)

自尊心が高い人は無理をしてもポジティブ評価を求める

 テキサス大学のウィリアム・スワン(William B. Swann, 1952年〜)教授は、趣味や将来の夢等を簡単に自己紹介してもらい、そのうえで、オブザーバーからこの自己紹介についてポジティブやネガティブなフィードバックを下すという実験をしてみた。

 すると、自己への慈しみが高い個人は、評価がポジティブであってもネガティブであっても、自分のパーソナリティに対するそのフィードバックを同じように受け入れた。けれども、自己への慈しみが低い個人は、フィードバックがネガティブな時には防衛的となり、ポジティブだったときにのみ、それが自分の個性なのだとオブザーバーの評価を認めた。

 一方、自尊心ではこれとは逆のパターンが見出された。評価がポジティブであってもネガティブであっても、そのフィードバックを同じように受け入れたのは、自尊心が低い個人だった。そして、自尊心が高い個人は、フィードバックがポジティブであったときにのみ、それが自分自身のパーソナリティなのだとして受け入れたのである(p298)

この研究は、自己への慈しみがあれば、自分のパーソナリティのポジティブな面だけでなくネガティブな面でも、それを認めて受け入れられる一方で(p298)、高い自尊心を維持するためには、ポジティブな自己評価に依存しなければならず、ポジティブな自己評価を守るために認識の歪みがもたらされてしまうことを示唆している(p299)

自尊心は他者の評価が必要だが自己への慈しみはいらない

 一方、自己への慈しみは、ポジティブな判断や評価には基づかない。自分が特別な存在であったり、平均以上であるからではなく、ただ人間であることから、自分自身に慈しみを感じる(p298)

 自尊心がナルシシズムと大きく関連するのに対して、自己への慈しみは、ナルシシズムとはまったく関連性がない(p299)。世界でトップであるときも落ち込んでいるときも関係ない(p298)。このことは、自己への慈しみが高ければ、無理に自分を高く評価したり、他者よりも自分が優れているといった感覚をいだく必要がないことを意味する(p298,p299)。すなわち、他人と較べて自分の方が上だとか、ある基準を満たしているとかいった自分に対するポジティブ評価に依存しない。ここが、自己への慈しみが、自尊心と決定的に違う点なのだ(p298)。他人が自分をどう評価するのかも気にしない。そこで、無理に自己防衛をしたり、怒って反発して悩んだりする必要がない(p299)

 ネフ博士らがオランダで行った大規模な調査では、自分を良いと感じるうえでは自己への慈しみの方が自尊心よりも健全なことが明らかとなった。そして、自己への慈しみは、自尊心よりも暖かい感情が8カ月間も安定していた(p299)。つまり、自己への慈しみは、自尊心よりも感情的により安定性をもたらし(p298)、感情的なレジリアンスをもたらすことができる(p291,p298)。傷ついても急速に回復して立ち上がるすることが可能なのだ(p291)。そして、自己への慈しみは誰でも学べる。たとえ、幼少期に十分な愛情を受けられなかった人でも、自分に優しくあることを躊躇する人でも学べる(p291)

まず不健全な自分を認める思いやりが慈悲の中心

 様々な仏教の老師たちの言葉を活用して、ネフ博士は、自己への慈しみが主に三要素からなっていると判断する。

@優しさ、Aあたりまえの人間感(sense of common humanity)、Bマインドフルネスだ。そして、この三要素が相互作用することによって自己への慈しみの枠組みは作り出されていくという(p291)

 自己への慈しみの中心となるのが、思いやりである。これは、どの人間も傷のある作品であって、完璧ではなく(p294)、誰もが失敗し、誤りを犯すことを認めることから始まる(p291,p294)。例えば、毎日、私たちは、非現実的な完璧なスタンダードを掲げ、それを達成できない自分に鞭打っている(p291)。とかく、苦しんでいたり、自分の欠点を考えていると、自分自身を弱く無価値な人間だと考えることに夢中になって、孤立しがちだ。同じく、外的状況が悪化すれば、自分にとくにトラブルが起きていなくても、他の人たちはもっと楽に過ごしていると羨むことが多い。そして、健全で幸せな暮らしを送っている人たちとは自分は別なのだと孤立感を覚えてしまう。けれども、これは、論理的ではなく、より大きな視野を失ったある種の視野狭窄(tunnel vision)状態にいることに他ならない。けれども、自己への慈しみがあれば、視野は広がり、人生の難題や個人的な失敗も、人間の一部であることだと認められる。これは、私たちが苦しいときに、他者とつながり、孤立していないと感じる助けになる(p294)

マインドフルネスによって自己への慈しみが育める

判断をしないマインドフルネスでは辛い感情から逃避しないことが可能となる

 人生の難題に対峙している時には、まず立ち止まって、どれだけ自分が苦しんでいるのかを確かめることが必要だ。けれども、まっしぐらに問題解決を目指して露頭に迷ってしまうことが多い。そこで、こうした苦しい思考や感情から逃避する傾向に対抗して、たとえ不愉快な時であっても、真実を経験することが必要である。そして、それを可能にするのが、マインドフルネスなのである。

 マインドフルネスとは、いまの瞬間に「気づく」ことを意味する。いまの瞬間の経験に判断を下さず、逃避したり抑制せずに「オープン」に受け入れる。こうすることで、どのような思考、感情、感覚にも「気づく」ことが可能となる(p294)

マインドフルネスでネガティブ思考と感情の反芻から抜け出せる

 また、私たちは、「私が失敗した」ではなく「私は失敗者である」。「私は失望している」ではなく「私の人生は失敗である」とネガティブな思考や感情をを反芻しがちである。これは私たちの視野を狭める。けれども、自分の痛みをマインドフルに観察すれば、苦しみを誇張することなく認めることができる。自分自身や自分の人生に対してより賢く、より客観的な視点を持てる(p294)

マインドフルネスは自己への慈しみに欠かせない

 自己を慈しむには、苦しんでいる自分を認めることが必要である。そして、自分が苦しんでいることは自明のことのように思える。けれども、その苦しみが内なる自己批判から生じている時には、たいがい、自分がどれだけ苦しんでいるのかを認めない。したがって、マインドフルネスは、自己への慈しみを経験するうえで欠かせない要素なのである(p294)

 けれども、マインドフルネスと自己への慈しみは同じではない。

 第一に、自己への慈しみを伴うマインドフルネスのタイプは、一般的なマインフルネスに比べて、そのスコープが狭い。一般のマインドフルネスでは、受容と平静さ(equanimity)をもって、ポジティブであれ、ネガティブであれ、ニュートラルであれ、どのような経験にも気づける能力のことである。これに対して、自己への慈しみのマインドフルネスでは、ネガティブ思考や感情に巻き込まれた自己がバランスがとれていることを意味する。

 第二の、違いはそのターゲットにある。一般のマインドフルネスは、経験者としての自己よりも、内なる体験(感覚、感情、思考)に焦点をおく傾向がある。これに対して、自己への慈しみは苦しむ自己に向けられる(14章)(p294)

マインドフルネスでも自己の慈しみが高まる

 自己に対する親切さVS自己批判、共通する人間性VS孤立、マインドフルネスVS自意識過剰等、様々な自己への慈しみのディメンジョンを測定する26項目の尺度が開発されている(p295)

 そして、ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn)が開発した「マインドフルネスストレス軽減プログラム(MBSR= Mindfulness-Based Stress Reduction)」も自己への慈しみを伸ばすうえで効果的である。マインドフルネスとは、いまの瞬間に思い浮かぶ困難な考えや感情に気づいたうえで、それを判断せずに受け入れるテクニックである。実際、マインドフルネスによって自己への慈しみがかなり高まることが研究から明らかになっている。また、マインドフルネスで幸せ感が高まる鍵は、自己への慈しみにあると示唆する研究者もいる(p306)

マインドフル・セルフコンパッション・プログラムではさらに自己の慈しみが高まる

16-2.jpg とはいえ、マインドフルネスのプログラムは、マインドフルネスを強化するテクニックを教えることに重点がおかれているため、自己への慈しみのスキルに費やされる時間は相対的に少ない。そこで、クリストファー・ゲルマー(Christopher Germer)とクリスティン・ネフ(Kristin Neff)は「マインドフル・セルフコンパッション(MSC= Mindful Self-Compassion)」と称されるスキルを教える短期プログラムを開発した(詳細はボックスI)。

 マインドフルネスストレス軽減プログラム(MBSR)を研究した5つの文献によれば「自己への慈しみ尺度(SCS=Self-Compassion Scale)」で平均0.44ポイント(範囲0.11〜0.61)増え、別の3つのマインドフルネス認知セラピー(MBCT=mindfulness-based cognitive therapy)の研究では、平均0.30ポイント(0.22〜0.38)増えた。一方「マインドフル・セルフコンパッション(MSC= Mindful Self-Compassion)」では、5ポイント尺度で1.13ポイントも増えた。

 図をご覧いただきたい。自己の慈しみ(self-compassion)、マインドフルネス(mindfulness)、他者に対する慈悲(compassion for others)の割合の増加を示したものだ。このランダム化実験では、対象群(N = 27、82%女性、平均年齢49.11歳)に対して、実験群(N = 24;78%女性、平均年齢=51.21歳)では自己への慈しみのレベルを43%も増やしていることがわかる。このことから、「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」の具体的なスキルの教えで、自己への慈しみレベルが効果的に高まることがわかる(p307)

自己への慈しみで憂鬱は減らせる

 当初は、マインドフルネスと自己への慈しみのいずれもが、ストレスを減らし、人生への満足感を高めるのではないか、と予測されていた。また、自己の慈しみではなく、マインドフルネスの増加が、感情的な逃避(emotional avoidance)を減らすと予想されていた。けれども、さらに、「マインドフル・セルフコンパッション」プログラムと関連して、不安や憂鬱が減るのは、マインドフルネスのためではなく自己への慈しみが高まることによることもわかってきた(P308)

 多くの研究から、自己への慈しみがあると不安や憂鬱が少ないことが見出されている。不安や憂鬱をもたらすのは自己批判だが、自己への慈しみによって、この自己批判が減るからである。そして、ネフ博士ら(Neff, Kirkpatrick and Rude)の調査によれば、自己への慈しみレベルが高い人は、それを欠く人たちに比べて、反芻も少ない。この反芻が減ることが自己への慈しみのメリットの鍵である。自分の欠点を受け入れることで、ネガティブ・サイクルを壊せるからである(p295)

 臨床分野における自己への慈しみの研究はエキサイティングである。批判的な母親を持ち、アタッチメント・パターンが不安定な障害のある家庭出身であると、自己への慈しみを欠くケースが多い。心理セラピーの患者は、家族環境に問題があることが多いことから、自己への慈しみを伸ばすことで恩恵を得るであろう。

 自己への慈しみは精神療法とも関係し、精神療法によって自己への慈しみが産み出されるとすれば、それは、療法を理解するうえでた重要な意味を持つ。ネフ、カークパトリックとルード(Neff, Kirkpatrick and Rude)は、1カ月以上の間隔をおいて自己への慈しみの変化を患者がどのように経験したのか、その変化を追ってみた。クライアントが自己批判を減らし、自己への慈しみを抱ける支援としては、「ゲシュタルトの二つの椅子テクニック(Gestalt two-chair technique)」が用いられた。

 自己への慈しみのレベルが高まることで、自己批判、憂鬱、反芻(rumination)、思考抑圧(thought suppression)、不安が減ることがわかった。

 ポール・ギルバート(Paul Gilbert)は「慈悲心修業(CMT=Compassionate Mind Training)」と呼ばれるグループ・セラピー介入を開発している(第3章)。慈悲心修行は、とりわけ、自虐習慣が身に着いた人々が自己への慈しみを開発できるようにデザインされたスキルである。このパイトット研究でも、慈悲心修行プログラムを参加した後、患者の憂鬱、自虐、恥辱、劣等感はかなり減り、研究の終わりにはほぼ全員が、病院から退院できると感じていた(p303)

 自己への慈しみは、難しい感情に対応する際にも効果的な方法である。例えば、Sbarra, Smith & Mehlは、離婚経験者を対象に対話内容にどれだけ自己への慈しみがあるのかどうかを評価する研究を行い、離婚後の心理的なケアに役立つことを見出している。自分たちの破綻を話す際に、自己への慈しみを表した人たちは、心理的に調整力が高く、その効果が9カ月以上も持続することを見出している。

 また、自己への慈しみは、幼少期のトラウマ解消にも役立つ。Vettese, Dyer, Li and Wekerleは、自己への慈しみの報告レベルと、幼年期の虐待やその後の感情失調症(emotional dysregulation)と関連があることを見出している。これは、自己への慈しみによって、トラウマを持った人々もより生産的に人生をやり直せることを示唆している(p307)

自己への慈しみは動機づけに効果的でより成長できる

 多くの人たちは、動機づけのためには自己批判が必要だと考えている。自己を慈しみすぎれば、自己満足し怠惰となってしまうというわけだ。建設的な自己批判は確かに必要である。けれども、厳格すぎる自己批判は、人を憂鬱にし、自信(self-confidence)を失わせてしまう。

 研究からも、人が学び成長していくうえでは、自己への慈しみが動機づけを強化することにつながることが示されている。例えば、ネフ博士たちは、「自己への慈しみと学習目標の研究」で、パフォーマンスとしての目標よりも自己への慈しみのほうが重要なことに気づく。

 学ぶことそのものを重視する学生たちは、新たなスキルを学ぶことに対する好奇心や要望で動機づけられ、誤りを犯すことも学習プロセスの一部とみなす傾向がある。けれども、パフォーマンス志向の学生たちにとっては、成功は自分の自尊心を守ったり、強化する手段であるため、失敗を恐れる傾向がある。

 ネフ博士らは、最近中間の試験に失敗した学生たちの反応も調査し、自己を慈しむ場合は、自己批判を減らすことと関連して、失敗に対する恐れが少なく、自分の失敗を学習経験として、より受け入れられることを明らかにした(p299)。つまり、ネガティブな感情に圧倒されず、困難な感情を経験し、有効で重要なものとしてそれを快く認められるかだ(p295)

 自己を慈しむ人たちも、自己への慈しみを欠く人たちと同じほど高い目標を目指している。けれども、たとえ目標を満たせなくても、悲しんだり、イラついたりせず、また起き上がり、再び挑戦していく。

 すなわち、自己を慈しむ場合は、自己満足して、ただ現状を受け入れるのではなく、失敗を自分の価値とつなげないため、失敗からも成長できるのである(p299)

 また、自己を慈しむ人たちは、ダイエット]、禁煙等、健康と関連する行動にも従事することが見出されている。自分自身をケアし、幸せで、健康でありたいため、自分の人生に生産的な変化を起こすことに動機づけられているのである(p299)

自己への慈しみと対人関係

 このように自己への慈しみは個人の心理面で役立つが、対人関係も良好にする。例えば、カップルの研究からは、自己への慈しみがある方が、よりパートナーに感情的につながり、暴力や口論が少なく、より相手を受け入れて相手の自律をサポートすることがわかっている。

 また、自己に慈しむ人たちは、過去の誤りの責任を負って誰かを傷づけたときには謝罪もする。例えば ブレイネスとチェン(Breines and Chen)による最近の研究によれば、自己に慈しむインストラクションを受けたグループは、起きた失敗を悔やむよりも、結果を修復し再び失敗を繰り返さないよう動機づけられることを明らかにしている。自己受容があれば、誠実に自分の非を認めることが容易になるからである。

 また、自己を慈しむ人々は、他者に対しても多くの慈悲心を抱く。ネフ博士ら(Neff and Pommier)による最近の研究では、自己に慈しみのある人は、他者をより思いやり、許し、利他的であることがわかっている。そのうえ、他者の苦しみを考慮する際にも、さほど個人的な悩みを経験しなかった。このことから、自己への慈しみが、ケア業務じ従事する人たちをバーンアウトから救ううえで重要なスキルであることがわかる(p307)

自己への慈しみはよりよい人生を可能とする

 また、自己への慈しみには生理学上の効果もある。ブリストル大学のヘレン・ロックリフ(Helen Rockliff)博士らは、自己への慈しみを高めるエクササイズによって、ストレスホルモン、コルチゾルが減らせることを見出している。これは、ストレスを受けたときに、自分をなだめる能力が大きいことと関連している(p295)

 要するに、マインドフルネスも慈悲(compassion)も、いずれも心の健康を高めるうえでは重要な手段だと言える。そして、心理学的な機能からみると、双方にオーバーラップする効果がある(P308)
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図は、総合的な人生への満足度と幸せを表したものだ。頭をご覧いただきたい。このプログラムは、憂鬱、不安、ストレス、感情的な逃避をかなり減らし、人生の満足をかなり増やすことがわかるだろう(p307)。自己への慈しみが、幸せ、人生への満足、楽天主義、好奇心、熱狂、興味、インスピレーション、興奮といったポジティブな感情と強く結び付くことは驚くことではない(p295)。さらに、自己への慈しみは、ネガティブな感情をポジティブな感情に置き換えるのではなく、新たなケアやつながりというポジティブな感情がネガティブな感情を抱擁することによって、双方を同時経験できるようにするのである(15章)(p295)。また、どの研究結果も、成果が半年や1年後のフォローアップでも維持された。さらに「マインドフル・セルフコンパッション・プログラム」の1年のフォローアップ以降に生活の満足度は増加している。これは、自己への慈しみの修行を続けることで、人生の質を高め続けられることを示唆する(P308)

 自己への慈しみは、人々が慢性的な苦しみに対処することを助け、日常生活において感情のバランスを維持し、幸せを強化し、より健康的でいることを可能にするのである(p307,p308)

【引用文献】
Kristin Neff, Christopher Germer, “Chapter 16 Being Kind to Yourself The Science of Self- Compassion”



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2016年03月15日

慈悲の瞑想の神経科学15〜慈悲の修行を積めば自分で悩まず相手の苦に対処できる

15 Olga Klmecki.jpgオルガ・クリメッキ(Olga Klimecki)博士は、スイスのジュネーブ大学(University of Geneva)で働く神経科医である。2012年に、彼女はドイツのライプチヒのマックス・プランク認知神経科学研究所(Max Planck Institute for Human Cognitive and Brain Sciences)でタニア・シンガー教授の下で博士号を完成した。彼女は、3年、ドイツのマインツ大学(University of Mainz)で心理学を学び、2007年にロンドン大学(University College London)で神経科学で修士号を得た。その後、彼女はチューリッヒ大学(University of Zurich)でタニア・シンガー博士とともに博士号の主題を始めた。オルガ博士は、いかに慈悲や共感の修行が、感情的な経験、神経の活性化、向社会的な行動を形づくるかを研究している(p517)

15Matthieu Ricard.jpgマチウ・リカール(Matthieu Ricard)博士は過去40年、ヒマラヤで暮らしている。フランスのサボア・エクスレバン(Aix-les-Bains, Savoie)生まれ。哲学者ジーンフランソワルベル(Jean-François Revel)、抽象画家、Yahne Le Toumelinの息子である。彼は、ノーベル賞を受賞したフランソワ・ジャコブ(Francois Jacob)の下でパスツール研究所で細胞遺伝学で博士号を得た。1972年以来、彼は、インド、ブータン、ネパールに住んでいる。リカール博士は仏教僧であり、1989年以来のダライ・ラマのフランス語の通訳を務めている。彼は多産な作者と写真家である。マチウは、精神訓練と瞑想の脳への効果で科学者と仏教学者と瞑想者の協力的な研究することに専門する組織、精神と生命研究所(Mind and Life Institute)のメンバーである。彼はマディソン・ウィスコンシン、プリンストン、バークレーでこれらの研究に従事している。彼は、彼の本からの収益をすべて寄付し、彼の時間の多くをネパール、インド、チベットの40の人道主義プロジェクト(クリニック、学校、孤児院、年配の人々の家、橋、職業訓練)に捧げている。彼は人道主義の仕事のためのフランス国民オーダーオブメリット(French National Order of Merit)を受賞した(p514)。

15 Tania Singer.jpgタニア・シンガー(Tania Singer)博士は、2010年以来、ライプチヒにあるマックス・プランク認知神経科学研究所の社会的神経科学部(Department of Social Neuroscience)の所長である。2000年に心理学で博士号を取得した後、ベルリンにある人間開発のためのマックス・プランク研究所(Max Planck Institute for Human Development)とロンドンにある認識神経科学の研究所(Institute of Cognitive Neuroscience)のWellcome Department of Imaging Neuroscienceで、ポスドクのフェローとなった。2006年にチューリッヒ大学(University of Zurich)の助教授のポストを受けその後、彼女は、社会神経科学と神経経済学(Social Neuroscience and Neuroeconomics)の開設ポジションに就任。社会と神経システム研究所(Laboratory for Social and Neural Systems Research)の共同ディレクタとなった。

 チューリヒでは、ダライ・ラマと精神&ライフ研究所会議(Mind & Life Institute Conference)を主催し、精神&ライフ研究所の取締役会メンバーとなった。博士の研究は、社会的な認識と感情の根底にある社会的行動、ニューロン、発達的な、ホルモンのメカニズムの基礎に重点がおかれている(例えば、共感、慈悲、公正さ)。慈悲と瞑想修行の心理学的・神経科学的な効果を調査し、サイエンスやネーチャー等にも投稿している。縦断的研究(longitudinal mental training study)、リソース・プロジェクト(ReSource Project)の第一調査者である。博士は生物学や心理学が、どのように経済的な意思決定につながるのかも研究し、世界経済フォーラムとグローバル経済シンポジウムに「ケアのエコノミー」を提案することで、グローバルな懸念を示した(p523)。

他人の痛みを目にするだけで脳内の痛み領域は活動する

 15-1.jpgタニア・シンガー博士たちは、自分自身が痛みの刺激を経験したり、別の人が痛みの刺激を受けているのを観察しながら、参加者の脳活動を機能的磁気共鳴診断装置(fMRI=functional magnetic resonance imaging)で測定する方法を考え出す(図1)。「痛みの共感の実験」である(p273)。そして、痛みを経験しているときも、痛みを経験する他人の姿を観察するときも、前部島皮質(AI= anterior insula)と前部帯状皮質(aMCC=anterior medial cingulate cortex)がいずれも活動していることを見出す。

 それ以降、ほぼ10年。世界各地の様々な研究所で実施されてきた共感の研究では、苦痛に共感すると、それが、愛する人であれ、まったくなじみのない人であれ、相手とは無関係に前部島皮質(AI)と前部帯状皮質(aMCC)とが一貫して活性化することが見出されている。これは、痛みを感じているビデオや写真を見る時でもあてはまる。図2をご覧いただきたい。これは、9種類の独立した研究の結果をメタ分析したもので、他者の苦に感情移入した場合に、前部島皮質(AI)、前部帯状皮質(aMCC)、下前頭回((IFG= inferior frontal gyrus)が活性化していることを示している(p274)

 15-2.jpg前部島皮質(AI)と前部帯状皮質(aMCC)という二カ所の脳領域は、不愉快さの主観的なリポートとも関連する。「共感の共有ネットワーク仮説(shared network hypothesis of empathy)」と並んで、この結果は、自分の経験の根にあるニューロンを活動させ、自分の感情をベースに他者の感情を共有していることを示唆する(p274)

修行によって共感力が高まれば社会的感情には可塑性がある

 チューリッヒ大学に移ったタニア・シンガー博士は、社会的感情に可塑性(plasticity of social emotions)があるのかどうかの研究に着手する。それは、修行によって共感が育まれるのかどうかをテストすればよい。幸いなことに、タニア博士らが可塑性(plasticity)の研究に乗り出したときに、レイナー・ゲーベル(Rainer Goebel)やベッティーナ・ソルガー(Bettina Sorger)ら、マーストリヒト大学(University of Maastricht)では、興味深いテクノロジー、リアルタイムのfMRIを用いるプロジェクトが始まっていた。この斬新なテクノロジーを使えば、被験者が別の精神活動に従事するとき、脳活動の変化をオンラインで視覚化することができる。

 瞑想の達人が慈悲の瞑想をしたときに、その神経はどうなるのであろうか。シンガー博士の興味は、向社会的な感情を育むことに長年努力してきた熟練した瞑想者の脳に、どれだけ共感がエンコードされたているのかを見出すことにあった(p274)

瞑想達人マウチ・リカールの登場

 幸いなことに、シンガー博士は、ロンドンにある画像処理神経科学部門(Wellcome Department of Imaging Neuroscience)で、元科学者であるフランス人の仏教徒、マチウ・リカール(Matthieu Ricard)博士と出会う(p273,p274)。リカール博士は、心と生命研究所(Mind and Life Institute)で数多くの神経科学的な研究プロジェクトにかかわっていた(p274)。例えば、アントワーヌ・ルッツ(Antoine Lutz)博士やリチャード・デビッドソン(Richard Davidson)博士が行う瞑想の初心者と熟練者との比較プロジェクトに協力している(p275)。このため、こうした研究にオープンだった(p274)

 例えば、こうした研究のひとつに、慈悲の状態に浸りながら人の悲しみの声を聞くとき、初心者とは違って熟練した瞑想者では島皮質(insula)が大きく活性化されることが見出されている。ルッツ博士は、島皮質(medial insula)の活性化が、心臓迷走神経反射(heart rate responses)と関連し、この関連が初心者よりも熟練者で強いことを見出している(p275)

 そして、リカール博士の主観的な体験から得られた「第一人称」の知識と、シンガー博士やクリメッキ博士たちが神経科学的な研究から得た客観的な発見、「第三人称」の知識とを組み合わせることで(p273)、共感と慈悲とがまったく異なる感情をもたらすことが明らかになってきた(p273, p284)。とりわけ、リカール博士の自己報告やその脳の状態を初心者と比較することが、重要な洞察につながった(p284)

共感と慈悲とでは活性化する脳領域が異なる

 シンガー博士らは、リカール博士に、愛する人への慈悲(loving-kindness)、苦しむ人への慈悲(compassion for the suffering of others)、そして、対象のない慈悲(nonreferential compassion)と異なる慈悲の瞑想状態に入ってもらうように依頼した。驚くべきことに、このすべてがほぼ同様のネットワークを活性化させた。けれども、慈悲と関連するこのネットワークは、上で説明した苦痛に対する共感のネットワークとは似ても似つかなかった。

 この結果は研究者たちを混乱させた。試験が終わった後に、研究者たちは、異なる慈悲の状態に携わっていたときに、何をしていたのかをリカール博士と議論した。そして、リカール博士は、苦痛を共感することは、ネガティブな悲しみの状態と関連するが、慈悲は、より向社会的な動機づけと関連した暖かでポジティブな状態にあると語った(p275)

共感は人をバーンアウトさせるリスクがある

 他者の苦しみへの共感は、他者に対する情け深さや慈悲の動機づけを育むこととはまったく異なるかもしれない。この直観を確かめるため、リカール博士が再び協力した。ただし、今度は、どのような慈悲の瞑想にも入らず、ただ他者の苦しみを感情的に共有だけしてほしい、と依頼された。この結果、研究者たちが、スキャナーに見出したのは、シンガー博士たちが以前に何度も目にしてきた非実践者と同じ、苦痛の共感ネットワークの発動であった(p278)。

15-3.jpg「タニア・シンガーから、慈悲や利他的な愛に従事せず、純粋な共感状態に入るように頼まれたとき、ルーマニアの孤児院の子どもたちの苦しみに感情を移入して共鳴することに決めました。前の晩に、すっかり無視された孤児たちをBBCのドキュメンタリーで見ていたからです。そこで、彼らの運命にふれました。毎日食事を与えられ身体をきれいにされているにもかかわらず、まったく痩せ衰え感情的にも捨て子状態でした。愛情不足が無関心や脆弱さの深刻な徴候を引き起こしていました。

 多くの子どもたちが何時間も前後に揺れ、健康状態がまったく酷い状態だったことから、この孤児院では死が日常的でした。身体を洗うときですら、多くの子どもたちは苦痛でたじろぎ、ちょっとの衝突で足や腕を骨折するかもしれないのです。

 そこで、共感を念じたとき、できるだけ鮮明にこうした孤児たちの苦しみを視覚化したのです。そして、この苦しみ共感するとすぐさま私は耐え難くなり、バーンアウトするのと同様に感情的に疲れ切りました」

 リカール博士は、他者の苦しみへの共感が「非常に嫌悪すべき経験だ」と伝えた。このことから、実際に共感が「バーンアウト」の先駆けであることがわかる。苦しみへの共感という強力なネガティブな感情を繰り返し引き起こせば、それは圧倒的であろう。ヘルパー(caregivers)や医師たちのようなケアの専門業務に従事する人たちは、日々、他者の苦しみに直面しているため、バーンアウトするリスクがきわめて高い(6章、12章、ボックスVI)。そのうえ、悲しみ経験は、病院や老人ホームだけとは限らない。誰もが、いまこの瞬間に重病や強い嫌悪感に苦しむ親戚や親しい友人のことを思い浮かべられよう。誰もが、自分たちの仕事先や私生活で、他者の苦しみに強く共鳴することで圧倒される可能性がある(p279)

慈悲は自分が悩まず他者の苦に共感できる

 共感に付随するネガティブな影響は驚くほど強力だった。けれども、リカール博士は、この苦みを克服するうえで、慈悲が役立つことも明らかにする。

「1時間ほど共感した後に、慈悲の瞑想に従事するか、スキャンを終えるかの選択権を与えられました。ほとんど躊躇なく、慈悲の瞑想をしながらスキャンをし続けることに合意しました。なぜなら、共感の後で、干上がったように感じていたからです。その後に、慈悲の瞑想に従事すると私のメンタルな風景はまったく変わりました。苦しむ子どもたちへのイメージは、以前と同じほど鮮明でしたが、それはもはや悩みを引き起こしませんでした。そのかわりに、こうした子どもたちへの限りない愛情を、そして、子どもたちに近づいて慰める勇気を自然に感じたのです。そのうえ、私と子どもたちの距離は完全に消えていました。これが、私たちが共感の悩みやバーンアウト対策としての慈悲の巨大な可能性を理解した時だったのです」(p279)

素人も慈悲の修行でポジティブ感情が高まった

 クリメッキ博士らは、2011年の論文で、新たに開発された『チューリッチ向社会性ゲーム(Zurich Prosocial Game)』と称されるタスクを用いて、素人に対しても慈悲を強化する修行が可能なのかどうかの最初の調査をチューリッヒで行ったことを報告している。短期の慈悲の瞑想の訓練を行い、その前後で様々な向親社会性行動をコンピュータで測定してみたのだ(慈悲の瞑想についてはボックスVII)。そして、わずか数日の慈悲の修行が、よそ者に対する支援行動を増やし、さらにより多く慈悲の瞑想を実践した参加者では、より利他的行動が増えることが見出された(P279)

共感はネガティブ感情を増やしてしまう

15-4.jpg そこで、まったく暝想経験がない人の慈悲と共感との違いを調査し、慈悲の可塑性を研究するため、オルガ博士たちは、大がかりなプロジェクトを立ち上げる。図4をご覧いただきたい。この研究では、参加者たちは共感群、記憶群、慈悲群の3グループのどれかひとつに割り当てられた。点線は縦断的研究(longitudinal study)を示してある(p282)

 まず、オルガ博士らは、ビデオ・ベースのワークを開発した。苦しむ人々と普通の日常生活の状況を描いた短いドキュメンタリー・ビデオを見てもらったうえで、参加者の脳反応を測定してみたのである。参加者たちは、それぞれのビデオの後、共感とともに、ポジティブとネガティブな感情を報告した。これまでにも明らかにされてきた苦痛への共感の発見とも一致し、苦しみへの共感反応には前部島皮質(AI)や前部帯状皮質(aMCC)の活性化が伴っていた。そして、苦しむ他者を見た場合には、ポジティブ感情が極低レベルとなり、ネガティブ感情のレベルが大きく高まった(p282)

 そして、神経レベルでも、共感と慈悲とが区別できるかどうかを確かめるため、シンガー博士たちは、短期的な実験を実施した。すなわち、まず共感、その後に慈悲の修行を受けたのだ。

自己報告されるレベルでは、共感の反響を訓練すると、ネガティブ感情や共感が増えた。しかも、ネガティブ感情は苦しみ悩む人たちに対してだけではなく、ノーマルな日常生活の状況にある人々に対してさえもそれに呼応して、ネガティブ感情が増えた。このことは、共感が非常に嫌悪すべき経験であって、バーンアウトのリスク要因であることを示唆している(p284)

脳神経科学的にも慈悲は共感と別のネットワークを活性化する

 次に、慈悲群は、他者に対する暖かさの感情や親切心を逐次拡げていく慈悲の瞑想の訓練を一日間受けた(ボックスVIIのメッタ(metta)瞑想)。一方、対照群(control group)は、場の方法(Method of Loci)を中心とする記憶の訓練を一日間、受けた。特定の場所と言葉を結び付けることで言葉の連鎖によって記憶力を高めるスキルである(p282)

 2013年の論文に紹介された結果によれば、慈悲の修行をした集団では、暖かさの感覚、幸せ感が生じると記述するポジティブ感情の自己報告が、とりわけ増え、他者の苦しみをより幅広く多く感じられるようになったことが明らかになったのだ(図5)(p282)。

 15-5.jpg図をご覧いただきたい。上のパネルは、慈悲の修行効果をしめしたもので、苦しむ人々を描いたビデオ(高感情、HE= high emotion)と日常生活の状況にいる人々を描いたビデオ(低感情、LE= low emotion)のそれぞれで、記憶の訓練(青)に対して、慈悲の訓練(赤)を受けたグループがポジティブな自己報告が増えていることがわかるだろう(p283)。

 下のパネルは、神経活動の変化を示したものだ。まず、他者の苦しみ(HEビデオ)に対しては、慈悲の訓練によって、(A)右の眼窩前頭皮質(mOFC= medial orbitofrontal cortex)、(B)右の腹側被蓋野(VTA= ventral tegmental area)/黒質(SN=substantia nigra)、(C)右の淡蒼球(pallidum)、(D)右側の被殻(putamen)が活性化した(p283,p284)。棒グラフのオレンジ色のボックスは、瞑想の熟練者の三つの慈悲状態での神経の活性度を示している(p283)

要するに、神経レベルでみると、共感の訓練では、前部島皮質(AI)と前部帯状皮質(aMCC)が活性化した。これは、他者への苦しみに感情移入するとき、繰り返し関係する領域である。これに対して、慈悲の修行では、以前の慈悲の研究でも観察されていたのだが、これとはまったく違う脳領域のネットワーク、母親の愛情やロマンチックな愛情と同様に(p283)、ポジティブ感情や、所属感(affiliation)、愛情、報酬(reward)と関連する脳領域が活性化した(p283,p284)。また、リカール博士が、苦しむものへの慈悲と、無条件の慈悲(unconditional compassion)と異なる慈悲的な状態を念じてもらうと、やはり慈悲と関連したネットワークが活性化した(P284)

 要するに、その後の慈悲の修行によって、ネガティブな影響を減らし、ポジティブな感情を強化することで、ベースラインに戻せることがわかったのだ(P284)

 同時に、慈悲の修行は、ネガティブな量も減らさなかった。誰かが助けを必要としていることに気づくことが、適切な行動を取るうえで必要とされる最初のステップである。したがって、これは、支援行動には必要な条件であろう(p273)

 要するに、共感は慈悲と誤解されることが多いが、共感と慈悲とは、異なる生物的システムや脳ネットワークに依存する(p273)。そして、共感が悩みをもたらし、バーンアウトにつながることがある一方で、慈悲はレジリアンスを強化することでこれを克服し(p273,p284)、向社会的な行動、所属感、愛といったポジティブな感情と関連する神経活動を強化する(p284)。そこで、慈悲は別の人の苦しみを感じつつ、ポジティブな感情を経験できるのだ(p273)

 このことから、科学的にみても、親切な感情をもって、苦しみに遭遇することが可能な戦略を慈悲がもたらすことがわかる。要するに、慈悲は、バーンアウトから人々を保護することでケアする人たちにメリットがあるだけでなく、支援の行動力を高めることでその受益者にもメリットがあるのである(P279)

【引用文献】
Olga Klimecki, Matthieu Ricard, Tania Singer“Chapter 15 Empathy versus Compassion Lessons from 1st and 3rd Person Methods”
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2016年03月14日

慈悲の瞑想の神経科学14〜ブッダの理論を脳神経科学が実証する

Joshua Grant.jpgジョシュア・グラント(Joshua A. Gran)はライプチヒにあるマックス・プランク認知神経科学研究所(Max Planck Institute for Human Cognitive and Brain Sciences)の社会的神経科学部(Department of Social Neuroscience)でタニア・シンガー(Tania Singer)教授と共に研究をしているポスドクのフェローである。博士は、ピエール・レインビル(Pierre Rainville)教授の指導の下、2011年にモントリオール大学(University of Montreal)で、神経科学で学位を取得した。

 博士の博士研究は、苦痛の知覚への行動的、神経生理学的、そして、経験的な指標への禅の影響がメインテーマである。優れたチベットの瞑想者と新たにトレーニングを受けた個人に対して、博士はMPIで瞑想と痛みの作用についての研究を続けている。博士は脳画像から薬学、遺伝学の手段を組合わせることで、親和(affiliation)やアタッチメントでの内生オピオイドシステムの役割も調査している(p508)

意識的な注意散漫で痛みを感じないヨーギ

「瞑想中にはまったく痛みを感じない」と主張するあるヨーガ行者の事例が2005年に報告されている。研究者たちは、安全とはいえ痛みを感じるレーザーをヨーギの手にあててその脳の状態を調べてみた。すると平常時には痛みと関連する脳領域が活性化するのに、瞑想時にはそれは静まっていた。つまり、このヨーギが痛みを感じなかったのは本当だったのである(p256)

 このヨーギが行なった瞑想法が何であったのかは報告されていない。けれども、おそらく、集中瞑想なのではあるまいか。そして、このヨーギは、意識的に出来事を知覚から切り離すことを学んでいた。ある種の意志的な注意散漫(volitional distraction)である。

 瞑想は、注意(attention)を維持することで活発な心を静めることを目指している。こうした実践は、科学的には「集中(concentrative)」あるいは『集中した注意喚起を促す瞑想(Focused Attention Meditation)』と呼ばれている(ボックスVIIと11章) (p256)

 こうした注意喚起によって認識のあり方が変わり、修行(training)の初心者でさえも痛みの知覚変化が起きるケースがある。あるひとつの刺激にしっかりと注意を向けているとそれ以外のモノに気づかなくなるのである。

 脳の画像処理の研究から、ある刺激に集中すると、刺激と関連した脳活動がより強化されることがわかっている。これは苦痛(pain)にも働く。つまり、痛みの刺激に注意を向ければ、こうしたインプット情報を処理する脳エリアの活動は活発化し、苦痛体験もかなり増える。これは、逆に言えば、注意が散漫であれば苦痛を減らせることになる。とはいえ、興味をそそるとはいえ、さらに多くの事例が得られるまで、このヨギの事例に重きを置くことはできない(p256)

禅の実践者は一般人よりも痛みに集中しているはずなのに痛みを感じない

 これとは別でもっとつつましいが、やはり瞑想が痛みの知覚を変化させるという事例がある。我々は、痛みの実験を行うため禅の瞑想者たちを集めて、足に熱さの痛みを与えてみたのだが、年齢やジェンダーが合致する対照群よりも、痛みに敏感ではなく、同じ痛みの報告をするためにはもっと強い刺激が必要だった。この発見は、冷たさの痛みに対する耐性が瞑想によって高まるという以前の研究結果と一致する(p256)

 集中瞑想は心を安定させるといわれる。けれども、ブッダは、苦を克服するのにはそれだけでは不十分だと洞察した。ブッダは、マインドフルネスな状態(Being mindful)で世界に気づいていることも必要だとした(p257)。そして、この実験では、参加者たちは、常に痛みの刺激への「注意」を維持して、「マインドフルネス」でいられるよう依頼されていた。つまり、痛みがあっても、その瞬間、その瞬間に意識を向け、かつ、その経験に自動的な判断をしないよう試みた(p256)

 注意に集中している間では、予想どおり、痛みの報告が対照群ではかなり増えた。けれども、禅の瞑想者たちは、変化を示さなかった。瞑想修行を長くしていると、隙がなく集中した状態(Hypervigilance)が保てるようになっていくことが知られる。そして、痛みに対する注意が高まれば、痛みの経験は増幅され、痛みへの耐性は低まるであろう。すなわち、反対が予想されるのである(p256)。しかも、マインドフルネスでは、経験そのものに注意を向ける。アンケートでのマインドフルネスの測定で禅の実践者たちは高く評価され、事実、判断なしに瞬間に注意を払うことができていた。したがって、観察される痛みの減少は、上述したヨーガ行者のような注意散漫に起因することはありえない(p257)。したがって、なぜ、禅の瞑想者が痛みに耐えられるのかが説明できない。何か別のことが関係しているのである(p256)

苦は複雑な脳内領域のネットワーク活動として感じられる

 熱いストーブに触れたり、指を突き刺されれば誰も痛みを感じる。けれども、この苦痛は、脳内にあるひとつのセンターがそのシグナルを受け取ることで痛みとして感じられるわけではない。MRI等の脳の画像技術の進展によって、以前に科学者たちが考えていたよりも苦痛がはるかに複雑なプロセスであって、相互接続した多くの領域の複雑なネットワークが活動することで経験されることがわかってきた(p253)。MRIは、脳解剖学的に詳細なイメージが得られ、様々な組織の長期的な変化を定量化できる(p261)。さらに競合する仮説を区別する力ももたらす(p260)

痛みは感覚・感情・認識の三段階から感じられる

痛みはまず感覚として感じられる

 さらに、それはいくつかの段階にわけられる。まず、苦痛に対する典型的な神経反応では、いわゆる「苦痛神経マトリックス(pain neuro-matrix)」活動が高まる。まず、肉体感覚として痛みが認識される。苦痛の感覚区別的なディメンジョン(sensory-discriminative aspect of pain)は、第一次感覚皮質(Primary somatosensory cortex:S1)、第二次感覚皮質(secondary somatosensory cortex:S2)、視床(thalamus=Thal)、島皮質(INS=insular cortex=感じた強さを反射)の一部で処理される。どれだけ痛みの刺激が強烈であったかの評価と脳活動レベルは一致する(p253)

痛みの刺激を感情として受け止める

 けれども、苦は感情的な反応とも関連する。この刺激どのように感じるのかを、前帯状皮質(ACC= anterior cingulate cortex)と島皮質(INS=insular cortex=感じた不愉快さを反射)等が処理することによって、感情的に決める。こうした領域は痛みに反応するだけでなく、注意といったプロセスも行なうため、この区別は絶対的なものではないが、不愉快さの評価は脳活動レベルとは一致することが多い(p253)

痛みの刺激は認識される

 最後に、この苦痛の知覚を、前頭皮質(PFC=prefrontal cortex)が認識的に評価・調整する。前頭皮質(PFC)は、意志(volition)、注意(attention)、記憶等の高度な認識機能がかかわる領域である。このため、また痛い刺激を受けるのではないかという不安が、痛みの認識され具合に影響することがわかっている(p256)

痛みの領域が活性化しつつ、脳活動全体が低下する

14-1.jpg この実験では対照参加者(Control participants)は、座禅の仕方を一週間だけ指導された。その結果は、まことに興味深いものだった。図をご覧いただきたい。マインドフルな注意(mindful attention)をしていると、瞑想者たちは痛みやその不愉快さがかなり減ると報告した。しかも、経験豊かな瞑想者たちが最も痛みが減ると報告したのである(p257)

 瞑想経験者に対しては、より強力な刺激を与えることで同じランクの痛みを与えてみたのだが、痛みと関連するエリアは、対照群よりも瞑想者の方がより強く作動することがわかった(図1 C、D)(p257)。注意散漫であれば、脳活動の低下が伴う痛みの減少が報告されるはずである(p260)。つまり、瞑想者は意識を散らしてはいないのだ。

 同時に、痛みの間に瞑想者では、扁桃体(amygdala)、海馬(hippocampus)と眼窩前頭皮質(OFC:orbitofrontal cortex)、内側前頭前皮質(mPFC:medial prefrontal cortex)と前頭前野背外側部(DLPFC:dorsolateral prefrontal cortex)を含めて、脳全体の活動が低下したのだが、対照群ではそうではなかった(図1 A、B)(p257)

 中段のMRIのイメージは、苦みを感じている間の統計的に異なる脳領域を示している(オレンジ~黄色:瞑想者>対照者)、(青~緑色:対照者>瞑想者)。灰色のバーは、刺激が表された所を表している。A:右側前頭前野背外側部、B:右側内側前頭前皮質/眼窩前頭皮質、C:左側視床(THAL)、D:背側前帯状皮質(dACC:dorsal anterior cingulate cortex)(p257)

いまに集中し評価をしないマインドフルネスでは海馬や扁桃体の活動が低下する

 これは何を意味しているのだろうか。マインドフルネスでは、いまの瞬間に起きている経験、すなわち、この場合では苦みを観察する。結果として、関連する皮質、前帯状皮質(ACC)、島皮質(INS)、第一次感覚皮質(S1)等)が活性化する。

 感情、とりわけ、恐怖の感情を鍵となって処理するのは、扁桃体(amygdala)である。内側前頭前皮質(MPFC=medial-prefrontal cortex)は、自己に関する処理(self-referential processing)に関わる。そして、海馬(hippocampus)は記憶と関連し、背外側前頭前野 (DLPFC= dorsolateral-prefrontal cortex)と協力して働く。けれども、観察は「いま」という瞬間で起こり続ける。したがって、心が詳細な物語を産み出していくことが防がれる。要するに、記憶や自己関連づけの処理(self-related processing)がさほど必要とはなくなる。となれば、ことによれば、海馬や内側前頭前皮質や前頭前野背外側部(背外側前頭前野)の活動が低下するであろう。

 記憶処理では、過去や未来と「いま」とを比較することが必ず関係してくる。したがって、ここの活動も低下することになる。眼窩前頭皮質(OFC)は、インプットされた感覚を受けて、その相対的な価値や重要性を統合する役割をすることが知られているのだが、その眼窩前頭皮質(OFC)活動の低下が説明できる。最後に、判断・刺激が少なかったり、あるいは、まったく判断・刺激がなければ、強力な感情反応もありそうにはない。そこで、扁桃体の活動低下が説明できる(p260)

 もちろん、これは憶測だって将来的な研究上での立証が必要ではある。とはいえ、研究結果で、とりわけ興味深いのは、苦みを感じている間に、瞑想者では、苦みを感情として受け止める領域と痛みを認識する領域、すなわち、前帯状皮質(ACC)と前頭皮質(PFC)とのつながりを切っていることが見出されたことだ。さらに、前帯状皮質(ACC)と前頭皮質(PFC)との情報が最も遮断されている瞑想者は、苦みを感じるのに最高の温度が必要であったのだ(p260)

脅威から身を守るために作られた警報システムが「苦」だ

 苦痛は、脅威からの被害を避けるためには欠かせないシグナルである。けれども、なぜ、私たちは「苦が存在」することによって苦しまなければならないのであろうか。ただ警報を発する警告システムを手にしているだけでは不十分なのであろうか(p253)

ブッダは苦について二つの矢の説明を行なった

 興味深いことだが、いまから約2500年前に、ブッダは、生き残びるためには苦痛が必要だが、それは、苦しむこととは関連しないと説いた(p253)。感覚そのもの(最初の矢)と、その結果としてマインドが創り出した苦(二番目の矢)と苦には二つの面があると考えた(p261)。最初の苦痛は警告のシグナルとなる。けれども、二番目の苦痛は、まだ修行を積んでいないマインドが不必要に産み出したものである。そして、生けとし生けるすべてのものが苦しみから解放されるように、仏教は今日も広く用いられている一連の実践や理論を発展させてきた(p253)

 そして、この伝統的な仏教思想が西洋科学によって吟味されているのだが、その結果は、ブッダが語った言葉を裏付けている(p253)。研究結果はブッダの主張を支持し、瞑想修行によって二番目の苦の矢が取り除けるという主張も確証する。例えば、ヴィパッサナー(Vipassana)瞑想の研究事例では、瞑想中には苦と関連した島皮質(INS)が活性化する。けれども、側部前面活動(lateral frontal activity)が減ることによって苦痛が減ることが見出されている。チベットの優れた瞑想者を対象に行なわれたウィスコンシン大学グループの研究も同様の結果を見出している(p261)。これは、このことは、瞑想者が苦みを調整できることを意味する(p260)

瞑想者は痛みを感じる前帯状皮質が厚い

 また、これとは別の研究で、私たちは禅の実践者と対照者の灰白質(gray matter)の厚さを測定してみた。そして、瞑想者では、前帯状皮質(ACC)を含めて、苦みと関連する脳領域の灰白質が厚いことを見出した。さらに、より多くの瞑想経験がある者ほど、この領域の灰白質が厚く、それが厚いほど苦みを感じるのに高い温度が必要なのだ。

 このことは、瞑想によって、脳の物理構造そのものが変化し、それが苦みの調整能力につながることを意味する。さらに、8週間の瞑想プログラムで、海馬(hippocampus)、後帯状皮質(posterior cingulate cortex)、側頭頭頂接合部(TPJ: temporo-parietal junction)、小脳(cerebellum)で灰白質が増えることが示されている(p261)

マインドフルネスで苦は減らせる

 瞑想による無痛覚(analgesia)のメカニズムの研究は、いま世界中で進められているが、我々は、修行の継続的な効果を見出している。そして、こうした実践が日常生活にも効果があるとすれば重要であろう(p261)。研究からは、心理的・感情的な苦が、生理的な苦と同じ脳領域を作動させることがわかっている。社会的に排除されれば、参加者のリポート内容の悩みが増え、それに比例して前帯状皮質(ACC)や島皮質(anterior INS)が活性化し、私たち苦痛にある他の人々を見る時には、苦痛と関連の領域が作動する。要するに、古代仏教の主張と一致して、マインドフルネスの集中瞑想は、多様な形で苦を減らすのである(p264)

慈悲はオピオイドが関係している

 苦痛の経験は、これとは別の多くの脳領域によっても調整されている(p256)。現在、知られている最も強力な鎮痛剤はオピオイド(opioids)だが(p265)、前頭皮質(PFC)や中脳水道周囲灰白質 (periaqueductal gray)や骨髄(rostroventral medulla)等が関係する「下行性疼痛抑制系(descending modulatory system)」は、脳内にオピオイドを放出することによって痛みを減らす(p256)

 さて、私たちは、パートナーや同じスポーツのチームのファンのように自分が感情移入できる気になる人の苦は感じても、ライバルのファンが苦しんでいるのを見ても、共感しないし、そうした脳活動は働かない。 そして、様々な科学分野から、愛、暖かさ、ケア、人々の間の絆といった感情が脳内でのオピオイド族(opioid family)に属するベータ・エンドルフィン(beta-endorphins)の放出に起因するとされている。ベータ・エンドルフィンは、生き残びるために欠かせない社会的な絆を強めるために進化してきたとされている。仲間を作るためのメカニズムがあれば、生き延びるものも増え、それは進化によって保存されていく。こうした絆は、現在では、パートナーや親子、スポーツファンといった形になっている。彼らは、まさに私たち自身が感情移入してその苦を感じ、ケアしたいと思う人たちなのだ(p264)

 もし、暖かさやケアの感情がベータ・エンドルフィンの放出と関係しているのであれば、慈悲の感情もこうしたオピオイドの放出と関係していると言える(p264)。慈悲の瞑想状態にあるときに、オピオイドが自然に放出されているとすれば、たとえ他者の身になって苦を経験したとしても、ほとんど苦しまないことが可能である。意識的に慈悲心を産み出すことによって、我々は、オピオイドの放出のやり方を学んでいるかもしれない(p265)

チベットの仏教僧は脳内オピオイドを出すことで慈悲を発現している

14-2.jpg このことを裏付けるエビデンスもある。我々の研究室や他の研究室での最近の研究から、慈悲では、オピオイド(opioid signaling)の脳領域が活性化することが示唆されている(13章)。 また、チベット僧たちは、苦しむ他者を観ながら共感(他者の苦しみに共鳴する)や慈悲(他者の苦しみに対して暖かさと愛の感情を産み出す)の状態に入ることを依頼されたのだが、慈悲の間には、苦痛が大きく削減された。すなわち、修行を積んだチベット僧たちは、慈悲を産み出しながら、脳内のオピオイドエリアを活性化させ、苦の不愉快さを大幅に減らしているのである(図2)。このケースに一般性があるとすれば、それは、極めて重要であろう(p265)

慈悲による優しい社会の実現は生物学的に根拠がある

おまけに、オピオイドには中毒性がある。オピオイドはポジティブな歓びの感情を引き起こし、薬物乱用のように慈悲的な行動を強化してしまう。つまり、ある意味では慈悲には中毒性であるという過激な提案すらできるのである(p265)

 そして、重要なことだが、仏教はマインドフルネスだけでは終わらない。慈悲心を育むためには、縁起(interconnectedness)、無常(はかなさ=impermanence)、普遍的な苦への洞察が用いられる。さらに、慈悲心が育まれるほど、個人段階での苦も減らせる(p264)。そして、各個人が慈悲的になることでオピオイドによって、暖かさ、ケア、愛の感情が持て、苦しみが減るだけでなく、それは自ずから強化され、人々を救いたいという望みや動機づけが高まることで、慈悲的な行動が増えれば、それはより優しい社会につながってゆく(p264,p265)。これは、慈悲が苦から解放される道だと説く仏教の教えが生物学的に説明できることを意味しているのである(p265)

【引用文献】
Joshua A. Grant,“Chapter 14 Being with Pain, A Discussion of Meditation-Based Analgesia”

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2016年03月13日

慈悲の瞑想の神経科学13〜慈悲の瞑想とオキシトシンやコルチゾルとの関係

13Jennifer Mascaro.jpgジェニファー(Jennifer S. Mascaro)博士は一般に、エモリー(Emory)のダーウィン神経科学研究所(Laboratory for Darwinian Neuroscience)のポスドク研究者である。現在の研究は、親の慈しみの生物学的基礎に焦点がおかれている。博士の研究関心は、社会的認知スキルの変化や可塑性である。博士はいかに、行動、文化的な、遺伝ファクターが向社会的な感情や行動をmodulateするのかを探究するために機能的神経画像処理(functional neuroimaging)を用いている。博士はエモリー大学(Emory University)のジェームズK.リリング(James K. Rilling)博士の研究室で、2011年に生物人類学で学位を取得した。博士の学術論文は、神経生物学的に共感と慈悲を支える慈悲の瞑想の効果の経度調査longitudinal investigationだった(p505)

13Thaddeus Pace.jpgタデウス・ペース(Thaddeus W. W. Pace)博士は、病気への心理学的なストレスとリンクする生物学的メカニズム、そして、最適な健康を促進するためにストレスと戦うための斬新な方法を研究している。博士は精神行動科学エモリー医科大学の准教授である。そして、エモリーのレーニー大学院大学(Laney Graduate School)の生物学と生物科学部の神経科学部のメンバーである。博士は心理的なストレスへのコルチゾル反応の脳での調整の研究で、ボールダーのコロラド大学(University of Colorado)で、神経科学と心理学で学位を取得した。博士のエモリー大学での研究は、重い鬱病や心的外傷後ストレス障害を含めてストレスと関連する精神医学病で苦しむ人々の内分泌物と免疫系の変化を探究することである。エーモリー大学のロブサン・テンジン・ネギ(Lobsang Tenzin Negi)博士と協力して、博士は慈悲の瞑想を含めて、内分泌と炎上免疫の変更(inflammatory immune alterations)も研究している。また、健康と健康を促進するクルクミン(curcumin)等、自然な抗炎症化合物にも興味を持っている(p524)。

13charles Raison.jpgチャールズ・ライソン(Charles Raison)博士はアリゾナ大学(University of Arizona)の精神医学の准教授である。それ以前には、エモリー大学の准教授で、マインド・ボディ・プログラムの臨床ディレクターであった。博士は、ミズーリのセント・ルイスのワシントン大学から医学博士号を取得した。そこで、博士はアルファオメガアルファ(Alpha Omega Alpha)に選ばれ、ミズーリ州医学協会賞(Medical Association Award)を受賞した。

 博士の研究は神経内分泌と免疫系との双方向の関係性、とりわけ、ストレスや病気に対応した憂鬱に付随する関係性に重点がおかれている。博士は、重い鬱病の治療で抗サイトカイン(cytokine antagonists)利用のパイオニア的な研究もしている。アリゾナ大学での活動に加えて、博士はCNN.comのメンタルヘルスのエキスパートで、脳、行動、免疫(Brain, Behavior and Immunity)の編集にも携わっている(p498)。

ホルモンは中枢神経系では神経伝達物質として働く

 ホルモンとは、ペプチドやステロイド類からなる物質である。特定の組織で作られ、別組織に血液で運ばれ、その組織の成長や代謝といった生理活動に影響を及ぼす。このホルモンの生産や分泌、生理的な影響を研究するのが「内分泌学(Endocrinology)」である。

 古典的には、ホルモンは、特定の腺(specialized glands)で生産され、血流を通じて他組織に影響を及ぼすと理解されてきた。けれども、多くの最近の発見から、この単純な図式は成り立たず、もっと複雑なことがわかってきた。例えば、ホルモンは中枢神経系(CNS= central nervous system)では神経伝達物質として機能することが多い。最もよく知られた事例がペプチドホルモン、出産や育児を促進する役割から医学的に古くから知られてきたオキシトシン(oxcytocin)である(p231)

視床下部からはオキシトシンが放出される

13-1.jpg 脳のどの領域もホルモン機能に影響を及ぼすが、とりわけ、関係するのが視床下部(hypothalamus)である。ここに位置する細胞体(Cell bodies)は、主なホルモンのほとんどの取り入れ水門となっており(p231,p242)、主な内分泌器官、脳下垂体(pituitary gland)とも機能的・生理的にも最も親密につながっている(図1)(p231)。それ以外の脳領域や身体からのシグナルに応じて、視床下部からは数多くのホルモンが分泌される(p231)

 そして、こうしたホルモンが、脳下垂体前葉(anterior pituitary)や下垂体前葉(adenohypophysis)を刺激し、それ以外のホルモンが放出されていく。そして、これが、甲状腺(thyroid gland)、副腎(adrenal glands)、性的器官(sexual organs)等に影響していく(p231)。副腎皮質刺激ホルモン(adrenocorticotropin hormone)やろ胞刺激ホルモン(follicle-stimulating hormone)を含めて、前方脳下垂体(anterior pituitaryまたは腺下垂体adenohypophysis)に位置する細胞から生み出される数多くのそれ以外のホルモンの放出も間接的にコントロールしている(p231,p242)

 視床下部の二番目の主な役割は、オキシトシン(oxytocin)やそれと密接に関連したホルモンバソプレシン(vasopressin)を生産し、後脳下垂体(posterior pituitary gland)または神経下垂体(neurohypophysis)介して分泌することである(p231,p242)

 視床下部で産み出されたオキシトシンは、血液を通して他組織(子宮や胸)へと流れて影響を及ぼしている。この役割だけ見れば古典的なホルモンである。けれども、過去10年以上の発見から、人間や他の哺乳類の社会的行動や共感を含めた脳活動にオキシトシンが大きく影響することがわかってきた。すなわち、この役割で見ると、オキシトシンは古典的なホルモンよりも神経伝達物質のように働いているのである(p231)

オキシトシンが脳内に多いネズミは愛情深い

 社会的な機能でオキシトシンが果たす役割は、齧歯類ハタネズミ(vole)の二つの亜種の社会的行動の違いから着目された。パートナーと一夫一妻制の絆を形成する草原ハタネズミ(Prairie voles)の脳、とりわけ、報酬や動機づけと関連した核側坐核(nucleus accumbens)にはオキシトシンのレセプターが多くある一方、乱雑な孤独者の山地ハタネズミ(montane voles)の脳ではオキシトシン活動がはるかに低い。しかも、愛情深い草原ハタネズミも、その脳内のオキシトシン活動を混乱させると山地ネズミと同じように行動することがわかったのである(p234)

オキシトシンは人間の共感力を高める

 人間においても、社会的な行動一般、とりわけ、向社会的な感情では、オキシトシンが重要な役割を果たすことが知られている(p234)。鼻腔内にオキシトシンを投与することによって、(1)他者への寛大さの高まり、(2)信頼感の高まり、 (3)他の人々の目を見つめる時間が長くなる、(4)他の人々の表情から感情を読む力の高まり等の複数の効果を引き起こすことが判明している。

 一般に共感力については男性よりも女性の方が高いが、鼻腔内にオキシトシンを投与することで、男女ともに共感感情を高められ、男性も女性のベースライン・レベルまで高められる(p235)。逆に、例えば、共感を欠いていたり、社会的行動で異常が見られる自閉症(autism)等では、オキシトシン・レセプターのエンコードされた遺伝的な違いがそれと関連していることがわかってきている。同じ遺伝子は海馬(hippocampus)や偏桃体(amygdala)等、脳の構造や機能にも影響しているように思える(p234)。オキシトシンを投与すると、犯罪者を罰したい欲望も高まらず、犯罪の犠牲者を懸念する共感力が高まったり、幼児の泣き声を聞くことに呼応して共感と関連した脳活動が変化を起こすこともわかってきた(p235)

慈悲の瞑想をすると血中のオキシトシン濃度が増える

 信頼やアタッチメントといった感情においてオキシトシンが大きな役割を果たしているとすれば、オキシトシンが増えれば、慈悲も増えるのではないだろうか。

 とはいえ、実験動物とは異なり、生きた人間の脳内のオキシトシン量を直接的に測定することはできない。脊髄の流体(spinal fluid)は測定できるが、この量を測定してみても、下水からの放流を調べることで都市機能を理解しようとするのと同じで、不可能ではないとしても極めて困難である。さらに、血中のオキシトシン濃度は多く研究されているとはいえ、それが脳内のオキシトシン活動とどう関連するのかがまだ明確ではない。

 とはいえ、オキシトシンの血中濃度に慈悲の瞑想が影響するとの証拠がいくらか得られている。例えば、ある研究で、他者に対する共感を呼び起こすようにデザインされたフィルムを見せたところ、暖かさ、慈悲(けれども、悩みではない)の自己報告が増えたが、血中のオキシトシンレベルも約50%増えていた。これは、他者に対するその後の寛大な感情の高まりと関連していることがわかっている(p234)

オキシトシンはケア対象となる内集団の範囲を広げる

 人類が自分たちの同類とみなす『内集団(in-group)』のメンバーに対しては協力的なケアを行い、外集団(outgroup)のメンバーに対しては防衛的な行動をとることは大昔から知られている。そして、この差別にもオキシトシンが関係している。ただし、オキシトシンは、外集団に対する敵愾心を高めるわけではなく、共感やケアの必要性を感じる相手の範囲を広げる働きを持つ。このことは、多くのスピリチュアルな実践や瞑想は普遍的な慈悲を目標に掲げているが、慈悲の瞑想がオキシトシンにどのように作用するのかで、極めて重要、かつ、興味深い問題を持ち出す。


@ 慈悲の瞑想は、オキシトシン・システムに従いつつ、さらに多くの人たちが自分たちの内集団に所属すると思わせる作用がある

A 慈悲の瞑想には、ある内集団に属する者たちだけをケアするというオキシトシンの作用を抑制する力がある(p235)。

ストレスに反応する視床下部-下垂体-副腎系

13-2.jpg 視床下部-下垂体-副腎系(HPA = hypothalamic-pituitary adrenal axis)は、ストレス反応に欠かせないホルモン・システムである。それは、視床下部から下垂体を通じて、副腎へと働くためこの名前が付けられている(p232,p243)

ストレッサからの刺激を受けると、前頭葉前部外皮(prefrontal cortex)や海馬(hippocampus elicit)を含めた脳の上層エリア(higher brain areas)が、視床下部(hypothalamus)の脳室周囲核内(paraventricular nucleus)を活性化させる。次に視床下部(hypothalamus)に位置するニューロンが、脳と脳下垂体(pituitary gland)とをつなげる門脈流通(portal vein circulation)に副腎皮質刺激ホルモン(CRH= corticotropin-releasing hormone)とアルギニンバソプレシン(AVP= arginine vasopressin)を放出する。

 こうした神経ホルモンは、その後、前方脳下垂体(anterior pituitary)から副腎皮質刺激ホルモン(ACTH= adrenocorticotropin hormone)を放出させる(p243)。副腎皮質刺激ホルモンは、最終的には、副腎(adrenal gland)に達して、コルチゾル(cortisol)と呼ばれる糖質コルチコイド(glucocorticoids)の生産と放出を引き起こす(p232,p243)。このコルチゾル(cortisol)は、免疫系に多く影響し(p231)、間違いなく、肉体の最も重要なストレス関連分子である(p232)

ストレスに反応する自律神経系

 ストレッサからの刺激を受けると、選択脳幹核(select brain stem nuclei)も影響を受け、交感神経系(SNS= sympathetic)や副交感神経系(PNS= parasympathetic)を含めて自律神経系(autonomic nervous system)も反応する。そして、ストレスは、先天的な炎症免疫機能(inflammatory/innate immune function)にかなりの影響を及ぼすことが知られている(p243)。そこで、いま、全世界的には慢性化した炎症反応が増えている(p239)

 哺乳類の免疫系は、大きくは、炎症 (inflammation)で特徴づけられる急速に活動する非特異的(non-specific)な「先天的免疫(innate immunity)」と、T細胞活動(T cell activity)や抗体の生産で特徴づけられ、ゆっくりと作用する特異的(specific)な「獲得免疫(acquired immunity)」の二つからなっている(p239)

 炎症反応(inflammation)は、心臓血管病、糖尿病、癌、痴呆症(dementia)等の生理的障害だけでなく(p239)、免疫系サイトカイン(Immune system cytokines)が脳に強力に影響することで(p243)、深刻な憂鬱(major depression)、双極性障害(bipolar disorder)、統合失調症(schizophrenia)を含めた多くの精神病とも関連することが知られている(p239)。

オキシトシンはストレス反応であるコルチゾルを減らす

 恐怖のイメージに呼応して、例えば、ストレスと関連した扁桃体(amygdala)の活動は活性化する。けれども、オキシトシンには、この扁桃体活動を低下させる働きがある。そして、ラボラトリーでの社会的ストレッサに対応したコルチゾルや自律神経系の反応も減らすことが示されている。同じようにオキシトシンのレセプター遺伝子は、共感力を減らすことと関連するが、自律神経系のストレス反応を促進することが示されている(p235)

慈悲の瞑想を実践するとコルチゾルが急速に減る

13-3.jpg 医学的・精神医学的にも健康な大学の新入生たちに対して、6週間の「慈悲の修行プログラム(CBCT=compassion-based training program)プログラム(CBCTの詳細はボックスIIIと1章)を受けてもらった。そして、この修行の前後で、トーリア社会的ストレステスト(TSST= Trier Social Stress Test)を受けてもらった。

 結果から言うと、このテストに対するコルチゾル反応では、慈悲の瞑想の効果がまったく見出せなかった(p238,p244)。図をみていただきたい。慈悲の修行プログラムの前がパネルA−D、後がパネルE−Hである。いずれもプラズマインターロイキン(IL)-6(パネルAとE)、プラズマ・コルチゾル(パネルBとF)が出て、主観的な悩みの反応が引き起こされたのである。ちなみにこの悩みは、気分状態のプロフィール(POMS= Profile of Mood States)の合計スコアで測定された(パネルCとG)(p244)

 けれども、慈悲の瞑想グループ内での瞑想の実践量とコルチゾル反応とには興味深い関連性が見出された。つまり、自宅で「慈悲の瞑想」をかなりやっていた人たちも、ストレッサに対するコルチゾル量はまったく減らなかった。けれども、増えたコルチゾルは、さほど瞑想の実践をしていない者に較べて、かなり急速に元の水準に戻ったのだ(図3)。

 慈悲の瞑想の修行を受ける前にストレステストを受けた参加者のIL-6(パネルA)、コルチゾル(パネルB)とPOMSの合計スコア(パネルC)は、ストレス反応で、高度な修行実践とほどほどの実践グループで違いがなかった。けれども、瞑想修行後にストレステストを受けた参加者では、IL-6(パネルE)とPOMSの総スコア(パネルG)は、高い実践参加者ほど低い実践参加者に比べて減った(p244)

 この結果から、慈悲の修行をしてもストレス反応はなくならないが、ひとたびストレッサがなくなればストレスが直ちに減ることがわかる。ストレス反応が不自然に延長された憂鬱や怒り他の「執着タイプ(chewing on things)」は病気のリスクが高まることが多くの研究から示されているが、そうはならないのである(p238)

 では、なぜ、慈悲の瞑想をすると直ぐにコルチゾル量が減るのだろうか。トーリア社会的ストレステスト(TSST)に対する「炎症反応(inflammatory responses)」に対して慈悲の瞑想が効果あるとの最近の発見が関係してくる(p239)。自宅でかなり慈悲の瞑想をやっていた人たちは、血中の炎症分子(inflammatory molecule)、サイトカインIL-6が減っていた(図3)。しかも、瞑想に費やす時間が長いほどIL-6は減っていた。つまり、慈悲の瞑想によって、たとえストレステストを受けても、個人認識されるストレス・レベルが減ったことがわかる(p238)

幼少期のトラウマは炎症反応を起こすが慈悲の瞑想はこれも減らす

 急性と慢性の心理社会的なストレスは、とりわけ、幼少期に逆境(例えば、トラウマ、無視)を受けた個人に慢性的な炎症反応(inflammation)を引き起こすことが知られている。このことは、幼少期のストレスがその後の多くの現代病を予想させる(p238)

13-4.jpg 米国の養護施設(foster care)での71人の思春期の子どもたちを対象と した最近の研究では、6週間以上、慈悲の瞑想修行(CBCT=Cognitively Based Compassion Training)を行なったところ、炎症反応の反応物、C反応タンパク質(CRP= c-reactive protein)の唾液内の濃度が現象していた(rs=0.58、p = 0.002) (図4)(p239,p245)

 養育施設にいる子どもたちのトラウマの高さや逆境と一致して、子どもたちのC反応タンパク質は研究スタート時点から高かったことから、これは励みとなる事例であろう(p239)

慈悲があると免疫系が強化され風邪を引かない

 風邪を引いたとしても、医師に共感をいだいた患者は、そうではない患者に比べて、症状がさほど重くなく、かつ、治りも早いことがランダム化試験によって明らかになっている。感染病が「共感」と関係するというこの興味深い発見は、内分泌ホルモン、とりわけ、オキシトシンとコルチゾルが、慈悲と関係して中枢神経系機能や免疫機能に大きく影響することによって説明できる(図2)。医師に共感をいだいた患者の免疫分子、インターロイキン(IL)- 8が高いのだ。実験的にウィルスにさらしたとしても、社会的なサポートがある人たちの風邪があまり進まないという現象も説明がつく(p239)

慈悲は最も慈悲的なホルモンを出せる

 人間のあらゆる感情や行動のうち、少なくとも科学文献を信じる限りは、最もホルモン的なものは慈悲であろう。数多くの科学研究から、慈悲(compassion)やそれを構成する共感(empathy)等の要素が、内分泌的な要因の影響を受け、逆にそれからも影響されるという強力なエビデンスが見出されている(p231)。世界中のスピリチュアルな伝統では、慈悲が支持されている。この慈悲において、オキシトシンがどのような役割を果たしているのかはまだ少ししか明らかになっていない。とはいえ、疫学的なデータからは、向社会的な感情や行動が慈悲と密接に関係し、それがメンタル面や生理的で健康を推進することが脇らかになってきている(p239)

 ストレスが他者に対してゆとりあるケア行動が取れなくなることは経験的に誰もが知っている。そして、社会的に排除された人たちが、向社会的な行動をさほど取らないことも知られている(p235)

 とはいえ、この発見から、直ちに、慈悲の修行が療法として確立できるわけではない。瞑想によって炎症(inflammation)が減ることが、修行を終えた以後も持続するのか。あるいは、長期的には病気に対する呼ぼう効果があるのかどうか。それは、慈悲と内分泌学/免疫学のアリーナで最も重要な答えがない問いかけのひとつである。また、慈悲的な思考や行動を増やすことが、健康と関連して内分泌や免疫機能にどのような変化を引き起こすのかを明らかにすることも未来の研究課題である。例えば、慈悲の瞑想が、HPA軸の変化やストレスが多い状況で免疫と関連するオキシトシン機能にどのような変化を引き起こすのかを探究することが必要であろう(p239)

【引用文献】
Jennifer S. Mascaro, Thaddeus W. W. Pace, Charles L. Raison “Chapter 13 Mind your Hormones! The Endocrinology of Compassion”


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2016年03月10日

慈悲の瞑想の神経科学10〜慈悲は感情ではない

10Boris Bornemann.jpgボリス・ボルネマン(Boris Bornemann)博士は、ライプチヒにあるマックス・プランク認知神経科学研究所の社会的神経科学部(Department of Social Neuroscience)でタニア・シンガー博士の指導を受けた博士号の学生である。博士は、瞑想効果の大掛かりな研究、リソースプロジェクトの概念的なベースや介入プロトコルで仕事をしている。博士はベルリンのフンボルト大学(Humboldt-University)で心理学を学び、2007〜2009年には、エルケ・ファン・デル・ミーア(Elke van der Meer)教授の下で認識心理学部門で働いていた。2009年には、サンディエゴのカリフォルニア大学(University of California)のピオトル・ウィンケルマン(Piotr Winkielman)教授の研究アシスタントとして働いた。博士の研究は、認識、意識に重点が置かれている(p495)

感情と動機づけとしての慈悲

 慈悲の性質を、心理学と神経科学からはっきりさせてみたい。さらに、慈悲のニューロン的なベースだけではなく、慈悲を構成する認識、動機、社会感情プロセス(socio-affective processes)も識別してみよう。そのためには、まず、慈悲を定義しておかなければならない(p179)

 一般的に慈悲は「他者を救うことに対する望みと結びついた、他者の苦しみへの深い自覚」「他者の苦しみを目にして生じる感覚。それに続いて起きる助けるための望みに動機づけられる」と定義される。この理解からすると、慈悲は感情(考慮する感覚)と動機づけ(苦しみを緩和することへの意志)の両者からなることがわかる(p179)

存在のあり方や人生への態度としての慈悲
  
 一方、感情や動機づけというよりも、慈悲は、現実にアプローチする人生への態度だという見方もある。これは慈悲の瞑想的観念(contemplative notions of compassion)とパラレルである。例えば、マサチューセッツ州のウィリアムズ大学(Williams College)のチベット仏教学のジョージ・ドレイファス(Georges Dreyfus,1950年〜)教授は、仏教においては、慈悲は、磨いたり発展できるメンタル的な要因とみられている、と主張する(p179)。つまり、慈悲には、感情や動機づけ(fleeting emotional-motivational state)としての「狭い慈悲」と、存在のあり方、現実にアプローチし、どのようにして生きるのかという人生への態度として「幅広い慈悲」と二つにわけられる(p179,p188)

熟練者の慈悲は感情につながらない

 ドレイファス教授は、初心者と慈悲の修行を積んだ人々とを区別し「感情と関連づけられる種類の心理的な特徴は、前者だけで表われるように思える」と記述する。

「初心者は、慈悲に圧倒されると語ることが多い。慈悲に深く動かされ、時には泣くこともある…。こうした感情は、マインドの平和を乱さないことからポジティブではある。けれども、それはマインドを動かす。けれども、彼らも進歩すればその慈悲は変わるであろう。それは通常の意味でさほど感情的なものではない。こうした慈悲は『平静(equanimous)』と呼ばれる。それは非常に強く、初心者のそれよりさらに強い…。けれども、ずっとバランスが取れ、感情の爆発をもたらさない」(p179)

 この場合、慈悲は他者の苦しみや喜びに感情的に呼応する必要がないことにつながる。


 ダライ・ラマ法王との対話でカリフォルニア大学サンフランシスコ校人間相互関係研究所ポール・エクマン(Paul Ekman,1934年〜)所長も、慈悲は感情ではないとの見解からこう語っている。

「感情は磨く(cultivated)必要がないが慈悲は磨ける。リアリティに対する知覚を感情は歪める。けれども慈悲は歪めない」(p179)

 そして、慈悲のハリファックス(Halifax)モデルも、慈悲が感情ではなくメンタル的な状態(mental disposition)であるとする(8章、9章、18章) (p179)。この幅広い慈悲はさらに3領域からなる。存在、感情、そして、視点取得である(p188)

今の瞬間に没頭していた方が幸せである

 さて、数多くの瞑想の伝統では、満ち足りた人生の基礎は、いまの瞬間に気づく能力にあるとしてきた。近代心理学の最近の発見は、この古代の知恵を裏付ける。例えば、米国の成人、2250人を対象とした研究では、ネガティブなことよりもポジティブなことを考えている方が幸せが感じられたが、最も幸せに感じられたのは、やっていることに完全に没頭していた時間、すなわち、心がまったく揺れ動いていない時であった。

 将来の計画を立てる場合など、いまの瞬間に存在しない何かについて考えることは必要だし、有益な状況はある。けれども、自分が幸せになることからみると、いまの状況に気づいて、いまの瞬間へとマインドを引き戻す能力を持つことが望ましいことがわかる(p181)。すなわち、過去や未来ではなく、いまの瞬間に起きていることに対する気づきを鋭くすることが大切である(p180)

 そして、慈悲を育むためには以下の二要素が必要とされる。

@ 外での出来事から内なるメンタルな出来事(内省= introspection)や身体の出来事(内受容= interoception)にフォーカスを転じること

A 「気づき(attention)」の能力。そして、それと関連してマインドを安定させる能力(p180,p181)

 この能力をまとめて「いま(presence)」と呼ぼう(p180)

内なる感覚を自覚する力が高い人は他者の感情も理解できる

 内なる意識とは、身体の内部の状態、筋肉のこわばりや呼吸、臓器の活動に気づく能力のことである。身体からのシグナルに意識をあわせることは、「いま」の瞬間にいることに役立つ。というのも、思考が、過去や未来や離れた場所に関わるのとは違って、身体からのシグナルは、常に、「いま」「ここで」で起こっているからである。この内なる身体の自覚は、自分自身や他者の感情を認識する基礎として、慈悲においても重要な役割を演じる(p181)

 神経学的いえば、身体からのフィードバック情報は、「島皮質(insula)」で処理される。島皮質は、感情を経験するときに活性化する。自分の感情認知に問題がある人は、島皮質や感受性皮質(interoceptive cortex)の活動が減っている。

興味深いことだが、内なる意識の自覚(interoceptive awareness)は、他者の感情に気づく能力と関係している。すなわち、自分自身の身体感覚に気づく能力が高い人は、他者の感情についても正確な判断を下せるのである。そして、他者の苦しみに感情移入するときに活性化するのもこの島皮質である(p182)

 したがって、身体感覚に気づいていることは与えられたどの瞬間でも「いま」起きていることにい続けられるだけでなく、自分自身や他者の感情に気づけるのである−これは慈悲で必要される二つの能力である(15章)(p183)

気づきの脳

 「いま」に完全に「存在」していることは、手近な「対象」に意識を向け、かつ、それを維持し続けることを意味する。このとき、実際の心の活動と意図とのコンフリクトとを神経認知機能は解決しなければならない。この機能には、前帯状皮質(ACC=Anterior cingulate cortex)と前頭前野背外側部(dorsolateral prefrontal cortex)が関わる。さらに長時間にわたって集中が持続されるときには、注意の状態を維持するうえで決定的な青斑核(locus coeruleus)や視床(thamalus)と連携した右半球優位の前頭ネットワーク(fronto-parietal network)、とりわけ、前帯状回(anterior cingulate gyrus)、右の前頭前野背外側部、下頭頂小葉(Inferior parietal lobule)が支えることになる(p181)

リソースモデルは慈悲を感情と認知で区分する

 「リソースモデル」は、タニア・シンガー博士らが行う慈悲の長期的な研究の枠組として開発されたモデルである(詳細はボックスV)。「リソース」とは、慈悲がもたらす、認識、感情、動機づけ、向社会性といった様々な領域での資源強化から命名された。とはいえ、慈悲の涵養(cultivation)は、まったく新たなスキルを獲得するというよりも、もともと存在している人間の特性を活用するものとして理解されている(p180)

10-1.jpg 慈悲のリソースモデル(図)では、慈悲を感情面と認識面とで区分する(p180)。まず、感情領域では、慈悲にとっては、@親切心と暖かさの感情の生成、A難しい感情の受け入れ、B向社会的な動機づけの生成の三つのスキルが決定的に重要である(p180,p183)

哺乳類の育児から暖かさの感情は誕生した

 自分自身や他者に対する暖かさや親切心の感情を産み出す能力が、慈悲では重要である。この能力は、子孫をケアするために系統発生的に進化した「ケアシステム」や「親和システム(affiliative system)」に由来する。生物種の中では、このケアシステムが最も進化しているのは霊長類である。その育児において最も長く、かつ、集中的なケアを必要とするからである。ケアを提供する親とその受益者である幼児との緊密な感情的な絆、発達心理学でいう「アタッチメント」の基礎には、このケアシステムがある。

 その後、ケアシステムは、パートナーとの間にロマンチックな感情的な絆を形成・維持することへと進展する。そこで、つながり感、信頼感、暖かさや親切心の感情を経験する。さらに、こうした先天的なシステムを活用することで、この親切心の感情は、友人、さらには、よそ者に対しても広げられる(p183)

 10Jaak Panksepp.jpg解剖学神的にみれば、ワシントン州立大学のヤーク・パンクセップ(Jaak Panksepp,1943年〜)教授は、哺乳類のケアシステムは、前帯状皮質(ACC=Anterior cingulate cortex)、前方帯状部(anterior cingulate)、分界条床核(bed nucleus of the stria terminalis)、視索前野(preoptic area)、中脳水道周囲灰白質(periaqueductal gray)にあるとしている(p186)。そして、愛情や報酬と関連したさらなるエリア、眼窩前頭皮質(mOFC= medial orbitofrontal cortex)、線条体(striatum)、腹側被蓋野(VTA= ventral tegmental area)/黒質(SN=substantia nigra)と淡蒼球(globus pallidus)が活性化され、暖かさの感情や親切心が自発的に生成される(p183)

 神経系統的にみると、ケアシステムや親和ケアシステムは、ドーパミン、オキシトシン、脳内アヘン(endogenous opiates)の放出が関係し、ケアを与えるものに報酬状態を引き起こす(7章、13章、15章)(p183,p186)


難しい感情は判断せずに観察すれば受け入れられる

心理学の古典的な文献をみると、ネガティブ感情を抑圧(downregulate)するため、気晴らし(distraction)、抑圧(suppression)、再解釈(reinterpretation)等の様々な戦略があげられている。

 とはいえ、他者の苦しみに直面した場合には、こうした戦略は非倫理的に思える。支援意欲を削いでしまううえ、自分も苦しみに直面することから、苦しみの解決に向けて建設的にアプローチする能力も落ちてしまう。このため、慈悲では、マインドフルに自分の感情に気づき、それを受け入れ、好奇心やケアの態度に向けるという別のアプローチを取ることで、困難な感情に対処する(p183)

 10Britta Holzel.jpgギーセン大学のブリッタ・ホルゼル(Britta Hölzel)教授らは、感情を受け入れて、かつ、反応しないという意識を伴うプロセスは、「認知行動療法(cognitive-behavioral therapy)」でのエクスポージャー(exposure)、絶滅(extinction)、再強化(reconsolidation)に相当すると指摘する。反応せずにネガティブ感情に耐え、引き出される出来事(eliciting event)の結果をただ観察するとき(p183)、感情反応を調整することができ、反応を消去したり、より適応的な新たな反応パターン(再強化= reconsolidation)を産み出すことにつながる。さらに、ケアシステムを自分自身に向けて作動させるとき、ネガティブな刺激を処理しながら、それをセーフティ・シグナル(safety signal)として役立て、ネガティブ感情やその悲しみの影響が増殖することをさらに弱めることができる(16章)(p186)

向社会的な動機づけ

「ケアシステム」では、感情的な動機づけによる行動は、他者を養うことに向けられる。慈悲の瞑想を毎日一週間実施した後、様々な支援行動が測定できるゲームで、より向社会的な行動を示すように課題を与えたところ(15章)、経験を積んだ瞑想者が慈悲の瞑想を行うと、運動野(motor areas)、中心前回(Precentral gyrus)とposterior medial frontal cortexが活性化されることがわかった。このことは、脳が行動準備をしていることを意味する(p186)

 そして、親切さ、ポジティブ感情といった向社会的な動機づけと関連する社会感情プロセス(socio-affective processes)は、進化の初期段階で発展した古い体性感覚(somatosensory)の機能、辺縁系(limbic cortices)と関連する動機づけシステムに根ざしている(p188)

視点取得はメタ認知がかかわる

 リソース・モデルのうち、「認識領域」は、仏教哲学の「知恵」、「洞察」「観(view)」と関連する(9章)(p187)。そして、「視点(パースペクティブ)」と呼ぶ。というのも、外部世界や内なる世界において、各個人に対して、「自己」に気づき、思考の流れを観察する才能、「他者の立場に立つ」ことを意味する「視点取得(perspective taking)」のメタ認知が求められるからである(p180,p187)。視点取得は三つのサブプロセスから構成される。まず、メタ認知がなされ、次に自己の視点取得がなされ、さらに他者の視点取得がされる。このプロセスに共通するのは、出来事からある一定距離をとって、認識システムに「流動性(fluidity)」を追加する能力である。それは、与えられた瞬間に、リアリティとして思えるモノから手放して、オルターナティブな視点を持つことを個人に求める(p186)

メタ認知〜私を観察する

「メタ認知」とは、認識心理学で「知っていることを知っている」「思考について考えている」「認識をするプロセスや状態に気づいている」ことと理解されている。すなわち、思考のプロセスそのものに気づいて、ある種の視点を想定することを意味する。自分自身の内側や外側の出来事(例えば、フィーリング、肉体の感覚、周囲の人たち)が「自然な出来事」として、その進行が観察され、思考は「私」とは同一化されず、流れゆく心の出来事として見られる。思考と関連するこの状態は「脱分別(de-identification)」または「脱フュージョン(cognitive defusion)」とも呼ばれる(p186)

 なお、自分を監視するという至高体験の神経学的な基礎は、前前頭葉前部外皮(anterior prefrontal cortex)がかかわる(p181)

多様な自己への視点を取得することはストレス解消につながる

 多くの瞑想の伝統においては、「自己」の観念に疑いをはさんできた。そして、この「セルフ・エンティティ」の存在は、現代神経科学も疑問視する。神経科学によれば、脳内には自己のための「セルフ・センター」は存在せず、自己という感覚は、幅広い脳領域が相互作用することで引き起こされていることがわかっている。

 多様な内側やその変化を観察することは、多様な自己のイメージ、「自己の複雑さ(self-complexity)」をもたらす。現代社会においては、エゴイズムやナルシシズムが高まっている。これに付随して、鬱病やバーンアウトも増えている。過剰な「自己」というアイデンティティは、自己に対する過剰な期待や自己批判につながるからである(3章)。したがって、過剰な自己の堅さを緩め、ユーモアがあることは、これを相殺する。したがって、多様な自己の視点を持つことは、過剰な自己というアイデンティティを薄めることにつながり、ストレスと関連した病気や鬱病へのバッファとして役立つ(p187)

 ニューロン・レベルでみると、自己反射(reflections about the self)、自分の記憶の検索(retrieval of autobiographic memories)、自己と関連した処理(processing of self-relevant stimuli)は、すべて、皮質正中内側部構造(cortical midline structure)の活動がかかわっている(p187)

感情とは異なり他者の視点を取得する

 このスキルは、信念や思想、意図(intentions)、見解等、自分以外の人々のメンタルな状態を理解する能力を参照している。他者の思考、意図、見解等のメンタルな状態を理解する能力は、認知視点取得(cognitive perspective-taking)理論、マインド理論(theory of mind)、mentalizingと呼ばれる(p187)。
 
 なお、感情と認識の領域の違いは、概念だけではなく、異なる神経認知システムに依存しており、生物的にも区別される(p180)。誰か他者の視点を取得するとき、自分自身や他者に対するメタ認識や視点取得は、前頭葉や頭頂部の例えば、内側前頭前皮質(medial prefrontal cortex)、側頭頭頂接合部、楔前部、後帯状部(posterior cingulate)が関係する(p187,p188)

 この認知回路は、情動感染(emotion contagion)や共感を含めた感情回路とは区別される。感情回路では、身代わり感覚状態(vicarious feeling state)が存在するが、認知視点取得は、「冷たい」認識プロセスからなり、多くの感情を伴わない。これは、年齢、文化、ジェンダー等、他者が自分自身とあまりにも違うときに重要である。他者に対する自分自身の感情的な投影が、自己中心的なバイアスを産むことが多いからである。他者が何を考え感じているのかを推測する際に自分自身の経験や見解が入ると認識が歪む。これを「自己中心のバイアス(egocentric bias)」と呼ぶ。けれども、他者の視点を取得することで、この歪みを減らし、双方がより正確に互いのニーズや考えを理解しあうことができる。つまり、相互依存した自己解釈(interdependent self-construal)が可能となり、それは、より緊密な関係づくりやより向社会的な行動が可能となるのである(p187)

パンクセップ教授の画像はこのサイトから
ホルゼル教授の画像はこのサイトから

【引用文献】
Boris Bornemann, Tania Singer“Chapter 10 A Cognitive Neuroscience Perspective The ReSource Model”

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2016年03月09日

慈悲の瞑想の神経科学9〜相互依存を理解する智慧が慈悲を育む

09Barry Kerzin.jpg バリー・カーズィン(Barry Kerzin)博士はカリフォルニア大学バークレーで哲学の学士を取得後、南カリフォルニア大学(USC)で医学を学び医師となり、ワシントン大学(University of Washington)の家族医療の准教授となる。インドのバラナシ(Varanasi )のチベット研究中央大学(Central University of Tibetan Studies)の客員教授でもある。

 カーズィン博士は、24年もダラムサラに居住し、ダライ・ラマ法王の医師を努め、貧しい人々に慈善医療も提供している。約3年の接心を含め、多くの瞑想接心を行い、彼の脳は、ウィスコンシン大学マディソン校(Madison)やプリンストン大学で、長期瞑想者についての研究の一部として調査されている。

 博士は仏教僧としてダライ・ラマ法王から戒を受けたが、米国ファミリー医療学会(American Academy of Family Practice)のフェローで、マインド・アンド・ライフ研究所(Mind and Life Institute)の研究員で、ライプチヒのマックス・プランク研究所の慈悲の修行研究のコンサルタントである。日本におけるヒューマンバリュー総合研究所(Human Values Institute)の創立者と会長であり、幸せについてのTEDxでのトークを含めて、全世界の医学校や大学で、慈悲や倫理学(secular ethics)を教えている(p493)

エゴイズムは不幸をもたらす

 私たちは他者の幸せのことをときたま考えることもある。けれども、たいがいは、自分を一番大切にしている。誰もが、この植え付けられた習慣に閉じ込められ、この狭い思考様式に多くの時間を陥らせている。自分のニーズのことを考えることだけに時間を費やしている(p175)

 私たちは誰もが利己的で、なによりもまず自分自身の幸せを望んでいる。もちろん、自分の幸せを望み、みじめさを避けるのは、人間として自然であって、生けとし生けるもの、すべての真実である(p170)。すなわち、誰もが利己的で自己中心的である。自分が世界の中心だと思い、世界全体が「私」を中心に回転するため、エゴはナルティスティックでもある(p175)

「苦(Dukkha)」とは、苦しみのためのサンスクリット語で、惨めさや恐怖を意味する。苦痛、病気、絶望(hopelessness)、絶望(despair)も意味する。このレベルでの苦を理解することはたやすい。とはいえ、より精妙な苦はより認識することが難しい。そのひとつが変化の苦しみである。素敵なビュッフェでの外食は楽しいが、その喜びは続かずに衰え、喜びは惨めさにかわる(p167)。問題は、意味があり、意味があり持続する幸せがそこでは見出せないことにある(p170)

 利己主義はナルシシズムによって自分自身のニーズや欲望を中心にすえるため、私たちは、自分自身のために多くのモノをさらに集めがちになる(p170)。けれども、多くの幸せを見つけようとすることは、実際には、さらに多くの不満をもたらすことで終わる(p175)

エゴイズムは味方と敵という対立する世界を産みだす

 また、強力なエゴの感覚は、私たちを他者から切り離す。それが「私たちvs彼ら」という人生の図式を創り出す(p176)。そこで、私たちは、この世の中を友人と敵という二つの世界に人工的にわけ、自分に親切な人たちと脅威となる人たちとで世界を枠組み付ける。これによって、対立する世界が創り出され、それは、恐怖や疑いをもたらし、次には不信もたらす(p171)

 けれども、「私たちVS彼ら」という世界観は(p167)、リアルなものではなく、ただ私たちのマインドによって構築されたものにすぎない(p171)。すなわち、エゴが、不変で独立したものと自分自身を誤解すると、対立が生じる。これを仏教では「行苦(conditioned pervasive suffering)」と呼ぶ(p171)

他者の苦しみを救うための望みと行動があるのが慈悲

 慈悲とは何なのであろうか。慈悲は、共感とは違う(15章)。共感とは、他者が感じているものを感じることだが、そこには、苦しみを減らすことへのコミットメントや行動がまったくない(8章)。一方、慈悲には他者の苦しみを救うことに対する望みがある。そして、それが発展すれば、コミットメントも成長し、これが行動につながる。この慈悲が満ちたケースが利他主義者である(p167)

慈悲には生物学的な根拠がある

 「慈悲」という言葉は宗教用語として考えられがちである。無論、どの宗教でも「慈悲」はメイン・テーマである。けれども、慈悲は宗教には限られない。事実、ダライ・ラマ法王は「慈悲は宗教を超える」と語っている。慈悲は人生に必要である。例えば、産まれたての乳児は、母親からの愛情や親切、慈悲なくしては生き残れない。食べ物や保護されなければ死んでしまう。子どもへの母親の慈悲は生物学なもので、種を維持・永続させるのに役立つ。

 慈悲と愛情は、社会的な発展にも欠かせない。愛情と愛情なくしては、向社会的な行動を育むことはできない。そして、支援、わかちあい、贈与、協力、ボランティアといった向社会的行動は、幼少期に母親や主なヘルパー(primary caregiver)から受けた愛情や親切心によって育まれる(4章) (p167)

攻撃的な人の背景に幼少期の愛情不足があることを理解する

 世の中には、攻撃的な失礼な人たちがいるが、なぜこの人たちがそうした立ち振る舞いをするのかを考えてみることは価値がある。おそらく、その行動は自分自身の苦しみの経験が反映されている。あるいは、問題ある家庭で育ったという過去からの苦しみが反映されている。

 幼少期のつらい経験にとった対応は、怒り、憂鬱、悲しみ他のネガティブな気分としてあらわれ、本人が気づかなくても、水面下で心の乱れを産み出すことが多い。この幼少期の感情反応パターンはその後の人生でも何度も浮上する。

 このことを認めることで復讐の本能は調整できる。ある人が自分が幼い頃に自分をいじめた兄のように感じられたとしても、その人は兄本人ではない。このようにネガティブな家族の問題や影響を理解することで、なぜ私たちを傷つける人がいるのかの理解が容易になる。そして、この理解を通じて、より慎しみ深くなり、相手を許すことができる(p175)

誰もが幸せを望んでいることを理解すれば怖い相手はいない

 男であれ、女であれ、若者であれ、老人であれ、誰もが同じであることを私たちは深いレベルでは理解している。私たち誰もが自分が幸せであることを望んでいる。苦を望むことを誰も望んではいない。相手を傷つけることを誰も望まない。例えば、乱暴者がいるとしよう。でが、どのような状況で彼らは乱暴者になったのだろうか。そして、他者をいじめることでどんな結果が生まれるであろうか。もし他の人が幸せであれば、彼らが私たちに敵対的に行動してくる理由はまったくないだろう。つまり、彼らに対峙してもなんら問題がない(p174)

この世の中は相互依存で成り立っている

 このように幅広いパノラマ的な展望から思考すれば、多くの理解と慈悲が自然に生じる(p174)。すなわち、慈悲的行動を成功させるには、幅広い視野で物事を見る「知恵」が必要である(p167)。そして、本当に知恵を所有するには、相互依存の知識を持つ必要がある。それには、いくつかの精妙なレベルがある(p171)

 相互依存は、私たちの世界を統治する重要な特徴で、多くの分野で目にできる。例えば、このグローバル化した現代では、世界はより小さくなり、より相互依存するようになっており、グローバル経済では相互依存が非常に重要となっている。

 自然界においても、物事の変化は相互依存によってもたらされている。生物学の分野では、食物連鎖や共生は相互依存に基づき、種は複雑な相互関係に大きく依存して進化する(p171)。遠く離れた地域に影響を及ぼす気候変動も相互依存に基づく(p174)

 物理学では、相対性一般理論や「量子もつれ理論(theories of quantum entanglement)」が相互依存に基づく。アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein, 1879〜1955年)の一般相対性理論は、重力と空間と時間との関係性を説明し、相互依存は宇宙の起源で理解にも必要である(p174)

量子レベルでは切り離されて存在する粒子という世界観は時代遅れ

 一方、「量子もつれ理論」のもつれ(Entanglement)とは、エルヴィーン・シュレーディンガー(Erwin Schrödinger, 1887〜1961年)がアインシュタインに向けて書いた手紙の言葉、「Verschrankung」の翻訳である。遠距離にあってさえも相互作用する2粒子間の相互関係性のことで、アインシュタインは、それを耳にして「離れた距離の薄気味悪い行動(spooky action at a distance, spukhafte Fernwirkung)」と称した(p171)

 実際の世界のほとんどは何もない空間である。そして、原子よりも小さな粒子は絶えず流動している。さらに、その粒子の位置を突き止めようとすれば、その速度や運動量(momentum)を知ることができず、逆に速度を測定しようとすれば、その位置を定められない。ヴェルナー・ハイゼンベルク(Werner Heisenberg, 1901〜1976年)の不確実性原理(uncertainty principle)であり、それが量子力学を発展させることにつながった。相対的なのは、その位置や運動量だけではない。粒子の動きを観察することも相互依存的である(p170)。ただ観察するだけで粒子の動きに影響してしまう。これが、「量子もつれ理論」を説明するし、古典力学から量子力学への飛躍のポイントとなった。すなわち、私たちの世界の基礎をなす原子よりも小さな量子の世界は関係性のネットワークのなかだけに存在している。それらが、他のすべてから切り離され、切り離されたやり方で存在しているという概念は、原子よりも小さなレベルではこれは意味をなさない。時代遅れなのである(p171)

関係性の世界観で仏教は量子力学と類似する

 仏教の「空」は相互依存を意味し、不変で独立した現実という観念を拒絶している。すなわち、すべては他のモノに依存してただ関係性においてのみ存在していると考える。この理解は量子物理学と同じである。すなわち、量子物理学でも仏教でも、確固たるエンティティは存在せず、ただ相互依存する関係性だけがあるのが現実であると理解する(p175)

量子力学の世界観と類似するエゴの心理学

 量子力学とエゴの世界には多くの類似点がある(p171)。前述した自分だけをかわいがるというエゴは、ゆがめられた世界観に執着している。すなわち、我執(Self-grasping)は、ゆがめられた認知に固執し、それが真実であること考えることを意味する。さらに、私たちは、このゆがめられたエゴの知覚と自分を同一視している(p175)。そして、私たちはエゴが独立して不変で他者や世界から切り離された実体だと考えている(p167,p170,p171)。けれども、この強力な独立した感覚と認識は現実にではなく誤解に基づいており、間違っている(p170,p171)

 他者とは切り離された個別で不変なエゴとは、それが存在するという信念から生じたフィクションにすぎない(p167,p170)。エゴは概念や名前以上のものではない。けれども、私たちは、そうした信念体系を自分が持っているすら気づいてさえいない。「私のエゴの知覚は正しいだろうか」と問いかけたりはしない。あまりにも慣れきっているため、エゴを当然のこととし、その仮定に挑むことすら考えない。自分の認識が正しいかどうかを確かめようとはしないし、エゴの性質を熟考することも稀である。私たちは、エゴが自分の肉体やマインドから切り離されたもので、それをコントロールするマネージャーのようなものだと考えている(p170)

 けれども、このエゴを確かめようとピンポイントで狙ってみても、実はその正体を突き止めることができない。世界を密接に調べてみれば、それがいつも流動し、絶えず変化していることがわかる。実際には、私たちのエゴは、数珠のようにたえず循環毎に変化している(p170)

 量子と同じように、エゴも、身体とマインドとの相互依存、すなわち、関係性のネットワークとしてだけ存在している。すなわち、エゴは関係性として存在する相対的なものであり、ダイナミックなつながりのネットワークにすぎず、独立したエンティティではない。要するに、エゴは、身体やマインドからは切り離せず、身体やマインドがなければエゴも存在しないが、エゴがなければ身体とマインドも存在しない(p171)

 私たちのマインドは、リアリティを形成するうえで大きな役割を果たしているが、エゴとはゆがめられた誤解によってマインド内で生じている幻想なのである(p167)。要するに、私たちは、歪められたやり方で、リアルではない何かを堅く握りしめている(p170)。私たちのエゴとは、メンタルな投影で、夢や蜃気楼のような雄大な幻覚にすぎない。その真実を知らず騙されて生きている。けれども、誤った知覚がなくなれば、歪められた無知も徐々に薄れていく(p171)

エゴを手放せばモノへの執着から自由になれる

 仏教の知恵の機能はユニークで、現実の幻覚を越えたところへと私たちを導いていく。仏教の知恵は、ゆがめられ誤認されたこの幻覚の世界を壊す。さらに、慢性化した習慣を打ち破る方法を教えてくれる。この知恵の鍵が幸せへの道を開ける(p175)

 すなわち、自分を解き放つためには、まず我執を解き放つことである。私たちの認知、思考、感情は、すべて私たちのマインドによって投影された構築物にすぎない。そこで、我執を手放す(Detachment)ことでモノへの執着から個人的に解放される(p174)

エゴを手放せば怒りからも自由になれる

 この幅広い視野を持てば、怒りの感情から自分自身を切り離す感情的なスペースも得られる。この感情的なスペースを持つことで、怒りと自分を同一視しないことが学べる。「私のもの」としての怒りと自分を同一視する必要はまったくな。自分のものとして怒りの感情に執着することなくただ流すことができる。空を自然に漂い横切っていく雲のように、ただ怒りが流れて行くとだけイメージできる(p174)

相互依存の智慧があれば自分の幸せ=他人の幸せと理解できる

 さらに、自分をかわいがるエゴイズムの反対は、自分を無視することではない。他者のニーズを認め、より幅広い視野を採り入れることを意味する(p175)。現実には、私たち誰もが多くのレベルで密接につながっている。このことを理解することが、心を他者に開き、他者の親切さや他者とのつながりを認めることになる。そして、このつながり感が、他者とをより近づけさせ、これが相互依存の知恵へとつなげる(p167)

 相互依存を認識することは、私たちが生きる世界のよりリアルな理解に向かわせる。よりバランスがとれ、全体の状況をよりはっきりと目にできるパノラマ的な展望をもたらす。これによってよりよい意思決定が可能となる(p174)

 また、相互依存とは、私たち自身の幸せが他者と結びついていることを意味する。したがって、他者をケアすることは自分自身をケアすることになるのである(p171)

 普遍的な慈悲とは「もし、親切にしてくれれば、私も親切にしよう」といった他者の反応には基づかない。むしろ、無執着(detached)の内なる深い意識に基づく。すなわち、自分のエゴを徹底的に探究することが、より深く、バイアスがない普遍的な慈悲を育む重要な方法である(p174)

エゴイズムを捨てることで逆に幸せになれる

 ジャラール・ウッディーン・ルーミー(Rumi, 1207〜1273年)は「私たちの仕事は、愛を捜し求めることではない。対立という私たちが築いている障壁を見つけることだ」と語っているが、利己的なバリアを壊すことは、自然につつがなく慈悲が流れることを可能にする(p167)

 すなわち、私たちのハートは開かれ、さほど利己的ではなくなる。他者のために多くを配慮するようになる(p170)。そして、利己主義が減れば、より謙虚となり、自動的に慈悲も強化される(p174)。すなわち、相互依存を理解する知恵によって慈悲はより強化される(p167,p174)

 手放し(Detachment)によって、で真実が何かが手にできる。そのリアリティははるかにソフトで優しい。さらに、複雑に織り込まれた感覚があり、世界は関係性のシステムとなる。すべてがバランスが取れて嬉しく感じられる。それが相互依存のリアリティである。すなわち、歪められた認知を手放すことで自由を手にできる(p175)。そして、相互依存の知恵は私たちを再び他者ととつなげる。対立と怒りは蒸発する。嫉妬と競争力は消え失せる(p176)。私たちの心は開かれ、よそ者であれ、敵でさえあれ、出会う誰もを新たな友人だと感じるであろう(p174,p176)。苦闘は喜びと意味ある人生へと変わる(p176)

 他者の希望やニーズを中心に据えることによって、行動にパラダイムシフトが起きる。他者が幸せになることを助けることは私たちの能力を深める。逆に、自分自身を深くケアし始めるのである。すなわち、他者のことを考えて助けることによって、私たちはよりオープンとなり、よりくつろぎ、平和を感じ、自分自身も恩恵を得るのである。私たちの人生は、意味の感覚で満たされる。より、幸せでより満足感を覚える。すなわち、自分自身の幸せも保証される(p175)

実践に向けて〜初心者慈悲はイラつく

 慈悲の修行が苛立ちをもたらすこともある(p167,p170)。とりわけ、即時的な変化を期待する場合に、フラストレーションがもたらされることが多い。確かに現代の多忙でストレスが多い生活は「即自的な変化」を求める。そこで、私たち誰もが忍耐心を欠いており、短時間でポジティブな変化が見られなければ失望し、慈悲の修行も止めてしまう(p170)

 また、慈悲の修行が逆効果になることもある。イギリスのダービー大学のポール・ギルバート(Paul Gilbert)教授は、自己批判と結びついた強力な恥辱感に苦しむ人たちを研究したところ、慈悲を育むことが難しく、恐怖心すら覚えることを見出している(3章)。こうした人たちは、直接的に慈悲を磨くアプローチはできないのである(p167)

 そこで、こうした人たちは、まず、忍耐心や寛大な心、怒りの管理といった補足的なアプローチを通じて間接的に慈悲を磨いていくことが望ましい(4章)(p167)。すなわち、慈悲心を磨くための障壁を少しずつ減らしていく多面的でホリスティックなアプローチが効率的で賢明なものとなる(p170)

 これはバランスと同様で、慈悲への障害が減れば、同時に慈悲は高まる(p170)。こうした補足的なアプローチによって障害が減れば、塞がれた水門が開かれ、慈悲は強化され、結果としてより大きな慈悲が生じる(p167,p170)

知恵と慈悲によって豊かな人生が実現する

 相互依存を本当に理解することはそれを実践することである。すなわち、相互依存を実現する必須条件は行動である。知恵の理解と実践の努力は終身続けなければならない。それによって、新たな発見や慈悲がもたらされる。私たちは、辛抱強く、愛情深く、親切になれる。新たな勇気や力の感覚が湧いてくる。知恵と慈悲は同じコインの両面側である(p176)。知恵を結合することで慈悲は大きく伸びる(p175)。そして、いずれもが他者だけではなく、私たちを豊かで有意義な人生へと導く(p176)

 手放した態度(detached attitude)は、慈悲をさらに多くの人たちへと広げることが可能となる。つまるところ、慈悲は誰に対しても平等に広がっていく。これが大慈悲(great compassion)が意味することなのである(p174)

【引用文献】
Barry Kerzin, “Chapter 9 Self, Interdependence and Wisdom A Contemplative Perspective”

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2016年03月08日

慈悲の経済〜利己から贈与へ@ 私たちは本当に利己的存在なのか

はじめに

 2016年1月31日付のブログ、禅的生活・風布庵の「贈与と慈悲とが地球を救う」では1月23日(土)に、清泉女子大学で開催されたNPO法人「もったいない学会」での田村八洲夫氏による「変革行動を促す『もったいない学』一分野に関する試論〜人間行動生物学」という興味深い報告について書いた。

 田村氏が参考としたのは、以下の二冊の書物である。

@ポール・J・ザック(柴田裕之訳)『経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学』(2013) ダイヤモンド社

A大竹文雄・田中沙織・佐倉統「脳の中の経済学」(2012)ディスカバリー・トゥエンティワン

 ポール・J・ザック(Paul J. Zak)博士は、クレアモント大学院大学の経済学・心理学・経営学教授で、2004年に、人間が相手を信頼できるか否かを決定する際に脳内化学物質の「オキシトシン」(oxytocin)が関与していることを発見して以来、オキシトシンが人間のモラルや社会行動に与える影響を追求している研究者である。神経経済学(neuroeconomics)という言葉を出版物で最初に使用したのもザック博士だという。

 また、2016年2月23日付のブログ、禅的生活・風布庵の「シンクロニシティU」では色平哲郎医師からハイデガーの「ケア」の理論とチベット仏教の話を聞いたと書いた。この二つは、なぜかずっと気になっていた。そして、「ケア」と「チベット」とは意外なところでつながっていた。ネットを見ていると、こともあろうに、ダライ・ラマ法王が、仏教の慈悲の精神に基づく「ケア経済」を提唱していたのである。

 しかも、それは、神経科学と行動心理学とが融合した「神経経済学」とも深く重なってくる。さらに、このページには、2015年7月19日付のブログ「第28講チベット仏教の幸せ論(1)」で著作を紹介した、かのフランス出身のチベット僧侶、マチウ・リーカル氏も登場しているではないか。

 さらに、2016年2月1日付のブログ、「瞑想と脳の科学D 慈悲の瞑想・中」では、京都文教大学の永沢哲准教授のタニア・シンガー博士の取り組みについても紹介したが、タニア博士は「ケア・エコノミー」のコア・メンバーとなっている。そこで、タニア博士の「慈悲と経済」についての研究内容をさらに紹介してみたい。

近代経済学の想定は間違っている

 いま、主流となっている経済モデル、「新古典派」の経済理論は、基本的には二つの想定に基づいている(3,4)。第一は、人間性は悪であって(4)、本質的に利己的な存在で、自らの効用を最大化して欲望を満たすために合理的に行動するいわゆる『ホモ・エコノミクス』だというものだ。第二は、アダム・スミスの『見えざる手』に象徴されるように、自由にゆだねれば、よりよき世界が実現されるというものだ(3,4)

「けれども、いずれの想定も明らかに間違っています(3)。それは、人間性のごく一部を記述したものにすぎません。心理学や神経科学分野の研究からは、この想定を越えるものが示されているのです」(4)

 20160128tania.jpgマックス・プランク認知神経科学研究所(Max Planck Institute for Human Cognitive and Brain Sciences)のタニヤ・ジンガー(Tania Singer, 1969年〜)所長は、そう語る(1,2)

 気候変動や格差といった差し迫ったグローバルな問題に対処するためには、古典的な『ホモ・エコノミクス』の概念を超え、これとは異なる行動を引き起こす別の動機づけをもたらすシステムを含めたものへと現在優位な経済モデルを見直してゆかなければならない(3,4)

共感力は競争で有利に立てることから進化した

 消費や欲望、権力や達成感によって人間が動機づけがなされていることは確かだ。けれども、神経科学の研究からは、同時に他人をケアすることにも同じほど深く動機づけられることが判明している(3,4)

 神経経済学によれば、他者の心を読み取る能力、すなわち、共感力があれば、他者の未来の行動を予測して、先取り的に行動することが可能となる。これは、競争で優位に立てることを意味する。共感能力はそのために進化した。タニヤ博士は、そう推測する(5p260)。例えば、信頼感を築いて、安定した人間関係を営めれば、子どもをケアできる。けれども、それには、同情心や共感力が必要である。私たち人間は、そのように進化してきたのである(3,4)

 共感をもたらすシステムは、全人類に共通しているし、動物とさえ共有されている(3,4)。最近では、ネズミにも共感的な反応があることが発見されているし、ケアはそれ以外の多くの生物でも研究がなされている(3)。そのことに気づけば、世界はまったく違って見え始めよう(3,4)

ミラーニューロンの発見―1匹のサルから

 とはいえ、この共感力がどこから生じるのかが解明されたのは意外に新しく、1990年に1匹のサルから発見された神経細胞「ミラーニューロン」がその皮切りとなった(6)

 イタリアにあるパルマ大学の神経科学者、ジャコーモ・リッツォラッティ(Giacomo Rizzolatti,1937年〜)博士の研究室では、運動に関わる神経を調べるため、マカクザルの頭蓋骨に穴を開け、脳の運動を司る、下前頭皮質(pre-motor cortex)に電極を付けて実験を行っていた(2,6,7)

 それは1990年だった。サルがブドウを拾うときには、数百万のニューロンが動き、いつも電極が反応していた。けれども、この時、まだ、サルに実験を始めたときに偶然に科学者はブドウのひとつをつまみ上げたときに、サルの脳内に電気信号が走り、電極が検知した。機械の技術的な誤動作だと考えた科学者は再び同じことをやってみた。するとやはり同じ反応が起きた。これは、あることを実行する時に発火するニューロンが、その出来事が実行されることをただ目にするだけでも発火することを意味している。実際には行動せずにただ目で見ているだけなのに、ブドウを拾い上げる研究員の姿を目にしたサルは、それと同じ行動を脳内で体験していたことになる(2)

 この反応を示した神経細胞は、鏡のように同じ行動をとっている反応を示すことから「ミラーニューロン(mirror neuron)」と名付けられた(6)。ジャコーモ博士のチームはミラーニューロンの研究に本格的に乗り出す。そして、下前頭皮質と下頭頂皮質にミラーニューロンが存在していることを解明する(6,7)

 さらに、その後の研究から、ミラーニューロンは他者の経験を鏡に映すように、自分も経験するように反応させる機能を備えていることもわかってきた(6)。ある行動を眼にするとき、こうした行動をするために使われるプレモーター・ニューロン・グループ(pre-motor neurons)が脳内で発火する。これは、他人が何かをやっているのを目にするときに(2)、ミラーニューロンは観察した行動を脳内でシミュレーションして、その機能によって、他者の行動や技術を理解して模倣して学んでいることを意味している(2,6)

 さらに、「鏡映し」は行動だけでなく、感情にも影響を及ぼす。他人の悲しみや喜びを自分のように感じる共感能力もミラーニューロンは持ち合わせている(6)。ミラーニューロンは、まさに人間の精神生活を理解するための新たな水門を開いた(2)

恋人を素材に共感感情のニューロンを見つけ出す

 こうしたミラー反応プロセス(mirroring processes)から、さらに深い洞察を得て、それを、例えば日常生活に活かす。それには、「共感」が鍵となる。タニア博士はそう考えた。

 「共感」はミラー反応と類似した特長を持つ。他者が苦しんでいるのを目にするとき、なぜか、人は自分も苦しみを感じる(2)。それでは、脳は他者の苦しみをどのように処理しているのだろうか。科学者がこのビジュアル化に最初に成功したとき、「あなたの苦みを感じる」というこのフレーズはまったく新たな意味を呈していた(1)

 タニア博士は「共感を伴う状況」を人工的に産みだすことで、2004年の画期的な論文で、苦を感じている他者に感情移入するときに、苦痛に敏感な脳内のいくつかの部分が活性化しており、「共感現象」と関連する神経を見出すことに成功する(1,2)

 「私たちは、カップルたちに研究所に来るように依頼し、女性の脳をスキャンしました。そして、隣に座るパートナーの苦しみに感情移入したのです」(1)

 当時、ロンドン大学の神経研究所にいたタニア博士は、16組のカップルを被験者として集め、それぞれの腕に電極を取り付ける(8)。そして、fMRIを用いて、女性の脳活動がどう変化するのかを測定した(1,2)

 040219_scyimst_empathy_hlrg.jpg電気刺激を自分で受けると身体的な痛みを感じる脳領域(脳の外側)と精神・感情的な痛みを感じる領域(脳の内部)の2つが反応した(左図)。次に、パートナーに電気刺激を与えてみると、精神・感情的な痛みを感じる領域で脳が活発に活動している様子が観察された(右図)。つまり、これは恋人の痛みを自分の精神的・感情的な痛みとして感じていることが示されたのだ(8)

 タニア博士が見出したのは、感情と関連した神経のネットワークのうち、共感が苦痛と関連する部分だけでなく、感情的な経験をも作動させることだった(1)。すなわち、恋人が痛みを感じるときには、同じ痛みを感じるエリアが反応し、かつ、脳はそれ以外の苦痛も繰り返し追体験していた。さらに、実験後にアンケートを受けた人はさらに強い印象をいだいた。かくして、他者の苦しみに反応する脳内神経がマップ化されたのである(2)

認知神経科学として共感の研究が始まり利他主義への理解が深まる

 2004年の論文が産んだ最大の発展は、共感の研究が認知神経科学の分野に導入されたことだ、とタニア博士は主張する。

「日本、インド、ヨーロッパ、米国と世界中で、こうした研究が実施されていきます。苦しみ、ふれあい、嫌悪から味や報酬にまで及ぶ多様な領域での共感に関する数多くのfMRIの研究上の発見を要約したものを私たちは数年後に出版します。こうした研究をまとめると、他者が感じていることを理解するために、私たちは自分の感情的な経験を処理する皮質を用いていることが確認されるのです」(1)

 タニア博士は言う。

「そして、この共感の研究からは、私たちが自覚している以上に他者とつながっていることがわかります。私たちは絶えず他者と感情的に交流しています。このことは社会的な相互作用と関連するだけでなく、経済モデルにも意味を持します。そして、伝統的な経済モデルの基本的ないくつかの想定に疑問を投げかけるのです。

 研究を始める前には「空っぽの脳(empty brain)」しか見つけられないだろうと予測する人すらいました。けれども、この研究が、誇張された利己心や個人主義から、利他主義と相互依存へと動く、最初の大きな変化であったと思うのです」(1)

 タニア博士はケアの経済学が可能だと語る。

「神経経済学からは、お金だけでなくどのように物事が決定されるのかが理解されます。心理学や神経経済学、社会的な神経科学から得られたすべての知識をあわせれば、古い『ホモ・エコノミクス』の反対側にある新たな人間像に向けて歩み始められます。実際の人間は、他者の嗜好に洞察することがなく、利己的で合理的な意志決定者なのではなく、他者へのケアに動機づけられる利他主義者であって、多様な社会的な嗜好を発展させられるのです。もちろん、これはずっと安定したものではありません。瞬間的な動機の状態や環境に依存します。こうした洞察は、新たな『ケアの経済学(caring economics)』に向けたマクロ経済モデルを発展させるために根本的な意味を持つことができます」(1)

双子として二人として育ったことが他者の理解の契機に

 博士は、いまもこの2004年の痛みの共感論文が重要だと考え、その理由をこう説明する。

「当時としては、一人だけ脳に焦点をおくのではなく、二人の人間について報告をした認知神経科学の論文のひとつだったからです。当時は、記憶や言語等の認識プロセスの研究に較べ、感情の神経科学的な基礎を調べることはさほどあたりまえではありませんでした。ですから、『身代わり感情(vicarious emotions)』の根底にあるニューロンのプロセスを研究することはとても斬新なことだったのです」(1)

 それでは、なぜ、このような斬新な発想を博士は持てたのだろうか。それには、育った環境が大きいと博士は語る。

「まず、父親が神経生理学の科学者であったことから、幼い頃から脳科学と接していました。そこで、心理学を学び、マックス・プランク認知神経科学研究所から博士号を受け取りました。当時のテーマは行動心理学に完全に重点がおかれていました。ですが、まもなく、どのように脳が働くのかをさらによく知りたいと思っていることに気がつきます。そこで、心理学者であることに加えて、認知神経科医になる訓練を受けるためロンドンに行ったのです。

 さらに重要なことは、共感や感情感染(emotion contagion)等の社会現象に魅了され、社会的な感情や行動をさらによく理解することを望んでいたことです。この興味は、おそらく、私が一卵性双生児として生れた事実によります。私は「私」 というよりも「WE」として誕生したのです」(1)

タニア博士は双子であったことから、いかにして人々がその直接の経験を手に取り、それを他の人々の考えや感情をよく理解することに投影されるのかに特に関心をいだいていたのである(1)

タニア博士の画像はこのサイトから
タニア博士の脳の画像は文献(2)から

【引用文献】
(4) Tania Singer, How to build a caring economy, Jan24, 2015.
(5) 永沢哲『瞑想する脳科学』(2011)講談社選書メチエ
(7) ウィキペディア・ミラーニューロン
(8)【認知科学】 恋人同士では相手の痛みがわかる

posted by la semilla de la fortuna at 19:00| Comment(0) | 脳と神経科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする